2014年2月23日日曜日

嗚呼、近眼

小学校2年の息子がメガネをかける事になった。
中学1年の娘は既にメガネをかけて久しい。
両親ともメガネとコンタクトは手放せない状態だから、子供たちには、と考えていただけに、ちょっとショックを受けている。 

思えば自分の目が悪くなったのは、大学受験の時からだ。
その前に小学校の頃、一度視力が落ちた事がある。
その時は、何となく自然に回復。
6年生の頃は、1.2とか1.5くらいあったと思う。 

その後、気にする事もなく過ごしていたが、やはり受験勉強で一気に視力が落ちてしまった。
特に浪人中は、自宅に籠って一日10時間のノルマを自分に課して机に向かっていた。
その成果もあって、2回目のチャレンジで志望大学に合格できたが、視力はメガネがないと黒板の文字がもはや見えないレベルだった。 

大学合格後、初めてメガネを買う事になった。
程なくして自動車の運転免許を取りに行ったが、当然「眼鏡」条件がついた。
ただ当時はまだ日常生活にはそれほど支障はなく、メガネをかけるのは授業中と運転時のみであった。ラグビーをやるにしても、裸眼で特に困る事はなかった。 

就職してからさらに視力が低下。
少しでも視力を回復させたいと思いつつも、仕事の忙しさもあって半分諦め、特にコンタクトレンズを使うようになると、メガネの煩わしさから解放された事もあってか、視力の回復については完全に諦めた。  数年前から手元が見えにくくなり、これが世に聞く老眼というものかと実感。
「ついに来たか」という感じだ。

こうなるとコンタクトレンズは不便となり、メガネに切り替えた。
「遠近両用」のコンタクトレンズもあるようであるが、それには違和感を覚え切り替えるつもりにはなれなかった。今はスキーなどスポーツの時にのみ使い捨てコンタクトを利用している。 

メガネになった息子だが、やはりこれからスポーツをやらせようとしていただけに、メガネは具合が悪い。そんなところへ、知人からある視力回復サロンを紹介された。
知人自身利用していて効果が上がっているという。
値段は少々張るものの、やらせてみようと言う事になった。
結果はどうなるかはわからないが、できる事はやってあげたいと思う。 
これを機に、己自身も少し目の事を考えた生活をしようかと思うところである・・・

【今週の読書】
   
 

2014年2月16日日曜日

ブラック企業とは

舛添さんの勝利に終わった先週末の都知事選。
主要候補の政策を見ていたら、宇都宮けんじさんだけが、「ブラック企業規制条例」の制定を主張していた。以前駅前で共産党が配っていたチラシにも出ていた「ブラック企業規制」。
よくよく考えてみると、よくわからない。

まずはどんな企業がブラック企業なのだろうかと思う。
以前観た映画「ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない」に出てくる中小企業などは典型的な例かもしれない。この映画では下請IT企業が出て来て、殺人的な残業(もちろん残業代はほとんど出ない)の日々に疲弊していく主人公が描かれていた。 
しかし、中には「ユニクロ」や「和民」などという声も聞こえてくる。
そうなると、頭の中は“?”マークだ。
「本当なのだろうか」と。

ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長も、本を読んでしかその人となりを知らないが、それでも若者を使い捨てるような経営者には見えない。
むしろ自らの経験を振り返って、「若い時の苦労は買ってでもせよ」というタイプに思える。 
すると、そのあたりの考え方が、誤解を招いている気もする。
勉強でもスポーツでも、ある一定の時期、猛烈な負荷に耐えなければ何かを成し遂げられないという事はある。ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長もきっとそんな時期を過ごした経験があって、それを求めているのかもしれない。 

高校時代、ラグビーをやっていた私は、大学に進学してもラグビーを続けたいと思った。
それも同好会などではなく、体育会の方でだ。
そこで悩ましかったのが、第一志望の国立大学ならいいが、私立の大学に行った場合はどうするかという事だ。たとえば、慶応や早稲田などの名門校になった場合だ。 
幸い第一志望に入れたから良かったが、もしも早慶明だったらまず体育会には入らなかっただろう。

ハードな練習環境がわかっていたし、全国の一流高校から来た選手に交じってやっていく自信などなかったからだ。もしもやるとなれば、大学生活をラグビー一つに絞る覚悟がないとできない。
そこまでの覚悟はできなかったし、したくなかったというのが正直なところだ。 
覚悟が出来ていれば、ハードな練習にも耐えられただろう。
現にそういう選手たちが、試合に出ているのである。

思うにユニクロや和民で働いていて、「ブラック」と感じるか否かは、この覚悟の違いなのではないだろうか。「ほどほどに働きたい」と思っている人にとっては、たとえ自身の成長に繋がったとしても、ハードな労働環境は耐えがたいと感じるかもしれない。 

