2009年9月30日水曜日

現代トイレ考

 さすがに期末となると忙しく、ブログの更新もなおざりとなってしまった。ようやく何とか仕事も終え、期末の打ち上げでほろ酔い気分で帰ってきた。期末恒例の挨拶で某役員が、「ゴールという名のテープの裏側にはスタートという文字が書いてある、明日から頑張って下さい」と言っていた。誠にその通りであり、明日からまた始まりなのである。その繰り返しなのであるなぁと改めて思うのである。
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 我が家の4歳の長男、オムツが外れて一人でトイレに行けるようになった時からちょっと気になっている事がある。我が家のトイレは他の家の多くがそうであるように洋式である。そのトイレで座って小用を足しているのである。

 もちろん最初は立つと微妙に背伸びが必要であり、また上手にできないという事情もあり止むを得ないところはあったのであるが、十分可能になった近頃でも三つ子の魂何とやら、である。男子たるもの座ってするとはいかがなものか、と私は思うのでどうも違和感が大きい。もっともママからすると掃除の都合を考えると誠に都合がいいという事らしい。しかし、掃除の都合で座って要を足すなど本末転倒と強く思う。

 そう憤ってみたものの、世の中を見回してみると、「男性の小用スタイル」に関して、TOTOの2004年の調査では「洋式便器に座って小用」の比率は23.7%だったが、今年5月の調査ではその比率が33.4%に上昇していることが明らかになっている。年代別に見ると、30代で30%、40代で36%、50代で41%と、年代が上がるとともに「座る」率が増えてくる。「尿が飛び散らない」「掃除が楽」「姿勢が楽」などがその理由で、この傾向は年々上昇しているというから驚きだ。

 掃除が楽という事については確かに無視できないものがある。男の立場からすると、掃除するのは大概が奥様であるわけで、人に掃除させておいて好き勝手言うというのはもちろん問題だ。我が家でも奥様が丁寧に掃除をしてくれているわけで、その姿を見るとさすがに自然と感謝の念が湧いてくる。だからせめて自分が使ったあとは軽く拭く程度の事はしなければならないと思っている。

 そうした気持ちが生きるのか、最近はトイレ掃除で業績を伸ばしている会社も多い。イエローハットを始めとして社長が率先してトイレ掃除を行って、それが業績好調の一因だとするところが目に付く。やっぱり人の嫌がる事をする姿は心を打つものがあり、そういう気持ちは我が子にもきちんと教えたいと思う。それはそれとして、やっぱり男は立ってするべきものであり、掃除を理由に座ってさせるのは間違っていると思う。掃除の事を考えるのであれば、使った後に拭くよう指導すべきだと思うのである。

 思い返してみれば私の子供の頃は和式が主流であったからこういう心配はなかった。水洗などない時代で、覗き込むと落ちそうな感じからなるべく跨ぎたくないという気持ちが強く、自然と立ってするのが当たり前であった。田舎に行った時などはトイレが離れたところにあり、特に夜などは一人では絶対に行けなかったものである。そう考えると洋式は良いのか悪いのか。

 そんな事を酔った頭で考えた次第である・・・
 

【本日の読書】
「ブラック・スワン上」ナシーム・ニコラス・タレブ
「裏ビジネス 闇の錬金術」鈴木晃
   
   

2009年9月27日日曜日

男の子にとって大切な事

 シルバーウィークが明けてすぐの事、幼稚園に通う長男が何やら顔に引っ掻き傷を作って帰ってきた。何でも友達に引っかかれたとの事。幼稚園の先生に聞いたところ、喧嘩の原因は不明らしい。相手の子は理由を聞いても答えない(まあそういうもんだろう)。長男はと言えば原因を聞いても首をかしげている。正直わからないらしい。

 おそらく、であるが長男の何かの言動が相手の気に触ったという事なのだろう。長男はそれが相手の気に触るなどとは想像もしていなかったのだと思う。だから相手が怒って掴みかかってきても、びっくりするだけだったのだろう。そういう事だとすれば、その気持ちはよくわかる。

 私も突然妻が不機嫌になる事があり、それがどうやら私の言った何気ない一言が原因だったりする事があるからである。どこをどう解釈したらそんなひねくれた解釈ができるのかといつも不思議でならない。コミュニケーションは難しいのである。 

 さて、そんな長男であるが、やられた後にやり返さなかったらしい。「偉いんだよね」とママに褒められていたが、私としてはどうも素直に褒める気になれない。「やり返さなかった」のなら偉いと思うが、「やり返せなかった」のなら話は別だ。たかだか4歳で理性を働かせて「やり返さなかった」という事はないだろうから、「やり返せなかった」のではないかと思ってしまう。そうだとすれば問題だ。

 何故なら女の子ならまだしも、男の子であればこういう場合はやり返さないといけない。「やり返せない」という事は「恐れ」の裏返しであり、要は怖くて出来なかったに他ならない。そういう恐怖は克服していかなければならない。かく言う私も中学生までは「やり返せない」タイプであった。つっぱりグループとは目を合わせないように逃げていた方だ。それを克服するのに随分と時間がかかった。

