2023年10月31日火曜日

論語雑感 述而篇第七(その21)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「三人行、必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。」

【読み下し】

いはく、我われ三人にんと行かば、必かならず我が師を得。焉いづくんぞ其の善き者ものを澤びえらこれに從したがはん。其の善から不る者ものをし而これを改あらたむ。

【訳】

先師がいわれた。

「三人道連れをすれば、めいめいに二人の先生をもつことになる。善い道連れは手本になってくれるし、悪い道連れは、反省改過の刺戟になってくれる。」

『論語』全文・現代語訳

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 何にでも誰からでも学ぼうと思えば学べる。今では当たり前のことのように言われる事であるが、もしかしたらその大元はこの言葉なのかもしれない。通常、誰かから学ぶとすると、その人は「良い手本」であるが、当然、世の中には唾棄すべきような人もいる。そんな人から学ぶことなど何もないかと思えば、「そんな行為をすれば人に軽蔑される」という「反面教師」の部分もある。「反面教師」とはその言葉通り「やってはいけない事を教えてくれる先生」である。唾棄すべき行為をする人からすら学べるという考え方は大事だと思う。


 私の前職の社長は、私の高校の先輩で既知の間柄であったが、私が銀行を辞めるのを知って自分が経営する会社に誘ってくれたのである。三顧の礼とは言わないが、三度誘いの言葉をかけていただき、私も面白そうだと入社した。当時、その会社は赤字まみれであり、メイン銀行から新規融資を断られる状況だった。そこで私は一から事業のやり方を変え、最後には社名まで変える改革をし、一年目から黒字(と言ってもスレスレの黒字だったが)を計上し、以降6年連続で黒字計上して債務超過も解消した。6年目は過去最高益を見込むほどであった。


 そんなところ、新たな年度の始まりに突然全社員が解雇された。社長が、自分が引退するにあたり、誰にも告げずにM&Aで会社の売却を決めてしまったのである。買手から「社員は不要(その会社は不動産資産を多数所有しており、それだけが欲しかったのである)」と言われ、全職員を解雇したのである。しかも退職金は「退職金規定がないから払わない」というあきれた理由で、抗議したところ雀の涙ほどの退職金で「さようなら」であった。黒字にしてもらったところで用なしとされたのである。私の感覚ではよくそんなことができるなと思ったが、平気でできてしまう人であったのである。


 そういう人間であることを見抜けなかったのは私のミスと言えばミス。その後裁判にまで発展したが、来月和解するまで約1年半、不毛な時間を費やしてしまった。和解と言っても3:7で負けといったところである。ただ、その間、味わった諸々の経験はいい経験と言っても良い。世の中善人ばかりではないという当たり前の事実をしっかり認識できたし、今は結果的に良かったと思っているので、もう何の憤りもない。事実上負けの和解であるが、これで完璧に縁が切れるし、「勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる」と考えればこれもまた良しと考えている。


 良い手本から学ぶのはある意味当然であるが、苦い経験、忸怩たる思いを味わわされた経験も糧とする考え方も大事だろうと思う。何より精神的な安泰につながるところが大きい。実際、今の仕事と前職とを比べれば今の職場の方がはるかに良い。会社も大きいし、収入もここにきて前職を超えたし、第2・第3の給料によってこずかいも大幅に増えた。前職の社長が善人であったなら、そのまま経営を担っていただろうし、10人の会社でどこまで飛行できたかを考えると、結果としては圧倒的に良かったとしか言いようがない。そう考えると、恨みも雲散霧消してしまう。


 また、良い手本から学ぶのは誰でもできると思うが、「年下(目下)の者から学べるか」も重要であろう。そこには当然抵抗感があるのだが、その抵抗感をなくし、特に年下(目下)の者から学ぶ意識を持つのもできるようでないといけない。私も、ともすれば抵抗感に襲われるが、そこをぐっと意識して教えてもらうようにしている。それができるようになったのも、面白いことに「反面教師」の存在である。


 若い頃は、今のような「ハラスメント」という言葉などない時代で、上司は威厳を保とうとしている人が多かった。自分の指示ミスなど認めないし、そういう人に限って部下のミスには厳しい。当然、部下は陰口を叩くことになる。そういう経験をしてきた事もあり、私は自分のミスがあればすぐ認めるし、部下がミスをしても、それを事前に防げなかった自分が悪いと考えて対応している。たぶん、(他のことではわからないが)陰口は叩かれていないと思う。それにかつての上司のように知ったかぶりもしないし、わからないことは素直に部下にも教えてもらっている。


 それはラグビーでも同じ。自分より若い人でも上手い人がいれば素直に教えてもらうようにしている。相手も丁寧に教えてくれる。ラグビーなど、もろにできるできないがわかるから、下手にカッコつけても始まらないという事情もあるが、年下の者に教えてもらうのに抵抗感を持たなくて済む。間違えれば謝ればいいし、わからなければ教えてもらえばいい。上司だから、年上だからと威厳を保とうとすると、かえって失敗する。当たり前の事である。だが、かつても上司はできない人も多かった。


 改めて孔子の言葉として知ると、こんな昔から真理というのは変わらないのだと思う。そして改めて、かつての上司はみっともなかったと思う。自分は、もういい年になってきたが、何からでも誰からでも学び続けられるようでありたいと思うのである・・・


G.C.によるPixabayからの画像


【本日の読書】

   







