2012年2月27日月曜日

ミッション・イン・池袋

 息子が春から小学校に入学するにあたり、我が家もいろいろと買い揃えないといけないものが出てきている。今日は池袋の家電量販店にエアコンの価格調査に行く事になった。今回購入するのは子供部屋用のエアコン2台。春から子供たちにそれぞれ部屋を与えるのである。

 機種の選別はすでに妻が終わらせ、あとはどこで買うかという問題。ターゲット機種は三菱製のエアコンで、イオンでは28、29日に全国台数限定で会員価格34,010円で売り出される。私に与えられたミッションは、家電量販店の激戦区池袋で、イオンで販売される28日までに最安値を調査せよというもの。指令は「ミッション・インポッシブル」のように謎めいていて、最後に自動的に消去される事はないものの、有無を言わさぬところは勝るとも劣らずと言える。かくして、イオンのチラシを握りしめ、激戦区へと向かう私。

 まず向かったのはビックカメラ。
ここは薄型テレビでお世話になったところ。基本的に「ええかっこしい」の私は、関西人の妻のように恥も外聞もなく値切るという事ができない。店員さんに「このエアコンあります?」とチラシを見せ、ついでに値段も見えるように強調するのが精一杯。しかし、そこは気の利いた店員さん、エアコンのところに案内するとともにチラシをチェック。「ちょっと待ってて下さい」と言い置いて奥に消えていく。戻ってきて曰く、「本日現金でお買い上げでしたら、44,800円で20%ポイント還元します」との回答。

 こちらは工事費込み。イオンは工事費10,000円は別だから、なんと8,170円安い。さすがビックカメラ。即断即決が身上の私だから、これで決めようと思ったのだが、ヤマダ電機の結果も調べないと後でダメ出しを食いかねない。「今日中ですよ」と言う店員さんを残し、反対側のヤマダ電機に向かう。

 さすがヤマダ電機。話しかけた店員さんは、機械をピッと製品にかざして操作するだけで、44,800円のポイント11%と回答。裏に走ったビックカメラと違い、こちらは設備投資が進んでいる。されど価格差は歴然。価格調査を打ち切り、ビックカメラで購入すべく、妻に報告を入れる。

 結果を聞いた妻から購入許可は出たものの、さらに工事費を値切れと新たな指示。普通は1台買うところを2台買うわけで、配送・設置の手間も1軒で2度おいしい客であるからには、そこをついて値切れと言う。「ここは大阪と違うんだぞ」との言葉をぐっと飲み込む。私も仕事ではハードネゴシエーターを自負している以上、「できません」とは言えない。

 新たなインポッシブル・ミッションを抱えてビックカメラに向かう。「配送料はもともとゼロですので・・・」さらりと答える店員さん。「そりゃそうですね」とあっさり交渉終了。
そのまま書類作成に入る。室外機までの配線カバーをいかがですかと勧められ、それは独断で決める。下手に相談したら、また新たに値切れと言われかねない。

 30分ほどですべて手続きを終え、ミッション終了。価格調査から急転直下購入に切り替わったが、まあ良い買い物だった。妻が同行していたら、情け容赦ない値切り交渉に入っていただろうが、いなかったのは私にとってもビックカメラの店員さんにとってもラッキーだったかもしれない。やっぱり相手に鼻血も出ないほど値切ろうとする大阪流よりも、私は「三方よし」の近江商人流の方が好きである。

 それにしても、受験で女の子の娘はともかく、小学生の息子まで子供部屋はまだ早いような気もするが、なかなか難しいところだ。私も実家にいる時はエアコンなんて使っていなかったし・・・今の子は贅沢なのか、親として良くないやり方なのか。こればっかりは悩ましいところである・・・

【本日の読書】

スティーブ・ジョブズ II - ウォルター・アイザックソン, 井口耕二  1Q84 BOOK 2 - 村上 春樹






2012年2月23日木曜日

風邪をひいた

今週は週初から風邪をひいてしまった。先週から妻、娘と続けて熱を出して寝込んでいたのだが、とうとう私に菌がまわってきたらしい。と言っても私の場合、熱を出して寝込むのは極めて稀だ。過去30年でも片手で数えるくらいしかない。その代わりいつも必ずやられるのが喉である。

