2009年1月30日金曜日

今この瞬間を

    
「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」
                        韓国のベスセラー小説「カシコギ」


伯父の葬儀で訪れた御代田の町。
短時間のショートステイでは何度か訪ねていたが、考えてみれば泊りがけで行ったのは14年振りだった。通夜と葬儀の短い合間合間にあちこち散歩した。
なんだか無性に懐かしくなったのだ。

都会では考えられないくらい広い校庭の小学校。いとこが通っていた学校だ。
夏休みには何食わぬ顔で一緒にプールに入って泳いだ。
当時の木造校舎は跡形もなく、廃校となったその場所は校庭こそそのままだが、校舎の跡地には銭湯ができていた。

今思い出してもレトロな駄菓子屋は、錆付いたトタン板で戸口をふさがれていた。
カブトムシを取りに行ったあたりには国道に通じる道路が通っていた。
バッタやカエルやザリガニを取った田んぼはビジネスホテルの駐車場に、伯母さんの作ってくれたおにぎりを持って遊びに行った神社の横にはパターゴルフ場ができていた。
いとこと野球をした空き地にはアパートが3棟連なっていた。
もうあの頃の御代田ではなくなっていた。
30年も経つのだから当たり前だ。

銀行に入って20年。
最初に配属となった思い出の支店は建て替えられて、場所こそ同じであるが近代的な商業施設の中にあり、自分がいた頃の店舗は影も形もない。そのあと転勤して勤めた3店舗もすべて同様だ。
かつての思い出の場所で、もはや記憶の中にしかないというところも、数えてみればかなりある。
それだけ無情な月日が流れているのだ。

何だか年寄り臭くなった。
もう一度訪れてみたいあの頃のあの場所。
もう一度経験したいあの時。
それらはみなどんなに努力しても叶わぬ夢なのか。

これからそういう場所や時間がますます増えていくのだろう。
そうしていつか気がついたらそんな思い出ばかりになっているのだろうか。
ひょっとしたら何気なく生きている今このひと時であるが、20年後の自分が戻りたいと渇望しているひと時かもしれない。そう思うと、回りのものが何だかどれも大切なもののように思えてくる。

今は煩わしいと感じている事もひょっとしたら後から無性に懐かしくなって、その思い出に涙ぐんでいるかもしれない。思い出に浸るのは心地良く、心にも大切なひと時であるが、何よりも時計の針は動き続けている。当たり前の事であるが、今このひと時を大切に生きないといけない気がする。

毎日の仕事に精を出し、ミュージカルや映画を観て本を読んで心の充実感を満たす。
家族や友達と何物にも代えがたいひと時を過ごす。
ありふれた言葉であるが、「今を生きる」のだ。
そうして年老いてよぼよぼになった時に、いい人生だったと振りかえりたいと思うのである・・・

    

2009年1月26日月曜日

伯父の葬儀

   
伯父が亡くなった。

伯父は長野県の、東京から行けば軽井沢の少し先にある御代田という町に住んでいた。
雄大な浅間山が聳えるその麓の町である。
小学校三年生の頃から一人でそこに遊びに行っていた。
伯父の次男(つまり私のいとこ)が私と一つ違いであり、ウマがあったこともあって春夏の休みには10日~2週間は滞在していた。
東京生まれで田舎のない私にとっては故郷の代わりになる所だった。
それが高校に入るまでの私の年間最大イベントであり、最も楽しい事であった。

そんな私だからか、伯父も伯母も事のほかよく可愛がってくれた。
寡黙な伯父は仕事から帰るといつも晩酌をしながら我々の遊ぶのを眺めていたものだ。
もともと具合が悪く入院していたが、行っても既に私の事がわからなくなっていたため、ここのところはずっと見舞いにも行っていなかった。
そしてとうとう「その日」が突然やって来たのだ。

