2011年1月29日土曜日

無駄なことなどないのである

人生に無駄なことがあると思うから無駄な事が起き、無駄な事はないと思うから無駄な事がなくなる
(いつだったか何かで読んでメモした言葉より)
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危機的水準にある我が国の国家予算。
打開策として消費税増税が話題に上っては消えを繰り返している。
大多数の国民としては、「消費税増税は仕方ないとしても、その前に支出を何とかしろよ」という気持ちだろうと思う。事業仕分も何だか失速気味だし、「無駄を省く」という掛け声ばかりで、予算編成は変わる気配もない。

そもそもであるが、「国家予算から無駄を省く」という考えがおかしいのだろう。
きっとお役人のみなさんは、「国家予算に無駄など1円もない」と思っているに違いない。
あればそれこそ「税金の無駄遣い」であり、そんなとんでもない事をお役人がやるわけないのである。だからこそ、政治家が掛け声勇ましく頑張っても、「大山鳴動してネズミ一匹」なのだと思う。

先日、近所の奥様が署名のお願いにやってきた。
なんでもそのうちの子が通う中学校(我が家から一番近い、いつも選挙に使われている中学校だ)の校庭のど真ん中を道路が通るらしい。久々に驚いてしまった。
その中学校は住宅街のまん真ん中にあるのである。
なんでそんなところに道路なんて、と絶句・・・

おそらく戦後の復興期の計画道路なのかもしれない(我が実家も実は計画道路上にあり、固定資産税の優遇を受けている)。一体、今の今頃何でこんな住宅街の真ん中に道路を通す必要性があるのか、まったく理解に苦しむ。別に周辺に渋滞が多くて困っているなんて事情などない。周辺住民は実に静かな環境で快適に暮らしている。

反対運動は静かに起こっているようであるが、たぶんこの計画の必要性をお役人様に尋ねたら、山のようにもっともな回答が返ってくるだろう。
「無駄」などと言おうものなら、猛反撃を食らうに違いない。
だが、「今作らねばならぬほど差し迫って国民に必要と求められているのか?」「必要としている人がいるとしたら、それはどういう人たちなのか?」と尋ねたら、たぶん異なる答えが返ってきそうな気がする。地元の反対運動を見せたら余計にそうだ。

これこそが、お役人様には理解できない「無駄」の正体なのだろう。
きっとそういう例が腐るほどあるに違いない。
みんな「必要な予算」として扱われているのだ。
立ち退き費用なんていくらかかるのだろうと考えると恐ろしいものがある。

人生には無駄なことなど何一つないと思う。
国家予算にも当然そうあってほしい。
ただ「無駄」と「差し迫った必要性」とはうまくわけて使いこなしてほしいと思う。
いずれ重税に圧迫されて、水飲み百姓ならぬ水飲みサラリーマンになるなんて、そんな未来は想像したくないと思うのである・・・


【昨日の読書】
「トレードオフ」ジム・コリンズ
「燃ゆるとき」高杉良
    
  

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