2010年12月31日金曜日

年末雑感

早いものでもう大晦日だ。
毎年毎年、時間が経つスピードが速くなっているような気がする。
けれど振り返ってみれば、ちゃんと365日を過ごしてきているわけで、それは日記を読み返してみても明らかなのだが、一日一日を充実して過ごしているだろうか、と考えてみると、惰性で過ごしているように思える日も実は多い。
来年は一日一日を充実して過ごしたいと思う。

来年はテーマとして、「一歩前進」を挙げようと思う。
いろいろとやりたい事などを先送りしている。
いつまでも先送りしていても、「いつか」はやって来ない。
そこで少しでもいいから何か踏み出そうと思う。

例えば今手元にある英語の本。
もう何年も前に買って埃を被っている。
一日朝と晩に一ページずつ、と決めて読み始めた。
すると一週間で14ページ進んだ。
こうすれば、長年読みかけだった本も来年は読み終える事ができる。
こんな調子でやっていきたい。

今年は10何年か振りでスキーに行ったし、夏にはグアムに行った。
味覚狩りはペースダウンしてしまったが、来年もそれなりに行きたいと思う。
映画も少しペースダウンした。
まあ昨年が多過ぎたと思うので、今年くらいのペースがいいのかもしれない。
年間で一番面白かったのは、 「アバター」だ。
こういう映画を観られるのはつくづく幸せだと思う。
来年もそういう映画を一本でも多く観たいものだ。

一方読書はかなり進んだ。
例年を上回る本を読んだ。
中でも一番の収穫は 「百田尚樹」 に巡り合えた事だろう。
自分の趣向とピタリと一致している。
7冊読んだが、ベスト3は「永遠の0」「BOX!」「影法師」だろう。
会社の同期とも意見が一致していて、いつも語り合っている。
すでに次の新刊も出ているが、それは年が明けてのお楽しみだ。

仕事も当然頑張らないといけない。
担当先にはボーナスも出ていないところもあるし世の中大変なのであるが、現状に満足することなく、常に「一歩前進」を心掛けていきたい。
このブログも丸2年続けてきて、早くも3回目の年末だ。
本当は毎日いろいろな考えを書きつづりたいところではあるが、欲張って4つもブログをやっているのでそれは不可能だ。だが、楽しいからこそやっているのであり、今のペースで無理なく楽しみながら続けていきたい。

今夜は年末恒例のすき焼き。
紅白を見ながらのお年取りである。
家族そろって静かな大晦日を過ごせるのは本当にありがたい事だと思う。
来年は今年よりも少しでも良い年にしたい。
そうなるように、「一歩前進」を心掛けたいと思う。

     

2010年12月28日火曜日

Wii パーティー

長女が今年サンタさんにもらったのは、「Wiiパーティー」。
もともと以前からWiiは買ってあって、時々家族で楽しんでいる。
長女はどこからか聞き込んで来て、この「Wiiパーティー」をサンタさんにリクエストしたのである。

「パーティー」と名のつく通り、これは家族みんなで楽しめるゲームだ。
もちろん、これまで買い込んだ ソフト「マリオカート」だとか「Wiiフィットネス」だとか、「Wiiスポーツ」なんかもみんなで楽しめるのだが、特にこれは内容がユニークだ。

例えば「トランプかるた」。
その名の通り、トランプを用意して(いきなりトランプを用意しろと言われてちょっと驚く)それを広げてかるたの要領でカードを取っていくのだ。
普通4人であれば、一人は読みあげるから実際は3人での競争になる。
ところが、ここではWiiが読み上げてくれるから4人で競える。

また5歳の長男が気に入ったのは「リモコンかくれんぼ」。
これはコントローラーを一人が部屋の中に隠して、残りの3人が探すというゲーム。
2分間で探さないといけないのだが、コントローラーからは動物の鳴き声が出てくるから、それを頼りに探す事もできる。
ただ隠すだけでは面白くないが、動物の声がありかを教えてくれるというところがWiiの面白いところだ。

