2010年8月29日日曜日

最後の日曜日

夏休みと言えば東京では8月一杯というのが一般的だが、我が家ではそれは幼稚園に通う長男だけの話である。娘の小学校は25日から始まる。

その昔、 御代田に住む従兄と議論した事がある。
御代田は夏休みが25日頃までだった。
向こうは東京よりも涼しいからだ。
「東京の学校の方が休みが長くていい」と主張したら、彼は「その代わりこっちは冬休みが長いし、“田植え休み”や“稲刈り休み”がある」と反論してきた。
トータルでは同じくらいだったが、今の娘だとその議論は成り立たないかもしれない。

なんで短くなったかというと、悪名高いゆとり教育から脱却し、授業日数を増やすにあたって他の日程では調整つかなかったらしい。もっとも周辺の学校の対応はまちまちで、一日あたりの授業数を増やす事で従来通り9月からにしている学校もあるようだ。なんでも校長の裁量判断らしいが、やっぱり8月一杯休みたいだろうなと個人的には思う。

そんな最後の日曜日、子供たちと近所の区民プールに行って来た。
そのプールも開催は今月いっぱいらしいので今年はこれでお終いである。
泳ぐというよりも「浸かっている」という表現の方が正しいのだが、それでも疲れてしまった。
娘もいつのまにかダイナミックなクロールで泳ぐようになっていた。
5歳の長男も少しずつ上手に泳ぐようになっている。
来年はどのくらい進歩しているだろう・・・


昨日から毎年恒例の社会人向け勉強会が始まった。
母校の財団法人が主体となったもので、今年が5年目。
最初の年に受講生として参加し、2年目からは世話役としてお手伝いさせていただいている。最初の講義は毎年恒例の「自分が源泉」という講座だ。

「すべての結果は自分が創っているという立場を取る」という考え方の実践で、とかくうまくいかない事を、他人や外部の責任にしがちな我々であるが、それを「原因は自分にある」と考えることで、まずは心のあり方から変えて行こうという趣旨のものだ。
事実は一つだが、それをどう解釈するかは我々自身にかかっている。この考え方を取り入れて、私も日々穏やかに前向きに暮らしていられるような気がする。

講座では「エゴグラム」という性格診断も取り入れて、参加者も楽しみながら学べる。
性格診断のようなものは誰でも興味あるだろうし、結果があたっていたりすると妙に納得したりもする。エリック・バーンという精神科医によって提唱された「交流分析」が元になっているのだが、参加者もワイワイと楽しんでいた。

今年もこれから月に一回のペースで半年間続いていく。
私も学べるので毎年大きな「役得」だと思ってお手伝いさせていただいている。
仕事以外にこうした活動があるのもいい刺激だ。
自分自身楽しみながら、受講生にも満足していただけるようやっていきたいと思う。

窓を開ければ、蝉の声がいつのまにか涼しげな虫たちの声に変わっている。
もう9月。
早いものである・・・
    
    

2010年8月28日土曜日

日本の空港

国内初の格安航空会社(LCC)対応空港として生き残りをかける茨城空港は、中国上海のLCCである春秋航空が茨城─上海線で片道4,000円(1便あたり総座席数の約1割にあたる18席程度)の航空券を販売することで話題になっている。片道4,000円というのは魅力だが、茨城空港までどのくらいかかるのだろう・・・

 一方、1978年の成田空港の開港による棲み分けで、長い間国内線専用だった羽田空港が、今年10月に再国際化する。 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会開催を契機に、羽田空港と金浦空港を結ぶチャーター便が就航し、現在は上海(虹橋空港)、ソウル(金浦空港)、香港便が定期便に限りなく近い「定期チャーター便」という方式で運行されている。今年10月21日には4本目の滑走路(D滑走路)と新国際ターミナルの併用が開始され、31日には32年ぶりに国際定期便が再就航し、国際線定期チャーター便は定期便に格上げされるという。

 これにより、前述の上海、ソウル、香港に加えて、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルル、パリ、バンコク、シンガポール、台北などへも羽田から行けるようになる予定だ。羽田空港は都心からモノレールで約20分で行けるという好立地に加え、新滑走路の新設と新国際ターミナルの開業、P4平面駐車場の立体化(完成)、第2ターミナルビルの増床で利便性はさらに増す事になる。

子供の頃に成田闘争の様子をテレビで見た記憶がある。
あんな思いをして開港したのに、都心からのアクセスが悪く、アジアのハブ空港にもなれないでいる。羽田の沖合への拡張という形になっていたら、あんな無駄なエネルギーを使う事もなかったのにと、なんとなく思う。

我が家も先日成田空港を利用した。
我が家はいつも自家用車で空港まで行く。
近くのパーキングに車を預けるのだ。
大きなスーツケース2つに子供連れとなると、電車での移動はなかなかの負担だ。
片道2時間半のドライブとなるが、そのくらいならはるかに楽だ。

