2012年9月29日土曜日

最初で最後の・・・

今日はあちこちで運動会が行われていた様子。
我が家では、娘の小学校で最後の、そして息子は小学校で最初の運動会。
姉弟そろっての運動会はこれが最初で最後であった。

開会式では1年生が始めの言葉を言うのであるが、何とこれを息子が担当。
大阪から義理の母と妹夫妻が駆けつけ、一族をあげて早くからスタンバイ。
娘はバトントワラーとして、入場行進では先頭グループで入場。
なかなか冒頭からビデオを手放せない。

セレモニーが終わると、全校生徒で準備体操。
昔はラジオ体操であったが、今はストレッチ。
ビートルズの『オブラディ・オブラダ』に合わせてストレッチをするのだが、これも時代なのだろうか。そう言えば、大学に入ってラグビー部の門を叩いた時、一番初めに高校との違いを感じたのが準備運動でのストレッチだった。
小学校でももうラジオ体操の時代ではないと言う事だろう。

注目はやっぱりかけっこ。
娘は女の子だから、あまり力を入れるつもりはなかったが、息子には1等賞を義務付け。
いつも運動会の後は寿司に行くのが我が家の習わしなのだが、息子は妻から「1等でなかったらお寿司はなし」と言い渡されていた。
娘には義務付けないのに息子には義務付けたものだから、息子は不満気であったが、我が家では「1等賞か否か」という○×の価値観しかないのである。
蓮舫さんに聞かれても、きっぱりそう答えるだろう。

そんな息子には9月に入ってから、かけっこの週末特訓を重ねて来た。
義務付けるだけして放置するような事はしない。
幸い組み合わせにも恵まれ、息子は注目のかけっこで堂々ぶっちぎりの1等賞。
そしたら、なんと娘も最初の下馬評を裏切っての1等賞。
姉弟そろってのアベック1等賞となった。
赤い「1」の旗の下に並ぶ子供たちの姿に満足・・・

娘が一番力を入れていたのが組体操。
友達と一緒にピラミッドを始めとする技を披露。
クライマックスは3段タワー。
「親ガメの上に子ガメ、子ガメの上に孫ガメ」方式で、3段式でしかも立ってのタワーだけに、難しかったらしい。
終わった瞬間、娘を始めとして何人かの女の子が感涙。
いつも父親に似てクールな娘にしては、珍しい一面だった。

当初は台風の影響で雨かとの予報もあったが、結果的には好天に恵まれて何よりだった。
夜は恒例のお寿司。
義理の母と妹夫妻と一緒に“がってん寿司”で舌鼓。
息子も堂々と大好きなサビ抜きサーモンをオーダーしていた。

娘は来年から中学生。
また姉弟それぞれ別々の運動会に行かないといけなくなるわけだ。
それはそれでまた楽しみと言えるかもしれない。
最初にして最後の姉弟揃った運動会。
無事に終わって何よりだったのである・・・

     

2012年9月22日土曜日

勉強が楽しい

ただいま中学受験勉強中の我が娘。
目標は地元都立中高の一本勝負。
そんな娘はけっこう頑張って勉強している。
夏には自ら志願して合宿に行き、夏期講習にも通った。
こちらからけしかけたわけではないのに、である。

そんな娘に何気なく聞いてみた。
「勉強楽しい?」
すると間髪を入れず、「楽しい!」との答えが返ってきた。
勉強を楽しめるというのは良い事だ。
勉強は強制されたり、嫌々ながらやっても何ら身につくものではない。

そういう私も勉強は好きだった。
勉強が好きなどと言うと奇異の目で見られそうな気もするが、堅苦しい“勉強”と捕えるからそう思うわけで、例えば“クイズ”だと思えばそうは思われない。
「A君とB君が周囲10キロの池の周りをそれぞれ反対方向に走ります。
A君は時速8キロ、B君は時速10キロで走った時、二人が出会うのは何分後ですか?」
という問題を「算数の問題」と捕えるか「クイズ」と捕えるのかで、イメージは変わってくる。

私はもともとアルセーヌ・ルパンなどの謎解きモノは大好きであったし、今でも数独を初めとしてパズルモノは大好きで、すきま時間を利用してやったりしている。
数独などはあれこれと数字を推理していくものであるが、算数などはいろいろな問題に対し、公式などを駆使して解いていく謎解きそのものだし、そういう謎解きが好きであれば苦にならない事である。

歴史も大河ドラマだと思えば苦にならない。
「逆説の日本史」シリーズなどは面白くてずっと読み続けている。
確かに年号を覚えたりするのは大変なところはあるが、連続ドラマととらえれば日本史も世界史も面白く、受験勉強も苦ではなかった。