今回もいつものように喉が痛くなり、声が出なくなった。その他はほとんど問題はない。何となく、熱が出そうな雰囲気はあったのだが、「風邪は気合で治す」という信念の下、いつもより余分に睡眠を取るようにしていたためか、発熱は抑えられたようである。
そうはいっても喉も大変。何せ声が出ないと仕事にも支障が出る。いつも必ず喉で同じ症状なので、私にとっては喉がウィークポイントなのかもしれない。今日になってようやく峠を越えたようだ。

さて、今までは気にもしなかったが、こういうご時世になると周りへの配慮も必要。という事でマスクをする事にした。家を出る前に妻にマスクを頼んだところ、押入れからビニール袋に入った様々なマスクを差し出してきた。我が家ではマスクの事は、「花粉症の妻に聞く」のが一番である。

そのマスク、何気なく選んだのだが、大正製薬の製品パブロンマスク365というシロモノ。不織布2層の静電フィルターで花粉・粉じん・微生物などのミクロ粒子を電気的に捕集するという。    これでウィルス・飛沫・花粉を99%カットするらしい。メガネをかけていても曇らないし、柔らかくて肌触りも良いとくる。さらにはキトサン配合抗菌防臭加工フィルターなるものもついている。キトサンが何だかわからないが、抗菌防臭などにも気をつかっているわけだ。口臭おじさんにも紹介したくなる。

こんな至れり尽くせりの製品、たぶん日本ならではの製品なのではないだろうか。外国製では、こんな細やかな機能のマスクはないような気がする。外国のマスクも微粒子を防ぐという本来の機能は満たしているだろうが、防臭とかメガネの曇り防止とか、肌触りとかまで考えるだろうか。こういうところが「日本的」な、まさにMade in Japanな気がする。

気がつけば、けっこうマスクをしている人は多い。それぞれ理由はあるのだろうが、やっぱりいかに優れたMade in Japanだろうと、これからも続けようとは思わないな。最後の方には耳が痛くなるし、何かと気になるのも事実だ。だが周りへの配慮は必要だろうから、これからも風邪をひいたらお世話になろうと思う。

妻の“コレクション”はいろいろあるみたいだし、次回はまた別のモノを試してみたいと思うのである。(といってもその前に今の風邪を早く治さないといけないから、今日も気合を入れて寝るとしよう・・・)


【本日の読書】

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) - 楠木 建  蜩ノ記 (祥伝社文庫) - 葉室麟






2012年2月19日日曜日

親父の誕生日

2月の21日は親父の誕生日である。
毎年何らかのお祝いをしているのだが、今年はこの週末娘が風邪でダウン。
来週以降も週末は実家に行く予定が立てられず、やむなく今日は息子だけを連れて実家に行って来た。

誕生日祝いはワイン。
と言っても親父はアルコールにそんなに強くないため、フルーティな甘口のワインである。
ちょっと誕生日には早いが、ケーキでお祝い。
息子の歌う「ハッピーバースディ」に、親父も目を細めていた。

ところで親父の免許証を見ると、誕生日は2月20日となっている。
だが、実際は21日なのだと言う。
何でも届出が間違えてなされていたらしい。
今日はその点について、子供の頃からの疑問もあって再度質問をした。
何でそんな事になったのだ、と。

親父曰く、「両親(私の祖父母)も21日で間違いない」と言い、ずっと21日として過ごしてきたと言う。それが中学を卒業して、東京に就職に出てきてから、ある時たまたま戸籍を取り寄せたところ20日になっていて驚いたのだという。昔の、それも長野県の諏訪の田舎の事である。届出といっても爺様が直接役場に行く事もなく、昔はよく人に頼んだらしい。それでもって頼まれた人も、よく確認せずに役場に行って、「20日ぐれぇだったぞ」てな感じで役場の人とのやり取りがあったのだろうという事である。

誕生日を聞かれるごとに親父は「21日」と答えていたものの、何せ国民としての公式記録は20日である。運転免許の取得も更新も、その都度「21日」と言っていたらしいが、戸籍とも住民票とも不一致なわけで、その都度説明していたらしいが、通用するわけもない。
いつしか親父も諦めたそうである。