 何も暴力を礼賛するわけではない。そうした恐怖心を抱えていると、それがその他の物事に対しても現れてしまうと思うからだ。いざという時に勇気を持って意見を言ったり何かをしたりする時に、躊躇する気持ちを乗り越えるのに必要だと思うからだ。これからいろいろな事が起こるに違いない。時として殴りあいになったとしても怯まず向っていけるか、は男の子にとって重要なファクターであると思う。

 今回はどうやら思いもかけない相手の反応にびっくりして反撃の機会がなかったという事みたいだ。「やり返せなかった」と断じるのは早そうだ。いずれ「やり返さない」大切さも学んでほしいと思うが、まずは「やり返す」大切さだろう。「やり返さない」対応は、パパがママの理不尽な振る舞いに我慢している姿からいくらでも学べる。ただこれからしばらくの間、大きくなって理性によるコントロールを学ぶまでは、「やり返せる」男であるかどうかはきちんとみてあげたいと思う。

 男の子はしっかりと鍛えたいと父親として思うのである・・・
 

【昨日の読書】
「ブラック・スワン(上)不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ
     

2009年9月25日金曜日

ブラック・ジャック

 
「古和医院」より

 娘が何やら熱心に読んでいると思って見てみたら、読んでいたのは「ブラック・ジャック」だった。娘も漫画を読むようになったのか、とちょっと嬉しく思う。読んでいたのはダイジェスト版のようなやつだった。ほとんど読んだ事のある話だったから、私の「読書経験」も大したものかもしれない。

 ところがどのお話が良かったかと訪ねたところ、ストーリーとは関係のない部分のギャグシーンを上げてきたのでがっかりした。そんなところにしか興味がいかないのか、と。そこでブラック・ジャックをテーマに話をした。

「無免許医って何だかわかるか?」
「どうして無免許だと悪いのか?」
「免許があることと人の命を救うこととどっちが大事?」
そうしてあらためて気がついたが、この漫画は実に奥が深い。

 ついでに読んで印象に残った「古和医院」というお話。ある山村を走るバスの中でブラックジャックはバセドー氏病の少女を見かける。気になって途中下車すると地元の古和医院へと入っていく。古和医師が治療するが症状がひどくなる。ブラックジャックの助言で古和医師は少女を手術し事なきを得る。

 ブラックジャックは古和医師との会話から、医師が無免許である事を見抜く。必死にその事実を隠そうとする古和医師にブラックジャックは敬意を表する。長年医者のいない山村で診療にあたり人々に尊敬されるあなたは立派だ、と。一年後、ブラックジャックは某医大で古和医師に再会する。古和医師は50歳を過ぎてあらためて医師になるべく勉強をしていたのである。

 ここで終わるのであるが、実に深いストーリーだ。何が正しくて、何が悪いのか、その問い掛けは簡単には打ち返せない重いボールだ。無免許の医療行為は確かに悪だが、無医村の村で医療行為を行い、地元民に愛されてきた古和医師は、果たして犯罪者なのか。また、そんな無免許での限界を感じてあらためて勉強しなおす事にしたその心意気。

 たぶん、晴れて免許を取ったら元の山村に戻るのだろう。無免許だからこそバレない山奥にいたのだろうが、そのままごまかすつもりなら免許など取ろうとは思わなかったはずだ。それに免許を取ったからといって都会で儲けようとも思わないはずだ。高額報酬を取るブラックジャックもわざわざ途中下車するところをみると、やっぱり病に苦しむ人が気になるのだ。悪役を演じながらも悪役になりきれない男の姿である。本を閉じた後もそんなところまで想像させてくれる。

 娘にはそこまで読み取るのはまだ難しそうだ。だが、一つ一つのストーリーを一緒に読んで感想を話すのはいい経験になるだろう。そうして感受性を磨いていってほしいと思う。他にも珠玉のストーリーがいくつもあった。たかが漫画とバカにする者はそこから得られる果実の甘みに気づく事はない。本も大事であるが、漫画だって同じくらい役に立つのである。

 子どもたちにそんな「漫画の効能」を語ってあげられたなら、かつて漫画少年として過ごした日々を役立てることができるなと思うのである・・・

【本日の読書】
「心眼力」野口嘉則
「裏ビジネス闇の錬金術」鈴木晃
   

     

2009年9月23日水曜日

ワンストップレジャー

「暑さ寒さも彼岸まで」
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秋の味覚狩りとしてぶどう狩りに行ってきた。行ったのは秩父にある小松沢レジャー農園。2年前に初めて行き、今回は2回目である。

 ここは「レジャー農園」という名の通りのところである。主目的はぶどう狩りであったが、時期によってはイチゴ狩りもできる。またそれ以外にも「マスつかみ」「マス釣り」「しいたけ狩り」「そば打ち」「芋ほり」といろいろなメニューが揃っている。お客さんはその中から適当にチョイスしてもいいし、セットで楽しむ事もできる。まさに「レジャー農園」である。