羽田となると確かに都心に近くて便利なのであるが、車となると駐車料金がかかる。
成田だと最安値で一日500円。
先日は6日間で、いろいろ込みで4,000円かからなかった。
羽田だと6日間で13,200円。
高速料金を考えても成田の方が安い。

最近少なくなったが、たまに出張で羽田を使う。
国内の移動では羽田は圧倒的に便利だ。
個人的には、羽田と成田の棲み分けはできている。
しかし、ここ最近羽田も周辺に安い駐車場が登場している。
6日間で8,700円というのもある。こうなると往復の高速代と時間差で(羽田は車で約1時間で行ける)、羽田の方が便利になる。

大阪では伊丹と関空がこの関係にある。
伊丹は府内であまりにも便利だから、廃止されずに残っている。
もう拡張は難しいだろうが、関空の不便さが際立っているから存在意義も大きい。
羽田はどこまで便利になるのだろう。
たぶん、大騒動の経緯もあり、成田廃止という動きにもなりにくいだろう。
それが羽田がますます便利になっていく事に対するブレーキになるのかもしれない。

お役人の考える事はとバカにするのは簡単だが、やっぱり随分と空しい騒動だったと思う。
東京と大阪のそんな状況を横目に韓国やシンガポールの空港は、アジアのハブ空港として高い地位を築いている。失敗はやむを得ないが、肝心なのはその失敗からいかに立ち直るか、だ。ここで成田を切って、羽田を拡大・拡張して日本の玄関にできたら大したものだと思う。

基本的に未来は過去よりも便利な社会であるべきだろう。
空港についてはそんな未来がくるのだろうか。
まあそんな話を家庭でしようものなら、「羽田でも成田でもいいけど、毎年海外旅行に行きたいわねぇ」という声が聞こえてきそうである。便利になってもまだまだ空港は遠そうな我が家の現実なのである・・・


【本日の読書】
「モンスター」百田尚樹
         
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑨」三田紀房
「ONE PIECE ②」尾田栄一郎
     
     
    

2010年8月25日水曜日

外国人観光客

丸の内勤務のせいもあるが、東京駅周辺ではよく外国人観光客を目にする。
大抵は数人の家族またはグループだ。
東京は鉄道網を始めとして交通機関が発達しているから、どこへ行くにしても便利だとは思うものの、慣れない外国人の方にしてみれば複雑に思えるかもしれない。
それでも地図を見たり、駅員さんなどに訪ねたりして奮闘しているようである。

翻ってみると、日本人はどうも至れり尽くせりが好きなようである。
先月グアムに行った際は、市中に日本人観光客向けのバスが走っていた。
JTBなどで旅行の申し込みをすると無料パスがついてくる。歩くかタクシーしかない現地で、これは貴重な足だった。ハワイでも同じバスが走っていたから、他の観光地にも結構走らせているのかもしれない。

わざわざバスを走らせてしまうというところが凄いところだ。このバスは誰でもお金を払えば乗れるので、他の国の観光客も結構重宝していたようである。

こうした細やかさは日本人らしいと思うのだが、その一方でこういうものに慣れてしまうと、逆に一人で行動する逞しさが奪われるような気もする。ガイドブックだって微に入り際に入りで、現地でうろうろする事もない。それがいいのか悪いのかは難しいところだ。

その昔、マニラに住む友人宅に遊びに行った事がある。
その時、現地を走るジープニーに乗ってみたいと思った。ところがこれが難しい。現地に住む友人でさえ難しいと言っていたから尚更だ。乗り込んで行くだけの度胸がなくて結局乗れずじまい。今でも残念に思う。

私もガイドブック片手に旅するより、現地の人にあれこれ聞いて、自分なりの発見を楽しみたいと思うクチだ。 (→地球の歩き方)

独身時代にシンガポールに行った時は一人で適当にバスに乗って、インド人街で降り、路地裏の小さなレストランに入ってランチを食べた。日本人が来たと言う事でわざわざ店の奥から年とったおじいさんが出てきて話しかけてきた。戦争中の思い出があったのかもしれない。そうした経験は、パックツアーではできない。

外国人観光客の人たちは、みんな自分たちの旅をしている。
もちろん、そこにはきめ細かく世話してくれる旅行会社もないのだろうが、逞しいなと感じてしまう。どこへ行っても英語で物おじせず話しかけるし・・・

細やかなサービスがないから逞しいのか、逞しくないから細やかなサービスが必要なのか。
現地にまでバスを走らせてしまう日本流が良いのか悪いのかはわからない。
外国人観光客の人たちがこの東京でどんな事を経験して、どんな感想を持ったのか、ちょっと聞いてみたい気がする。