それでも昔から「本当は21日なんだけどさ」と一言言わずにはいられないようで、我々家族ももう何度聞かされたかわからない。
親父も生まれて物心ついた頃は既に戦時下、お誕生日会など開いてもらえるはずもない。
傷痍軍人として、祖父が生きて帰ってきていただけでも儲けものという時代。
そんな中でも祖父母から、「お前の誕生日は21日だ」と言われていたらしいから、一人特別な日に対する思い入れは強いのだろう。

2月20日と言えば、長嶋茂雄とアントニオ猪木という、私にとって子供の頃の二人のヒーローの誕生日だ。親父の誕生日はむしろ20日の方がいいのに、とずっと思っていた。
だが、当然ながら本人にしてみれば、両親との思い出深い21日の方が良いに決まっている。
過去には気にもせず20日におめでとうと言っていた気がするが、これからはせめて家族だけでも21日に拘らないといけないだろうと改めて思った。

「夕食は何がいい?」という母の問いかけに、「お寿司!」と即答した我が息子。
今日はおじいちゃんの誕生日だから、という事にはまだ気が回らない。
そんな孫に目を細めるのはむしろ母親の方で、ケーキもお寿司も親父そっちのけで孫の喜ぶ姿ばかり見ていた。いかんせん、孫との交流機会が少な過ぎると改めて反省。

今年は、もう少し妻のご機嫌をうまく取りながら、交流の機会を増やしていこうと内心決意したのである・・・


2012年2月16日木曜日

一番古い記憶

映画ALWAYS 三丁目の夕日'64の舞台となっているのは、私の生まれた昭和39年の東京。当時の記憶などもちろん私にはない。だから映画を観ていて、その背景がどうだこうだという感じもしない。では一体どのくらい古い記憶があるのだろうかと辿ってみると、それは3歳の頃の記憶だ。

ちょうど4歳の時に引越しをしており、その少し前の記憶がいろいろと残っているのだ。両親は私が生まれると、それまで住んでいたアパートから目黒不動尊近くのアパートに引っ越しをした。「子供が産まれたら出ていく事」という契約だったらしい。今ではそんな約束をさせられるアパートなどないだろうが、歴史を感じさせるエピソードだ。

引っ越した先のアパートでの生活が、私の最も古い記憶だ。毎日銭湯に通っていて、ある時どうしても三輪車に乗っていくと言い張って三輪車で銭湯に行った。そうしたところ、出てきたら三輪車がなくなっていた。子供心に親の言う事を聞いておけば良かったと後悔した。

「キャプテンウルトラ」という番組をやっていて、その真似をして遊んでいた。今調べてみると、放送は1967年4月~10月だから確実に3歳の頃の記憶だと言える。ちなみに「キャプテンウルトラ」は「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」のつなぎの番組だ。シュピーゲル号という宇宙船が出てきて、その模型がとっても欲しかったのを覚えている。

近所の子供たちともよく遊んだ。名前などもう忘れてしまったが、互いに家を行き来していた。テレビは足のついた白黒だった。チャンネルはガチャガチャ回すスタイルだった。ALWAYS 三丁目の夕日'64では、鈴木オートで早くもカラーテレビを購入している。我が家にカラーテレビが来たのは、その後ずっと後になっての事だから、当時サラリーマンだった我が家では、まだまだカラーテレビは高根の花だったのかもしれない。


何を考えたのか、鼻の穴の中がかゆくてみかんの皮を鼻の穴に突っ込んだ事がある。まあ子供のやる事だ。当の本人にもなぜそんな事をしたのか覚えていない。そして見事に取れなくなった。母親に連れられて耳鼻科に行って取ってもらった。

4歳になった同じ月、弟が生まれた。叔母の家に預けられて数日間過ごした。夜ベランダに出て寂しくて泣いた。叔母に隠れて一人ベランダで泣いたのだが、わずか4歳にして「男は人に涙を見せてはいけない」という意識があった事になる(たぶん)。今だに人に涙を見せまいと、ALWAYS 三丁目の夕日'64をわざわざ人の少ないレイトショーで観に行くのだから、これこそ三つ子の魂なんとやらなのだろう。