2023年10月26日木曜日

人によって感覚は違う

 仕事で送られてきた書類に印鑑を押し、返信用の封筒に入れて返送する。返信用の封筒を眺めていつも思う。そこには宛名に「〇〇行」という文字がある。マナーとして、普通は「行」を斜線で消して「様」または「御中」と横に書いて投函する。ほんのささいな行為だが、なかなか面倒くさい。始めから「様」または「御中」としておいてくれればそのまま投函できるものを「行」としてあるから斜線で消してという作業をしないといけなくなる。クラス会の出欠を問う往復はがきでも同様だ。個人的にどうしても違和感を禁じ得ない。

 日本は謙譲の文化の国である。自分宛ての返信に「様」をつけるのはおこがましいとして「行」とする。しかし、受け取って返信する方は、そのままだと失礼だとして「様」に書き換える。最初から「様」にしておくか、「行」のまま送り返せばその分よけいな手間暇がかからなくて済む。ビジネス的には「無駄を省く」のは基本であるから、ここはどちらかにしたいところだ。「ちょっとぐらい」の手間やコストが積り積る。「ちょっとぐらい」という考え方自体がよくない。わずかな手間でも省く努力をするのがビジネス的には正しい。

 そういう考えで、最近は企業宛のはそのまま「行」で返送している(たまに気がついた女性社員が「様」に直してくれているが)。だが、個人宛だと躊躇してしまう。「マナー」を知らないのかと思われるのも癪な気がするが、知っててそのまま返信する真意を勘ぐられてもよろしくない。それに、「へりくだり」、「敬う」文化は無駄なことであっても大事だという風にも思う。O・ヘンリーの『賢者の贈り物』みたいなものと言えるかもしれない。お互いの無駄がお互いの思いやりとも言える。そう考えて、個人とビジネスとを今のところ分けて対応している。

 通勤電車では、毎朝一つ隣の駅で始発電車に乗っている。今朝、いつものように並んでいたら、隣のサラリーマンがおにぎりを食べていた。また、そのあと、会社の前の横断歩道を渡っていたら、反対側から歩いてきたOLと思しき女性がパンを齧っていた。いずれも私ならやらない行為である。歩きながら食べたり、外で立って食べるという行為に対し、どうも拒絶感がある。しかし、彼または彼女が常識知らずかというと、その「常識」も疑わしくなる。「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの言葉が脳裏をよぎる。

 毎朝寄る喫煙所は、このところ混みあっている。そんな時は外で少し待つのだが、そこでもう煙草に火をつける人がいる。電子タバコならまだしも、紙のたばこだと灰が落ちる。どうせ待っても数分なので、私はスマホでニュースを見ながら待つのだが、待てないで吸い始める人の感覚が理解できない。しかし、その人の感覚ではOKなのである。こういう感覚または常識の違いはどこから生じるのだろうかと思う。学校では教わらないことであるが、家庭の躾とかそれまで本人が置かれた環境の中で培ったものだろうが、不思議なものである。

 高校のラグビー部のOB会では事務局長を任されているが、会長はとにかく「メールに返信しない」人である。いちいち目下の者に丁寧に返信をしてくれとは言わないが、どうするかという問い合わせをしているのに返信してこない。私であればすぐに返信するのであるが、この会長の考えも理解できない。すぐに決められないなら決められないで、その旨返信してくれればいいものをそうしない。これは感覚・常識というより単に相手のことを考えないだけだろう。コミュニケーションとして重要な事であり、改善して欲しいと思うが、直接意見するのも憚られるので難儀している。

 考えてみれば、他人同士で衝突するのはたいていこの感覚・常識の違いによるものではないかと思う。「他人は自分とは違う感覚・常識で動いている」という理解があれば、無駄な衝突にはならず、相手に対する悪意を持つこともない。しかし、自分の感覚・常識で相手を測ろうとすると、それに反した行動を取る相手には「常識がない」という批判を浴びせてしまう。私も自分の感覚・常識で行動する人間の1人であり、もしかしたら「行」のまま送られてきた返信用の封筒を受け取り、その担当者から「常識がない」と思われているのかもしれない。

 みんなが同じ感覚・常識を備えていれば、人と人の間の衝突なんて起こらないように思う。されどそんな同じ感覚・常識で動くというのも、それはそれで問題がありそうに思う。そもそも「感覚」の点においては、違和感を防ぐことは不可能である。それは返信用封筒の「行」の記載1つとっても明らかである。通勤の始発電車に並んでいたサラリーマンだって、今朝はどうしても時間がなく、やむなくだったかもしれない(それでも私なら「食べない」という選択肢を選ぶだろうが・・・)。

 実家の母親も年齢のせいか、やたらと「常識外れ」という他人批判を繰り返す。私にはそんな母の「常識」もいかがかと思うが、母は「自分の常識」が世の中の常識だと信じて疑わない。そんな母の「常識」はちょっと相手の立場に立って考えれば非常識とは必ずしも言えない事が多い。そこには視野の狭さがある。たいていはそういう事が多いのではないかと思う。感覚の違いもいちいち目くじらを立てないようにすればなんでもないこと。人に迷惑がかからなければスルーするのが懸命だろう。そんな風に柳に風のごとく受け流していきたいと思う。

 ただ、必要事項に返信をよこさない会長の対応はやはり迷惑であり、イライラさせられる。これもあまり酷ければ辞任という形で距離を置くしかないと思うのである・・・



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【本日の読書】

 




