2009年10月31日土曜日

秋の日雑感

 今日も心地良い秋の一日であった。朝から長女の学校公開に参加。昔は「授業参観」と言ったものだが、最近は「学校公開」と言うらしい。「授業参観」はオメカシしたお母さんがある特定の授業だけ見学しに来たものである。その時間だけはみんな借りてきたネコみたいに大人しく良い子で授業を受けていたように記憶している。

 だが、「学校公開」は文字通り「学校を自由に見てください」というスタイル。いつ行って帰っても自由である。適当に行こうなどと考えていたら、「普段接触が少ないのだから沢山見てあげたら」と、妻に尻を蹴飛ばされて1時間目から行くことに。そうしたら見事に一番乗り。

 おかげさまでたっぷり午前中4時間も見学できてしまった。おまけに妻が帰ったあとの4時間目には親も先生に自己紹介させられてしまった。子供たちも先生の話を聞いたり、おしゃべりしたりと実に「のびのびと」授業を受けている。休み時間には気さくに話しかけてくる(教室では知らないおじさんに話しかけてもいいらしい)。

 自分が小学校3年の時はどんなだっただろう。あんまり思い出せない。今の娘たちと同じようでもあり、また違うようでもある。まあ楽しく過ごしてくれればいいのであるが、確実に子供の成長を感じるものである。

 ラグビーの普及策の一環らしいが、ニュージーランドのオールブラックスとオーストラリアのワラビーズが来日し、今日定期戦を行った。結果は予想通りオールブラックスの勝利。心情的にはワラビーズ(小型カンガルーのワラビーからのネーミングだ)の応援をしていたのだが、やっぱり順位(世界1位と3位の)通りの結果となってしまった。

 それでも世界最高峰の試合はさすがである。高度なプレーを何気なくやっている。ラグビーの試合はボールを巡って選手が入り乱れる。相手の人数・位置・自分の位置・味方の位置・グラウンドでの位置などの状況を瞬間的に判断し、プレーをする。そうして動いた状況にあわせて他のプレーヤーも動く。なんでそんなところにいるのだというところに選手が走りこんでくる、それを見過ごさずパスをする、それに反応して相手もタックルにくる。普通ならそんなところに走りこんでこないし、来たとしても咄嗟に反応してパスなどできないし、出来たとしても相手はタックルになどいけないのではないか、そんなレベルなのだ。

 昔、大学№1のW大学と試合をした(相手はレギュラーだ)。手も足もでないとはこういう事かと思わせられる完敗だった。そんなW大学も社会人チームには勝てなかったし、日本中の総力を結集してもワールドカップでは勝てない。世界最高峰の実力ってどんなものなのか。190センチ、100キロを越える体格もざらなだけにそれはそれは凄いのだろう。10年後のワールドカップ日本大会ではどんな試合が観られるのだろう。

 季節ははやくも11月。少しずつ寒くなって行く。そんな中で大学・社会人ラグビーは今が最盛期。我が母校の大学も今年はどんな成績を残せるだろうか。熱い戦いを見守りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
    
    

2009年10月30日金曜日

人に歴史あり

 取引先の社長さんと話をした。その社長さん、2つほど会社を経営している。
私は、日頃から会社名の由来には興味を持っている。その社長さんの会社名は、一つは自分の名前のままだからわかるのだが、もう一つの会社名がどこから来ているのかわからない。そこで尋ねてみた。

「父のね、生まれた村の名前なんです。」
もう74歳になろうという社長さんが答えてくれた。父親の生まれた村の名前から取るという事は、父親に対してなんらかの想いがあるか、あるいはその村自体にあるか、のいずれかだろうと単純に思った。そしてそれをさらに尋ねる。

 そうしたところ、子供の頃集団疎開で近くに行き、戦争が終わるとその村に移ってしばらく暮らしたのだと語ってくれた。そういう話は大好きなので、先を促す。昭和20年、東京の下町で暮らしていた社長さんは、いよいよ東京も危ないと、3月10日のまさに前日、日本海に面したその地方都市に集団疎開する。そして3月10日の空襲で自宅は焼け落ちたという。

 そればかりか、隣家はご主人一人だけが生き残って家族は全滅。前のうちも一家全滅。防空壕の中にいたが煙で窒息死したらしい。その隣は地方に疎開してそのまま戻ってこない・・・等々と近所の様子を教えてくれた。

 疎開先で枕を並べて寝ていた友達は、東京に残った家族が全滅してたった一人残されたという。戦後、父の村に行っても貧しくて蛇やカエルを食べたという。「当時は辛くて嫌だったと思うが、何だか今になってみると懐かしくてね」と目を細めて語ってくれた。今でも疎開仲間とは年に一回会っているらしい。もう64年も続いているというから驚きだ。

 先日読み終えた【「東京裁判」を読む】という本の中で、東条英機が残した言葉が紹介されていた。
「もろくも敵の脅威に脅へ簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及び国民の無気魂なりとは夢想だもせざりし・・・」
要は「この根性なし」と言っているのだが、国の指導者の目には個々の庶民のこんな生活は目に入らないのだろう。「今の首相も貧乏知らずだからね」と社長さんも言う。

 戦後、父親と闇市に通った日々。やがて下町の実家に戻り、家業を手伝う。その後事業を起こし仕事に没頭。74歳の今でも毎日会社で陣頭指揮を執る。とてもしっかりした社長さんだ。

 「こんなに贅沢な世の中でなくても、みんながなんとか生きていける程度の世の中の方がいいんだけどね」
74年も生きてきたからこその発言なのだろうか。今では集団疎開の集まりと高校の同窓会が何より楽しみだという。気心の知れた友人たちとの集まりはいくつになっても何ものにも代えがたいものなのだろう。時を経ても変わらずに残っているもの。自分もそういうものを大事にしたい。