親父が夜、仕事帰りだったのだろう、叔母の家まで迎えに来てくれた。たぶん嬉しかったのだろう、その時の事はよく覚えている。病院へ生まれたばかりの弟を見に行ったが、「猿みたいだ」と思ったのが第一印象だ。そしてそのアパートからの引っ越しは夜だった。夜逃げというわけではなく、親父が仕事を休めなかったためみたいだ。

いまでも実家から少し足を伸ばせばその界隈がある。目黒区の林試の森公園のすぐ近くのこの界隈を昨年両親と散歩した。両親にとっても、このあたりに住んでいた頃の事は懐かしいらしい。
我が家の子供たちも、果たして子供の頃の記憶はどのくらい残るのだろう。いずれ、今この瞬間も大昔の事になるのだろう。

懐かしい2012年を、いつか今の自分と同じように振り返っているのかもしれない。そう思うと、日々子供たちとの触れ合いをもっと密にしようと思う。そしてあっという間に過ぎゆく毎日だが、一日一日を大事に過ごしたいと、あらためて思うのである・・・


【本日の読書】

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) - 楠木 建   麒麟の翼 (講談社文庫) - 東野 圭吾







2012年2月12日日曜日

レイトショー

昨夜は【ALWAYS三丁目の夕日'64】を観るために、久々に地元の映画館に行った。映画を観に行く場合、普段は圧倒的に仕事帰りに銀座で、というパターンなのだが、どうしてもこっそりと一人で観に行きたい場合は、地元の映画館を利用する。それも普通の時間帯ではダメで、夜のレイトショー目当てである。この【ALWAYS三丁目の夕日】シリーズは、過去2作とも泣いてしまった。そんな姿を他人には見られたくないし、そういう場合は観客が少ないレイトショーが最適なのである。

9時半に地元の映画館に到着。意外に人が多くて驚いたのが第一印象。全部でスクリーンが9つあるから、全部が全部【ALWAYS三丁目の夕日'64】を観にきているわけではないだろうが、あまり人が多いとこちらも目論見が外れてしまう。一瞬次のミッドナイトの時間帯にしようかと思う。

しかし発券機を操作したところ、それほど席が埋まっていない事を確認。そのままチケットを購入した。この発券機もいつの間にか導入されていたのだが、実に便利。観たい映画と時間帯をセレクトすると、座席が表示される。そこでタッチパネルで希望する座席を指定できる。この時、空席状況が確認できるわけである。両隣り空席の真ん中の列の席を選ぶ。

よくよく観察すると、ご夫婦が目につく。料金システムを見ると、「夫婦50割引」というのがあって、夫婦のどちらかが50歳以上だと、二人で2,000円となる。通常料金だと1,800×2だから、かなりのディスカウントだ。明らかにそれを利用していると思われる夫婦が目についたから、面白い狙いが当たっているようである。

映画は予想通りで、私の涙腺は為す術もなく崩壊。冷静に考えてみれば安手のホームドラマなのであるが、映画の世界に入り込んで観るタイプの私としては、冷静でいられるはずもない。その点では、銀座の映画館でなくて良かったと思う。
帰りも車のエンジンをかけてから10分後には家の玄関のドアを開けられるほどの距離だし、やっぱり昔から望んでいた通り、映画館のある街に住んで良かったと実感する。

映画の舞台となっている1964年は私の生まれた年。新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年だ。何かと話題には出るが、無論生まれたばかりの私にその頃の記憶はない。映画の中で描かれる1964年は、想像するしかできない世界だ。戦後の復興から経済成長へと突き進んでいた時代だし、昨日よりも今日、今日よりも明日と良くなっていった時代だから、世の中に勢いはあったのだろう。努力したものが、努力しただけ手に入る時代というのは確かに幸福だと思う。

映画の中では、幸せとは何かという事が問いかけられる。シリーズを通して訴えられるのは、幸せのあり方だと思う。今よりモノがなくても、今よりも不便でも、映画の登場人物たちは幸せを求め、ささやかな幸せを手にする。その姿が、ノスタルジーと合わさって涙腺を破壊してくれるわけである。