お通夜から参加。
伯父の死に顔は記憶にあるその顔とは別人のようであった。
集う親戚。こんなにいたのかと改めて思うほどだ。
懐かしい顔もあった。中でも伯父の長男の子供が大きくなっているのに驚いた。
確か遊んであげた時は5歳だったやんちゃ坊主が19歳の若者になっていた。
茶髪を後で束ね、ピアスを光らせた彼をいつのまにか見上げる立場になっていた。

伯父伯母たち年寄りはみな変わらない。
でも甥だの姪だのの子供たちはみな10~20代。
誰が誰だかわからない。
そんな集まりゆえ、自然と昔話に花が咲く。
通夜にも関わらず、湿っぽさはまるでない。
伯父の遺体の横で笑顔溢れる集まりだ。
考えてみれば、これが伯父の最後の招集だったのだろう。
賑やかな方がかえってよかっただろうと思う。

一方で子供の頃、従兄弟と遊んだ御代田の家の周辺は、あちこちに新築の家やアパートが建ち並び、道路ができてと様変わりだった。
あの頃の面影が消えつつあり、その方に寂しさを感じた。
酔い覚ましに外に出ると、冷たく澄んだ夜空には満天の星。
東京でもオリオン座は見られるが、星々の中から浮かび上がるオリオン座というのはちょっと見られない。そういえば夜空一杯の星を眺めるのも楽しみであった事を思い出した。
家の周辺は変わっても夜空は昔のままだった。

葬儀が終わって帰って来ても伯父が死んだという実感はない。
今でも御代田に行けば笑顔で迎えてくれそうな気がする。
でもきっとそうなのだろう。
人は死んだらどうなるのかという事はよく言われるが、たぶん伯父は今でもあの頃の御代田のあの家のいつもの指定席に座って晩酌をしているのだ。
そしてなかなかそこに行く機会がないだけなのだ。

いつかそこに行けるのだろうが、それまでは遠くにありて思う故郷に今でもあのままでいるのだと思いたい・・・

   

2009年1月24日土曜日

ミュージカル



  







先日劇団四季のミュージカル「赤毛のアン」を観に行った。
モンゴメリー原作のこの有名なお話、実は私は読んだ事がない。
したがって初めてストーリーを知ったわけであるが、ストーリー自体はいかにも女の子向けという感じだ。

しかしストーリーもいいが、何といっても「生の迫力」。
これに尽きると思う。
右に左にと動き回る俳優たち。
その足音や息遣いが直接伝わってくる。
一人一人が細かいところまで演技しているのには感心してしまう。

ミュージカルとなると映画でも名作と言われているものがある。
古くは「ウエストサイド物語」、「屋根の上のバイオリン弾き」や最近では「オペラ座の怪人」など観てよかったと思うものもある。
しかしどうしても映画でのミュージカルはしっくりとこない。
映画とミュージカルは相性が悪いと個人的には思っている。
映画大国インドの映画はどれを観ても同じ様にみえてしまうし、どうにも面白みが感じられないのは、ほとんど音楽が流れっぱなしの一種のミュージカルだからだと思う。
やはり「ミュージカルは舞台に限る」と思っている。

ただ欠点は料金だ。
8,000円~10,000円というのはちょっと高い。
家族で観に行きたいと常々思っているが、なかなか勇気がいる。
ここのところをもう少し改善してほしいなぁと願ってやまない。
家族で気軽に行けるようになるともう少し世の中も変わりそうに思うのだが・・・

2009年1月20日火曜日

道路政策

「高速道路、休日は1000円上限で乗り放題 2次補正成立で2年間実施」

ファミリー向けにはかなり刺激的(?)なニュースを目にした。
土日祝日の地方の高速道路料金を上限1,000円で乗り放題にしてくれるらしい。
その他平日でも首都高の割引他があるらしい。
ただパブリックコメントなる意見公募を行ってから正式決定するというが、こういう意見に反対意見など出るものだろうか?
さっさとやってほしいものだが・・・

