2009年12月22日火曜日

JINにみる真のプロフェッショナル

 本日は二十四節気にいう「冬至」。野菜が不足しがちなこの時期に栄養価の高いかぼちゃを食すのも、精油成分や有機酸類が含まれ香りのよい「柚子湯」につかるのも、健康を保つという発想から、経験によってその科学的効用を知っていたからであり、そこには無病息災への祈りが込められている。また、冬至は年間を通して夜が一番長く昼が最も短い日でもある。つまり、この日以降は太陽が出ている時間がしだいに長くなり、「一陽来復」と言われるように「陰極まりて陽再び生じ始める日」でもある。「悪いことが長く続いたあとで,ようやく良い方へ向かうこと」という意味でも使われるが、一陽来復、季節が巡るように、誰のもとにも良い時期が必ず巡ってくるものだと、そう信じたいこの日この頃である・・・
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 テレビドラマ「JIN」が、先日最終回を迎えた。我が家の奥様も「話しかけないで!」とあらかじめ周りをシャットアウトしてテレビの前に陣取っていた。私自身はこのドラマは観ていない。しかしながら週に一度の楽しみにしている漫画喫茶で毎週1巻ずつ読んでいる。ドラマはほぼ原作通りに進んでおり、原作はまだまだ続くのであるが、ドラマは途中で終了となったようである。

 ストーリーは現代に生きる医師南方仁が江戸時代にタイムスリップしてしまう話である。140年ほど前の時代に現代の医療技術を持った医師がタイムスリップしたら・・・ちょっと想像しても面白そうであるが、実際漫画も面白く、ドラマも久々のヒットで視聴率も良かったようである。

 ところで原作を読んでいてつくづく思ったのである。現代の医師であれば誰でも南方仁のように活躍できるわけではないだろうな、と。ドラマの面白さはひとえに南方仁の創意工夫にかかっている。何せ現代医学の知識があるとはいえ、時は江戸時代、満足な道具が揃っているわけではない。仮に病名と手術の仕方を知っていても、何もない江戸時代ではどうしようもないだろう。

 例えば、エピソードの一つとして南方仁が梅毒治療のためペニシリンを精製するところがある。当時はまだペニシリンが発見されていない。「ペニシリンが効くんだがなぁ」と言ったところで、誰も凄いなんて言ってくれない。現代の医師であってもぶつぶつ言っているだけだったら、ただのでくの坊だ。ところが南方仁は、曖昧な記憶を頼りに手に入るものを使ってペニシリンを精製するのである。

 また、麻疹やコレラの流行に際しても、独自に工夫した点滴や原始的な療法で被害の拡大を防ぐ。江戸煩いとまで言われた脚気も、ビタミンB1を含む食物を取る事で治療する。ビタミンB1を多く含む食物を取ろうとしなかった患者に対しては、現代のアンドーナッツ仕立てのお菓子にして食べさせるといった工夫までするのである。そこには単に医療技術に留まらない、医学知識や食物や昔の人の知恵などの深い知識が見え隠れする。「設備が整っていないから治療できない」などと言っている医師にはとうていできない事である。

 現代は確かにかつてから比べたら遥かに進んでいる。しかし上っ面だけ使いこなせているからといって、果たしてそれが本物だろうかと考えてみてしまうのだ。例えば今の自分が江戸時代にタイムスリップしたとして、銀行員としての知識で当時の人々の尊敬を集められるようなものを、果たして示せるだろうか。「EXCELを使えば簡単に導き出せる」値を果たして紙と鉛筆で出せるか、と言ったらかなり心もとない。それどころかソロバンも使えないし、きっと商家の丁稚にも笑われてしまうに違いない。そういう意味では技術系の人なんかは有利かもしれない。

 技術系は確かに有利な部分はあるかもしれないが、自分の持っている知識と経験とが「道具頼み」になっていないかはよく考えてみる必要がある。何も江戸時代にタイムスリップしたら、なんて空想をする必要はない。アフリカあたりに行って、現地で放り出されたとしたら食べていけるかどうかでもいいかもしれない。言葉の問題はあるとしても、そこでも通用するようなものを身につけていたいと、漠然とではあるが思うのである。

 ドラマは終わってしまったが、原作はまだ16巻中の8巻目。終末の金曜日の仕事帰りに寄る漫画喫茶。まだまだゆっくりと楽しめそうである・・・


  
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

    

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