2010年12月31日金曜日

年末雑感

早いものでもう大晦日だ。
毎年毎年、時間が経つスピードが速くなっているような気がする。
けれど振り返ってみれば、ちゃんと365日を過ごしてきているわけで、それは日記を読み返してみても明らかなのだが、一日一日を充実して過ごしているだろうか、と考えてみると、惰性で過ごしているように思える日も実は多い。
来年は一日一日を充実して過ごしたいと思う。

来年はテーマとして、「一歩前進」を挙げようと思う。
いろいろとやりたい事などを先送りしている。
いつまでも先送りしていても、「いつか」はやって来ない。
そこで少しでもいいから何か踏み出そうと思う。

例えば今手元にある英語の本。
もう何年も前に買って埃を被っている。
一日朝と晩に一ページずつ、と決めて読み始めた。
すると一週間で14ページ進んだ。
こうすれば、長年読みかけだった本も来年は読み終える事ができる。
こんな調子でやっていきたい。

今年は10何年か振りでスキーに行ったし、夏にはグアムに行った。
味覚狩りはペースダウンしてしまったが、来年もそれなりに行きたいと思う。
映画も少しペースダウンした。
まあ昨年が多過ぎたと思うので、今年くらいのペースがいいのかもしれない。
年間で一番面白かったのは、 「アバター」だ。
こういう映画を観られるのはつくづく幸せだと思う。
来年もそういう映画を一本でも多く観たいものだ。

一方読書はかなり進んだ。
例年を上回る本を読んだ。
中でも一番の収穫は 「百田尚樹」 に巡り合えた事だろう。
自分の趣向とピタリと一致している。
7冊読んだが、ベスト3は「永遠の0」「BOX!」「影法師」だろう。
会社の同期とも意見が一致していて、いつも語り合っている。
すでに次の新刊も出ているが、それは年が明けてのお楽しみだ。

仕事も当然頑張らないといけない。
担当先にはボーナスも出ていないところもあるし世の中大変なのであるが、現状に満足することなく、常に「一歩前進」を心掛けていきたい。
このブログも丸2年続けてきて、早くも3回目の年末だ。
本当は毎日いろいろな考えを書きつづりたいところではあるが、欲張って4つもブログをやっているのでそれは不可能だ。だが、楽しいからこそやっているのであり、今のペースで無理なく楽しみながら続けていきたい。

今夜は年末恒例のすき焼き。
紅白を見ながらのお年取りである。
家族そろって静かな大晦日を過ごせるのは本当にありがたい事だと思う。
来年は今年よりも少しでも良い年にしたい。
そうなるように、「一歩前進」を心掛けたいと思う。

     

2010年12月28日火曜日

Wii パーティー

長女が今年サンタさんにもらったのは、「Wiiパーティー」。
もともと以前からWiiは買ってあって、時々家族で楽しんでいる。
長女はどこからか聞き込んで来て、この「Wiiパーティー」をサンタさんにリクエストしたのである。

「パーティー」と名のつく通り、これは家族みんなで楽しめるゲームだ。
もちろん、これまで買い込んだ ソフト「マリオカート」だとか「Wiiフィットネス」だとか、「Wiiスポーツ」なんかもみんなで楽しめるのだが、特にこれは内容がユニークだ。

例えば「トランプかるた」。
その名の通り、トランプを用意して(いきなりトランプを用意しろと言われてちょっと驚く)それを広げてかるたの要領でカードを取っていくのだ。
普通4人であれば、一人は読みあげるから実際は3人での競争になる。
ところが、ここではWiiが読み上げてくれるから4人で競える。

また5歳の長男が気に入ったのは「リモコンかくれんぼ」。
これはコントローラーを一人が部屋の中に隠して、残りの3人が探すというゲーム。
2分間で探さないといけないのだが、コントローラーからは動物の鳴き声が出てくるから、それを頼りに探す事もできる。
ただ隠すだけでは面白くないが、動物の声がありかを教えてくれるというところがWiiの面白いところだ。

それに「スゴロク」がある。
誰の番だったかはWiiがちゃんと教えてくれるし、サイコロを振るところからコマを進めるところまですべてやってくれる。
難しいシューティングゲームなんかと違って、子供でも楽しめるところがいい。

そもそもゲームと言えば、コントローラーをしっかり持って、画面をじいっと見つめて、無言でこなすというイメージがあるが、トランプを用意させられたり、コントローラーを手放して、画面も見ずに遊ぶテレビゲームというのもなかなか凄い発想だ。最近のゲームは映像技術が凄いみたいだが、このゲームではそんなもの必要ない。よく考えついたものだと思う。子供がゲームばかりしているとイライラするお母さんたちも、これなら大目にみざるを得ないだろう。

それに任天堂は商売上手だ。
今回、ソフトはサンタさんにもらったのだが、これまで我が家にはコントローラーが2台しかなかった。なので敢えて2台追加で購入したのだ。
1台3,800円するから、なかなかうまく財布の紐をほどいてくれる。

我が家で初めて買ったプレイステーションは、夫婦でそれぞれしばらく遊んでいたが、やがて飽きてしまって今では埃を被っている。
それぞれ忙しいし、ゲームばかりに時間を割いてはいられないからだ。
同じ任天堂のDSは長女だけが熱心にやっているが、みんなで遊ぶというわけにもいかない。
だがこのWiiは、子供たちと遊ぶという目的も同時に果たせる。
雨の日の週末なんかはピッタリだろう。
当分の間は、これで楽しめそうな我が家である・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
     

2010年12月24日金曜日

クリスマスイブ

クリスマスイブである。
子供の頃からしばらくは、この時期が一年で一番好きな時期だった。
街中にジングルベルが流れ、ケーキを食べ、プレゼントをもらう。
どこの子供にとっても同じだろう。誕生日も似たようなものだが、クリスマスは自分一人ではないし、サンタクロースがトナカイのそりに乗ってプレゼントを持ってきてくれるというところが大きく異なる。そんな子供の頃の記憶が、今もまだたぶん沁み込んでいるような気がする。

それが20代になると、一転してあまりいい思い出がない。
いつのまにやら「クリスマスは恋人と過ごすもの」という雰囲気の中に飲み込まれてしまったからだ。バブルの頃は半年も前からホテルのスイートルームを押さえたりといった話を遠くで聞きながら過ごしたものである。根っからの天の邪鬼な私は、そんな風潮に真っ向から反抗していた。
もっとも、「やりたくてもできないんだろ」と言われると返す言葉がなかったから、黙ってはいたが・・・

社会人になったある時、同期に誘われて2対2のデートに駆り出された事があった。
ウキウキしながら出掛けて行ったが、あまりにも話題についていけなくて、苦痛になりかけていた。会話の中で、相手の子が言ったのだ。
「私はいつか結婚する時は、クリスマスイブに結婚式を挙げるの!」
目の前にパイがあったら、投げつけていたと思う。
イブとなるとよく思い出すエピソードだ。

最近はハロウィーンも盛り上がっているが、日本人はうまく外国の習慣を取り入れて楽しむ術に長けているように思う。まあ、それはそれで悪くはない。
しかしクリスマスはどうもへんな雰囲気にのまれてしまっている。

仕事帰りに池袋の街を歩いた。道行く若者に目が行く。
一人で歩いている人を見ると、それが男でも女でも、「一人なのかな?」とついつい思ってしまう。あれだけ反抗していたくせに、「彼(女)いないのかな」と思ってしまうのだ。
妻も近所のラーメン屋がガラガラだったと報告してくれた。
「客は若い男の人一人やったわ、相手おらへんのやろね」とやっぱり「カップルで過ごすもの」という考えに毒されている。
独り身に冷たいのは、外の風ばかりではないようだ。

ビックカメラに行ったらおもちゃコーナーは激混み。
仕事帰りのお父さんの姿が圧倒的に多かったが、みんなサンタさんの代行なのだろうか。
その先に待つのは、クリスマスが楽しくて仕方がない子供たちなのであろう。
結婚してようやく落ち着いてクリスマスを楽しめるようになったのはありがたい事だ。
家に帰って、サンタさんからの子供たちへのメッセージカードを「代筆」する。
こういうイブの過ごし方が、今まで過ごしてきたの中で一番心地良い。

明日はゆっくりと楽しむ事にしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
  
 

2010年12月21日火曜日

長女の誕生日

先週の日曜日は長女の誕生日であった。
例年私の両親を招待し、ケーキでお祝いし、長女のリクエストした夕食をみんなで食べるというのが大体のパターンである。
今年も例年と同じようにお祝いした。

長女が生まれたのは10年前。
妻は初産で実家に里帰り。
その日朝の4時過ぎに、義理の妹からの電話で起こされた。
すでにカウントダウンに入っていたから、「生まれたか!」と思ったが、妹によると「今分娩室に入っている」との事。

「生まれてから電話をくれればいいのに」との思いを察したのか、妹が言うには、「妻が苦しんでいるのに夫がのうのうと寝ているのは許せないから電話して起こして!」と妻に言われたらしい。まあそういう家庭なんですな、我が家は。
そうして6時半過ぎ、出勤の支度をしている時に、今度こそ本当の出産の知らせが届いたのである。

父親になったらやっぱり感激するのかなと常々考えていたが、意外にもそれほどでもなかった。何だか隣のうちで子供が生まれたと聞いても、やっぱり同じ感覚なのではないかと思うくらいであった。まあ、その週末に大阪の妻が入院している病院を訪ね、我が子をこの手で抱いた時はさすがに実感が湧いた。自分がいなければ、この世に生れ出る事のなかった命なのだと思ったのだ。

幸いな事に、肺炎で一週間入院した事を除けばこれといった大過なくここまできた。
ケーキは「大きく切って!」とイチゴやチョコレートのデコレーションとあわせてパクつき、食べたいもののリクエストには元気に、「焼き肉!」と答える。
どうせならおいしいところと、3駅ほど向こうの駅前にある焼き肉屋に私がわざわざ一時間並んで予約をして、みんなで出掛けて行った。

夜は長女と弟と一緒に風呂に入る。
最近ちょっと胸が膨らみはじめてきた長女だが、それを誇らしげに見せてくれる。
世間一般では、父親がいつものように風呂に入ろうと娘を誘ったところ、「もうパパとは入らない」と告げられ、父親は「ガーン!」とショックを受けるというイメージを持たれているが、我が家は逆に私の方がそろそろ別々にした方がいいんじゃないかと思い始めている。
弟と一緒になってサンタさんに手紙を書いているし、どうやらまだまだ子供な長女なのである。

あと10年したらどんな親娘関係になっているのだろう。
男の子の口説き方から付き合い方までレクチャーしたいと思っているが、果たして聞く耳は持ってくれているだろうか?臭いとか言われて嫌われないようにしないといけない。
ひょっとしたら、これから彼女を作るよりも難しいかもしれない。
最近学生時代の体重に戻り気をよくしている私だが、そんなレベルに終わる事無く、見かけも中身もシェイプアップしたいなと、あらためて思うところである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹


      

2010年12月17日金曜日

難問

先週末に実家へ行った。
大掃除の手伝いという目的があったのだが、それはそれで少し母親と二人で話をした。
どうも気になっていた事があったようだ。
何かと言えば、私の妻との事であった。
長男の運動会の時にちょっと気になるやり取りがあったという。

実は我が家も世間並みに嫁姑の対立がある。
犬と猿が本当に仲が悪いのかどうかはわからないが、我が家の嫁姑は見事に仲がよろしくない。
結婚以来、それが私の頭痛の種である。
かつては将来同居も、何て考えた事もあったが、今ではそんな恐ろしい考えはない。
どうして仲が悪いのかまったくわからない。

曰く、モノをあげてもお礼がない。
退院したのに一言もない。
あんな事言われた、こんな事言われた・・・
お互いにあら探しして、少しでも何かあると鬼の首をとったように私に訴えてくる。
まあ直接目の前でケンカされるよりはマシなのだが・・・

一つ一つは実に些細な事なのである。
どちらも悪気があるわけではない。
つまり受け取り方の問題なのである。
私からすれば、さらりと気にせずにやり過ごせばそれで済む話なのである。

実家に行けば私もいろいろと野菜や果物や米や、母親が故郷で調達してきたモノをもらって帰る。
それを持ち帰ったあと妻からお礼の電話がないと親は言う。
妻からすれば、私がすでにお礼を言ってもらってきているわけで、我が家としてのお礼は済んでいると気軽に考えている。だが、我が両親はそう考えない。

逆もある。
両親の誕生日や、父の日、母の日に我が家から両親にプレゼントを送る。
私にはお礼を言ってくれないと今度は妻が不平を言う。
両親はもちろん、妻がそんな不満を持っている事など知りもしない。
そんな具合である。

もちろん、モノをもらえばお礼を言うのは当たり前だ。
だが、間に一人(私だ)入っている事で、この常識にずれが生じる。
でも、そもそもお礼目当てに贈り物をするわけではないだろう。
自分が相手にあげたいと思うからするのであって、お礼目当てでするものではない。
お礼がなくて嫌なら次からやめればよい。見返りを求める事がおかしい。
愛とは一方的で、無報酬であるべきなのである。

母親には話をした。
「そもそもお互いに仲良くしようと思うのなら、どうして相手の欠点にばかり目を向けるのか。
気に食わない事だけをいつもしっかりと覚えていて、何かあればそれを持ち出す。
これまでにしてもらって嬉しかった事はないのか?
どうして『ありがとう 』と思った事を覚えておかないで、嫌な思いをした事だけを覚えているのか?
互いに相手の良い部分を見て、悪い部分は見ないようにすれば良いではないか。
相手に要求するばかりで、どうして自分が柔軟に対応しようと思わないのか」、と。

いつもの事だが、理屈では私が圧倒する。
だが感情は別だ。
「そうは言ったって、お前ね・・・」という気持ちが常にある。
だから私がいくら正論を吐いても届かない。
私もあまり体調の良くない母親に強くも言えない。
もともとお互い望んで義理の親子関係になったわけではない。
そんな気持ちがあるのだろうか。

数年前に結婚した従兄弟に子供が生まれ、親(叔母)と同居しようという話が持ち上がっている。
母親としてはそれも羨ましく思っているフシがある。
私としては、一体どんな奥さんなのだろうと、結婚式で一度だけ会っただけの彼の奥さんをこれまた羨ましく思う。

他人は変えられない、自分の心のあり様を変えるだけという考え方の私としては、到底解決困難な難問を抱え込んでしまっている。
アラブとイスラエルの対決を解決するより難しいかもしれない。
無邪気にサンタさんに手紙を書く長男を見つめては、「お前もいつか絶対同じ苦労するだろうな」と思わずにはいられない。いつか男二人で酒を酌み交わしながら、「まったく、女ってやつは」と愚痴り合う事になるのだろうか。

そうは言っても、もう少し何とか出来ないものか、それだけは諦めずに探していくことにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
     
    

2010年12月14日火曜日

健全なる猜疑心とは

先週末は月に一度の社会人向け勉強会である「寺子屋小山台」に参加。
かつてテレビでキャスターを務めていた事もある方を講師にお招きして、講義とディスカッションをしていただいた。本来のタイトルからは少し脱線したが、現代の問題について諸々ディスカッションした。

ちょっと面白かったのは食料自給率を巡るデータの嘘の話だ。
我が国の食料自給率は、農水省の発表だと約4割と言われている。
つまり簡単に言うと、国内では国民10人あたり4人分しか食料を生産できていないと言う事だ。
ここから食糧安保の話などが出てきているわけである。
私自身、(自分でなにかするわけではないが)何とかしないといけないなと考えていた。
何かあった時に外国頼みではやはり不安ではないか。

しかしこの4割というデータが曲者なのだと言う。
実はこれは「カロリーベース」での数字。
これが「金額ベース」だと60%超となるらしい。
しかも野菜などカロリーの低いものは含まれておらず、米に至っては110%、つまり自給出来ているとの事。何かあっても野菜鍋なら腹一杯食べられるわけである。
しかも「カロリーベース」を使っている先進国は我が国くらいのものらしい。

何でそんなに危機を煽るのか、といえばやはり農水省だけに自らに都合のよいように操作しているのだろう。実は我が国の農業生産は、世界第5位だというから驚きである。
ここからわかることは、嘘ではなくても切り口をちょっと変えるだけで、いくらでも人をミスリードできるということである。

かつて私も「貸し渋り批判」でひどい体験をした。
日経新聞が、銀行の貸出残高が減ったという事実を持って「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」というタイトルの記事を載せたのだ。景気が悪くなれば、企業も人もお金を借りるのを控える。
運転資金だって設備資金だって、銀行が貸し渋りなどせずとも、自ずから借りるのを控えるのだ。
(車だってかつては3年ごとに買い換えていたが、そのサイクルは近年長くなり、そうすれば当然ローンだって借りなくなるから残高は減るのだ)
銀行の貸出残高が減った要因には当然そうしたものがあるはずで、それを中身の分析もせずに「貸し渋り」と決めつけていた。「解釈の悪用」だが似たようなものだ。

世の中には実はこうした例は多いと思う。
すべてを見破る事はできないが、「猜疑心」をしっかり持って我が身をガードしておかないと、簡単に騙されてしまう。政治家の言う事も、マスコミの言う事も鵜呑みにせず、「本当だろうか?」と思う事を常に忘れてはいけないと思う。
美人が満面の笑みを浮かべて近寄って来たら、それは絶対何か裏があるって事なのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
    

2010年12月10日金曜日

今日という一日

めっきり寒くなってきた。
起きるのも大変だし、通勤も辛い。
冬の通勤三点セットとして愛用しているのが、コート、マフラー、手袋。
しかし、寒くなってきたとは言え、まだ利用しているのはコートのみ。
マフラーと手袋の出動は、それでももうちょっと先のような気がする。

今朝は珍しく朝一で外出。
丸の内のビル街を歩き出す。
ふと気がつくとあたりの様子がいつもと違う。
何だか妙に閑散としている。
客待ちのタクシーは一台もいないし、4車線道路を通る車もほとんどなく、人影もまばら。
一瞬、ゴーストタウンに紛れ込んだかのような錯覚を覚える。

澄んだ空気。
ビルの向こうに青空が見え、イチョウの葉が歩道を黄色に染めている。
有楽町まで気持ちの良い散歩を楽しんだ。
同じ道を一時間後に戻ってきたが、もう街はいつもの活気に溢れていた。
客待ちのタクシーは列をなし、交差点には車が行き交い、人々が忙しくすれ違う。
いつもの雰囲気に私の足取りも自然と早まる。

今日は半年に一度のボーナス。
同僚はぶつぶつと文句を言っていたが、この頃はきちんともらえるのはありがたい事だとつくづく思う。取引先の中には厳しい状況のところもあるから尚更だ。
ただ、自分のために使える分がないのが寂しい限りである。

一日の仕事を終えて帰路につく。
昼間の黄色の街路樹に代わって夜は、電飾のツリーの出番である。一本向こう側の道路は有楽町まで果てしなく続く電飾並木。
たまには有楽町まで歩いてそこから帰ろうかという気もするが、やはりまっすぐ帰りたいので「いつかそのうち」と思ってしまう。
「いつかそのうち」は決してやって来ないので、今度有楽町で映画を観る時に、こっちを歩いて行くことにしようと思う。

視線を上げると夜空にビルの夜景が何とも言えない雰囲気を作り出している。
そういえば、このあたりはいつのまにかすっかりビル街になってしまった。
このあたりの夜景の雰囲気も気に入っている。
かつては新宿の高層ビルの夜景が好きだった。
今でもそうだが、最近は丸の内も負けていない気もする。

池袋西武のスイーツコーナーに寄る。
ここのところ月に一度いろいろとスイーツを買って帰っている。
今日はボーナスだからと勝手に理屈付けして、あれこれ迷ってモロゾフのチーズケーキを選ぶ。
玄関を開けると長男がお出迎え。いつもは誰も出て来ないのだが、金曜日かつ、お土産がある時は別なのである。

居間ではクリスマスツリーの飾り付けの真っ最中。
今年は随分遅いし、しかもこんな時間。
それでも子供たちも交じってワイワイと楽しげな雰囲気。
相変わらずいろいろとうまくいかない事があって、気持ちも沈みがちなのであるが、見ていると気分もまぎれる。

週末も予定が詰まっている。
社会人向けの勉強会に実家の大掃除だ。
週末も来週も気持ち前向きに顔を上げて頑張って行こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   
   
     

2010年12月8日水曜日

ディズニーランドな一日

ここのところ何かと忙しく、ブログの更新もままならなくなってきた。
思い通りに行かないという事は、じわりじわりと心にダメージを与えるものだと感じる。
一日が25時間だったら、もう少し幸せかもしれない・・・

先日、クリスマスシーズン恒例のディズニーランドへ行った。
長女が 学校公開の振り替えで平日休みとなったのに合わせて、私も休みを取ったのである。
平日だからと期待したが、やっぱり混んでいるのがディズニーランド。

「開門から閉門まで」が我が家の流儀。30分前から開門を待つ。ただ待っているのではない。この間、戦術を練るのである。
まずは私が、長女が好きなスプラッシュマウンテンのファストパスを取りに行く。
その間、家族はバスライトイヤーのアストロブラスターに並ぶ。
アストロブラスターが終わった後にスプラッシュマウンテンという段取りである。

ところが、スプラッシュマウンテンのファストパスを取ったはいいが、アストロブラスターは150分待ち。終わる頃には午前中のクリスマスパレードの場所取りが出来なくなる。すでに家族は20分並んでいる。ここでアストロブラスターは断念し、短い時間で済みそうなグラウンドサーキットへ切り替える。

せっかく並んだ20分が惜しい気もする。しかしこの20分は敢えて捨てる。
経済学用語ではサンクコストというのであるが、これを惜しんでいてはもっと損失は大きくなる。
午後から雨という予報だったから、パレードは午前中に見ておかないといけない。
天気と待ち時間とファストパスの時間と、次のファストパスを取りに行く時間。
これらを組み合わせて最適解を選ぶ瞬時の判断力!