それにしても何でこんな政策が出てきたのだろうか?
新車販売が不振でトヨタをはじめとする自動車各社が減収にあえぐ中、国民に車を買わせようとする戦略なのだろうかと勘繰ってしまう。
しかし、それにしては対応が(役所にしては)早すぎるし、2年間という限定だからそうではないのかもしれない。
それにすでに車のある我が家にとってはたとえ車を買わせようとする政府の策謀だろうと気にする事はない。
素直に喜んでもよさそうである。

ただこれでみんなが車で出かけるようになると、問題は渋滞だ。
今でもGWやお盆などの渋滞は酷いが、さらに拍車をかけることになる。
渋滞の解消策もあわせて考えてほしいものである。
それに、夏休みに家族でレジャーに出かける時は、平日に出かける事が多いだろう。
(それでこその夏休みだ)
その時は恩恵に預かれないわけである。
商業車を除外する目的なのだとしたら、もう少し別の方法を考えてもらう必要がある。

かつて経営コンサルタントの大前健一氏が各家庭で10万円を支払って高速道路を永久にただにするアイディアを公開していた。
わずか10万円でできるそうである。
どうせならこういう恒久的な取組みをしてもらいたいものである。
久々に良い政策だなと思ったのだが、まだ始めの一歩という感じだ。
そういうコメントをどうせなら出してみようか、などと思ったりしてみたのである・・・


2009年1月16日金曜日

給付金の使い道

登場した時は「最後の切り札」的な存在だったのに、今は人気低迷にあえぐ麻生首相。
給付金を巡る議論が賑やかである。

この不況を乗り切るには何とか消費を回復させないといけない。
しかし、この不況下で家庭はどこも財布の紐を厳しく締めている。
そこでお金をばら撒いて使ってもらえば消費も増えるという腹積もりなわけだ。

しかし、所得をすべて使ってしまうアメリカ人ならいざ知らず、堅実に貯蓄する日本人に対し、どれだけの消費刺激効果があるのか、という事で問題になっているわけである。
ばら撒いた後、ゆくゆくは増税が確実なだけに尚更だ。

あるところで面白い話を知った。
例えば月に40万円の収入があり、そのまま40万円を使い切っていた家庭があるとする。
ところがそれではいけないとそのうち10万円を貯蓄に回すことにした。
個人レベルでは誰もが頷く当然の考えだ。

ところがそれをマクロの立場からみる。
それまで40万円の消費があった。
国全体でみると4,000億円の消費であったとする。
するとそれが各企業の売上となり、やがて給与となって個人に還元されていく。

ところが10万円を節約したために消費は30万円となり、国全体では市場規模は3,000億円に縮小。
各企業の売上も3/4に減り、それに対して各企業はリストラや給与カットで対応。
すると個人の給与も30万円に減り、その家庭はさらに節約し、今度は5万円の貯蓄をするため消費を25万円に抑えた。すると・・・

面白い話だ。
逆に言えば10万円の貯蓄をするのではなく、借りてでも50万円の消費をすればいいと言う事になる。
アメリカ人式が正しいという事だ。

給付金も毎月くれるなら、「お国のため」に消費に回そうと思うのだが、1回だけではなぁ・・・
せめて今タイミングを待っている地デジ対応のテレビの足しにしようかと思うのだが、それまではやっぱり「とりあえず貯蓄」に回す事にしようかと思ったりしている代表的庶民の我が家なのである・・・


     

2009年1月14日水曜日

中国から見た日本2

朱建栄東洋学園大学教授の講座に出席した。
期待通りの内容であった。

日中両国の間に横たわる問題はやはり戦争の部分が大きい。
中国側の言い分もわからなくもないが、かといっていつまでも言われ続けるのもどうか。
そっちがいつまでも拘るのであればいつまでたっても友好などありえない、そんな考えを抱いていたものである。

