2009年5月31日日曜日

幼稚園にて1

長男の幼稚園参観があった。
お父さんを意識してのものだと思うが、お母さんも1~2割程度いる。
兄弟がそろって園児だったり、日曜とはいえお父さんは仕事だったり、やっぱりいろいろ事情はあるのだろう。

最初に園庭で体操したり、親子ゲームをしたりとなかなか園も考えてくれている。
続いて室内に入り、みんなでご挨拶をし先生が出欠を取る。
声の小さい子もいるなかで、我が子は手をはっきりと上げて大きな声で返事をしていた。
親ばかではないがちょっとばかり頼もしく思う。

元気な歌も披露してくれた。
先生も伴奏を間違えたところを見ると緊張していたのかもしれない。
先生といっても20代前半の新卒の若い女性だ。
おじさんたちに囲まれていれば、それも無理はない。

親子で工作になると今度はこちらが緊張する番だ。
なにせ工作の類は大の苦手なのだ。
日曜大工なんて言葉は我が家の辞書には載っていない。
それでもさすがに幼稚園レベルであれば、なんとか様にはなるものである。
父親の面目を失うような事にはならず、ほっと一息である。

最後の紙芝居の頃は緊張も解けていた。
「ではお父さんに紙芝居を読んでもらいましょう!」と先生が言う。
子供たちは大賛成。
周りの大人たちは、みんな心なしかうつむいている。
それを観察する余裕が、自分にはあった。

「どなたか読んでいただける人?」と先生が尋ねる。
先ほどとは立場が逆転。
「誰に当てようかしら」と先生は、俯くお父さんたちを前に逆に楽しんでいるような感じもする。

女の子のお父さんがまず指名された。
「残りは男の子のお父さんにしましょう」と先生が言う。
「男の子の中で、お父さんに読んでほしい人?」と先生が言った。
その刹那、嫌な予感が体を走り抜ける。

「はあ~い!」
と一人元気よく、天にも届く勢いで手を上げた子がいた。

それはとっても微笑ましい姿だ。
その場に居合わせた者であれば、誰だってきっとその子を指名するであろう。
そして先生も当然の事ながらその子を指名した。
改めて確認するまでもない、それは紛れもなく我が子であった。
およそくじ引きの類やビンゴではほとんど当たったことなどないと言うのに、こういう時だけは当たるのである。

「はい、では○○君のお父さん、お願いします!」
先生の勝ち誇ったような、活き活きとした表情が何とも言えず恨めしかった・・・
    
      

2009年5月30日土曜日

ビートルズ

私はビートルズ世代からは一世代あとの世代である。ちょうど洋楽に感心を持って、ビートルズに触れた頃はすでに解散から5~6年経っていた。
いつも何かと影響を受けていた一つ年上の従兄弟が聴き始めたのに影響されたのである(ちなみに酒もタバコもこの従兄弟に教えてもらったのである)。

英語の歌詞の意味なんてろくにわからず、耳障りの良さだけに惹かれたところが大きい。
それに英語の歌を聴くなんて、何だか大人びた気分になれたところもある。
今でも耳にするとついつい聞き入ってしまう。
実際わりと耳にする機会も多い。

コムサの店舗に行くといつもBGMはビートルズである。社長が好きなのかなと思うのであるが、ここだと妻のいつ終わるともしれない買い物に付き合っていても苦にならない。逆に好きな曲のところで、「お待たせ」なんて言われると「ちょっと待て」と言ってしまうほどだ。そんな世代を意識しての選曲なのであろうか・・・

ビートルズの4人のメンバーでは何といってもジョン・レノンの人気が高いように思う。
それだけの魅力はあると思うのであるが、私はずっとポール・マッカートニー派である。
どこがと言われると難しいが、あえて言うのであればビートルズの曲のうち好きな曲はポールの歌うものが多かったから、と言える。私の感性に合うといってもいいかもしれない。

「エリナー・リグビー」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」・・・
曲名を上げていったらきりがない。そして解散後も長くヒット曲を生み出していたし、大好きな007の主題歌(「死ぬのは奴らだ」)になったりもした。一番ビートルズらしかったと思うからだ。とにかく、そんな単純な理由だ。

そして好きな曲はとなるとこれはもう答えにくい。よくマイナーな曲を上げる人も多いが、私はオーソドックスに「レット・イット・ビー」などの大ヒット曲をあげたい。だが、アルバム「アビーロード」の後半のメドレーなんかは大好きであるから、これも実はきりがない。歌詞を知って好きになったのは「イン・マイ・ライフ」。ジョン・レノンの歌うものは歌詞が気に入ったりする。やっぱりカリスマ的存在になるのもわかる気がする。

音楽界には次々と新しいアーティストが登場する。
最近はあまり新しい音楽も聴かなくなってきた。
新しい音楽に触れる一番の機会だったカーラジオも今は「嵐」か童謡だ。
しばらくは仕方がないかもしれない。
それゆえにビートルズのサウンドが心地良いのであろう。
もう新曲を聴く事はできないが、いつまでも楽しみたいと思うのである・・・
   
    

2009年5月28日木曜日

I love吉牛

仕事で外出する。
昼食時に重なると、当然外でランチとなる。
そんな時、月に1~2度は必ず吉野家へ向う。
そんな私は吉野家の牛丼好きである。
たぶん、中毒と言っても過言ではない。