 こういう個人史もいいものだ。また機会があったら聞きたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「現代の経営戦略」大前研一
「熱い風」小池真理子

     

2009年10月28日水曜日

地球の歴史

今の自分に疑問や不安を感じたら
            それは、変化しなさいという心の声です
                   葉 祥明「風にきいてごらん」
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 本を読むのに疲れてふと遠くを見る時のように、日常生活の諸々から逃げ出したくなって空想の世界に思いを馳せる事がある。宇宙の果てはどんなだろうかとか、はるか昔は地球上はどんなだっただろうか、とかである。想像力が及ばないあまりにも遠い世界である。

 最近長男が恐竜にハマっている。その手の図鑑などを読んでやっていると、自然とカンブリア紀だとかジュラ紀だとか白亜紀などといった文字が飛び込んでくる。そんな人類も存在しなかった太古の時代の様子を思い浮かべると、いつのまにか読むのも上の空になっていたりする。

地球の歴史が46億年。
その46億年を1年間で表したものを見た事がある。
1年365日で一日あたり12,602,740年。
1時間だと525,114年。
1分間だと8,752年。
1秒間では146年だ。
 
 元旦の午前0時に地球が誕生したとする。生命が爆発的に増えたカンブリア紀(5億4,400万年-5億年前)はなんと11月18日頃だ。そしてホモ・サピエンス(人類)が誕生した約20万年前は12月31日23時40分頃になる。さらにラスコーの洞窟壁画が描かれた1万8千年前は23時58分。キリスト誕生は23時59分45秒くらいだ。人類の歴史なんて地球の歴史からみると30秒程度なわけである。人一人の人生など瞬きする間もないくらいだ。

 そんな雄大な時の流れの中に我々は生きているのである。日常の悩みなんて小さなものなのだと感じさせられる。わずか一瞬のまばたきの中で、どうしてこんなにも足掻くのであろうか。それこそが生きている証だとしたら、生きるとは大変な事だと改めて思う。

 一つだけ間違いなく言える事は、100年後の世界がどうなっているのか私は知る事ができない。その世界では私の事を知っている者がいるかどうかもわからない。今撮っているビデオやCDがその時まで保管されていたら、私の子孫か誰かがそれを見て何か思うかもしれない。ちょうど私が時折祖父の写真を引っ張り出しては見ているように・・・

 このブログはどうなんだろう、その時まで残っているのだろうか?人には語れない事を書き込んでいる日記は誰かの目に留まるのだろうか?

 あれこれと想像したあとはまた日常生活に戻る。平凡な毎日であるが、心穏やかに過ごせるようにもうちょっと頑張って過ごしてみたいと思うのである・・・

     
【本日の読書】
「東京裁判を読む」半藤一利/保阪正康/井上亮
「熱い風」小池真理子

     

2009年10月25日日曜日

ヒゲ

 毎朝起きると洗面所に向う。そして42度のお湯でゆっくり顔を洗う。42度という温度は目が覚めるという効果とともに、髭を蒸らすという効果もある。そのあとジェルタイプのシェービングクリームをつけてゆっくりと髭を剃る。毎日の、言ってみればそれが一日の始まりを告げる「儀式」である。

 社会人になってから、ほぼそれが定着している。最初からシェーバーを使う気はさらさらなかった。シェーバーを使った方がはるかに簡単なのであるが、泡を立てて髭を剃るという行為そのものにこだわりを感じたのだ。もっとも最初の頃は水だったし、シェービングクリームもジェルタイプではなかった。お湯の温度も試行錯誤で微妙に変化し、そして現在の形に定着したものである。こういう儀式があると、一日の始まりとして無意識のうちに仕事モードになっていく。休みの日には髭を剃らないので、自然と気持ちにメリハリがついているという効果はある。

 もっともこの髭剃り、朝の儀式としてはいいのであるが、本当ならばやりたくない。本心を言えば髭は剃りたくないというのが正直なところ。実はずっと昔から髭をはやす事に憧れていた。だが、大学時代ははやすに十分な量がなく、泣く泣く断念していた。ようやくこれならと思った頃には、会社の規定に阻まれた。

 就職して以来何度か転職の話があった。その時真っ先に考えたのは、「髭をはやしてもいいだろうか」という事だ。残念ながらそうした話は実現しないまま今日に至っている。それでもまだ今後そういう話があった時には、やっぱりそれを真っ先に考えてしまうだろう。まさかそれだけで転職するわけにもいかないが、一つだけはっきりしているのは、たぶんそういう機会が実現したら間違いなく髭をはやすだろうという事だ。それくらいの思い入れがある。

 今は休みの日と連続休暇の時に髭を剃らない事で、せめてもの慰めとしている。連続休暇の時など一週間以上剃らないので結構髭も伸びてくる。自分としてはそんな髭が愛おしく、うっとりと撫でてみたりするのであるが、周りの反応は頗る悪い。妻を筆頭に母親もそうだし、義理の母親や義理の妹も、さすがにはっきりとは言わないものの、否定的な雰囲気はプンプン漂わせてくる。

 批判者はすべて女性だし、「女にはわからないのさ」とうそぶいてみるものの、「他人の評価こそが正しい」という野村監督の言葉に従えば、やっぱり自分で鏡を見て見とれるほどに、他人の目には映らないのかもしれない。まぁ無精髭レベルだけによけいみっともなく見えるのかもしれない。

 小学生の頃、床屋へ行くたびに母親から「顔剃りはしないように言いなさい」と言われたものである。なぜかと尋ねたら、「髭が濃くなるから」という答えが返ってきた。その時は素直に聞いてその通りにしてもらっていたが、あれは失敗だった。それがなければ学生時代に十分に濃くなり、髭がはやせたかもしれないと今でも思う。当時、ラグビー部の同期がこれみよがしに似合わない髭をはやしていたのが悔しくてならなかった。今でも母親を恨めしく思う。

