2010年2月28日日曜日

スポーツドラマ

 百田尚樹の本としては3冊目となる 「BOX!」、を読み終えた。これも前2冊とはまったく異なるジャンル、ボクシングの話である。

 ボクシング・ドラマといえば「あしたのジョー」や「がんばれ元気」といった往年の名作漫画や映画の「ロッキー」シリーズが思い起こされるが、これは高校アマチュアボクシングであるという点、そして何よりも活字で表現されるという点で大きな違いがある。また、高校生のスポーツといえば、バスケットボールの「スラムダンク」、野球の「ドカベン」などが個人的には思い出深い。こうした思い出に残るスポーツドラマの名作には、ある種の共通点があるような気がする。それを「あしたのジョー」と「スラムダンク」と「BOX!」とで比較してみたい。

 この3作に共通しているのは「主人公の成長」だ。「あしたのジョー」の矢吹丈は丹下段平に見出されてボクシングを始める。「スラムダンク」の桜木花道はバスケ部のキャプテンの妹晴子に誘われてバスケを始める。「BOX!」では女の子の前で中学時代のいじめっ子に殴られて恥をかいた木樽優紀が、親友のカブちゃんを頼ってボクシングを始める。

 そしてトレーニング。矢吹丈は少年院でひたすらジャブを打ち(「打つべし、打つべし」は有名なセリフだ)、桜木花道もおふざけが入りながらも肝心なところではシュート2万本の練習なんてのが出てくる。木樽優紀も学校での練習に加えて、早朝と夕食後のトレーニングでメキメキ腕を上げる。

 次にライバルの存在。矢吹丈には力石徹という格上のライバルがいて、少年院からプロのリングに場所を移し、バンタム級での対決は前半のクライマックスだった。そして力石の死後はしばらくその影響を引きずる事になる。桜木花道には天才流川楓がいて、チームとしてはクライマックスに強豪山王高校が登場する。木樽優紀には親友でもある天才ボクサー鏑矢義平がいて、さらに無敵の超高校級ボクサー稲村和明がいる。

 そして何と言っても白熱の試合シーン。「あしたのジョー」と「スラムダンク」は漫画ゆえにある程度はビジュアルに表現できる。しかし、「BOX!」は活字のみゆえにちょっと異色だ。しかし、どれも試合シーンはそれぞれの名場面だ。力石徹戦は矢吹丈の衝撃の逆転負け、絶対不利と言われた山王戦は残り3秒で流川→桜木へとパスが渡り、2万本シュートの成果が見事に決まった。木樽vs鏑矢戦、木樽vs稲村戦、そして鏑矢vs稲村戦はどれもが試合結果が予想を裏切る面白さだった。いずれの作品もページをめくる手が震えるが如き内容だった。

 またヒロインの存在もある。白木葉子が長年嫌っていたと思われていた矢吹丈に対して、世界タイトルマッチの前に「好きなのよ」と言うシーンは子供心に感動的だった。「スラムダンク」ではそういうシーンはないが、常に晴子の存在が彩りを添えていた。「BOX!」では教師と生徒という関係からか恋愛関係には発展しないが、それでも生徒以上恋人未満の微妙な関係があった。

 こうしてキーワードをみていくと、これらの要素をうまく加工すれば、自分にもなんだかスポーツドラマが描けそうな気がしてくる。私の場合はラグビーだが、恋愛こそ成就しなかったが、涙あり笑いありの実経験は豊富だし、いいドラマの素材には事欠かない気がする。ネックは「表現力」だろうな。「BOX!」のような目の前で展開されている試合を観ているが如き表現力は、とてもではないが難しい。まあ人生はまだまだあるし、アイディアを練る時間はたっぷりとある。人生の楽しみの一つとして、そんなドラマの構想を練ってみるのも悪くないと思うのである・・・


【本日の読書】
「暁のひかり」藤澤周平


     

2010年2月25日木曜日

ともだちコレクション

 我が家の小学校3年の娘は、ただいま「ともだちコレクション」にハマっている。「ともだちコレクション」とはニンテンドーDSのソフトで、クリスマスにサンタさんにもらったものである。これはゲームの中で自分の好みのキャラクターを作り、その世界の中で自分の作った住人たちとの交流を楽しむゲームである。