牛丼なら松屋でもランプ亭でもなか卯でもあるのである。だが、味が違う。ビールのテイスティングはできなくても牛丼ならできる(吉野家とそれ以外という意味で、である)。アメリカ産牛肉とたまねぎとご飯の絶妙のコンビネーションが、他のチェーンのそれとは一味もふた味も違うのである。

ただいま研究中の「究極のメニュー」に加えるべきかどうか、迷うところではあるが、他のメニューとの優劣からするとちょっと入れ難い。ただし、丼モノとしてはカツ丼と天丼とでベスト3を形成する。究極の丼モノではある。

独身時代は週末の土日のどちらかのランチは必ず吉牛であった。
結婚するとなかなかそうもいかないので、今はもっぱら平日の外出時にふらっと寄ったりするのが唯一の機会だ。月1~2回程度に減ったとはいえ、1ヶ月以上も食べないと禁断症状が出てくる。そろそろ、と思うとわざわざ昼に重なるようにアポを入れるときもある。

そんな有り様だからBSE騒動の時は本当に辛かった。
耐え切れずに松屋やなか卯で牛丼を食べたが、味の違いに逆にフラストレーションが溜まってしまった。しかしあの時、あくまでも米国産の牛肉にこだわり、妥協する事なくそれを貫き通し、最大の経営危機を、単品経営を捨てるという英断で乗り切った姿勢はさすがである。あの時も、オーストラリア産牛肉で「これも吉野家の味」といって凌ぐ方法もあったはず。それをせずに、主力商品を引っ込めて他のメニューを開発した決断力は素晴らしい。

企業だから当然、儲けて存続しなければならない。
唯一の商品がなくなるという危機に、変えるべきは味かメニューかの選択をしたわけである。
そうしたこだわりは見習いたいところである。
自らのアイデンティティーとして「変えられないもの」、「変えたくないもの」、辛くても歯を食いしばって「守るべきものは守る」という哲学は個人にでも十分当てはまる。
大事なものを諦めてしまった事をいまだに後悔している身としては、一本筋が通っている事の大切さを感じずにはいられない。

その心意気に応えるべく、牛丼がない時期に豚丼も随分食べた。
BSE騒動が収束に向いつつある時、一日限定の牛丼復活があった。
その日は休みだったから、当然食べに行った。
家で宣言をしたら、妻には鼻でふふんとあしらわれたが、娘が「一緒に行く」と言ってくれた。
まだ幼い娘が一人付き合ってくれ、親子で吉牛の復活を祝った。
それは懐かしい味であり、待ち焦がれた味であった。

「食べたい時にいつでも食べられる」というのは、牛丼に限らず本当に幸せな事である。
この飽食の時代にそれを実感できた体験は貴重だ。
たかが牛丼、されど牛丼。
いつでもどこの店舗でも味わえる素晴らしさ。
これからも吉牛にはお世話になりたいと思うのである・・・
   
   

2009年5月25日月曜日

ファッション

男の第3の価値は「言葉」であり、
  第2の価値は「行動」であり、
   第1の価値は何より「生きる姿勢」である
                      里中満智子
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恥ずかしい話であるが、私はどうにもファッションセンスに乏しいようである。
洗濯をしていない薄汚れた服を平気で着る、という事こそないものの、流行遅れだったりパッとしないしょぼいものだったりという事はままあったらしい(「らしい」というところが肝なのである)。何度か人に指摘されたし、普通そういう事はあまり指摘しないものだと考えると、それ以上の冷たい視線は何度も注がれていたに違いない。

今でも覚えているのは、大学に入って間もなくの事、ラグビー部の部室で着替えようとしていたら、先輩が私の穿いていたジーンズを指差し、「それってラッパずぼんか?」と驚いて尋ねてきたことだ。かつて大好きだったテレビドラマ「俺達の旅」で中村雅俊演じる主人公が穿いていたベルボトム。憧れのスタイルであったのであるが、当時はすでに流行遅れになっていたのだ。それを全く知らず、しかも指摘されたのが、部内でもっともオッサンくさいと言われていたK先輩だったのがもの凄くショックであった。

社会人1年目の時も同じような指摘を同僚の女性から遠まわしに、そしてやんわりとされた。
女性からの指摘というものも年頃の身の上にはこたえるものである。
そして妻にも・・・

妻に対しては、そんなにセンスが悪いとバカにするなら東京にまで追いかけてくる事はなかったではないか、と逆襲を試みた事がある。妻の回答は、「最悪、服は変えさせれば何とかなると思うたんや」であった。あっさりと返り討ちにあった。まあ、間接的にではあるが、中味は認められたわけなので前向きに受け取ればいいのかもしれないが・・・

男は中味だ。
そう思い込むようにして体を鍛えてきたせいか、ファッションという苦手分野から逃げてきたのも事実である。しかし、結婚してからお気に入りのトレーナーなんかは何枚も捨てられたし、外出時着用禁止を出されたりしたのは切なかった。今でも「家の周り500メートル以内専用」とか「室内限定」の服はあるし、一緒にちょっとしたお出かけの時に、「その格好で行くの?(語尾が下がるのだ)」と言われないか冷や冷やする時がある。

そんな我が家は、今週末は子供の幼稚園の父兄参観。
昨日はそのための服を買いに行くハメになった。
もちろん、一人でなど行かせてもらえない。
服装に関しては完全に禁治○者扱いである。
と言ってもレジに商品を持って行って支払いをする事だけは許されているから準禁治○者だろうか?