 世界を見回せれば、アラブ世界では髭は男性の象徴とされていて、当然の如くみんなはやしているようである。残念ながら我が国では、明治から戦前の一時代を除いて髭が男を象徴するものとして重要視された歴史はない。しかし、これぞ男の象徴であり、女性には逆立ちしても真似のできないアイデンティティとしていいのではないかと思うのである。と言っても脛毛の「お手入れ」までする現代の若者には理解できない感覚かもしれない。

 見苦しいのであるなら仕方がないが、そもそも規定で禁止してしまう会社もどうかと個人的には思う。「世間が髭をはやした銀行員」を受け入れないという理由からだからやむを得ないのであろうが、髭をはやしているからイメージが悪いという認識にも大いに腹立たしいものがある。

 この先の人生で果たして髭をはやす機会があるであろうか。いつかそういう機会が訪れて、朝の儀式が少し変化するようになる事を、心密かに願う毎朝なのである・・・


【本日の読書】
なし


     

2009年10月23日金曜日

我が読書~至福のひと時~

 本を読むようになったのはいつの頃の事だろう。
私の頃は読み聞かせなどなかったから、何となく読み始めたような気がする。記憶にあるのは小学校の頃に、アルセーヌ・ルパンシリーズにハマっていた事だ。「奇巌城」「八点鐘」「813」などは夢中になって読んだものである。中学生の頃は星新一が記憶に残っている。高校生の頃は何といってもフレデリック・フォーサイスだし、また夏目漱石を読みまくったのもこの頃だ。

 大学に入るとさらに幅が広がる。といっても小説なのだが、国内外の文豪のものから「風と共に去りぬ」のような映画化されたものなどを暇に余せて読んだものである。進歩した事と言えばニーチェやキルケゴールなどの哲学系が加わった事だろうか(でも正直難しかった・・・)。

 社会人になって何年かしてからいわゆるビジネス書が加わった。自分なりに身の回りから得られる事だけでは限界があるとわかったし、仕事や人生のヒントを求めていくと自然とそうなっていったのだ。最初の頃に読んだ落合信彦の「狼たちへの伝言」シリーズ(ビジネス書であるかどうかは微妙だ)などにはメチャメチャ刺激を受けた。ビジネス書も読み出すとけっこう面白いもので、今では「勉強のため」という意識はなく、ただ面白いから読んでいるだけである。

 今でも次から次へと本を読んでいるが、日常生活の中で本を読む時間を確保するのはなかなか難しい。そんな毎日の読書時間は通勤時間だ。片道正味40分くらいは読めるだろうか。このひと時はたまらない。

 よく「サラリーマンといえば痛勤地獄」と言われるが、私には当てはまらない。なるべく各駅停車など比較的空いている電車に乗って、じっくりと本を読む。そんな至福のひと時ゆえ、「痛勤」とは無縁だ。同僚の中にははるばる片道1時間半以上かけて通ってくる者もいる。「毎日大変ですよ」とよくぼやいているが、心の中で「でも本がたくさん読めて羨ましいですね」と思ってしまう(でもそのために遠いところに住もうとはさすがに思わないが・・・)。

 夏の暑い時も、冬の寒い朝も、雨の日も本が読めると思うと駅へ向う足も自然と軽くなる。こうしてみると、本来辛いかもしれない時間帯をうまく至福のひと時に代えられているようだ。自分は案外うまく生きているのかもしれないと思ったりする。困る事と言えば読んでいる本が感動系のものだったりした時だ。涙が溢れそうになって戸惑った事もたびたびある。こういう時は電車の中はうまくない。

 今の悩みはこうやって実際に読める本に比べて読みたい本が多すぎる事だ。人によっては速読法をマスターして対応しているようであるが、どうも私の好みではない。手帳の読みたい本リストは長くなる一方だし、そのうちの一部はアマゾンで買ったり図書館で借りたりできるものの、多くがリストに載ったまま終わってしまっている。本棚にはもう一度読みたい本が埃をかぶっているし、これが大きなストレスだ。このストレスを解消するには通勤時間はあまりにも短いし、それ以外にやりたい事、やらなければならない事はあまりにも多い。

 やがて定年を迎えたらどうなるだろうと、先日ふと考えた。通勤時間がなくなったらどうしよう。その時は、駅前のスタバでゆっくりコーヒーを飲みながら本を読むなんてのもいいかもしれない。それを毎日の日課にする生活なんて素敵ではないか。

 その時まではみんなが顔をしかめる痛勤時間を至福のひと時に代えて、日々ささやかな幸せを味わいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「東京裁判を読む」半藤一利/保阪正康/井上亮


      

2009年10月21日水曜日

コーヒーを飲むひととき

 同じようにして過ぎていく毎日。楽しいイベントがそう毎日のようにあるわけでもなく、人生の大半がこうした同じような日常生活の連続である。そんな日常生活の中でもささやかな至福のひと時というものがある。私にとっては食後にコーヒーを飲むひと時がそれだ。

 コーヒーをいつの頃から飲むようになったかは定かではない。実家にいる時はインスタント・コーヒーのみだった。両親もそんなに好きではなかったし、時代的に言っても家で豆を挽いて飲むなんて少数派だったと思う。小学生の時だっただろうか、ともだちに「コーヒーはやっぱりブラックだよな」と言われて、「そうだよな」と同意した事がある。実はこの時、「ブラックで飲む」という意味がわからなかったのだが・・・

 「ブラックで飲む」という意味を知って、さっそく飲んでみたが、美味しくはなかった。インスタントだったし、ビールだって最初はまずかったし、当たり前だろう。幼少時にはだかの王様を読んで、自分は素直に生きようと思ったせいもあるが、まずいものを背伸びして飲むことはしなかった。だからコーヒーにはずっとミルクと砂糖を入れて飲んでいた。