しかし、時間のフィルターは少しずつ悪い記憶をろ過していくという特徴を持つ。三丁目の夕日の世界は、みんな心が豊かだったように思われる。それは確かにその通りだとは思うが、その時代にもダメな部分もたくさんあっただろう。今は大変な時代だと誰もが考えている。しかし今なりにいいところがあって、それは時間のフィルターにかけられれば、良いものだけが濾し残されて、やがて30~40年後くらいには良い時代だったと振り返られるかもしれない。

事実、映画館にしたって、昔は身を縮めて座り前の人の頭を避けてスクリーンを観ていたものだが、今はゆったり座って、前の人を気にせず観る事ができる。発券機でクレジットカードを使って希望の座席を簡単に取って、人の少ない夜遅い時間帯でも映画を観られて、誰もが持っている自家用車で10分で帰って来られるだけでも、昔の映画事情とは雲泥の差だろう。大事なところは、そういうところに幸せを感じられるかどうかなのだろうと思う。

今の時代だって、身の回りの一つ一つの幸せに気がつけば、十分心豊かに暮らせるはずだと思う。そんな事を考えさせられた深夜のレイトショー。これからも映画館のある街の住民として、大いに利用したいと思うのである・・・


【本日の読書】

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) - 楠木 建  麒麟の翼 (講談社文庫) - 東野 圭吾





2012年2月8日水曜日

息子にスポーツ

息子には何かスポーツをやらせたい、と常々考えている。
今はまだ幼稚園だし、本格的にやらせるには少し早いと思うが、この春からは小学生、そろそろ親の方もある程度の考えはまとめないといけない。

そんな息子に「将来の夢は?」と尋ねると、「プロ野球の選手!」と答える。
それだけ聞いていると、何ら不思議はないし、よくありがちだが微笑ましい答えだと思う。
ただ、どうにも不思議なのは、なんでそう思うようになったか、だ。

私は物心つくと、すでに親父が毎日テレビでナイターを観ている生活だった。一緒に観ているうちに、自然と野球に興味を持ち、自然にジャイアンツファンになった。だが、私はほとんどナイターどころかテレビを見ない。もちろん、家では誰もナイターなど観ていない。なのにどこから「プロ野球の選手」などという発想がでてくるのだろう。まあ叔父さんに連れられて夏の甲子園大会に行ったから、その影響の延長なのかもしれない。ともかく、今は野球が第一の関心の的だ。

親の考えとしては、我が子にはやっぱり「最も面白いスポーツ」をやらせたいと思う。私も子供の頃に町内野球をずっとやっていたし、野球好きではあるけれど、「最も面白い」かと言うと、そこはラグビーに譲らざるを得ない。やっても観ても、やはりラグビーが一番だ。となると息子にも当然やらせたいと思うが、さてどこまで介入すべきかというところが悩ましいところである。

当の本人は、私がいつもラグビーをテレビで見ているせいか、それなりにラグビーに関心をもっている。たまにテレビを見ていては、迫力あるプレーに「おおすげぇ」なんて歓声を上げる。確かに良いプレーがわかるなんてすでにセンスがあるのではないか、などと思ってしまうが、打てば響く要素は十分秘めていると思う。もっとも、「でも痛そう」と変なところもよく見ていたりする。ラグビースクールへでも入れて背中を押せば、始める気がする。

ただ、野球も捨て難い。子供の頃に、野球ぐらいは(ちょっと本格的に)やった経験くらいは積ませたいとも思う。ラグビーは、全国大会を目指すほどでなければ、最悪、私のように高校から始めたっていいだろう。野球と平行して、関心を持ち続けさせるくらいの事はできると思う。

そうこうしているうちに、妻が空手をやらせてみたいと言い出してきた。
私も唯一残念に思うのは、武道経験がない事だ。
親も私に水泳だ、町内野球だ、習字だとやらせたのに、武道だけは考えなかったようだ。
自分としては、子供の頃に柔道か合気道あたりをやっていたかったと今でも残念に思う。
だから、それも悪くはない。