と言っても私は何も考えず、指示に従って動き並ぶだけ。文庫本を片手に東へ西へ・・・
「指示待ち族」「イエスマン」「作業員」という言葉は、サラリーマンとしてはいただけないが、我が家の中では別。これが賢い生活の知恵である。

予報が外れて早くも雨が降り始め、午前中のパレードは中止。
屋内施設のイッツアスモールワールドに一時避難する。
しばらくすると雨はやむ。
結局傘は不要であった。
こういうところも天下御免の晴れ男の面目躍如たるところ。

午後2時近くなってようやくランチの許可が下りる。
短時間で手軽に食べられるピザが選択される。
そこへ向かう途中、長男が「トイレ!」。
ところが一番近いところは長蛇の列。
「漏れそう」と言う長男。大きい方だと言う。
他の家族はピザを頼みに行ってしまった。
こうなると自分で判断しないといけない。

子供だからという特例扱いは、係のお兄さんに断られ、漏らすリスク覚悟で並ぶか動くかの判断を迫られる。    過去の経験と記憶から少し先のトイレを選び出し、移動を決断。
ダメならその先のレストランのトイレ。
ここなら少なくとも列は短い。
最悪、替えのパンツは車の中だ。

幸いこの賭けには勝つことができた。
はるかに短い列に並んだだけで、ギリギリで個室に駆け込む。
だが惜しいかな、ちょっとパンツが汚れてしまった。
足踏みしながら頑張った長男だが、まあ仕方ない。
結局、車に戻って替えのパンツを取りに行き、履き替えさせていたら、もう午後のパレードの場所取りの時間。のんびりランチというわけにもいかない。

こんな騒動を丸一日。
閉門時間を30分も過ぎてからエンジンスタート。
夜の首都高、ハンドル片手にお気に入りのCDを選ぶ。
いつもは長女のリクエストで嵐ばかりが歌っているが、みんな疲れて眠った車内では好きなアルバムを選択できる。

我が家のディズニーランドはいつもこんな具合だ。
でもこんな一日も子供が小さいうちだけだろう。
いつかこの疲労感が懐かしく思えるのかもしれない。
いい思い出として、ブログにも残しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   
   

2010年12月2日木曜日

絵馬に願いを

ここのところ2週続けて神社に行った。
先々週は長男の七五三で地元近くの東伏見稲荷へ。
そして先週は旅行で、箱根神社に行った。
毎年初詣には地元の氏神様にお参りを欠かさないが、七五三やかつては自分の厄払いなど折に触れて神社に行く。諸外国の人から見れば、日本人の宗教心などないに等しく映るかもしれないが、やっぱり我々もそれなりに宗教とは関わっている。

七五三ではお祓いをしてもらい、絵馬をもらったので一筆書いて奉納してきた。
「はい、書いて」と妻から絵馬を渡されて、はたと困ってしまった。
普段からあまり考えてもいないから何も浮かばない。
それに元々宮本武蔵流の「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」の精神を心掛けているから尚更である。
結局あれこれ迷って子供の健康を祈願した。

箱根神社はお参りというよりも観光で行った。
芦ノ湖に浸かった鳥居も見事だが、参道の脇の立派な杉の木にも驚いた。
街中の神社と違って威厳が漂う。
観光とはいえ、行けばお参りしないわけにもいかず、お賽銭を投げて手を合わせた。
ご挨拶するのが礼儀だろう。
何気なく目を向けたところにたくさんの絵馬がかかっていた。
それらを見るとはなしに見る。

いろいろな人がいろいろな願い事を書いている。大体が、健康の事が多いようだ。
家族の健康を祈願するのは大抵の人がみなそうであろう。
次に目についたのが受験関係。
高校や大学がちらほら目につく。
そう言えば、私自身も受験時は心細く不安な思いをした。そんな思いが絵馬から伝わってくる。

結婚・出会いも多かった。
「素敵な人」からずばり特定個人を指定したものもあり、今時なのか「草食系」という表現もあり、みんな好き勝手に希望を書いている。大体これらはみな女性の手によるものだった。
男は自分から行くが、やっぱり女性は受身が多いだろうから祈りたくもなるのだろうか。

「転職がうまくいきますように」なんてのもあり、「来年出すCDが1万枚以上売れますように」なんてのもあった。カッコ書きで芸名らしき名前が書いてあったから、写真に撮っておけばよかったかと後から思った。もしもヒットして売れたら記念になるかもしれない。

英語やハングルもあった。
神様の中には異国の言葉も理解できる方がいるのだろうか。
「パパの病気がよくなりますように」
私が神様に推薦するとしたら、これを選ぶだろうと思った。
是非叶えてあげてほしいと思う。

いろいろな人の様々な願い事が奉じられている。
どのくらいの願い事が叶うのだろう。
見た限りでは、「億万長者になりたい」などというものは見当たらなかった。
やっぱり神様の前だから、願う方も控えるのだろう。

叶う叶わないは別として、自分の願いを神聖な気持ちで絵馬に書くという行為は、それ自体がいいのかもしれない。神聖な場所で、厳粛な気持ちで、自分の願いを神様に報告するのだ。
実現するかしないかは自分次第だ。
折に触れこういう機会をこれからも持ちたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   

2010年11月29日月曜日

箱根

週末は一泊二日で箱根に行ってきた。
ちょうど関西から義母が来ており、ちょっとした慰安を兼ねての家族旅行である。
箱根は10年ほど前に行って以来、二度目である。
天下御免の晴れ男らしく土曜日は朝から快晴。
環八から東名高速を通って一気に芦ノ湖へ向かう。
途中で見た富士山が何ともいえず絶景である。

芦ノ湖では海賊船型の遊覧船に乗り込む。
途中下船して箱根の関所を見学。
小学校4年の娘にはいい勉強だ。
そもそも関所とは、から始り昔の様子を話して聞かせる。「入り鉄砲に出女」など、そう言えば昔歴史の授業で習ったものだと思い起こす。義母は言葉は知っていても意味は知らなかったので、ちょっとそこで講釈した。

遊覧船観光の次はロープウェーで大涌谷へ向かう。岩肌から硫黄の匂いと蒸気が湧きあがる様は壮観だ。だが長女はそんなことよりも何よりも温泉黒卵に舌鼓を打つ。さすが母方の血を引く食いしん坊だ。周りの景色がどれだけ印象に残ったのだろう。

そうこうするうちに時間は過ぎ、気がつけば山間に沈みゆく雄大な夕陽と夕焼けが目に映える。
暗くなった道をドライブしてホテルに着くと意外にも大勢の宿泊客が泊っている。
不景気と言いつつも、地方の旅館・ホテルは業績低迷に苦戦していると言いつつも、ここは別なのかと思ってしまうほどであった。

そしてやっぱり温泉。
ゆったりと湯につかっていると、日頃から溜まった疲れが抜けていく気がする。
家にいれば、のんびりしていると何か無駄に時間を過ごしているような気持ちに襲われるが、旅先の温泉ともあればそんな事もない。

PCもないし、メールチェックしたり、ブログ更新したりすることもできないし、諦めてのんびりするしかない。ほかほかと温まった体で布団に潜り込む。目を瞑ると布団の中に温泉の匂いが籠る。あっという間に意識を失う。

翌日も快晴。
仙石原のすすきを眺め、箱根神社にお参りし、箱根湯本からは登山鉄道に乗る。
スイッチバック式の鉄道である。
周辺を散策し、夕方岐路に着く。
多少の渋滞はあったが、箱根はやっぱり早く帰って来られるという利点がある。

着替える時に体から温泉の匂いが漂い出た。朝風呂の分だろう。
風呂に入るのが何だかもったいない気がした。
たまには手軽な温泉旅行というのもいいかもしれない、と改めて思う。
いずれ毎月出掛けられるような生活を送りたいものであるが、さてそれは何年くらい先の事になるだろう。

そんな日を目標に今週も頑張って働こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「ケチャップの謎」マルコム・グラッドウェル
「逝きし世の面影」渡辺京二

    

2010年11月24日水曜日

学校公開

先週末に長女の通う小学校で「学校公開」があった。
私の子供の頃は「授業参観」であった。
それは、特定の授業を1時間だけ親が見に来るというものだった。
あまり記憶には残っていないが、母親が来てくれていたのを覚えている。

「学校公開」とはその名の通り、学校の中を好きに見て下さいというスタイルである。
授業を見るもよし、校内をうろつくのも自由というわけだ。時間は午前中一杯。
午前中だけで子供たちは帰ってくる。
「せっかくだから全部見てきたら」という半ば脅し的な妻の声に背中を押されて、一時間目から参観。

一時間目は社会。
テーマは東京都の地図。
先生が東京都の大きな地図を黒板に貼る。
東に海があり、都心部にはビルが乱立し、西に行くに従って緑が増え、何と雲取山という山まである。東京は狭いながらも、いろいろな表情を持っている事を改めて学ぶ。

二時間目は算数。
「教室は隣だよ」と長女に言われて隣の教室に移動する。生徒は2/3ほどに減っている。
「はて?」と思っていたら、少人数制のクラスという事だった。
2つのクラスを3つに分けての授業である。隣のクラスを覗くと同じ事をやっていた。
レベルに合わせて、というのではなく、単に人数を少なくして先生が手厚くフォローしようというものらしい。

三時間目は国語。接続語の勉強。
「だから」とか「しかし」とか、文章と文章の間に相応しい接続語を埋めていく勉強だ。
さすがにわからない子はいないようだったが、こんなことまで勉強していたんだな、と改めて思う。
今では教養としてすっかり身についてしまっている事の中には、こうして一つ一つ教わった事も多いのだろうと思う。何せ小学校だけで6年間もあるのだ。

我々の頃とチャイムは同じだが、挨拶が違う。
「起立、礼、着席!」というお馴染のあれではなく、「これから○○の授業を始めます、よろしくお願いいたします」というものだ。
まあ何にせよ、こうした冒頭の挨拶で始めるスタイルは締りがあって良い。
よく映画で観るが、アメリカの学校ではチャイムが鳴った途端、生徒たちは先生にお構いなしに教科書を片付けて教室を出ていく。
そういうスタイルからすると、この伝統は良いものだとつくづく思う。

親に良いところを見せようと思うのか、どの子も積極的に手を挙げる。
手を挙げない時は自信がない時。
「そうかこういう問題は苦手なのか」とわかりやすくて良い。
教室の壁一面に普段の学習の成果が張り出されている。
日頃伺い知れない我が子の学校での様子がにじみ出ている。
今のところ、友達ともちゃんと付き合えているようだし、いじめみたいなものもなさそうである。

窓の外に目を向ければ、どこかのクラスが体育で球技をやっていた。
咄嗟に名前が出て来ない。
「ポートボール!」と名前が浮かんだ。
そう言えばそんな球技もやったなぁと懐かしく思い出す。

私が通った小学校は、今でも実家の近くにあるが、校舎は建て替えられてしまっていて、あの頃の面影はもうない。いつも野球ばかりやっていた気がするが、プールや音楽の授業や体育の走り高跳びでクラス一になったことや運動会で活躍したことや、思い起こせばいろいろと懐かしく思い出せる。
いつか長女も今を懐かしく思い出すのかもしれない。

4時間目の途中で次の予定があって、抜け出してきた。
さすがに立ちっぱなしはしんどい。
親父が授業参観に来た記憶はないが、やっぱり我が子の学校での姿を見るのは良い事だ。
長女のためにも、そして何よりも自分の為にも。
考えてみると、長女の学校公開に行くのもあと2回。
また来年もきっちり行こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「ケチャップの謎」マルコム・グラッドウェル
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
 
   

2010年11月21日日曜日

クラス会

先週の同窓会に引き続き、今週は高校のクラス会があった。
実は我がクラス、卒業して2~3回クラス会をやったが、その後久しく絶えていた。
5年前に同窓会と並行して開催された40歳の同期会で、クラスのメンバーと再会。
およそ20年振りの事であった。それから隔年で集まり、合間の全学年の同期会を含めれば今回が再会後4回目、クラス会としては2回目の集まりとなる。

参加者は48名のクラスメートのうち、1・2次会トータルで15名。
前回まで20名ほど集まっていたが、今回は少し少なかった。
参加者の顔ぶれは大体同じである。
行方の分からない者が9名、遠方等やむを得ない事情を除けば、連絡してもいつも来ない者が7名ほどいる。都合が悪いというよりも、来たくないといったところだろう。

来たくないという気持ちもわからなくはない。
実は私自身、大学のクラス会には参加していない。
いつのまにかメーリングリストに加えられていて、クラス会のみならず、転勤等の異動連絡なんかもこまめに送られてくるのであるが、いつもそのままゴミ箱行き。
大学のクラスはどちからというと上辺の付き合いで、ウマが合う友がいるわけでもなく、したがって行っても面白くないし、行きたいとも思わない。
だから高校のクラス会でそう思う者がいてもわからなくもない。

ただ、大学のクラスは高校と同じ2年間と言っても、週に1回90分の授業で顔を合わせるだけだった事からすれば、密度が違う。
高校のクラスの方が密度ははるかに濃かったわけで、それでも来たくないと思うのはあまり良い思い出がなかったという事なのか、ちょっと寂しい気もする。
まあ人それぞれだから、それが悪いとも思わないが・・・

参加者の卒業後の歩みも十人十色。
5人の母となった女性は、もうじき孫が生まれるという。
18歳の娘と仲良く並んで買い物に行くと自慢する男は、若々しい恰好をしているが、髪の毛の薄さは年齢以上のものがあって安心できる。
高校時代は先生に受けが良かったはずの男は、今は健康診断で先生に睨まれている。
サザンが大好きで、憧れのサザンの世界を追いかけた男はとうとう茅ヶ崎にマンションを買って住んでいる。いつも学校をさぼっていたメンバーが、クラス会は4回ともきっちり「出席」している。

2次会は幹事の好みでカラオケルームとなった。
邪魔が入らない事を良い事に、いつのまにか校歌の合唱が始った。
続いて運動会の応援団歌に移行する。
当時みんなそんなに愛校精神溢れていたっけ、と思ってみたりする。

2年後にはまた全体の同期会がある。
次に会うのはその時かな、と漠然と考えていた。
ところが来年もやろうという声が上がり、茅ヶ崎男が幹事に立候補した。
来年は、担任の先生を呼ぼうと今からプランを練り始めている。

いつのまにかお開きの時間となった。何だか名残惜しい。
港区議をしている男が、締めのマイクを握る。
流れてきたメロディーは、サザンの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」。
我々の世代では、なかなかナイスな選択だ。

髪の毛が薄くなったり、お腹の下でベルトが悲鳴を上げていたり、白髪が目立っていたりするけれど、中身は学生服に包まれていた頃と変わらない。
家に帰れば、またそれぞれの家族がいて生活がある。
忙しい日常生活だが、ふと懐かしい顔ぶれが集まる機会も悪くない。
卒業以来30年近く経つが、クラス会はまだ4~5回しかやっていない。
これから毎年やったっていいかもしれない。
来たいと思う者だけが集まるだけで十分だ。
そこに自分の居場所もあるし、続いて行くならずっと参加したいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「一流たちの修業時代」野地秩嘉
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
    

2010年11月18日木曜日

裁判員制度と死刑

裁判員制度もだいぶ定着してきたからだろうか、ここにきてついに死刑事件を扱うようになった。
先日の「耳かき店員殺害事件」に続き、「横浜二人殺害事件」の判決が出た。
「耳かき店員殺害事件」では無期懲役であったが、「横浜事件」は死刑だった。
そのあとも続々と続く気配である。

もともと裁判員制度の導入の背景には、国民感情と乖離した判決の問題があったと思う。
もっと国民の常識・感覚を裁判に持ち込もうという意図があったと記憶している。
それは果たして、死刑事件で効果があったのだろうか。

最初の「耳かき店員殺害事件」では被害者は二人。
死刑が求刑されて当然と思われたが、判決は無期懲役。
極刑を求める遺族の声をよそに、無期懲役という判決はそれまでの裁判官による判決と変わらない感じのものだった。やはりいざ自分が人一人の命を奪う権利を与えられると、おいそれとは行使できないのだろう。

かつて「デッドマン・ウォーキング」というアメリカ映画を観た。死刑囚とシスターの物語だ。死刑執行の時間が迫る中、再審の申請をしたりと活動をするもむなしく、刑は執行される。全編を通してシスターの視点で、死刑囚と死刑制度を見つめ、実際に刑を執行されるシーンでは、その残酷さがよくわかり、観終わる頃にはすっかり死刑廃止論者になりかけた。

「耳かき店員殺害事件」の裁判員たちも、たぶん被告の表情や改悛の様子などを目の前で見て、死刑という決断を下せなかったのだろう。無責任な立場で、新聞のニュースで事件の概要だけを捉えて、「こんなの死刑だろう」と気楽に言える立場とは大きく異なると思う。結局、いざとなると裁判官だろうが、一般市民だろうが、人の命を奪うという決断は下しにくいという事なのではないだろうか。

ただ、これらはみな犯罪者に視点を合わせているという事を忘れてはならない。
その陰には被害者とその遺族がいる。
ここに視点を合わせれば、別の風景が見えてくる。

およそ人一人が生まれれば、両親は目を細めて喜び、子供の成長を糧として働く。
入園・入学・運動会・学芸会・卒業・受験・・・様々なイベントがあり、家族はともに喜び笑い、幸せを分かち合いながら暮らしいている。それを一瞬にして奪うわけである。
それも大概は身勝手な理由で、だ。残された遺族の無念はどうなるのだ。