 本格的に飲むようになったのは、社会人になってからだ。当時独身寮で同室だった先輩が毎晩豆を挽いて飲んでいたのだが、同室の私もそのたびにお相伴にあずかったのである。一人になってもその時培われた習慣は抜けず、コーヒーメーカーを買ってきて飲むようになった。以来、食後のコーヒーは欠かせない。

 ご多分にもれず、メタボが気になりだしてから砂糖はやめた。やめてみて気がついたが、なくても美味しい。その代わりミルクは欠かさない。外で飲むときは、ポーションタイプのミルクをやむなく使っているが、家では牛乳だ。外国に行ってコーヒーを飲んだときに牛乳だったのだが、これがけっこう気に入ったのだ。

 世の中には吉祥寺の「もか」(今はもうない)のような名店があちこちにあって、一杯1,000円とかの気合の入った美味しいコーヒーを飲ませてくれるところもあるようである。
しかし、私もそこまで通ではない。豆から挽いて適度に美味しければそれで満足するタイプだ。

 朝は残念ながらのんびりコーヒーを飲んではいられないが、昼と夜はゆっくりと楽しめる。特に夜はわずかな時間とはいえ、一日の仕事を終えてリラックスしているからこそよけいにそのひと時をゆっくりと楽しむ事ができる。そのひと時のために働いたといえば大げさかもしれないが、そのくらいの至福のひと時である。

 こういうささやかなひと時をたくさん作って楽しめたら、日常生活も充実するだろう。そんなひと時を少しずつ作っていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「東京裁判を読む」半藤一利/保阪正康/井上亮
     

2009年10月19日月曜日

仮面ライダー

 我が家の長男、この頃恐竜と仮面ライダーにハマっている。長女と同じように育てていても、男の子はやっぱり男の子らしい好みになっていく。どこで影響を受けるのだろうなとちょっと不思議に思う。仮面ライダーはたぶん、幼稚園だ。

 日曜日の朝の仮面ライダーWをたまたま長男と一緒に観た。何を隠そう、私も仮面ライダーは大好きだった。初代と2代目までは夢中になって観ていたものである。3代目から興味を失ってしまったが、その後も脈々と仮面ライダーは続いている。続いているのは知っていたが、あまりしっかりと観た事はなかったのである。

 さてそんな現代の仮面ライダーWであるが、全体的に明るい、軽い。登場人物は主役の探偵のお兄さんと所長のお姉さんともう一人のお兄さん。Wという名の通り、お兄さん二人が変身するのである。昔は「おやっさん」がいたものであるが、今は年寄りの出る幕はないらしい。

 ストリート・ダンサーが出てきてリズミカルに踊るのも現代風なら、変身も何やらベルトにメモリを差し込むというモノだ。確か一つ前の仮面ライダーはベルトにカードを挿して変身していた。カードゲームの流行を受けてのものだろうか。ガチャっと挿してカラッとさわやかに変身する。

 昔は「へん~しん!」というアクションがあったから、みんなベルトなどなくてもどこでも気軽に変身できた。今はベルトやメモリなどのモノがないと、気分がでなくて面白くないだろうなと思ってしまう。そして昔は次々と現れるショッカーの戦闘員をなぎ倒していったものだ(子供心にせっかく改造されたのに戦闘員じゃかわいそうだよな、と妙なところで同情していたものだ)。そうして最後に必殺のライダーキックで勝負を決めた。

 しかし、今はマンツーマンで怪人相手に銃をぶっ放す。そしていきなり終わってしまった(次回に続くらしい)ので最後はどうやって怪人を倒すのかは来週観てみないとわからない。なんともすっきりしない。昔は一話完結で、最後はサイクロン号に跨って、マフラーをなびかせながら、ナレーションとともに去っていったものである。

 それに主人公は不本意ながら改造人間にされてしまい、どこか世間に正体を隠して生きていて、言ってみれば陰を背負った暗さがあった。それが全体を通しての仮面ライダーの世界観を形成していた。今のライト感覚な雰囲気にはそれが感じられない。これも世相なのだろうか。

 「歌は世につれ、世は歌につれ」ではないが、仮面ライダーのこうした変化は世の中の動きの反映なのだろうか。なんだか昔のシリーズを観てみたくなってしまった。そして昔のライダーの勇姿をみせて、これぞ仮面ライダーだと息子には教えてやりたいと思うのだ。あの翳りを帯びた世界観でこそ、真の人格形成がなされるような気がしてならないと思うのである・・・


【本日の読書】
「なぜ隣の奥さんはラブホテルファンドでバーキンが買えたのか?」嶋野宏見
「東京裁判を読む」半藤一利/保阪正康/井上亮

    

2009年10月17日土曜日

スイーツ男子

 以前にも書いたが、最近は次々と新しい呼び名が登場している。スイーツもその一つ。ケーキやプリンなどの甘いものの総称のようであるが、近頃よく耳にするし、すっかり定着したようでもある。特に若者を意識しての事であろう、コンビに行くと「スイーツ」という言葉が氾濫している。

 先日ファミリーマートに行ったら「男子スイーツ部」などというのも見かけた。昔は「男子たるもの」は女の子のようにケーキ類についてあれこれ語るのは憚られたものであるが、最近は「草食系」が増えてきたのかどうやら抵抗感もなくなってきたらしい。それに大抵男性にとってこの手のものは、「量が少ない」という欠点があったのであるが、増量したものを売っているようである。明らかに男性をターゲットにしている。まあそれはそれで商売になるのであればいいのであろう。

 「男子たるもの」と言ったところで味覚的にはそれほど男女間に差があるわけでもなく、男子だってスイーツ好きはいたはずである。それがなんとなく「憚られて」表に出せなかっただけである。だから別に不思議でも何でもないわけで、突然近頃の男子達がスイーツ好きになったわけでもない。隠れていたものが出てきただけと言えよう。

 かく言う私も実は大のケーキ好き。かつて学生時代に家庭教師のアルバイトをしていた時の事、ある金持ちの歯医者さんの息子さんを教えていたが、何より嬉しかったのは当時世間相場の2倍のバイト料もさる事ながら、休憩時間に出されるケーキだった(その他のご家庭ではさすがにケーキは出てこなかった)。

 今でもバイキングなどでは必ずデザートのケーキは食べている。しかもそこそこの量をだ。最近よく高校関連でバイキング形式の懇親会に出るが、その時も密かにいくつも食べている(この「密かに」というのが「スイーツ時代」でなかった証かもしれない)。そうしてみると私もいわゆる「スイーツ男子」なのであろうか?

