2009年12月31日木曜日

現役

「年の瀬や 川の流れと 人の身は あした待たるる その宝船」
  宝井其角と赤穂浪士の大高源吾が交わした歌

年の瀬の「瀬」は、川が浅く流れが急なところを指す。一年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過する。昔の人は、急流を船で越すように、年の暮れを乗り越えるという感覚であったというが、それは現代でもあまり変わらないように思う・・・
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 工藤公康投手が現役続行を宣言し、横浜から西武へと移籍する事になった。古巣に復帰するわけであるが、かつて西武に在籍していた時はエースとして何度も優勝に貢献した。FAでダイエー、そしてジャイアンツと移り、3年間横浜に在籍した上での古巣復帰である。46歳、現役生活26年はこれまでの野村監督の記録を抜いて歴代最長である。

 さすがに横浜移籍以降は勝ち星も少なくなり、とうとう戦力外通知を受けた。それでも現役続行を宣言して西武に復帰である。行く先々で中心投手として活躍し、知名度も高くもうそうとう稼いだであろう。プロ野球選手は体力勝負。40歳を越えて現役でいる事は難しいだろう。西武に復帰してもエースどころか、中継ぎとかワンポイントリリーフとか、そんな脇役的なマウンドとなるだろう。なのになぜ現役を続けるのだろうか?

 確かな事は、お金や名誉や記録のためではないだろうという事だ。それらはもうみんな手にしているはずだ。体を気遣った食事メニューなんかも有名だし、そこには一日でも長くマウンドに立ち、一球でも多く投げようという強い意欲が伺える。たぶん野球がとことん好きなのだろう。

 引退したジャイアンツの桑田も最後はジャイアンツで勇退の道を断って、あえて投げる機会を求めてメジャーに挑戦した。全盛期の選手のような流行のメジャー行きではなく、ジャイアンツで投げる機会が与えられないまま引退していくのを避けるための悲痛なメジャー挑戦だった。残念ながら有終の美を飾るというわけにはいかなかったが、「まだ投げたい」という気持ちには感じるものがあった。

 サッカーの元日本代表、ゴン中山も戦力外通知にめげず、現役続行を宣言して格下のJ2チームに移籍した。すでに十分な実績と名声があるだろうし、辞めても食べていくことは十分可能だろう。あのキャラクターであれば、タレントとしてもやっていけるだろう。にもかかわらず、陽の当たらないJ2チームで新しいシーズンを迎える道を選んだ。それは金のためであるはずがない。やっぱりサッカーが好きで、まだまだやりたい、やれるという気持ちが強いのだろう。矢吹丈のようにまだ心の中で燃えきらない灰が燻っているのかもしれない。

 ずっと続けてきた事を、ただ好きだから続けたいという気持ちだけで努力を続ける姿には心打たれるものがある。工藤や中山のファンだったというわけではないが、やっぱり一日でも長く現役を続けられるように応援したいと思う。

 スポーツ選手に比べたら体力的な限界はないのかもしれないが、アーチストの中にもそういう人はいる。矢沢永吉は還暦を迎えてもなお、現役のロックンローラーを続けている。桑田佳祐はいまだに同世代のみか若者にも受ける新曲を出し続けてヒットチャートに君臨している。新日鉄釜石で一時代を築いたラグビーの松尾は、今はラグビーでは2流の成城大学の監督をやりながら日本のラグビー界を底辺で支えている。

 工藤に現役最長記録を抜かれるまではずっと記録保持者だった野村監督の現役時代の座右の銘は「生涯一捕手」だった。自分はずっと一人のプレーヤーだというアイデンティティーをもって現役を続ける姿は見習いたいと思う。自分にはそんな一流の何かがあるわけではないが、気持ちだけはそういうつもりでいたいのだ。

 慌しい年の瀬。日付が変われば新しい年が明け、気がつけばいつもの日常生活。日々の生活の中に流される事なく、来年も何か心に残るような事を一つでも多く残したいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし


     

2009年12月28日月曜日

ライバル2

 受験の時に久しぶりに会った彼であるが、まったく変わっていなかった。お互いの嗜好も合わないまま。当時私はアントニオ猪木と新日本プロレスのストロングスタイルのプロレスが好きであったが、彼は全日本プロレスの天龍源一郎のファンだった。私は天龍のドンくさいプロレスは嫌いだった。