 味覚狩りの最大の欠点は、なんといっても「時間」である。食べ放題といっても制限時間があるし、なくても食べられる量には限りがある。いきおい午前中で終わってしまうのが普通であり、それが難点である。残りの時間をどう過ごすか、親としては悩ましい。

 その点、この小松沢レジャー農園ではその他の楽しみがある。実際我が家もぶどうで満腹になったあとはそば打ちをした。そば粉を練って伸ばして切ってという作業は子供たちには新鮮な「遊び」であったようで嬉々としてやっていた。昼食はもちろんそのそばである。

 マスつかみでは川の一部を囲った中でマスを放してそれを追いかける。始めはマスの素早い泳ぎについていけない子供たちも30分も格闘するうちになんとか捕まえるのに成功する。それをすぐに塩焼きにして食べられる。全部終わると夕方のちょうどいい帰り時間。
一日過ごせるので親としてもありがたい。

 そういえばラウンドワンというレジャー施設が今あちこちにできている。ボーリング場を主としてバッテイングセンターやゲームセンターなどいろいろな施設が併設された施設である。ここもあれこれと盛りだくさんなメニューが受けているようである。

 ショッピングでも一箇所でいろいろ買い揃えられる「ワンストップショッピング」がもてはやされているが、レジャーでもこうした「ワンストップ」機能は確かに便利である。農家という非常に利幅の薄い商売もこうして組み合わせて、観光客を引き止められればそれなりに利益も確保できるのではないだろうか。商売は何でもアイディアと工夫次第だとやっぱり思うのである・・・

 
     
     

2009年9月21日月曜日

敬老の日

 本日は敬老の日。毎年恒例である義理の祖母との食事会があった。私の祖父母はすでにみな他界しており、義理の祖母二人が残っている。子供たちからすると曾婆さんとなるわけである。私には経験がないが、曾婆さんという存在が子供たちにどう映っているのかは興味深いところである。御年87才、多少の衰えはあるがまだまだ元気である。

 私自身にとっては一番最後に89歳でなくなった祖父が一番印象深い。二十歳を過ぎて、「祖父」という存在の貴重さに気付いていたし、昔話に興味を持ってもいた。
独身の気楽さから、晩年にはよく長野県は八ヶ岳の麓に住む祖父を一人で訪ねて行ったものである。そこで祖父と二人酒を飲みながらいろいろな話を聞いたのは良い思い出である。

 祖父はあの時代の多くの人がそうであるように、徴兵検査を受けて陸軍に入隊した。そして大正15年と昭和17年に召集されて、それぞれ朝鮮半島と中国に出征している。軍隊生活をこよなく愛し、私にも「軍隊は良かった」と語ってくれた。おそらく召集されても直接最前線で戦火を交える事もなく、2度目の応召の時は途中で病に倒れ傷病兵として除隊したがゆえに、過酷な経験をせずに済んだのもその理由なのだろう。

 世に悪名高い日本陸軍ではあるが、良い部分だけを経験できたのが大きかったのではないだろうか。戦後の自虐教育からくる一般の認識からすると、「軍隊は良かった」などという発言は、どこかの党首などに聞かれたらとんでもない人間と見なされてしまうだろう。だが、どんな組織であれ、長所短所はあるわけで、特に日本陸軍のように諸悪の根源としか思われていない組織の良さを語ってくれたのは私にとって祖父ただ一人であった。

 そんな祖父が、ご飯を食べる時にいつも使っていたのは銀色の不恰好な箸であった。だがそれは実は軍隊で支給され使っていた箸で、本当は除隊の時に返さないといけないのだが、軍隊に愛着のあった祖父はこっそりと持ち帰り、以来ずっと使い続けてきたそうである。それに軍隊手帳。達筆な筆で書き込まれた小さな軍隊手帳には、折々の天皇陛下の勅語があり、上記2回以外にも短期訓練等に参加した記録が記載されている。軍人としての心得などが書かれ、人々の範となるべき軍人の有り様が説かれる。子供たちが憧れた「兵隊さん」の姿がそこからは伺える。

 何度もせがんで話を聞かせてもらったせいか、祖父は死ぬ前にその二つをそっと私に譲ってくれた。教科書からも誰からも学ぶ事のできない生きた歴史の証である。また、義理の祖父はインパール作戦の生き残りであったそうだ。妻と結婚した時には既に故人となっており、会う事もなく苦労話を聞くこともできなかったのはとても残念だ。

 我が家の子供たちはまだまだ無邪気だ。生きた歴史の証人を前にしてもそのありがたみを感じられる年齢にはない。だがもう少し大きくなったら、曾婆さんは無理としてもせめて4人の祖父母からいろいろな話を聞いてもらいたいと思う。それまで両親には元気でいてもらいたいし、そういう交流の機会を親として作っていきたいとも思う。

