2015年11月30日月曜日

転職1年


転職してちょうど1年が経過した。
この1年、思うにいろいろあったが、実に楽しく仕事をさせていただいている。
メガバンクから社員10人の中小企業に移ってまず感じたのは、「人の数だけ仕事が増える」というパーキンソンの第一法則だ。

メガバンクでは、意思決定のために資料を集め、書類を作成し、何度も手直しした上で決裁に回し、上位者へと順に承認を取りながら、最終決裁者の承認を得る。
早くても1日、内容が重ければ数日あるいは1週間以上かかかる意思決定も、中小企業では、資料を持って社長に説明してその場で決まる。
このスピード感は、初めは戸惑うくらいであった。

作成する決済書も、私の元の職場ではワードの書体や文字のポイントまで細かくルールがあり、見る人の好みによって表やグラフや「てにをは」の表現や体裁も変わる。
役員決裁ともなれば、何度も何度も手直しし、それはそれは立派な書類が出来上がるが、肝となる「判断」はほんの一部で、大半は事務労働だ。
この事務労働を大幅にカットできれば、「帰りが遅い」銀行員もみんな定時に帰れるだろう。

転職によって通勤時間は大幅に増えた。
何せ毎日山手線を一周している(往復とも内回りで一周している)のであるが、個人的には読書時間が増え、かえって嬉しい気がしている。
以前はなかなか年間で100冊読めなかったが、今年は既に114冊を数えている。
私にとっては、「痛勤時間」など皆無で、この「読書時間」は短縮したいと思わない。

仕事は楽しくて仕方がないが、それは自ら主体的に考え、提案・実行しているからだろう。
なんでもそうであるが、「やらされている」より「自らやる」方がいいのは当たり前のこと。
大きな組織では、ボトムアップで組織を動かすのは容易ではない。
そのあまりの労力に、たいてい匙を投げるものだが、中小企業であれば簡単に動く。
このダイナミズムも魅力だと思う。

銀行では、だいたい50代前半で出向・転籍となるところが多いだろう。
役員にでもなれば別であるが、転籍して本体を離れ、そこで第二の人生となるわけである。
そのまま銀行で用意してくれた関連会社などの席に座るのも良いが、退職金をもらって外へ飛び出すのも悪くはない。
そう改めて感じている。

サラリーマンであれば、だいたいみんな「自分は仕事ができる」と思っているだろう。
実はそれは特定の組織内だけであったりするかもしれないと思っているが、本当にそうなのか、外に出てみればわかる。
「俺が出世できないのは、単なる不運だ」と思っている人は、是非飛び出てみるべきだと思う。
中小企業の方も「優秀な」人材を欲しているから、ブツブツ文句を言っているくらいならそうすべきである。

さて、2年目に突入となるわけであるが、慣れの怖いところは、「これでいい」と思うところだ。
改善点はないか、もう一つ上を目指すにはどうしたら良いか、目線は常に上に維持していきたいところである。

転職して、定年がなくなったのも良かったところだ。
ただしそれは、「会社が続く限り」という条件付きである。
そして会社が続くかどうかは、自分の頑張りも影響するところ。
自分の食い扶持は自分で確保しないといけない。
できれば最低でも70歳までは働きたいと思うし、それ以上も働いて年金の心配などしないで済ませたいと思っている。

明日から2年目、そして一年最後の月。
気持ちを新たに、楽しく働こうと思うのである・・・

【本日の読書】

 

2015年11月26日木曜日

三島由紀夫

11月25日は三島由紀夫の命日であった。
「三島由紀夫の命日」と言えば、それはすなわち、「三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日」ということである。

当時(1970年)、私は6歳。
多分、日本中がこのニュースで持ちきりだったであろうが、そんな記憶は全くない。
なぜ自衛隊だったかというと、それまで体験入隊等し、自身の持論であった「憲法改正」を主張し、自衛隊員に決起を促すためであったという。

三島由紀夫が主張していた「憲法改正」は、
日本を全的に守る正しい〈健軍の本義〉を規定するためには、憲法9条全部を削除し、その代わり〈日本国軍〉を創立し、憲法に、〈日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される〉という文言を明記するべきである』
とする本格的なもので、安倍総理が進めようとしている「憲法改正」などこの主張に比べたら、可愛いものに思えてしまう。
安全保障関連法案で、反対していた人たちが見たら、目を丸くして猛反対するような内容である。