 一緒に受験し、一緒に合格発表を見に行った。受かるかどうか不安だったが、かと言って別々に行くのも逃げているようで嫌だったのだ。合格発表を見に行く道中、彼は自分は落ちると思っていて、浪人に備えて準備していると私に語った。ラジオ講座のテキストを買い、家で勉強しながらバイトもして、毎月2万円家に入れるのだと、そんな計画だった(私はといえば、その時自分だけ受かったら彼に何と慰めの言葉をかけたらよいだろうかと考えていたのである・・・)。彼は家があまり豊かではなく、したがって受験は国立のみ、予備校なんてとんでもないといった具合だったが、その点では彼も偉かったのだ。

 合格して飛び上がって喜ぶ彼の横で、私は掲示板を隅々まで探したが、自分の受験番号は見つけられなかった。屈辱的だったがオメオメ帰るのも癪だから合格手続きに付き合った。1年くらいの遅れはどうって事はない、来年受かれば良いのだ、そう自分に言い聞かせた。

 だが問題があった。予備校に行って受かっても、それはむしろ当然で、彼に追いついた事にはならない。彼がやろうとしていたのと同じ条件で受からないと・・・それで帰りの電車の中で、私は彼に自分も予備校には行かないと宅浪宣言した。彼は浪人生活に備えて自分が買っておいたテキスト一式を、その日のうちに私の家に届けてくれた。

 親や親戚はなぜ予備校に行かないのか、としつこく聞いてきた。私は浪人生は現役よりも遥かに使える時間が多い事、勉強するのも受験科目だけで良いこと、したがって現役生より有利であり問題はない、と論理的に答えていたが、本当のところは彼に負けたくなかったからなのだ。とはいえ、さすがに家に2万円入れるのは困難だったからやれなかったが・・・そして翌年、私は宣言通り彼に1年遅れて志望大学に合格した。

 彼は目標に向って猪突猛進するタイプである。弁護士になるのが目標で、脇目も振らず勉強して弁護士になった。同じ目標を立てて、同じ法学部で学んでいたが、私は法律と肌があわず、方向転換して金融の世界へ進んだ。法律は言ってみれば私にとっては「長距離走」と同じで、自分が生きるフィールドではないと判断したので、それは問題ない。

 あとはどれだけ充実した人生を送るか、だ。大学時代はそれなりに勉強したし、何よりラグビー部に入って世界が広がった。彼の4年間よりは充実していたはずだ。彼はまったくの奥手だから、女の子と付き合った経験だってこちらの方が上だろう(もっともフラれたのをマイナスとカウントするとトータルでは惨敗してしまうが、プラス面だけ比較することにする)。

 収入面では劣るかもしれないが、子供はうちの子の方が絶対可愛いだろうし、仕事面の充実振りや、仕事以外での世界の広がりでも負けていないだろう。もう10年以上会っていないが、いつか会った時にこの充実振りを見せつけてやるのだ。特急電車の如く人生を送るあいつに、各駅停車ながらも一駅一駅で人生を楽しむ姿をみせてやりたいと思うのだ。まだまだ負けるわけにはいかない。そのためにも来年もより一層心豊かに楽しく過ごそうと、そんな風に思うのだ。

 もうまもなく、あいつからまた味気ない年賀状が届くはずだ。それを凌駕する明るい年賀状を送りつけないといけない。今年は遅れをとったが、これからやるとしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子
     

     

2009年12月27日日曜日

ライバル1

 就職試験の面接で、「ライバルはいますか」と学生たちに尋ねると、「ライバルは自分です」と8割方が答えるそうである。そもそも今の時代ライバルのいる人なんていったら、何かスポーツでポジション争いをしているとか、そんな人だけなのではないかな、とふと思った。かく言う私自身も、これまでライバルなどと呼べるような存在はいなかった。

 「いなかった」と言いつつも、一人の男の顔が脳裏を過ぎる。その男は小中学校の同級生だ。といっても決してライバルという存在ではない。「ライバル」を定義するなら、「同レベルで甲乙つけ難く争っている者」と言えるだろう。そういう意味でも彼はライバルではない。