 曾婆さんは昼間のデイケアでも美味しいものをもらえたと喜んでいた。食いしん坊の我が妻の元祖なだけに食い気だけは衰えていない。年に数回は敬老の日にしてほしいとのたまう姿は微笑ましいものだ。まだまだ元気でいてほしいと願いつつ帰路に着いたのである・・・



      

2009年9月19日土曜日

応援団長

 連休初日は家族にお休み宣言、ゆっくりと寝坊し髪を切りに行った。そこで担当の美容師さんに今日は近くの中学校の運動会だと聞いた。これまで近所でありながらまったく知らなかったのであるが、運動会がけっこう盛んらしい。そして応援団が一つの目玉らしい。

 そんな話を聞くと、やっぱり運動会が盛んであった我が出身高校を思い出す。やっぱりいわゆる「応援団」があって団長やその補佐らのグループが一種のステータスとなっていた。みんなそれなりに思いのある者は心密かに「応援団入り」を目指していたと思う。

 残念ながら、我々がその地位を占めるはずであった3年次の運動会は校舎改築の影響で中止となってしまった。しかし、もしやっていたら・・・
たぶん私は栄えある「応援団」の一員にはなっていなかっただろう。例えみんなに推薦されたとしても、だ。へそ曲がりでワンマンショーをやりたがる性格は当時すっかり確立されていたから、そういう注目ポジションは敢えて避けていたからだ。でも運動会はやりたかったなぁ・・・

 そんな事を思い出しながら話を聞いていた。応援団は全部で6クラス分、つまり6人の応援団長がいるらしい。ところが今年はその一人が女の子だという。「へぇぇ~」と思わず感心してしまった。

 女の子が積極的にあちこちに進出する昨今、別に珍しくもなさそうな気もするが、それでも応援団長はちょっと違う気がする。これが小学生なら別に不思議ではないし、娘の小学校の運動会でも紅白の応援団長の一人は女の子だった。しかし思春期ともなると女の子は応援団長などという勇ましいポジションに対しては一歩引く気がするし、何より男の子が黙って引っ込んではいないと思うのだ。どんな子なのだろうととっても興味が湧いたし、どういう経緯で決まったのかも興味深い。

 もともと我が国は卑弥呼の歴史もあるし、女性がリーダーとなっても何ら不思議ではない。だがやっぱりスポーツなどで、特に男女の体力格差がもろに響くような競技ではさすがに難しいだろう。応援団長は体力格差は関係ないが、やっぱり微妙なところだ。

 ちなみに応援団長をやると相当モテルらしい。我が母校もそうだったように思う。一つ年上のある応援団長は、中学が一緒だったのであるが、これが男の目から見ても実にカッコ良かった。整った顔立ちで運動神経もよく、中学でもかなりまぶしい存在であった。今ではすっかりおっさんになってしまったが・・・

 かの女の子の場合もそうなのであろうか。その勇ましい姿に自分を引っ張ってくれるような気がして、男の子が殺到するのだろうか?それもちょっとなぁと思う。

 そんなことをあれこれと思った連休初日である・・・


【本日の読書】
なし
    
   

2009年9月18日金曜日

迷惑メール

 ネットやメールはもうすっかり生活の一部である。PCを立ち上げない日と娘がママに怒られない日はほとんどないといって間違いない。メールソフトを立ち上げるとかなりの数のメールが入ってくる。大半はコマーシャルメールである。楽天系が大半を占めているが、やっぱりネット企業だけあって宣伝もすごいものである。

 それはそれでたまに役立つのでいいのであるが、いただけないのは「アダルト系」か「お金貸します」系だ。これらは万に一つも見る価値はなく、削除する手間も惜しいのでメールソフトについている「迷惑メール」機能でもって自動的に削除している。

 この手のメールもよく考えている。同じアドレスだと簡単にシャットアウトできるからいつもアドレスは異なっている。だから「迷惑メール」機能も「件名」か「差出人」に特定用語が入っていたら削除するようにしている。最初はS○Xとか露骨なものであったが、敵もさる者、段々とその手の露骨な単語は減ってきた。

 そこで一定量を溜めておいて、その傾向を掴み共通する単語を特定する事にした。その結果、「ティーン」とか「素人」とか「すぐ会える」などというものをはじくようにしている。すると今度は「先日の件ですが・・・」というものまで現れる始末。「差出人」も「鈴木」とか「高橋」となっているともう止めようがない。下手するときちんとしたメールまではじいてしまうからだ。ここまで来ると大したものだと感心してしまう。

 そもそも何でこうしたジャンクメールが来るかがよくわからない。資料請求したりした時に登録したメールアドレスが漏れたりするのかもしれない。ちなみに怪しげなサイトにアドレスを登録するほど私は抜けていない。これは断言できる。そうした場合は、フリーアドレスでどうでもいいアドレスを取得して使うか、あるいは10分間だけ有効なアドレスを取得できるサービスを利用しているからだ!
「10 Minutes Mail 」