 パパママやおじいちゃんおばあちゃんといった家族から、大好きな嵐の櫻井翔くんまでいろいろと登録しては楽しんでいるようである。それぞれのキャラクターには性格もあるようで、部屋を覗くと何やらうろうろしていたり、バイトに行っていて不在だったりする。お金を溜めてプレゼントをしたり部屋の模様替えをしたりもできるらしい。昔流行った「たまごっち」の人間版のもっと高度なやつというイメージだ。

 そんなバーチャルゲームで模擬的な「人間関係」を楽しんでいると、何だか実際の人間関係の構築ができなくなってしまうのではないかと感じるのは、自分が古い人間になった証拠だろうか。昔、親が漫画ばかり読んでいると文章の読解力がなくなると心配していたのに通じるかもしれない。

 ゲームの中で相手の気を惹くためにプレゼントしたりするが、実際の人間関係ではもちろん、関係構築が先にこないといきなりプレゼントしてもダメである。おじさんたちが飲み屋のお姉さんを口説けない理由もここにある。

 先日、「ママがパパに告白した」と嬉しそうに報告に来たので、告白って意味わかっているのか聞いたところ、「付き合ってって言う事」という答えが返ってきた。どうやらわかっているらしい。続けて「付き合うってどういう事?」って聞いたら、「イチャイチャする事、お布団でゴロゴロする事」という答えだった。どうも現代は中途半端な情報が氾濫しているようである。

 そんな簡単に告白するって言うが、簡単じゃないんだぞと思わず言いたくなる。「昔は携帯電話なんてなかったから、女の子の家に電話するだけでも、胸がバクバクいって緊張してたいへんだったんだ」なんて言っても通じないのだろう。「あと5分したら電話しよう」、そして5分経つと「もう遅いから明日にした方がいいかもしれない」と思う。ようやくダイヤルしては切り、再びダイヤルする。コール音を聞きながら、「出るな」と願う。相手の親が出たらどうしようという緊張感。「あと1回で切ろう」「もう1回鳴らしてみよう」と矛盾した思いが交錯しながらコール数を数える・・・
今では懐かしい気もする。

 そんなバクバクとは無縁なバーチャル人間関係で育って大丈夫かとも思うが、よくよく考えてみれば自分も人間関係が苦手だった事に思い至る。バーチャルゲームの影響でなくてもそうだったのだ。小中学校時代はいつも特定の友達とばかり遊んでいたし、高校時代だって交流関係は狭かった。大学に至っては、ラグビー部以外の友達は片手でおつりが来る有り様だ。そんな自分が今ではなんとかまともにやっていけているのだから、くだらない心配のようだ。

 考えてみれば周りの友達もみんな持っているという事だから、同じ感覚でいいのかもしれない。スーパーマリオは自分でも面白いと思って一緒にやったが、どうもこのゲームは趣味にあいそうもない。まあ本人が楽しんでいるのが一番だからいいのだろう。ただあんまりやりすぎると現実世界のママに怒られるから注意した方がいいだろうねと、心の中でそっと注意したのである・・・


【本日の読書】
「MOMENT」本多孝好
いよいよクライマックス!
「BOX!」百田尚樹
     
    

2010年2月22日月曜日

走る!

「世界で最も住みやすい都市ランキング」
     1.バンクーバー  (カナダ)
   2.ウイーン      (オーストリア)
   3.メルボルン     (オーストラリア)
   4.トロント      (カナダ)
   5.カルガリー     (カナダ)
   6.ヘルシンキ     (フィンランド)
   7.シドニー      (オーストラリア)
   8.パース       (オーストラリア)
   9.アデレード     (オーストラリア)
  10.オークランド    (ニュージーランド)

エコノミスト・インテリジェンス・ユニット発表

う~ん、「3」と「7」は行ったが他はまだだ。
いつか住んでみたいなぁ・・・
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 今日は家族で両親のお見舞い。車で環七を走っていると何だか走っている人がやたらと目についた。特に気にもしていなかったが、やがてある表示が目に入った。
「2/28 東京マラソン 車線規制」
全員そうだとは思わないが、今日見た人達の何人かは来週の東京マラソンに出場するのだろうと考えた。聞くところによると32,000人も参加するそうだから、満更外れてもいないのだろう。