 確かに何かにつけて張り合っていた事は事実だ。小学生だから、それは本当に些細な事だった。例えばなぜか彼は中日ドラゴンズのファンだった。ジャイアンツファンの私とは、したがってよく互いの勝敗に一喜一憂していたものだ。ちょうどジャイアンツがV10を逃した年に優勝したのがドラゴンズだったから、彼は有頂天だった。私はその年の最終戦、長嶋茂雄が自らが引退するまさにその試合で、相手のドラゴンズからホームランを打って一矢報いた、といった具合だ。

 野球と言えば、彼も私もチームこそ違えど近所の野球チームに所属していた。彼の運動神経はお粗末そのもので、野球をする姿は滑稽。下手なお笑い芸人より笑わせてくれた。スポーツ全般で彼は私の足元にも及ばなかった。しかし、そんな彼でも唯一得意だったのが長距離走だった。

 中学生の時に品川区のマラソン大会に出場し、5キロ走った事がある。エントリーしたあと、彼と私を含む4人ぐらいで練習し、本番を向かえた。4人の中でトップは彼で、私は2番。もっともその時から、ただ黙々と走るだけの長距離は退屈この上なく、好きになれなかった私は、負けても悔しくもなんともなかった。長距離は私が闘うフィールドではないのだ。今も長距離では、他では負けず嫌いを自負する私でも、負けて悔しいという気持ちは起こりえない。

 将棋も彼には負けた事がない。彼は「将棋世界」という雑誌を定期購読し、勉強して初段をとった。私にそれを自慢しに来たが、ではと勝負をしてはそれまで通り返り討ちにした。無冠の私は彼にたった一度引き分けただけで、無敗を守り通したのだ。とてもではないが、彼は私のライバルたり得なかったのだ。

 高校は互いに違う都立高校に進学したため、年賀状だけのやり取りになった。大学受験を間近に控えたお正月、彼からの年賀状に息を飲んだ。彼はそこで私が目指しているのと同じ大学を受験すると宣言していたのだ。しかも同じ法学部だ。プレッシャーがかかってしまった。彼が長距離走に加えてもう一つ私より勝っていたものが、「勉強」だったのだ・・・

     


2009年12月24日木曜日

サンタクロース奮闘記

 街にジングルベルが流れるこの季節は、子供の頃から大好きな季節である。大人のクリスマスには反発を覚え(あんまり良い思い出がない)、浮かれている人達に向かっては、「けっ!」となってしまうが、やっぱり子供の頃からの印象ゆえか、この時期は心ウキウキするものがある。

 とはいえ、大人は大変である。早くから我が家の子供たちにサンタさんにお願いするものをリサーチし、心積もりをする。長女はDSの「ともだちコレクション」。長男は仮面ライダーWのベルト。

 12月に入りそろそろ買いに行くかと、会社帰りにまずはヨドバシカメラへ。ポイントが溜まっていて有効期限が近づいていたのだ。ところが、山のように積みあがったグッズの中に肝心のベルトがない。店員さんに聞いてみたら、売り切れでいつ入荷するかわからない、との事。たらり、と何やら嫌な予感とともに冷や汗が流れる。

 翌日仕事を早目に終えて、池袋へ。最初に行ったトイザらスも売り切れ。ならばと向ったヤマダ電機もビックカメラも売り切れ(最近は家電量販店でおもちゃを買う時代なのだ)。どうしようかと頭を抱えていたら、やっぱり仕事帰りと思しきサラリーマン風のサンタクロースがやってきて、キョロキョロしている。向った視線の先はといえば、ほんの少し前に藁をもすがる心境で私が何度も眺め回した棚。「売り切れみたいですよ」と優しい言葉をかけたくなった。そのあとの西武・東武のデパートもなし。

 さればとてネットで検索すると、4,700円ちょっとのベルトが、7,000~8,000円の価格はザラで、中には15,000円なんてとんでもないプレミアムがついて売られている。いくら子供のためとはいえ、そこまでしたくはない。みんなが殺到すれば、そんなところへは行きたくないという反発精神がこんなところでも働いてしまう。