「横浜事件」ではさすがに死刑が宣告された。
裁判員の人たちも大きな決断をした。
電動のこぎりで生きたまま首を切断するなんて、尋常ではない。
いくら反省しようが許されるものではない。
検察官が必死に死刑を訴えるわけである。
それでも宣告後、裁判官は被告に控訴を勧めたという。
「プロの裁判官として何たる言葉」と某新聞が批判していた。

しかしながら思うのである。
それでこそまともな人間だと。
普通の人は、人の命を奪う決断などできるものではない。
特に我が国においては、教育も行き届いていて普通の感覚では人を殺す事などできるわけがない。
それが例え裁判における正当な権利としても、である。

義務として死刑は宣告したけれど、それでも心穏やかならず控訴を勧めるなんて、実に人間味溢れていると思う。気楽な立場の新聞記者が、批判できる筋合いのものではない。
職務は立派に果たしたのであるから、それでいいのだと思う。

先進国の間ではもはや死刑廃止は一般的で、まだ残しているのはアメリカ・日本・台湾・シンガポールなどだけで、総計58カ国。
我が国は少数派だ。死刑廃止論者たちも活発に活動している。

彼らは一様に死刑の残虐性を訴える。しかし、そこには被害者の視点が決定的に欠けている。江戸の昔なら「仇打ち制度」があった。しかし、今ではそれは許される行為ではない。個人間の私闘を防ぐのが法治国家だ。個人の恨みは国家が果たしてくれるので、いくら悔しくても遺族は復讐する事は許されないのである。だからこその死刑制度だ。

決断を下す人たちの心労はかなりのものだと思うのだが、やっぱり正義のためにしっかりと判断してもらいたいし、死刑制度は堂々と維持すべきであると思うのである・・・


【本日の読書】
「一流たちの修業時代」野地秩嘉
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
 
     

2010年11月15日月曜日

同窓会

先週末に高校の同窓会があった。
毎年この時期に開催されている。
我が母校は創立が1922年。
長い伝統があると言える。
新設高校から今年転勤してきた校長先生が「伝統を感じる」と挨拶されていたが、新設高校から比べるとそれはかなりのものがあるかもしれない。

旧制中学の卒業生から現役の高校生まで、年齢にすると16~17から80代までがおよそ200人ほどであろうか、一堂に会した。
我が同窓会はここ10年ほど、40歳になった世代を集めて合同の同期会を行っているが、6割方はこの世代の集いであり、残りは常連メンバーだった。
これは面白い試みであり、このおかげで同窓会も随分と賑やかになっている。

旧制中学の大先輩にビールを注ぎながら話を聞く。
第二次大戦中のドゥーリットル空襲を生で目撃したという凄い経験をお持ちの先輩である。
当時は学校から2キロ以内に住んでいる人は電車通学は認められなかった、などというどこの本にも書かれていないような話を聞くのは、個人的には大好きである。
同級生がいるわけでもないのに、たった一人いつも出席されているのは、やっぱり母校に対する愛着のゆえなのだろうか。

ふと、どこか見覚えのある人がいるなぁと目を凝らすと、なんと生物の先生であった。
たぶん、お会いするのは卒業以来はじめてだと思う。
すっかり白髪になられていたが、瞬時に遠い昔に受けた授業が蘇ってきた。
卒業生ばかりではなく、先生方も招待されているのである。
いつも来られる先生はもうお馴染だが、久しぶりにお目にかかると懐かしい思いがする。

考えてみれば、先生たちも我々の高校時代はみんな今の私よりも若かったのである。
そう考えると何だか不思議な感じがする。
会社で30代後半から40代前半の人たちを見ると、まだまだ未完成のような感じがする。
今の自分自身ですらそうなのであるが、当時そんな年齢の先生たちを自分たちは遥か上に見上げていたのだ。

今の自分が当時の先生たちを見たら、いったいどんな風に映るのだろうかとふと思ってみた。
やっぱり先生たちもいろいろと悩みや葛藤があったりして、学校の帰りに一杯やりながら先生同士で語り合っていたりしたのだろうか。
当時の自分たちは、一体先生たちの目にどんな風に映っていたのだろうか。
そんな思いがとめどなくあふれ出る。

2時間ほどで中締めとなる。
どこもそうだと思うが、最後は校歌を歌う。
旧制中学は校歌が違う。
だからいつも校歌は2種類歌われる。
そのうち1つになってしまうのだろう。

お爺さんから10代の若者まで、同じ歌で繋がっている。
それぞれの時代の景色は違えども、同じ場所に通ったという共通点だけで繋がっている。
そしてその繋がりは、毎年増え続けていく。
いつか自分たちも最高齢となり、いつの間にか昔の話を聞かせてくれと言われる立場になっているのかもしれない。その時、どんな思い出を語るのだろう。
それとも隅っこで居心地の悪さを感じたりしているのだろうか。

また来年も参加しようか。
行く前はどこか億劫で、半分立場上やむなく参加したところもあったのだが、終わってみればそんな風に思っていた。
自分にとっては、いつまでも大事にしたい居場所の一つである・・・


【本日の読書】
「裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記」山口絵里子
「一夢庵風流記」 隆慶一郎


    
    

2010年11月12日金曜日

情報感度

ある男が赤の広場で、「スターリンの大馬鹿野郎!」と叫んでいた。
さっそく秘密警察に逮捕され、強制収容所送りになる。
刑期は二十五年。その内訳は……
国家元首侮辱罪で五年。
国家機密漏洩罪で二十年。
                              ロシアン・ジョーク
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夏休みにグアムでシュノーケリングをした。
まばらにいた魚たちに餌をばら撒いた途端、たくさんの魚たちがあっという間に集まってきた。
何かで知ったが、サメはほんのわずかな血の匂いを嗅ぎつけて近寄ってくるという。
大海原に住む魚たちの、その感度たるやすごいものだと感心させられたものである。
そんな事を思い出させてくれたのが、今世間を賑わせている「中国漁船の衝突映像」がYoutubeに投稿された事件だ。

私もその朝、ネットでニュースをチェックしていて投稿の事実を知り、その場でさっそく見た。
全部で44分と言っても、大半は中国漁船と並行して航行しながらの映像だったため、ダイジェストで端折って見る。さすがに朝はそんなに時間もない。
肝心な衝突シーン前後を含めて15分程度は見たであろうか。

帰ってきたら、もう削除されたとのニュース。
見ておいて良かったと己の行動に自画自賛。
それにしても・・・
投稿されたのは、その前夜9時頃だと言う。
私が見たのが朝の6時だから、その間9時間。
それで嗅ぎつけてしまうマスコミも凄いものだ。
常時ウォッチしている人がいるのだろうかと思ってしまう。
普段はマスコミには批判的な私も、こういうところは凄いと思う。

さて、優越感に浸ったその映像も、テレビで繰り返し流されてしまうと、もはや何の珍しさもない。
おまけに削除されたはずのYoutubeでもいまだに映像は見られる。
オリジナルは削除されてしまっても、すばやくコピーした人が再投稿したようだ。
この反応の良さにも舌を巻いてしまう。(あるいは単なるヒマ人なのかもしれないが・・・)
国会議員だけで、こっそり鑑賞しようと思っていたマル秘ビデオも、今や誰でも見られるシロモノになってしまったのである。

どうやら投稿した海保の職員が特定されたようである。
現在は細かい捜査が行われているようであるが、先行きがどうなるのかちょっと気になる。
犯人の職員に対する処分を巡っては、またまた議論がある。
世論は始めから「犯人探しをするな」という論調が多かったようである。
もっとも、それはマスコミがそう世間を煽っているだけなのかもしれない。
しかし、これはやはり厳重処分にすべきであろう。

そもそも卑しくも政府が公開を認めていないものを、個人の勝手な判断で、しかも公務員が公開してしまうというのはとんでもない事だ。
漁船のビデオだからいいというものではない。
もっと他の重要なものだったら、と考えると許されざる行為だ。
「義憤」などという言葉を使うマスコミの論調もいかがなものか、である。
ここは徹底的に調べ、厳重処分すべきだろう。

それにしても海保の情報セキュリティのお粗末さには呆れるばかりだ。
私も職場は金融とあって、情報セキュリティは窮屈なくらい厳重である。
自分とは関係のない職場の情報に簡単にアクセスできる仕組みなど信じ難い事である。
たぶんその他の役所関係も、みな似たり寄ったりなのだろう。
恐ろしいものである。

グアムの海で見た魚たちのように、良い意味で情報感度の鋭い人間でありたいとは思うが、そんな魚たちの餌にだけはなりたくないものである・・・


【本日の読書】
「ヨコミネ式子供が天才になる4つのスイッチ」横峯吉文
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一
 
    

2010年11月9日火曜日

はだかの王様

ふとした事から、小学校4年の長女が「はだかの王様」を読んだことがないという事がわかった。
有名なアンデルセン童話だし、当然知っているものとばかり思っていたが、それは大変とばかりにさっそく図書館で借りてきた。もっともさすがに小学生向けはなく、幼児向けの絵本だ。

長女が小さい頃から、週末は寝る前に絵本や紙芝居を読んで聞かせていた。
そのためにいつもそれらの絵本や紙芝居を近所の図書館で借りてくるのだ。
それが今は長男が対象となり、長女はさすがに自分で読んでいる。
今回は読み聞かせにあたって、長男の隣に長女も座らせた。

内容はいまさら説明するまでもない。
ファッションにうるさい王様のところに詐欺師が取り入り、うそつきやばかものには見えない服を作ると申し入れる。

出来上がった服は、誰一人として見える者がいない。にもかかわらず、みんなが「見えない」と言い出せなくて、王様は裸のまま街中へパレードに出る。
街の人たちも本当は誰一人服など見えないのだが、言いだせなくて口々に王様の服を讃える。そしてとうとうある子供が「王様ははだかだ!」と叫び、みんなも王様は裸だという真実に気がつくというものだ。

読み終えて、いつものように長男に感想を尋ねたところ、自分だったら「はだかだって言うよ」と答える。まあ、大概の子供たちはそう答えるし、大人だってそうだろう。
「裸だ」と素直に言えなかった人々を笑うのだ。
だが、いざとなったら本当に言えるだろうか。

読んでいてあらためて思ったのだが、これは実に深いストーリーだ。
誰もが服など見えないのに、見えないと素直に言えば自分がうそつきかばかものだと思われる。
それを避けるために、見えるとうそをつく。正直者とされていたはずの大臣を始め、側近のものも街の人も、そして王様自身もそう振る舞うのである。

しかし、実はそれこそがうそである。
見えないのに見えるとうそをつく。
つまりうそつきである。
だから見えない。
なんだか混乱するが、詐欺師の言う事は、実は詐欺とも言い切れない。

王様も大臣も家臣も街の人たちも、みんながみんな「見えない」と言い出せない。
周りの雰囲気に、素直な自分の意見を言い出せない。
それを破れたのは、まだ見栄や外聞などを気にしない素直な子供だった。
それを言ったらどうなるか、など考えないからこそ素直に言えた。
我々は果たして大人たちを笑えるだろうか。

考えてみれば、日々の生活でこうした事は多い気がする。
私も会社では敢えて意見を言わない事もある。
下手に波風立てるとややこしいと思う時がしばしばある。
自分の関与度が少なければ尚更だ。
物語の中の群衆の一人だったら、敢えて「王様は裸だ」とは言わないだろう。

でも、テレビの取材で綺麗な女子アナがマイクを差し出してきて、「王様の服は見えますか?」と訊ねてきたとしたらどうだろう。
その時は、「いいえ、僕はうそつきなので見えません」と言うかもしれない。
半分正直、半分へそ曲がり根性だ。
家臣の立場だったらどうだろう。
まずはコメントしなくて済むように、王様のそばに寄らないように努力すると思う。

さて、「裸だ!」と指摘を受けた王様は、逃げるわけにもいかずそのままパレードを続けたという。
物語はそこで終わるのだが、続きを想像してみた。
王様たち一行はお城に着くと、何事もなかったかのように振る舞う。
王様はいつものようにお召し代えをし、側近たちは恭しく見えない服を衣装ケースにしまう。
ここは最後まで見えている振りをしないといけない。
群衆は勝手な事を言っていたが、王様はいまさら見える振りをしていたとは言えないし、家臣たちも同様だ。正直者の大臣はあくまでも正直者でなければならない。

かくして、誰も服についてふれることなく、何事もなかったかの如く日常生活が再開される。
詐欺師たちはお咎めを受ける事もなく堂々と国境を越え、二度と開けられる事のない衣装ケースは、倉庫の奥深くにしまわれたのである・・・


【本日の読書】
「ハッピーリタイアメント」浅田次郎
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一
 
     

2010年11月6日土曜日

航空祭

11/3文化の日。
文化の日を意識してかどうか、はたまた何の関係があるのかはわからないが、この日は入間基地で航空祭が開催された。過去に何回か行ってはいるものの、たまたま我が家では男チームが暇になったので、5歳の長男を連れて行って来た。

我が家からは西武線で30分ほどで入間基地に着く。
毎年すごい人出である。
普段入る事のできない基地に入れるというのも良い経験だ。
人波をかき分けて滑走路へ向かう。

滑走路には航空自衛隊の戦闘機や輸送機、今回は陸自の戦闘ヘリや海自の輸送機も展示されていた。
長男はあまり興味をそそられていないように思える。
むしろ私の方が気を取られていたかもしれない。

これでも中学生の頃はミリタリーファンであった。
したがってF-15やF-16といった戦闘機を見るといまだ心躍るものがある。
今までなかったE2C対潜哨戒機もあり、毎回展示が違うと何度も足を運ぶ甲斐があるというもの。
さらには陸自のAH1戦闘ヘリもあり、これにもワクワクさせられた。
鉄道ファンの友人もこんな気持ちで電車を見ているのだとしたら、その気持ちはよくわかる。

一応航空祭の目玉はブルーインパルスの曲技飛行(展示飛行というらしい)なのであろう。華やかに大々的に盛り上げられて飛行がスタートする。見ていると4機がダイヤモンド体形で飛んだり、背面飛行で交叉したり、排気煙で図形を描いたりするのは簡単に思えるが、実際やるとなるとかなり難しいのだろうなと想像させられる。

しかしながら、個人的にはT-4は練習機と呼ばれている通り、第一線の戦闘機からすると軽く見えてしまい、そんなに感動するわけでもない。数年前に行った時はF-15を飛ばしてくれたが、その凄まじい爆音にびっくりしたし、曲技などなくてもそちらの方が満足度が高かった。今回は最後に陸自のヘリが飛び立って帰って行ったが、かえってそちらの方を飽かずに眺めていたい気分だった。

自衛隊という名前に忘れそうになるが、実質的には軍隊であり、いざとなれば戦闘行為に及ぶわけである。実際、外国機の接近に際してスクランブルで出撃する回数は、年間180回を越えるらしいし、米軍は実戦の日々だし、その真の姿は恐ろしいものである。

こうした“空軍”が必要かどうかと考えたなら、それは必要なのだろう。
軍隊が不要になるほど人類が英知を高められるかどうか、この先の事はわからないが、少なくとも今はまだそんな時代ではない。そんな事を主張する人は夢見る理想主義者に過ぎない。
ただこうして平和に無邪気に見学して喜んでいられるのはいい事だ。

息子はどうやらテレビの戦隊モノの方がいいようである。
確かに、ビジュアル的にはそちらの方がかっこいい。
しかし残念ながら実物飛行はどう頑張ってもお目にかかれない。
そんな息子を尻目に、パパにはいつか戦闘機の後部座席に乗って飛んでみたいという夢をいまだに持っているし、もっと現実的にはA10地上攻撃機をナマで見たいと思っている。
そんな事を息子に語るのはまだちょっと早いようだ。

いつか実現するといいなあと思うのである・・・


【昨日の読書】
「ハッピーリタイアメント」浅田次郎
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一

【A-10地上攻撃機】


 

2010年11月2日火曜日

少子化問題を考えた

閉塞状況に陥っている我が国であるが、その原因の一つとして少子化問題が挙げられる事が多い。
先週の土曜日も月に一度の社会人向け勉強会「寺子屋小山台」で、我が国経済の問題の一つとして挙がっていた。あちらこちらでも専門家が口をそろえて問題視しているから、確かに問題は問題なのであろう。しかし、やっぱりいつもへそ曲がりの自分としては、「本当だろうか」と敢えて考えてしまう。

確かに人口構成のいびつさとしての少子化は問題があるかもしれない。
多くの高齢者を少ない若者が支えなければならないとしたら、これは問題だ。
だが、高齢者の塊は時間とともになくなっていく。
逆三角形は時間とともに確実に解消されていく。

人口という面では、消費者が減るという意味では確実に全体のパイが減る。
確かに国内消費は減っていく。
今は消費不振が企業業績低迷の原因になっているから、確かにそうなのだろう。
だが、では人口は増え続ければいいのか、と単純に疑問に思う。
この狭い国土で、資源もない国で、食料自給率も低いこの国で、2億も3億もの人が平和に暮らしていけるのだろうか。

当然の事ながら、どこかで「適正人口」というところに行きあたるのではないのだろうか。
そしてそれはいったいどのくらいなのだろうか。
もしかしたら、その「適正人口」はすでにオーバーしているという可能性はないのだろうか。
こういう疑問点に応えてくれる新聞やメディアには、今のところお目にかかれていない気がする。

考えてみれば、我が母校がある武蔵小山周辺で5,000万円で一戸建てを買おうとしたら、よくて土地20坪+3階建の家になる。間違っても庭など猫の額ほども期待できない。
でも人口が減って、土地に余裕ができたら可能かもしれない。
(都市部集中+地方過疎化にならないとしたらだ)

せっかくの1,000円高速も渋滞で辟易しているが、これも適正人口になればすいすい走れるかもしれない。待機児童だっていなくなるし、失業率だって減るかもしれない。
何せ人口減少社会だ。

土曜日に配られた資料の中に「2050年の地域別人口とGDP予想」というものがあった。
2005年で日本の人口は1.3億人でGDPは3.5兆ドル。
一人当たりのGDPは30,000ドル。
これが2050年になると0.9億人でGDPは5兆ドルとなっていた。
一人当たりのGDPは50,000ドルだ。
物価の上昇はどのくらい織り込まれているかわからないが、一人当たりGDPは増えると予測されている。

人口が減少して消費が減れば、経済規模は縮小すると単純に言われているが、この予測通りになるとしたら、一人当たりの消費が増えれば経済規模は変わらない事になる。
何も無理して移民政策など取る必要はないし、そもそも移民先進国ドイツは首相自ら移民政策は失敗だったと語っているくらいだから、無理して増やす必要もない気がする。

実際はどうなんだろう。
マスコミなんて頭も使わず聞き込んできた事を書くだけだから、信用なんてできない。
一度是非専門家の人に聞いてみたいものである・・・


【本日の読書】
「サービスの達人たち」野地秩嘉
「存在の美しい哀しみ」小池真理子
 
    

2010年10月30日土曜日

尖閣諸島問題を考えた

「この問題はわれわれと日本の間で論争があり、釣魚島を日本は『尖閣諸島』と呼び、名前からして異なる。この問題はしばらく置いてよいと思う。次の世代はわれわれより賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」            
                    鄧小平
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尖閣諸島問題がまだ尾を引いている。
今日は中国が首脳会談を拒否してきたと報じられているし、どうも中国の方が主導権を取っているようである。これに対する世論の大まかな論調としては、「中国はけしからん、政府の対応は弱腰だ」というもののようである。
この問題は実はもう40年以上にわたって紛糾している問題である。

冒頭の言葉は鄧小平がかつて来日した時に、日本人記者に質問されて答えた言葉である。
実はこの時質問した記者は、我が高校の大先輩である。
現在母校の財団で行っている社会人向けの勉強会の席上で、その大先輩がその時の話をいつも披露してくれる。