正直言ってさすがにすべての勉強が楽しいと言うわけでもなかった。
物理・化学といった「想像力だけでついて行かれない」ものは苦手だった。
高校時代唯一赤点を取ったのは化学だったし、自分なりに勉強してもそれだったから、興味の範囲から外れてしまうとそういう部分は出てきてしまう。

英語は中学で習い始めた最初から“勉強”などという意識は持った事がない。
既に「洋画を字幕なしで観たい」という願望を持っていたから、英語の授業はそのためのトレーニングだった。大学受験では英語が重視されていたから、特に時間を割いたが、英字新聞を読みFENのラジオを聞いたりしたのもすべてその一念だった。


実は今でも毎朝英語版CNNのネットニュースを読んでいるが、これもそのためだ。
言い方を帰れば「毎朝英語の勉強をしています」という事になるが、本人はそんなつもりは毛頭ない。
人は誰でも知らない事を知りたいと思うものだし、謎解きもそうだと思う。
義務と考えるから嫌になるのかもしれない。
私はもともと好奇心旺盛な方だと思う。
だから余計隣で何かやっていれば気になってしまうところがある。

大学時代は、熱心に授業に出席する“真面目な学生”だった。
ラグビー部の友人たちは、なるべく授業に出なくて済むようにしていたが、私はラグビーの練習スケジュールを睨みながらたくさんの授業に出た。
1コマ90分として、友人たちは週平均5コマ出ていればいい方だっただろうが、私は12コマ出ていた。それはもちろん、授業料を出してもらっている親に申し訳ないという気持ちも半分あったが、残り半分は好奇心だった。
そしてそういう学生生活は苦でも何でもなく、むしろ楽しんでいたのである。

娘も算数は謎解きの過程が面白いようである。
国語も作文は好きなようだし、社会も理科も面白いと言う。
ただ歴史は苦手らしい。
そういうところは、歴史の楽しさを語ってあげる事で解消できれば、とも思う。

これから受験まで残り半年を切った。
受験は受験でできる限り頑張ってほしいと思うが、それ以上に「勉強を楽しい」と思う気持ちは失わないでもらいたいと思う。
「MASTER・キートン」では、ユーリー・スコット教授が、
「人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば」
と語っている。そういう「知りたい心、解きたい心」をずっと保っていてほしいと思う。

それは娘だけではなく、自分もそうあり続けたいと思うのである・・・
    

 

2012年9月15日土曜日

野球観戦②

先日、東京ドームに野球観戦に行った。
ナイターがあるからだろうが、ドーム周辺も華やいだ雰囲気で、久々の観戦にいやがうえにも気分は盛り上がる。
朝晩は秋の雰囲気があるとはいえ、まだまだ暑い中、ドーム内はエアコンが効いている。
選手たちも屋外球場と比べたら随分楽なのだろうと思う。

チケットをもらって、誘ったのは親父。
まあいい機会だから、親子の絆でも深めようと思って敢えて親父を誘ったのだ。
思い起こせば子供の頃、親父は毎晩テレビでナイターを観ていた。
もちろん、巨人戦だ。
必然的に私も巨人ファンになった。

小学生の頃だったと思うが、親父に何度か野球観戦に連れて行ってもらった。
もちろん、巨人戦だ。
あの時はわざわざチケットを買ったのだろうか、それとももらったのだろうか。
そんな昔話も観戦の合間に聞いてみようと思っていた。

先日観に行ったのは巨人・広島戦。
バックネット裏の席だったが、そう言えば昔親父に連れられて観に行って、一度だけバックネット裏で観戦した事がある。
当時は後楽園球場だった。
偶然ながら、あの時も巨人・広島戦だった。
相手投手は当時の広島のエース外木場だったと記憶している。

試合中、ファールボールが我々の頭上高く上がり、ネットを越えて落ちてきた。
落ちたのは、離れたところだから慌てる必要はまったくないのだが、すばやく後ろの席に目を向けた。実はそれには訳がある。

その昔、バックネット裏で観戦していた時も、同じようにファールボールが落ちて来た。
周りの人たちは逃げようと尻を半分浮かせるような感じだったと思う。
野球をやっていた私はボールの行方を見切って、動じることなく平然と座っていた。
次の瞬間、頭から水浸しになった感覚に襲われた。
気がつくと、後ろに座っていた女の子が慌てて逃げようとして、手に持っていたコーラを私にぶちまけたのだ。その時、注意すべきはボールだけではないと学んだのだ。