 究極的にはアドレスを変えるしかないのかもしれない。もっとも家のポストにだって毎日のようにチラシが投げ込まれるし、それらは大概ゴミになるだけなのだが防ぎようはない。まあ今の状況であれば、かなりのジャンクメールをカットできているからいいのであるが、恐ろしいのはPCを買い換えた時だろう。それまでの削除機能がリセットされるから、大量のジャンクメールが押し寄せてくるのかもしれない。その時はその時でまた対応するしかないのだろうなと、将来に問題を先送りにするのである・・・

【本日の読書】
「ああ監督」野村克也
「重力ピエロ」伊坂幸太郎

     

2009年9月15日火曜日

リーダー

 ここのところ毎年8月の終わりから半年間、社会人向けの講座に主催者の一員として参加している。今年4期目となるが、その第1回講座が開講した。月に一回、テーマごとに講師を向え、そのテーマについてディスカッションをするのである。受講生は30~40代の社会人。自分で会社を経営していたり、サラリーマンだったりといろいろである。準備もそれなりに大変であるが、刺激もあるので良い機会だと思っている。

 初回の今回は「リーダーシップ論」。古今東西のリーダーの姿や学者の意見などから、あるべきリーダー像を論じる、というものである。普段こんな議論など真面目にする事もないのでいい経験ではある。

 さてみんなの真面目な議論を聞いていてふと考えた。「自分はリーダーたりえるのだろうか」と。結論としては、「否」であった。別に謙遜しているわけではない。ただ、「リーダーになりたいか」と問われれば、「否」と答えるのみである。積極的にやりたいとも思わないし、それゆえにリーダーたりえるとも思えないのである。

 過去には、例えば高校時代にはラグビー部のキャプテンをしていたり、その後大学時代もキャプテンの出ない練習試合などではゲーム・キャプテンを務めたり、仕事なんかでも否応なしにリーダーとなったりした事はあるし、たぶんやればそれなりにこなせるとは思う。ただ、そうしたいとは思わないのである。かといって大勢のフォロワーに埋没するのも嫌だし、独自の世界を作って一人楽しむ事に居心地の良さを感じるのである。

 リーダーに必要な要件は?「影響力」、「人間力」、「結果を出す力」・・・そんな議論が続く。確かに集団を纏め上げていくのにはそんなものが必要になるだろう。いつもどこかで楽をしたいと考えてしまう私にとって、そんなエネルギーを要求されるのはたまらないと考えてしまう。

 世の中にはそんなリーダーに進んでなりたいと思う人もいる。そういう役割が苦にならないのだろう。それはそれで素晴らしい事だ。だが私にはあわないなと思うのである。主催者側であるのにそんな事を思いながらみんなの議論を聞いていた。

 こればっかりは性格だからしょうがないだろうと思うのである・・・


【本日の読書】
「野村主義」野村克也
「重力ピエロ」伊坂幸太郎

     
    

2009年9月14日月曜日

祭りにて

 薄着となる夏。我々男性の目は女性に向きがちだが、英眼鏡店チェーンが英国人の男女3千人を対象に行った調査によると、男性は1日に43分、約10人の女性を眺めているそうである・・・

 日本人はどうなのだろうか?女性ばかりではないが、年齢層の高い職場にいるとちょっと寂しい気がするこの日この頃である・・・
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 先週末は実家に行き、近所の秋祭りに参加してきた。毎年の恒例行事である。子供たちは山車をひっぱり、途中でアイスやジュースをもらい、最後にお菓子をもらう。お祭りを楽しむというより「お菓子をもらえる」事の方が嬉しいようである。

 山車を引っ張るのはせいぜいが小学校の低学年児まで。大きくなると関心は御輿に移る。私にも経験がある。学校帰りに御輿に手ぬぐいを巻きつけて「予約」して、担いだものである。ちょうど子供用の御輿もあって子供たちが何だかみんな得意そうな顔をして担いでいた。

 ふと気がつくと随分と女の子が混じっている。私たちの頃は御輿を担ごうなんて女の子はいなかったと思う。これも時代なのだろう。大人用も言わずもがなであるし、隣の町会の御輿は女性ばかりで、一瞬レディースかと思ったらおっちゃんがちらほら混じっていたから、ひょっとしたら人手不足なのかもしれない。実家の近所のおばちゃんに、「来年は担ぎなよ」と誘われたが、そんな情熱はもうない。

 そういえば関東は御輿文化であり、お祭りといえば「御輿」であるが、関西では「だんじり」文化。山車のようなものらしいが、これを引っ張りまわして「粋」を競うらしいのである。関西人の妻が御輿に熱中する人達を不思議そうに眺めていて、気がついた東西文化の相違である。

 どっちがいいと言う気はないが、やっぱり見慣れた御輿の方に親近感は感じる。と言っても担ぎたいとは思わない。どちらかと言えば夜店を見ている方が好きである。これも恒例であるが、戸越神社の境内の夜店に家族で出かけた。子供たちは金魚すくいや射的などを楽しんでいたが、私はと言えば何をするでもなく、言ってみれば雰囲気を楽しむのが好きなタチである。