何でも直前の打ち合わせでは、外務省の役人から尖閣諸島の問題には触れないでくれと釘を刺されていたらしいのだが、そこは大先輩も記者魂を発揮して堂々と質問したという。今の記者ならたぶん言われた通り黙っていて質問などしないだろう。冒頭の回答を引き出したあと、先の外務省の役人が「よくぞ質問してくれた」と言ってお礼を言ってきたらしい。毎年この話を伺えるのは、世話役として参加している役得である。

さて、発言から30年。
鄧小平の期待した“賢明な世代”に、どうやら我々はまだあたりそうもない。
解決どころかまだまだ紛糾している。
「弱腰だ」と批判はするものの、「ではどうすべきか」についての意見はあまり目にしない。
批判をする人たちはどんな解決策を思い描いているのだろうか。

解決方法と言っても、よく考えれば3つしかない。
(穏便に済ませてさらに先送りするのは解決とは考えないとする)
問題は「島自体」というよりも、島を領有する事によって得られる海洋資源の権利だろう。
中国も日本もこの海洋資源がほしいようだ。
であればその3つとは、その資源を「全部取る」か「全部取られる」か「分け合う」かしかない。

中国と将来的にどう付き合うのか。
もしも友好的にやっていこうとするなら、「全部取る」のは難しいだろう。
中国にだってメンツはある。
40年にわたる主張を取り下げるとは思えないし、何より国家としての力=経済力+軍事力は中国の方が上だ。まず無理だろう。強いアニキ(アメリカ)に頼もうとするなら、友好は諦めないといけない。

尖閣諸島は歴史的にみても日本の領土だろう。
チャチャを入れてきているのは中国だ。
であれば、「全部取られる」のも看過できない。
となればあとは「分け合う」しかない。
領有権は日本の領土として認めさせた上で、海洋資源については「分け合いましょう」とするしかないだろう。共同で開発して、管理して、果実を分け合うのだ。

もしも自分の子供がおもちゃで遊んでいるところへ隣の家の子供がやってきて、そのおもちゃで遊ぼうとした。自分の子供は取られまいとして喧嘩になった。親だったらどうするか?
もちろん、どこかの知らない子だったら、その子にダメだと諭すかもしれない。
でも隣の家の、よく知っている子ならどうするだろう。

子供の世界は、現実世界の縮図でもある。同じように考えるしかない。
もっともそこは大人ゆえ、駆け引きはあってもいいだろう。
開発にあたっては、当然日本の技術力は力を発揮する。
対等にシェアする見返りとして、今問題になっているレアアースを優先的に分けてもらえるようにしたっていいし、北朝鮮問題での協力を取りつけたっていい。
アメリカからは得られないメリットを狙えばいい。

100年前であれば、たぶん確実にこれは戦争になっていただろう。
そして核を持たない日本は、中国と喧嘩しても勝てないし、頼みのアニキだって相手が中国だったら日米同盟だってどうなるか信頼はできない。
自国に核攻撃される危険を冒して、我々を守ってくれるだろうか?
ニクソン・ショックの歴史だってある。

幸いにして、100年後の今日ではまず戦争にまではならないだろう。
それは人類が賢くなった証であるが、さらにもう一歩だ。
相手が悪ければぶん殴っても許されるというものではないし、相手の方が強いわけだからそもそもそれも難しい。「全部取ろう」としたら、このままさらに睨みあい続けるしかない。

感情論よりもメンツよりも、もっと戦略的に賢い対応方法を主張する政治家に現れてほしいと思うのだが、まだまだ難しいみたいだ。
生きているうちに、「賢明なる世代」と呼ばれる世代に残れるだろうか。
選択権をもっているのは我々の世代だと思うのである・・・


【昨日の読書】
「サービスの達人たち」野地秩嘉
「存在の美しい哀しみ」小池真理子

    

2010年10月26日火曜日

次はお遊戯会なのだが・・・

5歳の長男の通う幼稚園では、運動会の余韻も冷めやらぬうちにすでにお遊戯会の準備に突入している。長男のクラスでは「おむすびころりん」の劇をやるらしい。
「おむすびころりん」は、私が子供の頃もっとも好きだったお話だ。
(ただ単におむすびが大好きだという単純な理由なのだ)

長男に何の役をやるのか聞いてみたところ、「ねずみ!」という答えが返ってきた。
主役の正直じいさんの役だとは思っていなかったが、まあ妥当なところだと思った。
続けて「で、欲張りじいさんは誰がやるの?」と聞いてみた。
ちょっと考えた長男からは、「いないよ」という答えが返ってきた。
一瞬「えっ?」と思う。よくよく聞くと、どうやら欲張りじいさんは登場しないらしい。

「それでね、○○くんはたぬきで、○○くんはきつねで、○○くんはさるなんだ」と長男は続ける。
たぬきにきつねにさる?おむすびころりんに出てきたかぁと思うも、どうやら幼稚園の先生の配慮だと気がついた。欲張りじいさんはいかにもイメージが悪いし、園児も多いからおじいさんとねずみだけでは役が足りない。たぬきやきつねの友情出演は苦肉の策なんだろう。
それでも欲張りじいさんを何で入れないんだろうという気持ちは拭えない。

そんなところへ妻がとなりのクラスの話を聞き込んで来て教えてくれた。
となりのクラスの出し物は「金のがちょう」。
金のがちょう持つ男の子が、がちょうを触って離れなくなってしまった人たちをぞろぞろ引き連れて、お城へ向かうお話だ。農家の娘と宿屋の娘と王女様役があるのだが、そのお母さんが説明会で火花を散らしたらしい。

農家のお母さんは、子供が役柄からずぼんを履いてくれと言われたのだが、「スカートじゃダメか」と言ったところ、「農家の娘なんだから」と別のお母さんに言われてふくれた。
宿屋の娘のお母さんは王女様のお母さんから、「王女より派手な格好はしないでくれ」と言われてカチンときた。険悪なムードになったらしい。言っている事はまともな事だ。
普通だったら言われなくたって「ふさわしい恰好」をするものだ。

モンスターペアレンツとは言わなくても、そんな親たちを相手にしなければならない先生も大変だ。
欲張りじいさんを引っ込めたのもよくわかる。
それでもやっぱり「おむすびころりん」には欲張りじいさんは必要だ。
もしも、私が説明会に参加していたら、「うちの息子にやらせるから欲張りじいさんを登場させてくれ」と意見していただろう。

欲張りじいさんは確かにイメージがよくない。
だがこの物語には欠かせない。
「欲張りは良くない」というメッセージを伝えるためには、必要なキャラクターだ。
それによくよく考えてみれば、劇ではメリットが大きい。

まず間違いなく後半の主役だ。
正直じいさんの真似をして、ねずみの穴におむすびを投げ込む。
そしてねずみたちの歌が聞こえてくるのも待ちきれず、自ら穴に飛び込んでしまう。
ここらへんは、うまく演じればとてもユーモラスだ。
そしてクライマックスの猫の鳴き真似。
会場すべてが注目する中で「ニャーオ」とやるのだ。
これ以上の見せ場はない。

それに教育的な意味でも、みんながやりたがらない役をやる大切さを教える事もできる。
家庭で励まし、一緒に練習し(場合によってはヤギの鳴き真似のプロであるおじいちゃんにコツを聞きに行ってもいい)、サポート体制は万全だ。すねることなく送り出してあげられる。
考えれば考えるほど魅力的な役柄だけに残念に思う。

これから未来を担う子供たちであるが、何より心配なのはその親たちだとつくづく思うこの頃である・・・


【本日の読書】
「逆境の中にこそ夢がある」蒲島郁夫
「魔王」伊坂幸太郎
     
     

2010年10月24日日曜日

一家に一台

朝から天気も芳しくなく、雲行きも怪しい今日は一日家でのんびりと過ごす。
長女が「一緒に遊ぼう」と声をかけてくる。
「そうだな」と応じる。
そうして長女が選んだのがWiiである。

我が家のゲーム歴はそんなに古くもないが、最初はプレイステーションであった。
夫婦それぞれ別々のゲームにハマって、しばらくは続けていたが、やがて飽きてしまった。
子供も生まれ、しばらくしてWiiが登場。
なんだか家族で楽しめそうだという事で購入した。
子供に買ってやったという位置付けではない。

これがまたなかなかのもの。
前評判通り家族で楽しめるところがいい。
子供たちのお気に入りは『マリオカート』だ。
様々なキャラクターがいろいろなコースでレースを展開するのだ。

これのいいところは複数人数でできるところだ。我が家はコントローラが2台しかないから常に2人までしかプレーできないが、コントローラを買い足せば3人、4人とできるようである。画面が上下に分かれ、それぞれがレースを楽しめる。

子供たちも頻繁にやっているわけではないが、それでも親よりも回数はこなしている。したがって勝負となると、特に小学校4年の長女には負ける事が多い。単純にスピードを競うだけでなく、アイテムを取り込んでそれを利用してより早く進んだり、ライバルプレーヤーの妨害をしたりする。それは裏を返せば、自分もやられるという事を意味する。
ハンドル操作だけではなかなか勝てない。

長女は任天堂DSも持っているのだが、(こちらはねだられて買い与えた)これが一人で黙々と遊ぶのに対して、Wiiは家族で一緒に遊べるという楽しさがある。
しかも大人だから有利という事もない(ただ5歳の長男はさすがに相手にはならない)。
親に勝って得意そうな長女の表情を見ると、それはそれで良いかもしれないと思う。
親に勝つのも一つの自信になるだろう。
    
あとはWiiスポーツだ。
こちらはアーチェリーにバスケット、ボウリング、ゴルフ、剣道などなどがある。
指先だけの操作ではなく、ボウリングなどは実際に投げる動作をしないといけない。
微妙なずれがボールの動きに反映されたりしてなかなかのもの。

ゲームだからハイスコアが出るというわけでもなく、ボウリングは実際のスコアとほぼ同じくらいだったから大したものだと思う(裏を返せばゲームでさえハイスコアが出ないという寂しさもある)。

週末はどこにも行かなかったと言えば何だか寂しい気もするが、子供とワイワイ楽しく過ごせたのでそんなに引け目は感じない。ゲームというとマイナスのイメージを持ちがちであるが、これはなかなか凄いと思う。こうしたゲームを生み出してしまう凄さがまだ日本にはあるのだと思うと、ちょっと誇らしい気もする。

こんな優れたゲームで遊んだ子供たちが大人になって、もっと優れた商品を生み出していけたなら、少子化といえども衰退は食い止められるかもしれない。
未来の日本は少数精鋭の先進国になっているかもしれない、などと思ってしまう。
子供から誘ってもらえるうちは、まだまだムキになって勝敗を競いたいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし

     

2010年10月21日木曜日

ラクビーシーズン

ラグビーシーズンに突入した。
お正月の全国大会で一部のチームが脚光を浴びるが、その前段として今は全国各地で社会人から高校生まで熱戦が繰り広げられている。

我が母校のラグビー部は、関東大学対抗戦Bグループに所属している。
昔はA・Bなんてグループ分けはなかった。
対抗戦とは名前の通り大学対抗戦であり、『定期戦』という名目で各大学が年に一度互いに実力を競い合う場であった。そこには順位など存在せず、あくまでも大学間の1対1の交流だったのである。

仮にであるが、もしも早稲田か慶応のどちらかがBグループに転落すると、両校間で対抗戦グループの公式戦はなくなる。しかし両チームは11月23日には必ず『定期戦』を行うだろう。
『定期戦』とはそういうものなのである。

戦後、ラグビー部が各大学に設立されるようになると、やがて新興勢力がリーグ戦グループを形成していった。これに対し、対抗戦グループはあくまでも伝統の『定期戦』重視で、リーグ戦グループとは交わらなかった。しかし、全国大会が開催されるようになると、出場権の関係で必然的に対抗戦グループも順位付けを迫られるようになっていく。
1対1の交流では済まなくなってしまったのである。

それでも当初、私が学生の頃は、『定期戦』の結果を踏まえ便宜的に順位をつけていた。
それが変化していったのは、大学によって『定期戦』の数が違い、平等な順位付けが難しくなっていったからだ。例えば帝京大学などは1シーズンで10数試合の定期戦を組んでいる一方、保守的伝統校の筆頭である慶応大学などは、7試合というあり様だったのだ。試合数の多い帝京大学は不利だし、しかも慶応と帝京は定期戦がないなどの事情により、必ずしも公平な順位付けが難しかったのである。

そして時代の流れに抗えず、対抗戦グループもとうとうその信念を曲げ、試合数の統一と同時にA、Bのグループ分けを実施したのである。リーグ戦のように1部・2部としないでA・Bとしたのはせめてもの意地であろうか。我が大学は、現在その対抗戦Bグループの中堅~下位のあたりをうろうろしている。選手を集められない国立大学としては、Bグループといえども上位の壁は厚いのである。

その上位の筆頭は青山学院大学、そして明治学院大学が続く。
青学は今年大幅に全国レベルの選手を補強。
来年のAグループ復帰を目指して、大学を挙げてのサポートだ。
明学も集める時とそうでない時の波がある様子。
私が4年の時は集めている時で、相手のメンバーを見たらキャプテンを除いて全員1~2年生という事もあった。

それに比べると我が大学の後輩たちは、新入生集めで苦労し、初心者構わず引き入れて1人前にしていくというあり様である。まあそれが大学スポーツの本来のあるべき姿なのだが、自ずとそこには限界もある。幸いそれは我が大学だけに限った事ではない。
先の青学、明学以外は同じ条件だ。
その中で切磋琢磨するのである。

今はグラウンドも人工芝が流行である。
我が母校もそうなっている。
(OBとしてかなりの寄付をさせられた・・・)
9月のシーズンインから秋も深まり、乾いた土と枯れた芝の匂いに包まれ、その年限りのメンバーとともに泣き笑いの数カ月を過ごす。
そんな風景は今は一変しているのだろう。
女の子に縁はなかったが、あの時代は我が人生でも誇りに思える時代である。

今の学生は人工芝で、泥はおろか、埃にまみれる事すらない。
それがいいのか悪いのか。
しかし、今は今の時代の思いがきっとあるだろう。
埃にまみれる事はなくても、誇りある思い出を作ってもらいたいと思う。

現在ここまで2勝2敗。
これから上位陣との対戦であり、次回の相手は強敵青学だから、ちょっと苦しい。
老OBからは負ける事を前提に、「(点差を)50点以内に抑えてほしい」というコメントがあった。
始めから何だという気分だ。
ゲームに負けるのは仕方がないとしても、ハートでは負けてほしくない。
「ロッキー」のように、胸を張ってノーサイドまで闘ってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】
「渡邉美樹のシゴト進化論 」渡邉美樹
「アヴェンジャー(下)」フレデリック・フォーサイス
     

2010年10月19日火曜日

ニュースに思う2

先週はチリの落盤事故が話題となった。
そのあまりの報道ぶりに、我が家の5歳の長男までもが、救出カプセルの名前はフェニックスだの33人救出だのとしゃべっている有り様でちょっと驚いた。
そして急速にしぼんだ。

実は毎朝、ネットでCNNのニュースを読んでいるのだが、ここ数カ月のCNNのトップニュースはこのチリの落盤事故だった。1週間に2~3日は必ず報じられていた。
おかげで当初クリスマスまでと言われていた救出作業が11月になり、早ければ10月とピッチが上がっていく様子を、私はリアルタイムで把握していた。

そしていよいよ救出トンネルが開通し、早ければ明日から作業かとなったところで日本のメディアが一斉に報道し始めた。外国の、それもチリという遠い国の事だけに、我が国のマスコミは興味ないのだろうと思っていたからちょっとびっくりした。

アメリカにしても外国のニュースであり、同じ国外ニュースでも関心のあり方が随分違うものだと思っていたのだ。ちなみに今でもCNNは続報を報じ続けている。
我々の目にどんなニュースが触れるのか、はマスコミの思惑次第なのだとあらためて思う。

尖閣諸島を巡っては政府の弱腰外交に批判が続出している。
確かにそうした批判はその通りだと思う。
ただ私が知りたい事を、マスコミは報道してくれていない。
なぜ政府は弱腰と思われかねない対応を取っているのだろう。
菅総理は何を考えているのか、もっと本音レベルの話こそ聞きたいと思うのだ。

そもそもであるが、政治家ともなれば我々よりも遥かに情報量が多いわけだし、専門家のアドバイスだって得られる。そうそう変な判断はしないはずだ。
今回の裏にも、もしかしたら先日の殺人の話の例ではないが、政府には世間からはうかがい知れない事情というものがあるのかもしれない。そして何も知らない世間が、それを弱腰外交と批判しているのではないかと気になってしまう。

一党独裁と言われる中国だって、民衆は共産党の思惑通りに動くわけではないだろうし、尖閣諸島を巡っては軍部も独自の動きがあるようだ。
単純な批判だけはどうにもする気になれない。

マスコミだって尖閣諸島の表示には(中国名:釣魚島)と併記している。
「何で中国名を併記するのだ」という批判を目にしたが、確かにマスコミだって中国には弱腰報道だ。沖縄に中国名があったら注書きするのだろうか。

おなじく政府批判は円高にも当てはまる。
円高で悲鳴を上げる企業に対し、無策の政府を批判する。
しかし、為替に介入しても効果は一瞬だ。
先日の介入以後、一時円安に振れたが、今再び81円台で推移している。
為替市場の動きを政府がコントロールできるわけないのは、私のようなサラリーマンでさえわかる。
なのに暗に介入しない事を批判するのは、どういう根拠あってのものか教えてほしいと思う。

それに円高で悲鳴を上げている企業が多い事は事実だが、嬉しい悲鳴を上げている企業だってある。
円高は輸入にはプラスに働く。
「みんなの意見とは不平不満を抱えているやつらの意見だ。満足している人は意見を言わない」とはいつも見ているブログで語られていた言葉だが、まさにその通り。
少なくとも我が家は夏の海外旅行では大いに恩恵を得られた。我が家は円高歓迎だ。

それに実は今世界のマーケットでは、穀物や原油などが密かに値上がりし続けている。
国内で大して話題にならないのは、円高で値上がりが相殺されている影響もある。
ガソリンだって気にならない価格なのは円高メリットだ。
我が国は資源輸入国であり、そういうメリットもある。
デメリットだけではなくメリットもあわせて比較し、その上での円高批判なら納得できるのだが、マスコミはそれをやった上で報道してほしいと思う。

最近新聞を開いても、安心して読めるところは書評欄とかスポーツ欄とか、だんだんと限られてきている。まあ巨人が勝った試合の裏側まで勘繰らざるをえなくなったら、新聞なんて読みたくなくなるのだろうから、それはそれでいいやと思うのである・・・


【本日の読書】
「渡邉美樹のシゴト進化論 」渡邉美樹
「アヴェンジャー(下)」フレデリック・フォーサイス

       
     

2010年10月16日土曜日

コミュニケーション~2~

我が大学のラグビー部は、数年前からメーリングリストを利用してOB間の相互連絡を図っている。メーリングリストとは、そこに登録しておくことによってメンバー間に一斉にメール配信できるシステムである。試合の連絡を筆頭に、このメーリングリストで各種連絡が飛び交っている。

しばらく前からある老OBが、試合の観戦記なるものを配信し始めた。
得点、ペナルティの数、メンバー、そして試合の経緯。
何せ定年後の毎日が日曜日の身分ゆえ、時間にものを言わせて熱心に配信してくれる。
感心する一方で、私個人はというと、そのメールは得点以外は読まずに削除していた。
たぶん元商社マンと見えて、やたらに不必要な英文等が多く(チームと書けばいいのに、teamとかティームとか書くのだ、そして商社マンはやたらと英単語を使いたがるものなのである)読み難いのと、分かったような分からないような個人の主観による解説が煩わしいからだった。