 最近マラソン(あるいはジョギング)が静かなブームだと聞いた。以前から皇居の周辺を走る人達は目にしていたが、ここのところその人口も増えているらしい。なんでも周辺の銭湯が、閉鎖しようと思っていたら、思わぬ利用者の急増で業績が息を吹き返したという記事も目にした事がある。走った後にひとっ風呂浴びる人が増えたのだろう。

 少し前に会社の指定医の先生の話を聞く機会があったが、その時、その先生は最近ハマっているというマラソンの話をしてくれた。50代後半にも関わらず、フルマラソンに出場しているだとか、走っている時に訪れる恍惚感(いわゆるランナーズハイ)についてだとか、楽しそうに語ってくれた。長距離が嫌いな私としては、どうにも理解しにくい話であった。

 昼休みに皇居を走っている人もいったいどんな仕事をしているのだろうかと興味深いが、やれと言われても走れば当然シャワーくらいは浴びたいし、疲れれば仕事の能率も落ちるだろうし、何よりランチだって食べたいし、一体ランチタイムは何時間あるのだと聞きたくなってしまう。まあ、仮に時間があっても私はやらないだろうけど・・・

 健康に良いのは明らかだし、金のかからないスポーツという事で、懐の寂しいサラリーマンにはもってこいなのかもしれない。しかし、ただ淡々と走るだけでメリハリがない長距離走はやっぱりまだ好きになれない。かといってスポーツジムに通うのも性に合わないし、大学のラグビー部のシニアチームに加わって、「激しくないラグビー」をやるのもなんとなく嫌だし・・・

 そんな事をあれこれ言っているから、運動不足はますます度合いを深める。腕立て伏せやスクワットも毎日やっているわけではないし、そろそろ何か始めようかなと思うこの日この頃である・・・


【本日の読書】
なし

    

2010年2月18日木曜日

現代の百科事典

 「永遠の0」に感動し、著者百田尚樹の本第2弾として 「風の中のマリア」を読んだ。これはなんとオオスズメバチが主人公。ハチが主人公というと我々の世代は「みつばちマーヤ」を思い出してしまう。しかし、これはミツバチなんて可愛いものではない。なんといっても昆虫の食物連鎖の頂点に立つオオスズメバチである。自らの巣を「帝国」と称する無敵のハンターたちなのである。

 そして主人公のマリアは、ワーカーと呼ばれる働き蜂(名前からわかる通りすべてメス)。毎日外へ行って獲物を捕らえてくるのが仕事。獲物を捕らえると、あっという間に手足を切り取り胴体だけを団子にして巣に持ち帰り、妹たち(幼虫)に食べさせる。獲物の豊富な夏はよいが、少なくなる秋になると次の女王蜂に豊富な餌を与えるため、他の蜂の巣を襲って根こそぎ幼虫を奪って全滅させてしまったりする・・・

 そんな習性と面白いストーリーに、「ふ~む」と唸りながら一気に読んでしまった。読み終わると知識だけは一端の専門家になっていた。しかし、いかんせん本だけの知識。そこで利用したのが、GoogleとYoutube。画像や動画を検索すると、出てくる出てくる。

 中でも圧巻なのが日本ミツバチが自分たちの巣に侵入したオオスズメバチを集団で取り囲み、熱で殺してしまうシーン。オオスズメバチは46度以上になると死んでしまうが、日本ミツバチは48度まで耐えられる。この2度の差を利用して、自分たちよりはるかに大きな敵を殺すのである。Youtubeでそれを見る事ができた。
→ 「オオスズメバチvsニホンミツバチ」

 また、セイヨウミツバチの巣を襲うシーンも凄まじい。何万匹を相手にして数時間で根こそぎにしてしまうのである。Youtubeの動画 「30匹対30,000匹」でも「これは戦いではなく、虐殺である」と語られている。こういうのは映像で観るとよけいにリアリティを感じる。

 昔はこういう時は百科事典で調べたのだろうが、今は実に簡単にいろいろな関連知識、画像に映像が入手できる。あらためてネット社会の凄さを感じてしまう。ちなみに暇があると、ここのところオオスズメバチ関連の動画を漁っている。本も面白かったが、それを踏まえた映像もまた興味深い。今やちょっとしたオオスズメバチ博士を気取っているくらいだ。