憲法改正は私も賛成であるが、さすがにここまで主張されると腰が引けてしまう。
当時と比べれば、自衛隊もだいぶ存在意義を認められるようになってきたし、おそらく「憲法改正には反対だけど自衛隊の存在は認める」という人は多くなっているだろうから、もしかしたら今の世の中を見たら、三島由紀夫ももう少しマイルドな主張に改めたりするかもしれない。

私個人としては、こういう「過激思想」の人というよりも、やはり作家としての三島由紀夫が好きである。今でも本棚には 『仮面の告白』、『美徳のよろめき』、『潮騒』、『金閣寺』、『永すぎた春』そして『豊穣の海』シリーズ4部作が並んでいる。
いずれも一時期気に入って読んでいたものである。
中でも特に『豊穣の海』4部作は、しびれるような刺激を受け、「これぞ文学」と感動した覚えがある。

4部作の第1巻である『春の雪』は、映画化もされているが、ストーリーといい作中のセリフといい、大正時代の恋愛の奥ゆかしさと相まって、なかなかの感激を受けた。
そして最終巻『天人五衰』の衝撃のラストも大きな印象を残してくれた。
『天人五衰』の完成は、死の直前だったらしいが、よくぞ書き上げていただいたと思うばかりである。

非常な天才だったようであり、私のような凡人にその思想を理解するのは困難であるが、生きていたら日本文学界にもっと大きな足跡を残していただろうと思うと、つくづく残念に思われてならない。
そんなことをつらつらと考えていたら、また『豊穣の海』シリーズを読み返したくなってきた。
もう読んでからだいぶ経っているし、そろそろもう一度読み直してみてもいいかなと思う。

私にとっては、その思想云々よりも、自分の子供にも人にも進めたいと思う作家であり、11月25日はつくづく惜しまれる日なのである・・・

【三島由紀夫の本】
    

【本日の読書】
 


2015年11月23日月曜日

世の中の問題について

週末の土曜日は、世話役として参加している寺子屋小山台の講座があった。
今回のテーマは、「現代の問題」。
あれこれとある中で、しっかり議論しようとすると、とても1時間や2時間で済む話ではない。
とはいえ、考えるきっかけとしては、いい内容ではなかったかと思う。

私も普段から問題意識を持つようにしている。
ただ実際「考えている」ことと、「他人と議論をする」ということは、また違うものがある。
「考える」だけだと、当然ながら反論などない。
「自分の考えが常に正しい」わけで、自らの意見と違う意見に触れた時、そこでまた考える方向を変えて考えるという機会に恵まれる。
そういう意味では、自分にとっても得るものが大きい良い機会である。

折からパリで大規模なテロがあり、大勢の人が殺された。
報復としての空爆も行われており、その戦果(被害?)を目にしてはいないが、多分テロとは無縁の人も巻き添えを食っているかもしれないし、そうするとそれが新たなテロへと繋がるかもしれない。
もはや「国家対国家の戦争」は、どこかの国の左の人たちが声高に主張するにもかかわらず、起こりうる可能性は低くなっている。
今はむしろ、テロを心配する時代となっている。

テロを起こしたISに対して、その力を削ぐために空爆が行われているわけであるが、なぜ空爆かといえば、それは人的被害(戦死者)を出したくないからに他ならない。
十分恵まれた生活を送れる先進国の人間からすると、自分の国を守るためならまだしも、遠く離れた異国の地で命をかけたくはないだろう。
昔のようにすぐに地上戦に踏み切らないのはそれが為に他ならず、それが欧米先進国側のアキレス腱だとも言える。とはいえ、テロが収まらなければ地上戦へと進むのかもしれない。

それにしても、もともとISを「反アサド勢力」として武器を与え支援したのは欧米だ。
おおよそ歴史を振り返れば、世界中で戦争を起こしてきたのは欧米だ。
のんびり鎖国生活を謳歌していた我が国の玄関に土足で入り込んできて、無理やり開国させた上で国家間の争奪戦に参加せざるをえない状況を作ってくれたのもそうだ。
現在でも世界の武器輸出は、国連常任理事国が大半を占めている。
武器の販売を全て禁止すればさぞかし紛争も減るだろうと思うが、自国の銃規制もまともにできないアメリカには、期待するのも無理だろう。