2023年10月22日日曜日

遺伝の影響はどこまであるのか

 先日、『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』という本を読んだ。人間の遺伝にまつわる話である。内容的には特に興味を引くというものではなかった。もともと「遺伝」ということにあまり関心はなく、自分には大して影響も無い話だと感じていた事もあるし、内容的には当たり前のように感じる部分が多かった事もある。自分にはどうする事もできない遺伝の影響と言えば、顔形とか、特定の病気になりやすいとか、その程度だろうとなんとなく日頃感じているからである。

 決定的に否定できないのは「顔」だろうか。私の顔は父とも母ともあまり似ていない。それゆえに「橋の下で拾われてきた」と言われても、確信を持って否定できない。ところが、父の若かりし頃の写真を見ると、なんとなく自分に似ていると思う。初めて父の若い頃の写真を見た時、「間違いなく父の子である」という実感を持てて嬉しかったのを覚えている。さらに祖父の20代の頃の写真を見た時は尚更であった。私はむしろ父よりも祖父に似ているとさえ感じたのである。

 一方、同じ血を分けた兄弟である弟の方は、あまり父とは似ていない。昔の写真を見てもそうである。私自身、弟と似ていると思ったことはなく、父と祖父との繋がりの確信を得られた後となっては、むしろ弟の方が「橋の下」であると言えるかもしれないと思うほどである。だが、弟が生まれたという知らせを受け、父に連れられて生まれたばかりの弟を見に行った記憶がある(第一印象は「猿みたいだ」である)ので、もちろん、「橋の下」ではない。似ていないのは、遺伝子は両親から受け継ぐので、母親の遺伝子もかなり入っているからなのだろう(と言っても弟は母にもそれほど似ていない)。

 娘が生まれ、しばらくすると、なんとなく自分に似ていると思うようになった。小学生の頃は特にそうだったし、ママ友などにもよく指摘されていたから、自他ともに認めるところであった。娘は父親に似るとはよく言われるが、それは我が家の場合真実である。それに対して、妻は複雑な思いを抱いていたようだが、私としては確実に自分の遺伝子が生きていると実感できて喜ばしかったものである。今、成長して大人の女性になったが、今は残念ながらそれほど似ていないように思う。

 遺伝の影響はどの程度かはわからないが、夫婦2人の遺伝子が組み合わさっているのだから、子供に伝わる私の遺伝子は理論上50%である。という事は、何から何までまったく同じという事はあり得ず、従って「似ている」と言ってもパーツ的なものにとどまるのだろう。それに同じ人間でも年齢を経れば変わるので、親子であっても兄弟であっても、そっくりになるのは稀なのだろう。先の本でも、「遺伝と環境の影響は半々」と説かれていた。私も弟とはまったく性格が違う。同じ両親の元に生まれ、育っているにも関わらず、である。

 もっとも、「環境」も同じようでいて違うという。私は長男だが、弟は次男。「生まれた時に兄がいる」という環境は、私と弟とでは異なるわけで、兄弟だから同じ環境というわけではない。母はよく、「同じように育てているのに」とぼやいていたが、同じではなかったのである。さらに人は環境の影響を受ける。私は小学生の頃は漫画や小説にかなり人格面で影響を受けている。弟とは漫画の好みはまったく異なっていたので、この点でも同じではない。遺伝子もそこまで影響はしない。

 娘に続き、息子が生まれた時、私は同じ男として息子には「私が良かれと思う考え方」を伝授しようと思ったが、それはなかなか至難の業であることがわかった。何より息子と接する時間は妻の方が圧倒的に多い。「すべての息子をダメにするのは母親」という信念が私にはあるが、大いに危惧する状況が多々あった(が、何も口出しできなかった・・・)。遺伝子の影響も50%だし、思う通りには育てられないというのは、早々に悟った。育っている環境も、もちろん私とは大きく異なる。私にできることは、折に触れ、「父の考え」を語ることだけであると思う。

 遺伝の影響でもう一つ感じているのは、「基礎体力」だろうか。私はこれまでの人生でインフルエンザに罹った事は(記憶は、の方が正しいかもしれない)ない。高校生の時に熱で遅刻、早退はあるが、「病欠」はない。それは大学、社会人を通じて今に至るまで続いている。娘は肺炎で入院したが、息子はそういう経験は今のところない。病欠はほとんどない。父もそうであったし、89歳まで生きた祖父がどうだったかはわからないが、なんとなく、この丈夫な遺伝子はありがたいと思う。風邪は気合いで治せるし・・・

 遺伝という自分にはコントロールできないものに、いろいろと原因を求めるのは私の性には合わない。したがって、遺伝に原因を求めるのは、せいぜい顔形や病気になり難さくらいである。あとは自分の努力次第。できないのは力が足りないのであって遺伝のせいではない。ちなみに、先の本では、身体的な特徴は80%の確率で遺伝するというが、それもほどほどに考えている。確かに、息子は同じ年頃の時の私とほぼ同じ体型だが、そもそも明治の時代の日本人は皆背が低かったわけだし、環境の影響も多分にある。これも遺伝に原因を求める気持ちはない。

 本でも主張されていたが、「良いところは遺伝、悪いところは努力不足」と考える方が、生きる上では大切だと思う。遺伝とはそういうものと、これからも考えていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 



2023年10月18日水曜日

こずかい

 先日の事、家族で息子のこずかいの話題が出た。私は高校3年生の息子がいくらこずかいをもらっているか知らず、その時初めて4,000円だと知った。イメージとして5,000円くらいかなと思っていたので、少ないように感じた。あとで調べてみたら、高校生の平均は4,950円との事。私の抱いていたイメージとほぼ同じだったが、息子は平均よりもちょっと少ないようである。それでも息子はあまり使わないのか、特に不満はないようである。値上げ要請も特にない。まぁ、本人が満足しているならそれでいい。