 17日にはヤマダ電機で売り出しとのニュースをキャッチしたが、朝一で完売したらしい。豊島園のトイザらスは18日に入荷したが、私も妻も両方都合がつかず、やっぱり諦める。もっと早くに動けばよかった。やむなく第2希望のリボルキャリーに変更。

 こちらも南田中のヤマダ電機やトイザらスでは先週末に売れきれになり、明らかにベルトから流れてきたサンタが買っている傾向が伺えたので、あちこち走り回りダイエーでGET!(トイザらスより1,000円高かった・・・(T_T))

 思い起こせば、子供の頃サンタさんに救急車をリクエストしていたが、消防車をもらった事があった。「なかったんだって」という父親の説明に「ふ~ん」と答えた記憶がある。あの時のサンタもきっと仕事帰りに、今はなき武蔵小山商店街のおもちゃ屋「ささや」で探したんだろうなと思う。救急車がなくて、サンタさんがその時どんな心境だったか、今ならわかる気がする。

 いろいろとサンタさんにプレゼントをもらったと思うのだが、なぜだか覚えているのはその時もらった消防車の事だけだ。サンタさんの残念な気持ちが伝わったのかもしれない。ベルトをもらう気満々の長男はどんな反応を示すのだろう。もっと早くに動いていればと残念で仕方ないが、ひょっとしたらリボルキャリーもずっと記憶に残るプレゼントになるかもしれない。そうだと少しは報われる気もするが、どうだろうか。

今夜、そんな親の心は知らず、子供たちはどんな夢をみているのだろうかと思うのである・・・
  
 
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

    
    
       

2009年12月22日火曜日

JINにみる真のプロフェッショナル

 本日は二十四節気にいう「冬至」。野菜が不足しがちなこの時期に栄養価の高いかぼちゃを食すのも、精油成分や有機酸類が含まれ香りのよい「柚子湯」につかるのも、健康を保つという発想から、経験によってその科学的効用を知っていたからであり、そこには無病息災への祈りが込められている。また、冬至は年間を通して夜が一番長く昼が最も短い日でもある。つまり、この日以降は太陽が出ている時間がしだいに長くなり、「一陽来復」と言われるように「陰極まりて陽再び生じ始める日」でもある。「悪いことが長く続いたあとで,ようやく良い方へ向かうこと」という意味でも使われるが、一陽来復、季節が巡るように、誰のもとにも良い時期が必ず巡ってくるものだと、そう信じたいこの日この頃である・・・
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 テレビドラマ「JIN」が、先日最終回を迎えた。我が家の奥様も「話しかけないで!」とあらかじめ周りをシャットアウトしてテレビの前に陣取っていた。私自身はこのドラマは観ていない。しかしながら週に一度の楽しみにしている漫画喫茶で毎週1巻ずつ読んでいる。ドラマはほぼ原作通りに進んでおり、原作はまだまだ続くのであるが、ドラマは途中で終了となったようである。

 ストーリーは現代に生きる医師南方仁が江戸時代にタイムスリップしてしまう話である。140年ほど前の時代に現代の医療技術を持った医師がタイムスリップしたら・・・ちょっと想像しても面白そうであるが、実際漫画も面白く、ドラマも久々のヒットで視聴率も良かったようである。

 ところで原作を読んでいてつくづく思ったのである。現代の医師であれば誰でも南方仁のように活躍できるわけではないだろうな、と。ドラマの面白さはひとえに南方仁の創意工夫にかかっている。何せ現代医学の知識があるとはいえ、時は江戸時代、満足な道具が揃っているわけではない。仮に病名と手術の仕方を知っていても、何もない江戸時代ではどうしようもないだろう。

 例えば、エピソードの一つとして南方仁が梅毒治療のためペニシリンを精製するところがある。当時はまだペニシリンが発見されていない。「ペニシリンが効くんだがなぁ」と言ったところで、誰も凄いなんて言ってくれない。現代の医師であってもぶつぶつ言っているだけだったら、ただのでくの坊だ。ところが南方仁は、曖昧な記憶を頼りに手に入るものを使ってペニシリンを精製するのである。