 最近の若者は、ケーキバイキングなんかにも男同士で行ったりするそうである。まぁ吉野家で女性が堂々と牛丼をかき込んでいるご時勢であるから、いいのであろう。それにしても人目を気にせず、女性陣に交じって堂々と行けるのは大したものである。残念ながら私にそこまでの度胸はない。


 先日妻が義母と銀座に行った帰りに「ラデュレ」というお店(本店はパリだそうである)でマカロンというお菓子を買ってきた。
何でもけっこう有名らしい。一個のお値段がケーキ一個分くらいするそうである。一緒になってあれこれ語るほどではないが、みんなでスイーツを食べる瞬間は幸せを感じる一時だ(マカロンは味とお値段がマッチしていないと我が家の女性陣からは不評であった・・・)。

 堂々とスイーツを語れるようになったいい時代とも思うが、それも人によりけりか。我が職場の某同僚、外見は安倍譲二みたいなのであるが、この人も大のスイーツ好き。東にうまいものがあると聞けばわざわざ出かけて行って食べてくる。先日も我が街までやって来て、評判のシュークリーム(@100円)を買って帰ったらしい。一人部屋に帰って5個もシュークリームを食べる姿を想像すると、やっぱりなぁと感じてしまう。スイーツおじさんは外見も重要な気がする。

 スイーツ男子かどうかはともかく、美味しいものを食べられるのは何より幸せな事。これからも密かにであるかどうかは別として、いろいろ味わいたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「なぜ隣の奥さんはラブホテルファンドでバーキンが買えたのか?」嶋野宏見
「夜のピクニック」恩田陸

     

2009年10月14日水曜日

ハロウィンの戸惑い

 
 昨年あたりからご近所でハロウィンの飾り付けがちらほら見られるようになってきた。
クリスマスの飾り付けは我が家もやるし、近所でもかなりやる家は多いのだが、ハロウィンはまだ少数派。我が家の目の前の豪邸(普通の家4軒分なのだ)も、昨年豪華な飾り付けを披露した。オレンジのかぼちゃの飾り付けは微笑ましく思えるし、私も見るのは好きである。

 ところが・・・
今年は豪邸の飾り付けが遅れている。そろそろやらないとあんまり長く飾れないのに、と他所の心配をしていたところ、我が家の奥様からこんな話を聞いた・・・

 それは昨年の事、やっぱり近所で懇意にしている奥様の家で、玄関にハロウィーンの飾り付けを施していた。そしたら、突然ピンポーンとチャイムが鳴り、出てみたところ「Trick or Treat!」。
「えっ!!」と驚いたその奥さん、とりあえず家にあったお菓子をかき集めて渡したそうである。やってきた子供たちは皆見知らぬ子たち。慌てて我が家の奥様にメールしてきた、「このあたりにはハロウィンの習慣があるのか?」と。(この奥さんはまだ住んで日が浅いのだ・・・)

 突然のメールで、そんな話に我が家の奥様も仰天。この地に住んで10数年、そんな話聞いたこともない。「来たら居留守使うわ!」と咄嗟に答えてビクビクしていたらしい。
幸いな事に我が家には来なかったようである。

 後日アメリカ滞在経験のある奥さん友達が教えてくれたそうである。本場でもハロウィンで子供たちは全家庭を回るわけではないのだと。ハロウィンの飾り付けをしている家だけを回るのだと。そういう家は、飾り付けが「ハロウィンしています」という合図なのだと。それで、その家だけに行ったのかもしれない。初めて聞く話だったが、そもそもその子供たちもそんな事をよく知っていたものだと変に感心してしまった。

 しかしながらこのハロウィンも、近所の知っている子供ならともかく、知らない子だとやっぱり抵抗感はあるよなと思う。地域でみんなでやりましょうってなったら別だが、いきなり見知らぬ子が来たら戸惑うだろう。我が家の奥さんが咄嗟に居留守を使おうと決めた気持ちもよくわかる。

 もともとハロウィンといったってどういうものかよくわかっている人は少ないだろうし、ただかぼちゃの飾り付けが可愛いから、ちょっと飾ろうかという程度の家が大半だろう。営々と築き上げた歴史を持った本場のそれとは似て非なるものだ。クリスマスもそうだが、形だけ輸入してしまうのは我々の社会の得意技だ。それをどこまでやるかはみんなのコンセンサスだが、この先どうなるのだろう。やがてクリスマスみたいに市民権を得ていくのであろうか?