 ところが、本人ではなくまわりの友達が不満らしい。まわりの友達は7,000~10,000円と高額なこずかいをもらっているらしいのだが、それでも不満で親と増額交渉をするらしい。しかし、その時親の方から我が息子の4,000円を採り上げられて、充分なはずと否決されるらしい。「お前のせいでこずかいを上げてもらえないからお前も上げてもらえ」と言われるらしい。母親たちのネットワークの恐ろしさでもあるが、微笑ましい話である。

 そう言えば、私の場合、親にこずかいをもらっていたのは中学生までであった。中学を卒業した時の春休みに近所の友達の大工をしているお父さんに、どういう経緯だったかアルバイトをさせてもらい、いくらかを手にした。それで夏休みまでもたせ、夏休みにまたアルバイトをしてこずかいを稼ぎ、それで当面賄い、また次の春休みにアルバイトをするという事を繰り返してこずかいを賄った。高校時代はそれで十分ではなかったが、何とか親にもらわずにすんだ。

 今から考えると、よくやりくりできたなと思う。ただ、考えてみれば集中して10日くらいアルバイトすれば30,000円くらい稼げるだろうし、そうすれば月5,000円として半年間は持つことになる。詳細は忘れてしまったが、たぶんそのあたりの金額でうまくやりくりできていたのだと思う。高校の時は結局、友達のお父さんのところで大工仕事の雑務をやらせてもらって過ごした。

 大学に入ると、さすがに支出も増え、家庭教師や防水工事など、いろいろなアルバイトをしてこずかいを稼いだ。さすがに学費や教科書代、定期代などは賄いきれずに親に出してもらったが、そういう「学業に関するもの以外」はすべて自分で稼いだ。当時の我が家はそれほど貧乏でもなかったが、それでも親に負担をかけないようにしようという意識は常にあったので、苦痛でもなんでもなかった。稼いだ中でやりくりし、奨学金ももらっていたので、なんとかなったのである。

 そんな話をしようかと思って思い留まった。何か嫌味的になるかもしれないし、自慢話になるだろう。その場で話したところで息子の心に何か響くかと言われれば、そうではないように思う。ただ、そういう自分の学生時代の考え方ややってきたことは、どこかのタイミングで話したいとは思う。面白いもので、息子には話したいが、娘にはどちらでもいい。息子にはそういう考え方をどこかで持ってほしいという思いがあるのも事実である。

 親としては、月に4,000円のこずかいを惜しむ気持ちはない。大学に入ったらさすがに値上げしないといけないだろうが、それが10,000~20,000円だとしても家計が苦しくなるわけではない。だが、アルバイトをして稼ぐということはしてもらいたいし、現役女子大生の娘もそうしている。それは単に「こずかい稼ぎ」という意味だけではなく、働くという事を通して社会の中で就業体験をしてもらいたいと思うからである。

 アルバイト経験は、いろいろな仕事をするいいチャンスである。私は基本的に体を動かして稼ぐ仕事が好きだったから、工事現場系の仕事を好んだものである。特に防水工事の仕事は、朝から職人さんたちと現場に行き、1日働いて帰りに7,000円とかをもらっていたのだが、非常に充実したバイトであった。生涯にわたってずっと続けたいとは思わなかったが、やって良かったと思っている。アルバイトは是非とも経験すべき事であると思う。

 基本的にこずかいは「与えられるもの」。増やそうと思ったら、息子の友達のように母親に(財布を握っているのはやはり母親なのだろう)頼まないといけない。そこにはどうしても、頭を下げて相手に依存する形になってしまう。私はもともと独立心旺盛だったので、高校生からこずかいは自分で稼ぐという事をしてきた。それはいまでもそうである。毎月給料からもらうこずかいだけではとうていやっていけない。かと言って、妻と値上げ交渉しても分が悪い。ならば自分で稼ぐしかない。そうして今も独自にこずかいを稼いでいる。

 息子にそうしろと言うつもりはないが、「こずかいがほしければ自分で稼ぐ」という考え方は持ってもらいたいと思う。私の今のこずかいは妻には内緒だが、それを隠しつつ、そのうちそういう考え方を伝えたいと思うのである・・・

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【本日の読書】

  






2023年10月15日日曜日

論語雑感 述而篇第七(その20)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子不語、怪、力、亂、神。

【読み下し】

けしきものうけるちからみだれかみかた

【訳】

先師は、妖怪変化とか、腕力沙汰とか、醜聞とか、超自然の霊とか、そういったことについては、決して話をされなかった。

『論語』全文・現代語訳

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 妖怪変化とは、幽霊とかその手の類のものであろうか。腕力沙汰とは勇ましい武勇伝の類い、醜聞とは他人の噂話の類い、そして超自然の霊とは人間の人知の及ばない類のものであろうか。なんとなくその手の話をしないというのは、自分と相通じるものがあるような気がする。その類の話というのは、突き詰めていくと物事を深く追求していかないということの裏返しのように思う。つまり、物事を突き詰めて考えていくと、自然とその手の話はしなくなるものではないかと思う。


 私は、基本的に幽霊や妖怪等を信じない。人間は死ぬと基本的には脳の活動が停止し、思考も停止する。思考が停止してしまった以上、幽霊が存在できる余地はない。もしかしたら、目に見えない生命エネルギーが人の死後しばらく残ることはあるかもしれない。それは誰かが入った後のトイレに残る残り香のようなものである。だが、それが人に祟りをもたらしたりするような事はありえない。そして妖怪はそもそも人間の空想の産物である。ゆえに、もしも心霊スポットなどで一晩過ごせと言われても、別に恐怖は感じない。もしもそんなところに人間の生命エネルギーが残っているなら、見てみたいと思うほどである。