しかしそう思う前に考えないといけない事がある。
第2次世界大戦は太平洋戦線でみると日本対米英中ソの図式である。
そして日本からすると対米英、対中、対ソと3つに分かれる。

人は「加害者意識」より「被害者意識」が残るものである。
そのためか日本人にとって「あの戦争」と言う時、それは「沖縄戦」「東京大空襲」「広島」「長崎」であり対米戦を指す。
加えるなら「シベリア抑留」の対ソ戦である。

しかし中国にとっての第2次世界大戦は「対日抵抗戦争」である。
したがって「あの戦争」といえば「対日戦争」に他ならない。
このギャップが大きいと朱教授は語る。

言われてみれば確かにそうだ。
つい最近自衛隊の航空幕僚長の「大東亜戦争は侵略戦争ではない」とする趣旨の論文が問題となった。対米戦争という観点からすると、平和な鎖国を黒船によって無理やり開国させられ、不平等条約を結ばされ、大恐慌下では列強のブロック経済からはじき出され、押し寄せる帝国主義の荒波から身を守るべくそのための資源を求めて大陸へ進出していった行為は「自衛戦争」と言えるものかもしれない。

しかし対中戦争という観点からすると、「中国国内で」「中国軍(国民党+共産党)と闘った」という事実からしてもそれは「侵略戦争」に他ならない。
ましてや日本軍は連戦連勝で国民党政府を奥地まで駆逐してしまったので尚更だ。
中国人に向って「侵略戦争ではない」などと言えば烈火のごとく怒るもの当然なのだ。

歴史上の事実は一つだ。
しかし光を当てるところが違うと同じものでも違って見えるもの。
要はいろいろな角度から(相手の立場から、そして第三者の立場から)見てみる事が必要だろうと思わされる。

アメリカは自国の利益を追求してドライに動く国だ。
日本と友好関係を結んでいるのも「アメリカ人が良い人」だからではなく、「それがアメリカの利益になるから」だ。
これからは日本もアメリカ一辺倒ではなく、すくなくともEU、中国という大国とバランスをとって付き合っていかないといけないはずだ。
そのためにも角度を変えてモノを見る事も学んでおかないといけない。
そんな事を考えさせられた講義であった・・・

  

2009年1月12日月曜日

中国から見た日本

我々は他人を評価するときその言動や外見に頼る。
それはそれで仕方がないのであるが、その人の考え方まであわせてわからないとその人の本当の姿は見えてこないものである。そんな事を考えさせられた本に出会った。
胡錦濤 日本戦略の本音 ナショナリズムの苦悩である。

実は社会人向けのある勉強会に毎月参加している。
毎回ゲスト講師を招いて講義&ディスカッションをしているのだが、今回の講師が著者の東洋学園大学教授の朱建栄氏。日本にはもう20年以上住んでいて、日本語はペラペラであり日本についてもよくわかっている。
「日本と中国は近いわりに互いを『色眼鏡』を通して相手を見ている」
そう主張するこの本は、講義の課題図書として指定された関係で読んだものだが、そんな日中関係に解決策を提示する本である。

日本と中国の間には様々な問題がある。
靖国神社、歴史認識、尖閣諸島、ODA(円借款)、反日デモ、台湾問題・・・
それらを一つ一つ取り上げて、問題の所在を解説し解決策を提案する。
それも相手の考え方を含めてなので、なぜそういう問題が起こるのか、がわかる。

例えば小泉総理が強行して問題となった靖国神社参拝。
ニュースで見る限り「A級戦犯といっても日本には日本の事情があって起こした戦争。
日本のために働いた人達だし、死んだ人を弔うのになぜ外国に文句を言われなければならないのか」と個人的には思っていた。
「堂々と8月15日に行けばいいのに」と。