これから国際化の世の中、日本古来の伝統武道を身につけるのはけっして損にならない。
できれば柔道と思うのだが、それだと今度は妻の意見と真っ向から対立する。
柔道の方が、喧嘩になった時など実践面で何かと有益だと思う私に対して、空手を押す妻の理由は、「柔道はガニ股になる」だ。ハイヒール履くわけでもないし、関係ないと思うのだが、こちらの対立はちょっと厳しい。

ラグビーか野球か。
柔道か空手か。
まあ元気に楽しくやってくれれば何でもいい。
親としては、スポーツを楽しむという習慣だけはしっかりと身につけさせたいと思うのである・・・


【本日の読書】

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) - 楠木 建  苦役列車(新潮文庫) - 西村賢太





2012年2月5日日曜日

Made in Japan

仕事で取引先の社長さんと話をしていた時の事だ。
日本経済の将来はどうなんだろうという話になった。
どうしても暗くなりがちな未来像だ。
しかし本当にそうなんだろうか。

社長さんからは、今元気な中国人がたくさん日本にやってきてお金を落としていくという話を聞いた。炊飯器をたくさん買っていくと言う。そう言えば、先日朱健榮先生からも同じような話を聞いた。海外旅行へ行けるほどではなくても、日本製の炊飯器を買えるほど豊かになった中間層の人たちが、日本へ行けるほど豊かな富裕層(1,000万人いるそうである)の人たちに好みの炊飯器を指定して買ってきてもらうらしい。そんな中国人観光客は、「日本製か?」と何度も念押しして炊飯器を買っていくという。彼らにとって、“Made in Japan”は何よりのブランドなのだろう。

それは何も中国人に限ったわけではない。昨年妻はノートパソコンを買った。その時の最後の決め手は、“Made in Japan”だ。東芝や日立と言っても、Made in ChainaやThailandというものが珍しくないが、あえて“Made in Japan”を売り物にしていた。パソコンなんて、どれも「インテル入ってる」で同じだと思うが、それでも妻からすれば、安いレノボよりも“Made in Japan”のFMVだったわけだ。そこに何か鍵がありそうな気がする。

今は少しでも安くとみんな海外へ工場を移転させている。かつてアメリカも同じように日本に敗れた後、海外へ工場を移し、その後金融とITでその穴を埋めている。敵対していた日本企業に投資する側にまわり、今では投資家として利益を吸収している。日本の株式市場の主役は、今や外国人投資家だ。日本も同じ道を辿るだろうと言う人もいれば、辿るべきという人もいる。昨日もそんな意見を一つ聞いた。

しかし、アメリカにはなくて日本にあるもの。それが“Made in Japan”だ。
アメリカと同じ道を行かなくても、このブランドを活かせる道があるような気がする。
もちろん、何でもかんでも“Made in Japan”で通用するというわけではないだろう。
鳴り物入りで登場したシャープの亀山工場も、液晶パネルで大苦戦したわけだし、実際のところ性能面でどれほど違いがあるのかはわからない。ただ、中国人が「日本製」に拘って炊飯器を買う話には、目を向けるべき何かがある気がする。

性能ではトヨタや日産の車の方が上かもしれないのに、イタリア車は日本車より0一つよけいにつけて売れる。フェラーリのブランドの前に“Made in Japan”は通用しないが、中国人にとっての炊飯器や妻のような素人にとってのパソコンには通用する。そういう分野がまだまだあるような気がする。

かつて天下を誇ったソニーは大赤字を計上し、メーカーは揃って円高をなげき、政府の円高無策をメディアを使って訴える。コストダウンのために海外へ工場を移す事ばかりしていて、本当に良いのだろうかという気がする。せっかくの“Made in Japan”が泣いている気がする。

かつて一世を風靡した“Made in Japan”だが、為替レートの差だけがその繁栄の理由ではない。性能的にはライバルも台頭してきているのだろうが、円高と人件費の安さだけで剥がれ落ちるメッキだったのだろうか。製造業の立場にはいないからわからないが、素人的には“Made in Japan”の復活を強く願うところである・・・