そんな事を考えていたら、独身時代のような気ままな旅をまたしてみたいという気になった。
当分は難しいだろうなぁと、遠くを見つめてしまうのである・・・


【本日の読書】
「はとバスをV字回復させた社長の習慣」宮端清次
「モンスター」百田尚樹
    

2010年8月22日日曜日

党首選

民主党の代表選が徐々に話題に上って来ている。
実は今月の初めの事、ある方から小沢さんの動向について話を伺った。
なんでも本人は総理大臣に相当なりたがっているという事だった。
まあ政治家になった以上、しかもあれだけの実力者になればその気持ちは当然なのだろう。
それに総理大臣になると検察の追及を回避できるらしい。
次回の検察側の事情聴取は代表選後に延期したとニュースでやっていたが、総理大臣になればその必要もなくなる。そんな理由もあるのだという。

話を聞きながら、「本当だろうか」と思ったものだ。
ただ、その方も某新聞社の役員経験者だし、それなりのニュースソースもあるようだから満更ガセネタという事もあるまいと思っていた。
そうしたら小沢さんが代表選に出馬しそうな雰囲気になってきた。
「ああ、やっぱり」
というのが感想だ。

しかし、今の時期に総理大臣を代える事が本当に必要だと民主党の人たちは考えているのだろうか。
昨年の衆議院選挙で圧勝して以来、民主党の評価は右肩下がり。
ようやく菅さんに代わって盛り返しかけたところである。
確かに消費税で戻りかけた流れをつかみ損ねた経緯はある。
だが、ここで再び総理大臣を代える事が得策かと言えば、個人的にはそうは思わない。
ましてやそれが、第一次民主党政権の戦犯の一人小沢さんとなれば尚更だ。

小沢さんの疑惑については、事実はともかくとして印象はよくない。
ほとぼりも冷めないうちから出てきたところで、イメージアップにはならないだろう。
今は失った信頼をいかに取り返すかが、民主党の課題のはず。
一致団結して菅総理大臣を盛り立てて、盤石の政権を築くのが第一だと思う。
なのになんでだろう、と疑問に思う。きっとその裏には何らかの思惑があるはずだ。

このまま菅総理の下、一致団結して難局に立ち向かい、見事景気が上向いて国内の状況もよくなれば、民主党の支持率も上がる。当然菅総理の支持率も上がり、民主党内での発言権も強まる。それはすなわち長期政権を意味し、ポスト菅総理の争いも菅総理グループが圧倒的に有利になる。そうした流れを好まない人たちの、出る前に杭を打とうという意向が、そこにはあるのかもしれない。

当然、そこにあるのは国益でもなく、党益でもなく、個人の利益という事になる。
まあ自分が権力の座に就く事ができれば、当然党益にも国益にもなる政策が実現できるという腹積もりが、ひょっとしたらあるのかもしれない。私腹を肥やそうとしているとまでは言わないが、自分が考えた政策を実行し、それで国民の尊敬を勝ち取り、末永く名宰相として歴史に名を残したい、そんな野心なのかもしれない。

およそ政治家になろうというくらいの人は、誰でもそんな野心をもっているものなのだろう。
それが悪いかと言われれば、必ずしもそうではない。
誰が総理になろうとも、我々国民の生活が向上すれば、私としてはそれでいい。

例えば野球で、勝利の要因となった決勝点を入れてヒーローインタビューを受けるのは、難しいボールを選んで出塁し、ホームを踏んだ選手ではなく、ランナーを進めるべく見事な送りバントを決めた選手でもなく、きわどいところでホームに突入の指示を出したベースコーチでもなく、最後にランナーを生還させるヒットを打った選手だ。自分を犠牲にしてチームプレーに徹したとしても、それが日の目を見る可能性は低い。

政治家だって運が必要だ。
いくら自民党の党首だと言っても谷垣さんは総理大臣にはなれない。
小沢さんもかつて党首をしていたし、次の機会に例え党首に返り咲いたとしても、総理大臣になれるかどうかはわからない。ひょっとしたらこれが千載一遇のラストチャンスなのかもしれない。

どう転ぶのか、私としては見ているほかない。
結果的に我々の生活が良くなればそれでいいのだが、そうは言ってもやっぱりプロセスというのもある。なるべくなら信頼できるやり方で結果を出してほしいところだ。
みんなが送りバントを決めた選手を讃えられるようなムードが生まれてきたら、我が国ももう少し良い国になりそうな気がするのだが・・・

やっぱりそれは難しい事なんだろうかとしみじみ思うのである・・・



【本日の読書】
「リング」百田尚樹

2010年8月19日木曜日

関心

毎朝の日課として、パソコンでCNNの英語版ニュース(CNN.com International)を見ている。
日本とは違うニュースが流されていて、ちょっと新鮮だったりする。
ここのところのメイントピックスは、パキスタンの洪水だ。
ずっとトップニュースで扱われている。
日本でも報道はされているが、その扱いとは大きな差がある。

