2011年1月20日木曜日

献血会場にて

昨日突然献血をした。
職場のある本部ビルに日本赤十字のスタッフがわざわざやって来て、ご丁寧に館内放送で案内までしてくれたのである。
同僚のFが行くと言うのを聞いて、突然思い立ったのだ。

献血なんて、実は18の時に高校の前に止まっていた献血車で体験して以来の事だ。
事前に個人情報を登録してもらい、医師の問診を受け、テストで採血され、そのあとようやく採血に至るという手順だった。医師の問診では海外の渡航歴を聞かれた。
初めて行った学生時代の卒業旅行まで遡って告白させられた。

一緒に行った同僚Fはここでアウト。
何でも英国に短期留学歴があるのが問題になったらしい。
狂牛病の問題があってダメだと言う事なのだが、イギリス人が聞いたら怒るんじゃないだろうかと余計な心配をしてしまった。
彼が短期留学していたのは、何と20年前の事なのである・・・

手続きを受けながら、なんとはなしに担当の人とおしゃべり。
今は血液は足りないのかと聞くと、そうでもないが、血液は「生もの」ゆえにストックがきかず、したがって常に集め続けないといけないと言うことだった。
特に東京は人口の集中に加え、大学病院等がたくさんあり、需要が大きいらしい。
地方から東京の病院に手術を受けにくるなんてケースもあるからよけいらしい。

いざ採血となる。
二つのベッドに一人の看護師という形でずらりとベッドが並んでいる。
幸運にも担当の看護師が若くて美人。
やっぱり針を刺されて己の血液が流れて行くのを見るというのは、あまり良い気持ちがしない。
それは看護師さんが美人でもあまり関係ないが、それでも多少気持ちが和らぐ。
自分の血液が透明な管を通って機械に吸い込まれていくのを眺めて過ごす・・・

終わってクッキーとジュースをもらう。
そう言えば昔「売血」なんて事があったと聞いている。
ふと今日の400ccは売ったとしたらいくらなんだろうと考えた。
昭和40年頃は200ccで400円だったと言う話もあり、それだと今なら4倍くらいの値段だという。
それならちょっとしたこずかい稼ぎになる。
今の経済環境下だとだいぶ売れる気もする。

私の血液にはナンバーが振られ、番号も教えられた。
「不特定多数の異性と性的接触をもった」「男同士で性的接触をもった」など何回も聞かれ、何回もNOと答えたのだが、それでも言い出せなかった人は自動応答電話で番号を言えば血液を破棄してくれるのだという。ご丁寧な事である。

しかし、という事はきちんとトレーサビリティーが確立しているわけで、どこでどういう人からいつ取った血液だという事がわかるわけで、輸血の現場で、「これは取れたての若い男性の生きの良い血液ですよ」なんて会話も可能なわけである。
お金持ちなら看護師さんにそっと包んで、「一つ生きの良いやつを頼みます」なんてできるわけだ。
もっとも本気でそんな事を言ったら、現場の人たちに大目玉を食らうに違いない。

今では法律で売血は禁止されている。
命を削って金に変える行為でもあり、やっぱり倫理・モラルの点から好ましくないのだろう。
でもイランでは臓器売買が認められているというから、倫理・モラルと言っても所によりけりだ。

お金はもらえなくても、何となく一日一膳を達成した気分にはなれる。
普段からあまり世の中に貢献していない気もするから、たまにはいいだろう。
今日作ってもらった献血カードだって、携行していたらひょっとすると何かの時に役立つかもしれない。こうした世の中に対するちょっとした貢献も、これからは折に触れてやっていこうかと思うのである・・・


【本日の読書】
「フリー<無料>からお金を生み出す新戦略」クリス・アンダーソン
【超ヤバイ経済学】スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・タブナー
   

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