2008年11月30日日曜日

お金を貸すという事

 
仕事柄お金に関するもろもろの事に触れる機会が多い。
親しかった人間関係がお金が理由で壊れ、それまでの付き合いが一変、手のひらを返したように冷たい態度に変わる事もある。
「お金を貸してくれ」と言われたらどうすればいいのだろうか?

これまでに学んだ事を総合するとお金で人間関係を壊さないために必要な事は、
・返してもらわなくてもいい金額を貸す
・貸したら忘れる
の二つだと思う。
できない時は誠意を持って断る事だ。
そしてとことん相談に乗ることだ。

人間は借りた事は忘れても貸した事は忘れられない。
親しい友人であれば借金を頼まれれば誰だって貸していい顔をしたい。
しかし、貸せばいつ返してくれるのか気になり、相手に返すそぶりが見られないと不安になり、やがて不誠実な態度に腹が立ってくる。
忘れられたりすると尚更だ。
こうなると友情もどこへやらだ。

お金が大切なのか、友情が大切なのかきちんと選ぶ事だ。
友情を取るならお金は捨てる事だ。
また断って壊れる友情なら所詮それは偽りの友情だ。
かえってお金を守った方がいい。

逆に借りる時の心得は、
・返せる金額を借りる
・いつ返すか最初にきちんと告げる
・約束通り返す、返せない時はいつどうやって返すかきちんと伝える
これだけだろう。

お金で大事な人間関係を壊す事ほどバカらしい事はない。
これだけはしっかり守りたいと思うし、自分の子供たちにも伝えたいと思うのである・・・

  

2008年11月27日木曜日

ものの見方考え方

   
本を読んだりした時に心に留まった言葉を手帳に書き溜めている。
時々それらをパラパラとめくってみたりしているのだが、今日その中の一つに目が行った。
「自宅にいながらお金持ちになる方法」という本の中の言葉だ。

「二人の囚人が監獄の窓から夜空を見上げた。
一人は薄汚れた鉄格子を、もう一人は輝く星を見た」

いわゆる成功本だからこの言葉の意味するところは、
「目の前の困難(鉄格子)にとらわれている者は成功者にはなれない、困難にあっても目標(星)をしっかりと見据える事が重要だ」
というものだった。

それはそれで否定するつもりはないし、確かにその通りだ。
だが別の考え方もできる。
「目の前の現実を考えないで夢ばかり追っている」と定義すれば、これは否定の言葉となる。

ではそのような見方は後ろ向きかと言えばそうではない。
目標は目標で大事であるが、囚人にとっては目の前の鉄格子がすべてであり、これを突破しなければいかなる望みも叶えられない。
そう考えた場合、常に目の前の薄汚れた鉄格子に目をやるべきなのだ。
星ばかり見ている人間は一生手の届かない夜空を見上げて終わる事になる。

まあ理屈をこねても仕方がない。
どちらも真理である。
バランスよく交互に見るのがいいのではないだろうか。
果たして自分はきちんと星を見ているか?
鉄格子もきちんと見ているか?
自問自答しながら星を目指したいと思うのである・・・



     

2008年11月26日水曜日

子供たちに伝えたい事

子供たちには親としていろいろと経験した事を伝えたいと思う。
それによって親の失敗を繰り返す事なく、よりよい人生を歩んでもらいたいと思うからだ。
振り返ってみるとそういう経験がけっこうあるものである。
特に恋愛では生涯の悔いを残してしまった。
1993年の7月。
戻れるものならあの時点に戻って人生をやり直したいと今でも強く思う。

さてそうはいっても我が子はまだ小さい。
難しい事などまだ言っても真意を理解できない。
そういうわけで子供たちに伝えたい事を少しずつ書き溜めている。
いつか適切な時が来た時に、忘れずに伝えてやれるようにだ。

そうして書き溜めたものが増えてくると何だか楽しくなる。
思いつくまま気の向くまま、書き溜めて行こうと思う。
いつか読んで何かを感じ取ってくれるだろうか・・・

そう考えてみるとわが親父にはそういう事ないのだろうかと思う。
その前に聞こうとしただろうか?
最近でこそ少しずつ昔の事を聞くようになった。
昔の事を語る時は親父も楽しそうだ。
楽隠居させて上げられるほどにはなっていないが、少なくとも親父の思いを聞き届ける事ぐらいはできるだろう。

今度実家に行ったらそれとなく話を向けてみようかなと思うのである・・・
  
  