それに「スゴロク」がある。
誰の番だったかはWiiがちゃんと教えてくれるし、サイコロを振るところからコマを進めるところまですべてやってくれる。
難しいシューティングゲームなんかと違って、子供でも楽しめるところがいい。

そもそもゲームと言えば、コントローラーをしっかり持って、画面をじいっと見つめて、無言でこなすというイメージがあるが、トランプを用意させられたり、コントローラーを手放して、画面も見ずに遊ぶテレビゲームというのもなかなか凄い発想だ。最近のゲームは映像技術が凄いみたいだが、このゲームではそんなもの必要ない。よく考えついたものだと思う。子供がゲームばかりしているとイライラするお母さんたちも、これなら大目にみざるを得ないだろう。

それに任天堂は商売上手だ。
今回、ソフトはサンタさんにもらったのだが、これまで我が家にはコントローラーが2台しかなかった。なので敢えて2台追加で購入したのだ。
1台3,800円するから、なかなかうまく財布の紐をほどいてくれる。

我が家で初めて買ったプレイステーションは、夫婦でそれぞれしばらく遊んでいたが、やがて飽きてしまって今では埃を被っている。
それぞれ忙しいし、ゲームばかりに時間を割いてはいられないからだ。
同じ任天堂のDSは長女だけが熱心にやっているが、みんなで遊ぶというわけにもいかない。
だがこのWiiは、子供たちと遊ぶという目的も同時に果たせる。
雨の日の週末なんかはピッタリだろう。
当分の間は、これで楽しめそうな我が家である・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
     

2010年12月24日金曜日

クリスマスイブ

クリスマスイブである。
子供の頃からしばらくは、この時期が一年で一番好きな時期だった。
街中にジングルベルが流れ、ケーキを食べ、プレゼントをもらう。
どこの子供にとっても同じだろう。誕生日も似たようなものだが、クリスマスは自分一人ではないし、サンタクロースがトナカイのそりに乗ってプレゼントを持ってきてくれるというところが大きく異なる。そんな子供の頃の記憶が、今もまだたぶん沁み込んでいるような気がする。

それが20代になると、一転してあまりいい思い出がない。
いつのまにやら「クリスマスは恋人と過ごすもの」という雰囲気の中に飲み込まれてしまったからだ。バブルの頃は半年も前からホテルのスイートルームを押さえたりといった話を遠くで聞きながら過ごしたものである。根っからの天の邪鬼な私は、そんな風潮に真っ向から反抗していた。
もっとも、「やりたくてもできないんだろ」と言われると返す言葉がなかったから、黙ってはいたが・・・

社会人になったある時、同期に誘われて2対2のデートに駆り出された事があった。
ウキウキしながら出掛けて行ったが、あまりにも話題についていけなくて、苦痛になりかけていた。会話の中で、相手の子が言ったのだ。
「私はいつか結婚する時は、クリスマスイブに結婚式を挙げるの!」
目の前にパイがあったら、投げつけていたと思う。
イブとなるとよく思い出すエピソードだ。

最近はハロウィーンも盛り上がっているが、日本人はうまく外国の習慣を取り入れて楽しむ術に長けているように思う。まあ、それはそれで悪くはない。
しかしクリスマスはどうもへんな雰囲気にのまれてしまっている。

仕事帰りに池袋の街を歩いた。道行く若者に目が行く。
一人で歩いている人を見ると、それが男でも女でも、「一人なのかな?」とついつい思ってしまう。あれだけ反抗していたくせに、「彼(女)いないのかな」と思ってしまうのだ。
妻も近所のラーメン屋がガラガラだったと報告してくれた。
「客は若い男の人一人やったわ、相手おらへんのやろね」とやっぱり「カップルで過ごすもの」という考えに毒されている。
独り身に冷たいのは、外の風ばかりではないようだ。

