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2022年10月30日日曜日

他人と自分を比べない方がいいのか

 先日読んでいた本の中に、スマホの所有が増えることでうつ病が増えているということが書かれていた。それは他人と自分を見比べる機会が爆発的に増えたことが原因だと著者は分析し、「他人と自分を比べない方がいい」というのは幸せの絶対的原則だと言う。そうなのかもしれないと思う。「他人は他人、自分とは違う」ということは当たり前なのであるが、どうしても「そうは言っても・・・」という気持ちが出てしまう。SNSで見た他人の投稿を羨ましく思い、「どうして自分は・・・」と思ってしまうことは私も実感するところである。

 大学時代、ともにグラウンドで汗を流した友人は、外資系のコンサル会社でかなりの地位まで上り詰めた。たぶん、年収は億を超えるのではないかと思う。それはもちろん本人の努力の賜物なのであるが、自分もそういう道を歩めたのではないかと、どこかで思ってしまう。また、会社が上場したことによって、従業員持株会を通じて持っていた株が億単位になってしまった知人もいる。それは単なるラッキーではあるが、自分は就活の時にどうしてそういう会社に目が留まらなかったのだろうかと思ってしまうところがある。

 男も定年年齢が近くなると、「社会人としての成果」が社会での地位と共に家族や持ち家や車などに表れてくる。そうした他人の成果を自分と比較すると、どうしても「差」を感じてしまう。特にそれが表れるのが車であるように思う。私はどちらかと言うと車は「移動手段」であり、「ステイタス」を感じない。正直言って、車など何でもいいと考えるので、国産のファミリーカーで10年乗っていても何の心理的抵抗はないが、それでも知人がフェラーリやポルシェなどに乗っているのを見ると心中穏やかならざるものがある。それは車に対する嫉妬というよりも、「稼ぎの差」あるいは「ゆとりの差」に対する嫉妬かもしれない。

 そんなことを考えると、「他人と自分を比べない方がいい」というのは事実である。しかし、である。逆に「他人と自分を比べて優越感を感じる」というのもまた真実である。自分より遅れている人間を見て安心するのもまた人の真実。それは自分より劣っている場合だけではなく、同程度も含まれる。自分と同じような会社に勤め、同じような家に住み、家族の状況も似ていて、さらに同じような車に乗っているとなれば、そこに安心感を感じる。その場合、「他人と自分を比べる」というのは、一つの大きな安心感を得られる手段である。

 もっとも、「スマホの所有が増えた」という状況と、「うつ病が増えた」という状況の間には、確かに因果関係があるようにも思う。なぜなら、 FacebookでもInstagramでも、投稿するのは大体がいい情報であろう。人に知られたくない恥ずかしい情報はそもそも投稿しないだろう。言ってみれば、他人に自慢したくなるような情報、とまではいかなくても、少なくとも知られても恥ずかしくない情報が投稿されるだろう。となれば、それを見た人が安心したり優越感に浸れたりすることはあまりないということになる。

 本来、幸せの尺度というものは、自分の中に絶対的なものがあればそれに越したことはない。他人がどうあれ、自分はこれに一番幸せを感じるというものを実現できていれば、他人を気にするまでもなく、それだけで満足するはずである。だが、必ずしもそういう絶対的基準を誰もが持っているわけではない。他人と自分との比較は、スマホを見なくとも日常的に避けられないことである。であれば、相対的基準の中で満足する、あるいはそこまでいかなくとも悲観的にならないという程度に収めることもできると思う。

 例えば、先の億を稼ぐ友人であるが、彼には子供がいない。私にとって、「億の収入」と「子供がいること」を比較して、どちらがいいかと問われれば答えるまでもない。子供が生まれ、ヨチヨチ歩きから成長していく過程を見守ることができる喜びは、とても億の収入とは比較できない。億の収入のある生活と子供がいる生活とどちらを選ぶかと問われたら、迷うことなく子供のいる生活を選ぶ。そう考えれば、億の収入のある生活もフェラーリのある生活も羨ましいとは思わなくなる。

 そもそも、人は上を見れば限りがない。「一生に一度くらいハワイに行きたい」と思う人がいたら、ハワイに行ければ満足感を得られるだろう。だが、それが実現すれば毎年行っている人が羨ましくなる。そして毎年行けるようになれば、1週間ではなく2週間行きたくなるし、ホテルのグレードもアップしたくなるし、エコノミーではなくファーストクラスに乗りたくなるものだろう。「もっと、もっと」というのは人間の自然な欲望であり、それが頑張るモチベーションになったりするから悪いことではない。健全な程度にコントロールできていれば問題はないと思う。

 また、下を見て安心するというのもいかがなものかというところはある。「これでいい」と思ってしまえば成長はない。ビジネスでも「現状維持思想」は一番危険である。要はバランスであろう。自分と他人と比べるのは仕方ない。現代社会では、意識しなくとも他人との差は目についてしまう。その時、大事なのは上を見て落ち込むのではなく、「自分も頑張ろう」と健全な方向に感情を向けることであろう。そしてどうしてもそれが無理な場合は、横や下を見て自分はまだマシだと安心感を得ることも必要だろう。そのバランスをうまく取っていくことが、幸せに生きるための条件の一つであるように思う。