日本人には日本人の関心事というのがあるから、扱いが違うのは当然なのであるが、ふとどれくらいの人がこの洪水のニュースに関心を寄せているのだろうかと考えた。
たぶん、「ふ~ん、大変だなぁ」と一瞬思うくらいだろう。
新聞の扱いも小さいし、まったく感心を示さない人も多いと思う。
しかし、現地では多数の犠牲者も出ていて、さらに水も食料も不足していて、コレラまで出ているというから深刻だ。

話は逸れるが、この水が不足しているというのも不思議な事だ。
大洪水というからにはあたりには水が氾濫するほどあるのである。
もちろん、ここで言われているのは「飲料水」だ。だが他の動物は平気で飲めるわけである。人間だけが「飲料水」でないといけないというのは、なぜなんだろう。
野生の逞しさがもはや人間にはないということなのだろうか。

日本政府はパキスタン政府の要請を受けて、ようやく費用面の援助とヘリの派遣を決めたようである。ちなみにアメリカはヘリによる救助はとっくに始めている。アメリカは親米政権のこのイスラム教国に対してはいろいろな思惑があるから、無理もないところだ。だが、それを割り引いたとしても我が国の対応は遅いなぁと思わずにはいられない。

聞くところによれば、我が国にもこうした他国の災害に対しては、救助隊や医師団を招集して派遣できる態勢はできているらしい。だが災害発生からどのくらいで派遣されるのか、今回はどうなっているのか、日本のニュースを見ていてもさっぱりわからない。

たぶん、マスコミがおざなりにしか報道しないから、国民も関心を持たないのだし、したがって政治家も腰が重くなるのだろう。国民が関心を持って、「政府は何をしているのだ」という声が高まれば、政治家の対応もマスコミの報道も変わってくるのだろう。
ではどうしたら国民が関心を持つのだろうかと言えば、やはりマスコミが積極的に取り上げて報道する事だろう。マスコミが積極的に取り上げるには、やはり国民が関心を持たなければいけない・・・おそるべきジレンマ・・・

自衛隊のヘリが派遣されるようだが、それは災害救助だから当然非武装となるらしい。
だが、パキスタンはタリバンの巣食うアフガニスタンに隣接し、災害救助とは言え外国人憎しのタリバンから思わぬ攻撃も受けるかもしれないとの指摘もある。
パキスタン政府は安全を保証してくれるらしいが、自衛隊なんだから自分たちでやれるのにまったくおかしな国だ。危険があるならそれに備えるのは普通の事だが、なかなかその普通がいけない事のようだ。その話は横道にそれてしまうから、またいずれかの機会に譲りたい。

現地はいまだモンスーンの勢力が衰えず、道路も水没して救援もままならないらしい。
だからのヘリ要請なのであるが、それにしてもパキスタンは核兵器まで保有している軍事大国なのに、自国民を救助するヘリさえ十分にないのだろうか?
それとも日本よりも人口の多い国だから足りないのだろうか。

それにしても、こういう時にこそすぐに駆けつけて援助の手を差し伸べる事が大切なのにと思わざるを得ない。お金を出すよりも、要請される前に救援に向かえば相手の感謝と信頼を得られる事は間違いないのに・・・

かくなる上は、自分としては何ができるだろうかと考えてみたが、やっぱり何も出来そうもない。
せめて関心を持って、明日もCNNのニュースを見る事にしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「リング」百田尚樹
     
    

2010年8月16日月曜日

終戦記念日に思う

8月15日は言わずと知れた終戦記念日。
8月6日以降の一週間、毎年我が国は終戦ムードに包まれる。
昨日はテレビで「玉音放送」全文を流しているのをたまたま見ていた。
感度の悪いラジオで、当時多くの国民が意味がわからなかったらしいが、なるほどどうして無理もない。

『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』

冒頭のこの一文で、要は「ポツダム宣言を受け入れる=降伏する」と言っているわけであるが、聞き取り難さと不慣れな表現、それにポツダム宣言の内容を理解していないとわからないはず。
これを聞いて、当時すぐに意味のわかった人は、なかなかの知識と情報量のあった人なのではないだろうか。

それはともかく、戦争の悲惨さと二度と起こしてはならないという誓いは、繰り返し繰り返し言われ続けている。今年はさらに語り部の数が増え、もうこれで最後と言わんばかりに戦争体験があちこちで語られている。直接経験した世代はいずれいなくなるわけで、その前にこうした証言を一つでも多く知りたいと思うし、残してほしいと思うから良い事だ。

ただ、いつも感じるのは、結果に対する反省だけで、原因追究が極めてあいまいだと言う事だ。
「どうして戦争は起こったの?」
子供にこう聞かれた時、どれくらいの人がきちんと答えられるだろうか?
「悪の日本軍が大陸に侵略して行ったからだよ」とはまさか言わないだろう。
それを言うなら、「なぜ侵略して行ったのか」を説明しないといけない。
「世界支配を目指していた」なんて、旧日本軍をショッカーと一緒にするような回答をする人は共産党や社民党の人ぐらいしかいないと思うが、大丈夫かとちょっと心配になる。