ビックカメラに行ったらおもちゃコーナーは激混み。
仕事帰りのお父さんの姿が圧倒的に多かったが、みんなサンタさんの代行なのだろうか。
その先に待つのは、クリスマスが楽しくて仕方がない子供たちなのであろう。
結婚してようやく落ち着いてクリスマスを楽しめるようになったのはありがたい事だ。
家に帰って、サンタさんからの子供たちへのメッセージカードを「代筆」する。
こういうイブの過ごし方が、今まで過ごしてきたの中で一番心地良い。

明日はゆっくりと楽しむ事にしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
  
 

2010年12月21日火曜日

長女の誕生日

先週の日曜日は長女の誕生日であった。
例年私の両親を招待し、ケーキでお祝いし、長女のリクエストした夕食をみんなで食べるというのが大体のパターンである。
今年も例年と同じようにお祝いした。

長女が生まれたのは10年前。
妻は初産で実家に里帰り。
その日朝の4時過ぎに、義理の妹からの電話で起こされた。
すでにカウントダウンに入っていたから、「生まれたか!」と思ったが、妹によると「今分娩室に入っている」との事。

「生まれてから電話をくれればいいのに」との思いを察したのか、妹が言うには、「妻が苦しんでいるのに夫がのうのうと寝ているのは許せないから電話して起こして!」と妻に言われたらしい。まあそういう家庭なんですな、我が家は。
そうして6時半過ぎ、出勤の支度をしている時に、今度こそ本当の出産の知らせが届いたのである。

父親になったらやっぱり感激するのかなと常々考えていたが、意外にもそれほどでもなかった。何だか隣のうちで子供が生まれたと聞いても、やっぱり同じ感覚なのではないかと思うくらいであった。まあ、その週末に大阪の妻が入院している病院を訪ね、我が子をこの手で抱いた時はさすがに実感が湧いた。自分がいなければ、この世に生れ出る事のなかった命なのだと思ったのだ。

幸いな事に、肺炎で一週間入院した事を除けばこれといった大過なくここまできた。
ケーキは「大きく切って!」とイチゴやチョコレートのデコレーションとあわせてパクつき、食べたいもののリクエストには元気に、「焼き肉!」と答える。
どうせならおいしいところと、3駅ほど向こうの駅前にある焼き肉屋に私がわざわざ一時間並んで予約をして、みんなで出掛けて行った。

夜は長女と弟と一緒に風呂に入る。
最近ちょっと胸が膨らみはじめてきた長女だが、それを誇らしげに見せてくれる。
世間一般では、父親がいつものように風呂に入ろうと娘を誘ったところ、「もうパパとは入らない」と告げられ、父親は「ガーン!」とショックを受けるというイメージを持たれているが、我が家は逆に私の方がそろそろ別々にした方がいいんじゃないかと思い始めている。
弟と一緒になってサンタさんに手紙を書いているし、どうやらまだまだ子供な長女なのである。

あと10年したらどんな親娘関係になっているのだろう。
男の子の口説き方から付き合い方までレクチャーしたいと思っているが、果たして聞く耳は持ってくれているだろうか?臭いとか言われて嫌われないようにしないといけない。
ひょっとしたら、これから彼女を作るよりも難しいかもしれない。
最近学生時代の体重に戻り気をよくしている私だが、そんなレベルに終わる事無く、見かけも中身もシェイプアップしたいなと、あらためて思うところである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹


      

2010年12月17日金曜日

難問

先週末に実家へ行った。
大掃除の手伝いという目的があったのだが、それはそれで少し母親と二人で話をした。
どうも気になっていた事があったようだ。
何かと言えば、私の妻との事であった。
長男の運動会の時にちょっと気になるやり取りがあったという。

実は我が家も世間並みに嫁姑の対立がある。
犬と猿が本当に仲が悪いのかどうかはわからないが、我が家の嫁姑は見事に仲がよろしくない。
結婚以来、それが私の頭痛の種である。
かつては将来同居も、何て考えた事もあったが、今ではそんな恐ろしい考えはない。
どうして仲が悪いのかまったくわからない。