 また、麻疹やコレラの流行に際しても、独自に工夫した点滴や原始的な療法で被害の拡大を防ぐ。江戸煩いとまで言われた脚気も、ビタミンB1を含む食物を取る事で治療する。ビタミンB1を多く含む食物を取ろうとしなかった患者に対しては、現代のアンドーナッツ仕立てのお菓子にして食べさせるといった工夫までするのである。そこには単に医療技術に留まらない、医学知識や食物や昔の人の知恵などの深い知識が見え隠れする。「設備が整っていないから治療できない」などと言っている医師にはとうていできない事である。

 現代は確かにかつてから比べたら遥かに進んでいる。しかし上っ面だけ使いこなせているからといって、果たしてそれが本物だろうかと考えてみてしまうのだ。例えば今の自分が江戸時代にタイムスリップしたとして、銀行員としての知識で当時の人々の尊敬を集められるようなものを、果たして示せるだろうか。「EXCELを使えば簡単に導き出せる」値を果たして紙と鉛筆で出せるか、と言ったらかなり心もとない。それどころかソロバンも使えないし、きっと商家の丁稚にも笑われてしまうに違いない。そういう意味では技術系の人なんかは有利かもしれない。

 技術系は確かに有利な部分はあるかもしれないが、自分の持っている知識と経験とが「道具頼み」になっていないかはよく考えてみる必要がある。何も江戸時代にタイムスリップしたら、なんて空想をする必要はない。アフリカあたりに行って、現地で放り出されたとしたら食べていけるかどうかでもいいかもしれない。言葉の問題はあるとしても、そこでも通用するようなものを身につけていたいと、漠然とではあるが思うのである。

 ドラマは終わってしまったが、原作はまだ16巻中の8巻目。終末の金曜日の仕事帰りに寄る漫画喫茶。まだまだゆっくりと楽しめそうである・・・


  
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

    

2009年12月19日土曜日

フランダースの犬

今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング

【男の子】             【女の子】
第1位(昨年1位)大翔「ひろと」 第1位(昨年4位)凜 「りん」
第2位(同6位)翔太「しょうた」   第2位(同 8位)さくら
第3位(同2位)蓮 「れん」      第3位(同 3位)陽菜「ひな」
第4位(同8位)颯太「そうた」     第4位(同 5位)結愛「ゆあ」
第5位(同10位)蒼空「そら」    第5位(同 6位)結奈「ゆな」
(ベネッセコーポレーション調査)
なんだか漫画の主人公みたいだなと思ってしまった・・・
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 自分が本好きだという理由もあるが、子供には読書の習慣をつけさせたいと常日頃考えている。小さい頃は図書館で借りてきた紙芝居を中心にし、やがて絵本から徐々にレベルを上げていく。幼稚園年少の長男は紙芝居と絵本が中心。小学校3年の長女には図書館で目についた本をパラパラとめくって、なるべくきちんとしたストーリーのモノを選ぶようにしている。

 自分で選ばせると、「ずっこけ3人組の~」とか「解決ゾロリシリーズ」なんかを読みたがるから、こちらでも選んでいるのだ。もっとも楽しいのが一番だから、そういうのも禁止したりはしないし「ブラック・ジャック」もそんなわけで読ませている。

 しかし、どうにも何か物足りない。もっと何か娘の心にインパクトを与えるようなものを読ませたいと思っていた。そんなところに思い出したのが「フランダースの犬」である。ちょうど日本版「フランダースの犬」という触れ込みの映画のCMをやっていたので思い出したのだ。「これだ!」と。

 さっそく読ませる事にした。実は私もいつだったか子供の頃、従妹の家でこの本を偶然読んだことがある。一気に読んでしまったのだが、その時子供心に大感動してしまった。ちょうど今の長女くらいかもっと小さかった頃だからちょうどよい。長女がどんな反応を見せるだろうか、とわくわくしながら何気なくページをめくる・・・

 おじいさんと二人暮らしの少年ネロが、虐げられて弱っていたパトラッシュを見つけ一緒に暮らし始める。貧しい中、ネロはパトラッシュと牛乳配達をして家計を助ける。絵が好きで、一度でいいからルーベンスの絵を見たいと憧れるも、お金がなくて見られない。そんな願望を友達の少女アロアを描いて紛らす。