 腕力沙汰は、武勇伝だろうか。殴り合いの喧嘩をして勝った時など、それを誰かに自慢したくなる。私も若い頃はそういう事がなきにしもあらずだったが、今はもうそういう事はない。基本的に喧嘩などしても益はない。避けられるなら避けた方が賢い。ただ、「降りかかる火の粉は払え火事の空」ではないが、身に降りかかってきた場合は、ある程度自分の身を守るくらいはできないといけないとは思っている。たとえ電車の中で喧嘩しても、すぐにその場を立ち去り、その事は誰にも言わないだろう。それは後で面倒な問題が起きるのを回避したいとまず考えるからである。


 他人の醜聞も、確かに内容によっては興味深く、面白いと思う。だから人から聞かされることに関しては興味が起こるのを禁じえない。人間は何より好奇心の生き物である。私も例外ではない。ただ、自分からそういう話をするかと言えば、そうではない。何かおかしな行動をとる人がいても、その人にはその人なりの理由があると思うからだし、その理由を自分なりに想像してみて、それで説明がつくのであればその行動自体は仕方がないと考える。批判などはなるべく本人に直接伝えるのを好む。「陰でコソコソ」は自分を低める行為のように思えてしまう。


 超自然の霊は、理屈では説明できないようなことだろうか。そういう話は、なるべく自分なりに理由を考えてみる。ただ、それで説明できないとしても、それはそれで一旦は受け入れる。「こういう不思議な事があったが、理由はわからない」という具合である。それを神や妖怪変化や祟りの類にする事はない。不思議な現象があったとしても、それは奇跡的な偶然の一致だったり、何か自分のわからない原因があるからであり、わからないだけで原因がないわけではない。「わからない」ということに留めておいて、それを無理に超自然的なものに求めたりする必要はない。


 孔子もきっとそんな考えを持っていたのかもしれないと思う。理性的に考え、振る舞うのであれば、自ずとそういう態度になるものではないかと思う。安易に妖怪変化のせいにして恐れることもないし、思い込みが多分に入った噂話に夢中になることもない。そこには年齢による叡智もあるかもしれないが、自分もだいぶいい歳になってきたので、これからもそういうものとは無縁に過ごしたいと思うのである・・・


Ernie A. StephensによるPixabayからの画像

 【今週の読書】
  





2023年10月12日木曜日

習い事

 知人との会話の中で、「習い事」の話が出た。子供の習い事のことである。そう言えば、私も習い事をしていたなと思いだす。小学校の3年くらいだったか、母親に言われて習字を習いに行った。なぜ習字だったのかは覚えていないし、なぜ習いに行く気になったのかも覚えていない。言われるがままだったのか、自分でも面白そうだと思ったのかも覚えていない。確かなのは自分から言い出したものではないという事。畳敷きの部屋で他の生徒と一緒に母親くらいの感じの先生に習ったのをうっすらと覚えている。

 墨はすずりに水を入れて擦った。我が子が小学生の時、家で学校の書初めをしていたのを傍目で見た時、墨は墨汁をそのまま使っていた。今も習字を教えているところがあるのかはわからないし、今でも墨を擦るのかはわからないが、その当時は墨はすずりで擦るものだった。とめやはねなど教えられたのを覚えている。どのくらい通ったのか、なぜやめてしまったのかも覚えていないが、自分の字がうまいとは言えなくも、汚いとも言えないのは、この習字の経験があるからだろうと、会社の若手の書いた汚い字を見て思う。今はそもそも字を書くことが減っているから、よけいにうまくならないのだろう。

 次に通ったのは水泳だ。これも小学校3~4年の2年間だった。近所の水泳教室に通ったのを覚えている。これも母親に言われたものである。今でも覚えているのは、クロールを習い始めた時のこと、息継ぎの段階になったが、私は泳いでいるうちに苦しくなって勝手に息継ぎをしてしまった。すると、それを見ていた先生が、みんなの見本としてもう一度やれと言ってきた。その場で見本として泳いで見せたが、習う前に既に出来ていたのである。運動神経は良い方だったから珍しくもないが、なんとなく印象に残っている。

 水泳の経験はその後も役に立った。泳げない者は学校の水泳の授業でも肩身が狭いが、私にとっては楽しい時間だった。高校に入って水泳大会があったが、さすがに水泳部の人間にはかなわなかったが、それ以外の者とはスピードの面では負けていなかった。クロールも平泳ぎも背泳ぎもバタフライも一通りできるのはこの時の成果だし、子供が水泳教室に通うようになり、競争を挑まれたが、最後まで負けなかった(ママは娘が小学校4年生の時に負けていた)のもこの経験があったからだろう。

 少年野球のチームに入ったのは小学校4年生の時である。この頃、母親は何か息子にやらせようといろいろ考えていたのかもしれない。こちらは大好きな野球だったから、喜び勇んで毎週日曜日に練習に参加した。日本人だし、男だし、野球くらいは経験しておくべきだろうと今でも思う。基礎から教わり、こちらはチームスポーツだから連携プレーなんかもある。残念ながら「4番でエース」というわけにはいかなかったが、だいたい「2番ファースト」というのが自分の定位置であった。