テロが悪いのは言うまでもない。
どんな立派な信条だろうと、人を殺して正当化できるものなどありえない。
それを阻止することは必要なことであるが、病気と同じで「治療」よりも「予防」が大事である。
他国や他民族を自らの都合のいいようにコントロールしようとすることをやめ、過剰な国益の追求をやめ、もちろん武器を売って儲けようなどと考えず、奪うより分け合う精神で国家間で付き合うようにすれば、紛争など起こらないだろう。
まぁ無理な相談であることは百も承知である。

問題は、我が国としてどう行動するかであるが、剥き出しの欲まみれで国益を追求する貪欲な大国の狭間では、なかなか理想的な行動は取れないだろう。
ただ、どうしたら良いのかは考えていかなければならない。
アベさんがどうこうと言うより、広い視点で我が国の現状を捉えていかないといけないだろう。

考えるきっかけとしては、この寺子屋小山台はいつもいい機会だと思っている。
これからも、「いらない」と言われない限り、活動には関わっていきたいと思うのである・・・


2015年11月18日水曜日

東京観光は浅草?

浅草といえば雷門
昨日のこと、仕事の合間を縫って人に会いに浅草へ行った。
アポイントの時間に少し余裕があり、お茶を飲むかブラブラするかの選択肢から、「ブラブラ」を取った。

暖かい日差しの中、ウロウロすると、やはり観光地。
平日とは思えない賑わい。
ほとんどが観光客だと思われたが、一見して外国人が多い。
円安効果で来日外国人観光客が増えているとニュースでやっていたが、こういうところに来るとそれを実感する。

今やドンキも進出
目見当では、観光客のおよそ4割くらいが外国人だろうか。そのうち半分くらいが中国人(または台湾人)だと思われた。多いに結構。
たくさんお土産を買っていただいて、消費活動を通じて日本経済に貢献していただきたいと思う。

 そんな外国人観光客を見ていて、やはり浅草のような「和テイスト」の残る街は、外国人受けするのだろうかと、ふと思った。
もしも海外から来た人に、東京見学を頼まれたら、自分はどこに連れていくだろう。
「近代東京」を感じられるところか、それとも浅草のような「和テイスト」溢れる街だろうか。
雰囲気溢れる通りと人力車
 浅草と言っても、ブラブラしていると、吉野家やマクドナルドや日高屋など、どこにでもあるお店もある。
観光地とはいえ、そこで日常的に生活したり働いたりしている人はいるわけで、何ら不思議はない。
そんなお店は、地元住民専用かと思うと、マクドナルドで食事している白人親子がいたから、それはそれなのであろう。

そこかしこで記念撮影する外国人観光客を見ていると、やはり「和テイスト」が受けているみたいで、浮世絵の書かれた壁の前で写真を撮っていたりする。
テキサスに旅行して、テンガロンハットで写真を撮るようなものだろうか。

そうこうしているうちに待ち合わせ時間となってしまい、中心地を離れた。
吾妻橋を渡れば、そこでも観光客が写真を撮っている。
隅田川とスカイツリーと吾妻橋と、風景としてもいいかもしれない。
売れるのかと心配になるが風景の一角を占める商店
もしもいつか海外から来た人に、東京観光に連れて行ってくれと頼まれたら、浅草がいいかもしれないと感じた。
行列ができていたどら焼きにも未練があるし・・・

そんな機会が訪れるかどうかわからないが、もしものために、ストックぐらいあってもいいだろう。
その時になって、慌ててガイドブックを見るのではなく、さらりと提案したいと思うのである・・・




【昨日の読書】

 
    

2015年11月11日水曜日

カーシェアリング

カーシェアリングを利用することにした。
と言っても、我が家にはプレマシーがある。
利用することになったのは、実家である。

教習所の車が左ハンドルだった昭和30年代に免許を手にした父も、とうとう年貢を納めて愛車を廃車にした。
もう年齢的にも運転しない方がいいという周囲の声に従ったのである。