 浮かんで驕らず、沈んで腐らず。うまく精神の安定を保ちながら、他人の姿を見たいと思うのである・・・


Myriams-FotosによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

   



2022年10月9日日曜日

生きることは悩むことなのか

 「人間は生きている限り悩むものです」とは、瀬戸内寂聴さんの言葉であるが、本当に次から次へと困難が生じてくる。心休まる時がない。今も元勤務先の社長との裁判を抱え、弟の金銭トラブルに巻き込まれ、それには両親も巻き込まれて母親が心を痛めており、その母親も最近記憶力が急速に劣化して時々支離滅裂なことを言うし、腰の痛みなどから家事もおぼつかなくなり心配が絶えない。我が身も妻との関係が改善せず、仕事も「問題のモグラ叩き状態」である。

 心穏やかに暮らしたいなぁとつくづく思うも、なかなかそうは行かない。振り返れば50代に入って苦悩の量が劇的に増えているような気がする。どうして毎日満足感に満たされて過ごせないのだろうかと思わずにはいられない。人を羨みたいとは思わないが、順風満帆な人生を送っているように見える友人知人を見るにつけ、ついつい羨ましくて仕方がなくなる。自分と何が違うのだろうか。どうすれば良かったのだろうか。どうすれば良いのだろうか。

 「幸せは気づくもの」という言葉がある。この言葉を知って随分と救われたように思う。苦悩に満ちた生活でも、そこには誰でも気づかない幸福があるのだと言う。たとえば、仕事では問題のモグラ叩き状態ではあるものの、「それは仕事があるから」である。もしも失業状態であれば、確かに日々生じる問題に煩わされることはないが、その代わり収入が絶えて家族を養えないという状態になる。それは想像するだに絶えられない恐怖。それに比べれば、いくらでもモグラ叩きをしようという気になる。

 裁判もまだどうなるかはわからないが、例え負けても全財産を奪われることはない。手にした退職金を失うだけである。それも恐怖であるが、幸い元職場の同僚が一蓮托生の仲間としているので、精神的には軽くなっている。1人で苦悩しているわけではない。それにこの役割をこなせるのは自分だけだったのであるから、他人に運命を委ねるよりも自分で矢面に立つ方がまだ良い。それに負けない可能性もまだまだある。

 弟の金銭トラブルも解決する可能性はある。例え解決しなくても、それは弟の問題。自分については、弟に貸した金が返ってこないだけ。ただ、裁判の敗訴とダブルパンチとなった時はかなり厄介かもしれない。母親も会話ができないというわけでもないし、同世代の友人知人の中にはもう親のない者も珍しくないわけであり、まだ両親が揃っていて話ができるというのはそれだけでも幸せかもしれない。

 友人知人先輩後輩の中には、金銭的に恵まれている者も多い。どういう伝手なのか会社社長に収まって年収数千万円とか、勤務先が上場して持株の価値が億を超えたとか聞くと心穏やかではいられない。しかし、子供がいなかったりすると、そこにはまた自分のわからない苦悩があるのかもしれないと思ってみたりする。夫婦2人で悠々自適の人生を送れても、子供を持つことの幸福は得られないわけであり、どちらがいいかと問われれば、金よりも子供のいる今の自分の生活を選ぶだろう。

 この身に降りかかる様々な困難はなんとか自分で引き受けられている。これを家族の誰かに肩代わりさせることはできないし、したくない。そう考えれば、この苦悩を背負って行くのも仕方ないかもしれない。と考えてきたところで、新たな恐怖に駆られる。それは「もしも自分が明日死んだらどうなるのだろう」ということである。少なくとも裁判の方は家族では対処できない。事情もわからないからなす術もなく負けてしまうかもしれない。

 そこで取り急ぎ財産目録を作成した。銀行口座と証券会社、生命保険会社、裁判では連絡を取るべき人、パソコンとiPhoneのパスワード。住宅ローンは銀行に連絡すれば団信でチャラになるし、生命保険金を滞りなく手にすることができれば、とりあえずなんとかなるだろう。考えれば、子供もまだ学生だし、自分の役割はまだまだ果たし終えていない。大事なのは生き続けることであると今は言えるだろう。

 なぜ苦悩ばかりが頭を占めるのかと考えてみると、それは心穏やかなことは目立たないからだと思う。生きていることがまず第一であるが、生きているからこそ生きていることは意識に上らない。自分も家族も健康であるから、自分の健康も家族の健康も気にならない。仕事があるから失業の恐怖も感じない。この週末、洗濯機が故障して大騒動になったが、それ以外の家電製品はきちんと機能しているから気にもならない。