 子供の頃は何だか夜子供たちだけで外出できるのがちょっとワクワクして、友達と連れ立って見て回ったものである。小遣い握り締めてあれこれと楽しんだ気がする。ひよこを買ってきてしばらく飼っていた事もある(けっこう大きくなったのだが、近所のネコの餌になってしまった)。

 普段は静かな町並みであるが、近所の人達もみんな出てきて全体的に高揚感が漂う。こうしたお祭りというものは近所の人達を結びつける良い機会のような気もする。我が家の近所でも秋祭りはあるが、こんな盛り上がりは見られない。きっと歴史が浅く、古くからの人達が少ないから積極的に祭りに参加しようという意識が薄いのかもしれない。お神輿もないみたいだし・・・だからよけい実家の祭りには毎年参加しているのだ。

 いつか子供も大きくなったら一緒に行かなくなるかもしれない。そうしたらどうするだろう。でもあの笛や太鼓の音色が響き、夜店の賑わいが恋しくなって一人で出かけてくるかもしれない。武蔵小山商店街も飲食店が増えたし、食いしん坊の妻はそれで誘い出せるだろう。年に一回の事だし、いつまでも楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「野村主義」野村克也
「重力ピエロ」伊坂幸太郎
    
 

2009年9月11日金曜日

同期の彼に会った・・・

イスラム教と言えばアラブ世界(中東)の宗教というイメージがあるが、実際にはインドネシアが約1億9千万人という最大のイスラム教徒を抱え、次いでパキスタンの1億4千数百万人、中国の約1億4千万人、インドの約1億2千万人の順となっている。マホメットもきっとびっくりしているかもしれない・・・・
今日はあの9.11。もう8年もたったのだ・・・  
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丸の内の街中でばったりと同期に会った。
お互いにびっくりして、そしてがっちりと握手した。
実に10数年ぶりの再会だった。

彼は同じ銀行に入った同期でもあるが、やっぱりラグビーをやっていて、同じ銀行のラグビー部でずっと一緒にプレーした仲だ。
だから同じ同期でも親密感はずっと強い。

突然で驚いたが、驚いたのはそればかりではない。
ちょっと日焼けした肌、Yシャツの上からでもわかる締まったボディ、さわやかな笑顔・・・
とても40代中盤には見えない。
特別にトレーニングはしていない、と語っていたが、私との肉体的な違いは明らかだった。
軽いジェラシーを感じた。

実は彼には昔からジェラシーを感じている。
同じラグビー部とはいっても彼は天下のW大ラグビー部で一本目(要は一軍のこと)だった選手だ。
全国から選手が集まり、7~8本目くらいまでチームがあるところでトップだった男だ。
かたやこちらはラグビー2流大学(それでも3流ではないのだ!)。
はっきりいって格が違う。

ちなみに3年の時、彼のいるW大学と一度だけ試合をしてもらった(「もらった」というところがいじらしいだろう)。
お互い1本目同士のガチンコの試合だ。
気合が入ったが、結果は0-114の記録的大敗。
生涯唯一の「有料試合」だった。

そんな彼と一緒にプレーするのは誇らしかった。
しかし、一方で一生懸命背伸びしていた。
何せポジションは違うとはいえ、彼は一流プレーヤーたちと試合をしてきたのだ。
仲間も一流だった。
そんな彼の「仲間」から比べれば、私は見劣りするはずだ。
だから、見劣りしないように必死だった。
テクニックでは劣っても、ハートでは負けないつもりだった・・・

そんなあの頃、一生懸命彼と肩を並べようとしていた。
顎を上げて胸を張っていた。
今はどうだろう。
彼と再会した時に、彼の変わらぬエネルギーに、いつの間にか背中を丸めていた自分を感じた。
目の前の日常生活の諸々に、いつの間にかうな垂れていたのではないか。
そんな風に感じた。

いつのまにか心のどこかで「もう若くないから」というセリフが飛び交っていたようだ。
まだまだ笛は鳴っていない。
膝に手をついて、下を向いてゼイゼイ言っている場合ではない。
顔を上げて、目の前の敵をなぎ倒してゴールに向わないといけない。
例え彼を抜く事はできなくても、常に横に並んでいられるようしたい、あの頃のように。

わずか5分程度の短い会話のあと、再び握手して分かれた。
力強い握手だった。
今度会った時にはもっと力強い握手をしたいな。
そんな事を思わせられる彼との刺激的な再会だった。

家に帰ってさっそく腕立て伏せを始めた・・・


【本日の読書】
「リーダー・パワー」ジョセフ・S・ナイ(終)
「重力ピエロ」伊坂幸太郎
    
    

2009年9月10日木曜日

味覚の秋

日中外に出てもめっきり日差しに力強さがなくなってきた。
多少汗ばむ事はあったとしても、朝晩は涼しいし、季節は完全に秋だ。
そういえばこの夏はよく蝉を見かけた。
今日も電信柱に止まって泣いているのを見かけた。
季節は秋になってしまったのに、出遅れて焦って鳴いているのだろうか、などと想像してしまった。

