2023年10月26日木曜日

人によって感覚は違う

 仕事で送られてきた書類に印鑑を押し、返信用の封筒に入れて返送する。返信用の封筒を眺めていつも思う。そこには宛名に「〇〇行」という文字がある。マナーとして、普通は「行」を斜線で消して「様」または「御中」と横に書いて投函する。ほんのささいな行為だが、なかなか面倒くさい。始めから「様」または「御中」としておいてくれればそのまま投函できるものを「行」としてあるから斜線で消してという作業をしないといけなくなる。クラス会の出欠を問う往復はがきでも同様だ。個人的にどうしても違和感を禁じ得ない。

 日本は謙譲の文化の国である。自分宛ての返信に「様」をつけるのはおこがましいとして「行」とする。しかし、受け取って返信する方は、そのままだと失礼だとして「様」に書き換える。最初から「様」にしておくか、「行」のまま送り返せばその分よけいな手間暇がかからなくて済む。ビジネス的には「無駄を省く」のは基本であるから、ここはどちらかにしたいところだ。「ちょっとぐらい」の手間やコストが積り積る。「ちょっとぐらい」という考え方自体がよくない。わずかな手間でも省く努力をするのがビジネス的には正しい。

 そういう考えで、最近は企業宛のはそのまま「行」で返送している(たまに気がついた女性社員が「様」に直してくれているが)。だが、個人宛だと躊躇してしまう。「マナー」を知らないのかと思われるのも癪な気がするが、知っててそのまま返信する真意を勘ぐられてもよろしくない。それに、「へりくだり」、「敬う」文化は無駄なことであっても大事だという風にも思う。O・ヘンリーの『賢者の贈り物』みたいなものと言えるかもしれない。お互いの無駄がお互いの思いやりとも言える。そう考えて、個人とビジネスとを今のところ分けて対応している。

 通勤電車では、毎朝一つ隣の駅で始発電車に乗っている。今朝、いつものように並んでいたら、隣のサラリーマンがおにぎりを食べていた。また、そのあと、会社の前の横断歩道を渡っていたら、反対側から歩いてきたOLと思しき女性がパンを齧っていた。いずれも私ならやらない行為である。歩きながら食べたり、外で立って食べるという行為に対し、どうも拒絶感がある。しかし、彼または彼女が常識知らずかというと、その「常識」も疑わしくなる。「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの言葉が脳裏をよぎる。

 毎朝寄る喫煙所は、このところ混みあっている。そんな時は外で少し待つのだが、そこでもう煙草に火をつける人がいる。電子タバコならまだしも、紙のたばこだと灰が落ちる。どうせ待っても数分なので、私はスマホでニュースを見ながら待つのだが、待てないで吸い始める人の感覚が理解できない。しかし、その人の感覚ではOKなのである。こういう感覚または常識の違いはどこから生じるのだろうかと思う。学校では教わらないことであるが、家庭の躾とかそれまで本人が置かれた環境の中で培ったものだろうが、不思議なものである。

 高校のラグビー部のOB会では事務局長を任されているが、会長はとにかく「メールに返信しない」人である。いちいち目下の者に丁寧に返信をしてくれとは言わないが、どうするかという問い合わせをしているのに返信してこない。私であればすぐに返信するのであるが、この会長の考えも理解できない。すぐに決められないなら決められないで、その旨返信してくれればいいものをそうしない。これは感覚・常識というより単に相手のことを考えないだけだろう。コミュニケーションとして重要な事であり、改善して欲しいと思うが、直接意見するのも憚られるので難儀している。

 考えてみれば、他人同士で衝突するのはたいていこの感覚・常識の違いによるものではないかと思う。「他人は自分とは違う感覚・常識で動いている」という理解があれば、無駄な衝突にはならず、相手に対する悪意を持つこともない。しかし、自分の感覚・常識で相手を測ろうとすると、それに反した行動を取る相手には「常識がない」という批判を浴びせてしまう。私も自分の感覚・常識で行動する人間の1人であり、もしかしたら「行」のまま送られてきた返信用の封筒を受け取り、その担当者から「常識がない」と思われているのかもしれない。

 みんなが同じ感覚・常識を備えていれば、人と人の間の衝突なんて起こらないように思う。されどそんな同じ感覚・常識で動くというのも、それはそれで問題がありそうに思う。そもそも「感覚」の点においては、違和感を防ぐことは不可能である。それは返信用封筒の「行」の記載1つとっても明らかである。通勤の始発電車に並んでいたサラリーマンだって、今朝はどうしても時間がなく、やむなくだったかもしれない(それでも私なら「食べない」という選択肢を選ぶだろうが・・・)。

 実家の母親も年齢のせいか、やたらと「常識外れ」という他人批判を繰り返す。私にはそんな母の「常識」もいかがかと思うが、母は「自分の常識」が世の中の常識だと信じて疑わない。そんな母の「常識」はちょっと相手の立場に立って考えれば非常識とは必ずしも言えない事が多い。そこには視野の狭さがある。たいていはそういう事が多いのではないかと思う。感覚の違いもいちいち目くじらを立てないようにすればなんでもないこと。人に迷惑がかからなければスルーするのが懸命だろう。そんな風に柳に風のごとく受け流していきたいと思う。

 ただ、必要事項に返信をよこさない会長の対応はやはり迷惑であり、イライラさせられる。これもあまり酷ければ辞任という形で距離を置くしかないと思うのである・・・



Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 




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