曰く、モノをあげてもお礼がない。
退院したのに一言もない。
あんな事言われた、こんな事言われた・・・
お互いにあら探しして、少しでも何かあると鬼の首をとったように私に訴えてくる。
まあ直接目の前でケンカされるよりはマシなのだが・・・

一つ一つは実に些細な事なのである。
どちらも悪気があるわけではない。
つまり受け取り方の問題なのである。
私からすれば、さらりと気にせずにやり過ごせばそれで済む話なのである。

実家に行けば私もいろいろと野菜や果物や米や、母親が故郷で調達してきたモノをもらって帰る。
それを持ち帰ったあと妻からお礼の電話がないと親は言う。
妻からすれば、私がすでにお礼を言ってもらってきているわけで、我が家としてのお礼は済んでいると気軽に考えている。だが、我が両親はそう考えない。

逆もある。
両親の誕生日や、父の日、母の日に我が家から両親にプレゼントを送る。
私にはお礼を言ってくれないと今度は妻が不平を言う。
両親はもちろん、妻がそんな不満を持っている事など知りもしない。
そんな具合である。

もちろん、モノをもらえばお礼を言うのは当たり前だ。
だが、間に一人(私だ)入っている事で、この常識にずれが生じる。
でも、そもそもお礼目当てに贈り物をするわけではないだろう。
自分が相手にあげたいと思うからするのであって、お礼目当てでするものではない。
お礼がなくて嫌なら次からやめればよい。見返りを求める事がおかしい。
愛とは一方的で、無報酬であるべきなのである。

母親には話をした。
「そもそもお互いに仲良くしようと思うのなら、どうして相手の欠点にばかり目を向けるのか。
気に食わない事だけをいつもしっかりと覚えていて、何かあればそれを持ち出す。
これまでにしてもらって嬉しかった事はないのか?
どうして『ありがとう 』と思った事を覚えておかないで、嫌な思いをした事だけを覚えているのか?
互いに相手の良い部分を見て、悪い部分は見ないようにすれば良いではないか。
相手に要求するばかりで、どうして自分が柔軟に対応しようと思わないのか」、と。

いつもの事だが、理屈では私が圧倒する。
だが感情は別だ。
「そうは言ったって、お前ね・・・」という気持ちが常にある。
だから私がいくら正論を吐いても届かない。
私もあまり体調の良くない母親に強くも言えない。
もともとお互い望んで義理の親子関係になったわけではない。
そんな気持ちがあるのだろうか。

数年前に結婚した従兄弟に子供が生まれ、親(叔母)と同居しようという話が持ち上がっている。
母親としてはそれも羨ましく思っているフシがある。
私としては、一体どんな奥さんなのだろうと、結婚式で一度だけ会っただけの彼の奥さんをこれまた羨ましく思う。

他人は変えられない、自分の心のあり様を変えるだけという考え方の私としては、到底解決困難な難問を抱え込んでしまっている。
アラブとイスラエルの対決を解決するより難しいかもしれない。
無邪気にサンタさんに手紙を書く長男を見つめては、「お前もいつか絶対同じ苦労するだろうな」と思わずにはいられない。いつか男二人で酒を酌み交わしながら、「まったく、女ってやつは」と愚痴り合う事になるのだろうか。

そうは言っても、もう少し何とか出来ないものか、それだけは諦めずに探していくことにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「中国で尊敬される日本人たち」朱健栄
「影法師」百田尚樹
     
    

2010年12月14日火曜日

健全なる猜疑心とは

先週末は月に一度の社会人向け勉強会である「寺子屋小山台」に参加。
かつてテレビでキャスターを務めていた事もある方を講師にお招きして、講義とディスカッションをしていただいた。本来のタイトルからは少し脱線したが、現代の問題について諸々ディスカッションした。

ちょっと面白かったのは食料自給率を巡るデータの嘘の話だ。
我が国の食料自給率は、農水省の発表だと約4割と言われている。
つまり簡単に言うと、国内では国民10人あたり4人分しか食料を生産できていないと言う事だ。
ここから食糧安保の話などが出てきているわけである。
私自身、(自分でなにかするわけではないが)何とかしないといけないなと考えていた。
何かあった時に外国頼みではやはり不安ではないか。