今までは無関心でいたこの分野。
これまで頼りにしてきた肉体美ももはや遠い過去の栄光。
それに妻が私の服を選ぶより子供の服を選ぶ時間の方が、最近は長くなってきたように感じる。
そろそろ自立すべき時が来たのかもしれない。
少しずつ感心を持つところから始めようかと思うこの日この頃である・・・
   
   

2009年5月23日土曜日

開かずの踏み切り

その日、私は仕事で早朝から武蔵小金井にいた。いつもと違う街の通勤風景を眺めながら、駅の横の踏切を渡ろうとしていた。
目の前をすし詰めの通勤電車が通り過ぎる。
そして遮断機がゆっくりと・・・・・・

上がらない!
次の列車が近づいている事を知らせるランプとともに、踏み切りは鳴り続ける。
すぐそこにホームがある。
乗降客の様子が見える。
再び、電車を見送ると・・・
次の電車が近づいている。
遮断機は上がらない。
どうやら開かずの踏切らしい。

駅に電車が近づくと遮断機が下りる。
電車は静かにホームに入り、ドアが開いて乗客が乗り降りする。
電車が発車し、踏み切りを通り過ぎてしばらくすると遮断機が上がる。
そういうサイクルで動いている。

だが、朝の中央線はほとんど2分間隔くらいで運行されている。
踏切が開くわけない。
といっても中央線は高架工事中。
下り電車はすでに頭の上を通るから関係ない。
上り電車だけでこの有り様である。

そして遮断機を越えて渡る人が何人も現れる。
気持ちはよくわかるが、危険なのも事実だ。
駅に止まらない通勤快速が来たらどうするのだろうと思う。
すると何の事はない。通過する通勤快速が通る時は、踏み切りにアナウンスが流れるのである。
「速度の速い電車が来ます」と。

つまりJRもこの状態を知っているのだ。
ホームの端から駅員さんも踏み切りの様子を伺っているし、その間に何人もが渡っていく。
電車が行ったあと、すぐに遮断機を上げればいいのに、とは簡単に思う。
どうせ次の電車はホームで止まるのだ。
ホームで止まったところで遮断機を下ろすだけであり、出来ない事はない。

ではなぜやらないのか?
たぶん、問題意識を持っている駅員さんだっているだろう。
だけど仮に、もしももっと踏み切りの間隔を短くしましょう、なんて言い出したら、そんな駅員がいたとしても、たぶん社内の決裁の手続きのややこしさに潰されるような気がする。
状況を説明し、あるべき形を提案し、その実証と効果を説明し・・・
「そんな事しなくてももうすぐ高架工事も終わるだろう」という上司の声にかき消されるのではないだろうか?大きな組織ってそんなものである。

根本的な問題を棚上げにし、踏切内に警告を流すという手段でごまかしている・・・
大きな事故でも起こらない限りは変わらないだろう。
起こってもそれは「遮断機を潜る者が悪い」と言い訳されそうである。
高架工事が終わるまで、この綱渡りは続くに違いない。

時計を見ると10数分経っていた。
ディズニーランドでは大した事のない待ち時間である。
だが、終わりが見えないとなると、例え5分でもその長さは永遠にも等しい。
ホームには8本目の電車が止まっている。
ドアが閉まり、面倒くさそうに目の前の踏み切りを電車が通過していく。
今度こそ、という期待も空しく、警報機は9本目の電車の到来を告げる。

電車がホームに止まったのを確認し、私は遮断機を越えて踏み切りを渡った・・・

   
   

2009年5月22日金曜日

スポーツマンシップ

全身に何百の武器を仕込んでも 腹にくくった”一本の槍”にゃ適わねぇこともある・・・・
                         漫画:ONE PIECE(ワンピース)

他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ… もっとも『むずかしい事』は!いいかい!もっとも『むずかしい事』は! 『自分を乗り越える事』さ!
                         漫画:ジョジョの奇妙な冒険
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高校に入ってラグビーを始めた私は、以前も触れたが教えられた通りのプレーを忠実にこなすプレーヤーであった。ラグビーは烈しいぶつかり合いのスポーツである。当然勢い余ってのラフプレーはある。だが、当時「殴られたらタックルで返せ」というのがコーチの教えであった。それは実に日本人の気質にあった考え方である。

何せ武士道精神の伝統ある国。正々堂々を旨とする気質だ。力道山もアントニオ猪木もジャイアント馬場も、外人レスラーの反則攻撃に耐えながら一切反則技で返すことはなく、最後に怒りの鉄拳を振るうというのが美しい勝利のパターンであった。
「タックルで返せ」というのもその考え方にそったものだ。
「目には目を」の文化とは明らかに違う。

だが、大学に入って「自我」に目覚めた私の前に、ヨーロッパの本場のラグビーは実に新鮮であった。そこではラフプレーにはラフプレーで返す文化があった。野球でも頭の近くにボールを投げられたメジャーリーガーは迷わずピッチャーに掴みかかる。
と言っても暴力礼賛ではない。要はそういう精神が大事なのだ、ということである。

それを意識したのはある試合で自分自身ラフプレーにあった時だ。
教えられた通り怒りを正当なプレーで返そうとした。しかし、その時に自分で感じたのは、「正当なプレーで返そう」と一生懸命自分に言い訳している自分の気持ちであった。教えられた通りといいつつも、実はラフプレーで返す勇気がなかったのだ。それまで何となく感じていた自分の限界=「壁」の存在をはっきりと意識した瞬間だ。何の事はない、教えられた通り「きれい事」で返そうとしていたのは、ラフプレーで返すのが実は怖かったからなのだ。