 ある日アロアの家の小屋が火事になり、貧乏なくせに娘と仲良くするとネロを快く思わないアロアの父によりネロは放火の濡れ衣を着せられる。それが元でネロは仕事を失う。おじいさんも亡くなり、お金がなくなり、住んでいた家も追い出され、飢えと寒さの中、行き場を失ったネロは最後に憧れていたルーベンスの絵が飾られている大伽藍に行く。そして月明かりの中、ようやくルーベンスの2枚の絵を見る事ができたネロは、パトラッシュとともに静かに眠りにつく・・・

 何十年か振りに読みながら、不覚にもまたうるうるしてしまった・・・最近涙腺が緩くなっているから、子供の前だと危ない。それにしてももう少し周りの人達が早く手を差し伸べていたら、と子供のお話にも関わらず真面目に考えてしまう。自分はそんな時に手を差し伸べられる大人でありたい。そんな風に思う。

 さて、長女はこの本を読んでどんな感想を持つのだろうか。ちょっと楽しみである・・・


ネロが最後に見たルーベンスの絵
















2009年12月16日水曜日

終末のフール

 「終末のフール」を読んだ。ここでは詳しくは述べないが、小惑星の衝突により3年後に人類が滅亡するとわかった仙台市内のあるマンションの住人たちを描いた小説である。
読みながら、また妄想を膨らませた。もしも、3年後に人類が滅びるとしたら、自分はどうするだろう・・・

 たぶん、腹を括って残りをいかに充実して過ごすか考えるだろう。仕事は辞めて、子供たちと遊び、毎日映画を観て、本を読み、日本国中を車で旅するのもいいだろう。ハワイに行って、青い海と空を眺め、ビーチパラソルの下でトロピカルドリンクを飲んで、本を読むのだ。その前に少し走ってシェイプ・アップしないといけない。そうして最後の日を穏やかに迎えるのだ・・・

 となんとなく考えたが、ふと気がついた。他の人はどうするのだろう、と。そして重大な事に気がついた。みんながそんな風に考えたら、大変な事になる・・・

 当たり前の事だが、この世の中は相互依存社会だ。何をするにもどこかの誰かの力が必要になる。映画を観るには創る人がいて、上映する映画館があって(もちろん、そこで働く人がいて)、本屋さんで働く人がいないと本は買えないし、テレビもビデオもDVDも、そもそも電力の供給が止まったらそこまでだ。

 銀座に行くのだって西武鉄道の人達が働いていないといけない。車だってガソリンを供給してくれないとすぐに鉄くずだ。それに何より食料の流通に携る人達がいなくなったら、食べるものもなくなる。ただでさえ、食料自給率の低い我が国だ、たちまち飢えてしまう。食料の争奪戦が始まっても治安を維持する警察官が働いていなければ、まさに弱肉強食の無法地帯。3年どころか3ヶ月ともたないかもしれない・・・

 つまり、仕事を辞めて余生を面白おかしく過ごすためには、社会に生きる人達に今まで通り働いてもらわなければならない。それはまた自分も働かなければならないという事だ。「2012」では、混乱を恐れた各国首脳は人類滅亡のニュースを伏せて水面下で箱舟を用意した。終末のフール」では逆に8年前に公表し、混乱の5年間を過ごした。やっぱり、公表されて知ってしまうと自滅する可能性の方が高そうだ・・・

 でも調和を重んじる日本人なら、ひょっとしたらすべてを説明されれば、今の秩序を維持しながら最後の日を迎えられるかもしれない。一部には自暴自棄になる者たちも出てくるだろうが、みんなで協力し合って3年間を平和に過ごそうとなったら、他ならぬ我々日本人ならできるかもしれない。そんな風に思ってしまう。単なる希望的観測かもしれないが、できないとも言い切れない。

 自分はどうだろうか。たぶんそういう説明がなされれば、今と同じように働き続けるだろう。毎日映画を観て、本を読んで、日がな一日子供と遊ぶ優雅な生活は、今でも出来ないのだから仕方がない。まあ残り1週間となったら、そこらあたりでいよいよ休むかもしれない。途中1週間くらいの休暇ならこれまで通り取れるだろうし、短い時間だがハワイでトロピカル・ドリンクも堪能できるだろう。もしも、そんな事態になったとしても、やっぱり世の中の為に働き続ける意識は大事だと改めて思った。