しかしこの4割というデータが曲者なのだと言う。
実はこれは「カロリーベース」での数字。
これが「金額ベース」だと60%超となるらしい。
しかも野菜などカロリーの低いものは含まれておらず、米に至っては110%、つまり自給出来ているとの事。何かあっても野菜鍋なら腹一杯食べられるわけである。
しかも「カロリーベース」を使っている先進国は我が国くらいのものらしい。

何でそんなに危機を煽るのか、といえばやはり農水省だけに自らに都合のよいように操作しているのだろう。実は我が国の農業生産は、世界第5位だというから驚きである。
ここからわかることは、嘘ではなくても切り口をちょっと変えるだけで、いくらでも人をミスリードできるということである。

かつて私も「貸し渋り批判」でひどい体験をした。
日経新聞が、銀行の貸出残高が減ったという事実を持って「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」というタイトルの記事を載せたのだ。景気が悪くなれば、企業も人もお金を借りるのを控える。
運転資金だって設備資金だって、銀行が貸し渋りなどせずとも、自ずから借りるのを控えるのだ。
(車だってかつては3年ごとに買い換えていたが、そのサイクルは近年長くなり、そうすれば当然ローンだって借りなくなるから残高は減るのだ)
銀行の貸出残高が減った要因には当然そうしたものがあるはずで、それを中身の分析もせずに「貸し渋り」と決めつけていた。「解釈の悪用」だが似たようなものだ。

世の中には実はこうした例は多いと思う。
すべてを見破る事はできないが、「猜疑心」をしっかり持って我が身をガードしておかないと、簡単に騙されてしまう。政治家の言う事も、マスコミの言う事も鵜呑みにせず、「本当だろうか?」と思う事を常に忘れてはいけないと思う。
美人が満面の笑みを浮かべて近寄って来たら、それは絶対何か裏があるって事なのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
    

2010年12月10日金曜日

今日という一日

めっきり寒くなってきた。
起きるのも大変だし、通勤も辛い。
冬の通勤三点セットとして愛用しているのが、コート、マフラー、手袋。
しかし、寒くなってきたとは言え、まだ利用しているのはコートのみ。
マフラーと手袋の出動は、それでももうちょっと先のような気がする。

今朝は珍しく朝一で外出。
丸の内のビル街を歩き出す。
ふと気がつくとあたりの様子がいつもと違う。
何だか妙に閑散としている。
客待ちのタクシーは一台もいないし、4車線道路を通る車もほとんどなく、人影もまばら。
一瞬、ゴーストタウンに紛れ込んだかのような錯覚を覚える。

澄んだ空気。
ビルの向こうに青空が見え、イチョウの葉が歩道を黄色に染めている。
有楽町まで気持ちの良い散歩を楽しんだ。
同じ道を一時間後に戻ってきたが、もう街はいつもの活気に溢れていた。
客待ちのタクシーは列をなし、交差点には車が行き交い、人々が忙しくすれ違う。
いつもの雰囲気に私の足取りも自然と早まる。

今日は半年に一度のボーナス。
同僚はぶつぶつと文句を言っていたが、この頃はきちんともらえるのはありがたい事だとつくづく思う。取引先の中には厳しい状況のところもあるから尚更だ。
ただ、自分のために使える分がないのが寂しい限りである。

一日の仕事を終えて帰路につく。
昼間の黄色の街路樹に代わって夜は、電飾のツリーの出番である。一本向こう側の道路は有楽町まで果てしなく続く電飾並木。
たまには有楽町まで歩いてそこから帰ろうかという気もするが、やはりまっすぐ帰りたいので「いつかそのうち」と思ってしまう。
「いつかそのうち」は決してやって来ないので、今度有楽町で映画を観る時に、こっちを歩いて行くことにしようと思う。