壁を乗り越えるためにやる事はただ一つ。
ラフプレーにはラフプレーで返す事だ。
殴られたら殴り返す。
ヨーロッパのプレーヤーのように、だ。
そう意識したところから新たな世界が開けた。
最初の一発をかましたあとは、無理しなくても自然に手が出るようになった。
そして自分自身感じていた壁も突破できた。

ラグビーは15人のスポーツだ。
一人が乱闘になっても必ず誰かが止めに入る。
それで試合が中止になる事はまずない。
そして「殴られたら殴り返す」熱い闘争心こそが、チームメイトをも鼓舞するのだ。
上手なプレーだけではチームを引っ張れない。
「タックルで返せ」と教えてくれた先輩には申し訳ないが、そんなプレーヤーは大成できないのだ。

ただし、ノーサイドの精神は大切だ。
試合終了の笛がなったら、すべてはノーサイド(敵サイドも味方サイドもない)。
殴りあった相手と笑顔で握手すればいいのだ。
そしてそれこそが、真のスポーツマンシップなのだと思うのである・・・
    
    

2009年5月20日水曜日

I love Rugby

興味のある人しか知らない話題であるが、今ラグビー界ではアジア5カ国対抗というのが行われている。本場の有名な5カ国対抗(アイルランド、イングランド、ウェールズ、スコットランド、フランス)のアジア版と言えるものだ。レベルこそ遠く及ばないが、アジアでもラグビーを盛り立てていこうという試みだ。

日本は16日に韓国に80-9(前半33-3)で圧勝し、シンガポールとの最終戦を待たずに2年連続2度目の優勝を決めた。野球やサッカーでは強力なライバルである韓国も、ラグビーでは日本にとって屁でもない存在である(とっても気分良く観ていられるのである)。

というかアジアは日本の独断場であり、ワールドカップも従って「出られる、出られない」のレベルではない(常連なのである)ラグビーの世界ランキングでは、日本は95か国中16位。けっこう頑張っているのだ。ちなみに韓国は24位。16位と24位の間で80-9と大差がつく。その下は推して知るべし、である。

そして、「ではトップ10を狙えるか」というと、まず不可能である(今のところは)。トップ10とそれ以下との間にはとてつもなく大きな壁がある。日本人は体格的に欧米人と比べて不利である、というのがその差の大きな理由である。そして、競技人口。ラグビーの国民間での位置づけがまるで違う。野球が日本では大きなステイタスを占めているのと同じで、欧米ではラグビーが大きな存在である。この違いは大きい。

やってみればこれほど面白いスポーツはない。
何せボールを持っている相手に思いっきり体当たりできるスポーツなど、アメフトやオージーボールなどを除くとほとんどないだろう。アメフトはボールプレーヤーが倒されればすぐにプレーが止まるが、ラグビーはくんずほぐれつの中からボールを奪い取ってゲームが連続して続く。華麗なプレーもあれば豪快な激突もある。高校に入ってラグビーと出会った事で、私の人生も大いに満たされた。

それがゆえに、これからも日本のラグビーの発展を願いたいところ。
ただ、懸念すべきは少子化で競技人口が減り続けている事。
人口が減れば国力が衰えるのは、経済でもスポーツでも同じである。
悩ましい問題だ。

来月はU20世界ラグビー選手権(20歳以下の選手による大会)が日本で開催される。
ラグビー協会もチケットをばら撒いて動員を図っている。
少しでもラグビーを盛り上げようという表れだ。
草の根ファンとして、できる事はやっていきたいと考えている。
まずは息子の洗脳からだ。
じっくりと少しずつ洗脳していくつもりだ。
男の子のいる家庭には、是非ともリアルスポーツとしてお勧めしたいところである・・・

ご参考
世界ランキング
1. ニュージーランド
2. 南アフリカ
3. オーストラリア
4. アイルランド★
5. アルゼンチン
6. イングランド★
7. ウェールズ★
8. フランス
9. フィジー
10. スコットランド★
★:ラグビーの世界ではサッカーと同様、いわゆる「イギリス」は「連合王国」の伝統に従い4カ国に分かれている

2009年5月16日土曜日

就活学生に思うこと

人事部長:残念ですが求人はしてないんですよ。会社に今、新しい戦力は必要じゃないですから・・・
求職者 :それならちょうどいい。私は戦力になりませんから雇っても安心です! 
          (出典:『たまにはジョークを』)
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平日丸の内界隈を歩いていると就活学生(我々の時は「就活」などとは言わなかったなぁ)を多く見かける。
我々の時はちょうど売り手市場であったが、今はそうではない。
せっかく決まっても内定取り消しなんて事態もありうる世の中だし、学生さんも大変である。

ところで「彼女たち」を見るにつけ前々から思っている事がある。
就活学生であるか否か、は男の場合はっきりとはわからない。
だが、女性はすぐわかる。なぜなら、いわゆる「みんな同じリクルートスタイルだから」、である。紺の上下に白のシャツ、というスタイルである。

なぜみんな同じスタイルなのだろうと考えると、たぶん日本人特有の横並び意識というやつだろう。
スーツスタイル自体は当然だとしても、なぜみんな同じような紺の上下なのか、と疑問に思う。
しかもせっかくのスーツなのに、入社して一月もすると着なくなるのである。
(たぶんやはりあくまでも就活用という意識なのだろう)
どうせだったら入社してもずっと着られるようなものにすればいいのに、と思ってしまう。
その点、男のスーツは経済的である。