そうすると、何がブラックで何がそうでないのか、を決めるのはますます難しいという事になる。
創業直後の若い企業などで、未来を信じて会社に泊まり込んで仕事をしている創業メンバーたちもいるかもしれない。先日読んだ、『GILT』という本では、主人公は見事に過労でダウンしていた。
では、そういう企業はブラック企業だと条例で決めて罰するのが正しいのだろうか。 
「働かされる」のと「働く」のとでは、同じ働くのでも大きく異なる。
それが同じ会社内だったら、どう判別するのだろう。

単なる人気取りの共産党幹部には、そんな事はわからないだろうし、そもそも共産党に「喜んで働く」などという意味は、わからないのではないかとさえ思える。
労働者は常に搾取される立場と考える政党だから、それは仕方ないのかもしれないが・・・  

果たして自分はどうだろうかと考えてみる。
仕事は確かに面白いし、大変ではあるが、苦痛ではない。さりとて、「24時間働こう」とまでの情熱はない。家族との時間や趣味の時間や友人たちと過ごしたり、ボランティアの活動をしたり、スポーツに汗を流したり、と考えていたらとてもそんな覚悟などできない。
それが良いのか悪いのか・・・ 

ただし、現実的にブラック企業はあるのだろう。
収益力が弱く、従業員を酷使する事でしか存在しえない企業は確かにあると思う。
そうした所からは、「辞める」という選択肢をもって対抗するしかないかもしれないし、そうして従業員が離れていけば、そういう会社も自然淘汰されるのかもしれない。
そしてそれには、セーフティネットや再雇用など人材の流動性を高める仕組みを整えるのが良いのだろう。

「ブラック企業規制条例」がどんなものをイメージしているのかわからないが、そんなものではないと思う。  いずれ我が子たちも社会へと出ていく。
どんなところに勤めるのか、あるいは自分で事業を起こすのかはわからないが、その時何らかのアドバイスができるようではありたいと思う。
自らの働き方も含めて、そのあたりは常に関心を持っていたいものである・・・

【今週の読書】
 
   

2014年2月9日日曜日

除雪大日記

「明日は雪かきお願いね」
妻の“お願いと言う名の指令”を受け取ったのは、まだ雪降りやまぬ前日の事。
幸い我が家には、以前雪かきをしようとしたがチリ取りしかなく、難儀した経験から買い置いていたスコップがある。

そして翌日となる今日、昨日とは一転した快晴の中、雪かきを始める。
既にお隣とお向かいのご主人が雪かきを始めている。
軽やかな挨拶とともに雪かき開始。今日が休日で良かった。仕事の日ならこうはいかない。
震災の日は金曜日だったから、歩いて帰る事を選択できた。
こういう偶然も目に見えない運命の作用だとこの頃感じる。

まずは範囲の確認。
何事もやみくもにやれば良いというわけではなく、事前の計画が重要だ。
自宅玄関の周辺と、駐車スペース、それに家の前の道路の半分、そんなところだろう。
雪は家の横の日向に積むことにした。
何せ我が家の周辺は、日陰だと雪がずっと残ってしまう。

さて初めて3分で容易ならざる事態に気がつく。
思いもかけぬ重労働だとわかったのである。
いまだラグビーで鍛えし時代の意識がある自分。
「雪かき如き」という印象は、どうしても拭えない。
されどすぐに腕が重くなり、5分で背中が痛くなり、挙句にプラスチック製のスコップにヒビが入った。

頭の中で、計画の大幅修正プランが練り直される。
道路は半分の半分。
駐車スペースは雪が残ったって構わないだろう。
今日はやっぱり仕事の方が良かったかもしれない・・・

息子はお隣のクラスメイトの友達と雪遊び。
双子のその友達に近所の子供たちも集まってきて、すぐに歓声とともに雪合戦が始る。
雪まみれになる事など何のそのだ。
微笑ましく眺めながらこちらは雪かきを続ける。
上着を脱ぎ去り、トレーナー一枚になる。
お向かいのご主人はTシャツ姿だ。

かがんだ瞬間、すぐ横の車に当たった雪弾が炸裂する。
さらには目の前を雪弾がかすめる。
気がつけば“戦場”の真っただ中だった。
息子と同級生の女の子もお兄ちゃんと参戦している。
さらにふと見れば、さっき除雪したばかりの玄関の脇がいつの間にか“補給基地”と化している!萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、飛び交う雪弾の下、ひたすら己のミッションに励む。

やがて戦火は止み、ご近所のご主人もいなくなっていた。
だいぶ計画を縮小したとはいえ、それでも取りあえず雪かきの格好はつけた。
己の仕事に満足したところに妻が、昼食に呼びに来る。
青空を見上げつつも、午後は映画でも観て過ごそうかと思案し始めると、成果を確認した妻が一言。