視線を上げると夜空にビルの夜景が何とも言えない雰囲気を作り出している。
そういえば、このあたりはいつのまにかすっかりビル街になってしまった。
このあたりの夜景の雰囲気も気に入っている。
かつては新宿の高層ビルの夜景が好きだった。
今でもそうだが、最近は丸の内も負けていない気もする。

池袋西武のスイーツコーナーに寄る。
ここのところ月に一度いろいろとスイーツを買って帰っている。
今日はボーナスだからと勝手に理屈付けして、あれこれ迷ってモロゾフのチーズケーキを選ぶ。
玄関を開けると長男がお出迎え。いつもは誰も出て来ないのだが、金曜日かつ、お土産がある時は別なのである。

居間ではクリスマスツリーの飾り付けの真っ最中。
今年は随分遅いし、しかもこんな時間。
それでも子供たちも交じってワイワイと楽しげな雰囲気。
相変わらずいろいろとうまくいかない事があって、気持ちも沈みがちなのであるが、見ていると気分もまぎれる。

週末も予定が詰まっている。
社会人向けの勉強会に実家の大掃除だ。
週末も来週も気持ち前向きに顔を上げて頑張って行こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   
   
     

2010年12月8日水曜日

ディズニーランドな一日

ここのところ何かと忙しく、ブログの更新もままならなくなってきた。
思い通りに行かないという事は、じわりじわりと心にダメージを与えるものだと感じる。
一日が25時間だったら、もう少し幸せかもしれない・・・

先日、クリスマスシーズン恒例のディズニーランドへ行った。
長女が 学校公開の振り替えで平日休みとなったのに合わせて、私も休みを取ったのである。
平日だからと期待したが、やっぱり混んでいるのがディズニーランド。

「開門から閉門まで」が我が家の流儀。30分前から開門を待つ。ただ待っているのではない。この間、戦術を練るのである。
まずは私が、長女が好きなスプラッシュマウンテンのファストパスを取りに行く。
その間、家族はバスライトイヤーのアストロブラスターに並ぶ。
アストロブラスターが終わった後にスプラッシュマウンテンという段取りである。

ところが、スプラッシュマウンテンのファストパスを取ったはいいが、アストロブラスターは150分待ち。終わる頃には午前中のクリスマスパレードの場所取りが出来なくなる。すでに家族は20分並んでいる。ここでアストロブラスターは断念し、短い時間で済みそうなグラウンドサーキットへ切り替える。

せっかく並んだ20分が惜しい気もする。しかしこの20分は敢えて捨てる。
経済学用語ではサンクコストというのであるが、これを惜しんでいてはもっと損失は大きくなる。
午後から雨という予報だったから、パレードは午前中に見ておかないといけない。
天気と待ち時間とファストパスの時間と、次のファストパスを取りに行く時間。
これらを組み合わせて最適解を選ぶ瞬時の判断力!

と言っても私は何も考えず、指示に従って動き並ぶだけ。文庫本を片手に東へ西へ・・・
「指示待ち族」「イエスマン」「作業員」という言葉は、サラリーマンとしてはいただけないが、我が家の中では別。これが賢い生活の知恵である。

予報が外れて早くも雨が降り始め、午前中のパレードは中止。
屋内施設のイッツアスモールワールドに一時避難する。
しばらくすると雨はやむ。
結局傘は不要であった。
こういうところも天下御免の晴れ男の面目躍如たるところ。

午後2時近くなってようやくランチの許可が下りる。
短時間で手軽に食べられるピザが選択される。
そこへ向かう途中、長男が「トイレ!」。
ところが一番近いところは長蛇の列。
「漏れそう」と言う長男。大きい方だと言う。
他の家族はピザを頼みに行ってしまった。
こうなると自分で判断しないといけない。

子供だからという特例扱いは、係のお兄さんに断られ、漏らすリスク覚悟で並ぶか動くかの判断を迫られる。    過去の経験と記憶から少し先のトイレを選び出し、移動を決断。
ダメならその先のレストランのトイレ。
ここなら少なくとも列は短い。
最悪、替えのパンツは車の中だ。