2008年11月24日月曜日

英雄なき島2

引き続き元海軍中尉大曲覚氏の体験記である「英雄なき島」の感想である。

「日本軍ははたして強かったのであろうか」
といっても戦争に負けた以上は愚問であるが、それを考える上でのヒントになる記述がある。

一つは当時の装備。
硫黄島守備にあたっていた陸軍の歩兵が持っていたのは三八式歩兵銃。
5発装填のシングルボルトアクションの銃である。
対する米軍は半自動小銃。
戦争も末期となって装備の差が如実に現れている。
新型兵器への転換の遅れは物資窮乏のせいでもあるだろうが、ノモンハン事件の教訓をもっと活かしていれば多少の変化はあったかもしれない。

一方で米軍が落とす爆弾には日本軍のものも多かったという。
南方戦線で捕獲した爆弾を米軍が使っていたものであるが、その理由として米軍の爆弾よりも性能が良かったから、とされている。不発弾が少なかったそうであるが、すでに日本製品の優秀性はこんなところにも現れていたのである。もしも研究開発のゆとりとそれを求める思想があれば、近代兵器への転換も行われ、戦況も多少は違っていたのかもしれない。

しかし防空壕の中で、目の前で人が焼け死ぬ、死体がごろごろしている、などという経験は言葉でいくら説明されても理解できるものではない。そんな経験をしなくても済むという事だけをもってしても、現代は幸せな時代なのである。

こういう貴重な体験記は是非とも読んでおきたいと思うのである・・・


  

2008年11月23日日曜日

英雄なき島1

産経新聞出版社の「英雄なき島~硫黄島戦生き残り元海軍中尉の証言」(久山忍著)を読んだ。
これまでも「硫黄島」ものは本、映画といくつか触れた。
これはタイトルにもある通り一人の男の硫黄島体験記である。
すでに何冊か読んでいるのでいまさら硫黄島戦の悲惨さは目新しくないが、読んでいていくつか感じたことがある。

ここで出てくる大曲元中尉は当時23歳。
例に漏れず徴兵検査で合格し、陸軍に入隊が決まる。
しかし直前で海軍の将校が来て「海軍予備学生」制度の説明をする機会に触れる。陸軍に入れば二等兵からのスタートで、名高い鉄拳制裁が待っている。この時氏は、「海軍に行けば将校待遇になれるからまだましだ」と考えて海軍予備学生の試験を受ける。
ここが一つの分かれ道だ。打算的ではあるが、いい加減に決めるわけでもなく、考えて進路を決めるというのはいつの世でもとても重要だ。

また当時の軍隊の雰囲気も描かれる。
何事も志願兵を募るが、誰も心底志願したいとは思わない。
ただ、しなければしないでぶん殴られる。
志願せざるを得ない状況にみなが追い込まれていたという。
日本的といえば日本的だ。

硫黄島といえば栗林中将であるが、氏は中将と2回ほど顔を合わせている。
エピソードの一つとして運送物資である薪を陸揚げしていた所に中将が来て、「それは何か?」と訊ねられる。「薪です」と答えると「薪など運ぶ余裕があるなら武器を運べ」と叱責されたという。氏は中将に対し、大本営が送り込んできたものだからやむなく陸揚げしているのに理不尽だ、と感じて反感を覚える。

このエピソードから感じるのは大局、小局のものの見方だ。
目の前の事実からすれば、氏の言う通り中将は理不尽だ。
しかし、中将が言いたかったのは言葉通りの意味なのだろうか。
迫り来る米軍に対してあまりにも貧弱な日本軍。
みんなボロボロになって手作業で防空壕を掘る姿を見る指揮官の苦悩を感じざるを得ない。氏は当然とは言え、あまりにも目先の事にしか目が届いていない。

現代の会社でも得てしてそうである。
一般社員はあまりにも目先の事実だけにとらわれて不平不満を言う。
しかし経営陣はそれよりもっと多くの情報を得て大局な見地から判断を下しているのである。
そんなイメージがダブってくる。

まだある。
(つづく)

2008年11月22日土曜日

はじめに思うこと

ブログがすっかり定着化してきている。
今時ブログをやっていますといっても珍しくもない。
私自身これまでいくつかブログを開設し、今4つほど投稿を続けている。

その4つはすべてジャンルを分けている。
仕事(債権回収会社に勤務している)、趣味1(大好きな映画だ)、趣味2(株式投資だ)、その他(借金返済の記録だ)・・・

5つ目は気まぐれだ。
毎日更新するつもりなど鼻からない。
人に見せようと思ってはいないから誰にも教えないし、ブログランキングにも登録しないから訪れる人も極めて稀なはずだ。

まあそういうわけで気楽にはじめる。
何を書くかは気分次第だ。