読まないから気にもしていなかったのだが、先日突然コーチングスタッフからやんわりとそれをたしなめるメールが配信された。形式的にははたしなめるというよりも、説明という形を取っていた。老OBが指摘していたミスプレーは、結果こそ失敗したが、初めから意図してやったチームプレーであって間違ってはいないという説明である。そして末尾に今後技術的な指摘は、メーリングリストではなく、コーチングスタッフに直接メールをいただきたい、と。

これに周辺の老OBが噛みついた。
曰く、言論の自由の封殺はけしからん、功績ある大OBに礼を失している等々である。
実は現役(および現役周辺)からの老OB宛クレームは2度目である。
前回は現役のキャプテンから、「自分たちも一生懸命やっているので過度な批判はやめてほしい」という申し出であった(『見る気もしなくなる』等の言葉がかなりあったのだ)。
まあその内容の是非はともかくとして、結果的に今回が2回目である。

コーチングスタッフからのメールは、OB会役員の承認を得ているとのコメントもあって、さすがに無鉄砲な現役から比べると段取りを踏んでのものだ。
かなり前々から計画してやったのだろうと想像できた。
猫に鈴をつけるのは大変なのだ。

この問題には難しいところがある。
コーチ陣からすれば、周りからいろいろなOBが好き勝手なアドバイスをすれば、現役が混乱する。
今は一応周りのOBは、アドバイスしたい事があればコーチ陣に言うというルールがある。
だが、メールで誰彼ともなく発信している内容は規制しにくい。
私のように読まなければいいと思うのだが、現役(および現役周辺の人たち)からすれば自分たちの試合の批評だけに気になるのだろう。

やめろと言うにも、大先輩が熱心に良かれと思ってやっているだけに言いにくいのも事実。
老後の楽しみでもあるだろうし、好きな事を言う権利はだれにでもある。
ラグビーをやっていた者は、(私も含めて)頭の中では自分が最高のプレーヤーでいるのだ。
「こうやればいい」という信念のようなものをみんな持っている。
そして可愛い後輩たちには、それを余すところなく伝えたい、と。
「余計なお世話」とは言えるものではない。

老OBとその周辺サポーターからの援護射撃で、どうやらコーチ陣は分が悪い。
老OBもやめる気配はなく、平日には自らグラウンドに足を運び、現役の様子をレポートするまでになってきた。さらに現役に「アドバイス」もしてきたらしい。

後輩を、そして伝統あるラグビー部を思う気持ちは双方とも一致している。
だがそれは絵に描いたような同床異夢。
双方をつなぐコミュニケーションはあるのだろうか。
お互い相手の声に耳を傾けて、とも思うがきっとそれは当事者にとってみれば難しい事なのだ。
どうすればいいのか。

明日はまた公式戦。
どんな観戦記が配信されるのだろうか。
試合の結果以上に気になるところなのである・・・

【昨日の読書】
「十歳の君へ」日野原重明
「アヴェンジャー(下)」フレデリック・フォーサイス

    
【昨日の漫画】
「JIN19」三田紀房
「ONE PIECE③」尾田栄一郎

      

2010年10月13日水曜日

コミュニケーション~1~

 人間は判断力の欠如によって結婚し、
   忍耐力の欠如によって離婚し、
     記憶力の欠如によって再婚する。
                    アルマン・サラクルー
********************************************************************************

子供たちに教えたい事の一つに「コミュニケーション」がある。
人とのコミュニケーションぐらい痛いほど我が身に染みて重要性を実感しているものはない。
親の失敗を良き教訓として、子の人生に活かしてもらいたいと思うのは誰しもそうだろう。
私にとって「コミュニケーション」は間違いなくその一つだ。

何気ない一言で険悪な雰囲気になり、誤解され、腹が立つ。
表面に出てきていない事もたぶん結構あるだろう。
こちらに悪意もないのに悪く取られたりして唖然とする事もしばしばある。
特に我が家の夫婦間では頻繁に起こる。
一生懸命分かりやすく説明したつもりが、「理屈で言いくるめられた」とはよく親に言われる事だ。
どうしてそんな事が起こるのだろう。

言葉を尽くしたところで、「理屈じゃ負ける」と言われる始末。
「ああ言えばこう言う」程度にしかとってもらえない。
社会人になりたての頃は、何が大変だったかといえばそのすべてが人間関係だった。
仕事で辛い事なんてほとんど皆無だった。
ここ最近、自分を理解してもらうという事には限界があるという事に気がつき始めた。(遅いか)
それよりは相手を理解する努力の方がまだいいだろうと思うようになった。

例えばAがBを殺したという事件が起こる。
Aは当然有罪にすべきだ。
ところがその状況を調べたところ、実はAは会社帰りに家の近所まで来たところで突然刃物を持ったBに襲われ、咄嗟に避け揉み合っているうちにBの持っていた刃物で刺してしまった、と判明したとする。すると一転して、Aは正当防衛で無罪にすべきだと誰でも思うだろう。

今度はまたなぜBはそんな事をしたのか調べてみた。
すると実はBはAに騙され、全財産をだまし取られ、それが元で一家は離散、絶望のあまり犯行に及んだ、とわかった。Aは罪には問われていないものの、同様の余罪がかなり疑われている、という事情が判明したらどうだろう。有罪無罪は別として、感情的にはAに対する同情心はなくなってくる。
つまり表面だけ見ていてもだめだという例だ。
法学部の学生の頃、よくそんな話をし、議論した。

相手も相手の人生の中では主人公。
常に自分は正しいと考えている。
かちんと来る事であっても深呼吸して、なぜそんな言動をするのかと一歩引いてみる事でこちらの怒りの炎も収まり、穏やかに対応できる事がある。
我が家の夫婦間は、そんなトレーニングの絶好の機会を常時提供してくれる。

もっともそんな対応ができるのも、家族や友人、職場などの限られた範囲内だ。
自分から心理的な距離が遠くなる間柄の人ほどそんな対応はしきれなくなる。
街中に出れば腹立たしい人間はたくさんいるし、とてもではないが「相手も自分の人生の主人公」なんて思う気持ちは起きて来ない。
「世の中自分中心で回っているわけではない」と教えてやりたくなる。

ようやく自分でも少しずつ理解してきた事を子供に教えるのはもっと難しい。
「誰とでも仲良くしなさい」と世間の親は簡単に言うが、そういう親自身そんな事は不可能なはず。
それなのに子供にやれと言っても無理がある。
「喧嘩してはいけない」と言っても、親だってするのだから子供にできるわけがない。
だから私などは子供たちには、「仲の良い子とはもっと仲良くしなさい」「喧嘩はしてもいいけど、そのあと自分から謝りなさい」と言うのがせいぜいだと思っている。
中学生・高校生くらいになったら、もう少しましな事を言いたい。

この「相手を理解する」というコミュニケーション・スキルは、およそ世の中で生きていく上では、実は一番重要なスキルであるのかもしれない。
どうやって身につけるかは、親でも難しく思っている事だから教えるのも難しい。
だからどうしたら良いと言いにくいものがあるが、「重要だ」という事だけはしっかりと子供たちに伝えたいと思う。

さしあたっての問題は、我が家の冷戦だ。
どうやったら終わるのか。
理解はできても相手の心は動かせない。
こればっかりはパソコンを叩いても答えは出てこない。
実に悩ましい問題だと思うのである・・・


【本日の読書】
「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介
「アヴェンジャー(上)」フレデリック・フォーサイス

    
     

2010年10月11日月曜日

今年も運動会にて

昨年年少さんとして参加した運動会も今年は年中さんとして参加。
本当は土曜日の予定であったが、雨で順延・順延と延び、とうとう3連休の最後の日となってしまった。その穴埋めをするが如き好天で、逆に暑くて大変なくらいであった。

今年も長男はかけっことお遊戯と、そして選抜リレーに選手として選ばれアンカーとして出場した。
実は先週土日と昨日とかけっこの直前特訓を実施。とりもなおさず、昨年しくじったスタート、そしてバトンの受け取りと、とにかく走る事。家の前で繰り返し練習。

まずはかけっこ。
今年からタイム順に組になって走る。
長男は最終組。
つまり学年でも一番早い組という事になる。
それはそれで誇らしく思うのだが、逆に一番はそれだけ難しいという事になる。

いよいよかけっこがスタートする。
ビデオ片手にこちらもドキドキして順番を待つ。そして最終組。
名前を呼ばれ、「ヨォーイ!」の掛け声でさっとスターティングスタイルを取る長男。
号砲一発、一斉に子供たちがスタートする。
長男は練習通りのスタートで、トップに出る。

ビデオを覗きながら、「よし!」と思うもカーブで団子状態になり、隣の子にコースを譲った格好になり、2位に落ちる。「あれぇ」と思うも、カーブから直線への立ち上がりが勝負。
ぐっと追い上げてトップの子と一緒にゴールテープを切るが、半馬身遅れたようだ。
残念ながらの2位。

しかしながら特訓したスタートと最後の直線の追い上げはよくやった。
学年で2番だから、まあいいだろう。来年はカーブの練習だな。
話によると一緒に走った子の中には、負けず嫌いで人を押しのけんばかりにして走る子がいたらしい。そうした闘争心はとってもいいなぁと思うのだが、我が長男はのほほんとしている。
それがいいのか悪いのか・・・

最後のリレーではチームは断トツの2位。
トップとは差が開き過ぎて、長男も見せ場はなし。ただバトンを待つ時、みんな親指を上にして手を差し出していたのに対し、長男だけは前傾姿勢で、教えた通り手のひらを上に向けて待っていた。スムーズにバトンを受け取り、なめらかな走りを見せてくれた。
素直に教えを吸収してくれるところは親としても気分がいいし、来年も楽しみだ。

それにしても、参加していた人たちはよく見ると当たり前だがみんな幸せそうな表情だった。
こうした運度会という習慣はいいなぁと思うのだが、どこの国にもあるのだろうかとふと思った。
かけっこや玉入れやお遊戯や親子競技など、よくみればいろいろな競技がある。
お遊戯なんて、一歩間違えるとどこかの国のマスゲームだ。
あんまりよその国にはなさそうにも思えるが、どうなのだろう?
いつの頃からどうして始ったのか、興味が湧いた。

今年は突然、冒頭で今までなかった国歌斉唱があった。
いい事だと大賛成なのだが、なんで今年からやるようになったのだろう。
しかしどうせならちゃんと子供たちに意味を教えて歌わせてほしかった。
長男は何の歌か知らなかったからだ。
まあ来年以降も続けてほしいと思う。

来年は、このブログで運動会についてどんな事を書いているだろう。
ちょっと楽しみである・・・

【本日の読書】
「魔王」伊坂幸太郎

       

2010年10月8日金曜日

出張の車窓から

一昨日は久々の出張だった。
出掛けた先は盛岡。
日帰りのとんぼ返り出張だから、あまりのんびりともできなかったが、まあ仕事なのでそれはしかたない。

東北新幹線で「はやて」だと2時間半くらいだから、ちょうど大阪へ行く感覚だ。
だが、東海道新幹線は本数が多いために時間のイメージがつきやすいのに比べ、東北新幹線は本数が少ないため、時刻表がなければ時間のイメージがつきにくい。
事実今回もちょうどいい列車がなく、3時間10分かかる「やまびこ」で行く事になった。
はやてだと早いのだが、ちょうど良い時間がない。
40分新幹線に長く乗るか、現地で1時間ほど時間を潰すかの選択で前者を選んだのだ。

友人のブログ風に写真を決めてみた)
乗り込んだ社内は意外にも満席に近い状態。
ちょっと驚く。もっとも本数が少ないせいかもしれない。不便だが、大量輸送は効率的だ。国鉄の時代ならともかく、今は空気を運んでも儲からない。利便性は確かに大事だが、空気を運んでその分運賃に転嫁される事を考えたら、窮屈な社内もやむをえまい。

駅弁を食べての移動。
本を読み、いつのまにか睡魔の誘惑に負けている。車窓にはいつしか田園風景が広がる。
こういう風景の中で暮らしてみたい、とふと思う。
いつの間にか新幹線は 先輩Hの住む杜の都を通過して行く。

車窓から眺める風景に、長野県の御代田に住む従兄の事を思い出した。
ちょうど家を建てる前、家の話になった時の事だ。我が家は敷地面積が30坪。
都会ではまあそんなものだが、いとこの感覚では普通は70~100坪だったから、お互いの認識の違いにびっくりした。そして坪単価を聞いた従兄は絶句した。
桁が一ケタ違ったからだ。

収入を比較すれば、たぶん私の方がかなり多いと思う。
だが、多額のローンを抱える私に対し、我が家の倍の広さの庭つきの家に、従兄は暮らしている。
生活コストが低い事を考えると、多少収入は少なくともずっと豊かな暮らしのように思える。
その分刺激も少ないし不便が多いのも確かだろうが、どっちが幸せとも判別がつかない。

車窓の田園風景の中に高校生らしきカップルを見つけた。
またそこで従兄に聞いた話を思い出した。
まだお互いに高校生だった頃の話だ。
その時従兄は、当時付き合っていた彼女から聞いた友達の悩みの話をしてくれたのだ。

その友達の彼氏は高校を卒業し、東京の大学に行く事になった。
そうすると二人の付き合いも続かないだろうと彼女は不安になった。
ちょうど彼女の方はその彼氏と初体験をするかどうか迷っていて、でも相手が東京に行ってしまうと、いくら彼女にその気がなくても彼の方から離れていくに違いない。
それならやがて知りあう未来の彼氏のために、“とっておいた”方がいいだろうかと悩んだらしい。

東京と御代田は、今では車でも新幹線でも2時間ほどで行き来できるが、当時は急行で3時間かかった。華やかな都会は今よりもずっと遠くに感じたのかもしれない。
そんな都会に出て行って、可愛い女の子をたくさん目にしたら、故郷に住む私なんか忘れられてしまうと心配したその彼女。結局どうしたのかは知らないが、どうしたのだろう。

今も地方ではそんなドラマがあったりするのだろうか。
あるいはそんな純な感覚は、地方においてさえももう古臭いものなのだろうか。
自分でも女の子の手を握るだけでもドキドキしていたあの頃の感覚が、今となっては懐かしい。
今でも相手が変わればあの感覚は蘇るのだろうか・・・

帰りは2時間半の「はやて」にうまく飛び乗った。
隣のサラリーマンは席に着くなり、ビールのプルトップの音を響かせた。
途中から山登りの帰りと思われるグループがどやどやと乗り込んできた。
帰りもけっこう混んでいた。大いにけっこうな事だ。

暗くなると窓には自分の姿が映る。
それを見て、高校生から見たら確実におじさんに見えるだろうなと思う。
それは仕方ないにしても、気を抜いたらだめだろう。
まだまだ気持ちの上では、20~30代のエネルギーと落ち着きと胸のときめきとを保っていようぜと、窓に映る自分に言い聞かせたのである・・・


【本日の読書】
「経済予測脳で人生が変わる」中原圭介
「アベンジャー(上)」フレデリック・フォーサイス
   

2010年10月5日火曜日

裏があるなら知りたい

民主党の小沢一郎が政治資金規正法違反で強制起訴される事になった。
検察審査会が2度にわたる起訴議決を出したのを受けてのものだ。
正直言って今回こうなるまで、こういう制度があるのを知らなかった。
たぶん大半の人がそうじゃないかと思う。

この事件、あまり熱心に追っかけていないいせもあるが、いまいちよくわからない。
容疑そのものもよくわからない。
「虚偽記載」というのは分かったが、それがどうだったというのか。
まあ責任ある立場の人だからなんでも違反はよくないというのは確かにそうだ。
だが、「虚偽記載」をして何をしたのか?
不正に賄賂を受け取ったのかどうなのか、そこまで示してほしいと思うのだ。
隔靴掻痒の感がぬぐえない。

次に起訴のプロである検察が起訴を断念したのに、強制起訴して大丈夫なのかという気もする。
国民の目も大事だが、何でもかんでも怪しければ起訴というのも怖い気がする。
どこかの大国とは違うんだし・・・
裁判員制度における裁判員は検察・弁護人双方の意見を聞いてジャッジするのが役目だ。
ある程度は素人だってかまわない。しかし、人一人を罪に問うのに素人感覚はどうなんだと思えてならない。

いくら裁判自体がきちんと行われるから、大丈夫だと言ったっていたずらに起訴すればいいというものでもない。国民の目というなら起訴に至った理由も明示してほしい気がする。
「秘書が独断でなしうるとは考えられない」と指摘していただけだと迫力がない。
マスコミもこういうところこそきっちりしてほしいと思う。

今後は、裁判所から指定された弁護士が検察役をするらしい。
だが、プロが断念したものを弁護士ができるのだろうか。
普通に考えれば有罪にもっていけるわけがない。
もしもこれでうまくいって有罪となったら検察官はみんな丸坊主だろう。

この事実を受けて野党は大喜びで批判合戦。
これは致し方ないとして、民主党の中からも離党勧告という声まで聞こえてくる。
先の党首選といい、何だか足の引っ張り合いみたいなものも垣間見えてくる。
表に出ている事情しかわからないから何とも言えないが、水面下でいろいろあるのかもしれない。

ちなみに私は小沢一郎に関してはニュートラルだ。
昔は発言内容などからけっこういいなと思っていたが、最近は外国人参政権や中国へのすり寄りなどで不安な思いをさせられる事が多いから中和されている。
考えてみれば「この人はいい」と思える政治家がいない。
安心して任せられる政治家が見当たらないのはなぜなんだろう。

今度社会人向け勉強会の講師を依頼する政治部記者の人にいろいろと聞いてみようと思う。
無関心こそが国民の最大の罪だと信じているので、少しは興味を持ってみたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「野球へのラブレター」長嶋茂雄
「SEX」石田衣良
    

2010年10月2日土曜日

国際貢献

月に一度ある、母校の財団法人が運営している社会人向け勉強会に今日は参加してきた。
受講生としてスタートし、翌年から世話役として参加して今年で5年目。
今日のテーマは「国際貢献」であった。
この講義は個人的に好きである。

普段「国際貢献」などという事は考える事もない。
大切か、と問われれば大切だと答えるが、では何かしているか、と問われれば大半の人は何もしていないし、我が国がしている事も知らないというのが実情だろう。
事実、私も以前はほとんど知らなかった。

敗戦時、焦土と化した我が国は当時の最貧国で、海外から帰還する650万人(軍人350万人+市民300万人)を迎えるにあたり絶望的な状況であったという。
1945年の冬には100万人の餓死者が出ると予想されたそうである。
それを乗り越えられたのは、「ガリオア」、「エロア」という名称のアメリカによる援助、WHO、ユニセフなど国際機関による援助、「ララ」という名称のNPOによる各種援助であったという。

さらに世界銀行による資金援助で、東海道新幹線、東名・名神高速道路、黒部ダム、愛知用水などのインフラ整備が出来た。もちろん、その支援の背景には、常に国益で動くアメリカが、冷戦の中で日本を利用しようとしたという実情があるのだが、支援の事実は事実である。今日はそうした話はでなかったが、受講生には事前にいろいろと調べてきてもらった。

その中で日本ユニセフの「ハッピーバースデー」というプロジェクトが紹介された。
毎年1歳の誕生日を迎えられずに亡くなっている子供たちが世界で600万人いるという。
そうした現実を変えようと180組のアーティストが歌う「ハッピーバースデー」を1曲105円でダウンロードするとそれが寄付になるのだという。

なんて素敵な試みではないか、と感動してさっそく検索してみた。
「日本ユニセフ:ハッピーバースデー」
ずらりと並んだ180組のアーティスト。
しかし、残念ながらほとんど知らないアーティストばかり。
アーティスト情報に疎いゆえかと思うも、そうとばかりではなさそう。
このプロジェクト自体もあまり知られていないし・・・

もっとメジャーどころが入ってくると違うと思うのだが、運営者がもう少しビッグネームに働きかけたらどうかと思う。こういうプロジェクトならみんな喜んで協力してくれるような気もする。そしてそれをダウンロードする人もきっと大勢出てくるに違いない。