そんな話を思い出しながら親父に話しかけたら、何と親父はそのエピソードばかりか、野球を観に行った事すら覚えていないと言う。
確実なところで3回は一緒に観に行っているのに、だ。
3塁側の席に座った時は、王選手がホームランを打った。
ゆっくりとダイヤモンドを一周する姿が今でも脳裏に焼き付いている。
行ったのは確かに間違いがない。
なのに全く覚えていないというのは、キツネにつままれたような気がする。

それはまるで、三島由紀夫の小説「豊穣の海」のラストで、尼になっていた聡子が松枝清顕の事をまったく覚えていないと語り、読む者に衝撃を与えたシーンのようである。
覚えていないと言われてもそれで事実がひっくり返るわけもなく、私の中にはあの時の記憶はしっかりとある。私には弟がいるのだが、観戦に行った3回とも親父と二人きりだった。
弟には申し訳なく思うが、長男の特権と言う事だ。
あの頃の後楽園球場がどうだったか、はっきりと覚えているわけではないが、たぶん球場の雰囲気は変わらない気がする。
ただまばゆい照明の向こうにあるのが、夜空ではないというだけのように思う。

その夜、親父からメールが来た。
「今度は生涯忘れないと思います」と書かれていて、思わず笑ってしまった。
1年前に私が貸した東野圭吾の『容疑者Xの献身』。
1年後に自分で買って、「これ面白かったぞ」と真面目な顔をして私に読むように勧めた親父。指摘されてもなお読んだ事を覚えていなかった親父であるが、今度はたぶん忘れないような気がする。

親父を誘ったのは正解だった。
期末で仕事は忙しいのだが、敢えて無理して時間を割いて行っただけの事はあった。
親子揃って喜び表現が不器用なのだが、何となく親父の嬉しそうな気持ちが伝わってきたようだった。また今度、とも思うが、この次は息子を連れて行く番かもしれない。
今度はあの時の親父の立場で。

そしたらそれを、忘れないようにしたいと思うのである・・・
     

 
















     

2012年9月13日木曜日

野球観戦①

昨日、親父と二人で東京ドームへジャイアンツ戦を観戦しに行った。
チケットをいただいたので、当初は小学校1年の息子と行こうかとも思ったのだが、次の日学校を控え、あまり遅くなる事も出来ないと思って今回は諦める事にしたのだ。
その代わりに誘ったのが親父である。

もらったチケットはシーズン・チケットで、バックネット裏の前から3列目という絶好のポジション。
思いもしなかったので、席についた時は少しばかり興奮していた。
ほんの数十メートル前にバッターボックスがある。ピッチャーの投げ込んだボールが、キャッチャーミットに収まる音が心地良く響いてくる。

そう言えば東京ドームでの野球観戦も久しぶり。
たぶん、7~8年くらい前に、「ほとんど外野の一応内野席」で観た時以来だろう。
やはりテレビで観るのとはまったく趣が違う。
応援団を中心とした歓声やざわめき、ビール売りの声までもが一体となった、何とも言えない雰囲気は、やはりテレビでは味わえない。

ジャイアンツの先発は笠原。
正直言って、子供の頃からのジャイアンツファンと言っても、最近は“ペーパー”ファンだから、知らない選手だった。それでも投げるボールの迫力に、いつの間にか魅入っていた。
席が席だからか、球種もストレートと変化球の違いはわかる。
(残念ながらカーブなのかスライダーなのかまでは見分けはつかなかった)

テレビだとおそらくわからないところも、けっこうわかった。
ピッチャーの投げたボールの早さは、やはり凄い。
それを打って内野にゴロが飛ぶ。
自分だったら、絶対取れないと思うゴロをプロは難なくさばいて一塁に投げる。
いつもテレビで観ている“平凡な”内野ゴロが、けっこう凄いものだとよくわかる。

選手の仕草もまた球場ならではだろう。
広島の4番はエルドレッドという外人選手。
初めて見た選手だが、ツーアウト満塁の大チャンスに見事三振。
スリーアウト・チェンジで守りにつくのだが、ヘルメットをベンチの方へ投げて、そのまま自分のポジションであるファーストへ向かってトボトボと歩きだす。
ベンチから控えの選手がグラブをもって追いかける・・・
大チャンスに三振した割には、エ
ラそうだった・・・

ちなみにそのあともツーアウトから三振して、やはり悪びれることなくファーストへ歩いていく。わずかな距離なのだから、自分でベンチにグローブを取りに行けばいいのにこの態度。この日2三振で、ジャイアンツファンにはありがたい存在だったが、この態度だけは好きになれなかった。誰もグラブ持って行かなかったら、どうするんだろうとふと思った。
どれだけ活躍するのか、ちょっと楽しみな選手だ。