同じリクルートスタイルを選ぶ背景としては、「無難」という事になるのだろう。
下手に目立つ格好をして逆効果になったら、と恐れるのだろう。
だが、人事担当者はそれこそ何百人と面接をするのだ。
次から次へと同じ格好の女性が現れたら、誰が誰だかわからなくなるのではないかと思う。
よっぽどルックスがよければ別であるが、少しでもライバルに差をつけないといけない立場としては不利だと思うのだが・・・

きちんとしたスーツであれば面接でも問題ないし、逆に一人だけ違った格好であれば面接官の印象にも残りやすいはず。よほど失敗しない限りは採用となる確率はぐっと高まると思うのだ。スーツが違うというだけで、面接官も特に注目してくれるはずだし、印象にも残りやすいはずだ(「ああ、あのスーツの娘ね」と面接後の人事担当者同士の意見交換でもすぐに記憶を呼び出しやすいはずだ)金太郎飴のようなリクルートスーツより目立つし、しかも入社後もずっと着られるし、メリットこそあれデメリットなどないと思うのだ。

とは言え、そんな「戦略的な」スーツ選びを出来る子など、例えアドバイスされてもいないだろうな、という気がする。他人と一緒で、例えメリットなどなくても万が一のデメリットがない方が良い、とみんな考えるだろう。みんなが歩く道をみんなと同じように歩いていれば心配は少ない。我々の社会はそういう社会だ。

だけどちょっとだけ、脇にそれて新しい道を切り開いてみる勇気というのも、若者には必要なのではないかと思う。閉塞感漂う社会に必要なのは、新しい道を切り拓くことができるパスファインダーだ。何もみんながビル・ゲイツになる必要はないが、ほんの少しだけでもみんなと違う道を目指す意識は持った方が良いだろうと思う。

組織に入る前から、「無難」を選ぶのも、寂しい気がしてしまう。
かくいう自分も何かと「決まり事」の多い組織にいるが、そういう意識だけは常に保ち続けているつもりである。一人でも「そうだな」と思って、私の意見の正しさを証明してくれる人が出てくれば、うれしい限りだと思うのである・・・

    

     

2009年5月15日金曜日

夫婦喧嘩の風景3

愛というのは、
どれだけ多くのものを与えたかではなく、
そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです。
                 マザー・テレサ
妻とは自分がこしらえた作品であることを夫は知るべきである
                 バルザック
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ある夫婦の相談を受けた。
夫の言い分、妻の言い分それぞれであるが、一方の言い分を聞くと「もう一方が悪いわな」と思うものであるが、もう一方の言い分を聞くと、「なるほど、それも一理ある」と思う。

「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」とは昔から言われること。
放っておくべき事かもしれないが、相談を受けた以上はそうも言っていられない。
根本原因は、といえば「コミュニケーション不足」である。
家庭でも職場でも、凡その人間関係の不具合はすべてコミュニケーションに原因がある、と個人的には思っている。この夫婦もそうである。

互いにアツアツの新婚時代であれば、相手のミスにも寛大だ。
忘れていたりしたら自分が代わりにやってあげたりするものである。
ところが10年以上もたつと、次第に相手のミスを責めるようになる。

この夫婦は共働きである。
家事は当然、共同作業。
だが二人の間に十分なコミュニケーションはなく、互いに自分のテリトリーを決めている。
自分の仕事以外は「相手の仕事」。
ところが二人のテリトリーを足すと、どうも家事全般をカバーしていないようである。
となると、当然相手の仕事と思っている事が実は担当が決まっていなかったりするのである。

夫は「やる事はやったから気晴らしに飲みに行く」
妻は「夫はすぐに飲みに行ってばかり、私ばかり真面目にやっていられない」
そうして放置された家事が、双方のストレスとなる。
それに子供の問題と同居する(妻の)両親との関係が拍車をかける。

もしも二人の間に、「まず相手のために自分は何をしてあげられるか」という気持ちがあったなら、問題はたちどころに解決してしまう気がする。
ケネディ流に言うならば、「相手が自分に何をしてくれるのかを問うのではなく、自分が相手に何をしてあげられるのかを問え」となるであろうか。

新婚時代はあったはずの気持ちが、今の二人にはない。
少なくともどちらか一方だけでも、相手の不満の声に耳を傾ける姿勢さえ見せたなら、それだけでもうまくいくと思う。逆回転して転がりだした歯車を止めるのはなかなか至難の業。お互いに原点に帰れる様な何かがあるといいのだが・・・
せめて他山の石としたいところである。
      


2009年5月12日火曜日

母の日

「たわむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」
啄木
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先日の日曜日は母の日であった。
日曜日は家族で出かけたため、前日に実家に行った。
ちょっと用事があって子供たちだけを母に預けておいた。
母としては、孫たちと水入らずで、(私たち夫婦に)気兼ねなく遊べたので結構楽しかったようである。母の日のプレゼントはまた後日としてしまったが、まあ孫との戯れのひと時が母の日のプレゼントといえばプレゼントである。

世間ではどうしているのだろう。
やっぱり「純粋な愛情」「ありがとう」などの花言葉を持つカーネーションが定番なのであろうか。最近の傾向として母の日が近づくとカレーがよく売れるとも聞く。
日頃の感謝をママに伝えたいという気持ちから、母の日にお父さんと子供たちでカレーをつくるご家庭が増えているらしいが、我が家では子供たちも小さいためか、母の日といえばまだ互いの両親が対象だ。