結果には必ず原因がある。
そして結果を回避するためには、原因究明が不可欠である。
それなのに、こと一番大事な戦争については、結果責任だけに着目し、お詫びだけで蓋をしてしまっているように思えてならない。

過去、中学・高校と歴史の授業は受けてきた。
ところが、どうでもいいようなネアンデルタールとか縄文式土器とかの話は熱心にされるものの、肝心な昭和現代史はちょっとしか触れられない。
ましてや、(私の頃は)原因究明なんて皆無であった(まあ世界史を学べば、事実をつなぎ合わせて、頭を働かせれば原因はすぐにわかるのであるが・・・)。

「なぜ」を5回繰り返す改善でトヨタは世界に誇る品質を維持するトヨタ方式を編み出したというが、そのトヨタ方式に習って「なぜ」を繰り返せば原因は見えてくる。
「なぜ、日本は大陸に進出(侵略)していったのか」
そこからスタートして考えてみれば、ある程度の原因はみえてくる。

マスコミも「戦争は悲惨だ」と言えばこの時期はいいんだと思っている。
「二度と繰り返してはいけない」と言っていれば確かに間違いはない。
「ではどうしたらいいのか?」
65年も経つのだから、そろそろそこまで進んでもいい時期だと思うが、どうだろう。

私もビジネス式に「原因究明」と「再発防止対策」について、思いっきり誰かと議論してみたいと思うが、なかなかその機会に恵まれない。
そんなフラストレーションをこの時期いつも抱えているのである・・・

【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
「リング」百田尚樹


      

2010年8月14日土曜日

産経新聞

我が家では産経新聞を購読している。
といっても読者は妻である。
私は社会人になって以来、日経新聞を購読していたのだが、結婚した時に「家庭用にも必要」(私は日経新聞を職場に持って行っている)という理由で、妻が実家で読んでいた産経新聞と契約したのである。

産経新聞など読んだことのない私には、ちょっと新鮮な紙面であった。
なにせ主張が朝日新聞とは両極端に異なる。
戦後の伝統的な護憲、反省の歴史の立場である朝日新聞に対して、憲法改正、自立した歴史の立場に立つ産経新聞という具合だ。二つの紙面から得られたものは、実はとても大きいと思っている。

私はマスコミを信用していない。
それは仕事上での経験もあるが、この二つの新聞を読んでいるだけで何が正しいかなんて自分でしっかり考えていないとわからなくなると思うからだ。
我々はとかく新聞やニュースの報道を鵜呑みにする。
嘘などないという前提でみてしまう。

確かに嘘はないかもしれないが、あからさまな「誘導」はある。
それがわかっていないと、知らず知らずにそういう意見を植えつけられてしまう。
例えば朝日新聞をずっと読んでいる人は、憲法改正に反対だろうし、産経新聞や読売新聞だと逆だろう。

ここ最近、産経新聞は高校無償化を朝鮮学校に適用する事に対して、真っ向から反対するキャンペーンを展開している。たぶん他の新聞はあまりやっていないと思う。
直接「反対」と主張しているわけではない。
都合のいい記事を選んで掲載しているだけだ。

タイトルだけ見ても、
『韓国の脱北者団体、朝鮮学校無償化反対の文書を提出』
『「思想教育」「反日教育」は判断材料にせず 文科省が説明 』
『結論ありき? 国民への説明は不十分 』
『朝鮮学校無償化 法令違反も 「思想教育」理念と矛盾』
『「なぜ密室で」批判集中 朝鮮学校無償化問題』
『総連の草案“丸写し”意見書、小平市会が可決 朝鮮学校「無償化」要望』
と真面目に読めば「けしからん」という気持ちになってくる。

一方他の報道はかなり少ないが、
『「高校無償化」 愛知中高の高級部生徒たち 暑さにめげず署名活動』 朝鮮新報
『「高校無償化を朝鮮高校にも」生徒らが署名提出』 テレビ朝日
とこちらは「差別したらいかんよなぁ」という気持ちにさせられるものだ。
普段何気なく取っている新聞を読み続けていると、いつのまにか「自分の考え」がコントロールされていく事になる。

その他でも「朝日新聞的思想」に真っ向から反対する小林よしのりや桜井よし子といった人たちの論評を載せたり、本の宣伝をしたりと、それはそれは徹底している。
昔は受験生は朝日新聞を読むべき、特に「天声人語」は必読などと言われたし、「新聞を読みなさい」と親にはよく言われた(ちなみに私の実家は読売新聞だった)。
どの新聞が良いとは言わないが、真面目に新聞を読めとは自分の子供には言いたくないと思う。
敢えて読ませるなら両方だろうか。