 いろいろな事に興味津々の子供だったら、もっと凄いかもしれない。あちこちであっという間に「博士くん」が出てきそうである。いやいや子供に負けているわけにもいくまい。大人も負けじと楽しみながら博士くんになりたいと思うのである・・・

(それにしても百田尚樹は面白い、今3冊目に取り掛かっている・・・)


【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOX!」百田尚樹
           
   

2010年2月16日火曜日

新三郷

 先週末に新三郷のショッピングスポットに出かけてきた。つい最近イケアにコストコにららぽーとができたところである。実はコストコについては、以前から三井アウトレットパークのところに行っていた。しかしながら新三郷の方が外環自動車道を使うと便利なため、これからはこちらを利用する事が多くなりそうである。妻はもう何度目かだが、私は新三郷のコストコとららぽーとは始めてであった。

 イケアは広大なスペースをこれでもかと活かして家具類を展示している。ここは2回目だが、なかなか暇つぶしにはよい。しかもレストランが併設されているので、食べてまた買い物を続けるという芸当もできる。軽食コーナーではホットドックとコーヒーのセットが150円だった。思わず買って食べてしまったが、さすがに150円だと食べないと損する気分になる。けっこう賑わっていたから、みんな同じ気分だったのだろう。これがメインというわけではないだろうが、原価もそんなにしないだろうし、馬鹿にできない売上はあるのではないかと思ってしまった。お客を外に出さない仕組みを考えての事なのだろう。

 コストコはとにかく量が多いし、変わったものもあるから、手持ち無沙汰でうろうろしても結構楽しめる。いつも近所のスーパーより安いバーボンを購入しているが、今回も買ってしまった。大量にしかもどんと無造作な陳列。日本的な行き届いたそれとは対照的であるが、これはこれで面白いものである。

 ららぽーとではChocolatería San Ginésという店に行く。
ここではチュロス&チョコレートドリンクが売り物である。なんでもスペインの人気店だそうで、そうなると食べ物にはうるさい我が家のメンバーが見逃すはずもなく、並ぶ事となったのである。チュロスは食べた事はあるが、ここではチョコレートドリンクに浸して食べるのが売りだとか。サクサクっと食べて満足。

 季節柄どこでもバレンタイン一色。娘は今年は誰にあげるのだろうかと思って尋ねたら、「誰にもあげない」だとか。ならばせめてパパにあげたらと誘い水を向けたが、笑ってごまかされた。早くも娘心が理解できなくなってきている。

 中に入っているイトーヨーカドーで息子は仮面ライダーのベルトを見つけてきた。クリスマスにサンタさんからもらえなかったベルトであるが、それとは種類の異なる500円のミニチュア版。目をきらきらさせて「良い子にする」というので買ってあげた。500円で感激されるのも悪くはない。

 子供たちのリクエストでフードコートで夕食。帰りはすっかり日も暮れていた。ちょっとした休日の暇つぶしにはもってこいのスポット。こんな休日も悪くはないと思うのである・・・


【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOXボックス!」百田尚樹

   

2010年2月13日土曜日

日頃鍛えし・・・

 心配してコメントやメールをいただいたみなさま、ありがとうございました。だいぶ慰められました。書いて言葉にする事によって自分自身にカツを入れる効果もありました。ブログの見えない効用でしょうね。これからも更新を続けていこうと強く思いました。

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 現在仲良く入院しているわが両親。先週はドタバタであったが、その発端は私がかけた電話。お正月から「具合が悪い」と聞いていたものの、その後どうなのか聞こうと思ったのだ。「いっそうよくない」というのがその答えだった。

 かかりつけの医師に診てもらっているが、原因はいまだわからない。自分で不安になり大学病院に行ったところ、総合案内で(言い方が悪かったのだろう)「紹介状をもらってくるように」と言われてすごすごと帰ってきたらしい。まるっきり初診の振りしていけばよかったものの、正直に要領悪く話し過ぎたのであろう。そう聞いて、「しらばっくれて初診に並べば良い」とアドバイスしたが、思い直して私がかかりつけ医のところに紹介状をもらいに行く事にした。