私の場合、中学生くらいになった頃から母親と一緒のところを友達に見られると恥ずかしいと思うようになった。それは高校生になっても、それ以降もしばらくはそうだった。だから大学受験に母親と一緒に来ている男を見た時には、蹴飛ばしてやりたくなったものだ。今でも社会人になった息子の職場に電話をかけてきて、その上司に「息子に残業をさせないでくれ」という母親もいるらしい。ここまでいくと世も末だ。

それはともかくとして、私は結構自立心が強かったせいか、母親と話し込んだりすることはほとんどなかったように思う。最近はあれこれと悩み事の相談を受けたりして話をする機会も増えてきた。過去には母の誕生日のプレゼントを買いに、二人で買い物に行った事もある。そうした事にもいつのまにか抵抗はなくなった。

実家に行けばいまだにあれこれと物をくれようとする。
ありがたいのでこちらも素直に受け取る。
いくつになっても息子は息子なのだろう。

唯一の難点は妻との関係だ。
表面上は互いに平穏であるが、双方から不満の声を聞く。
どちらがどうだという問題ではない。
これは永遠の課題なのかもしれない。

いずれにせよ親が健在だという事は、それだけでありがたい。
嫁姑のつばぜり合いくらいは私が何とかしないとバチが当たるかもしれない。
母からすればまだまだ息子には不満が多いようであるが、なんとか嫁姑間の緩衝材となるべく奮闘努力中である。この修行だけはなんだかずっと続きそうであるが、それもありがたく続けていきたいと思うのである・・・
     
 
   
   

2009年5月10日日曜日

夫婦喧嘩の風景2

「苦しい事もあるだろう 言いたい事もあるだろう
  不満な事もあるだろう 腹の立つ事もあるだろう
  泣きたい事もあるだろう
  これらをじっとこらえていくのが、男の修行である」
山本五十六
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先日の夕食時。
一家団欒の一時のこと、ささいな事から妻と言い争いになった。
地震レベルでいけば、震度3という程度であろうか。
そんなに腹も立たなかったのであるが、ちょっと腹が立ったところもあって言い返した。
そうしたところ、驚いた事に妻が泣き出した。
口論になって悔し涙を滲ませた事はあってもおいおい泣く事などない妻が、である。
そんなに強く言ってなかったし、もっと腹を立てて言い争いになった事はあったのに、この程度で、しかも泣くとは、とこちらがびっくりした。

何かこちらの気付かないところで蓄積したものでもあったようである。
食卓を離れ別室に篭る妻。
あとに残されたのは私と子供たち。
子供たちは下を向いている。

子供も大きくなれば「またやってるよ」と醒めて放っておこうという態度にでもなるのであろう。
だが、まだ年端もいかぬとなれば、どうしていいかわからず戸惑うところであろう。
私も子供の頃、口論する両親を前におろおろした記憶がある。

子供には常日頃、「友達と喧嘩になったらそれは仕方ないけど、必ずあとで自分から謝るんだよ」と教えている手前、言った本人も言った事をやらないといけない。
そこで「ちょっとゴメンネって言ってくるね」と子供に言い残して妻のところへ言った。
そこで散々罵られたが、黙って聞き流して謝って席に戻った。

すると今度は長女が妻のいる部屋へ行った。
あとで聞いたら「いっしょに食べよう」と言いに行ったらしい。
長女は長女なりに考えての行動で、それも嬉しい驚きであった。
子供も成長は背が伸びているだけではないのである。

その後は不機嫌な妻に気を使いながら食事を終えた。
寝る時に長女に聞いたら、私たちの喧嘩を聞いていて泣きそうになったと言う。
改めて両親の間柄が子供に与える影響は大きいと感じた。
子供の精神的な(健全な)成長には両親の仲が良いかどうかは大きな影響力を持つものであると、つくづく思う。

謝らない妻に不満はあるものの、もはやそれはささやかな問題にもなりえない。
喧嘩になるのは互いに気持ちの問題もあって仕方がないが、子供の手前早めに修復する事が必要だろう。せめて「またやってらぁ」と知らん顔できるくらいの大人になるくらいまでは、修復役は自分の役目になりそうである。一家の大黒柱はつくづく大変だと思うのである・・・






2009年5月9日土曜日

夫婦喧嘩の風景1

   
我が家も世間並みによく夫婦喧嘩をする。
といっても口論だけで、しかも結末は大概私が謝るかそれとも自然に元に戻るか、である。
妻のほうから謝る、という事はこれまでも決してなかったし、これからもたぶんないと思う。

妻の言い分は簡単だ。
「悪くもないのに謝る必要はない」
だが、喧嘩は互いに自分が正しいと思っているから喧嘩になるのだ。
そんな事を言っていたら仲直りなんてできるわけがない。

かつていつも私が謝ってばかりだから、こちらが謝らなかったらどうなるか試してみたことがある。
一週間くらいお互い口を利かなかったが、必要最小限の会話というのは出てくるもので、そうこうしているうちに大概私が意地を張るのがバカらしくなってしまい、自然に元に戻るのであった。
妻は「ごめんね」とはとうとう言わなかった。
意思が強いというのか、頑固というのか、その一貫したスタイルは立派である。

そもそも謝るという行為は、自分が悪かったと認める事ではあるが、主張が間違っていたと認める事とイコールではない。少なくとも喧嘩した時は、たとえ自分の意見は間違っていないと思っても相手との関係を修復するためには必要な行為なのだ。
あえて言うなら、「喧嘩という結果を招いてごめんなさい」となるだろう。
私はそう考えているので謝る事自体に抵抗はない。