 そんな話を聞くと、目の前の豪邸の飾り付けがまだなのは、やっぱり同じ経験をしたからなのだろうかと思ってしまった。おそらく、十中八九は子供たちの「襲撃」を受けたはずだし・・・ただ、そんな理由でせっかくの飾り付けが見られないのは残念な気もする。もしもそうなら、ハロウィンの習慣が我が家のご近所はおろか我が国に根付くのはちょっと難しいかもしれないな、と思うのである・・・


【本日の読書】
「覚悟のすすめ」金本知憲
「夜のピクニック」恩田陸
     
    

2009年10月12日月曜日

小江戸川越


 大阪から義母が上京してきた事もあり、連休の中日に川越に行ってきた。我が家からは西武線を乗り継いで1時間もかからない。へたな都心よりはずっと近い。レッドアロー号に乗りたがっていた長男の希望を叶えられるし、というわけで行く事にしたのである。もちろん、家族全員行くのは初めてである。

 川越であるが、いつの頃からか「小江戸」としてPRしているから、存在はよく知っていた。行ってみれば、NHKの朝の連続ドラマでも取り上げられているとかで、盛んにそれをPRしており、天気にも恵まれ大層な人出であった。町並みは古き善き時代の景観が残されている。そんな町並みに私はシャッターを切る。 

 ところが、花より団子の我が家の女系軍団、やれ「何この匂い」とか「芋○○とかおいしそうじゃない?」とか「これは買って帰って明日食べて、これはここで食べる?」とかで観光などはそっちのけ。まあ今に始まった事ではないのだが・・・

 厳選の上(当然私は選定メンバーには入っていない)、ハナマルでも取り上げられたという芋ソフトを食べる事になった。さっさと食べ終えた妻と義母は、「ちょっとあっちのお店(当然食べ物屋だ)を見てくる」と言い残して行ってしまう。子供たちが食べる終わるのを待つ間、私はと言えばそのソフトのお店を眺めていた。

 ソフトクリームも売れているのだが、やき芋にぎりというのも飛ぶように売れていた。
手軽に買って食べられる気安さからか、試しに食べてみようと思うのだろう、みんな列をなして買い求めていた。店頭の様子を見ているとついつい考えてしまう・・・

平均すると1分間に2個ぐらい売れている。
1時間で120個。
一日7時間として840個。
800個としても1個150円だから120,000円。平日は半分として、週6日営業で1週間で480,000円。1ヶ月で1,920,000円。年間で2,304万円。
原価率は30%くらいだろうか、アルバイトはいないようだし、これにソフトクリームを加えて・・・
我ながらもはや職業病かもしれないと思う・・・

 街並みには目もくれず、次は「菓子横丁」に向う。一通り見終ると、夕食はあらかじめ「うなぎ」と決めてあったから、それまで「何して時間つぶそう?」。いろいろと観光スポットはあったのだが、子供はもちろんの事、みんな気乗り薄。それでも強引に民族資料館なるところに入ったが、ここで川越の歴史を聞いてちょっと勉強した気分。

 特に「道計り」という距離測定器には関心した。あらかじめ歩幅をセットしておいて、そこから走行距離を割り出す装置である。言ってみれば「万歩計」そのものである。どういう原理かわからないが、電源も何もなしでこういう装置を作った知恵には感心させられた。

 もっとも関心したのは私だけだったかもしれない。みんな「いちのや」という老舗のうなぎ屋で食べた鰻のおいしさにすっかり心を奪われたようである。まあ、楽しいのが一番。みんなが楽しく過ごせれば、それが何より。平和な一日が過ごせて何よりだと思ったのである・・・


【本日の読書】
お休み
     
    

2009年10月10日土曜日

運動会にて

   勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
 敗者は「私のせいではない」と言う。

 勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
 敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。

 勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。
 敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。

 勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
 敗者は問題の周りをグルグル回る。

 勝者は「自分はまだまだです」と言う。
 敗者は自分より劣るものを見下す。

 勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
 敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。

 勝者は職務に誇りを持っている。
 敗者は「雇われているだけです」と言う。

 勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
 敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。
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 10月10日と言えば「体育の日」。もっとも今ではそれが変わり、今年は12日である。だが、子どもの頃から長年「10月10日」で慣れ親しんだ身としては、12日と言われてもピンとこない。やっぱり今でも10月10日は体育の日である。

 そんな体育の日に運動会があちこちで開催されたであろう。我が家も例にもれず長男の幼稚園の運動会であった。年少さんとして初めて運動会に参加した我が長男。父親としては前にも書いたが(明日に向って走れ)、やはり何はさておき「かけっこだけは一番」になってもらいたい。

 長男にはこの日に向けて暇を見つけては個別に練習させてきた。といっても本人は遊びだと思っていたと思う。その成果はいかにと見守る中、競技が始まり4人ずつ一組になって次々と走る。そして長男の順番になる。ビデオは撮らないといけないし、そうすると「肉眼で」見られないし、結果は気になるし・・・何だか自分が走った方が楽である。

 スタートの笛が鳴る。(年少さんは笛なのだ)フライングした子が先頭に出る。「あ゛~!」と声にならない声が思わず出る。ところが、ディスプレイの中で長男があっさりとその子を抜き去る。そしてそのままダントツトップでゴールを目指す姿はウサイン・ボルト並み。ビデオを持っていなければガッツポーズを取っていたと思う。

 一緒にビデオを撮っていた周りの見知らぬお父さんたちからも「おぉ~」と嘆息が漏れる。こうして人生初めての運動会の、人生始めてのかけっこを見事一等賞で飾った我が子。お遊戯は直前まで振り付けを覚えておらず、(長女は家で完璧に実演してみせた)「先生がやるのを見ながらやるからいい」とのたまわる逞しさも披露。これから「運動会が楽しい」子に育ってほしいと思う。

 最後の方に父兄競技としてリレーがあった。私は長女の時から出たことがない(やるからには常に本気の私としては、こういうところで本気を出すのが大人気ないと思うから出ないのである)。「脳ある鷹は爪を隠す」である。

 何やら熱心にストレッチをするお父さん、お母さん。号砲一発スタートするのだが、これがまた見事に転ぶ、転ぶ、転ぶ・・・日頃の運動不足の体と、昔のイメージのままの脳みその、それは見事なアンマッチ。その結果は、「運動会で転んだお父さん」という称号。すべりやすい校庭、園児向けの直線の少ない狭いトラック、運動不足でバランスの悪い足腰・・・ノーマルタイヤで雨中のヘアピンカーブに突っ込むようなものである。冷静に考えれば転ぶのも無理はないのである。