これに対し中国からみると違う姿がある。
事の発端は対日戦時賠償の放棄。
日本との平和条約締結に際し、中国は当時500億ドル(当時の日本の国家予算の18年分)と試算されていた戦時賠償金を放棄した。
日本は日清戦争、義和団事件で多額の賠償金を当時の中国政府から取っていたのに、である。それらの資金で八幡製鉄所を作り日露戦争の準備もできたのだ。

放棄の理由は第1次大戦のドイツの教訓でもあり、遠い将来にわたる関係を考えての首脳陣の英断であった。だが、国民は賠償金に多大な期待を寄せている。
中国最大の長春自動車工場を20~30社も作れるし国民の給与レベルも一段上げられる。
どう国民を説得するか。

そこで考えられたのは、「日本人もまた一部の軍国主義者によって引き起こされた戦争で悲惨な目にあった被害者である。同じ被害者から賠償金は取れない」という理屈であった。そうして国民を納得させた経緯があるゆえに、「同じ被害者であるはずの国民の代表である現役の総理大臣が加害者であるA級戦犯に対して参拝する」のは「国民に説明がつかない」となるのである。
そうした背景まで解説してくれるメディアはない。

もちろん一つ一つの問題をどう考えるかは個人の自由だ。
ただそういう事実を知った上で判断しなければ偏った判断となってしまうだろう。
あらためて相互理解の重要性を認識させられる。

2005年時点と少し前の本であるが、基本は現在でもかわらない。
課題図書でなければ絶対読まなかったと思うが、自分の認識の幅を広げてくれる良い本に出会ったものである。
        
  

2009年1月11日日曜日

海外での誘拐事件に思うこと

 
エチオピアで誘拐された日本人医師が解放された。
そういえばそんな事件もあったな、と忘れかけていたが何より無事開放というのは良かったと思う。
開放に当たっては医師が所属するNGOが交渉に当たったようである。
専門のネゴシエーターか何かを雇って交渉したのだろうかと想像力を逞しくしている。

開放にあたってはどうやら身代金150万ドルが支払われたようである。
こういう場合、身代金を支払うとそれに味をしめた犯行グループが再度日本人を狙う可能性もあり、また別グループも同じ事を計画するとなると、世界中で日本人が狙われるという事態も招きかねない。だから安易に身代金交渉に応じてはいけないという考え方がある。

外国ではむしろそういう考え方が主流のようだ。
日本人はすぐに金を払って解決したがるような感じだが、それは「金がある」事と「人質奪還などの任務を外国で遂行できる能力がない」という事情も背景にあるのだろう。

だが「交渉しないというスタイル」もどうだろうか?
例えばハマスやヒズボラなどのパレスチナゲリラはよくイスラエル兵を拉致する。
憎くきイスラエル兵だから捕虜にするより殺してしまうのかと思えばそうではない。
時折、イスラエルとゲリラグループとの捕虜交換がニュースで話題になる。
イスラエルは国内で拘束したゲリラグループのメンバーを自国兵士との交換で解放しているのだ。
それが3人対300人だったりする。

数の上では圧倒的に不利な交換である。
ゲリラからすれば、イスラエル兵一人を拉致すれば100人の仲間を解放できる。
だから「殺すより生かしておく」。
結果的に兵士は殺されずに済む。

イスラエルは国民の数が少ない。
兵士一人と言えども安易に見殺しにはできない。
だから例え不利な条件でも交換に応じる。
その結果、自国兵を守る事になる。
これも一つの考え方だ。

無事に帰せば金がもらえるとなれば殺されずに済む。
お金と命とどっちが大事かなんて比べるまでもない。
しかし、逆に金になると思えば狙われる。
この矛盾は実に難しい。

今回日本政府は表に出なかったという。
水面下でそうした配慮がいろいろとあったに違いない。
何はともあれ安心であるが、海外に行く時はやっぱりいろいろと気をつけなければと思う次第である・・・

 