しかし、そうすると、母の月一の病院通いに支障をきたすことになった。
ただでさえ足元もおぼつかないのに、通勤電車になど乗ったら、本人どころか周りも迷惑だろう。
タクシーを利用するように進めても、「もったいない」と言って絶対利用しないだろう。
そこで私が送り迎えすることにしたのだが、自宅から実家へ迎えに行って病院へというのもしんどい話なので、実家近くのカーシェアリングを利用することにしたのである。

いざ会員登録して、利用してみると、これがなかなか便利。
あらかじめパソコンで利用時間を予約しておく。
あとは当日実家の近所の駐車場に行き、利用するだけ。
専用カードをかざすと、ドアのロックが解除される。
ダッシュボードからキーを抜いて、エンジンをかけるのである。

予約時間の30分前になると、カーナビがその旨教えてくれる。
ご丁寧に延長方法までレクチャーしてくれる。
ちょっと時間オーバーしそうだったので、カーナビで操作すると、手続きはすぐに終わる。
駐車場に戻してキーを元の場所に差し込めば、清算結果もすぐわかる。

車種も(そこの駐車場は)6種類あって、好きなのを選べる。
とりあえず、乗り慣れているプレマシー(ただし型はこちらの方が新しい)にしたが、今度は別のにしてみようかという楽しみもある。
気がつけば、すべて一人で手続きが完結。
誰にも接することがなかった。

レンタカーとの比較優位でいけば、この手軽さと価格だろう。
15分206円で、15分単位で利用でき、ガソリンも「満タン返し」する必要がない。
レンタカーだと最低6時間(6,000〜8,000円)だから、この設定は嬉しい。
保険込みで約4,000円かかったが、値段的にもレンタカーと比べるべくもない。
そういえば、子供の友人のあるご家庭では、自家用車はなく、カーシェアリングだと聞いたことがあるが、あまり利用頻度が高くなければ、それでいいという判断もうなずける。

事業採算は、規模がないと厳しいだろうが、「乗りたい時に乗れる」という利便性が確保できれば、駐車場料金の高い都内などでは特に利用が広がるような気がする。
我が家でも、当面月一回の母親の通院は続くし、仕事も合わせられるようになったから、私の送迎もそれに合わせて続く。
当分、利用することになるだろう。

仕事でたまに利用するレンタカーでは、先日アウディを頼みもしないのに貸してくれた。
基本的に「日本車派」の私としては、外車に乗るいい機会だった。
次なる希望は、こうしたラインアップだろうか。
人間は慣れれば贅沢になるものである。
しばらくは、便利に楽しみながら利用しようと思うのである・・・

【本日の読書】

 
 

2015年11月8日日曜日

寿司屋考

先日のこと、社長に連れられて寿司屋に行った。
「社長に連れられて」行くのであるから、そこは当然、回転寿司ではない。
昔ながらの、カウンターに座り、目の前で握ってもらうタイプの寿司屋である。
「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」と社長に言われ、喜んでついて行ったという次第である。

喜び勇んで店に入り、威勢のいい大将の握りをしっかりと堪能してきた。
確かに寿司は美味しかった。
帰りにこっそり覗いてみたら、お値段はやっぱりそれ相当のものだった。
いつも我が家でスシローに行くが、家族4人で食べる合計より、一人当たりの値段は高かった。
それだけの価値はあったと正直思う。

しかし、冷静になって考えてみると、社長に言われていた「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」という言葉には、素直に同意しかねる自分がいた。
確かに美味しかったが、スシローとの差がどれほどあるかと言えば、「そんなに差はない」というのが、正直な感想だ。
と言うより、目をつぶって食べたら、どちらがどちらだかわからないかもしれないとも思う。

「もちろん、食べ慣れていないからだろう」と言われれば、返す言葉もない。
だが、考えてみれば、寿司は「ネタとシャリ」からできている。
そしてネタは、海で泳いでいる魚だ。回転寿司と伝統的寿司屋とで、そんなに差が出るものではない。むしろ回転寿司の方が、その巨大な資金力を生かし、よりイキのいいネタを仕入れているかもしれない。大将オリジナルの絶品ホタテは無理としても、普通のネタでは回転寿司も負けていないと思うのである。