 高校に入って部活を選ぶ際、野球は当然ながら筆頭候補であったが、当時は「野球は坊主頭」というおかしな不文律があって(今でもそれにこだわる意見がある)、そのバカさ加減が我慢できずに選択肢から外してしまった。おかげでラグビーと巡り合えたので良かったのだが、いまはそういう頭の古い不文律も少なくなって、おかげで息子は高校野球の道に進んでしまった。息子がラグビーを選ばなかったのは残念だが、まぁ、仕方がない。その息子が小学校の時に、ラグビーではなく野球をやらせることに同意したのは、やっぱり自分の経験もあったからである。

 中学生になって英語の教室に通った。勧めた母親にしてみれば、「受験」というのが頭にあったのだろう。私は当初それほど乗り気ではなかったが、親しくしていた友人が行くというので行く気になった。日本人女性講師の、今から思えば基礎的な教室だったが、割と真面目な私に対し友人は半分遊びのようであった。あんまりおもしろくなくてやめてしまったが、英語自体に興味がなかったわけではなく、たぶん外人の教師だったら続けていたと思う。「勉強」ではなく、「会話」であれば熱心に通っていたと思う。

 習い事はその程度。「塾」は母親に何度も勧められたが、こちらは断固として拒否した。勉強だけ習いに行くなんて面白くもなんともないという考えだった。小学生の頃ならまだしも、中学生ともなれば自我も強くなる。母親に言われるがままに通ったのは習字くらいで、面白味を感じなければ習う気にもならない。そう言えば、息子も小学校の低学年の時にママに「ダンス」を勧められて体験コースに行ったが、継続するのは拒否していた。我が子の方が自我の目覚めは早かったのかもしれない。

 学校で習わない事を校外で習い事として習うのはいいことだと思う。学校以外の友達もできるし、独自の世界の体験もできる。小学生の頃はそろばんを習っている友達がいて、いつも何やらぶつぶつ言って指を空で動かして計算してしまうのは凄いなと思ったが、私はなぜか習字だった。今度実家の母親になぜ習字だったのか聞いてみようかと思う。ただ、無駄だったとは思わない。自分だけだったらやらなかったかもしれないし、親の働きかけというのも大事なように思う。

 我が子は2人とも習い事をする年齢は過ぎてしまったが、これからは自分でやりたいことがあればなにかやるのだろう。小学生くらいの頃は、本人の意思も大事だが、わけのわからないうちにやらせてしまうのも良いのかもしれない。今振り返ってみると、やりたかったなと思うのは「ピアノ」と「柔道」だろうか。ピアノは家で練習できなかったし、柔道は「ガニ股になる」と反対する妻を見ると私が勧められなかったのもわかる気がする。やっぱり父親の関与が大事かもしれない。

 知人と話をしながら、そんなことを考えたのである・・・

Tania Van den BerghenによるPixabayからの画像

【本日の読書】

  


2023年10月8日日曜日

受験・浪人

 息子は現在高校3年生。現役バリバリの受験生である。私立文系の志望校を目指してどうやら毎日真面目に勉強しているようである。私も大学受験の時のことを思い出すが、気がつけばもう40年も前のことになる。高校3年生と受験に失敗して浪人した1年間とで2年間受験勉強に精を出していた。息子の勉強については、特に何も口出しをしていない。妻がしっかりサポートしているし、本人も別にアドバイスを望んではいないのだろう。寂しい気もするが、望まれぬことをするつもりもなく、このまま静かに見守るつもりである。

 ところが先日、妻から話があった。「息子が浪人するとなったらどうするか」と。突然の話で驚くと言うより、「何を今さら」と言うのが正直なところだった。長女も大学受験の時は1年浪人しているし、息子だけダメというわけにもいくまい。それに何より自分も1年浪人しているし、自分ができなかった現役合格を息子ができなかったとしても責めるのもおかしな話。本人が浪人して再チャレンジしたいというなら、それを拒否する理由などない。妻も同意見だったが、一応確認ということだったらしい。

 それはそうとして、まだ結果も出ていないうちから早い話ではあるのだが、いざ浪人となったら息子とは一度サシで話をしたいとは思う。そこでは自分の経験を踏まえて、息子に望むことを話したいと思う。40年前、私が受験した時、志望は「国公立」であった。それは主として受験料が私立よりも安いということだけの理由。別に当時、我が家は貧しかったわけではない(かと言って裕福だったわけでもない)が、父親の苦労話を聞いていたせいもあって、親にはあまり金をかけさせたくないという思いが強かったのである。

 父は長野県の富士見の出身で、当時、村全体が貧しかったようで、父は中学卒業と同時に友人と共に東京へ出てきて丁稚奉公に入っている。朝6時に起きて、8時に職人さんが来る前に仕事の準備をし、昼は立ったまま食事をし、夜の12時まで働いたそうである。今では労働基準法違反レベルではあるが、当時はそれがまかり通っていたようである。無一文で出てきて、真面目に働き、印刷工として腕は良かったらしく、独立しても固定客はずっとついていたらしい。ただ、商売が下手で、あまり儲けられなかったが、それでも私を大学に通わせ、家も買い、無借金で70歳で引退した。

 それに比較し、当たり前のように高校に行き、当たり前のように大学へも行ける自分は随分恵まれているものだと思っていた。父は小学校に入った頃に独立し、休みは週1日、毎日12時間、1人工場で黙々と働いていた。機械に腕を挟まれて大怪我をしたり、実家の祖母が病気の時は溜めていたお金をすべて躊躇なく送金したりということもあり、それが裕福ではなかった一因でもあったようである。そんな様子を見聞きしていたからかもしれないが、私は自然と「親に金を使わせないようにしなければ」という思いになっていた。高校に入るとアルバイトを始め、以来、親に小遣いはもらっていない。