参加者からはいろいろな意見が出された。
講師としてお招きした国際協力機構(JICA)の方の話から、 「池上彰×緒方貞子」というサイトも見つけた。忙しい日常から離れてたまにはこうした問題に目を向けてみるのもいいと思う。

我が身を振り返ってみると、世の中には自分の生活しかないというような生活振りだ。
それはある程度は仕方がないと自分に言い訳しているが、時にはこうした問題を考えてみるのもいいものだ。少なくともそうした意識は持っていたいものである・・・


【本日の読書】
「野球へのラブレター」長嶋茂雄
「魔王」伊坂幸太郎
   

2010年9月29日水曜日

就職難の真実

今は就職難、氷河期という言葉も使われているほど。
私などは超売り手市場の時代に就職したため、そんな苦労などしなかったものだから、今の若い人たちは誠に気の毒としか言いようがない。ただ一方で若い人たちの中には非常に勉強熱心な人たちもいて、やはり最初に就職で苦労するという事も結果的には良い事なのかもしれないとも思える。

さて、政府はそんな就職氷河期の学生に対し、企業に卒業3年目までの新卒採用に補助金を出すなどの支援策を発表している。
それはそれで良い事のような気もする。
ただちょっと気になるデータを見てしまった。
それは企業規模別の有効求人倍率だ。

有効求人倍率、すなわち新卒一人当たりに何倍の求人があるかという事だ。
従業員1,000人以上の企業が0.77倍。
つまり100人の学生に対し、77人の採用枠しかないという事である。
これに対し、従業員300人以上1,000人未満の企業だと2.16倍。
つまり100人の学生に対し、216人の採用枠があるという事になる。
さらに300人未満だと4.41倍。
100人に対し441人の採用枠である。

なんの事はない。
就職難とは、大企業の場合であって、中堅・中小企業では「引く手あまた」なわけである。
テレビなどでも就職が決まらなくて焦る学生の姿を映して、「大変だ」とやっているが、それは大企業だったわけである。そう考えると、どうして政府が税金を使ってまで就職サポートまでやらないといけないのかと疑問が湧いてくる。ないならともかく、働き口はあるわけで、好き嫌いを言っているだけなのになんで税金を使うのだろう。

そもそも大学全入時代に入っているわけである。
つまりすべての就職希望者が大企業に入れるわけではないのである。
溢れるのは自然の原理で、その人たちは中堅・中小に就職すればいいわけで、むしろそれが当然。
放っておけばいいのだ。どうしても大企業でなければ嫌だといって、卒業しないでいるのもフリーターになるのも個人の自由だ。我々が汗水たらして働いて納めた税金で、どうしてそこまで面倒をみてやる必要があるのか。

競争社会ゆえどうしても大企業に入りたかったら、努力して工夫して勉強して採用されるだけのものを身につければいいだけだ。
4年間遊ぶのもいいが、そのつけは本人が覚悟すればいい。
安易に税金を使う政府にも腹立たしい気持ちを持った。

ところが、先日某上場企業の人事担当をしている知人にこの支援策の話を振ってみた。
彼曰く、この程度の支援策ではとても採用意欲など湧かないそうである。
考えてみれば人一人を採用するにはかなりの経費がかかる。
政府の支給する「おこずかい程度」では話にならないそうである。
つまり作ったはいいが、“使えない”制度だと言う事だ。
今の政府のやる事ときたらこの程度なのだろう。

いや、待てよとそこでまた思う。
そんな事は百も承知なのかもしれない。
ただ事実をきちんと考えないマスコミがうるさいからとりあえず策を作ると。
しかし、予算もないしわざと使い勝手を悪くして誰も手を挙げないようにする。
そうすれば何もしないわけでなく、お金も使わない。
そこまで考えての事だろうか?

そこまで考えての事だったら、「さすが」と座布団一枚差し上げるところだが、真実は果たしてどうであろうか。深読み過ぎだとすれば、それもいいのか悪いのか。
いずれにせよ、若者たちには自分たちで何とかしろと言いたいところである・・・


【昨日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「新参者」東野圭吾

    

2010年9月26日日曜日

スカイツリー

我が家に一本のビデオがある。
長女が生まれた10年前、まだ慣れない沐浴の様子を撮影したものである。
あれやこれやとワイワイやりながらの沐浴であるが、その中でその場にいた当時まだ20代後半の義妹が出てくるシーンがある。義妹を撮影しながら、私が「○○おばちゃんです、こ~んなに若いです」とコメントしている。

今このビデオを見ると、そのコメント通り確かに「若いっ!」と思ってしまう。
まあ今はすっかりアラフォーの義妹でとは言え、20代の頃だから当然若いわけである。
10数年後に見る時の事を考えてコメントしたのであるが、今あらためて見てみるとそのコメントに我ながら感心する。

ここ数日で一気に秋が深まったような天気である。
幸いにも朝から好天で、我が家は一家で現在建設中のスカイツリー見物に行って来た。

まだ建設中で、現在の高さは470メートル。
完成時には634メートルになるそうだから、だいたい3/4の高さまできているわけである。

竣工予定は2011年12月だそうだから、まだ1年以上も先である。開業にいたっては2012年春だから、まだ1年半以上もある。なぜこの時期にと言えば、「建設中」は今しかないからである。

「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がある。
私の大好きな映画であるが、この映画の中で背景に東京タワーが使われている。
昭和33年、建設中の東京タワーをバックにして物語が進んで行く。完成した東京タワーしか見た事のない私にとって、建設中の東京タワーは実に新鮮にうつった。
スカイツリーも、だから今のうちに行っておこうと考えたのである。

2012年になって完成してしまえば、その姿はずっと続く。
それが東京の一つの景色になっていく。
子供たちが大きくなって結婚して、やがて自分たちの子供を連れてスカイツリーに遊びに行くかもしれない。その時、「お父さん(お母さん)はまだ建設中の時に見に来たんだよ」と子供たちに語ってやれるだろう。あるいはそれは孫たち相手かもしれない。

そう考えるとなんだか楽しい気分になる。
一緒にお風呂に入りながら、「今日の事はよく覚えておきなさい」と子供たちには言い聞かせた。
証拠の写真も撮ったし、いつかこの写真を観ながら子供たちが、その子供たちあるいは孫たちとワイワイ話すところを想像してしまう。

そのスカイツリーであるが、本来はデジタル放送用の送信が主たる機能とされている。
しかしながらその目的とは別に観光スポットとして、これからは注目されていくだろう。
実際今日も大勢の人たちがカメラ片手に周辺に訪れていた。
商業施設もかなり併設されるようだし、開業してもすぐに行くのは避けた方が無難だと思う。
見学して浅草までブラブラ歩いて戻ってくるのもなかなかいい観光コースになるような気がする。
いずれ我が家も開業後にあらためて行くつもりである。

しかしながら当の子供たちはどのくらい理解できているのだろうか。
風呂の中でもお昼に食べたハンバーグがおいしかったねと嬉しそうに言っていた。
ハンバーグも良いが、今日の意味をしっかり理解してよく覚えておけよと念押ししたが、ちょっと心もとない気がする我が家の子供たちなのである・・・


【昨日の読書】
「新参者」東野圭吾
   

2010年9月23日木曜日

お受験雑感2

妻が近所のお受験情報を仕入れてきた。
なんでも近所の某私立有名大学付属高校からは、9割が上の大学へ進学できるという。
それに比べてもう一つある付属の実業高校は、同じ付属と言いながら上の大学に進学できるのは1割程度。しかも学部もあまり選べないという。
近所のママ曰く、「小学校受験で付属の実業を受ける人の考えがわからない」らしい。
「当然付属高校を選ぶべきでしょう」と。

私も二児の父親。
子供の将来の事もあれこれ考える。
だがこうした受験情報に心を動かされる事はまったくない。
そんなの意味ない事だと思っているからだ。
かのご近所ママはたぶん経験していなくてわからないのだろう。

私の学生時代も「受験戦争」などという言葉が使われていた。
私立の付属高校へ行く友人も多かった。
しかしながら、たまたまだが、私の友人たちはみんな入ってから遊んでいた。
大学受験は確かに私より遥かに楽できたと思うが、その差がどうだとも思う。
浪人して予備校に通っていた先輩や友人達も結構遊んでいた。

ライバルと呼んでもいい友人O。
彼は家庭が経済的にあまり恵まれていなかった。
彼は親に負担をかけまいと塾にも予備校にも通わず、国立大学へストレートで進学した。
受験の時も私立には行けないからと受ける事すらせず、今と違って複数受験もできなかったから、文字通り一本勝負だ(ちなみに私も一本勝負だったが、負けて浪人した)。

Oは、「もし落ちたら受験勉強の傍ら、バイトして家に2万円入れる」と私に宣言していた。
落ちていたら奴はきっとそうしていただろう。
学校の勉強とラジオ講座というリーズナブルな勉強方法で彼は合格した。
もともと頭が良かったかというとそれほどでもない。
小学校時代から目の前で見ていたからよくわかる。

そもそもであるが、学校の勉強なんて極論すれば「やったかやらないか」だ。
頭の良し悪しはあまり関係ない(あくまでも学校の勉強だ)。
せいぜい凡人が1時間かかるところを天才は30分でできるという程度だ。
1時間かければ追いつくし、2時間かければ追い抜ける。
お受験ママは、それをやらずに「頭の良い子は違うから」と妙な理屈をこねて、この簡単な理屈を受け入れようとしない。彼は(だふん)相当やっていた。ただそれだけだ。

親が熱心に塾だ、家庭教師だと騒いでも、肝心な子供の心にスイッチが入らなければ何にもならない。学生時代に私が家庭教師で教えていた子は歯医者の息子。良い家に住んで、広い自室があって(トイレだって今の我が家の2倍の広さはあった)、こずかいだってたぶんたっぷりもらっていて、友人Oなら泣いて喜ぶ環境だ。
なのに勉強はやる気ゼロ。

高校時代のラグビー部の先輩たちは、浪人しながら気楽な予備校生活を満喫していた。
がけっぷちの必死さなど微塵も感じなかった。
机に向かっていても頭の中はゲームの事を考えているのかもしれない。
「水辺に連れて行っても水を飲ませる事はできない」のである。
お受験ママがどこまでそれをわかっているだろうか。

親が腐心すべきは学校選びではなく、いかに子供の心のスイッチを入れるかだ。
スイッチが入れば、自分で考え進んで行く。
親はそれを見守り、時に自分の経験に基づいてアドバイスし、必要なサポートをしてやればよい。
どこへ行くかだって、自分で決めた方がやる気だって出るだろう。

長女はまだ小学校4年生。
まずは我が子が学校の勉強についてどんな事を思っているのか。
好きな科目は?嫌いな科目は?それはなぜ?
教科書にも目を通し、できれば同じ目線でどんな事を考えているのかわかるようにしたいと考えている。うまくスイッチが入るかどうか。我が子にはそんなことをしていきたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「これから『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他
    

2010年9月20日月曜日

恐竜展

3連休の最終日、我が家は男チームと女チームとに分かれてそれぞれ別行動となった。
男チームは六本木ヒルズへと向かう。5歳の長男と六本木ヒルズはあまりにもマッチしない。
しかし、ここの53階で『恐竜展』をやっているのだから、マッチするもしないもないのである。

5歳の長男は恐竜好き。
まあ男の子は仮面ライダーとかウルトラマンとか恐竜とかが好きなものである。
さらに言えばトミカにプラレールであろう。
連休でもあるし、というわけで大好きな恐竜を見に行くことにしたのである。

我が家からは六本木までは西武池袋線と都営大江戸線とを乗り継いで行く。
長男は先頭車両に乗って前方を見るのが大好きだ。
恐竜展だけがお楽しみではないのである。
しかし、西武線の窓は高く長男の背が届かない。
持ち上げてやらないといけないから結構大変なのだ。
顧客サービスを考えるのならこういうところにも気を配ってほしいと思ってしまう。

一方都営大江戸線は窓が低いから好都合。
もっとも地下鉄で何を見るのだと思うのだが、長男は熱心に見ているから面白いのだろう。
こちらも何気に見ていて面白い事に気がついた。
大江戸線では運転手がほとんど運転しないのである。

西武線では運転手がレバーを動かして加減速を行う。
“電車でGO”の世界だ。
ところが大江戸線ではドアが締まるたとボタンを押すだけ。
その他には何もしている気配がない。
されど電車は加速し、駅に来れば減速して止まる。
自動運行なのだろうかと不思議だった。
傍から見たらやけに熱心に前を見ている親子だと映ったに違いない。

恐竜展自体はまずまずと行ったところ。
六本木ヒルズの53階という事でスペース的な制約もあったせいか、見て回るのに時間はかからなかった。見終わると長男は目ざとく恐竜のフィギアを見つける。
「買って、買って」とダダをこねるならピシャリとはねつけるのだが、「買わないの?」と誘われると思わず苦笑が漏れる。前回のウルトラセブンの時といい、長男の交渉力はなかなか見所があるように思う。

お土産にトリケラトプスとティラノサウルスのフィギアをゲットし、大満足の長男と岐路に着く。
東京ミッドタウンも出来上がってからはまだ見ていない。
見学したいと思ったが、それはまた次の機会だ。

思えば昔からこの六本木というところはどうも馴染めないところだ。
どうにも自分が場違いなところにいるように思えてならない。
独身寮の行事や結婚式の二次会や誘われた飲み会などで随分行っているのだが、その感覚は今もって変わらない。今日も長居せずに帰ってきたのも、子供連れという以外にそういう意識もあったのである。

さて、3連休もお終い。
次の我が家の予定はスカイツリー見学である!
     
   

2010年9月18日土曜日

これからの正義の話をしよう

今、「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル著)という本を読んでいる。これが面白い。もともとハーバード大学の人気講座を本にしたらしいのであるが、タイトルにある通り『正義』に関する議論なのである。

5人の命を救うために1人を犠牲にする事は正しいか、とか。
フォード社が爆発の危険性がある欠陥を発見したのに、リコールにかかる費用と実際に爆発が起こって犠牲者が出た場合の賠償コストを比較して、リコールを見送ったとか。
アフガニスタンで作戦を展開していた米軍特殊部隊の偵察隊が地元の羊飼いの親子に遭遇。
アルカイダに通報されるのを防ぐために部下が親子を殺すように進言してきたが、あなたならどうするとか。

ちなみに最後の例では、親子を殺す事を躊躇した隊長は彼らを逃がす(人間として当然だ)。その結果、親子はアルカイダに通報、彼らの偵察隊はアルカイダに包囲され、部下は全滅、救出に来たヘリは撃墜され乗っていた16人も死亡という結果になったという(ちなみにその事件は映画化『ローン・サバイバー』されている)。読みながらあれこれと考えさせられる。

読みながら2年前に観た 「ダークナイト」という映画を思い出した。
バットマンの映画なのであるが、これが善と悪、正義と悪との哲学的な対立を描き、ストーリーもさることながら、その重厚な問いかけに圧倒される優れた映画だ。

悪のジョーカーがゴッサムシティーを闇に包む。
正義を代表する検事デントがこれに立ち向かう。
しかしジョーカーは彼を捉え、さらにバットマン=ブルース・ウェインの愛する女性レイチェルを捕らえる。二人を離れた2カ所に監禁し、それぞれ同時刻に爆発する爆弾をセットする。そしてバットマンにどちらを助けるか選ばせるのである。

観客もバットマンがどちらを助けに向かっているのかわからない。
二人は無線で状況を知る。
デントはレイチェルを助けに行けとバットマンに叫ぶ。
デントは表向き大衆の前に正義の味方として立てないバットマンになり代わり、市民に希望を与える存在だ。刻一刻と爆発時刻は近付く。

自分だったらどうするか?
ちなみにバットマンは私の予想を裏切って(ジョーカーの策略で)デントを助けてしまう。
バットマンの姿を見たデントは絶望の叫びを上げ、爆弾は爆発する。

正義が単純に正義で、悪が単純に悪だったらこんなに簡単な事はない。
しかし、ジョーカーに協力した人たちは、ただの金欲しさだったりではなく、家族の病院代がほしくて協力したりしているする人もいるのである。
病気に苦しむ家族を前にして、果たしてジョーカーの誘いを断れるだろうか?

「スターウォーズ・エピソードⅢ」のアナキン・スカイウォーカーがフォースの暗黒面に捉えられてダースベイダーに落ちてしまうのも、私利私欲ではない。
純粋に愛する女性を救おうと思う行為だった。
だからこそ、この映画も面白いのだ。

あれこれ考えてみると、正義というものは結局相対的なものだ。
アメリカにとっての正義は、アルカイダにとってのそれとは違う。
アルカイダにとっての正義もまた然り。

9.11は許されざる犯罪ではあるが、石油利権獲得のためにイラクに攻め込んだアメリカによって大勢のイラク人が死んでいる。アメリカは極東軍事法廷で日本の指導者を戦犯として処罰したが、その「正義の国アメリカ」は、空襲で30万人以上の無抵抗な日本国民を虐殺している。勝者の高らかな正義の宣言の前に、敗者の正義は踏みにじられる・・・

まだこれから後半だが、簡単な事例からカントの哲学まで登場してきてなかなか面白い。
さすがハーバード大学の人気講座だ。
こういう講座がある事自体がアメリカの大きさなのだと思う。
こういう授業、受けてみたいものである・・・


【昨日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他
    

2010年9月15日水曜日

懐かしき紫煙

タバコについてもう少し。
前回も書いた通り、初めてタバコを吸ったのは高校生になった時のこと。
従兄が布団の中で吸い方を教えてくれたのだ。
「一回吸って軽く口の中に蓄えてから肺に吸い込むようにする」と教わった。
知らないと一呼吸で煙を吸いこんでいるイメージがあるが、厳密に言うと2段階で吸いこんでいるのである。

大学一年の時に掃除のアルバイトに行った時のことだ。
たまたま一緒になった同じ大学の同級生がタバコをふかしていた。
「なんかへんだな」と思ってよく観察したら、その彼は煙を口に入れて次に吐き出していたのだ。
吸いこむたびにほっぺが膨らむ。
そしてプフォーと吐き出す。

見ていて笑い転げそうになった。
彼は煙を肺に入れていなかったのだ。
真面目そうな彼だったから、子供の頃から勉強一筋で、たぶんタバコなんか吸う友達も、ましてや吸い方を教えてくれる従兄もいなかったのだと思う。
20歳になって、俺も大人になったからとタバコを吸おうと思ったのだが、見よう見真似で吸い方がわからなかったのだと思う(あるいはひょっとしたら、体に悪いからそういう吸い方をしていたのかもしれない)。笑い転げそうになった私だが、従兄がいなければ彼と同じ事をしていたに違いない(といっても高校の友達が教えてくれたかもしれないな)。

思えば従兄にはタバコも酒も教えてもらった。
学校の勉強は教えてくれなかったが、こうした事を教えてもらった恩恵は計り知れない。
「彼女ができた」と聞いた時には、どんな付き合い方をしているのか、おばさんの目を盗んで彼女を部屋に連れ込んで、それから・・・なんて話を、目をランランと輝かせて聞いたものである。

味を覚えるといろいろと自分に合ったタバコ、うまい吸い方などを研究するようになった。国産、洋モク、葉巻といろいろ試した末、一番気に入ったのがセブンスターと赤い箱のマルボロだった。
ダメだったのがメンソール。
あれはタバコの本来の味がまったくわからなくなる。
どこがどういう風にいいのだろうと今でも疑問だ。

「食後のコーヒーとともに吸うマルボロ」
これが一番うまいタバコだった。
余談だが、コーヒーと一緒に吸うというのは意外に好きな人が多いようである。会社でも、「タバコをやめた途端、コーヒー代が激減した」という人がいる。いつも喫茶店でタバコを吸っていたからだそうである。私も家に帰ってきてから、食後のコーヒーと一緒にタバコを吸う一時が、まさに至福の一時であった。

あの時代、身の回りでもテレビでもタバコはいたるところで吸われていた。
松田優作のジーパン刑事だって最後にタバコを咥えて息絶えたし、映画やドラマの二枚目はみんなカッコよくタバコを燻らせていた。
多感な時期の若者が真似するわけだ。

今では喫煙族は肩身が狭いことこの上ない。
個人的にはまったく困る事もないのであるが、どういうわけであろうか、時折、独身寮にいたあの頃、疲れて帰りついた部屋で一人食後のコーヒーとともに燻らせていたマルボロの煙が懐かしく思う時がある。そんな時、たまには吸ってみようかなと思うのである。

とは思うものの、買いに行ってもタスポはないから販売機では買えないし、高校生の頃付き合っていた彼女にもらったライターは実家のロフトのどこかにはいったままだし、灰皿はとっくに処分したしで障害が大きい。なにせへそ曲がりで天の邪鬼の私ゆえ、時代が嫌煙なら俺は喫煙と思わなくもない。いずれ長い休煙期間が終わる時が近いかもしれないと思うのである・・・

Life is beautiful!


