2018年8月30日木曜日

クレーム対応

 クレーム対応はハッキリ言って誰もやりたいとは思わない仕事だろう。私も経験があるが、あまりいい気がしないものである。だが、クレームを「受ける方」から時折「する方」に回るときがある。もちろん、それなりに理由はあるのだが、相手の対応によってますます腹が立ったり、あるいは満足したりする。「する方」に回った時、相手の対応はいい勉強の機会でもある。そんな「する方」の経験を先日した。

 それは東京電力で、仕事で会社の所有する不動産において作業をすることがあり、前日に通電を依頼しておいた。「朝7時から使えます」と言う説明だったが、実際に10時に現場に着くと電気が来ていない。すぐに電話連絡を入れる。例によって「サービス品質向上のため通話を録音させていただきます」という案内とともに幾つかプッシュボタンを押させられ、忍耐強く待ってオペレーターと話をする。どうやらシステム障害でスマートメーターが働かなかったらしい。

 そんな説明よりこちらの要求は「すぐに通電してほしい」ということ。電気が来ていないと仕事にならない。ところが「現場作業員が順次巡回している」との説明で、いつになるのかハッキリしない。こちらは多少計算もあって「それでは困る、仕事にかかれないと損害が発生する」と言って粘った。世の中、大きな声が通ることはしばしばであり、「困った感」を出しつつ、なんとかしてくれと粘る。相手も「申し訳ございません」「いつになるかわかりかねます」と繰り返すのみ。そこで上司に代わってくれと要求した。こちらは声に怒りがこもるよう演技しつつ、少しでも優遇してもらえないかという腹積もりである。なにせその日に終わらなければ予定が大幅に狂うのである。

 代わった上司にも同じやり取りを繰り返し、「では現場の状況を確認してすぐに折り返し連絡します」との言質を得た。それも怪しいと思ったので、上司の名前を確認するとともに「直通の電話番号を教えてくれ」と要求した。また音声案内でイライラさせられるのはたまらない。しかし、それは「ありません」の一言で断られ、「とにかく連絡させていただきます」とのことだったのでこちらも電話を切った。それから電気が来ていなくともできる作業を優先していて、ふと気がつくと2時間が経過している。

 そこで再度音声案内を我慢しつつ、オペレーターを待ち、先ほどの上司を指名で呼び出した。ところがこれが要領を得ない。「履歴を確認しますのでご住所を教えてください」と繰り返すのみ。「いやいや○○さんにつないでくれればいいんですけど」と伝えると、「どこのコールセンターで受けたかわからない」とのこと。どうやら電話番号は1つでも、受けるところはいろいろな場所に分散しているようである。諦めてそれではとその人の上司を呼び出す。ところが、「履歴を確認」したはずなのにまた説明することに。このあたりからだんだん「怒っているフリ」から本当に腹が立ってくる。

 「すぐに電話をすると言われたが、そちらのすぐは何分くらいのことなのか」と尋ねると、「確認取れ次第すぐということです」との答え。そうか、それで確認が取れなかったから2時間経っても音沙汰なしなのか。どうやら確認が取れなければ3日後でも「すぐ」と東京電力では言うらしい。それでまた、次の責任者は「現場の作業員に確認を取ってすぐにお電話します」と宣う。やれやれ、まだあと2時間はかかりそうだと気が重くなる。これ以上粘っても時間の無駄だとわかり諦めることにしたが、「では20分後に電話をくれ」と要求した。少しお説教をしたが、その甲斐あって「では20分後に確認が取れても取れなくても一度お電話いたします」との答えが返ってきたので納得して電話を切った。

 一般的に顧客サービス重視を標榜していても十分にできていないことは多々ある。今回の東京電力カスタマーセンターの対応もしかり。こうしたクレームの電話ではお詫びも大事だが、もっと大事なのは「この後どうするか」だ。システム障害と聞けばこちらもある程度仕方ないと思う。されどそれを錦の御旗にするのは違うだろう。こちらは電気が通じていなくて困っているのである。言い訳して「仕方ないでしょう」と自らを納得させることではなく、「早く復旧すること」が大事であり、それができなければ「いつ復旧できるのかの目処を示すこと」が求められているのである。

 「確認してすぐに電話をする」と回答したのなら、すぐに現場に確認し、「いつぐらいに回れそうなのか」を確認して連絡をくれればこちらも「本当に」腹を立てたりしないのである。責任者なら時計を見ていて、遅いと感じたらもう一度現場とやらに確認して回答を促すくらいはしないといけない。さらには「すぐと申し上げましたが、もう少しお時間をください」と区切るのも効果的だ。そこは大変だろうが個別対応だ。こうしたトラブル時にはお詫びだけで済まそうとするのではなく、「情報提供」の方がむしろ大事である。相手のニーズを確認して対応することこそが顧客サービスのイロハである。

 さらにはカスタマーセンターだけで頑張っても仕方ない。現場もカスタマーセンターから連絡があったら、「うるさいな」と思わずに真摯に対応するスタンスが求められる。直接顧客の声を聞いていない人には、聞いている人の緊張感は伝わらない。実際、現場の人間であればどのくらいで現地に行けそうかは判断できるだろう。一次対応のお姉ちゃんはマニュアル対応しかできないだろうが、責任者であればそのくらいのことはわかっていないといけない。ちょっと教育的指導をしてしまいたくなった対応である。