 我が子の夢を壊さないためにも、やっぱり「君子危うきに近寄らず」と決め込む我が身なのである・・・

【本日の読書】
「夜のピクニック」恩田陸

     

2009年10月8日木曜日

私にとってのブログ

「神明は唯平素の鍛錬に力め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちに之を奪ふ。古人曰く勝て兜の緒を締めよと」
東郷平八郎の訓示(日本海海戦時)
当時の米大統領セオドア・ルーズベルトがこの訓示に感銘し、英語に翻訳して米海軍の全将校に配布したとのエピソードも残っている。
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 ブログを始めてもう3年になる。始めた時に何が不安だったかというと「ネタが続くか」という事だった。あれこれ考えて、最初に始めたブログはテーマを仕事の事に絞り、ネタを10個くらい用意してスタートした。しかも毎日だと続かないかもしれないと考え、1日おきとした。1日ネタを考え、次の日更新するというパターンだ。これは今でも続いていて、けっこうアクセスもある。

 やってみてわかった事は、「ネタなどいくらでも浮かんでくる」という事だ。そして余裕が出てくると、仕事以外にも幅を広げたくなった。そこで趣味の映画をテーマにして2つ目をスタート。その後いくつか展開しやめてしまったのもあるが、今コンスタントに続けているのはこのブログを入れて4本だ。

 このブログはテーマを「思考の記録」としている。毎日あれこれと考えている事を以前はそのままにしていた。考えた事、感じた事はその時々浮かんでは消えていった。それらの諸々をこうして記録しておくのは、後から読み返すと自分でも面白い。

 やり始めてから小さな専用メモ帳を持ち歩くようにした。思いついた時にちょっとメモしておくのである。こうしておくと忘れないですむ。家に帰って落ち着いて食後のコーヒーを飲みながらメモをめくるわけである。「さて、今日はどれにしよう」と・・・

 ネタをちょこまかと書き溜めるのはいいが、家に帰ってもいろいろやる事があってのんびりブログを更新していられない、なんてことはあるが、書くことがなくて困るという事はない。まあ楽しみながらやっているというのが実情だ。

 ブログも人それぞれだ。いいところは離れたところに暮らしている人など何をやっているかわかる事だ。普通だったら疎遠になってしまうか、年に一回年賀状のやり取りで終わってしまうところが、その人のブログをみれば何をやっているのかよくわかる。先輩H氏などはその良い例だ。

 弊害はといえばパソコンの前に座っている時間が長くなってしまう事だ。夕飯を食べていそいそと部屋へ行ってカタカタとキーボードを叩いていると夫婦間の会話が少なくなってしまう。あまり熱を入れすぎると要らぬところで火を噴いたりするかもしれないので用心はしている。

 今は良い時代だとつくづく思う。こういう時代に生まれた恩恵はフルに享受したい。その分社会にも何かお返しをしないといけないのだろう。今はまだこれといったものはできていないが、いずれそういう事もしていきたいものである。それがブログのようなものであれば尚良いなと思うのである・・・

【本日の読書】
「ブラック・スワン下」ナシーム・ニコラス・タレブ
「生き方」稲盛 和夫
    
    

2009年10月7日水曜日

ガッツポーズ

 そういえば先週終わった大相撲。朝青龍の優勝で幕を閉じた。本割で白鵬に負けた朝青龍が、続く優勝決定戦で今度は白鵬を投げ飛ばして優勝した。そのあと思わずとったガッツポーズが物議を醸し出している。
どうやら無作法だというのである。

 猛烈に噛み付いているのは横綱審議委員の内館牧子氏。かねてから朝青龍には批判的なのであるが、またまたけしからんとわめいている。勝者が敗者を思いやる相撲では、タブー中のタブーの行為にあたるそうなのである。内館委員だけでなく、抗議の電話も殺到したらしい。

 しかしなぁと自分としては複雑な心境。相撲は日本の国技でもあるし伝統は大事である。だが何でいけないのかよくわからない。相撲は神技であり、ガッツポーズは相応しくないというのである。

 だが、相撲はその昔神社で奉納のために行われていた頃ならばいざ知らず、今は国技館で入場料を取ってやっている。いくら神技と言ってみたところで、お金を払う人はスポーツとして見に来ている。スポーツには感動と興奮がつきもの。ファンと一体になって勝った悦びをガッツポーズで表して何が悪い、と思うのだ。お客さんもだからこそ座布団を投げ入れるのだ。「神技だから行儀良く」なんて言っていたらソッポを向かれるのではないだろうか。

 私も学生時代からラグビーをやっていたが、ガッツポーズなどは意識しなくても出るものである。そういう悦びこそがスポーツの醍醐味であり、それは何もやっている本人だけの特典ではない。ベンチで応援する仲間たちも自然とそうなるものである。相撲だって一緒だろう。

 忘れられないシーンがある。全盛期の千代の富士が勢いに乗る小錦と対戦した一番だ。当時規格外の巨体で快進撃をする小錦を横綱が止められるのか、はたまた体の大きさがモノを言って小錦が勝ってしまうのか。固唾を呑んで見つめる大一番。手をついて呼吸を合わせた二人が起き上がったあと睨みあったのだ。相撲ではありえないシーンだが、館内も観ているこちらも最高潮に盛り上がったシーンだ。だが、最近はそうしたシーンが少ない。相撲人気の低迷もそんなところに理由があるのではないだろうか。

 勝者が敗者をいたわるのは、聖徳太子の時代から「和を持って貴し」とする我が国の伝統だ。悪い事ではない。敗者に優しいのも我が国の国民性だ。ガッツポーズを取る勝者と一緒になって喜ぶと同時に、負けて帰る敗者に温かい拍手を送るのも我々日本人の有り様だ。我々は自然とそういうものを培ってきた民族なのだ。ガッツポーズを禁止する理由などどこにもない。