 初めは母も、「今後も長く付き合うつもりのかかりつけ医だから機嫌を損ねたくない」と躊躇していた。しかし、やはり初診で飛び込むよりは紹介状を持っていった方が良い。それまでの治療の経過がわかれば同じ検査を何度もする必要もない。素人的にもそんな風に思えた。そこで「うまくやるから大丈夫」と説得した。

 大事なのは母とかかりつけ医の関係を壊さぬように紹介状をもらう事。最悪、私が悪者になって「気の進まない母親」を「息子が強引に大きな病院へ連れて行った」という構図にしてしまえばよい、と腹を括って出かけて行った。私も日頃から、仕事柄鍛えられた「交渉術もどき」がある。何となく何とかなるだろうと考えていた。

 かかりつけの医師は私よりも少し若い感じ。始めに「病状と先生の考えを教えてほしい」と切り出した。そうしたところ丁寧に教えてくれた。どんな検査をしているのか、これから更にどんな検査をするつもりか、それによってはどうするか等々・・・

 そうしてその先生もある特定分野では専門外なので、そこは近くの大学病院で診てもらう他はない、その時は紹介状を書くと説明してくれた。そこで私は、「なるべく早く原因を知りたいので、並行して診てもらいたいがどうだろうか」と申し出た。先生はすぐに「では今紹介状を書きましょう」と言ってくれた。

 医者にとってみれば「自分では手に負えない」症状は嫌であろう。かと言って「自分にはできない」とは言い辛い。こちらの申し出は、ひょっとしたら「渡りに船」だったかもしれない。結果的には先生の顔を潰す事なく、喧嘩する事もなく、気持ちよく紹介状を書いてもらえた。なんとか悪者にはならずに済んだようだ。

 「相手の話を聞きながら、自分のメリットにつながる共通点を見出して、相手の顔を立てながら自分の動いてほしい方向に動いてもらう」
実は普段そんな話し合いをするケースが度々ある。弟などは喧嘩してでももらってくれば、という考え方をするが、相手にだってプライドや立場や考えなどがある。そんなものを尊重しながらうまくやる方法は常にどこかにあるはずなのだと思う。

 家に帰って紹介状を母親に見せながら、「まあこのくらいはわけない」と大げさに戦果を強調したのは言うまでもない。最近は親から不満をぶつけられる事の多い不肖の長男であるが、今回は面目躍如となった。こんな時でもなければ、失地回復といかないところが嘆かわしいが、まあこの機会にせいぜい点数を稼いでおきたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK
  

  

2010年2月10日水曜日

幸か不幸か

人は心そのもの。
人はいつも思考という道具を持ち歩いて欲しいものを形作り、
いくつもの喜びといくつもの悲しみを生み出している
ジェームズ・アレン
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 ここのところちょっと実家が大変な事になっている。父親が膝の怪我で入院したのに合わせるが如く、ここにきて母親も具合が悪くなり入院する事になった。何もそんなところまで仲良くなくてもいいものを、と思うがこればっかりは仕方がない。見舞いやら付き添いやら先生との話やらで実家と病院と職場と家との間を奔走していたので、すっかりブログは疎かになってしまった。

 実は5年前にも妻と子供が同時に(しかも別々の病院に)入院するという事態があった。この時もそうだったが、今回も「何という不幸だろう」と、ともすれば思いがちだ。しかし、こういう時こそ意識的に「不幸中の幸い」に目を向けるようにしている。この世の不幸が一気に圧し掛かってきたような気は、確かにする。実際に心も生活のリズムも乱れるし、大変は大変である。ただ、本当に究極的な不幸かと言えば、よくよく考えるとそうでもない事が見えてくる。

 第一にここは先進国日本の、しかも首都東京のど真ん中。入院した昭和大学病院まではタクシーで1メーターの距離。かかりつけ医では原因がわからなかった母親の症状も、検査の結果すぐに原因が判明した。自然治癒は難しいとの説明だったから、これが発展途上国だったら死ぬまで苦しまないといけなかったのかもしれない。母親は、本人の意識は別として幸運だ。