 大学も、行くのが当然なのではなく(行かないという選択肢はなかったが)、それに甘えるのではなく、国公立へ行くのが筋だと考えた。1年目は「ダメなら浪人」と決めていたので志望校一本しか受けず、玉砕して浪人生活に突入。「予備校に行く」という選択肢は端からなかった(そこにはもう一つライバルに対する意識もあった)。宅浪中は110時間の勉強(日曜日は5時間)を自分に課し、それを1年間やり切った。終わった時は、何よりホッとしたし、仮にダメだった場合、「もう1年」は無理だと思った。それほどやり切ったのである。

 幸い、志望校には合格したが、この体験談は息子に語りたいと思う。何も「予備校に行くな」、「110時間勉強しろ」などというつもりはない。ただ、「結果よりもプロセスを重視する」とは言うつもりである。「自分でやり切った」と言えるくらいはやれとは言いたい。結果として志望校に落ちようが、どこの大学に行こうがそれは構わない。ただ、私に対して「やり切った」と言えるならそれでいいと言いたい。今は結果よりもプロセスが大事。プロセスがしっかりしているなら、結果はいずれどこかで帳尻は合うだろう。

 考えてみれば、自分は親によくいろいろな話を聞かされたが、自分はあまり娘にも息子にも自分の話をしていないように思う。あまり自慢めいた話が好きでないこともあるが、振り返れば何気なく父に聞かされたことが、自分の考え方にかなり影響していることに気づく。自分も疎まれたとしても、もう少し自分の考えを子供たちに語って聞かせた方がいいのかもしれない。折を見て、そんな時間を作ってみたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

  



2023年10月5日木曜日

インボイス制度と税務署の二枚舌

 いよいよ今月からインボイス制度がスタートした。と言っても、実際に実務として請求書のやり取りが始まるのは来月からになる。今現在は、取引のある個人事業者の方と最終確認中である。我が社でも法人との取引はみなインボイス制度を利用するための登録を済ませているので問題はないが、やはり個人事業者はバラツキがあり、取得しない個人事業者との交渉はまだまだ続いている。この制度は簡単だが複雑である。複雑にしているのは税務署であるが、そのツケは我々に回ってきている。何とも言えない、忸怩たる思いがする。

 インボイス制度の導入に際し、登録業者とならない個人事業者は免税事業者に留まる。消費税は売上に伴い顧客から受領した消費税と支払に際して払った消費税の差額を納税する。インボイス制度導入に伴い、支払った消費税が免税業者相手の取引では差し引けなくなる。つまり、我々からすれば「免税業者に支払う消費税を代わりに税務署に収める」という制度に他ならない。そうなると、登録番号を取得しない免税事業者に対して消費税を支払うと、税務署に納める分と併せて二重払いになる。したがって、「これからは消費税を払いません」と言うしかない。

 こういう交渉をしているのだが、免税業者からは反論が来る。曰く、「消費税分の値下げを要求されたら、そこは交渉の余地がある」と税務署に言われたと言うのである。それに対し、「値下げではない、免税業者は消費税の納税を免除されていて、我々がその分払うことになったので消費税は払えません」と回答しているが、相手も理解できずに話が長くなる。しかし、おかしいではないかと思う。税務署は、我々に対しては免税業者に消費税を支払ってもそれは認めず、その分を収めろと言いつつ、免税業者に対しては、消費税を払わないと言われたら抵抗しろと言う。典型的な二枚舌である。

 こんなことをやられたらたまったものではない。そもそも、本来消費税を導入した時に、「免税業者」などというものを認めたところに発端がある。まぁ、最初の緩和策としてはいいかもしれないが、それをやめるなら適切なプロセスでやめればいいわけで、それを(おそらく反対を恐れて)「インボイス制度」などというオブラートに三重くらいに包んでやろうとしているのである。最初から「小規模事業者の消費税免除をやめます」と直接言えばいいわけである。我々こそいい迷惑である。

 個人事業者も(今は「フリーランス」などとかっこよく称している)先日インボイス制度に反対するというデモをやっていたが、本来、消費税は国に納めるものである。今までそれをポケットに入れていたわけであるが、それが廃止されるのは当然と言えば当然である。それが嫌なら免税業者に消費税を払うのも本来はおかしいわけで、ポケットに入れられる「益税」がなくなるからと言って、文句を言う筋合いは本来ないはずである。長年甘んじてきた甘い汁が吸えなくなるからといって、反対しているのである。

 フリーランスと取引のない大手の企業は問題ないだろうが、取引のある中小企業は大変である。世の中の批判が嫌だからと言って、制度を複雑にして本質を見えないようにし、問題の所在を自分たちに向けさせまいという税務署のずるさには腹立たしい思いがする。それにしても、「小規模事業者の消費税免除をやめる」ということを直接宣言せず、インボイス制度などという分厚いオブラートを考え出すところは凄いと言えば凄い。我々が話をする個人事業者は誰1人としてこの本質に気づいていない。わけのわからないまま、「値下げするなんて酷いじゃないか」と批判の目を我々に向けてきているのである。