だが、そんなことを例え妻に言っても馬耳東風だから、最近では妻の謝罪などはすっかり諦めている。「ごめんなさい」などとしおらしく言われたら、と憧れにも似た気持ちを抱き続けているが、どうやらそんな夢は間違っても実現しそうにない。「いくつになっても夢を持て」とはよく言われるが、儚い夢はかえって体によくないと反論したくなる。

妻に言えない分は子供に言う。
「友達と喧嘩しちゃだめだよ」などと言ったって、大人でさえ喧嘩するのだからそんなのは現実的じゃない。だから、「友達と喧嘩するのは仕方ないけど、喧嘩しちゃった時は自分からごめんねって言うんだよ」と教えている。「『ごめんね』って謝る事は、悪い事をしたからという意味じゃなくて、『喧嘩してごめんね』っていう意味だよ、だから悪くなくても仲直りするために謝るんだよ」と教えている。

妻の聞いている前でわざとらしく言ったりするが、どうやら自分にも当てはまると思うほど感受性は高くないらしい。幸い子供は私の教えを守ってくれているようである。
よく「今日友達と喧嘩しちゃった」と報告してくれるが、そのあとどうしたか聞くと、「ごめんねって言って仲直りした」と答えてくれる。今のところはとっても素直だ。
そしてそれが救いである。

儚い夢は夢のまま終わるとも、その夢が我が子の中でしっかりと芽吹き、やがては大きな花となっていつか誰かに幸をもたらす・・・
そう考えれば我が無念も無念足りえず、反面教師も反面教師ゆえに存在意義はある。
そう考えて未来を明るく見つめたいと思うのである・・・



2009年5月5日火曜日

憲法記念日

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2.  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本国憲法第九条

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 世間ではGWという事ばかりが強調されているが、5月3日は言わずと知れた憲法記念日である。日本国憲法といえば、世界に冠たる「平和憲法」と一部の人達は自負しているが、その象徴たる第九条は、第1項はともかくとして、第2項は自衛隊との関係でどうにも具合が悪い。なぜなら自衛隊は明らかに憲法違反だからである。それは誰でもわかっている事であるが、だからといって自衛隊は廃止できない。できないからこそ、憲法違反ではない、と苦し紛れの解釈論でごまかしてきている。  

 私自身は、憲法とは国の基本であるから「義務教育を終えた人であれば、誰もが読めて理解できるものでないといけない」と思っている。個別の法律は多少難しくてもしかたないかもしれない。だが憲法は誰もが理解できるほどシンプルでないといけない。だからそのまま素直に読めば自衛隊は憲法違反であるし、だからといってなくすわけにはいかないものである以上、憲法の方を正すべきだと思うのである。
 
 大学時代、法学部(ラグビー『部』、ではない)の学生であった私はある教授の憲法講座に出席した。その日の講義で、その教授は「自衛隊が憲法違反である」という事を90分の時間をフルに使って解説してくれた。それは目からうろこの論理展開で、大学の憲法講義とはこれほどすばらしいものかと感動したものである。
 
 だが、考えてみると、確かにすばらしい論理展開なのであるが、なにもわざわざそんな高度な論理を展開させずとも、「だれでも読めばわかるじゃないか」と思ってしまったことも事実である(その講義に象徴される一連の法律論に限界を感じて、私は法曹界へ進む道を放棄したのだ)。しかし、現代の世界において軍隊を持たないで済ますなどという事は非現実的であって、それゆえに早く憲法を(特に第九条第2項を)改正してあるべき姿にするべきだ、と常々思っている。 
 
 もうじき子供も憲法を習うことだろう。その時、今のままであれば大人の世代としてまったくみっともないと思う。だめだ、と書いてあるものを解釈で抜け道を作るという事は、ルールを逸脱する方法を自ら教えているようなもので、それこそ教育上好ましくない。

 なぜ軍隊が必要なのかという議論を始めたら、憲法改正の話とあわせてたぶん1時間は話をする事ができる。それをここにすべて書き記す事は今はやめておこう。ただ、子供たちがもう少し大人になったら「憲法記念日」には憲法の話をしたいと思っている。その時に「大人の複雑な事情から、ここには白と書いてあるけど、実は黒なんだよ」などというわけのわからない話は、できればしたくない。軍隊を自衛隊と言ったり、改正を改悪と言ったり、子供の白紙のキャンバスに描くには現実は少々醜すぎる。
 
 素直に読んで素直に理解できる。そんなあるべき姿に早く正したいものだと思う。いつまでも「臭いものに蓋」式に先送りせずに正面から議論すべきなのだ。それをやらないのは政治家が悪いとするのは解決策ではない。
 
 「世の中をよくするためにまず自分ができる小さな一歩は何か?」
いつもそう考えているが、この件に関しては、まずは子供たちにいつでもきちんと説明できるように考えをまとめておきたい、と思うのである・・・






   
  

2009年5月4日月曜日

忌野清志郎

 忌野清志郎が死んだ・・・
少し前から喉頭癌だとは聞いていたが、元気に闘病生活をしているものだと思っていた。
突然のニュースを聞いて、どこか予想はしていたものの、一つの時代の終わりを寂しく感じる。

 高校の時、初めてRCサクセションと忌野清志郎の名前を知った。
ハチャメチャでいながら、何か感じるところがあって一発で好きになった。
人は自分にないものを他人に求めると言う。だとすれば、自分とは180度異なる異次元に住む忌野清志郎は、まさに自分にはないものの塊であった。