毎朝食べる幸水もそろそろ豊水へと変わる頃であろうか。
我が国では豊水は幸水の次に生産量が多いそうである。
幸水ほどではないが、同じ梨だから豊水もそれなりに好きである。
すっかりと味覚の秋、食欲の秋である。

果物ばかりではない。この時期食卓にサンマが出ると思わず幸せな気分になる。そんな私は大のサンマ好き。相変わらず庶民の味覚代表である。サンマはやっぱり塩焼きが一番である。大根おろしを加えて醤油をかけて、ご飯とともに食べるサンマの味は、もう何とも表現のしようがない。日本人で良かったとつくづく思う。

そんなサンマでも結構当たりはずれがあると聞く。
だがいつもサンマを見るとパブロフの犬の如く喜んでいるからか(たぶん尻尾があったら振っていると思う)、はずれたという記憶があんまりない。
いろいろと見分け方を聞いたりするが、自分で買うわけではないのであまり興味はない。
そうか、いつもおいしそうなものを選んでもらっているのか。
そう思うと色気よりも食い気の奥様には感謝しないといけない。

ちなみにサンマの尻尾を持って頭を下にして持った時にピンと立つ方が鮮度が高いらしい。
秋の刀と言われる所以であろうか。
この秋何匹食べられるだろうか。

そういえば昨日ビートルズのオリジナルアルバムのリマスター版が発売された。
いまだ熱狂的に買い求める人が多いようである。
いくつか買おうかなと思っている。
この秋も季節を存分に楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「リーダー・パワー」ジョセフ・S・ナイ
「重力ピエロ」伊坂幸太郎
    

2009年9月8日火曜日

クラブ活動

同僚のご子息は来年高校進学を控えた受験生。この夏は一生懸命勉強するのかと思いきや、遊んでいるようなところばかりが目に付いたと同僚氏はぼやいていた。受かる前に早くも何のクラブをやるかなんて話をしているらしい。気楽な第三者的な立場からすれば、余裕の証拠にも思えるし、不安な時期に前向きでいいじゃないかと思う。受験は大変だが、高校生活は楽しいだろうからこれからの人は羨ましくもある。

さて入学後のクラブ活動といえば私も思い出す。
運動部に入ろうとは思っていたが、あれかこれかで悩んだものである。
筆頭は以前も書いた通り野球。
続いて中学で部活動に参加していたバスケット。
単純に足が速かったから陸上。
比較的得意だったから水泳。

どれもいいのだが、どれもネックがあった。
野球は坊主頭。
バスケットは身長。
陸上は何より単調だし、水泳は夏は良いけど冬はね、といった具合だ。

バスケットについてはけっこう悩んだ。ジャンプ力には当時から自信があった。たぶん学年でもベスト5には入っていたと思う(根拠はまったくない)。ただバスケットは高さが命だ。同じジャンプ力でも身長差があれば負けてしまう。174cmはバスケットにはちょっと小さい。

競争するなら同じラインから始めたいと思った。中学ではバスケットは2年から始めたので、レギュラーにはなれなかった。素人にとって1年の差は大きいのだ。身長差はタイミングと更なるジャンプ力でカバーすればいいじゃないかという考え方もある。だが、初めから身長差というハンディを負ってその差に追いつく努力よりも、同じスタートラインから始めて引き離す努力の方がいい。

結局、野球もバスケットも陸上や水泳も、どれもが決定打に欠け、どれにも決めかねていた。そしてそんな時、新入生を対象としたクラブ紹介があったのである。見ると顔見知りの先輩が壇上に上って話し始めた。
「みなさん、ラグビーは紳士のスポーツって知っていますか?」
あんまりみんながやりそうもないし、面白いかもしれない。新しい世界の扉の前に立った瞬間であった。

さて同僚氏の子息をはじめとして、来年新しく学校へ入る人達はどんな選択をするのだろうか。いいなぁ、と思うようになってしまった私である・・・


【本日の読書】
「世界は感情で動く」マッテオ・モッテルリーニ
「聖女の救済」東野圭吾(終)

    

2009年9月5日土曜日

文化の違い

ランチタイムの社員食堂。
食べ終わると各自で食器を片付ける。
決められた場所には並ぶ順路が床に表示されていて、みんなきちんと並んで片付ける。
同僚がぽつりと呟く、「日本人はきちんと並びますよね・・・」。

かつて中国に赴任していたその同僚が語ってくれた中国人の姿は、現地ならではで興味深かった。中国人はまずきちんと列に並ばないそうである。マクドナルドなんかでも我も我もと押しかけ、受け付ける方も声のでかい人から注文を聞くらしい。私なんか、なかなか注文できそうもない。