 そしてゆとりが叫ばれる我が職場環境。私も仲間の理解を得られ、休暇や早退で事態に対応できる。一昔前だったら大変だったのではないかと思う(昔、私の上司は義理の親の葬儀も仕事を休めず欠席していた・・・)。そういう時代の雰囲気と仲間とに恵まれたタイミングで幸運だ。

 さらに心の余裕がなくなっているこの時、我が家は平和で何の心配もない。家の事を何も気にしなくていいのは非常にありがたい。伯母(母の姉と妹)も手伝いに来てくれる。遠くに住んでいたら不可能なわけで、この点でもありがたい。私自身も海外や地方勤務だったら、遠くでやきもきするだけだっただろうし、近くで機動的に対応できるのも、考えてみれば幸運だ。不幸よりも幸運の方が多いような気がしてくる。

 どんなにあがいても事実は一つ。ただ、それをどう受け止めるかでだいぶ変わってくる。今回の件も、ひたすら嘆いても「ああまだ良い方だった」と自分に言い聞かせても、どちらにしても事態は変わらない。ならば少しでも良かったと思う方が、心にゆとりもできるし、いいような気がする。実際、発展途上国の人からみたら、随分と羨ましい状況だろうと思う。

 不肖の息子の汚名返上にも良い機会かもしれない。ここは一つ頑張りどころだと自分に言い聞かせて乗り切りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK



      

2010年2月3日水曜日

日記の効能

「恵方巻」
「節分」の夜にその年の恵方(吉神がいる方位=今年は『西南西』)を向いて「恵方巻」を無言で丸かぶりすると幸せが訪れるという。巻寿司は「福を巻き込む」とされ、「縁を切らない」ために包丁を入れずまるごと食べるのが良いとされている・・・
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 私はプライベートで日記をつけている。以前にも紹介したが、それは行動記録だ。その日一日の行動をざっと記録しておく。このスタイルはもうずっと変わっていない。

 よく昔の偉人の日記などが公開されたりしているが、もしも私の日記を誰かに見られたら、それは「何時に起きて、出勤して、○○の仕事をして・・・」なんて感じだからとてもレベルの低いものに見られてしまうかもしれない。ただ、個人的にはこれがけっこう役に立つ。

 最近は週末などに過去の同じ時期の日記何年か分を読み返している。そうすると、過去のそれぞれの同じ時期に何をしていたかが鮮明に思い起こされてくる。行動記録だからよけいに、である。平日などは同じような毎日を過ごしているようであるが、やっぱりその時その時異なっている。過ぎてみればあっと言う間で、早い早いと嘆いている月日であるが、やっぱり一日一日と違う日々を過ごしているのがわかる。

 自分のその時々の感情はあまり書いていないのだが、その時の様子とともに自然と思い出されるものである。面倒くさくなる事もやっぱりあるのだが、あとから読み返してみると「つけてて良かった」と思うから、それがずっと続けるモチベーションになっている。

 今はこうしてブログもあるから、ブログに移行しようかとも考えた。友人のブログなどを見ていて思うには、日記形式だと普段合わなくても彼ら(彼女ら)が何をしているのかがわかるので、身近に感じるという事だ。今忙しいんだなとか、また飲んでるんだなとか、気がつくとしばらく連絡を取っていなくても、そんな気がまるでしない。そういうメリットもあるのだと気がついた。

 しかし、それでもやっぱり日記は非公開だな。いろいろと表には出せない事もあるし・・・特に最近はPCに保存しているから、奥様に内緒のこともパスワードをかけて自由に書けるというメリットもある。これはこれで今後もこのスタイルだ。

 日記をつけ始めたのは確か小学校3年くらいだったと記憶している。それから断続的に続けてきて、ここ10年くらいは毎日書くことが定着した。ちょうど今娘がその年なので、日記をつけさせようと試みたが、あえなく断念。でも再チャレンジの機会をうかがっている。今度実家に帰った時に、小学生の頃の日記を探しだして娘に見せてみよう。どんな感想を持つだろうか。

 そして思考の記録はこのブログ。ネタはあるが、時間がなかなか捻出できないのが悩ましい。少なくとも3日に1度の更新ペースは維持して、ずっと続けていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「オーケストラ指揮法」高木善之
「風の中のマリア」百田尚樹