 靴の中に小石が入ると、それだけで人生の大問題であるかのようにそれが気になって仕方がなくなるとは、ショーペンハウアーの弁。例えそのほかのことすべてに恵まれていても、人間は靴の中の小石を気にするという。実にその通りであると思う。まぁ、そう考えると、苦悩も仕方ないのかと思えてくる。逃げたくなるのは山々であるが、逃げるよりも受け流す方法を考えるほかないのかもしれない。そう考えてくると少しは苦悩も和らぐ。そう自分を慰めて、明日もまた頑張ろうと思うのである・・・


Anja-#pray for ukraine# #helping hands# stop the warによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2022年6月30日木曜日

夏の日雑感2022

  週末はシニアラグビーの試合があった。6月だし、雨だと嫌だなと思っていたが、土曜日から梅雨はどこへやらの真夏の暑さ。そして試合当日も快晴。こうなると、この時期暑さが敵に回る。雨の中の試合も嫌だが、高温下の試合も50も後半の肉体にはキツい。それでも20分ハーフの試合を前後半とこなして気持ちの良い汗を描く事ができた。7月に入れば梅雨が復活するのかと思っていたら、なんと梅雨が明けてしまった。例年にない夏の到来に驚きばかりである。

 訃報が届いたのは、翌日の月曜日。なんと一緒に試合をしていたチームメイトが、試合後の帰宅途中に倒れて亡くなったとのこと。ついさっきまで一緒に試合をしていて、「上手くなった」と褒めてくれたばかり。しかも年齢は私と同じである。先月は高校時代の友人が亡くなり、今度はチームメイト。YouTubeにアップされた試合の動画では、彼は溌剌とプレーをしている。そしてそこには私もいる。しかし、彼はもうこの世にはいない。試合で楕円球を追う彼は、まさかそれが人生最後の日、最後の数時間だったとは夢にも思っていなかっただろう。

 そういう自分も、死は他人事である。自分が死ぬという想像はできない。それにはなんの根拠も保証もない。今自分が死んだらどうなるだろうと考えると、家族の混乱は想像できる。それを考えると、事前にいろいろと準備しておく必要があると感じる。生命保険の証券はわかりやすいところに置いておく必要があるし、預金などの金融資産もわかるようにしておかないといけない。住宅ローンは生命保険付きなのでチャラになるが、手続きはわかるだろうか。葬式は家族葬で構わないが、友人には連絡してほしい。ならば連絡先もわかるようにしておかないといけない。

 

 貸したお金はいいが、預かっているお金は返さないといけないからまずい。管理のためとは言え、自分名義の口座に入っているから家族にはわからない。そのあたりは紙に書いて保険証券などと一緒にしておく必要があるだろう。仕事では迷惑をかけてしまうが、これはどうしようもない。まぁ、しばらくは混乱するだろうが、会社が傾くほどではないから「みなさん、ごめんなさい」というところだろう。親より先に行くのは何より親不孝な気がするので、できるなら順番を守りたいところである。

 

 先日読んだショーペンハウアーの『孤独と人生』の中で、人は満足していることより不満な事が気になるものだという事が書いてあった。全身健康であっても、靴の中に小石が入っていたりすると、たちまち不快=不幸を感じると。ちょっとした痛みの方が気になって仕方がなくなるというのはその通り。人はむしろ不幸を回避することを心がけるべきだという指摘はもっともである。ハワイに行きたいがなかなか行けないと嘆くのではなく、今日も無事1日を終えられたことを素直に感謝すべきなのだろう。


 この時期、日中外出すると猛烈な日差しで汗が噴き出てくる。エアコンをつけっぱなしにすれば電気代が気になるし、夜はエアコンをつけて寝ると体調を崩す事が多い私は窓を開けて寝るが、夜はやはり寝苦しい。それでも寒さに震える冬にあっては、真夏の太陽が懐かしかったりするので、今がその時だと思えば少しは気分も晴れる。暑いのも生きているから。「貴方が虚しく過ごした今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」とは韓国の小説『カシコギ』の言葉。今日、自分がいつものように終えようとしているこの1日は、生涯を終えた友が生きられなかった1日なのである。


 そう考えれば、暑さもまた愛おしい気持ちになる。先週末の試合では、タックルでまた首を痛めてしまった。なんでいい年してラグビーなんてまだやるのか。最近、自分でもそう思わなくもない。ただ、やめたら後悔する気がする。人間は年齢と共に少しずつ手にしたものを失っていく。視力は既に老眼の世界だし、髪も筋肉も記憶力ももう昔のようにはならない。いずれできなくなるとしても、その日までは楽しみたい。1本でも多くの映画を観て、1冊でも多くの本を読みたい。


 今日は見事な夕焼けであったから、明日もまた暑いのだろう。だが、それもまた生きている証。仕事では問題が山積しているが、仕事があるから悩めるのも確か。幸い、仕事ぶりは評価してもらえていて、小さい会社ながら役員になることになったし、問題もまた楽しからずやである。週末は、両親を連れて温泉である。少しは喜んでもらいたいと毎年連れて行っているが、それも後どのくらいできるかと思うと、「今のうちに」と思う。この頃は、誰かに喜んでもらえると、それだけで気分がいいと感じる。