2009年1月9日金曜日

派遣切り

 
週刊ダイヤモンドで「派遣切り」の問題が取り上げられていた。
一方的に契約を解除する「解雇」は問題あるが、期間満了で契約更新をしない「雇い止め」は仕方ないとする意見が多かったようである。
また、非正規雇用者が大量に発生した原因は、
「国にある26.2%」
「企業8%」
「本人8%」
「そのすべて35.6%」
という結果であったとか。年末の日比谷公園の炊き出しも話題になり、今ちょっとした旬の話題である。

先日某議員が、東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」を巡り、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」と発言した事を撤回し謝罪した、とニュースでやっていた。
しかし、どうなんだろう、この問題。私にはよく理解できない。

そもそも派遣は正規社員を増やしたくない企業が、人員調整をやりやすくするために雇い入れているものだ。契約で期間も決まっている。だから「解雇」は問題かもしれないが、「雇い止め」は当然の処置だ。大量に発生した原因は誰の責任でもない。
あえて言うなら「わかっていてもそれに備えていなかった本人の責任」だ。

また職を失い、あわせて寮も追い出されて大変な事は理解できるが、大事なのは「では今後どうするか?」だ。大変だ、気の毒だ、政府は何をしている、という声は聞えてくるが、「今後どうする?」という前向きの声は聞えてこない。先の日比谷公園でインタビューに答えていた失業者は「群馬から来た」と語っていたが、交通費を使ってわざわざ来たのだろうか?まあ職探しに来たついでなのだろう、と考えたい。

そもそも考えようによっては大騒ぎするほどの事だろうかと思えてならない。
もしも私が不幸にして派遣切りにあったとしたら(もちろん家族はいないとしてであるが)、まず何はさて置き次の職探しだ。
こういう時期だから正社員なんて贅沢は言えない。
てっとり早くコンビニを片っ端からまわってバイトの口を確保する。
時給800円としても8時間×6日間×4週間働けば一月15万円ほどにはなる。
贅沢を言わなければ家賃は3万円で部屋を借りられる。
コンビニなら消費期限の切れた弁当をこっそりもらえば食費も切り詰められる。
100円ショップに行けば大概のものは揃うし、段ボール抱えて公園に行かなくても十分生活できるじゃないか。

そもそも世界には1日1ドル以下で暮らす人が何億といるのだ。
そういう人達は何とかしたいと思ってもバイトの口すらない。
そんな人達から比べたら、この日本では「そのつもりさえあれば」コンビニのバイトでさえ屋根の下で3食食べて、「天国のような」暮らしができるのだ。

コンビニでなくても、今は飲食業界は深刻な人手不足だ。
その気になればチェーン店の店長くらいには簡単になれる。
「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」という先の議員の疑問は至極最もだ。何で謝罪する必要があるのか。そんな事を書くと「お前はちゃんとした仕事があるからそんな事が言えるのだ」と言われるかもしれない。だが、逆に言えば、「そんな考え方ができないから切られるのだ」とも言えるのではないか。

ちなみにもしも私がコンビニで働かざるをえなくなったとしたら、深夜枠を中心にシフトを組んで(オーナーも喜ぶだろう)、勤務時間の1時間前から行って掃除からはじめて棚の整理など、とにかく仕事を自分で見つけてせっせと働く。売れ筋商品は本部から指示が来るかもしれないが、競合店や来店客の購買パターンなども観察してその地域にあった提案も積極的にする。こずかい稼ぎのバイトやそこらのフリーターなどは足元にも寄せつけないほどその店に貢献してみせる。そうして1ヵ月後くらいには店長を任されるくらいにはなってみせられると思う。

やっぱりハートの問題、生き方の問題だと個人的には強く思うのである・・・

   

2009年1月7日水曜日

中東情勢に思うこと

 停戦協定が終わった途端に火を噴いたパレスチナ問題。
連日の空爆に続けてついにイスラエル軍の地上部隊がガザ地区に投入された。和平に進むのかと思いきや、また後戻りするようだ。