個人的には朝日新聞の思想・主張は大嫌いだから、むしろ産経新聞の方がいいのだが、それでもここまで露骨だと嫌気が差すのもまた事実だ。
お前たちの思想を押し付けるなと言いたい。
その点、思想性の薄い経済新聞は読んでいて心地良い気がする。

まあ新聞を批判しても仕方ない。
要は受け手の問題なのだ。
しっかりと咀嚼できるようにしていきたいものである・・・


【昨日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき

      

2010年8月12日木曜日

ご先祖

グアムに遊びに行った時の事だ。
現地のウォーターパークで遊んでいたところ、妻が突然見知らぬ家族に話しかけられた。
話を聞くとなんと我々と同姓だという。
(長男がネーム入りの水泳帽を被っていたからわかったそうなのだ)

実は私の苗字はちょっと珍しい部類に入ると思う。
これまで46年生きてきて、同姓の赤の他人に出会ったのはこれで3人目というくらいだ(この家族の人たちは初めてだったそうである)。ご主人に聞いたところ、お互いの父親の出身地は長野県の富士見という町の近郊で、ほとんど同じであった。
「ルーツは一緒なのかもしれないですね」と短い立ち話をして別れた。

私の父親はその長野県の富士見で生まれ育った。
今でもそこに行くとさすがに同姓の家がけっこうある。
その町(昔は村だった)で、私の知る限り祖先は4代前まで遡る事ができる。
名前がわかる範囲で、という意味だ。
(以前戸籍をもらったのだ)

極めて少ない情報ながら、わかっている範囲内だと4代前のおばあさんは安政3年の生まれ。
西暦で1856年。その3年前にペリーが浦賀に来航している。
今NHKでちょうど『龍馬伝』をやっているが、まさにそんな激動の時代。
開国の雰囲気は長野県の田舎町には伝わっていたのだろうか。

3代前のおじいさんは明治13年の生まれ。
25歳で結婚し、26歳の時に祖父が生まれている。坂の上の雲の時代だ。
どんなご先祖様だったのか、名前とわずかな情報しか手掛かりがないからなんとも言えない。
たぶん代々農家だったのだろう。
昔何かで見た明治初期の農家の人々の写真が脳裏に浮かぶ。

以前父から昔の祖父の苦労話を聞いた事がある。
やっぱりいろんな事に悩みながらも、毎日の晩酌を楽しみに子供たちを育てていたのだろうか。
血は繋がっているのに、4代前になると何にもわからなくなってしまうというのもちょっと寂しい気がする。昔の、それも奥深い田舎の事だから写真も残っていない。
ご先祖様は今の私の暮らしぶりを見たら、果たしてどんな感想をもらすだろう・・・

翻って考えると、将来自分の子孫たちもやっぱり同じような感想を持つのだろうか。
4代あとの孫はどんな暮らしをしているのだろう。
幸い現代はいろいろな記録メディアがある。
写真やビデオはデジタルだから残るだろうか。
このブログはどうだろう。
密かにつけている日記なんか、読んだらびっくりするかもしれない。

「昭和39年生まれのおじいさんは面白い人だったようだ」
そんな評価が語り継がれるといいなぁと思うのである・・・


【本日の読書】
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(下)」宮部みゆき

2010年8月9日月曜日

指南役

先日の事、取引先との面談を終え汗を拭き拭きの帰り道、突然若いサラリーマン風の男性に声をかけられた。
「研修の一環なんです、名刺交換をお願いします」と彼は自分の名刺を差し出してくる。
「ああ、またか」と思う。
丸の内界隈では結構頻繁にこれをやっている。
私も何回か声をかけられた事があるし、声をかけているところを見たことも一度や二度ではない。

いつものように、「仕事以外では名刺交換しない事にしてるので」と断る。
これまでは「失礼しました」と簡単に引き下がってくれたが、今回の彼には粘られた。
一緒に歩きながら、「お願いします」と。
交換だけならいいが、あとでセールスの電話がかかって来ても面倒だ。
すると、「あとでセールスのお電話をするというわけではございませんので・・・」と彼が言う。
自分で言ってるじゃないかと、内心ちょっと微笑ましく思う。

30メートルくらいついてきたが、こちらも初志貫徹。
彼も諦め、次のターゲットを探しに行った。
暑いのに大変だろうが、残念ながらあのやり方ではあまり名刺は集められないだろうな、と思う。
自分はいつも応じないし、他所の人も見る限りでは相手にしていないようである。
まあ無理もない。

自分だったらどうするかな、とこういう時はいつも考える。
まず道端で知らない人に話しかけるなんてしない。
性格的にもできないし、そんな非効率的な事はやってられないクチなのだ。
どうやったら効率的に名刺を集められるだろうと考える。