 もっともそんなことは天下の東京電力だからわかっているのかもしれない。その上で言葉だけ丁寧に「申し訳ございません」を繰り返し、なんとかやり過ごせば、次に電話がかかってきても受けるのは他のセンターかもしれないし、頰被りできると踏んだのかも知れない。あるいは組織として、適当にあしらえば沈静化すると考えたのかも知れない。実際、カスタマーセンターについては、「暖簾に腕押し感」が強く、最後はこちらもそれで費やされる時間が勿体無いと思って切り上げた。

 ちなみに、二番目の責任者は20分後に電話をしてきたが、回答は「やはり確認できないので現場の担当者から電話させる」とのことだった。この時点で、今日は電気が来ない前提で作業を考えようと切り替えた。その後、昼過ぎに突然電気がついた。もちろん、予想通り「現場の担当者からの電話」などかかってはこなかった。カスタマーセンターの担当者は、きっと後で「今日はつまんないクレーマーの電話を受けちゃった」とぼやいていたのだろう。

 他人の振り見て我が振り直せではないが、自分自身、今回はいい勉強になったと思った。そういう意味で東京電力カスタマーセンターの方には勉強をさせていただいた。こういう実地での経験に勝る勉強の機会はない。できることならいい見本を見せていただきたかったと思うが、「親方日の丸」の大組織ではクレームなんて気にするものではないだろうし、我々民間とは違うから難しいのだろう。
 
 いい見本に頼らず、真のクレーム対応のノウハウは自ら考えて勝ち取ろうと、改めて思ったのである・・・







【本日の読書】
 
    
   
    

2018年8月22日水曜日

宇宙開発の未来

 先日、週末恒例の映画で『サリュート7を観た。旧ソ連の宇宙事業で実際にあった事故を描いた映画である。軌道上のサリュート7が宇宙塵の影響で制御不能となり、このままでは地球に落下して大惨事となる可能性があるという事態が発生し、ソ連は2名の宇宙飛行士をサリュート7に送る。しかし、トラブルは重なり、その飛行士たちの生還すら危うい状況となってしまう。この状況下、アメリカはスペースシャトルを打ち上げる。

 ソ連のコントロールルームでは対応策を協議するが、残存酸素の量から「1名だけの帰還が精一杯」となる。アメリカのスペースシャトルには貨物室があり、サリュート7をそっくり回収できる。しかし、米ソ冷戦下でそれを認めれば技術が流出するのでソ連としては避けたい。そこで最悪の場合、「撃墜」という指示が出る。飛行士の生命は二の次である。実際には、飛行士の奇跡的な修理活動でサリュート7は復活し、2人とも無事帰還する。結果オーライだが、組織としては完全に命より技術を優先していた。

 一方、同じ宇宙モノのSF映画『オデッセイ』は、フィクションではあるものの、火星に取り残された宇宙飛行士を救助する物語である。こちらはNASAが懸命に救助を試みるが、救援物資の打ち上げに失敗し、絶望的状況になる。ところがここで中国が助け舟を出す。救援物資を乗せたロケットを軌道上まで打ち上げてNASAに提供するのである。中国というマーケットを意識したシーンだと言われるが、『サリュート7と比べると対照的である。

 『サリュート7でも人類の技術的にはもっと簡単に救助できたのである。スペースシャトルでサリュート7を回収してもらえればよかったわけである。だが、それを阻んだのは冷戦。逆に『オデッセイ』では、中国が手を差しのべたことにより困難な救助活動が成功したわけである。宇宙人の視点から見てみると、人類はその持てる技術力でもって火星に取り残された飛行士を救助しているわけで、違和感はないだろう。そこに温かみを感じるのは、本来対立的な国同士が協力し合って人命救助に携わっているからである。

 今は、米中間では双方が関税の引き上げ合戦を展開し、貿易戦争の様相を呈している。今『オデッセイ』を観れば、中国人はさぞかし胸のすく思いがするだろう。あくまでも映画はフィクションであるし、中国がNASAを助けるというストーリーが入ったのは、間違いなく「経済的理由」だろう。中国マネーが入ったのか、中国のマーケット向けを狙ったのかはわからないが、こういう時代が早く来るといいなという理想というよりも、現実は経済的理由の産物なのだろう。

 それでもやっぱり人類の明るい未来を信じたい私としては、こういう時代がいずれやって来るはずだと思いたい。それが米露なのか米中なのか中露なのかはわからないが(あるいは米中露かもしれない)、互いに協力し合う風景である。そしてやはりそこには我が国のJAXAの名前も加わって欲しいと願わざるを得ない。先日、有人月面着陸計画をぶち上げたところであるし、是非とも宇宙開発の一角に日の丸を翻して欲しいと思う。

 その昔、私は宇宙が大好きであった。プレネタリウムにもよく行ったし、今でも宇宙空間での特殊相対性理論の考え方なんてワクワクして読んでしまうクチである。映画では特に『インター・ステラー』なんて感動モノであった。そんな自分にとっては、宇宙開発は夢があって明るいものであって欲しい。願わくば、できる限り生きている間に、そんな未来を実現させて欲しいと思うのである・・・




【本日の読書】