 イラクに侵攻した米軍と南オセチアに侵攻したグルジアはいずれも勝手な自国の利益のためだったが、イスラエルの侵攻は止むにやまれぬ自衛のため。少々事情が異なる。

 旧約聖書の時代に国を滅ぼされて流浪の民となったユダヤ民族。
流浪の知恵から経済力をつけたが、逆に世界中の嫌われ者となる。
まるですべてのユダヤ人が、借金のかたに胸の肉1ポンドを要求したベニスの商人シャイロックのごとく思われる。

あげくにナチス政権下でのホロコースト。
ようやく2,000年の時を経て先祖の土地に国を作ったと思ったら、建国の翌日から周囲のアラブ陣営から宣戦布告されて戦争の日々。

 東南北をすべてイスラエルを敵視するアラブ国に囲まれ(西は地中海だ)、それでも4回にわたる中東戦争をすべて勝って独立を維持。
南のエジプト、東のヨルダンとは和解し、次第に平和へと向うが北にシリアおよびヒズボラの巣食うレバノンがあり、国内にはイスラエル殲滅を掲げるハマスが牛耳るガザを抱える・・・

自爆テロは日常茶飯事。
イスラエルには一時の休息もない。
無差別にロケット弾を打ち込まれれば、反撃もやむを得ないだろう。

 一方のバレスチナ人も、もともとはユダヤ人のいない間先祖代々パレスチナに住んでいた人々だ。それが勝手に国を作られ追い出されて難民となればイスラエル憎しとなるのも当然。国をもたない彼らの代表がハマスでありファタハである。

 今回イスラエルはハマスの幹部自宅をピンポイント空爆した。その幹部は家族もろとも自宅で殺された。子供も、である。幹部殺害によりある程度の効果はあるのかもしれないが、子供まで巻き込むやり方は逆に怨嗟の炎を呼ぶのではないか。市民の中に紛れ込むハマスのやり方も市民に犠牲者を増やす原因となっている。

 業を煮やした攻撃であろうが、犠牲者はまた一方で新たなハマスを増やす事にもなる。例えば自分であったら家族を殺されようものなら一生相手を許さないし、残されたのが自分一人であれば残りの生涯を復讐に費やすだろう。そう思うのは誰でも同じだろう。

 強大な軍事力も、対国家であれば有効だろうが、テロを抑えられないのはイラクで米軍が証明している。どこかで憎しみの連鎖を断ち切らなければならないが、断ち切るのは困難だ。双方それぞれにもっともな言い分があり、いずれかを非難する事は難しい。時をかけて解決するしかないのだろうか・・・

 そんなニュースを気にしている素振りの人は周りにいないし、他人事で良かったと思うのは他ならぬ自分自身だ。何かできる事はないだろうかと思わない事もないが、中東はあまりにも遠く、憎しみはあまりにも深く、そして自分はあまりにも無力だ。

 帰ってくれば当たり前のように家族が迎えてくれる生活。
家を離れるたびに家族の無事を祈らなくてもよい生活。
このありがたみをどれだけの日本人が感じているだろう。
せめてその幸せだけでもしっかりと味わいたいと思うのである・・・


  

2009年1月4日日曜日

言葉の持つ力

 
初めに言葉があった
言葉は神と共にあった
言葉は神であった
(ヨハネによる福音書)

思うに何気ない聖書のこの言葉は言葉の本質をついている。
多くの宗教の中でキリスト教が生き残り、世界中に広まったのは何より「愛の宗教」と言われるその教えであるが、それを伝えたのは言葉である。

単にメッセージを伝えるだけではない。
我々日本人は言葉の持つ影響力を重視してきた。
言霊信仰である。

楽しみにしていた旅行を前にして、一人が「当日雨だったりして…」なんて言ったとする。
本当に雨が降ると、「お前が縁起でもない事を言うからだ」と批難したりする。
もちろん、雨が降ったのは彼の言葉が原因ではない。