 それまでの自分は、普通の無難な舗装された道をまっすぐに歩いていた。
ところが忌野清志郎は、無人の荒野を自由に飛び跳ねていたのだ。
自分が絶対やらない(やれない)事を自由にやっていた。
死につながるからといって、アパートには4号室がない日本で、「いまわの際」を芸名にしているのだ。そこからしてタダモノではない。

♪俺はつきあいにくいぜ 誰の言うこともきかねぇ 口やかましく言われても おれの態度を変えることはできねぇ だって俺は自由、自由、自由♪・・・・(自由)

 少ないこずかいをはたいてレコードを買うのに迷いはなかった。
邦楽のLPレコードを買ったのはそれが最初だったと記憶している。
社会人になって13万円で買ったマーチの助手席には、必ずRCのカセットテープが無造作に置いてあった。ドライブのお供はRCだった。だから、雨上がりの深夜の甲州街道でマーチが止まってしまった時は、どうしようという戸惑いよりもRCの世界を体験できた喜びが強かった。

「♪どうしたんだい、ヘイヘイベイビー、バッテリーはビンビンだぜ!♪」と鼻歌を歌いながら車を押した。一緒に押してくれた同期の友人は明らかに迷惑そうであったが・・・

 忌野清志郎のロックは、ロックではあるものの、「よろしく矢沢」の王道ロックとは一味違うように感じていた。社会の枠から飛び出る事がカッコいいのではない、自由に羽ばたくのがカッコいいのだというメッセージのようなものを感じたのだ。

 メロディーも好きだったが、共感できる歌詞も好きだった。
♪あーあ とうとう裸にされちゃったなんて  言いながら  あの娘が起き上がる朝  窓の外は雪♪(窓の外は雪)
こんな光景に強い憧れを感じた。

♪昨日は車の中で寝た あの娘と手をつないで 市営グランドの駐車場 二人で毛布にくるまって♪(スローバラード)
彼女ができたら、こんな風に付き合いたいと思った。
 
 そんな世界は何一つ実現できないまま、今日に至っている。人生の最後の瞬間に、これまでの人生を振り返って懐かしむとしたら、忌野清志郎とともにドライブしていたあの頃のことは、間違いなくそこに登場するに違いないと思うのだ。今夜、久しぶりに聞いてみようと思うのである。あの頃を思い出しながら・・・

     

2009年5月2日土曜日

小池真理子

 「つもり違いの十か条」
   一条 高いつもりで低いのは教養
   二条 低いつもりで高いのは気位
   三条 深いつもりで浅いのは知識
   四条 浅いつもりで深いのは 欲
   五条 厚いつもりで薄いのは人情
   六条 薄いつもりで厚いのが面の皮
   七条 強いつもりで弱いのは根性
   八条 弱いつもりで強いのが 我
   九条 多いつもりで少ないのは感謝
   十条 少ないつもりで多いのが無駄
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 私の愛読する作家の一人に小池真理子がいる。
主として恋愛小説を書いている作家である。
何気なく読み始めたのであるが、ハマってしまい、以来新刊が出るたびに欠かさず読んでいる。

何が良いのかと問われれば、やはり文章と答えたい。
小説にはストーリーで読ませる作家と文章で読ませる作家があると思う。
スケートに例えるなら、スピードスケートとフィギアスケートのようなものだ。
東野圭吾や福井晴敏など、圧倒的なストーリーでぐいぐい引っ張るようなタイプはスピードスケートだ。一方の小池真理子は優雅な美しさを競うフィギアだ。

といってもストーリーが面白くない、というわけではない。
主人公は大概が40代の女性だ。
恋愛小説で主人公が40代となると、最近でこそ「アラフォー」などと言われてもてはやされているが、月9の恋愛ドラマに慣れた人からすると魅力は感じないかもしれない。
雨の中でびしょ濡れになりながら、「お前じゃなきゃダメなんだ!」なんて叫ぶシーンなどは無縁だからだ。

その代わり、登場人物たちを巧みに豊かに描き出していく。
さり気ない日常を、心の動きを優雅に綴る。
水道から滴り落ちる水滴や、窓から飛び込んでくるまばゆい光、路傍で解けずに残っている雪などの何気ないモノたちも、小池真理子の手にかかると、生き生きとして、まるでそれ自体が主人公であるかのように描かれる。ホームに入ってくる電車の中に人を探す登場人物の心の動き、新しい生活を始めるべく新転地の駅からタクシーに乗った人物の心の動きをつぶさに描き出す様は圧巻である。

文字だけしか見ていないはずなのに、脳裏に映像がまざまざと蘇ってくる。
「ああ、うまいなぁ」と読んでいてタメ息が漏れるのだ。
かつて将来は小説家、とはいかなくても本を書いてみたいなぁなどと漠然と思ったことがある。
銀行員とシンガーソングライターという二束のわらじを見事に履き分けた小椋佳とまではいかなくても、銀行員と小説家なんて素敵じゃないか、などと夢見たくもなる。

だが、こんな文章を目にしてしまうとそんな甘い幻想はたちどころに吹き消されてしまうのだ。
これほど優雅な舞いは、どうあがいても舞う事はできないと思わされる。
プロのなせる業と言ってしまえばそれまでなのであるが、そのほんの一部だけでもいただきたいものだと思わずにはいられない。

まだまだたくさんの作品を生み出してくれそうなので、これからも一冊一冊、その深い味わいを楽しみたいと思うのである・・・