2014年2月2日日曜日

日本的意思決定~映画編~

週末となれば深夜に一人溜め込んでいる映画を観るのが、我が人生で至福の一時を味わえる一つと言える。観る映画は、「片っ端から」とでも言うのにふさわしいほど多岐にわたっている。それでも自然とハリウッド映画が多いのは、やはり分母が違うから仕方ないと思うが、邦画も観るし、中国や台湾などアジアの国の映画も観るし、国としては大嫌いな韓国のも映画は分け隔てなく観ている。

そんな中でもやっぱり邦画には期待している所がある。
ハリウッドレベルとはいかないまでも、それに次ぐくらいの存在感は示してほしいと思う。
しかしそうは言っても、現実的には物足りない。
残念ながら韓国映画の方が(特にアクション系では)、上ではないかと思える事、しばしばである。何でだろうと考えてみると、その陰には『日本的意思決定』がやっぱりあるような気がする。

日本の映画の一つの特徴として、「劇場版」というものがある。
ヒットしたドラマを映画化したものだ。
これまでも【踊る大捜査線】【HERO】などを観てきたし、基本的に「劇場版」はあまり観ないのだが、最近でも【相棒】、【ストロベリーナイト】など数えきれないくらい封切りされている。

こうした劇場版がなぜ作られるかと言うと、それは日本的意思決定=ボトムアップ型の意思決定の産物に思えてならない。
つまり、何か映画化の企画をする時、独自に「これは面白そうだ」という思いでつき進むのではなく、周りの(特に上司の)コンセンサスを得やすいものになっていくように思うのである。「これは売れるのかね」と聞かれた時に、「大ヒットしたドラマですから」と言えば、説得力は高そうだと容易に思える。

かつてシルベスター・スタローンが無名の頃、自ら書き上げたボクシングドラマの脚本をあちこちに持ち込んだと言う。どこも無名の男の話などに耳を傾けるところはなく、「ポール・ニューマン主演なら」と条件を出されたのがせいぜい。大金を積まれ迷ったものの、「自分主演」にこだわり、ついにスポンサーを見つけ、【ロッキー】の映画化につながったという。
売れるかどうかわからない無名の新人の持ち込む脚本の映画化など、サラリーマンがボトムアップで企画を上げる日本では絶対あり得ないエピソードだと思う。

おおよそビジネスというものは、売れるかどうかなど所詮「やってみなければわからない」ものである。リスクを腹に飲みこんで、果敢に攻めていく事が売れる結果になったりする。
ジョージ・ルーカスだって、【スター・ウォーズ】を撮った後、コケるのが心配でハワイに逃げていたというエピソードがあるくらいだ。
初めからヒットするかどうかなど、誰にもわからないだろう。

だが、それだと上司を説得できない。
「お前の『売れる』などあてになるか」と言われればそれまで。
だから安易な「劇場版」やアイドル主演などに“逃げる”のだろうと思う。
面白い映画を作るとなったら、「売れるか売れないか」など机上であれこれ議論する事なく、「これを作りたい」という熱い想いが必要だろうと思う。

ヤマト運輸の故小倉昌男氏が、全役員の反対を押し切って宅配便事業を始めたように、トップダウンで誰かの熱い想いで映画化を進めるようなものでないと、本当に面白い映画などできそうにない気がする。ボトムアップ型の意思決定が悪いとは思わないし、それがうまく機能するケースはいくらでもあるだろう。しかし、新商品の企画だとか、事業だとか、今までにないものをやろうとする時には、この限りではない。

実際の映画の企画現場がどうなっているのか、私には知りようがないからわからない。
ハリウッド映画だって、【セックス・アンド・ザ・シティ】のようにドラマの映画化もあるから一概に日本ばかりというわけでもない。
ただ、アニメも含めて「劇場版」がこれだけ多いとそんな事を思ってみたりするのである。

もしも、「日本映画の水準を上げるにはどうしたらいいと思うか」という質問を受けたなら、私だったらまず「劇場版の製作禁止」を上げるだろう。安易な人気ドラマの映画化をやめるだけでも大きな変化が生まれるのではないかと思えてしまう。まぁそうしたら今度は東野圭吾原作とか、漫画の映画化が増えるのかもしれないとも思うが・・・

日本映画の進化を期待して、ちょっと考えてみた事である・・・

日本的意思決定

【今週の読書】


 
    

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