またこれからの受験シーズン、受験生のいる家では「落ちる」だの「滑る」だのの言葉は禁句になったりする。
あるいはどのアパートにも4号室はない。

そうした言霊信仰は行き過ぎのところもある。
しかし、使う言葉を選ぶ事は「神が宿る」言葉を使う上で重要だ。
最悪の事態を想定して物事に対処する事は大事なことであろう。
だが目標そっちのけで最悪の事態ばかり考えていたら、道は最悪の事態へと続く事になるように思う。

言葉には確かに不思議な力がある。
かつてラグビーをやっていた頃、きつい時こそ弱音は厳禁だった。
「まだまだ」と言うともう少しの力が出たものだ。
仲間の一言で最後の踏ん張りができた事もある。
苦しい試合中に衰えかけた闘争心に再び火をつけるのは言葉である。
そしてその一言が言えるかがキャプテンの重要な役割だ。

使う言葉の重要性はスポーツにとどまらずあらゆる事に及ぶ。
だからネガティブな言葉はなるべく使わないようにしている。
人から言われるのも、したがって好きではない。

新年にあたり今年の目標を言葉にして日記に記した。
毎日眺めるつもりだ。
今はちょっとした苦境にあるが負けるつもりはない。
「まだまだ大丈夫」と自分に言い聞かせている。
なんとしても壁を突破しないといけない。
今年は一層ポジティブな言葉を意識して使いたいと思うのである・・・


2009年1月1日木曜日

初詣

 元旦はいつも家族揃って近所の氏神様のところへ初詣に行くのが我が家の慣わしである。一家の家長としてそう決めてずっと実行してきている。

子供の頃はよく両親と初詣に行ったものである。
その時はただその時々の願い事をしていたと思う。
気になっているあの子と仲良くなれますように、とか・・・
けっこう可愛かったのだ。

そんな自分も高校・大学と進むと無心論者になった。
ニーチェばりに「神は死んだ」として、神頼みなどする人間は弱い人間だと考えていた。
当然神頼みはおろか手を合わせる事すら拒絶していた。
まあ麻疹みたいな無神論だろう。

それがいつの頃からか徐々に変わってきた。
それまで自分こそが世の中で最高の存在と自負していたのが、様々な壁にあたり角がとれていったのだろう。自分も周りの人とそんなに大きな違いはない普通の男であるという事実を、否応なく思い知らされてきたからかもしれない。

思い上がるのではなく、学ぶべくは学ぶ、他人を尊重するという事ができるようになっていったのだ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」といったところだろうか。
そんな心境になってくると、それまで馬鹿にしていた神の存在も受け入れられるようになってきた。

といっても信仰生活に入るほどのものではない。
ただ、原始日本人が万物に神が宿ると考え、八百万の神々を信仰した気持ちが理解できるようになったのだ。キリスト教やイスラム教のような一神教もいいかもしれないが、周りのものすべてに神が宿り、したがって何であれ大切にしなければならないという考え方は、自然の恵みを受けそれに感謝しながら生きてきた日本人のものの考え方として何にも増して受け継ぎたいと思うのだ。

そんな考え方をするようになると、その流れから自然と近所の氏神様へと足を運ぶようになった。
人間誰しも謙虚でなければならない。
思うだけではなく、年に一回は謙虚な気持ちになって頭を下げる必要がある。
誰か偉い人のところでもいいかもしれないが、それよりは近所の氏神様の方が頭を下げやすい。
明治神宮でもなく春日大社でもなく、日頃世話になっている自分の住む地域の氏神様がいいだろう。
そう考えて家族で初詣に行く事を我が家の習慣とし、元旦の行事としているのだ。

だが謙虚に頭を下げても願い事は自分の事ではなく家族の健康と日頃の感謝だ。
自分の願いは、自助努力でなんとかする。
「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」
心は宮本武蔵なのである・・・