 死を意識しつつ、死に備えつつ、それでいて怯えることなく日々を楽しむ。これから残り時間がどれほどあるかわからないが、自分が意識しているのは90歳。その日まではまだ30年以上あるわけだし、日々をそうして楽しみながら過ごしていきたいと思う。そう考えると、明日が猛暑であったとしても、待ち遠しいように思う。明日目が覚めたら、感謝と共に1日を始めたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2021年9月30日木曜日

献血をするわけ

 今年2回目の献血をした。人生で12回目の献血である。初めての献血は高校生の時。以来、献血などしようという気にもならなかったが、10年前に職場で実施してからというもの、たびたびするようになったのである。なぜ献血などするのかと言うと、それは自分自身、「禍福は糾える縄の如し」という考え方があるためである。人間、幸せにばかり囲まれていることはできず、不幸まみれのままでいることもない。必ず禍福は入り乱れて自分に降りかかってくると信じている。それが根底にあるのである。

 良いことがあれば悪いこともある。だから良いことが続いたら悪いことが起こるかもしれないと警戒しないといけない。しかし、悪いことが起きるのをビクビクしながら待っているのもバカらしい。そこで自ら不快(=自分にとって悪いこと)を作り出して不幸の代わりにしてしまおうという魂胆である。献血は実に不快な経験である。針を刺されるのも不快なら、機械で血液を吸い上げる際に針を通して微妙に伝わってくる振動も実に不快である。そういう不快感は、自分にとっての幸福と釣り合わせるのにちょうど良い気がするのである。

 こういう考え方は、いつの頃からか漠然とあったのであるが、欽ちゃんの『負けるが勝ち、勝ち、勝ち! 「運のいい人」になる絶対法則』(読書日記№626) を読んだ時に確信した。欽ちゃんは、かつて『欽ドン!』が視聴率30%を超えるたびに、運を使うために馬券を300万円買っていたという(もちろん、当たり狙いではなく、損してそこで悪運を使ってしまうのである)。残念ながら私にはそんな資金力はないから、自ら不快に身を委ねる方を選んでいるのである。

 献血を終えると、少し休憩するように求められ、お菓子や飲み物や、最近ではいろいろと小物をプレゼントしてくれる。飲み物は失った水分を補給するという意味で、医学的観点から飲むように言われるからそれはいいとして、いろいろもらってしまうとせっかく運を減らしにきているのにその効果が薄れてしまうような気がする。なるべくお菓子は食べないようにし、今回もらった歯磨き粉(なぜこんなモノをくれるのかはわからない)は家族に渡した。今回に限らず、献血は別途行なっているユニセフへの寄付と併せて定例化しようと思っていることである。

 毎回400ml。血液検査もしてくれるのでその数値も参考になる。前々回基準値を超えて医師の診断を勧められ、前回はギリギリ基準内だったコレステロール値が、今回は一気に下がっていた。どうやら『LIFESPAN-老いなき世界-』(読書日記№1243) を読んで感化されて始めた「一日二食」の生活の効果が現れてきたのかもしれない。これも「空腹」という不快を毎日味わうという目的もあったのだが、体重も春から7㎏落ちて腹回りもスッキリし、ズボンも緩くなった。コレステロール値の改善は想定外だったが、運を減らすつもりがいい結果につながってしまうと、良いのか悪いのか複雑な気分である。

 また、今年は町内会の班長役が当番で回ってきている。これも面倒だしやりたくないのは本心だが、こういう面倒ごとを引き受けるのも「運減らし」の効果があるかもしれないと考えている。だからなるべく積極的に参加している。妻はこれ幸いとばかりに私にすべてを押し付けてくるが、「少しはお前もやれよ」とは決して言わないのはそういう考え方があるからである。仕事でも、やらなくても誰にも何も言われないことをわざわざ引き受けたり、何かあれば二つ返事で引き受けたりしているが、それもこういう「運減らし」の考え方である。

 この世は不条理であり理不尽であり不公平である。心正しき者が必ず幸せになるとは限らず、憎まれっ子は世に憚る。それを嘆いても仕方がない。この世に神様がいたとしても、とても全人類を公平に見ることなんて不可能だろうから期待はしない方がいい。であれば個々人が不条理な世の中で心安らかに暮らしていく術を身につけるしかない。普段から運減らしをしていれば、大きな不運には襲われないと信じて平穏に暮らせるのであればそれでいいではないかと思う。

 今年に入って突然理不尽な失職を味わった。とは言え、再就職の相談に乗ってもらった人たちは皆真摯に対応してくれた。それほど人付き合いがうまいとは思えぬ自分であるが、まだまだ友人知人には恵まれている。そして縁あって再々就職した今の会社も、いい雰囲気で楽しく仕事ができている。収入が減ってしまったのは難事であるが、あっちで減った運、減らした運の分だけ良いことがこっちでちゃんと起こっているように思う。少なくとも今の職場はストレスとは無縁である。