「御苦労さま、残りは午後ね♪」

妻曰く、「家の前の道路は手前から道路の半分まで、そして範囲は少し隣の家にはみ出すくらい」が好ましい雪かきの範囲らしい。当初立てた計画は、間違っていなかったと言うわけだ。
となるとまだまだ先は長い。結局、裏の老夫婦の事を考え、“好ましい”範囲を越えての大サービス。
ようやく終わって、左腕がパンパンになった。
明日、起きられるだろうか。

嗚呼、真夏の太陽が恋しい・・・


【今週の読書】
 

    

 

 

2014年2月2日日曜日

日本的意思決定~映画編~

週末となれば深夜に一人溜め込んでいる映画を観るのが、我が人生で至福の一時を味わえる一つと言える。観る映画は、「片っ端から」とでも言うのにふさわしいほど多岐にわたっている。それでも自然とハリウッド映画が多いのは、やはり分母が違うから仕方ないと思うが、邦画も観るし、中国や台湾などアジアの国の映画も観るし、国としては大嫌いな韓国のも映画は分け隔てなく観ている。

そんな中でもやっぱり邦画には期待している所がある。
ハリウッドレベルとはいかないまでも、それに次ぐくらいの存在感は示してほしいと思う。
しかしそうは言っても、現実的には物足りない。
残念ながら韓国映画の方が(特にアクション系では)、上ではないかと思える事、しばしばである。何でだろうと考えてみると、その陰には『日本的意思決定』がやっぱりあるような気がする。

日本の映画の一つの特徴として、「劇場版」というものがある。
ヒットしたドラマを映画化したものだ。
これまでも【踊る大捜査線】【HERO】などを観てきたし、基本的に「劇場版」はあまり観ないのだが、最近でも【相棒】、【ストロベリーナイト】など数えきれないくらい封切りされている。

こうした劇場版がなぜ作られるかと言うと、それは日本的意思決定=ボトムアップ型の意思決定の産物に思えてならない。
つまり、何か映画化の企画をする時、独自に「これは面白そうだ」という思いでつき進むのではなく、周りの(特に上司の)コンセンサスを得やすいものになっていくように思うのである。「これは売れるのかね」と聞かれた時に、「大ヒットしたドラマですから」と言えば、説得力は高そうだと容易に思える。

かつてシルベスター・スタローンが無名の頃、自ら書き上げたボクシングドラマの脚本をあちこちに持ち込んだと言う。どこも無名の男の話などに耳を傾けるところはなく、「ポール・ニューマン主演なら」と条件を出されたのがせいぜい。大金を積まれ迷ったものの、「自分主演」にこだわり、ついにスポンサーを見つけ、【ロッキー】の映画化につながったという。
売れるかどうかわからない無名の新人の持ち込む脚本の映画化など、サラリーマンがボトムアップで企画を上げる日本では絶対あり得ないエピソードだと思う。

おおよそビジネスというものは、売れるかどうかなど所詮「やってみなければわからない」ものである。リスクを腹に飲みこんで、果敢に攻めていく事が売れる結果になったりする。
ジョージ・ルーカスだって、【スター・ウォーズ】を撮った後、コケるのが心配でハワイに逃げていたというエピソードがあるくらいだ。
初めからヒットするかどうかなど、誰にもわからないだろう。

だが、それだと上司を説得できない。
「お前の『売れる』などあてになるか」と言われればそれまで。
だから安易な「劇場版」やアイドル主演などに“逃げる”のだろうと思う。
面白い映画を作るとなったら、「売れるか売れないか」など机上であれこれ議論する事なく、「これを作りたい」という熱い想いが必要だろうと思う。

ヤマト運輸の故小倉昌男氏が、全役員の反対を押し切って宅配便事業を始めたように、トップダウンで誰かの熱い想いで映画化を進めるようなものでないと、本当に面白い映画などできそうにない気がする。ボトムアップ型の意思決定が悪いとは思わないし、それがうまく機能するケースはいくらでもあるだろう。しかし、新商品の企画だとか、事業だとか、今までにないものをやろうとする時には、この限りではない。

実際の映画の企画現場がどうなっているのか、私には知りようがないからわからない。
ハリウッド映画だって、【セックス・アンド・ザ・シティ】のようにドラマの映画化もあるから一概に日本ばかりというわけでもない。
ただ、アニメも含めて「劇場版」がこれだけ多いとそんな事を思ってみたりするのである。

もしも、「日本映画の水準を上げるにはどうしたらいいと思うか」という質問を受けたなら、私だったらまず「劇場版の製作禁止」を上げるだろう。安易な人気ドラマの映画化をやめるだけでも大きな変化が生まれるのではないかと思えてしまう。まぁそうしたら今度は東野圭吾原作とか、漫画の映画化が増えるのかもしれないとも思うが・・・

日本映画の進化を期待して、ちょっと考えてみた事である・・・

日本的意思決定

【今週の読書】