その他、審判が新しいボールを時折ピッチャーに投げるのだが、それがけっこう早やかったりする。キャッチャーの阿部が、笠原に返球するボールもビシッと早い。
さらに投球練習が終わるとさり気なく2塁へ送球する。
自分だったら、思いっきり振りかぶって勢いをつけないと届かないだろう。
やっぱりプロは凄いと随所で感じる。

球場もいつのまにか変わっている。
ベンチの向こう側の観客席がグラウンドに飛び出している。
エキサイトシートと言うらしいが、あそこもなかなか迫力ありそうだ。
たぶん収容人員の増強を狙って作ったのだろう。
バースデイプレゼントやレディース・シート、ファミリー・シートなどいろいろファンサービスを工夫している。それもテレビの放送が少なくなったためだろうか、などと思ったりもする。

いつのまにか9イニングが終わり、笠原がプロ初勝利をあげて、ジャイアンツが5-0で広島を破る。同時に原監督700勝のおまけつき。
やっぱり野球は面白いと改めて思う。
今年は久しぶりにジャイアンツが日本一になるだろうか。
ちょっと楽しみにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】

V字回復の経営―年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)
吉原御免状 (新潮文庫)




2012年9月5日水曜日

イレズミ

最近、よく刺青をした人を見かける。
それもワンポイントなどという可愛いものではなく、半袖の腕から手首にかけて一面にけっこう“ご立派”なシロモノである。だが、“その筋の人”かと言えば、どう見てもそんな感じには見えない。どう見ても“一般の人”だ。

先日山手線内で見かけた人は、Tシャツの腕どころか首に至るまではみ出るシロモノだった。
いつの頃からか、ワンポイントのシールも出回りだした。
それと“タトゥー”という英語も一般的になり、“イレズミ”の持つちょっと暗いイメージを和らげている。そのせいか、女性でも胸の空いたところにワンポイントのタトゥーをしている人はよくいて、ついつい目が行ってしまうが、「タトゥーを見ているんだ」と心の中で一所懸命言い訳している。

しかしこのタトゥー(イレズミでも良いのだが)、夏場はプールへ行くと鬼っ子だ。
「イレズミお断り」はどこでも看板が出ている。
これは暴力団排除の為であろう。
日本では伝統的にイレズミ=暴力団という図式が成り立っている。
だから、暴力団排除の方便としてイレズミ禁止を謳っているのだろう。
その昔、銭湯に行くと、“立派なモンモン”を背負った人を見かけたものだが、今は銭湯もそうなのだろうか。

先日夏休みの最後に、子供たちのリクエストで昭和記念公園のプールに行ったが、何人か腕にテープでガーゼのようなものを張り付けている人がいた。
一人不自然に大きいものを張り付けていたのは外人さんで、それでタトゥーを隠していたのだった。外人さんからすれば、「イレズミ禁止」は訳がわからないかもしれない。
タトゥー文化と刺青文化の違いではあるが、ちょっと気の毒な気がした。
ただ、プールの人に、「これは良い、これはダメ」とやらせたら混乱を招くだろうから、仕方ないのだろう。

そう言えばいつだったか、大阪市役所で職員に対しイレズミの有無調査をやって、回答を拒否した職員が人権問題として訴えると息巻いているニュースを目にした。
有無調査だから、「有か無か」答えるのが趣旨だし、公務員であれば職務命令として回答するのが当然だ。だから「何をバカな事を言っているこの勘違い職員め」と腹立たしく思ったが、そんな調査をやる事になったのも、児童福祉施設の職員がイレズミを見せて子供を脅したのだとか言うから呆れる限りだ。

イレズミで有名なのは「遠山の金さん」の桜吹雪だが、これは善玉。
大阪市の例は、やっぱり日本のイレズミは“脅しに使う”ものだという人々の意識をあらわしたものかもしれない。みんながみんな桜吹雪というわけにもいかないし、やっぱり立派なイレズミは威圧感があるのは確か。プールでの禁止も、子供たちが多い事を考えると仕方ないのかもしれない。

それにしても、善玉のイレズミが日本に定着する事はあり得るのだろうか。
もしもそうなら、自分だったらどうするだろう。
上腕か胸の大胸筋のあたりにワンポイントのタトゥーなんか入れてもいいかもしれない。
だが、その前に鍛えていないとしょぼくれたタトゥーになってしまうかもしれない。

タトゥーもいいかもしれないが、それよりも昔のような張りのある筋肉に憧れを感じる自分なのである・・・


【本日の読書】

『半分売れ残るケーキ屋がなぜ儲かるのか―お金は裏でこう動く』柴山政行

『プリズム』百田尚樹