 献血した400mlもどこかで誰かの役に立っているかもしれない。もしかしたらアマのジャッキーな血が混じって迷惑しているかもしれないが、それは笑って許してもらおう。個人のささやかな思い込みであるが、それで日々穏やかに暮らせて、少しだけ誰かの役に立っているとしたら、まぁいいだろうと思う。これからも少しの不快と面倒とを自分のために引き受けていこうと思うのである・・・


rovinによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
  


2021年7月11日日曜日

天国と地獄

 生前、良い行いをした者は天国へ行き、逆に悪事を働いた者は地獄へ落ちるということは誰もが知っている話である。キリスト教でも仏教でも同じように天国と地獄があるのは偶然か、はたまたどこかで融合したのかは知らないが、昔はそれなりにいいことをしようというモチベーションと、悪いことはすまいという戒めとして子供に対する教育などの点で効果があったのだろうと思う。今はそういう効果はほとんどないかもしれない。

 それでも、ひどいことをされて泣き寝入りせざるを得ない状況なんかで、相手を恨んで「ろくな死に方はしないだろう」と考える程度は今でもあると思う。この世の中は、決して公平ではなく、むしろ当たり前のように不公平であり、理不尽である。清く正しく生きていても、幸せになれる保証は微塵もないし、ひどいことをしても何の咎めを受けないことも珍しいことではない。幸せになるか不幸になるかは、その人の行いとはまったく関係がない。まぁ、人に喜ばれる良いことをすれば、心の充足は得られるかもしれないが、悪いことをしてもそうかもしれない。

 『鬼滅の刃』19巻で登場する上弦の弐の鬼・童磨は「この世界には天国も地獄も存在しない。それは人間による空想」だと断じる。「悪人がのさばって面白おかしく生きていても天罰は下らない。だからせめて悪人は死後地獄に行くって思わなきゃ精神の弱い人はやってられないでしょ」と語る。身も蓋もないと言えばそれまでであるが、その通りだと思う。これだけ酷いことをした相手が何の咎めも受けず、バチも当たらずのほほんと生きているのが悔しいという思いがあり、消化できないその思いをせめて「いつかバチが当たるに違いない」と思うことで慰めるのである。

 イソップ童話に「すっぱい葡萄」という話がある。キツネが美味しそうなブドウを見つけるが、高いところにあって届かない。ついに諦めるが、その時に「あのブドウはすっぱくてまずいに違いない」と言って去るのである。「すっぱいから食べないほうがいいのだ」と思うことで、悔しい心を慰めているのである。身近なところでもそんな実例を目にしているが、この「すっぱいブドウ」の心境に「いつかバチが当たるに違いない」という心境は相通じるものがある。どちらも悔しい気持ちを無理やり納得させるものである。

 人は誰でも心の平穏を保っていたいものである。嬉しくてプラスになるのは構わないが、悔しくてマイナスになるのは堪らない。何とか悔しさを晴らしてプラスにしたいが、自分の力ではどうにもならない。そんな時、「神様はちゃんと見ているに違いない」、「いつか天罰が下るに違いない」と思うのは、心の平穏を保つためには効果のある考え方である。ただ、現実には天罰が下ることはない(たまたま下ることはあるかもしれないが、それはまったくの偶然である)。

 私はこうした「すっぱいブドウ」的な発想は封印するようにしている。食べられなかったブドウはきっと美味であるはずだし、諦める前に必死で何とかしようと創意工夫を重ねる。それでもダメだったら、潔く「美味しそうなブドウなのに食べられなかった」と敗北宣言を出す。酷いことをされても泣き寝入りをするのではなく、「何か一矢報いられないか」と考えるし、できないなら潔く「敗北宣言」を出して終わりにする。絶対に食べてもいないものを「すっぱい」とは言わない。何よりそれで慰められる自分ではない。

 「正しいことをしていれば神様が見ていてくださって、いつか幸せになれる」という考え方は、子供に対する教育的にはいいかもしれないが、そういうことはあり得ない。神様は存在していたとしても、1人ひとりの行いなんて見ていないし、その行いだって「自分から見た正しい行い」であって、他の人が見たら違うかもしれない。もっとも、人間なんでもドライに合理的に考えればいいというものではなく、「すっぱいブドウ」が必要な人もいるだろう。それはそれで否定はしない。ただ自分はそうではないというだけである。

 正しいことをするなら、それはいつか自分だけが天国に行くためではなく、いい事、正しいことをするのは自分が心地よいからであって、それ以上でも以下でもない。悪いことをすれば自分がカッコ悪くなるだけだし、人に恨みを買うようなことをすれば自分の居心地が悪いだけなので、そんなことはしない(ただし、それが「報復」なら話は別である)。あとでバチが当たるかもしれないから悪いことをしないのではなく、それがカッコ悪いからしないのである。それが証拠に、程度の軽い「ずるいこと」ならよくやっている。

 人生も後半戦に入ってくると、「自分だけが良ければそれでいい」とは思わなくなる。それは決して「きれいごと」ではなく、あえて人に恨みを買うくらいなら、あるいは人と揉めるくらいなら、多少損したっていいじゃないかという心境だろう。それは理屈ではなく、心の感じであり、どちらが心地よいかである。決して天国に行く準備ではない。人には慰めが必要であるが、自分にとってのそれは、「心の心地良さ」であって、天国や地獄や、「いつかバチが当たる」といったものではない。

