2016年1月31日日曜日

セールス

大企業から中小企業に転職して一番驚いたのは、たくさんのセールスの電話である。
とにかく、いろいろなセールスの電話が毎日かかってくる。

マンション用地を探しているのですが、適した土地はありませんか(弊社は不動産屋だからなあ)
所有されているマンションを売りませんか(弊社は区分所有でいくつも持っている)
重機・トラックを引き取ります(昔は建設業を営んでいたからなあ)
コピー機の運用経費を削減できます
インターネット関連のセキュリティを安くできます
人材派遣のニーズにお応えいたします
決算対策でご提案があります
社長様に資産運用のご提案をさせていただきたい・・・

世の中の中小企業は、みんな一生懸命なんだなぁと改めて思わされた次第である。
ところが、どうもちょっと如何なものかと首をかしげるものが多い。
それは「本気で売ろうとしているのか」と疑問に思うようなものである。
例えば、よく「所有されているマンションを売りませんか」という電話がかかってくる。
ところが、そのマンションは数年前に売却してしまっていたりする。
おそらく、何か古いデータを基に電話をしてきているのだろうが、そんなことはちょっと登記簿謄本を取ればわかることである。

おそらく、たかだか数百円の経費をケチっているのだろうが、そんな基本的なことも調べないで電話してくるとしたら、多分データを見て電話番号だけ調べて受話器を取っているのだろう。
そもそもセールスとは、うまくこちらの取引に引き込もうとする勧誘だから、相手にメリットを提示しなければならない。
相手のホームページを見て、事業の内容を確認し、どういう提案の仕方をしたら相手が興味を持つか、電話をする前にじっくり考えるべきだろう。

おそらくそういう会社では、上司も何も考えず、ただ「一件でも多く(闇雲に)電話しろ!」と指示しているのだろう。
何件電話しているのかはわからないが、その度に断られ、ストレスを溜め消耗しているのだろうと想像に難くない。
その他にも、内容はともかく電話の口調が抑揚のないマニュアル棒読み風な方もいて、いかにも形式的で、そんな時はいくら丁寧でも一刻も早く切りたくなってしまう。

セールスというのは、「数打ちゃ当たる」ものではないだろう。
対象を絞るところから、どういうトークで相手の興味を引き、また一方的にしゃべるのではなく、合間合間に相手の情報を引き出し、それに対しどう自分たちのサービスを売り込んでいくのか。
よくよく考え込んで臨む必要があると思うのだが、悲しいかなそこが中小企業の限界か、お粗末なセールスが多い。

決算対策で社長に提案したいとの電話を受け、どんな内容か伺いたいと聞いたら、「社長さんではないと話せない」と言う。
「社長も忙しいので、やたらに取り継げない。内容を聞いた上で判断する」と返したら、ではいいと切ってしまった。
もちろんこちらに何の被害もないし、内容は高が知れている。
だが、そんなやり方で本当に売り込めているのかと、余計なお世話の心配をしてしまう。


人のことはともかく、自分たちは真似をしないようにしようと思っているが、行ってセールス指導したくなって堪らないのが、今ちょっとしたストレスなのである・・・


【本日の読書】
 
    

2016年1月28日木曜日

育った環境は影響が大きいと思う

日本は単一民族で、「社会主義国家以上に社会主義的な平等社会」とはよく言われることである。
それはそれで良いことだと思っているし、だからその中で培われた文化を破壊する移民政策には断固反対するのだが、ではまったく同じかというと、当然ながらその中にはその中なりの違いはある。

その一つに、「育ち」がある。
どういう表現が適切なのか実はよくわからないのだが、なんとなく「育ち」という言葉で説明できそうなので、そう表現することにする。
とにかく、「育ち」とでも表現できそうな生活習慣の違いからくる違和感は確かにあるのである。

私は現在、出身高校の関連の財団でボランティアのお手伝いをしているが、その他にも同窓会などの交流もあり、同期のメンバーともフェイスブックでつながっていたり、たまに飲みに行ったりしている。しかし、小学校・中学校の付き合いはない。
そもそも小中学校時代は、学年にいわゆる当時「ツッパリ」と言われた不良グループがいて、実に雰囲気が良くなかった。もちろん、なるべく関わり合わないようにしていたが、近くにくればなるべく目を合わさないようにしていたし、そうした卑屈な行動は自分自身が嫌になるものであった。そうしたグループ及び周辺にいる者たちには、独特の空気があって、それが大体共通していた。

高校に入った途端、そういう空気の人間は見事にいなくなった。
自慢するわけではないが、「学力」というフィルターを通過したことにより、「濾過」されたのだと思う。それが居心地の良い空気をつくり、だから高校関連の集まりにも積極的に行こうという気になれるのである。

ちなみに高校でラグビーをはじめたことにより、すっかり度胸がついた私は、もし小中学校(特に中学時代)に戻っても、校内を俯いて歩くことなどないだろうという自信がある。
後の祭りなのが残念なのであるが、もし今の自分があの頃に戻って人生をやり直せたら、思い出も随分明るいものに変わると思うのである。

そんなことを考えたのも、先日仕事であるご家庭にお邪魔した時に感じたのが原因である。
そのご家庭で、久々に「あの空気」を感じたのである。
ご主人は今では立派に一家を支える大黒柱だが、たぶん中学校時代はそうとう「やんちゃ」だったのではないかと推察される雰囲気なのである。
発言の端々にそれが表れていた。

仕事の話で行ったのであるが、通されたのはお茶の間で、テレビがガンガンかかっているが、ご主人は気に留めることもなく話を進める。
途中で娘さんが入ってきたのであるが、「こんにちは」というこちらの挨拶に答えるでもなく、テーブルに置いてあった煙草を取り、火をつけるとそのまま咥えて出て行った。
見たところ10代にも見えそうな若いお嬢さんで、ご主人の話によると、今妊娠しているという話だった。穿いていたのは紫のジャージだ。

いずれ子供が生まれ、新たな家庭ができるのだろうが、その家庭がどういう空気に満ち溢れるかは、想像に難くない。
たぶん、その家庭の「空気」はずっと受け継がれていくのだろう。
仕事だからにこやかに話をしたが、プライベートでは絶対にお付き合いしたくないと思う。

そういう考えが良いか悪いかなどという議論は意味がない。
悪いに決まっている。
しかし、心に感じる感情には逆らえない。
合わないものは合わないのである。
露骨に嫌って差別するのは、それこそ大人気なくやってはいけないこと。
「黙ってそっと距離を置く」。
そういうスタンスでいたいと思う。

よくないことだと言われても、相容れられない空気に対する違和感は拭いがたいと思うのである・・・



【本日の読書】