【本日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「生きっぱなしの記」阿久悠
    

2010年9月12日日曜日

タバコをやめられないなんて・・・

10月からタバコが100円も値上がりするようである。
一時は海外のように一箱1,000円になるという話もまことしやかに流れていたが、100円で良かったのか、100円も値上がりしたと考えるのか、たばこを吸わない私には何とも言えないところである。

何でもこれを機にたばこを辞めようと言う人が、禁煙クリニックやら禁煙グッズやらに殺到しており、今それらの関連の売り上げが急増しているという。私にしてみるとそんなものに頼らないとたばこをやめられないなんて、情けないと思わざるを得ない。医者やグッズに頼るのははっきり言って「甘え」以外の何ものでもない。

よく「俺はたばこをやめられないしやめるつもりもない」と豪語していた人が、肺癌と診断された途端、ピタッと煙草をやめたという話を耳にした事があるが、要は真剣にやめようと思えばやめられるのである。真剣に思わないから、「吸いたい」という誘惑に耐えられないだけである。

私は今こそたばこを吸っていないが、初めて吸ったのは高校生になってからだ。
小学校4年から春と夏の休みには2週間程度 御代田に住む従兄の家に一人遊びに行っていた。
一つ年上のその従兄は、長男の私にしてみれば良い兄貴だったのだ。その従兄に、夜布団のなかでたばこの吸い方を教わったのだ(ちなみに酒も教えてもらった)。

それ以来、カッコつけのためだけに親に隠れてタバコを吸っていた。
最初はカッコつけでも、やがて味がわかってくる。そうすると次に「吸いたい」と思って吸うようになり、やがてどういう状況で吸うと「おいしいか」がわかるようになる。私の場合、「食後のコーヒーと一緒に吸う」のが一番であった。

逆に歩きタバコはあんまりうまいと感じなかった。
風があるとその影響を受けるらしい。
だからあまり歩きタバコはしなかったし、今でも歩きタバコをしている人を見ると、「タバコを味わっているのか、味がわかっているのか」と思ってしまう。

また、酒の席だとタバコが進む。
だから酒を飲みながら吸う人の気持ちはよくわかる。
だが、これは飲み過ぎたりすると次の日に倍の気持ち悪さとなって現れたりする。

そんなタバコ生活をやめようと思った事は、実は今まで一度もない。今でもそうである。
30歳になった時に会社の業務研修で大阪に行き、3ヶ月ほどの研修生活を送った。
年齢的にも体力の低下を自覚し、当時まだ現役でラグビーをやっていた私は危機感を覚え、最後の一カ月間を体力回復期間に充てる決意をした。

朝起きて走り、朝食はリンゴ一個。
タバコは一カ月間の期間限定禁煙を自分に課し、夜は筋トレに励んだ。
「一カ月間の禁煙くらいできなくてどうする」と自分に言い聞かせ、ぴしゃりと吸いたい気持ちを抑えきった。簡単な事だった。

その間、一度だけ夢で吸った。
タバコを吸いながら、「なぜ迷わなかったのだろう」とえらく後悔した。
普通、「吸っちゃえ」という悪魔の声と「吸うな」という天使の声が交錯するだろうと。
だが迷いもなく火をつけ吸っていたからショックだったのだ。
目が覚めてほっとしたのを覚えている。
そして東京に戻ったが、それ以後不思議とタバコを吸いたいと思わなくなっていた。

吸いたくないから吸わないという、いわば【休煙】状態がそのままずっと続いている。
だが禁煙したわけでもない。たまに実家で弟と会い、なんとなくタバコをうまそうに吸っている弟を見て、「一本よこせ」と言って火をつけた事がたびたびある。しかし、不思議とあんまりうまいと感じずにそのまま吸う事もないのである。

将来どうなるかはわからない。
また吸いたくなるかもしれないし、このままかもしれない。
だが基本は「吸いたいから吸う、吸いたくないから吸わない」だ。
健康にどうだとか、値段がどうだとかは関係ない。

人やモノに頼ってまでタバコをやめようとするなんて、ナンセンスだ。
まあ自分にはあまり関わりのない事だし、他人の事をとやかく言う事でもない。
果たして、また吸いたくなる時がくるのだろうか。
それがちょっとだけ興味深いところである・・・
     

2010年9月10日金曜日

大腸内視鏡検査

勤務先では毎年健康診断をやってくれている。
こういう事は自分でやるとなるとおっくうだ。
勤務先で年に一度、忘れずに通知をくれてやってもらえるのは非常にありがたい。

実はここ数年、毎回ちょっとひっかかっている。
メタボは詐欺みたいなものだからあまり気にしていないが、大腸である。
医師の勧めで今年は内視鏡検査を受ける事になった。
(過去、バリウム検査は2度もやっている)

前日寝る前に下剤を飲み、朝から絶食して病院へ。
準備の後、腸管洗浄液なるものを飲まされた。1時間で2リットルを飲めという。これがほんのり塩味のきいた微妙な味の飲み物で、飲み進むうちに気分が悪くなる。最後は吐き気との戦い。一緒に検査を受けていた人たちは苦も無く飲んでいたのが不思議だった。

飲み終えてから検査まで3時間。
昼を挟んで、トイレに何往復もしながらひたすら待つ。
まあいい読書タイムではあったが、普段読みもしない週刊誌なんかも読んだりして、これはこれで良かったかもしれない。

本番の内視鏡検査が始まる。
肛門から内視鏡を入れられるわけで、初めは身構えていたが、あっさりするすると入っていく。
目の前のモニターには内視鏡の映像が映し出される。初めて見る己の腹の中。それは意外にもあざやかなピンク色の世界であった。

大腸内をぐるりと内視鏡が進むのだが、さすがに何とも言えない嫌な感覚。
「ここが盲腸、終点です」と言われ、ちょっと安心する。しばらくして「ポリープがありますね」と言われる。アップになった画像には、言われてみれば突起物が・・・

何やら看護師さんが準備を初め、ポリープ切除が始まる。事前にポリープはいずれ癌になるので、見つけたら取りますと言われていたが、まさかそんな事態になるとは思っていなかった。と言ってもこっちは尻から管を入れられて情けなく横たわっているだけ。

生理食塩水をポリープの下の腸壁に注入してポリープを浮き上がらせる。
そこを輪っかのようなものを巻きつけ、きゅっとその輪を締める。
たぶん電気メスの一種なのだろうが、あっさり終わる。抜くときはいとも簡単。
一応、これも手術なのだと言う(請求書にしっかりと書いてあった)。
というわけで今日は人生初の手術記念日と言える。

結局一日がかりだったが、まあこれで済んで良かったのだろう。
「一週間激しい運動は控えて下さい。お酒はダメです。それと食べ物も消化の良いものにして下さい。例えば・・・」
今週末には社会人向け勉強会で、夜は懇親会。
メーリングリストではピザを頼もうとかいろいろ盛り上がっている。
説明を聞きながら、「お茶飲んでいるだけかい」と一人心の中で愚痴る。

「これで来年の健康診断は大丈夫なんだろうな」
まだゴロゴロ言うお腹をさすりながら家路に着く。
おばちゃん看護師さんはとても親切だったが、また行きたいとは思わない。
大好きなコーヒーも飲めないし、食べられるもののリストを眺めていたら、何だか痩せそうな気がする(メタボにもちょっと良いかもしれない)。
健康のありがたさに感謝しつつ、一週間過ごすとしようと思うのである・・・

Life is beautiful!

【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
     

2010年9月7日火曜日

Life is beautiful!

人生は心のあり方で決まる
心のあり方を変えれば決定が変わる
決定が変われば行動が変わる
行動が変われば人生が変わる   
ヒンドゥー教の教え
*******************************************************************************************************************

実は今大きな問題を抱えている。
もう長い事悪戦苦闘しているが、なかなか出口が見えない。
踏み出すべきではなかった道に迷いこみ、その結果、長くて出口の見えないトンネルに迷い込んでしまった。後悔する一方で、トンネルを抜けた先に開ける未来への期待もあり、相交差して複雑な心境である。

人生最大のピンチだと思っており、真剣に考えれば夜も眠れなくなるほどの不安に襲われるが、いつの頃からかあまり深刻に考えなくなった。どうやら私の心にはサーキットブレーカーがあって、心に一定以上の負荷がかかるとそれが働いて、心に必要以上の負荷がかからなくなるようになっているらしい。

数年前、仕事で大きな失敗をした時もこのサーキットブレーカーが働いた。
会社にも大きな迷惑をかけるミスで、毎日針のムシロだった。
会社に行きたくないと思った。
周りの人の視線が痛かった。
しかし、何日かしてからこのサーキットブレーカーが働き、すっと力が抜けた。会社から見事な「厳重注意書」をいただいたが、休むことなくすべての批判を正面から受け止められた。まあ良い経験だったが、二度としたくはない経験だ。

今もサーキットブレーカーが働いているが、問題が解決したわけではない。
日々、根拠のない楽観と「夜明け前が一番暗い」という信仰が支えだ。
そういう問題があるからだろうか、それとも 「自分が源泉」という考え方が身についてきたからだろうか、毎日平凡な一日を過ごしていてもそれだけでありがたいと思う。

毎日の通勤も、“痛勤電車”などと揶揄する人もいるが、私にしてみれば本が読めるくらいのスペースはあるし、時間もDoor to doorで1時間とそんなに苦にならない。
暑いと言ってもクールビズでネクタイからは解放されているし、職場の人間関係で悩む事もない。
子供の寝顔しか見れないというほど過酷な残業もないし、帰れば家族がわいわいやっていて家の中は賑やかだ。親の体調は心配だが、それ以上に心を痛める問題もない。

週末の深夜には大好きな映画を観られるし、月一回は銀座の映画館でも楽しんでいる。
大事にしている時間は過ごせているし、友人知人にも恵まれている。
コインを見て表と見るか裏と見るかは見方次第だ。
表から見れば表が、裏から見れば裏が見える。
平凡な一日も、「良い事がなかった」と考えるか、「悪い事がなかった」と考えるかも考え方だ。

以前、「ライフ イズ ビューティフル」という映画があった。
ナチスドイツに捉えられたユダヤ人父子の物語だ。
母親と引き離されて収容所で暮らす毎日に、父は毎日をゲームに見たてて、子供を楽しませて過ごす。最後に悲しい結末があるのだが、悲劇だけの映画とも言えず、なぜか映画のタイトルと内容とが見事に一致していると感じた映画である。

バラ色の人生を送りたいとは思うが、良い事ずくめが果たしてハッピーライフなのかどうかはわからない。重荷は重荷で確かに辛いが、辛い練習を経てライバルに勝った試合ほど喜びは大きい。
もちろん、それは“勝てば”の話であって、負ければ悲惨だ。
そこに大きな不安があって、それこそが心を乱す原因ではあるのだ。

ただそれこそが、大げさに言えば生きている証。
『冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように、悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく(星野富弘)』
そんな心境で乗り越えていきたいものだ。

その名の通り“Life is beuatiful”というサイトがある。
みんなが感じたちょっとした感動を投稿したサイトだ。
一つ一つ読んで行くと、大きな喜びやささやかな喜びといろいろ感じ方があるのがわかる。
山あり谷ありと今もこれからもあるのだろうが、これも自分の人生と割り切って楽しむ気持ちを持っていたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
     

2010年9月4日土曜日

ひと夏の思い出

本日は家族で昭和記念公園のレインボープールに行って来た。
なにせ9月とはいえ、この暑さ。
しかも私の住んでいる練馬は、東京の最高気温というと必ず引き合いに出されるというありがたい土地柄。この夏の締めくくりとして、行く事にしたのだ。

実は都内のプールは8月一杯というところが結構多い。
我が家の近所の区民プールは軒並み8月一杯だし、近くのプールもそういうところが多い。
9月の頭までやっているというのは珍しいようである。
そして今日はその狙いが見事的中したような天気。
選択は間違っていなかったようである。

日中は肌をさす日差し。
地面も暑くて裸足で歩けない(どうやら足の裏を少しやけどしたみたいである)。
流れるプールは水も冷たく(他のプールはさすがに温まっていた)、気持ちよかった。
子供たちも喜んでいたし、今年はリベンジできた。

実は昨年は散々だった。
私の夏休み期間中はほとんど雨で、やっぱり昭和記念公園のプールに行ったのだが、午後から雨。
しかも雷のおまけつき。プールの噴水の下に入った長男が、「去年のプールみたい!」と喜んでいたが、笑えない冗談だった。区民プールも室内のある所に、雨だから車で妻に送ってもらって子供たちと行ったほどであった。だからリベンジなのである。

そういえば我が家はプールオンリーである。
海には行かない(関東近辺では、という意味である)。
海だと距離があるし、せっかく行っても江の島あたりは汚いし、房総、九十九里などは遠いし渋滞するし、で勇気が出ないのだ。そのあたりの海は子供の頃によく連れて行ってもらったものである。

子供の頃と言っても小学生の頃だ。
電車に乗って行った記憶がある。
そのうち何回かは仲の良い友達家族と行ったが、親父の姿はそこにはなかった。たぶん、夏休みの平日に行ったのだろう。千葉の御宿とか、そのあたりだったと思う。民宿に泊まって、いつも焼き過ぎた肌がヒリヒリ痛かったのを覚えている。

今から思うと、当時は週休2日制なんてない。
家族で海に行った記憶もあるが、あれはあるいは日帰りだったのかもしれない。
せっかくの週に一度の休みに親父は疲れただろうな、と今になってみれば思う。
私も今日は疲れたから、明日は寝坊しようなんて思っているが、あの頃の親父はそんな事言ってられなかったわけだ。

私の母親は、いろいろと家事の手伝いをする私の姿を見て、「今のお嫁さんはいいわねぇ」なんて言うが(それを妻が嫌味ととるからあとで私も大変なのである)、当時の親父の立場にたってみれば、週に6日間働いて(しかも水曜日には早帰りしましょうなんて習慣もなかったわけである)ようやくの日曜日、何もする気にはなれなかったのだろうと思う(神様だって7日目にはお休みになられたのだ)。

いつも何も言わずにあさっての方を見て、母の独り言を聞き流している親父であるが、男には男の辛さがあるよなぁと、今ではちゃんと肩をもっている。
世の中の進歩なのだとは思うが、今は良い時代で私も親父よりは楽になっている。
親父も大変だっただろうが、あの頃の家族で行った海の思い出は、ちゃんといい思い出として私の中に残っている。

さて、記録的な猛暑のこの夏の一連のプールの思い出が、我が家の子供たちにどのくらい残るだろうか。「プールに入ってたら、雨が降って雷が鳴ったんだよね」じゃ浮かばれないぞ、と思うのである・・・
    

【昨日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(下)」海堂尊
         
      

2010年9月1日水曜日

English!

英語が話せたらいいな、とは誰でも思う事だろう。私もそう思う一人である。
と言っても本当は話すよりも「字幕なしで映画を観たい」という欲求の方が強い。
もともと映画好きだし、多少なりとも英語がわかってくると、字幕とセリフとの微妙なニュアンスの差に気付いたり、絶妙な訳に関心したりする機会が増えてくるからだ。
ただ、なかなか道は険しい。

中学一年の時、英語を受け持ってくれたのはY先生。
この先生、通訳のバイトをしていたというくらい英語ペラペラで、発音もネイティブそのもの。
授業だけでなく、英語にまつわる話も面白く、実に楽しい2年間の授業だった。
いつかY先生のようになりたいと思ったものだ。

だが、Y先生の転勤で至福の一時は終わりを告げ、その後の授業はジャパニーズ・イングリッシュで、受験モードまっしぐらだった。
それでも受験では英語が重要視されている大学を受けたため、ヒアリングも含めてかなり頑張った。
今、文章であればなんとなく読めるのもこの時の蓄積が大きい。

社会人になってしばらくして、もう一度英語力を鍛えようと決めた時があった。
毎朝、ネットでCNNのニュースを読む事から始めた。
オーストラリア在住の主婦の方(日本人だ)を紹介され、毎週末英文メールで文通した。
ケーブルテレビでCNNやBBCの英語ニュース番組を見た。
ちなみにダイアナ妃事故死のニュースを初めて見たのはBBCのニュース番組だった。

しかし、映画はなかなか遠い道だ。
まず映画の世界に没頭してしまうのが一番の原因だ。
ほんとうは2回、3回と続けて観ればいいのだと思うが、どうしても2回続けて観るなら別のものと思ってしまう。最近はDVDだと英語字幕も観られるらしいから、そのうち試してみようかとも思うが、その前に溜めこんだ50本の映画を観る方が先決だったりする・・・

先月グアムに行った帰りの飛行機の中、映画が上映された。
タイトルを見たらつまらなそうな映画。
「Dear John」という映画だった。
よし、と決意してイヤフォンを英語モードにして観る事にした。

映画だから、画面を見ているだけでもなんとなくストーリーはわかる。
英語もところどころ聞き取れる。だが、だめだった。
細かいニュアンスがわからない。たぶん、口語が多いのも原因だとは思う。
本当につまらないストーリーだったのか、わからないからつまらなかったのかは不明だが、とにかくつまらなかった。まだまだ目指す道は遠そうだ。

たぶん一定期間、徹底して英語漬けの生活を送ったら、そこそこ話せるようにはなるんだろう。だが、なかなかそういう生活はいまのところ難しい。
かつて知り合った人で、読み書きはペラペラという人がいた。
一度も外国に行った事がなく、読み書きはできてもしゃべれないと笑っていたが、その人は猛烈に英文を読んで独学したそうである(まあ書ければ話せるとは思うのだが・・・)。

私も再び一念発起しようかな、と思うものの、「あれもやりたいこれもやりたい」と思い患う毎日で発起できるかは微妙だ。とりあえずは、毎日CNNの英語ニュースを読む事だけは、欠かさずやろうと思うのである・・・


【本日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(上)」海堂尊
         
    

2010年8月29日日曜日

最後の日曜日

夏休みと言えば東京では8月一杯というのが一般的だが、我が家ではそれは幼稚園に通う長男だけの話である。娘の小学校は25日から始まる。

その昔、 御代田に住む従兄と議論した事がある。
御代田は夏休みが25日頃までだった。
向こうは東京よりも涼しいからだ。
「東京の学校の方が休みが長くていい」と主張したら、彼は「その代わりこっちは冬休みが長いし、“田植え休み”や“稲刈り休み”がある」と反論してきた。
トータルでは同じくらいだったが、今の娘だとその議論は成り立たないかもしれない。