 国税局には優秀な人がたくさん採用されているから、本質をうまく隠して自分たちが矢面に立たないように複雑な制度を考えだしてきたのだろう。その効果は実に見事である。個人事業者の方も、ある人はわけのわからないまま登録業者を選択し、またある人は税務署の「支援」を受けて免税業者を選択している。こちらも丁寧に辛抱強く説明するしかない。免税業者を選択すると、我々が消費税を二重払いしないといけなくなるので、消費税は払えないと。そしてこれは「値下げ」ではないと。消費税を国に納めるなら(登録事業者になるなら)これまで通り消費税を払うと。

 残念ながら国家権力には勝てないので、税務署の二枚舌には対抗する術がない。せめて「値下げに対抗しろ」などと言うのはやめてほしいが、自分たちが悪者にならないように振る舞うのに精一杯なのであろう。個人事業者の方も、優秀だと思っていた人でさえ、「税務署に言われた」と金科玉条のごとく堂々と主張してくる。税務署も無責任極まりない。我々にできることは、丁寧に個人事業者の方にこの問題の本質を説明することである。そうして我々の利益を守っていこうと思うのである・・・

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【本日の読書】

  




2023年10月1日日曜日

論語雑感 述而篇第七(その19)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「我非生而知之者、好古、敏以求之者也。」

【読み下し】

いはく、われうま𣉻ものあらず、いにしへこのみて、くしもとむるものなり

【訳】

先師がいわれた。

「私は生れながらにして人倫の道を知っている者ではない。古聖の道を好み、汲々としてその探求をつづけているまでのことだ。」

『論語』全文・現代語訳

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 誰でもそうであるが、「生まれながらの・・・」という人間はいないと思っている。孔子とてそうであったはずである。子供の頃は鼻を垂らして近所の子供たちと遊び、親に叱られて泣いていたりもしたであろう。まぁ、それでも歴史に名前を残すような人物は、子供の頃から少しは人と違ったところはあったのかもしれない。だが、それでも偉人として人から慕われるようになったのは、ある程度大人になって歳をとってからの事であろう。スポーツや軍事指導者のような人物であればまだしも、思想的にとなるとやはりある程度の「熟成期間」は必要であろう。


 人間の考え方というものは、時間とともに変化していく。それも当然の事で、人は生きていく間に様々な経験を積む。その過程で考え方も変化していく。同じ人間でもずっと内面の面で同じという人はいないだろう。よく「丸くなった」と言われる人がいるが、それなども経験を積む事による内面の変化ではないかと思う。かく言う私も、20代の頃から比べれば随分謙虚になったと思う。それはたぶん、自分も世の中という広い世界の中ではごく普通の能力レベルの人間だという事がわかったからで、「我こそ最高!」と信じていた20代の頃から現実に気がついた結果とも言える。


 「大口を叩いた割には」というのは、人としても恥ずかしい経験の一つだろう。「あんな奴簡単にノックアウトしてやる!」と豪語していたボクサーが、試合であっさりノックアウト負けしたら世間的に恥をさらす事になる。勉強でもスポーツでも、強気なのはいいが、根拠のない自信ほど危ういものはない。もちろん、自分を鼓舞するとか、そういう考えあってのものもあるかもしれないが、深く考えもせずに自信満々というのは問題だろう。その危うさに気づけるのも、経験則と言えるかもしれない。そうした経験の積み重ねこそが「叡智」のような気もする。


 孔子の今回の言葉もそうした謙虚な叡智を感じる。人倫の道とやらを追求している。しかし、まだ完璧というわけではない。まだまだもっと道を極める必要があると感じている。しかし、側から見れば随分と先に進んでいるように思われる。だから「先生」と言われる。「先生」ともなれば、最初から偉人だったように思えてしまう。しかし、当の本人からすればまだ道半ば。そんなに奉られても困る。そういう感じがひしひしと伝わってくる。ソクラテスは「無知の知」を唱えたと言う。「自分は知らないという事を知っている」ということで、だからこそ人にも謙虚に聞く事ができる。


 レオナルド・ダ・ヴィンチは、なかなか作品を完成させなかったそうで、『モナリザ』や『聖アンナと聖母子』は、筆を加える余地がまだあるとして死ぬまで手放さなかったらしい。解剖から学んだ筋肉の表現を30年経ってから描き加えた作品もあったらしい。早々にこれで完成とするのもいいと思うが、レオナルド・ダ・ヴィンチはとことんこだわったらしい。完成したと思えばそこで終わり。まだまだ完成ではないと思えば、修行は続く。弟子たちから見れば完成形に見えた孔子も、本人はまだまだ未完と思っていたのかもしれない。


 自分はどうだろうかと考えてみる。日々是勉強だとは思うし、だから毎朝の通勤電車でのビジネス書読書はやめられない。会社の取締役として、経営の一翼を担っているという自覚はあり、それゆえに会社の舵取りに対する責任感もある。一歩間違えれば、社員を路頭に迷わす事にもなり、またそうなれば自分自身の身も危うい。のんびりふんぞり返っていられるほど左団扇ではない。少なくとも70歳までは働きたいと思っているから、引退するまでは学びはやめられないだろう。明日は今日よりも賢くなっていないといけないと思っているから尚更である。


 孔子のレベルとは大違いであるが、私なりに「汲々としてその探究を続けている」という自覚を持っている。引退したら、ホッとするのだろうか、それとも虚脱状態になるのだろうか。謙虚に学び続けるというよりは、正直言って下りのエレベーターを懸命に駆け上がっている感の方が強い。ただ、駆け上がれるうちは、頑張って駆け上がりたいと思う。引退する時、どんな自分になっているだろうか。これを読み返して、恥ずかしく思うようにはならないようにはしたいと思うのである・・・


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【今週の読書】