では、伝統的寿司屋に行く価値はないかと言えば、そうはならない。
静かな店内で、大将の握ってくれる寿司を食べるのは、なかなか気分が良い。
大勢の人がごったがえす店内とは、比較すべきもない。
子供のいない大人の空間の居心地良さが、寿司の味に加わることは間違いない。
伝統的寿司屋の美味しさは、ネタだけではないのである。
『100円のコーラを1000円で売る方法』で紹介されていたが、100円のコーラもリッツカールトンのルームサービスで頼めば、1,000円になる所以である。

20代の頃は、デートで寿司屋に行くなんてちょっと度胸がいるものだった。
やがて回転寿司が登場し、垣根は低くなったものの、「安かろうまずかろう」が当てはまった。
ところが昨今は、ついに味もレベルが上がってきた。
安くて美味しい寿司を食べられるようになったのは、間違いなく回転寿司の功績だ。
ただ、だからといって、伝統的寿司屋が劣ることにはならない。
回転寿司では味わえない「雰囲気」が、伝統的寿司屋にはあるのである。

それぞれが、それぞれの良さを生かし、うまく共存していってくれれば、日本の寿司文化も安泰だと思う。これを機に、伝統的寿司屋にもちょくちょく行こうと思う、がそう簡単にそうと書けないところがなかなか悲しい。代表的庶民の我が家としては、伝統的寿司屋さんはとてもハードルが高い。まぁ子供を連れて行くところでもないし、と言い訳をしつつ、「いつかそのうち」としておくところだ。

当面は、素直にスシローのお世話になりたいと思う我が家である・・・

【今週の読書】
 
      

2015年11月5日木曜日

いたちごっこ

タワーマンション使った節税、国税庁「チェック厳しく」

タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)
2015年11月3日(火) 
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 仕事柄、この手のニュースには自然と反応してしまうのだが、「やっぱりな」というのが最初の感想である。タワーマンションを使った節税というのは、我々庶民にはあまり縁のないことであるが、富裕層の相続税の節税手段としてここのところ注目を浴びているものである。マンションの固定資産税は、フロアーの違いに関係なく、「各階一律同じ」。
ところが、価格は「上に行くほど高くなる(傾向がある)」。
そのギャップを利用したものである。

例えば、30階建てのタワーマンションがあるとする。
同じ広さの部屋であっても、実際の価格は、1階だと5,000万円だが30階だと1億円ということがある。1億円の現金を持っているお金持ちは、そのままだと相続税は1億円分かかる。
ところがマンション(不動産)を買うと、その評価額は固定資産税評価額となる。
そして大概、固定資産税評価額は時価よりも安いので、不動産を買うだけで資産を圧縮できるというメリットがある。

さらに、このマンションの固定資産税評価額が、1部屋3,000万円だとすると、それは「1階でも30階でも3,000万円(広さが同じとして)」ということになる。
となると、1階の部屋を買うと5,000万円が3,000万円(の評価額)になるが、30階だと1億円が3,000万円になるのである。現金だと1億円分の税金を払わないといけないのに、このマンションの30階の部屋を買えば、3,000万円分の税金で済むわけである。

タワーマンションほど、この「ギャップ」は大きく、税理士などが一生懸命お金持ちにアピールしているのである。
昨今のマンション価格の高騰は、東京オリンピックを背景にした建設ブームもあるかもしれないが、こうした投資熱の影響も大きいと思う。

そんな「節税」に、国税も目をつけたというのが、冒頭のニュースである。
酒税のギャップをついて、ビールメーカーが涙ぐましい努力をして発泡酒や第3のビールを出せば、国税は来年度の税制改正で酒税改正(引き上げ)を検討しているという。
まぁ、お国も苦しい台所事情を抱えているから、少しでも「取れるところから取ろう」と思うのだろうが、なんとも言えない。

ただ、ビールは一般の人の反発も強いだろうが、タワーマンション課税で困るのはお金持ちくらいだろうから、庶民としては痛くもかゆくもない。
どうぞご自由にという気楽さがある。
しかし、一方で巧みな課税逃れをしているアマゾンなどの多国籍企業に対して、指をくわえているのは如何なものかという気がする。
これについては、アメリカ政府との関係もあるから「指をくわえている」わけではないのかもしれないが、「そっちを頑張ったら」と言いたくなるのが人情というものだろう。