かつてどこかのデパートが現地スタッフの忠告を無視して、トイレを誰でも使えるように開放したところ、あっという間に近所の人達が殺到し、トイレは故障しトイレットペーパーは根こそぎ持っていかれたという話を聞いたことがある。同僚に話したところ、「そんなのは当たり前」と語尾を強めた。彼も中国赴任中はトイレにバナナの皮を流され、もともと作りが悪いこともあって故障して大変だったと語ってくれた。それは女子トイレの話である。

ボーナス時には必ずひと騒動。みんなで比べあうから、必ず「何で私が○○より△元少ないのだ!」と半狂乱になって詰め寄られるらしい。隣の席の者が忙しくて髪の毛を振り乱して仕事していても、暇な隣人は自分の仕事ではないからと言って手伝おうともしない。朝からにんにく臭をたぎらせている。「かぁ~っ、ぺっ!」と勢いよく痰を吐く。
みんな女性の話である。

会社でシャワーに行く習慣のある中国では、仕事が終わったあとにすればいいものをわざわざランチタイムに行く。湯上りで髪も濡れたまますっぴんで窓口に平気で座る・・・

文化の違いと言えばそれまでなのだろうが、我々日本人にはなかなか受け入れにくいところがある。道端でまたを広げて座り込んでいる女子高生など実は可愛いものなのかもしれない。しかし、中国通のその同僚に言わせれば、仕方がないのだという。何せ13億という人口(しかも戸籍がない人達もかなりいるから実際には14~15億人と囁かれているらしい)。人が多すぎて、他人を押しよけないと生きていけないのだと言う。

確かにそうなのかもしれない。自分たちの尺度で相手を図る事は適切ではないのだろう。我々自身、中国に生まれていたら間違いなくそんな一人になっていたはずである。今はアメリカと並んでG2と言われるようになった中国。富裕層は日本人よりも多いらしい。そんな中国でも庶民レベルではまだまだ日本が憧れの社会だとの話も聞く。

我々の社会は、いろいろと批判されてはいてもまだまだ幸せな社会である。この国に生まれた幸福をもっと味わってもいいのではないかと思う。もちろん、更なる幸せを求める事は悪い事ではない。だが「もっともっと」と言う前に、足元をもう少し見つめてみる必要があると思う。少なくとも世をはかなんで自殺しなければならないほどではない。年間30,000人を越える自殺者の人達には見えない幸福に、もっとみんなが気付くべきだと思うのである・・・


【本日の読書】
「聖女の救済」 東野圭吾

     

2009年9月2日水曜日

究極の果物

 
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 
  風の音にぞ 驚かれぬる
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 何だか9月に入ったらすっかりと秋の空気だ。これからまだ残暑はあるのだろうが、今年は今ひとつパンチ力のない夏であった。来年はもっと暑くなってもらって、そして夏休みには海外なんぞに行きたいと思う。

 まだ秋といってもそれはそれでピンと来ないところはあるのだが、唯一秋を感じる時がある。それは「幸水」を食べる時だ。子供の頃、一番好きな果物はと問われると、迷う間もなく「スイカ!」と答えていた。実際、大好きで夏は何よりスイカを食べるのが楽しみであった。「カブト虫にあげるため」と言いながらスイカを食べては、カブト虫が食べるところが残らないくらい食べつくして親に呆れられた事もあった。今でももちろんスイカは好きであるが、いつの間にかその不動の地位を「幸水」に譲っている。

 「幸水」とは梨の事であることは言わずもがななのであるが、同じ梨でもいろいろあって、その中でも他でもない、「幸水」なのである。毎朝これを食べているが、本当に至福の一時である。つくづく、自分は何て庶民なんだろうと実感してしまう。

 梨は古来から「百果の宗」と呼ばれ、「大小便を利し、熱を去り、渇を止め、痰を開き、酒毒を解す」とされ、漢方薬などにも広く利用されてきた果実である。また、有機酸やビタミン、ミネラル類などをバランスよく含んでいるため、夏バテ時の食欲増進や疲労回復にも効果があると言われている。つまり体に良いのである。尚、「梨尻柿頭」とのことわざは、梨は軸と反対の尻の部分が味が良く、皮の近くが最も甘くなっているという意味であるが、「どこを食べてもうまい」というのが私の意見である。

 フルーツ狩りによく行く我が家であるが、残念ながら梨狩りには行かない。何故なら食べ放題と言っても梨の場合はすぐに限界が来るからだ。だから「いちご」「さくらんぼ」「桃」「ふどう」「みかん」と続くフルーツ狩りシリーズに梨が入る事はない。残念だが致し方ない。

 「幸水」はやがて「豊水」へと変わる。その寂寥感といったらたまらない。「究極のメニュー」のデザートには是非とも「幸水」を加えたいと思っている。一日一日と経つごとに「幸水」の季節は終わり行く。毎朝のそのささやかな至福の一時を焦らず楽しみたいものである。

 「幸水」が終わる頃には「味覚の秋」も本格化。その他の味覚を今年も存分に楽しみたいものである・・・


【本日の読書】
「世界は感情で動く」マッテオ・モッテルリーニ
「聖女の救済」東野圭吾