 何だか履き違えているような気がしてならない。きっとそういう人はスポーツで勝って泣き、負けて泣いた経験がないのだろうと思ってしまう(応援でもまったく同じだ)。スポーツの持つ感動と興奮。それを素直に表現できるのが一番だと思うのである・・・


【本日の読書】
「ブラック・スワン下」ナシーム・ニコラス・タレブ
「生き方」稲盛 和夫

     

2009年10月4日日曜日

面接

 以前にも述べたことがあるが(「留学」)、私は出身高校の卒業生で運営している財団の活動に参加させていただいている。夏休みの英国短期留学に加えて春休みには台湾へ学生を派遣している。これは現地の大学生との交流を斡旋するもので、1週間の短期間ながら双方で行き来し交流を深めているものである。その派遣者を選ぶ面接が本日行われ、私も面接官として参加した。

 英国留学は大半が現役の高校生だったが、台湾は相手が大学生とあってこちらも大学生の卒業生を送っている。さすがに2回目ともなると慣れたもので、前回ほどあたふたする事もなかった。それに今回は派遣枠9名に対し、学生の応募者が14名というもので、時間も午前中で終えることができたから楽であった。

 面接での質問は3つ。志望動機、今大学でやっている事、最近印象に残った事。3~4人のグループ面接だ。あらかじめ応募用紙に目を通しておくのだが、面白いもので実際にしゃべると違う印象を受ける人もいたりする。たぶんアンカリング効果という前の人の発言に引きずられる傾向もあったようだ。例えば応募用紙にはサークル活動の事がたくさん書いてあるのに、大学でやっているのは「~の勉強をし・・・」などと答えてくる。「お前絶対違うだろう」と、我が身を振り返りつつ心の中で突っ込みを入れたりしていた。

 そうして最後に審査員の採点を集計したところ、やっぱり混戦となった。上位8名はすんなり決まったものの、9位が3名いたのだ。この中から一人選ばないといけない。面接の結果が同じとなるとどこで差をつけるか。ここは審査員の合議となる。

 結局、前回の台湾派遣で落選していた2名のうち、一番先に申し込み書を出した子となった(まあもう一人はすでにドイツに派遣した経緯があり、残る一人は来年再チャレンジできるという事も決め手となったのだが・・・)。決め手となったのは、説明会のあとすぐに応募用紙を出してきた熱意である。もちろん、面接受けがいいのが一番なのだろうが、最後の最後にモノを言うのはこういうところだったりするのかもしれない。

 我々の現役の頃にはこういう制度はなかった。だから今の学生たちは羨ましい限りだ。だがそういうチャンスにチャレンジする子としない子がいる。人それぞれだし、諸々の事情があるだろうから一概には比較できないが、身の回りを見渡してみて手を伸ばせば届くところにあるチャンスに手を伸ばしてみる、そういうことで、自分の人生も大きく変わったりするだろう。自分の子供たちには、そういうチャンスに手を出せる人間に育ってほしいと思う。

 今回選ばれた9人は台湾でどんな経験をするのだろう。ちょっとジェラシーを感じてしまうが、きっといい経験ができるに違いないと思うのである・・・


【本日の読書】
「ブラック・スワン下」ナシーム・ニコラス・タレブ

      

2009年10月2日金曜日

快投江川

 時の経つのは早いもので、はや10月「神無月」である。古来から十月を「神無月」と言うのは、旧暦の十月には全国の神々が出雲の国に集まり、留守になることから神の無い月と言われている・・・
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 会社での雑談はブログのかっこうのネタになる事が多い。今日はジャイアンツ。今年は早々に優勝を決めた。V9時代以来の3連覇。最近のジャイアンツは、かつて批判を浴びた金にあかせた選手獲得も鳴りを潜め、育成選手が育ってバランスのいいチームになった。ファンとしてもようやく安心して見ていられるようになったのはいい事だ。

 そんなジャイアンツではあるが、かつてはファンとしても苦々しく思うことがあった。清原を始めとした一連のFA選手獲得であり、なんといってもミソのつけ始めは「江川」だった。「ジャイアンツに入りたい」とダダをこねて、高校、大学と浪人し、それでもドラフトでジャイアンツがくじを引けず、とうとう阪神に一旦入団しトレードするという大騒動を起こした。こんな事、ありえない。当時は江川が大嫌いだった。表情もふてぶてしかったし・・・

 だが、そんな考えはやがて少しずつ変わっていった。何といってもピッチングが凄かったからだ。テレビで観ていてあれほど速いストレートはそれまで観た事もなかった。面白いようにバットは回るし・・・江川が投げる時は観ていて快感であった。

 今はそんなピッチャーはいない気がする。日本最速のクルーンだって違うような気がする。テレビでは球速が表示される。江川のストレートは140キロ台だったような気がするから、クルーンよりも10~20キロ遅いはずなのだが、そんな感じがしない。もっとも昔の事だから、記憶が増幅されているのだろうか・・・

 そんな時、現代は便利である。YouTubeで検索すれば、「江川の昔の投球」が観られる。
早速、観てみると・・・やっぱり速い。球速は確かに140キロ台だが、確かに速い。あの頃の記憶は間違いではなかった。

 球種はストレートとカーブくらいしかなかったはずだが、それでも20勝しているし、大したものである。現代の松坂やダルやマー君なんかよりも役者が上だと思うのはエコヒイキだろうか・・・こういう魅せる選手がいるとプロ野球ももう少し盛り上がるような気がする。

 今はすっかり太ってひょうきんな解説者で売っている。やがてジャイアンツの監督になるのだろうか。もうピッチングを観られないのは残念であるが、ジャイアンツの歴史を飾った名選手だと今では思うのである・・・





【本日の読書】
「ブラック・スワン上」ナシーム・ニコラス・タレブ
「裏ビジネス 闇の錬金術」鈴木晃