 これからの残りの人生であるが、人には喜ばれる生き方をしたいと思う。きれいごとではなく、己の心地良さとしてそれを追求したいと思うのである・・・




【今週の読書】
  


2021年3月25日木曜日

勉強することができる幸せ

 息子が中学を卒業した。この4月からいよいよ高校生。いつのまにか私よりも背が高くなり、子供の成長というものを実感する。人生初めて臨んだ受験は、公立と私立それぞれ1校を受験し、両方合格して第一志望の都立高校に通うことになった。学費の面でも、親としては大変ありがたい。かくいう私も、公立高校、国立大学と学費的には親孝行であったと自負しているが、息子にもそうあって欲しいと願うところである。

 今は、いい時代だと思う。私の父は、中学を卒業してすぐに上京し、住み込みで働き始めたという。当初は地元で大工修行という話もあったらしいが、同級生が親戚の関係で上京することになり、ならばと一緒に出てきたという。労働基準法などあったのかなかったのか、朝6時に起きてから慌ただしく朝食と支度を済ませ、8時に出勤してくる職人さんのための準備をし、夜も遅くまで働き寝るのは12時過ぎだったという。

 その後、中小企業を渡り歩くが(当時はそんな風潮だったらしい)、ある時、大手の会社に面接に行ったらしい。そこでは、中卒ではせいぜい工場長止まりと言われたと言う。父は技術者としては腕が良かったらしく、行く先々で重宝されていたから、この時はじめて「学歴の壁」を感じたらしい。あまりはっきり聞いたことはないが、高校へ行けなかった無念が改めて実感された瞬間だったのではないかと思う。

 そんな父の世代の猛烈な働きで、日本は敗戦時の最貧国状態からわずか20年でオリンピックを誘致できるまでに経済成長し、私はなんの障害もなく高校・大学と進学できた。父の実家は貧しい農家で、父は小学校時代、裕福な家の子が短くなって捨てた鉛筆をこっそり拾って使ったこともあったという。一方、同年代の義父は大学を出ているから、ある程度家庭環境の差もあるが、私も父の時代であれば、よくても高校までしか進学できなかったのだろう(父と同じ年の母は兄の支援で高校へ行けたという)。

 私は大学受験は現役の時は1校だけしか受けずに落ちて浪人した。予備校に行かせてもらうのも悪いと宅浪して2年目に合格した。予備校に通っていもあまり熱心に勉強していない友人も多かったし、大学ではまわりはみんな授業に出ずにいかに単位だけ取るかに腐心していた。友人たちの授業の平均出席数は週5コマ未満であったが、私は12コマ出ていた。知的好奇心ももちろんあったが、大学へ進学できるありがたさを考えれば「単位だけ取って遊ぶ」という選択肢は私にはなかったのである。

 よく子供が「どうして勉強しないといけないのか」と聞くことがある。小学生あたりでは理解が難しいかもしれないが、勉強は「しないといけない」ものではなく、「する事ができる」ものである。父の田舎にある寺の和尚さんは、ノートを3回使ったという。一度端まで使った後、逆さにしてもう一度使い、さらに赤鉛筆でもう一度使い、最後は真っ黒になったらしい。そんなことが可能だったのかわからないが、そういう思いをしてまで勉強していた人たちからすれば、勉強できるのにしないという贅沢などありえないだろう。

 人は当たり前になればありがたみを忘れる。紛争地帯にあっては命の心配をしなくていい環境はそれだけで何物にも代えがたいだろうし、砂漠にあっては一杯の水が貴重だろう。だが、紛争地帯にあってはじめて平和のありがたさを実感するのではなく、砂漠で水の貴重さを実感するのでもなく、普通に勉強できる環境にあって勉強できるありがたさを感受できるようでありたいと思う。そしてできれば息子にもそれを感じ取って欲しいと思う。

 先日、息子と2人で私の実家へ行ってきたが、行きの車中で父の経験談を聞かせた。70年前、息子と同じ年の父は、友達と2人で見も知らぬ東京へと出てきた。故郷から東京まで汽車で6時間。今よりはるかに遠かっただろうし、心細かっただろうと思う。私も息子も何の不安もなく当たり前のように進学したが、味わわなくて済んだ身近な父の苦労をせめて想像だけでもしたいと思う。息子がどんな風に思ったのかはわからないが、少しでも何かを感じ取ってくれたらと思う。

 息子にはあえて勉強しろとは言うつもりはない。ただ、勉強は「する事ができる」ものだとは思ってもらいたい。高校の3年間は実に楽しいものであった。勉強も頑張ったし、ラグビーも頑張った。息子にも同じように勉強に野球に友達との思い出作りに最良の3年間を過ごして欲しいと思う。これから楽しい高校生活を迎える息子を羨ましく思いつつ、エールを送りたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 