なんで短くなったかというと、悪名高いゆとり教育から脱却し、授業日数を増やすにあたって他の日程では調整つかなかったらしい。もっとも周辺の学校の対応はまちまちで、一日あたりの授業数を増やす事で従来通り9月からにしている学校もあるようだ。なんでも校長の裁量判断らしいが、やっぱり8月一杯休みたいだろうなと個人的には思う。

そんな最後の日曜日、子供たちと近所の区民プールに行って来た。
そのプールも開催は今月いっぱいらしいので今年はこれでお終いである。
泳ぐというよりも「浸かっている」という表現の方が正しいのだが、それでも疲れてしまった。
娘もいつのまにかダイナミックなクロールで泳ぐようになっていた。
5歳の長男も少しずつ上手に泳ぐようになっている。
来年はどのくらい進歩しているだろう・・・


昨日から毎年恒例の社会人向け勉強会が始まった。
母校の財団法人が主体となったもので、今年が5年目。
最初の年に受講生として参加し、2年目からは世話役としてお手伝いさせていただいている。最初の講義は毎年恒例の「自分が源泉」という講座だ。

「すべての結果は自分が創っているという立場を取る」という考え方の実践で、とかくうまくいかない事を、他人や外部の責任にしがちな我々であるが、それを「原因は自分にある」と考えることで、まずは心のあり方から変えて行こうという趣旨のものだ。
事実は一つだが、それをどう解釈するかは我々自身にかかっている。この考え方を取り入れて、私も日々穏やかに前向きに暮らしていられるような気がする。

講座では「エゴグラム」という性格診断も取り入れて、参加者も楽しみながら学べる。
性格診断のようなものは誰でも興味あるだろうし、結果があたっていたりすると妙に納得したりもする。エリック・バーンという精神科医によって提唱された「交流分析」が元になっているのだが、参加者もワイワイと楽しんでいた。

今年もこれから月に一回のペースで半年間続いていく。
私も学べるので毎年大きな「役得」だと思ってお手伝いさせていただいている。
仕事以外にこうした活動があるのもいい刺激だ。
自分自身楽しみながら、受講生にも満足していただけるようやっていきたいと思う。

窓を開ければ、蝉の声がいつのまにか涼しげな虫たちの声に変わっている。
もう9月。
早いものである・・・
    
    

2010年8月28日土曜日

日本の空港

国内初の格安航空会社(LCC)対応空港として生き残りをかける茨城空港は、中国上海のLCCである春秋航空が茨城─上海線で片道4,000円(1便あたり総座席数の約1割にあたる18席程度)の航空券を販売することで話題になっている。片道4,000円というのは魅力だが、茨城空港までどのくらいかかるのだろう・・・

 一方、1978年の成田空港の開港による棲み分けで、長い間国内線専用だった羽田空港が、今年10月に再国際化する。 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会開催を契機に、羽田空港と金浦空港を結ぶチャーター便が就航し、現在は上海(虹橋空港)、ソウル(金浦空港)、香港便が定期便に限りなく近い「定期チャーター便」という方式で運行されている。今年10月21日には4本目の滑走路(D滑走路)と新国際ターミナルの併用が開始され、31日には32年ぶりに国際定期便が再就航し、国際線定期チャーター便は定期便に格上げされるという。

 これにより、前述の上海、ソウル、香港に加えて、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルル、パリ、バンコク、シンガポール、台北などへも羽田から行けるようになる予定だ。羽田空港は都心からモノレールで約20分で行けるという好立地に加え、新滑走路の新設と新国際ターミナルの開業、P4平面駐車場の立体化(完成)、第2ターミナルビルの増床で利便性はさらに増す事になる。

子供の頃に成田闘争の様子をテレビで見た記憶がある。
あんな思いをして開港したのに、都心からのアクセスが悪く、アジアのハブ空港にもなれないでいる。羽田の沖合への拡張という形になっていたら、あんな無駄なエネルギーを使う事もなかったのにと、なんとなく思う。

我が家も先日成田空港を利用した。
我が家はいつも自家用車で空港まで行く。
近くのパーキングに車を預けるのだ。
大きなスーツケース2つに子供連れとなると、電車での移動はなかなかの負担だ。
片道2時間半のドライブとなるが、そのくらいならはるかに楽だ。

羽田となると確かに都心に近くて便利なのであるが、車となると駐車料金がかかる。
成田だと最安値で一日500円。
先日は6日間で、いろいろ込みで4,000円かからなかった。
羽田だと6日間で13,200円。
高速料金を考えても成田の方が安い。

最近少なくなったが、たまに出張で羽田を使う。
国内の移動では羽田は圧倒的に便利だ。
個人的には、羽田と成田の棲み分けはできている。
しかし、ここ最近羽田も周辺に安い駐車場が登場している。
6日間で8,700円というのもある。こうなると往復の高速代と時間差で(羽田は車で約1時間で行ける)、羽田の方が便利になる。

大阪では伊丹と関空がこの関係にある。
伊丹は府内であまりにも便利だから、廃止されずに残っている。
もう拡張は難しいだろうが、関空の不便さが際立っているから存在意義も大きい。
羽田はどこまで便利になるのだろう。
たぶん、大騒動の経緯もあり、成田廃止という動きにもなりにくいだろう。
それが羽田がますます便利になっていく事に対するブレーキになるのかもしれない。

お役人の考える事はとバカにするのは簡単だが、やっぱり随分と空しい騒動だったと思う。
東京と大阪のそんな状況を横目に韓国やシンガポールの空港は、アジアのハブ空港として高い地位を築いている。失敗はやむを得ないが、肝心なのはその失敗からいかに立ち直るか、だ。ここで成田を切って、羽田を拡大・拡張して日本の玄関にできたら大したものだと思う。

基本的に未来は過去よりも便利な社会であるべきだろう。
空港についてはそんな未来がくるのだろうか。
まあそんな話を家庭でしようものなら、「羽田でも成田でもいいけど、毎年海外旅行に行きたいわねぇ」という声が聞こえてきそうである。便利になってもまだまだ空港は遠そうな我が家の現実なのである・・・


【本日の読書】
「モンスター」百田尚樹
         
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑨」三田紀房
「ONE PIECE ②」尾田栄一郎
     
     
    

2010年8月25日水曜日

外国人観光客

丸の内勤務のせいもあるが、東京駅周辺ではよく外国人観光客を目にする。
大抵は数人の家族またはグループだ。
東京は鉄道網を始めとして交通機関が発達しているから、どこへ行くにしても便利だとは思うものの、慣れない外国人の方にしてみれば複雑に思えるかもしれない。
それでも地図を見たり、駅員さんなどに訪ねたりして奮闘しているようである。

翻ってみると、日本人はどうも至れり尽くせりが好きなようである。
先月グアムに行った際は、市中に日本人観光客向けのバスが走っていた。
JTBなどで旅行の申し込みをすると無料パスがついてくる。歩くかタクシーしかない現地で、これは貴重な足だった。ハワイでも同じバスが走っていたから、他の観光地にも結構走らせているのかもしれない。

わざわざバスを走らせてしまうというところが凄いところだ。このバスは誰でもお金を払えば乗れるので、他の国の観光客も結構重宝していたようである。

こうした細やかさは日本人らしいと思うのだが、その一方でこういうものに慣れてしまうと、逆に一人で行動する逞しさが奪われるような気もする。ガイドブックだって微に入り際に入りで、現地でうろうろする事もない。それがいいのか悪いのかは難しいところだ。

その昔、マニラに住む友人宅に遊びに行った事がある。
その時、現地を走るジープニーに乗ってみたいと思った。ところがこれが難しい。現地に住む友人でさえ難しいと言っていたから尚更だ。乗り込んで行くだけの度胸がなくて結局乗れずじまい。今でも残念に思う。

私もガイドブック片手に旅するより、現地の人にあれこれ聞いて、自分なりの発見を楽しみたいと思うクチだ。 (→地球の歩き方)

独身時代にシンガポールに行った時は一人で適当にバスに乗って、インド人街で降り、路地裏の小さなレストランに入ってランチを食べた。日本人が来たと言う事でわざわざ店の奥から年とったおじいさんが出てきて話しかけてきた。戦争中の思い出があったのかもしれない。そうした経験は、パックツアーではできない。

外国人観光客の人たちは、みんな自分たちの旅をしている。
もちろん、そこにはきめ細かく世話してくれる旅行会社もないのだろうが、逞しいなと感じてしまう。どこへ行っても英語で物おじせず話しかけるし・・・

細やかなサービスがないから逞しいのか、逞しくないから細やかなサービスが必要なのか。
現地にまでバスを走らせてしまう日本流が良いのか悪いのかはわからない。
外国人観光客の人たちがこの東京でどんな事を経験して、どんな感想を持ったのか、ちょっと聞いてみたい気がする。

そんな事を考えていたら、独身時代のような気ままな旅をまたしてみたいという気になった。
当分は難しいだろうなぁと、遠くを見つめてしまうのである・・・


【本日の読書】
「はとバスをV字回復させた社長の習慣」宮端清次
「モンスター」百田尚樹
    

2010年8月22日日曜日

党首選

民主党の代表選が徐々に話題に上って来ている。
実は今月の初めの事、ある方から小沢さんの動向について話を伺った。
なんでも本人は総理大臣に相当なりたがっているという事だった。
まあ政治家になった以上、しかもあれだけの実力者になればその気持ちは当然なのだろう。
それに総理大臣になると検察の追及を回避できるらしい。
次回の検察側の事情聴取は代表選後に延期したとニュースでやっていたが、総理大臣になればその必要もなくなる。そんな理由もあるのだという。

話を聞きながら、「本当だろうか」と思ったものだ。
ただ、その方も某新聞社の役員経験者だし、それなりのニュースソースもあるようだから満更ガセネタという事もあるまいと思っていた。
そうしたら小沢さんが代表選に出馬しそうな雰囲気になってきた。
「ああ、やっぱり」
というのが感想だ。

しかし、今の時期に総理大臣を代える事が本当に必要だと民主党の人たちは考えているのだろうか。
昨年の衆議院選挙で圧勝して以来、民主党の評価は右肩下がり。
ようやく菅さんに代わって盛り返しかけたところである。
確かに消費税で戻りかけた流れをつかみ損ねた経緯はある。
だが、ここで再び総理大臣を代える事が得策かと言えば、個人的にはそうは思わない。
ましてやそれが、第一次民主党政権の戦犯の一人小沢さんとなれば尚更だ。

小沢さんの疑惑については、事実はともかくとして印象はよくない。
ほとぼりも冷めないうちから出てきたところで、イメージアップにはならないだろう。
今は失った信頼をいかに取り返すかが、民主党の課題のはず。
一致団結して菅総理大臣を盛り立てて、盤石の政権を築くのが第一だと思う。
なのになんでだろう、と疑問に思う。きっとその裏には何らかの思惑があるはずだ。

このまま菅総理の下、一致団結して難局に立ち向かい、見事景気が上向いて国内の状況もよくなれば、民主党の支持率も上がる。当然菅総理の支持率も上がり、民主党内での発言権も強まる。それはすなわち長期政権を意味し、ポスト菅総理の争いも菅総理グループが圧倒的に有利になる。そうした流れを好まない人たちの、出る前に杭を打とうという意向が、そこにはあるのかもしれない。

当然、そこにあるのは国益でもなく、党益でもなく、個人の利益という事になる。
まあ自分が権力の座に就く事ができれば、当然党益にも国益にもなる政策が実現できるという腹積もりが、ひょっとしたらあるのかもしれない。私腹を肥やそうとしているとまでは言わないが、自分が考えた政策を実行し、それで国民の尊敬を勝ち取り、末永く名宰相として歴史に名を残したい、そんな野心なのかもしれない。

およそ政治家になろうというくらいの人は、誰でもそんな野心をもっているものなのだろう。
それが悪いかと言われれば、必ずしもそうではない。
誰が総理になろうとも、我々国民の生活が向上すれば、私としてはそれでいい。

例えば野球で、勝利の要因となった決勝点を入れてヒーローインタビューを受けるのは、難しいボールを選んで出塁し、ホームを踏んだ選手ではなく、ランナーを進めるべく見事な送りバントを決めた選手でもなく、きわどいところでホームに突入の指示を出したベースコーチでもなく、最後にランナーを生還させるヒットを打った選手だ。自分を犠牲にしてチームプレーに徹したとしても、それが日の目を見る可能性は低い。

政治家だって運が必要だ。
いくら自民党の党首だと言っても谷垣さんは総理大臣にはなれない。
小沢さんもかつて党首をしていたし、次の機会に例え党首に返り咲いたとしても、総理大臣になれるかどうかはわからない。ひょっとしたらこれが千載一遇のラストチャンスなのかもしれない。

どう転ぶのか、私としては見ているほかない。
結果的に我々の生活が良くなればそれでいいのだが、そうは言ってもやっぱりプロセスというのもある。なるべくなら信頼できるやり方で結果を出してほしいところだ。
みんなが送りバントを決めた選手を讃えられるようなムードが生まれてきたら、我が国ももう少し良い国になりそうな気がするのだが・・・

やっぱりそれは難しい事なんだろうかとしみじみ思うのである・・・



【本日の読書】
「リング」百田尚樹

2010年8月19日木曜日

関心

毎朝の日課として、パソコンでCNNの英語版ニュース(CNN.com International)を見ている。
日本とは違うニュースが流されていて、ちょっと新鮮だったりする。
ここのところのメイントピックスは、パキスタンの洪水だ。
ずっとトップニュースで扱われている。
日本でも報道はされているが、その扱いとは大きな差がある。

日本人には日本人の関心事というのがあるから、扱いが違うのは当然なのであるが、ふとどれくらいの人がこの洪水のニュースに関心を寄せているのだろうかと考えた。
たぶん、「ふ~ん、大変だなぁ」と一瞬思うくらいだろう。
新聞の扱いも小さいし、まったく感心を示さない人も多いと思う。
しかし、現地では多数の犠牲者も出ていて、さらに水も食料も不足していて、コレラまで出ているというから深刻だ。

話は逸れるが、この水が不足しているというのも不思議な事だ。
大洪水というからにはあたりには水が氾濫するほどあるのである。
もちろん、ここで言われているのは「飲料水」だ。だが他の動物は平気で飲めるわけである。人間だけが「飲料水」でないといけないというのは、なぜなんだろう。
野生の逞しさがもはや人間にはないということなのだろうか。

日本政府はパキスタン政府の要請を受けて、ようやく費用面の援助とヘリの派遣を決めたようである。ちなみにアメリカはヘリによる救助はとっくに始めている。アメリカは親米政権のこのイスラム教国に対してはいろいろな思惑があるから、無理もないところだ。だが、それを割り引いたとしても我が国の対応は遅いなぁと思わずにはいられない。

聞くところによれば、我が国にもこうした他国の災害に対しては、救助隊や医師団を招集して派遣できる態勢はできているらしい。だが災害発生からどのくらいで派遣されるのか、今回はどうなっているのか、日本のニュースを見ていてもさっぱりわからない。

たぶん、マスコミがおざなりにしか報道しないから、国民も関心を持たないのだし、したがって政治家も腰が重くなるのだろう。国民が関心を持って、「政府は何をしているのだ」という声が高まれば、政治家の対応もマスコミの報道も変わってくるのだろう。
ではどうしたら国民が関心を持つのだろうかと言えば、やはりマスコミが積極的に取り上げて報道する事だろう。マスコミが積極的に取り上げるには、やはり国民が関心を持たなければいけない・・・おそるべきジレンマ・・・

自衛隊のヘリが派遣されるようだが、それは災害救助だから当然非武装となるらしい。
だが、パキスタンはタリバンの巣食うアフガニスタンに隣接し、災害救助とは言え外国人憎しのタリバンから思わぬ攻撃も受けるかもしれないとの指摘もある。
パキスタン政府は安全を保証してくれるらしいが、自衛隊なんだから自分たちでやれるのにまったくおかしな国だ。危険があるならそれに備えるのは普通の事だが、なかなかその普通がいけない事のようだ。その話は横道にそれてしまうから、またいずれかの機会に譲りたい。

現地はいまだモンスーンの勢力が衰えず、道路も水没して救援もままならないらしい。
だからのヘリ要請なのであるが、それにしてもパキスタンは核兵器まで保有している軍事大国なのに、自国民を救助するヘリさえ十分にないのだろうか?
それとも日本よりも人口の多い国だから足りないのだろうか。

それにしても、こういう時にこそすぐに駆けつけて援助の手を差し伸べる事が大切なのにと思わざるを得ない。お金を出すよりも、要請される前に救援に向かえば相手の感謝と信頼を得られる事は間違いないのに・・・

かくなる上は、自分としては何ができるだろうかと考えてみたが、やっぱり何も出来そうもない。
せめて関心を持って、明日もCNNのニュースを見る事にしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「リング」百田尚樹
     
    

2010年8月16日月曜日

終戦記念日に思う

8月15日は言わずと知れた終戦記念日。
8月6日以降の一週間、毎年我が国は終戦ムードに包まれる。
昨日はテレビで「玉音放送」全文を流しているのをたまたま見ていた。
感度の悪いラジオで、当時多くの国民が意味がわからなかったらしいが、なるほどどうして無理もない。

『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』

冒頭のこの一文で、要は「ポツダム宣言を受け入れる=降伏する」と言っているわけであるが、聞き取り難さと不慣れな表現、それにポツダム宣言の内容を理解していないとわからないはず。
これを聞いて、当時すぐに意味のわかった人は、なかなかの知識と情報量のあった人なのではないだろうか。

それはともかく、戦争の悲惨さと二度と起こしてはならないという誓いは、繰り返し繰り返し言われ続けている。今年はさらに語り部の数が増え、もうこれで最後と言わんばかりに戦争体験があちこちで語られている。直接経験した世代はいずれいなくなるわけで、その前にこうした証言を一つでも多く知りたいと思うし、残してほしいと思うから良い事だ。

ただ、いつも感じるのは、結果に対する反省だけで、原因追究が極めてあいまいだと言う事だ。
「どうして戦争は起こったの?」
子供にこう聞かれた時、どれくらいの人がきちんと答えられるだろうか?
「悪の日本軍が大陸に侵略して行ったからだよ」とはまさか言わないだろう。
それを言うなら、「なぜ侵略して行ったのか」を説明しないといけない。
「世界支配を目指していた」なんて、旧日本軍をショッカーと一緒にするような回答をする人は共産党や社民党の人ぐらいしかいないと思うが、大丈夫かとちょっと心配になる。

結果には必ず原因がある。
そして結果を回避するためには、原因究明が不可欠である。
それなのに、こと一番大事な戦争については、結果責任だけに着目し、お詫びだけで蓋をしてしまっているように思えてならない。

過去、中学・高校と歴史の授業は受けてきた。
ところが、どうでもいいようなネアンデルタールとか縄文式土器とかの話は熱心にされるものの、肝心な昭和現代史はちょっとしか触れられない。
ましてや、(私の頃は)原因究明なんて皆無であった(まあ世界史を学べば、事実をつなぎ合わせて、頭を働かせれば原因はすぐにわかるのであるが・・・)。

「なぜ」を5回繰り返す改善でトヨタは世界に誇る品質を維持するトヨタ方式を編み出したというが、そのトヨタ方式に習って「なぜ」を繰り返せば原因は見えてくる。
「なぜ、日本は大陸に進出(侵略)していったのか」
そこからスタートして考えてみれば、ある程度の原因はみえてくる。

マスコミも「戦争は悲惨だ」と言えばこの時期はいいんだと思っている。
「二度と繰り返してはいけない」と言っていれば確かに間違いはない。
「ではどうしたらいいのか?」
65年も経つのだから、そろそろそこまで進んでもいい時期だと思うが、どうだろう。

私もビジネス式に「原因究明」と「再発防止対策」について、思いっきり誰かと議論してみたいと思うが、なかなかその機会に恵まれない。
そんなフラストレーションをこの時期いつも抱えているのである・・・

【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
「リング」百田尚樹