手っ取り早いのは東京ビッグサイトあたりへ出掛けていく事だろう。
ここではいろいろ企業の展示会をやっている事が多い。
ブースを一つ一つ回ってちょっと話を聞いて、こちらの名刺を差し出せばまず応じてくれる。
あらかじめ少し専門知識を仕入れていって、うまく相手に合わせられれば完璧だ。
100社くらい出展している事もあるから、一つのブースで頑張って2~3枚集めれば、一日でかなりの数になるだろう。

努力は大切だが、その方向性を間違えると「無駄な努力」となってしまう。
私も今だからこそ、そんな風に考えられるが、これも過去の経験の賜物。
初めからそんな風に考えられたわけではない。
いろいろな失敗、試行錯誤、無駄な努力の蓄積の結果だ。
若い頃にそうした事を手取り足取り教えてくれる人がいたら、もっと違っていた事だろう。

浪人せずにストレートで大学に入れたかもしれない。
大学のラグビー部では、1年からレギュラーになれたかもしれない。
会社ではもっと出世していたかもしれない。
家に帰った時に出迎えてくれる奥さんだって別の人だったかもしれない・・・

変えられない過去を嘆いても仕方がない。
自分の経験値をどう活かすか、だ。
一番良いのは子供にアドバイスしてあげる事だが、どうだろう。
聞く耳はもってくれるだろうか。
できれば指南役となって、いろいろとアドバイスしてあげたいところだ。
いつか子供たちの恋の悩みに応えてあげられたら、自分の失恋経験も無駄ではなかったと言えるのだが、どうであろうか。

疎ましがられず、聞いてもらえるような工夫を今度は考えたいと思うところである・・・


【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(中)」宮部みゆき
 
     

2010年8月7日土曜日

猛暑の休日

連日の猛暑である。
私は常々、夏は夏らしく、冬は冬らしく、男は男らしく、と常に「らしく」があるべき姿と考えているので、この猛暑も夏らしくていいと考えている。
確かに昼間の外出は大変だが、夜帰る時になると気温も下がって心地良く感じる。
これも昼の暑さがあったからだろう。

詳しい統計は調べたわけではないが、この猛暑でビールは売れているだろうし、プールだって大賑わいなのではないだろうか。
少しは景気にもいいのではないかと考えていたら、何と野菜が生育不足で値段高騰ときた。
雨の影響もあったらしいが、あちらを立てればこちらが立たず、はある程度は仕方がないのだろう。

妻と子供たちは揃って妻の実家のある大阪に帰省中である。
したがって家には私一人。
毎年の恒例行事であるが、これが私には結婚以来の息抜きになっている。
家族がいるのはありがたい事なのであるが、いればいたでの煩わしさというものがある。
そうした煩わしさから、たまには解放されたっていいだろう。

朝起きる時間から夜寝るまで、誰はばかることなく好きな事ができる。
食事だけは侘びしくなるがそれはやむをえない。
食べていてこぼしたって何にも言われないし、それくらいは我慢しないといけない。
そうして2~3週間一人で過ごし、「咳をしても一人」の状況にちょっと寂しくなった頃家族が帰ってくる。その賑わいに、また家族のありがたみがわかっていいのだと勝手に思っている。

ちょっと涼しくなった夕方、スーパーに買い物に行った。
夕飯のお弁当と夜映画を観る時の酒のつまみを購入。
最近は娘までが「夜中にお菓子食べるとメタボになるよ」と一々言ってくるようになったが、今日は気兼ねなく買えた。

帰り道、木々から蝉の大合唱が聞こえてくる。
不思議な事に蝉ってなかなか見つけられない。
鳴き声のするところに目を凝らしてみるのだが、今日もやっぱり見つけられなかった。
もっとものろまな人間様に見つけられるようなら、すぐに鳥なんかの餌食になってしまうだろうから、当たり前なのかもしれない。

家に帰りつくと何だか玄関先で違和感を覚える。
あるべきところにある何かがない、という違和感だ。
そしてそれが自転車である事に気がついた。
自転車がないのだ。「あ~」と、ため息が漏れる。

スーパーに置いてきちまった・・・

さて、今夜は何の映画を観ようかな。
貴重な一時だからたっぷりと満喫したいものである・・・


【本日の読書】
なし 


    

2010年8月6日金曜日

セブンの息子

5歳の長男と二人で先日の休みの日に「ウルトラマンフェスティバル2010」に行ってきた。
仮面ライダー と並んでこちらも長寿のヒーローモノだ。
最近はテレビでやっていないようであるが、たまにケーブルテレビでやっていたりするから長男も知ってはいる。

行ってみれば子供用の催しもので、ウルトラ兄弟や怪獣たちが展示され、ゲームがあったりショーが開催されたりしていた。
ショーではお姉さんに促されて、子供たちがウルトラ兄弟に声援を送る。
我が長男も、「頑張れ~」と声を張り上げていた。