幸いこの賭けには勝つことができた。
はるかに短い列に並んだだけで、ギリギリで個室に駆け込む。
だが惜しいかな、ちょっとパンツが汚れてしまった。
足踏みしながら頑張った長男だが、まあ仕方ない。
結局、車に戻って替えのパンツを取りに行き、履き替えさせていたら、もう午後のパレードの場所取りの時間。のんびりランチというわけにもいかない。

こんな騒動を丸一日。
閉門時間を30分も過ぎてからエンジンスタート。
夜の首都高、ハンドル片手にお気に入りのCDを選ぶ。
いつもは長女のリクエストで嵐ばかりが歌っているが、みんな疲れて眠った車内では好きなアルバムを選択できる。

我が家のディズニーランドはいつもこんな具合だ。
でもこんな一日も子供が小さいうちだけだろう。
いつかこの疲労感が懐かしく思えるのかもしれない。
いい思い出として、ブログにも残しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   
   

2010年12月2日木曜日

絵馬に願いを

ここのところ2週続けて神社に行った。
先々週は長男の七五三で地元近くの東伏見稲荷へ。
そして先週は旅行で、箱根神社に行った。
毎年初詣には地元の氏神様にお参りを欠かさないが、七五三やかつては自分の厄払いなど折に触れて神社に行く。諸外国の人から見れば、日本人の宗教心などないに等しく映るかもしれないが、やっぱり我々もそれなりに宗教とは関わっている。

七五三ではお祓いをしてもらい、絵馬をもらったので一筆書いて奉納してきた。
「はい、書いて」と妻から絵馬を渡されて、はたと困ってしまった。
普段からあまり考えてもいないから何も浮かばない。
それに元々宮本武蔵流の「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」の精神を心掛けているから尚更である。
結局あれこれ迷って子供の健康を祈願した。

箱根神社はお参りというよりも観光で行った。
芦ノ湖に浸かった鳥居も見事だが、参道の脇の立派な杉の木にも驚いた。
街中の神社と違って威厳が漂う。
観光とはいえ、行けばお参りしないわけにもいかず、お賽銭を投げて手を合わせた。
ご挨拶するのが礼儀だろう。
何気なく目を向けたところにたくさんの絵馬がかかっていた。
それらを見るとはなしに見る。

いろいろな人がいろいろな願い事を書いている。大体が、健康の事が多いようだ。
家族の健康を祈願するのは大抵の人がみなそうであろう。
次に目についたのが受験関係。
高校や大学がちらほら目につく。
そう言えば、私自身も受験時は心細く不安な思いをした。そんな思いが絵馬から伝わってくる。

結婚・出会いも多かった。
「素敵な人」からずばり特定個人を指定したものもあり、今時なのか「草食系」という表現もあり、みんな好き勝手に希望を書いている。大体これらはみな女性の手によるものだった。
男は自分から行くが、やっぱり女性は受身が多いだろうから祈りたくもなるのだろうか。

「転職がうまくいきますように」なんてのもあり、「来年出すCDが1万枚以上売れますように」なんてのもあった。カッコ書きで芸名らしき名前が書いてあったから、写真に撮っておけばよかったかと後から思った。もしもヒットして売れたら記念になるかもしれない。

英語やハングルもあった。
神様の中には異国の言葉も理解できる方がいるのだろうか。
「パパの病気がよくなりますように」
私が神様に推薦するとしたら、これを選ぶだろうと思った。
是非叶えてあげてほしいと思う。

いろいろな人の様々な願い事が奉じられている。
どのくらいの願い事が叶うのだろう。
見た限りでは、「億万長者になりたい」などというものは見当たらなかった。
やっぱり神様の前だから、願う方も控えるのだろう。

叶う叶わないは別として、自分の願いを神聖な気持ちで絵馬に書くという行為は、それ自体がいいのかもしれない。神聖な場所で、厳粛な気持ちで、自分の願いを神様に報告するのだ。
実現するかしないかは自分次第だ。
折に触れこういう機会をこれからも持ちたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二