2020年5月6日水曜日

幸福について

幸福は人が人生の目標として掲げる1つとして間違いないだろう。人は皆幸福を求めるものだろうし、求めない者などいないだろう。ではその幸福とは一体なんだろうか。コロナ自粛で家にこもっていると、そんなことをつらつら考えてみる。

とりあえず今自分は幸せだろうかと問うてみると、なんとなく幸せのような気がする。はっきり断言しにくいのは、「取り立てて不幸だという理由もないがもっと幸せになる要素があるような気がする」からである。貧困国に生まれて11ドル以下で生活する人に比べたら、我々日本人はそれだけで幸せだと思うが、不景気で失業し住むところも失うかもしれないと言う人にしてみれば、とても幸せなどといえないだろう。そういう意味で、幸福は相対的なものと言える。

しかし、例えば天涯孤独で仕事もアルバイトで食い繋ぎ、細々と一人暮らしをしている人がいたとして、その人が不幸かどうかは傍からは断言できないであろう。その人なりに少ない収入の中でも仲間と交流したり、ささやかな趣味に没頭したりとそれなりに幸せに生きているかもしれない。他人と比較して幸不幸を決めることは当然できない。金持ちで豪邸に住んでいても、不幸を抱えている人はいるだろう。そう考えると、幸福は絶対的なものであるとも言える。

幸福とは自分のものか他人のものか。一見、幸福とは自分の幸福だと思うが、そうでもない。例えば初詣でいつも神様にお願いするのは家族の健康。自分のことはお願いしない。家族が(特に子供が)健康で幸せであればというのが私の変わらぬ願い。幸福が自分のものかと考えてみると、ここにおいては子供や親(他人)のものである。ただ、それで自分が幸せになれるわけであり、そういう意味では幸福は自分のものでもある。

幸福は目に見えるものだろうか、それとも目には見えないものだろうか。なんとなく目に見えるものではないように思うが、子供が喜ぶ姿を見ているとたいていの親は幸せ感に包まれる。子供の喜ぶ顔という形で幸福は目にすることができる。子供に限らず、自分のしたことで誰か他の人が幸せになっているのを見ることは、とてつもない幸せである。そう考えると、幸福は目に見えるものである。

幸福は数えられるものだろうか、それとも数えられるようなものではないだろうか。なんとなく数えられるようなものではない気がするが、例えば結婚しても子宝に恵まれない人はいるもので、子供がいるということは間違いなく「1つの幸福」である。それと同様に、仕事があって収入が安定していること、家族が健康でいること、毎週末になんの気兼ねもなしに映画が観られること、これら1つ1つが幸せと考えれば、幸福は数えられる。

幸福に大きさはあるのだろうかと考えると、実はある。例えば安定した仕事があることは1つの幸福ではあるが、それで人生すべて幸せになれるというものではない。それは「1つの」幸せであり、「小さな幸せ」である。「週末の深夜に1人で映画を観る」というのは、私の幸せを感じる瞬間であるが、それが人生の幸せすべてではない。いわば「小さな幸せ」であり、「大きな幸せ」を構成する1つの要素と言える。そう考えれれば、「幸福には大きさがある」と言える。

幸福は一時的なものか、それとも永続的なものか。今、幸せかと問われてもそうだと答えても、明日には不幸になるかもしれない。禍福は糾える縄の如しで、今日は幸せを感じていても、明日は不幸のどん底に落ちるかもしれない。1つ1つの幸福は永遠のものではないが、その1つ1つが織りなす人生全体で見れば「いい人生」を送れた人は永続的な幸福を満喫できたと言えるかもしれない。そう考えると、幸福は一時的なものであり、永続的なものとも言える。

幸福は「長ければ長いほど良い」のだろうか。例えば交通事故で死ぬことは不幸であるだろう。では94年間幸せに生きてきて、最後に交通事故で死んだ人は不幸なのだろうか。なんとなくそうではない気がする。逆にずっと不幸な人生を送ってきた人が、最後は幸せに包まれて安らかに息を引き取った場合、その人は不幸な人生を送ったことになるのだろうか。これもなんとなくそうではない気がする。幸福は「長ければ良い」と言うものでもなさそうである。

人が幸福かどうかはどうしたらわかるのだろうか。例えばある人が火事で焼死したとしたら、その人は不幸なのだろうか。少なくとも周りの人はそう思うだろう。でももしそれが、子供を助けた末の焼死だったらどうだろうか。周りの人はともかく、(自分だったら)しっかり自分の子供を守っての死であればむしろ幸福だろう(もちろん、自分も死なないのが良いに決まっているが)。人が幸福かどうかは、結局その人でないとわからない。

幸福は量か質かという問題もある。小さな幸福が数多く集まれば大きな幸福になることは間違いないが、「これだけあれば幸せ」というのもあるだろう。そういう意味で、幸福は量でもあり、質でもあると言えるのかもしれない。とりとめもなく考えてみると、幸福はいろいろな角度から眺めることができる。突き詰めると、半分水が入ったコップを「半分しか」入っていないと考えるか、「半分も」入っていると考えるかの例ではないが、「考え方次第」と言うところもあるだろう。