タワーマンションに対する「不均衡」が是正されたら、マンション投資の熱も冷め、それが価格高騰の是正につながるとしたら、それはそれで歓迎すべき事態なのかもしれないが、果たしてどうであろう。よく実際のタワーマンションの部屋を見る機会があるが、高層階の部屋からの眺めは確かに素晴らしく、毎日こんな景色を眺める生活も悪くないと思う。けれども一方で、そんなに高い所に住むことに対する漠然とした不安感を覚えるのも事実である。正直言って、「一時的ならともかく、こんな高層階にはずっと住みたくない」と個人的には思っている。

まぁ心配しなくても、住むようなことにはならないからいいのであるが、決して「すっぱいぶどう」ではないことだけは、強調しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
 
  
タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)

2015年11月1日日曜日

立ち止まれるべき時は

【ランズエンド闇の孤島】という映画を観た。特に面白いというほどの映画ではなく、エンターテイメントとしては、普通の映画なのであるが、観ていていろいろと考えさせられる映画であった。

主人公は刑事のジョー。
ある日、少女が惨殺されるという事件が起こる。捜査線上に浮かんだのは、性犯罪歴のある男ビューリー。早速、拘束して取り調べるも、自供が得られない。有罪を立証しうる証拠もなく、やがて拘留期限が切れ、ビューリーは釈放される。

ところが、ジョーはこれが許せない。
ビューリーの動向を監視し、そしてある晩、パーティーの帰りにビューティーを拉致する。
そして人気のない海岸で、生き埋めにする脅しをかけ、自白を強要する。
身の危険を感じたのであろう、ビューリーは自白し、ジョーは思い余って彼を殴り殺してしまうというストーリーである。

刑事とはいえ、そこまでやるとさすがに犯罪である。
そしてあろうことか、やがて真犯人が明らかになり、ビューリーが無実だったことが発覚する・・・
ジョーは、その場にいた同僚刑事でもある弟のクリシーとともに必死に隠蔽工作をするのであるが、やがて二人は追い詰められていくというストーリーである。

「怪しい」という思いと、殺された少女への同情と、ジョーが暴走していく気持ちはわからなくもない。ただ、どこかで一旦立ち止まって原点から見直してみたら、あるいはこのような悲劇は避けられたのかもしれないと思う。
そういえば最近、事件から20年経って子供殺しの罪に問われていた夫婦の無罪が立証されたと報道されていた。なんでも、放火とされていたのが、実験によって自然発火だった可能性が高くなったというのが理由であった。警察もどういう捜査をしたのだろうかと疑問を感じてしまう。

だが、実は夫の方は、亡くなった娘に性的暴行を加えていたことが分かっており、夫婦には当時多額の借金があり、にもかかわらず、子供に多額の保険をかけ、しかもマンションの購入契約を結び、お金を必要としていたという事情があったらしい。
これだけ聞くと、「真っ黒じゃないか」と思うのが普通だろう。
正直、事件が自然発火であったとしても、それがなくてもどこかでやっていたんではないかと思えてしまう。

とはいえ、実際に無実であったのなら、20年も刑務所暮らしをさせられたのは、大きな過ちに違いない。神様ではない人間が、全てを見通すことなどできないが、自分の思いだけで突っ走るのはやはり危険なのであろう。常にどこかで一旦立ち止まって、周りの声に耳を傾け、自分の思いを疑ってみる必要があると言えるのかもしれない。

私も仕事を始めとして、基本的には自分の意見をはっきりと相手に伝える方である(ただし、家庭内で妻相手にはこの限りではない)。
それはそれでいいと思うのだが、アクセルとブレーキをしっかりと意識しておかないと、さすがに犯罪は犯さないだろうが、どこかで間違えるかもしれないと思う。
映画の主人公のジョーの暴走を、「バカだなぁ」と思って終わりにするのではなく、彼の悲劇を以って自分への教訓としたいと思う。

エンターテイメントとしては、大して面白いとは思えない「普通の映画」だったのであるが、なんだか思いの外、あれこれと考えさせられた映画である。
まぁ、これも映画の良いところ、だと思うのである・・・