有料のゲームを見つめていた長男に、「ゲームする?それとも何か買って帰る?」と尋ねると、間髪を入れず「買って帰る!」との答えが返ってきた。
長男が食い入るように見つめたのは人形。
「何個買ってもいいの?」
という問いに、「何個欲しい」と問う。
「4つ」とちょっと考えた末、長男は答える。
う~む・・・

1個840円だから良いかなとも思うが、一気に買え与えるのもいかがなものかと考え、「2つ」と言い渡す。長男もしばし遠くを見つめていたかと思ったら切りだしてきた。
「今家に怪獣がひとつあるでしょ。だからウルトラマンを2つ買って怪獣をひとつ買えば、2対2で戦えるよ!」と。
「なるほど」と感心。
「買って、買って~」とダダをこねるのではなく、冷静に論理的に説得しにきた姿勢に感動。
「さすが我が息子」と思わずOKを出しそうになった。

しかし、こちらもそれに応えるべく、冷静に対応。
「ダメ、2つだけ。それ以上買うと怪獣ママゴンが怒り出すからウルトラマンでは歯がたたないでしょ」と。わかったのかどうかわからないが、長男は納得。
考えに考えてウルトラセブンとウルトラマンゼロを購入した。

何で数多くいるウルトラ兄弟の中から古臭いウルトラセブンなのかと聞くと、「だってウルトラセブンが好きなんだもん」という。
嬉しい事を言ってくれる。私も実はウルトラセブンが一番好きだったのだ。あれはいい番組だった。再放送で何回も観た。
長男にもみせたいくらいだ。
しかもウルトラマンゼロはウルトラセブンの息子なのだという。親子と親子。円谷プロもなかなか味な事をやる。

交渉には負けても2体のウルトラマンを買ってもらってご機嫌な長男。災難だったのは、突然正義のヒーロー2体を相手にしなければならなくなった我が家の怪獣だろうか。嬉しそうに戦わせて遊ぶ長男に、今度はウルトラセブンのDVDを借りてきてみせてやろうかと考えた。私も久しぶりに子供の頃の感動を思い出したくなったのである・・・
(最終回は子供心に切なかったものなぁ・・・)


【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「日暮らし(中)」宮部みゆき
     
   

2010年8月2日月曜日

夏休みの自由研究

小学生の娘は現在夏休みの宿題である自由研究に没頭している。
今年のテーマは「グアム旅行記」。
先日の旅行をうまく利用しようという腹だ。
と言っても考えたのはママだ。
子供は言われるままというところがちょっと寂しい。

実は昨年の事、やっぱり夏休みの宿題で自由研究が出た。
親としては子供の宿題だし、本人に任せていた。
なにやら購読している学習雑誌から選んでやっていた。
そしたらクラスでの発表で、娘の宿題の内容のあまりのレベルの低さにママが青くなって帰ってきた。よそは親がかなりテコ入れをしていたようである。
「今年は知らん顔できない」と妻は鼻息が荒かった。

しかしなぁ、と私は反発。
どうみても親が手を貸したような自由研究を持って行ってそれでいいのか、と。
何のための研究なのか、と。
明らかに親が手伝ったような『立派な』作品を持って行くより、貧相であっても『自分の力でやりました』というものの方がいいのではないか。
少なくとも私が教師だったら、そういう子の作品にこそ評価を与えたいと思うのだ。

とカッコよく語ってみたが、実は自分も昔からこの手の『自由研究』の類は大の苦手で、なんで今頃になってまたあの悪夢のような体験を再びしなければならないのか、というのが本音である。
学校の先生には「自分の力でやる事」と子供たちに強く指導してほしいと切に思うのだ。

とは言え目の前の現実からは逃げられない。
結局テーマはいろいろ事例を探して『旅行記』とした。
ちょうどグアムに行くし、という事で旅行中に見たり聞いたりした日本との違う事などをまとめてレポートするようにした。出入国の手続きから(入国時には指紋まで取られたからアメリカで何かやらかしたら一発で身元がばれてしまうとか)、街のスーパーでの商品調査・価格調査なんかも入れてみたりした。

まあいろいろとヒントはあげてなるべく自分で考えるようにさせているから、これはこれでいいかもしれない。すぐに「次はどうするの?」と聞いてくるから、「どうすればいいと思う?」と切り返している(すると「わかんな~い」と返してくるから敵もさるものであるが・・・)。

ほぼ8割方完成したからほっとしている。
他の「親」がどんな作品を作ってくるかは知らないが、我が家は本人の自主性を重んじる方式でここまで作らせた。出来が劣ったとしても気にするまい。
小学校4年生としては十分に「らしい」仕上がりだ。
これで私も安心して夏を過ごせる。

と、これも私の性分なのだがついつい考えてしまうのだ。
「来年どうしよう・・・」
続けて海外旅行はいくらなんでも厳しいぞ。
職場に5年生の子がいる同僚はいなかったっけかな。
探してみないといけないと思ったのである・・・


【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき