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2025年8月21日木曜日

お盆に思う

 お盆と言えば、東京では7月だが両親の実家のある長野県では8月である。子供の頃、東京の自宅で母が迎え火を焚き、部屋にはお供えを飾り、送り火を焚いて一連の儀式を終えた。ご先祖様が戻ってくるという話を聞き、「どんなご先祖様なのだろうか」と想像を膨らませたものである。そして夏休みに入り、母に連れられて里帰りするとまたそこでもお盆であり、子供の頃はそういうものだと思っていた。お盆がなぜ全国一律同じでないのか。考えてみればおかしいのであるが、子供心にはそういうものだと素直に思い込んでいて不思議には思わなかった。

 なぜ東京と長野県ではお盆の時期が違うのか。調べてみれば、それは明治期に時の明治政府が旧暦から新暦に切り替わった当時、これを徹底させようとしたため、そのお膝元であった東京やその周辺の地域、都市部などは令に沿って対応せざるを得なく、新暦7月15日にお盆を行なうようになったと言われているそうである。何となく東京は地方出身者が多く、7月をお盆とすると里帰りできないから8月にしたのかという気がしていたが、そういう経緯があったようである。

 迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、来るときはきゅうりの「馬」で早く来ていただき、帰りは送り火を焚いて茄子の「牛」でゆっくり帰っていただく。子供の頃は家で母がしっかりやっていたが、就職して家を出てからはそんな事をする事もなく(寮生活だったからそういう事を1人でやる事はなかった)、結婚してからは私も妻もそういう事は念頭になかったから一度としてやった事はない。それゆえ、ご先祖さまも我が家には来ていただいた事はない。当然、子供たちもそういう習慣を家で経験していないのでこの先もする事はないだろう。

 考えてみれば、豆まきはやっている。子供も小さい頃は元気よく「鬼は外!、福は内!」とやっていた。クリスマスにはクリスチャンでもないのにツリーを飾っている。豆まきよりもクリスマスよりもお盆の方が重要な気もするが、なぜ私も妻もそういう事をやらなかったのか、考えてみればおかしい。豆まきもクリスマスも子供にとっては遊び心が満たされて楽しいからかもしれない。そう言えば祖父母の家に行くと祖先の写真が飾ってあったが、我が家にはない。そうしたところから「祖先」に対する思いも違うのかもしれない。

 さらに考えてみれば、母方の祖母は私が生まれる前に亡くなっている。母にとっては自分の母親であり、また、母の祖父母も亡くなっていたから、祖先とは自分の身近な家族という思いがあったのかもしれない。逆に私には最後に祖父が亡くなったのは30歳の時であり、祖先とは会った事もない人たちという感覚がある。そういう意味では我が家の子供たちはまだ祖父母が3人健在である。実際に身近に接していた祖父母であれば、もう少し死者に対する思いも違っていたのかもしれない。

 映画『リメンバー・ミー』は、メキシコの「死者の日」の祝祭を背景にしたものであったが、ところ違えど一年に一度亡くなった祖先が帰ってくるというコンセプトは同じである。調べたわけではないが、同じような行事は他の国、地域にもあるかもしれない。亡くなった身内に会いたいという思いは万国共通だろうし、目には見えないけど帰ってくると思いたい気持ちから始まったのだろう。ただ、お盆に祖父母の家に帰るのは、「祖先が帰ってくるから」という事で家族が集まるのは理解できる。しかし、東京の家には祖先も来たことがないわけであるし、何となくしっくりこないものがある。

 そういう理屈はともかく、亡くなった親族を思う気持ちは私にもある。私には産声を上げることなく亡くなった姉がいるというし、30歳の時になくなった祖父との思い出は多い。ただ、そういう気持ちは「来てもらう」よりも「こちらから行く」気持ちが強い。なので墓参りの方が気持ちが入りやすい。結婚した年の夏休み、妻を連れて墓を守る伯父の家にはよらずに(結婚の報告のため)祖父母と姉の墓参りをしたものである。目に見えぬ祖父が家に来るというよりも、物理的に骨が埋まっている墓の方がしっくりくる。

 いずれにせよ、亡くなった親族を弔う気持ちは私にもあり、実家に行けば両祖父母の仏壇にご飯を供えて線香を立て、手を合わせる。お盆でなくても毎週やっている。来るとか来ないとかではなく、両祖父母に対する気持ちから抵抗なくやっているが、個人的にはそれでいいと思う。亡くなった者に対する気持ちは、送り火やきゅうりと茄子という形でなくても十分あるし、それでいいのではないかと思っている。この先もお盆の行事をやる事はないだろうが、だから祖先をないがしろにしているというつもりはない。

 実家の母はこの頃認知能力があやしくなり、今年のお盆は迎え火は焚いたが、送り火は焚来忘れたと嘆いていた。きゅうりの馬と茄子の牛はどうでもいいらしい。「まだ帰っていないならそれでもいいんじゃない」と慰めたが、大事なのはどう思うかである。亡くなっても折に触れて思い出す事が供養のようにも思う。子供の頃、お盆で祖父母の家に親戚一同が集まって賑やかだった。少子化も進んでそういうお盆は少なくとも私の親族ではなくなっている。ご先祖様は寂しいかもしれないが、両祖父母とは実家の仏壇を通じて繋がっていると考えたいし、それでいいと思うのである・・・


jinsoo jangによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学 - デイヴィッド・A・グリマルディ, 丸山 宗利, 中里 京子 カラー図説 生命の大進化40億年史 中生代編 恐竜の時代ーー誕生、繁栄、そして大量絶滅 (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  片想い (文春文庫) - 東野 圭吾





2024年12月18日水曜日

ルーティン

平日は毎朝同じ時間に起きて、同じように顔を洗い、髭を剃り、ヨーグルトを食べてホットミルク(夏は冷たいミルク)を飲みながら哲学関係の本を読む。同じ時間に家を出て、同じ電車の同じ車両に乗り、同じ時間に出社して日経新聞を読む。いわばこれが私の朝のルーティンである。このルーティンであるが、良いのか悪いのかは何とも言えない。判で押したような同じ毎日の繰り返しという批判的な考え方もあるし、自分ではいつも通りの気安さがある。「いつもと同じ」は実に心地よいと感じられるものである。

ルーティンの良さは「考えなくて良い」というところにある。いつもと同じ電車のいつもと同じ場所に乗る。すると乗り替えの際も一々行き先を確認しなくても済む(そのホームには行先の違う電車が行き交うのである)。電車の中では読書タイムに充てているので、思考を中断されることなく読書に集中できる。「考えなくても良い」と言ったが、正確には「他に注意を向けられる」という意味でもある。

一方で毎日同じ行動をとっていると、「考えなくなる」というのも事実である。高校時代、ラグビーをやっていたが、練習は毎日ほとんど同じメニューをこなしていた。初めてだったから特に疑問など感じなかったが、大学に入って面食らった。そこでは自分たちの弱点は何か、試合で生かしたい強みは何かを考え、それに合わせて練習も考えていた。大事な試合の前には、相手の先方を想定してそれに対応する練習をやった。考えてみれば当たり前の事であるが、高校時代は考えもせず、教えられた練習を何の疑問も持たずに繰り返していたのである(だから弱かった)。

高校でやっていた練習も、実はきちんと意味があったのであるが、そこまで考えなかったのである。スポーツではルーティンも大切なところがある。イチローがバッターボックスに入ってからの一連の動作は有名だったし、ラグビーのゴールキックは正確性を期すためにルーティン化するのが良いとされる。練習でやった通りにやればやった通りになるという意味でのルーティン化は良いルーティン化であるが、何も考えないで同じ練習をするのは悪いルーティン化と言える。

そう考えると、ルーティンには「良いルーティン」と「悪いルーティン」があるのがわかる。我が職場でもルーティンおじさんとでも言いたくなる嘱託社員の方がいる。仕事はきっちりやっていただけるが、「異例」に弱い。というか嫌う。それはどうやればいいか考えるのが面倒なんだろうと思うが、決まった仕事を決まった通りにやるのが得意なのである。たまに「これはなぜこうやるのか」と聞いたりすると、「今までずっとそうしてましたから」という答えが返ってくる。どこにでもありそうな前例踏襲型のルーティンである。

私の場合、「昨日と同じ事を今日も明日もやる」というのは嫌いなので、何かもっと良いやり方はないかとかすぐ考えてしまう。オリジナリティにこだわる部分もあって、「これは俺が考えた」という仕事のやり方を作り出すのが好きだった。それは今でも「もっと良いやり方」を常に工夫するように部下も指導している。ルーティン化して良い仕事もあると思うが、たいていの仕事は「常に改善」をモットーにしてもらっている。仕事では基本的にルーティン化しないほうがいいものの方が多いように思う。

資格取得の勉強をしていた時期は、帰宅すると決まった時間を勉強時間に充てていた。これは「習慣化」と言えるが、こういうものはルーティン化すると抵抗感を減らせるかもしれない。今でも週3回、帰宅すると腕立て伏せやスクワットなど簡単なトレーニングをルーティン化している。そうすると、その日(月水金)はもうそれをやるという前提で帰宅するので、「どうしようか」などと迷う事もなく続けられる。私の場合、こういうルーティン化は結構好きかもしれない。

いずれ時が来て仕事を引退し、「毎日が日曜日」という日々を迎えたら、結構ルーティン化した毎日を送っているかもしれない。毎日同じ時間に起きてホットミルクを飲みながら哲学の本を読み、前夜観た映画のブログを書き、決まった時間に散歩に行き(ルートは何パターンか変えるかもしれない)、同じ時間に同じ喫茶店に行き、いつもの席でいつものコーヒーを飲みながら読書をする。夜は同じ時間に映画を観る。そんな生活を送っていそうな気がする。

考える事をせずにいいものはルーティン化し、そうでないものはルーティン化しないようにして考え続ける事を意識する。そんな風に分けて考えればいいのかもしれない。良いルーティン化はこれからも維持していきたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像

【本日の読書】

避けられた戦争 --一九二〇年代・日本の選択 (ちくま新書) - 油井 大三郎 あなたが誰かを殺した 東野圭吾






2024年9月19日木曜日

Uber Eats(ウーバーイーツ)はもう使わない

 先日、法事を終えて実家に帰りついた時、夕食の支度をする気力はなかったので、夕食は出前を取ることにした。実家では何度かUber Eats(ウーバーイーツ)を利用している。これまでは特に問題もなく便利に使っていた。価格が高いのが玉に傷ではあるが、配達してくれる利便性を考えれば致し方なしと考えている。注文してから配達員が受け取りに向かい、配達の過程がリアルタイムで表示されるので誠に具合がいい。配達員の位置がリアルタイムでわかるので、「いつ来るか」と待っている普通の出前と比べればそれに合わせて行動できるのがいいと思う。

 しかし、今回はハプニングがあった。配達を頼んだのだが、気がつくと遅くともこの時間までには配達するという時間が近づいている。スマホでアプリを確認したところ、なんと「キャンセル」と表示されている。よく見てみると、配達員が近くまで来てスマホに電話をくれたらしいのであるが、マナーモードにしていた関係で気がつかず(しかも疲れてうたた寝をしていた)、「電話に応答がなく、10分待機したが連絡がない」との事でキャンセルされてしまっていたのである。やむなくもう一度オーダーし、今度は無事に届いて両親とともにいただいた。

 さて、その後クレジットカード会社から利用通知が届いたのだが、それがなんと2件表示されている。最初にオーダーし、キャンセルされたものと2回目のオーダーである。てっきり一旦請求が成立し、あとで取り消されるのだろうとその時は思った。しかしながら、なんとなく気になってよく調べてみたらキャンセルされた注文の請求は取り消されないとの事。すなわちそれは注文者である私の丸損という事のようである。悪いのは電話に出なかった私という事らしい。

 ちなみに、私も何もしなかったわけではなく、着信に気づいてすぐ電話したがもう繋がらなかったのである。調べてみたら着信より15分経過していた。5分ならまだ配達員も近くにいただろう。このシステムは、「イタズラ注文」を防ぐには有効だろう。オーダーとともに決済が行われる。店は商品を渡せばそれでお役御免。配達員も近くまで行って電話をすればお役御免。すべては注文者の責任で、商品を積極的に受け取らないといけないというわけである。注文をしたらじっとスマホと睨めっこか、スマホ片手に電話がかかってくるのを待っていないといけないらしい。

 調べるのも、あれこれとアプリ内を探し回らなければならなかった。電話で事情を聞いてくれるシステムにはなっていない。すべては利用者の自己責任という事なのだろう。そんな状況に何となく英語の諺が頭に浮かんだ。                                                                              “a friend in need is a friend indeed”。                                                                      困った時の友こそ真の友。困った時にきちんと対応してくれるところが真に信用に足りるサービス。5分の違いで料金だけしっかり取られるサービスなどもう2度と利用したくないと思う。ちなみに自宅ではいつも出前となると駅前の中華に昔ながらの出前を頼んでいる。料金は店で頼むのと同じだし、現金と引き換えで確実である。

 駅前の中華は確実だが、うどんは食べられない。最新の配達サービスはなんといっても選択肢がとてつもなく多いのは魅力。出前のニーズは今後もあり続けるだろう。実家で利用する場合はどうしようか。かくなる上は、もう一つ利用実績のある出前館にしようと思う。ここは配達員が自社社員だと聞いている。自社社員であれば、たとえ注文者が電話に出なくても何とか届けようとしてくれそうな気がする。何より自社の看板を背負っているので、そういう対応が期待できる。

 今回も、利用前によく調べれば良かった。出前館ではキャンセルポリシーもしっかりとわかりやすいところに表示されている。やはりサービスはメイド・イン・ジャパンなのだろう。安易に外国のサービスに飛びついたところに反省点がある。考えてみれば、受け取らなくても届けたとみなされるなら、受け取るまで届けようというモチベーションも湧かないだろう。誰でも安易に配達員になれるシステムは、便利である反面、無責任でもある。3人で9,000円のうどんは、いい経験になったと諦めるしかない。今後は出前館にしようと思うのである・・・


【本日の読書】

イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年8月25日日曜日

自慢話について

 少し前だったが、役員研修を受けた時の話である。「取締役とは」という内容で、取締役の役割について改めて学ぼうというものであった。私からすれば内容的には特に目新しいものはなかった。取締役の役割など分かりきっていたし、その内容は私の理解からズレるものではなかった。こういう時、私はわかっているからとスルーするのではなく、「自分だったらどんな講義をするだろうか」という視点で捉える。そうするとまた違った勉強になるからである。そういう視点では有意義な研修であった。

 その時、一緒に受けたのは我が社の先輩取締役。実はその先輩取締役がどうも取締役の役割を理解していなくて、それで一緒に受けてもらったという経緯だったのである。「どうでしたか?」と終わってから尋ねたところ、「自慢話ばっか」と辟易したような表情で答えが返ってきた。確かに、講義の中で講師の方の「成功体験」がいろいろと語られていた。「成功体験」であるから見方によっては自慢話になってしまうのだろう。むしろ、そちらに意識が行っていたとしたら、あまり話は響かなかったのかもしれない。

 野村監督の本を何冊か読んだ事がある。主として野球の話ではあるが、いろいろとビジネスや人生に通じるものがかなりあり、読むべき価値は高い本だと思っている。ただ、「自慢話」が多いのも確かである。阪神のエースだった江夏が南海に来た時、本人を説得してリリーフに回して大成功した話は繰り返し出てくる。当時は今のようにピッチャーの分業体制は一般的ではなく、「先発完投こそが投手」という時代である。リリーフ・エースの先駆けであり、それは凄いと思う。

 その話は確かに「自慢話」ではあるが、「自慢話」と捉えてしまうとどうしても反発心が出てきてしまう。人は誰でも他人の自慢話ほどめんどくさいものはない。しかしながら、そんな自慢話満載の野村監督本を何冊も読んだのは、その中に込められたエッセンスに惹かれたからである。要は自分の「為になる」話が多いのである。単に面白いエピソードというのももちろんあるが、自分の中に取り込みたいものもある。だから、次々と読んだというわけである。

 考えてみれば、研修の講師の話もそうであるが、「こうやったらうまく行った」という実際の成功事例は、理屈ばかりの話よりもよりイメージしやすいという利点がある。実際の成功例だから尚更である。そうなると、理屈を補強する手段としては、実際の成功体験はあった方が良いとわかる。しかし、実際の成功体験は、見方を変えれば「自慢話」に他ならない。それを排除してしまうのは残念な話である。

 実際の体験談を「成功事例」と捉えるか、「自慢話」と捉えるかはひとえに受け手の問題だと言える。せっかくの研修で、私はそれなりに有意義だと感じられたものを件の同僚取締役は「自慢話」のオンパレードとしか捉えられなかったわけである。結果的にも彼にとっては意味のない研修に終わってしまったようであり、同じ研修を受けながら結果が違って出たというのは、やはり受け手の捉え方に他ならないのだろう。

 同じ経験をしながらもその経験を生かせる人と生かせられない人がいる。それは受け止め方の問題であり、その人の心のあり方の問題でもある。「賢い者が愚か者から学ぶ事の方が、愚か者が賢い者から学ぶ事よりも多い」とはモンテーニュの言葉として知られているが、その通りだと思う。悦に入って自慢話に耽る人も確かにいて、それはあまり心地良いものではない。自分の成功体験は確かに心地良いし、他人のそれは煩わしい。しかし、何かを伝えたい時に、成功体験は欠かせないツールでもある。

 教訓として、他人の自慢話はそのエッセンスを汲み取って自分の血肉にするように聞き、自分の自慢話は何か伝えたい事の具体例としてのみ控えめに語るという事になるのだろうか。自分が悦に入らないように、意識したいと思うのである・・・



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【今週の読書】
グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修  もう明日が待っている (文春e-book) - 鈴木 おさむ




2024年6月9日日曜日

弁護士のアドバイスをどう使うか

 知人から相談を受けた。その知人は、実家の処分の事で頭を抱えていた。実家にはもともと老親が住んでいたが、認知症を患って施設に入居することになり、実家が空き家となったと言うのである。今よくある問題である。老親が実家に戻ることはもうなく、2人の子供もそれぞれ自宅があるので戻ることもない。もう処分するしかないとの事であった。しかし、売却するには老親の意思確認が必要であり、認知症ではそれもできない。成年後見制度の利用という方法しかないが、手続きが億劫である。

 そこで子供2人で話し合い、空き家のままだと物騒なので取り壊そうという事になったそうである。そしてその前にまずは家の中の家財の処分が必要であるとなり、そこでどういう経緯か知らないが、知り合いの弁護士に意見を求めたということである。ところが、相談したところ、「それはできない」と言われてしまったそうである。売却は難しいとしても、せめて空き家のまま放置する事態は避けたく、なんとかならないものかと頭を抱えていたのである。

 私は話を聞いて、「すぐに処分しても大丈夫ですよ」と知人に伝えた。弁護士でもない私がそんな事を言うものだから知人は驚いて理由を聞いてきた。弁護士に正面切って聞けばそういう答えが返ってくるのはある意味当たり前で、弁護士としてはそう回答せざるを得ないのだろう。だが、建前の法律論と実際論とは違うのであり、そこが大事なところである。もちろん、当然ながら弁護士が間違っているわけではない。ただ「実際的でない」だけなのである。

 私は常々、言葉は悪いが、弁護士は「使うもの」だと思っている。わからないからと言ってすべておんぶに抱っこで「お任せ」するものではなく、常に自分が主体で、必要なアドバイスや法律事務を代行してもらう存在である。自分がやりたいと思う事を代わりに判断してもらうのではなく、「どうしたらできるのか」を一緒に考えてもらうのである。法律の世界は独特のところがあり、専門家の手助けは必要であるが、主体はあくまでも自分である。

 先の相談においても、気の利いた弁護士であれば「やっても構わない」と言ってくれただろうと思う。私は法学部出身だからわかるのでしょうと言われたが、法学部の学生だったからといっても知識レベルで言えば、「法律にアレルギーがない」というレベルでしかない。ただ、素人でも突き詰めて考えればわかることもある。質問の仕方次第で必要な答えを得られるのである。つまり、先の相談であれば「違反したらどうなりますか?」と問えばいいだけである。それであれば、法律に詳しくなくても誰でもできる。

 その質問にはきっと、「訴えられる」という答えが返ってくる。そこで「誰に?」と問えば、「所有者に」となる。続いて「所有者とは誰か」と考えれば、それは「認知症の自分の親」であるとなる。つまり、「認知症の親に実の子供が訴えられる」リスクがあるわけである。そうなればあとは考えるまでもない。さらに法定相続人である2人の子供同士は仲が良くて、親の財産に対して揉めることはない。となれば、まったく問題などない事が明らかである。

 私も前職では不動産管理の業務に携わっていたが、この業界では「家賃を払わずに夜逃げした人が部屋に残した荷物」に難儀することが多々ある。部屋を片付けないと次の人に貸せないが、所有者に断らずに勝手に処分することはできない。保管するにしても場所と費用がかかり、大家さん泣かせなのである。これも私は(結局、一度もなかったが)処分したって問題はない(もちろんケース・バイ・ケースではある)と考えていた。現実的なリスクを考えれば実際面は問題がないケースがほとんどだろうと思うからである。

 私も性格的に「丸投げお任せ」は基本的に好きではない。弁護士に頼む部分を明確にし、主体として自分でとことん考える。それには面倒なこともあるが、自分の「考える力」を養うにも納得いく結論を得るためにも必要であると思う。こうした考える力をこれからも維持していきたいと思うのである・・・


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【今週の読書】
  思考の技術論: 自分の頭で「正しく考える」 - 鹿島 茂 考える葦 - 平野啓一郎 地図と拳 (集英社文芸単行本) - 小川哲




2024年3月28日木曜日

おかしな事に思う

 よくよく考えてみると、おかしいよなと思えることはよくある。たとえば「歩きスマホ」。スマホを見ながら歩いていると、人にぶつかりそうになることからやめましょうというものである。それはそれでおかしくはないが、問題は危ないのは歩きスマホだけではないという事である。下を向いて歩いていれば同じように人にぶつかる懸念がある。雨の日に傘をさして下を向いていれば猶更である。先日はなんと文庫本を歩きながら読んでいる人を見かけたが、これも同じである。外人さんが地図を見ながら歩いているのを見かける事もあるが、紙の地図なら良くてスマホのGoogleMapはダメなのであろうかと思ってみたりする。

 スマホと言えば、電車内での通話は遠慮するのがマナーである。車内放送でもご遠慮くださいとアナウンスしている。確かに車内で電話をされると耳障りでうるさいと思うから悪いことではない。しかし、耳障りという意味では、一緒に乗っている者同士の会話でも同じである。特にオバちゃん系になると遠慮がない分イライラ度は高い。なぜ1人の話し声は悪くて複数なら良いのだろうか。スマホは近年になって出てきた事象だからターゲットになってしまっているのかもしれないし、人に不快感を与えない配慮は必要であるが、それはスマホに限ったものではない。

 エスカレーターで歩かないで下さいというのも変だと思う。「危険だから」というのがその理由であるが、エスカレーターだから危ないというのもおかしい。エスカレーターが動いているとしても、その上にいる人間からすれば普通の階段と同じである。相対的には動いていない階段と変わらない。階段自体は段になっているので平面に比べれば危ないとは言えるが、それは動いていない階段も同じ。「動いている」というだけで危ないというのかもしれないが、空港などにある動く歩道では「歩かないでください」というアナウンスはしていない。

 また、そもそも危険かどうかを一々警告するのもいかがかと思う。歩行者同士が歩きスマホが原因でぶつかったとしても大した怪我にはならないだろうし、それが対車だったとしても当事者の問題であり、一々行政が警告するものではないように思う。それに危ないシーンはそれ以外にも多々ある。歩きスマホより酔っ払いの方がはるかに危ないと思う。そしてそれに対しては何も警告がない。もっとも、そうやって危ないと思われる行為に対して一々警告していたらきりがない。

 そんな具合にまるで子どもに対するような警告はいかがなものかと思う。とは言え、ではそんな事はすべきではないのかと言えばそれもまた難しい。電車内で電話を遠慮する傾向は一般的に見られる。電話が鳴っても小声で断って切ったり、あるいは手で押さえて小声で話したりしている。そこには「避けなければいけないこと」という意識があるからだろう。私も急ぎの場合は電車を降りている。そういう行動を導いているのは、広く「警告」がなされているからに他ならない。

 ガザ地区で支援物資を運び込んだトラックに民衆が殺到し、危険を感じた軍が発砲して死者が出たとニュースでやっていた。日本では震災時に支援物資を届けたヘリに、人々が整列して物資を受け取ったのを米軍パイロットが感動したと報じられていたのと対照的である。それもこれも、幼少時から「順番こ」「人に迷惑をかけない」と広く共有されているからだろう。そう考えると、こうるさく一々警告する文化も悪くないのかと思えたりする。そういう警告が、日本という社会の文化を作っているのかもしれない。

 考えてみれば、我々の世代が子どもの頃は、みんな平気でゴミのポイ捨てをしていたし、歩きタバコも当たり前で、携帯用の灰皿などもなかった。当然、吸い終わればポイ捨てだし、社会のモラルも全体的に低かったと思う。それが改善されてきたのは、「ポイ捨てはやめましょう」「ゴミは分別しましょう」といったいろいろな警告の成果なのかもしれない。だとしたら、そうした警告が社会全体のコンセンサス作りに役立っていると言えることになる。お節介な人が注意することができるのも、コンセンサスがあればこそである。

 そんなことをつらつら考えてみると、おかしな事にもそれなりに意味はあるのかもしれないと思う。物事を突き詰めて考えるのは割と好きな方で、それが苦にもならないが、ぐるっと思考が一巡すると結局何も考えないのと同じ結果になったりすることもある。面白いものだとは思いつつ、またおかしなことを見つけてはあれこれ考えてみるのだろうなと思うのである・・・


Arek SochaによるPixabayからの画像

【本日の読書】

ロングゲーム 今、自分にとっていちばん意味のあることをするために - ドリー・クラーク, 桜田直美, 伊藤守     失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫) - プルースト, 吉川 一義




2023年10月26日木曜日

人によって感覚は違う

 仕事で送られてきた書類に印鑑を押し、返信用の封筒に入れて返送する。返信用の封筒を眺めていつも思う。そこには宛名に「〇〇行」という文字がある。マナーとして、普通は「行」を斜線で消して「様」または「御中」と横に書いて投函する。ほんのささいな行為だが、なかなか面倒くさい。始めから「様」または「御中」としておいてくれればそのまま投函できるものを「行」としてあるから斜線で消してという作業をしないといけなくなる。クラス会の出欠を問う往復はがきでも同様だ。個人的にどうしても違和感を禁じ得ない。

 日本は謙譲の文化の国である。自分宛ての返信に「様」をつけるのはおこがましいとして「行」とする。しかし、受け取って返信する方は、そのままだと失礼だとして「様」に書き換える。最初から「様」にしておくか、「行」のまま送り返せばその分よけいな手間暇がかからなくて済む。ビジネス的には「無駄を省く」のは基本であるから、ここはどちらかにしたいところだ。「ちょっとぐらい」の手間やコストが積り積る。「ちょっとぐらい」という考え方自体がよくない。わずかな手間でも省く努力をするのがビジネス的には正しい。

 そういう考えで、最近は企業宛のはそのまま「行」で返送している(たまに気がついた女性社員が「様」に直してくれているが)。だが、個人宛だと躊躇してしまう。「マナー」を知らないのかと思われるのも癪な気がするが、知っててそのまま返信する真意を勘ぐられてもよろしくない。それに、「へりくだり」、「敬う」文化は無駄なことであっても大事だという風にも思う。O・ヘンリーの『賢者の贈り物』みたいなものと言えるかもしれない。お互いの無駄がお互いの思いやりとも言える。そう考えて、個人とビジネスとを今のところ分けて対応している。

 通勤電車では、毎朝一つ隣の駅で始発電車に乗っている。今朝、いつものように並んでいたら、隣のサラリーマンがおにぎりを食べていた。また、そのあと、会社の前の横断歩道を渡っていたら、反対側から歩いてきたOLと思しき女性がパンを齧っていた。いずれも私ならやらない行為である。歩きながら食べたり、外で立って食べるという行為に対し、どうも拒絶感がある。しかし、彼または彼女が常識知らずかというと、その「常識」も疑わしくなる。「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの言葉が脳裏をよぎる。

 毎朝寄る喫煙所は、このところ混みあっている。そんな時は外で少し待つのだが、そこでもう煙草に火をつける人がいる。電子タバコならまだしも、紙のたばこだと灰が落ちる。どうせ待っても数分なので、私はスマホでニュースを見ながら待つのだが、待てないで吸い始める人の感覚が理解できない。しかし、その人の感覚ではOKなのである。こういう感覚または常識の違いはどこから生じるのだろうかと思う。学校では教わらないことであるが、家庭の躾とかそれまで本人が置かれた環境の中で培ったものだろうが、不思議なものである。

 高校のラグビー部のOB会では事務局長を任されているが、会長はとにかく「メールに返信しない」人である。いちいち目下の者に丁寧に返信をしてくれとは言わないが、どうするかという問い合わせをしているのに返信してこない。私であればすぐに返信するのであるが、この会長の考えも理解できない。すぐに決められないなら決められないで、その旨返信してくれればいいものをそうしない。これは感覚・常識というより単に相手のことを考えないだけだろう。コミュニケーションとして重要な事であり、改善して欲しいと思うが、直接意見するのも憚られるので難儀している。

 考えてみれば、他人同士で衝突するのはたいていこの感覚・常識の違いによるものではないかと思う。「他人は自分とは違う感覚・常識で動いている」という理解があれば、無駄な衝突にはならず、相手に対する悪意を持つこともない。しかし、自分の感覚・常識で相手を測ろうとすると、それに反した行動を取る相手には「常識がない」という批判を浴びせてしまう。私も自分の感覚・常識で行動する人間の1人であり、もしかしたら「行」のまま送られてきた返信用の封筒を受け取り、その担当者から「常識がない」と思われているのかもしれない。

 みんなが同じ感覚・常識を備えていれば、人と人の間の衝突なんて起こらないように思う。されどそんな同じ感覚・常識で動くというのも、それはそれで問題がありそうに思う。そもそも「感覚」の点においては、違和感を防ぐことは不可能である。それは返信用封筒の「行」の記載1つとっても明らかである。通勤の始発電車に並んでいたサラリーマンだって、今朝はどうしても時間がなく、やむなくだったかもしれない(それでも私なら「食べない」という選択肢を選ぶだろうが・・・)。

 実家の母親も年齢のせいか、やたらと「常識外れ」という他人批判を繰り返す。私にはそんな母の「常識」もいかがかと思うが、母は「自分の常識」が世の中の常識だと信じて疑わない。そんな母の「常識」はちょっと相手の立場に立って考えれば非常識とは必ずしも言えない事が多い。そこには視野の狭さがある。たいていはそういう事が多いのではないかと思う。感覚の違いもいちいち目くじらを立てないようにすればなんでもないこと。人に迷惑がかからなければスルーするのが懸命だろう。そんな風に柳に風のごとく受け流していきたいと思う。

 ただ、必要事項に返信をよこさない会長の対応はやはり迷惑であり、イライラさせられる。これもあまり酷ければ辞任という形で距離を置くしかないと思うのである・・・



Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 




2023年10月12日木曜日

習い事2023

 知人との会話の中で、「習い事」の話が出た。子供の習い事のことである。そう言えば、私も習い事をしていたなと思いだす。小学校の3年くらいだったか、母親に言われて習字を習いに行った。なぜ習字だったのかは覚えていないし、なぜ習いに行く気になったのかも覚えていない。言われるがままだったのか、自分でも面白そうだと思ったのかも覚えていない。確かなのは自分から言い出したものではないという事。畳敷きの部屋で他の生徒と一緒に母親くらいの感じの先生に習ったのをうっすらと覚えている。

 墨はすずりに水を入れて擦った。我が子が小学生の時、家で学校の書初めをしていたのを傍目で見た時、墨は墨汁をそのまま使っていた。今も習字を教えているところがあるのかはわからないし、今でも墨を擦るのかはわからないが、その当時は墨はすずりで擦るものだった。とめやはねなど教えられたのを覚えている。どのくらい通ったのか、なぜやめてしまったのかも覚えていないが、自分の字がうまいとは言えなくも、汚いとも言えないのは、この習字の経験があるからだろうと、会社の若手の書いた汚い字を見て思う。今はそもそも字を書くことが減っているから、よけいにうまくならないのだろう。

 次に通ったのは水泳だ。これも小学校3~4年の2年間だった。近所の水泳教室に通ったのを覚えている。これも母親に言われたものである。今でも覚えているのは、クロールを習い始めた時のこと、息継ぎの段階になったが、私は泳いでいるうちに苦しくなって勝手に息継ぎをしてしまった。すると、それを見ていた先生が、みんなの見本としてもう一度やれと言ってきた。その場で見本として泳いで見せたが、習う前に既に出来ていたのである。運動神経は良い方だったから珍しくもないが、なんとなく印象に残っている。

 水泳の経験はその後も役に立った。泳げない者は学校の水泳の授業でも肩身が狭いが、私にとっては楽しい時間だった。高校に入って水泳大会があったが、さすがに水泳部の人間にはかなわなかったが、それ以外の者とはスピードの面では負けていなかった。クロールも平泳ぎも背泳ぎもバタフライも一通りできるのはこの時の成果だし、子供が水泳教室に通うようになり、競争を挑まれたが、最後まで負けなかった(ママは娘が小学校4年生の時に負けていた)のもこの経験があったからだろう。

 少年野球のチームに入ったのは小学校4年生の時である。この頃、母親は何か息子にやらせようといろいろ考えていたのかもしれない。こちらは大好きな野球だったから、喜び勇んで毎週日曜日に練習に参加した。日本人だし、男だし、野球くらいは経験しておくべきだろうと今でも思う。基礎から教わり、こちらはチームスポーツだから連携プレーなんかもある。残念ながら「4番でエース」というわけにはいかなかったが、だいたい「2番ファースト」というのが自分の定位置であった。

 高校に入って部活を選ぶ際、野球は当然ながら筆頭候補であったが、当時は「野球は坊主頭」というおかしな不文律があって(今でもそれにこだわる意見がある)、そのバカさ加減が我慢できずに選択肢から外してしまった。おかげでラグビーと巡り合えたので良かったのだが、いまはそういう頭の古い不文律も少なくなって、おかげで息子は高校野球の道に進んでしまった。息子がラグビーを選ばなかったのは残念だが、まぁ、仕方がない。その息子が小学校の時に、ラグビーではなく野球をやらせることに同意したのは、やっぱり自分の経験もあったからである。

 中学生になって英語の教室に通った。勧めた母親にしてみれば、「受験」というのが頭にあったのだろう。私は当初それほど乗り気ではなかったが、親しくしていた友人が行くというので行く気になった。日本人女性講師の、今から思えば基礎的な教室だったが、割と真面目な私に対し友人は半分遊びのようであった。あんまりおもしろくなくてやめてしまったが、英語自体に興味がなかったわけではなく、たぶん外人の教師だったら続けていたと思う。「勉強」ではなく、「会話」であれば熱心に通っていたと思う。

 習い事はその程度。「塾」は母親に何度も勧められたが、こちらは断固として拒否した。勉強だけ習いに行くなんて面白くもなんともないという考えだった。小学生の頃ならまだしも、中学生ともなれば自我も強くなる。母親に言われるがままに通ったのは習字くらいで、面白味を感じなければ習う気にもならない。そう言えば、息子も小学校の低学年の時にママに「ダンス」を勧められて体験コースに行ったが、継続するのは拒否していた。我が子の方が自我の目覚めは早かったのかもしれない。

 学校で習わない事を校外で習い事として習うのはいいことだと思う。学校以外の友達もできるし、独自の世界の体験もできる。小学生の頃はそろばんを習っている友達がいて、いつも何やらぶつぶつ言って指を空で動かして計算してしまうのは凄いなと思ったが、私はなぜか習字だった。今度実家の母親になぜ習字だったのか聞いてみようかと思う。ただ、無駄だったとは思わない。自分だけだったらやらなかったかもしれないし、親の働きかけというのも大事なように思う。

 我が子は2人とも習い事をする年齢は過ぎてしまったが、これからは自分でやりたいことがあればなにかやるのだろう。小学生くらいの頃は、本人の意思も大事だが、わけのわからないうちにやらせてしまうのも良いのかもしれない。今振り返ってみると、やりたかったなと思うのは「ピアノ」と「柔道」だろうか。ピアノは家で練習できなかったし、柔道は「ガニ股になる」と反対する妻を見ると私が勧められなかったのもわかる気がする。やっぱり父親の関与が大事かもしれない。

 知人と話をしながら、そんなことを考えたのである・・・

Tania Van den BerghenによるPixabayからの画像

【本日の読書】

  


2023年9月14日木曜日

最近、よく夢を見る

 最近、よく夢を見る。寝ているときに見る夢である。最近、すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険という本を読んで改めて人体の不思議さを思ったのであるが、夢というのも考えれば不思議なものだと思う。起きている時は、夢を見ることはない。夢想することはしばしばあるが、それは自分の意思で展開していく。しかし、寝ている時に見る夢はまったく展開が読めない。出てくる場面も見覚えのある所もあればない所もある。見覚えのない所はいったいどこからその風景が出てきたのかと不思議に思う。

 よく見る夢は、トイレを探す夢である。昔、よく遊びに行った御代田の従妹の家でトイレに入ろうとするが、見当たらない。よく見れば記憶にある御代田の家とはどこか違っている。トイレだと思って入ったが、そこは普通の部屋で、どこかトイレらしくない。なぜかと言えば便器がない。この便器がないというのも共通項で、デパートでトイレに入ったが便器がないというパターンもあったし、どこかの病院でトイレに入ったらやっぱり便器がないという事もあった。やむなくそれらしき所で用を足すのであるが、そのバツの悪さに目が覚めるというパターンが多い。

 フロイトによれば、夢の素材は記憶から引き出されていると言う。そしてそれは意識的なものではなく、無意識的なものだそうで、それゆえに見たこともない風景に思えるのかもしれない。一般的には夢とは潜在的な願望を充足させるものであるらしいが、トイレの夢は「トイレに行きたい」という願望であることは間違いない。実際、便器のない所で用を足すところでたいてい目が覚めるのだが、そこで実際にトイレに行くのである(いつか夢と現実の区別がつかなくなる日がくるのかもしれない・・・)。

 夢はたいてい、目が覚めた時に「夢を見ていた」と意識する(忘れてしまうこともかなり多いが)。つまり過去形なわけであるが、たまに「これは夢だ」と気づく場合もある。その時よくやるのが、空を飛ぶことである。夢なら空を飛べるだろうと飛んでみるのだが、なぜか背の高さほどのところを平泳ぎするというパターンが多い。はたから見たらかなり笑える「飛行」だと思う。それも潜在的な願望と言われればそうなのかもしれない。どうせならスーパーマンのようにさっとひとっ飛びしたいところだが、夢でもそれは叶わないらしい。

 そう言えば子供の頃、初夢に見たいものを枕の下に入れておいたらそれを夢で見られると聞いたことがあった。素直にさっそく試してみようと女性のヌードの絵を描いて枕の下に入れて寝た。下手くそな絵だったから若干の不安があったが、夢でしっかり見られればと願って寝た。すると、翌朝目が覚めてその夢を見られなかったとガッカリするという夢を見た。嘘ではなかったから文句は言えないが、なんだか騙されたような気がしてならなかった。今から思えば可愛いものである。

 20代半ばを過ぎてある女性を好きになった。人生で一番惚れた女性である。もちろん、アタックはしたのだが振り向いてもらえず、随分と切ない思いをした。その時耳にしたのが大瀧詠一の『夢でもし逢えたら』。「♬夢でもし逢えたら 素敵なことね あなたに逢えるまで 眠り続けたい🎶」という歌詞に心惹かれた。本当に夢で逢えるなら眠り続けたいと思った。ずいぶんと純情だったと思う。結局、思いは叶わなかったが、今でもたまにその女性の夢を見たりすると朝から幸せな気分になれる。いつか夢の中で思いが通じるだろうか。

 一方、夢には悪夢というものがある。幸いにして今まで悪夢なるものを見た事がない。悪夢のような現実ならあるが、ひょっとしたら悪夢という夢などないのかもしれないと思ってみたりする。ただ、これも子供のころ、怖い夢ならよく見た。それは足下の大地が大きく割れた所に立っている夢で、その深淵の淵に立ち、引き込まれそうな恐怖の夢である。特別、高所恐怖症というわけではないが、高い所に立てば誰でも怖いと思うだろう。今はもう見ることもないが、現実の世界の苦難からすれば、どうってことはない。

 アラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンスの言葉に、「両目を開いて夢をみる」というのがある。何かを目指している人には勇気を与える言葉である。夢という言葉には、どうも「現実的ではない」というイメージがある。現実的ではないことを夢想するのではなく、しっかり両目を開いて目指していこうという意味の言葉であり、いいなと思う。しかし、やっぱりかつて憧れた女性に両目を開いて会いに行くのは、妻子持ちとしては問題があり、やっぱり夢の中で逢うのがいいだろうし、そういう事もあると思う。ただ、不安に襲われている時にはこの言葉を思い出すといいかもしれないと思う。

 以前、読んだ漫画に見たい夢を見せてくれるというサービスが出てきた。事前にリクエストを受け(スーパーマンになるとか、海賊として活躍するとか)、それに沿った内容の物語を夢で体験させてくれるというものである。そういう技術が実現したら是非利用したいところだと思う。なんでも思い通りになったら、人生は楽しいだろう。今のところ、思い通りの夢を見ることはできないので、予想もできないストーリーを楽しむしかない。残念なのは、目が覚めて忘れてしまうこと。せっかく見たのに忘れてしまうのは何かもったいない気がする。せめて、見た夢くらい覚えていたいものである。

 夢を見る人体の仕組みはわからないが、そういう不思議な能力は悪くない。今度夢の中で、これは夢だと気づいたら、空中を泳ぐほかに何かもっとないか、なかなか現実ではできないことを試してみようかと思うのである・・・

Stefan KellerによるPixabayからの画像


【本日の読書】

  




2023年6月18日日曜日

マクナマラの誤謬

 NHKの『映像の世紀』は私が唯一しっかり観ているNHK番組であるが、先日放映された「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」はなかなか深く考えさせるものであった。アメリカの元国務長官ロバート・マクナマラは有名であるが、天才と称された人物だったらしい。第二次世界大戦では、B29の高高度からの戦略爆撃を立案し、戦後はフォードで大衆車の販売を提案して大成功させ社長に就任する。そしてケネディ大統領の目に留まり国務長官に抜擢される。

 そんなプロフィールとともに、テレビインタビューでベトナム戦争の苦戦を問われ、「間違いを認めないのか」と突っ込む記者に、平然と「間違いではない」と強弁する様は厚顔不敵という感じがする。「マクナマラの誤謬」とは、数字にばかりこだわり本来の目的を見失うことを言うそうである。ある病院では術後の死亡率を下げることを重視したら、医者が重篤な手術を避けるようになったとか、検挙率を重視するようにしたら、警官が軽犯罪ばかり数を競って検挙し、重犯罪の検挙が疎かになったりしたらしい。なかなかありがちな事である。

 国務長官としてベトナム戦争を主導したマクナマラは、「キルレシオ」という数字を重視する。これは米兵の死者に対するベトナム兵の死者の割合で、この比率を1:10で維持すれば勝てるとしたものである。ところが現実はこの割合をはるかに上回っても戦況は改善せず、結果的にアメリカはこの戦争に敗退する。そこには、まさに数字ばかりにこだわり本来の目的を見失ってしまったかのように思える(最終的なキルレシオは1:50だったようである)。しかし、番組が進んでいくと違う姿が見えてくる。

 そもそもマクナマラは、トンキン湾事件の後、米兵を増派したものの大きな改善が見られないことを現地視察の結果気づき、ケネディ大統領に撤退を進言していたと言う。ケネディ大統領もこれを受けて撤退を勧めるが、ダラスの悲劇が起こる。跡を継いだジョンソン大統領はベトナム戦争へのさらなる介入を指示する。マクナマラは国務長官としてこれに従い、先のキルレシオを掲げてベトナム戦争を主導する。自分の「撤退すべし」という考えを封印して上司の指示に従ったのである(そしてそれをうまくやろうとした)。しかし、事態は思うように進まない。

 次の転機はテト攻勢後の1966年。やはり現地視察したマクナマラは、その結果に愕然とする。兵力を増派してもまったく戦況が好転していなかったのである。帰りの機内で側近の者(後にペンタゴンペーパーズを暴露した人物)に「やはり撤退すべき」という意見を述べる。しかし、タラップを降りると記者団に「戦況は有利に進んでいる」と反対の事を語る。そこには自らの信念を押し殺して大統領に仕える国務長官としての立場を維持する姿がある。この流れで冒頭のテレビインタビューを見ると180度異なる姿に見えてくる。

 サラリーマン社会で生きる者はこういう事はよくあると思う。私も銀行員時代はこういう事ばかりだったように思う。自らの考えとは異なる上司の指示に従わなければならないというのは、サラリーマンのストレスの上位を占めることだと思う。番組を見る限り、マクナマラという人物は、数字ばかりを見て目的を見失った愚か者などではなく、冷静に現場の実態もきちんと把握できる優れた人物だったようである。「マクナマラの誤謬」などに名前が残るのは、まったく間違っているのである。

 本人の本当の姿をきちんと伝えられなかったのは、マスコミのせいとばかりはできない。マスコミも万能ではない。歴史に「if」はないが、もしもケネディ大統領が暗殺されなければ、アメリカはベトナムから早期に撤退し、不名誉な敗戦の汚名を着ることもなかっただろう。そして「マクナマラの誤謬」などという言葉も生まれていなかっただろう。会社経営においても、事業計画を推進していく上で、どうしても「指標」を掲げることがある。その時その指標が本当に目標(ベトナム戦争で言えば勝利)に結びつくのかを意識し、そして随時現場の状況確認も怠らないようにしないといけないと改めて思う。

 我が社も現在、中期経営計画を掲げて全社を挙げて頑張っている。重要指標ももちろんある。今のところは間違ってはいないと思うが、数字ばかりを見て本来の目的を見失う事がないようにしないといけないのは当然である。マクナマラのように現場確認を怠らず、本来の目的へ向かっていかないといけない。そういう意味で「マクナマラの誤謬」という言葉を頭の片隅に置いて経営をリードしていきたいと思うのである・・・

Sergei Tokmakov, Esq. https://Terms.LawによるPixabayからの画像


【本日の読書】

  




2023年4月27日木曜日

秋葉原

 先日、仕事で秋葉原に行った。数年前、父にパソコンを買うので付き合って欲しいと言われてヨドバシカメラの秋葉原店に行ったが、駅前は随分と変わっていた。今回、改めてかつての秋葉原との違いを実感した次第である。東京に住んでいながら、秋葉原にはあまり行かない。そんな私には秋葉原と言えば、かつての電気街のイメージが今も色濃く残っている。そう言えば、一番古い記憶を辿っていくと、いつの頃だったかたぶん50年くらい前になると思うが、父に連れられて行ったのをぼんやりと覚えている。

 父もかつては電気製品を買うとなれば秋葉原であった。私の最初の記憶もおそらく父の何かの買い物について行ったのだと思う。記憶に残っている当時の秋葉原は、電気製品の店が軒を並べており、雑然としていたように思う。その次の記憶は中学生の頃。45年くらい前のことであるが、クラスメイトに誘われて一緒行ったのである。そのクラスメイトは、私が人生の中で初めて会った「天才」で、およそ将棋で友達に負けたことのなかった私が、初対戦で7連敗して驚かされた男である。

 そんな彼に誘われて行ったある電気店の店頭で、彼は何やら店頭のパソコンに向かってキーボードを叩き始めた。何をやっているのだろうと見ていたが、やがて出来上がったのはゲーム。インベーダーゲームみたいなものであったが、突然ゲームができてしまってやはり度肝を抜かれた。今思えば、簡単なゲームのプログラムだったと思うが、その当時そんなものに興味を持っている中学生など少なかったと思う。アルファベットを打ち込むだけでゲームが作れてしまうなんてと、当時はかなりのショックであった。

 そして時は流れ、これからはパソコンが使えないといけないだろうと何となく思い、初めてのパソコンを買いに行った。35年くらい前である。当時はパソコンを買うと言えば、秋葉原くらいしか思い浮かばなかった。家電量販店も「電気のことなら石丸電気🎵」というCMが懐かしいが、秋葉原に集中していた。そして東芝のDynabookを購入したのである。まだMS-DOSの時代である。買った店は今はなきサトームセンだったが、買い替えて不要になり、売りに行ったところは新興のソフマップであった。

 2台目のパソコンまでは秋葉原であった。その時はまだパソコン買うなら秋葉原という時代であった。駅前でオウム真理教の白装束の信者がパンフレットを配っているのをもらった記憶がある。2台目のアプティバという品名のパソコンで、OSWindows3.1であった。まだWindows95が登場する前で、30年くらい前である。それからヤマダ電機やカメラ系の家電量販店が勢力を拡張し、「家電なら秋葉原」の地位は低下。私もほとんど足を向けなくなってしまった。何となくメイド喫茶などのオタク文化が栄えているのを遠巻きに耳にしたくらいである。

 今使っているMacは我が家御用達のビックカメラ池袋店で購入したものである。今や我が家の家電のほとんどはビックカメラ池袋店である。池袋にはヤマダ電機の旗艦店があるが、我が家はビック派である。品揃えもお値段も申し分ないので、当分変わらないだろう。もう家電を買いに秋葉原に行くと言う発想は完全にない。しかしながら、ヨドバシ派の父は今でも秋葉原に行くようである。それはかつて身に染みついた「電気のことなら秋葉原」と言うDNAによるものなのかもしれない。

 そんな思い出に浸りながら、せっかくだからと帰りに周囲を散策した。すると、古い建物や大通りを一本入ったところに昔ながらの電気店がまだまだ軒を連ねているのを見つけた。かつてあった雑然とした街の雰囲気をそこだけは色濃く残していた。メイド喫茶の呼び込みと思われるお姉さんたちがニッコリ微笑みかけてくるのを横目で見ながら、昔ながらの電気店を眺めた。店だけを見ると、どうやって食べているのか疑問が湧いてくる。しかし、何かこれまでやってこれた何かがきっとあるのだろう。

 昔から電気製品に関してはこれと言った興味もなく、だから秋葉原にもそういう目的で行くこともほとんどない。ただ時代とともに変わりゆくのは仕方ないが、昔ながらの秋葉原も残っていた欲しいなと思うのである・・・

zauber2011によるPixabayからの画像 


【本日の読書】

 




2023年2月12日日曜日

人目を気にしたくない

 日中、外出すると、この頃マスクをしていない人をちらほら見かけるようになってきた。ほぼ3年にわたって我々を苦しめてきたコロナ禍も58日には季節性インフルエンザと同じ「5類」へ移行されるという。既にマスクについては、「原則として屋外では不要、屋内では着用を推奨」とされているから、道を歩く人がマスクをしていなくてもいいわけであるが、まだまだマスクをしていない人を見ると、思わず目が行ってしまうのは、やはり慣れてしまったからだろうと思う。

 新型コロナ対策としてのマスクの着用について、政府は来月13日から屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねる方針を決定した。政府の指針では、全員が着席できる新幹線や高速バス内でのマスクを不要とする一方、混雑する通勤電車やバスでは引き続き着用を勧めている。58日を待たずとも、マスクをしなくてもいい環境に戻っていくのだろう。自分はそれに対してどうするだろうかと思うに、多分しばらくはマスクをしているだろうと思う。

 日本人は割と周りを見て行動するところがある。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という精神が行き渡っている。だからたぶん来月13日になっても一気にマスク姿を見かけなくなるということはないのではないかと思う。ただ、私がしばらくマスクをし続けるであろうという意味は、これとはちょっと違う。周りの目というより、気を使うのが面倒だという理由である。外を歩く時は外し、通勤電車に乗る時はつけ、降りて歩く時はまた外し、なんて面倒この上ない。

 特に通勤時間帯は私にとって読書タイムである。いつも読んでいる本の世界に集中するため、同じ時間の電車の同じ車両に乗り、意識を本に集中させたままでも乗り換え等間違いなくできるようにしている。ゆえにマスクになどに意識を取られたくはない。つけるかつけないかのどちらかしかない。そして混雑した通勤電車内では引き続き「推奨」されるというのであれば、付けっぱなしでいる方が「考えなくて済む」。人目を気にしなくて済む方法に合わせるのが一番楽である。

 もともと私としては、「人目を気にする」事が大の苦手である。人が何をどう思うかなんてわかるわけがないと考える私は、昔から空気を読んだり合わせたりするのが大の苦手であった。よほど恥ずかしい行為であれば別であるが、そうでなければ人がどう思おうと気にしないのが私の基本的な考えである。だからファッションなんかは特に困惑する。人がどう思おうと、着たいものを着ればいいではないかと考える。だから「それ変!」と言われると戸惑ってしまう。

 その昔、結婚した当時だが、妻に持っている服をことごとくダメ出しされたなんでダメなのか自分ではまったくわからなかった。機能的に問題なければいいじゃないかと思うが、流行遅れなのかどうなのか、着るなという。まだ着られるものを着ないのはもったいない。今で言うエコ精神であるが、よほどみすぼらしい格好でなければ構わないと(今でも)思う。たとえみすぼらしくても、今では穴の空いたジーンズだってファッションだと言うのだから(私はそんなジーンズを履く気はサラサラない)、それもファッションだと言えてしまいそうな気もする。

 そんなの気にしていたら表は歩けなくなる。だから、ドレスコードがゆるい今の会社でも何も考えなくていいスーツを着て毎日出勤している(私服で出勤となったら苦痛である)。マスクもしたがってしている限りは何も考えなくてもいいだろうから、当分はつけたまま過ごすと思う。そして世の中の大半がマスクを取るようになり、何も考えずにマスクなしで歩けるようになってからマスクを取ると思う。

 ただ、すべてがこうだとは限らない。自分が信念を持ってやるものであれば、人が何と思おうと、世の中で自分1人であろうとやると決めたらやるだろう。それもまた違う意味で「人目を気にしない」と言えるのかもしれない。何にせよ、「マスクをつけるかつけないか」などという些細なことで人目を気にしたくはない。そんなことをマスクなしで歩く人を眺めながら、つらつら思ったのである・・・


Justin KilianによるPixabayからの画像 

【本日の読書】