何をもって幸福とするかは、人それぞれだろう。小さな幸福を積み上げる人もいるかもしれないし、今一瞬の幸福を追求するタイプもいるかもしれない。やっぱり幸福な人生を送りたいと思うが、それには何が自分にとって幸福なのかを考えないといけない。ただ漠然と幸福になりたいと思っていても、いつまでも追い求め続けて満足できないかもしれない。逆説的かもしれないが、幸福は「不幸でない」ことであるとも言える。自分が幸福なのかどうかわからなかったら、「不幸かどうか」を考えてみても良いかもしれない。不幸でなければそれでよし。それがすなわち幸福とも言える。

 人生折り返し地点は過ぎたと思うが、残りの人生を幸福に送りたいと思う。されど不安要素はたくさんある。多くは望まないが、不幸をできるだけ回避したいとは強く思う。自分にとっての幸福とは、「不幸でないこと」かもしれない。そんな幸福をこれからもずっと求めてもいってもいいのではないかと、家にこもりつつ思うのである・・・



→ 『幸せはお金で買えるか』



2020年2月6日木曜日

むなしい理想

  親として子どもが生まれた時に考えたことの一つとして、「読書習慣をつけてあげる」というのがある。これは息子が中学生になった現在も続いていて、適宜親からの「推薦図書」を読ませている。娘は離れてしまったが、息子はいまのところ素直にそれに従って読んでくれている。しかし、さすがに中学生になると好みの問題も出てきて、モノによっては「なかなか読まない」こともある。そんな時は諦めて別の推薦図書を渡すのである。そして今回渡したのが、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』『最後のひと葉』である。

もう有名すぎるくらいの定番であるが、やっぱり早いうちに読ませたいと思ってのことである。懐かしさもあって、ついでにサラサラッと読んでみる。短編だけにすぐ読めてしまう。物語はニューヨークに住む若い夫婦の話。貧しくてクリスマスなのに相手にプレゼントを買うお金もない。思いあぐねて、妻のデラは自慢の長い髪を売って夫のジムのために懐中時計につける鎖を買う。それはジムの唯一の自慢の時計だったが、鎖がなくて人前で時計を見るのを躊躇しているのを知っていたからである。ところが、帰ってきたジムにそれを見せると、ジムはジムでデラへのプレゼントとして以前からデラが欲しそうにしていた櫛を買うために時計を売ってしまったというもの。

お互いに相手のことを考え、自分の大切なものを手放したが、それが結局役に立たなかった(デラの場合は髪が伸びるまでの間)という話。これを最初に読んだのはたぶん中学生の頃だったと思うが、当時は(今もだが)「こんな夫婦になりたいな」と思ったものである。冷たい現実の前にはただただ愕然とするだけだが、今でも限りない理想として、果たせぬ夢として心の中にある。もっとも、今の恵まれた時代でこういう理想を追求する方が無理なのかもしれないと、とっくに諦めてはいるのだが・・・・

結婚した当初、2LDKのマンションで新婚生活を始めたが、ある時近所を散歩していて昔懐かしい古アパートを見つけた。若くてお金がないうちは、六畳一間のアパートでもお互いの存在があれば満足だと思っていたからそんな話を妻にしたのだが、妻には「いややわこんなカンカンアパート」と一蹴されてしまった(階段を歩く時の音から妻はこう表現したのである)。もちろん、それなりに収入はあったからずっといいマンションで生活を始めたが、気持ち的には正直なところだっただけに、己の理想とする愛の姿に冷水を浴びせかけられた最初である。

所詮、布施明の『積み木の部屋』を聞いて育った私とは価値観が合わなかったのだろうが、それはやっぱり桃源郷なのかもしれないとも思う。恋愛結婚した当初は、相手のためには「あれもこれもしてあげたい」と思うのだろうが、それがだんだんと「あれもこれもしてくれない」に変わる。結婚相手に求める条件として「三高」なんてことが言われた時代があったが、本当に悲しい気持ちがしたものである。ちなみに昨今は「四低(低姿勢・低依存・低リスク・低燃費)」だそうであるが、どちらにしても「なんだかなぁ」と思わざるを得ない。ケネディの言葉ではないが、「相手が自分に何をしてくれるではなく、自分が相手ができるか」を問うてほしいものである。

自分は理想を掲げ、あくまでもそれを目指して生きたいと思うタイプである。「理想は理想、現実は現実」と割り切って考えるのも悪くはないと思うが、理想主義者の私としては、やっぱり「愛こそすべて」と思うし、その通りに生きたいと思う。だが、それはむなしい理想に過ぎないのだろう。娘もいつか結婚すると思うが、その時には純粋に相手の男に対し、勤務先だとか年収だとかを考慮することなく決めて欲しいと思う(とは言っても私の気に入る相手にしてほしいとだけは思うのだが・・・)。

 さて、息子は『賢者の贈り物』を読んでどんな感想を持つのだろうか。願わくば、それを読ませた親父の意図を少しでも汲んでくれたらと思うのである・・・






【本日の読書】