 妄想はあくまでも妄想だ。果てしない妄想だ。だが、どんな事態になったとしても、やっぱり世の中の一員だし、自分なりに果たせる役割をはたさないといけない。そんな自覚を持ち続けたいもだと思うのである・・・


【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子



     

2009年12月15日火曜日

ネコ派な自分

年間ベストセラー
総合1位 「1Q84」(1)(2)  
  2位 「読めそうで読めない間違いやすい漢字 誤読の定番から漢検1級クラスまで」 
  3位 「ドラゴンクエストIX 星空の守り人 大冒険プレイヤーズガイド」
  4位 「新・人間革命」(20)  
  5位 「日本人の知らない日本語」        
   (トーハン調査より)
なんと一冊も読んでいない・・・
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 前回の記事を書いていて考えた。昔から犬派、ネコ派という議論がある。どちらかと言えば私はネコ派だ。高校生の時から実家でネコを飼っていた、という事実もその大きな要因であるのだが、性格の違う犬とネコとを比較すれば、やっぱりネコの方に近いと思うからである。

 ネコは人に媚を売らない。
犬に比べれば可愛げがないかもしれない。犬を飼っているある友人が言うには、なんで犬が可愛いかと言うと、「家に帰った時に家族で唯一玄関まで迎えに来てくれる(しかも尻尾を振って嬉しそうに)」からだそうである。確かに、誰も迎えてくれない私としては、もしもそんな犬が迎えに出てきたら愛おしく思うだろう。ネコは絶対そんな真似はしない。

 唯一、人に寄ってきて甘えるのは腹が減った時だ。餌をくれる人(実家では母親だった)に擦り寄ってにゃーにゃー鳴く。しかしそれも甘えるというよりは、腹が減ったと茶碗を叩く子供のようで、媚びるというよりも「早くしろよ」と言っていたのかもしれない。

 夜になるとよく私の布団に潜り込んできたが、それも恋人が彼の布団に潜り込んでくるようなかわいらしいものではなく、そろそろ温まった頃だから入ってやろうと言わんばかりだった。きっとプライドが高いのであろう。ごろりとする時も畳の上ではなく、座布団の上だったり、何もないと人が読んでいる新聞の上だったり、とにかく直接座ったりはしない。読んでいる新聞の上にどさりと座られ、おもむろに体中を舐めて毛づくろいされると、その偉そうな態度に呆れる事しばしばだった。

 遊んでやるかと呼んでみても、興味なさそうにあくびしてそっぽ向くことしばしば。呼んだ立場がないだろうと文句を言ったものである。それでも気が向いて遊ぶ時は真剣だ。ネコじゃらしなどには目の色を変えて追い回す。顔を掌で掴むと、前足でその手を掴み、後ろ足でこちらの前腕部に連続ネコキックをかましてくる。こちらがその気になって本腰を入れようとすると、さっと興味を失ったように向こうへ歩いて行って座布団にどかりと座る・・・

 人が右へ行くなら我は左と思う私としては、たぶん前世が犬かネコのどちらかだとしたら、間違いなくネコだと思う。プロレスを観戦していても、周りが興奮して拳を振り回す中で一人じっくりとリングを見つめているし、全員総立ちのコンサートは「じっくり座って聴けない」という唯一の理由で行きたいと思わない。映画『2012』で人を押し退けたくないと思ったのも同じ理由だ。

 昔読んだ星新一のショートストーリーでは宇宙からやってきた宇宙人に、この星の支配者は人間ではなくて自分たちだよと語るネコの話があった。人間は自分たちに仕えるために文明を築き、働いているのさと座布団の上に寝転んで宇宙人に答え、その宇宙人はなるほどと頷く内容だった。それもある意味事実なのかもしれない。

 人間からすれば媚を売らずに可愛げがないかもしれないが、ネコはなんとなく自分の世界をしっかりと守っているような気がする。その昔書いた自作の童話もネコを主人公としたものだったのは偶然だが、やっぱり自分は犬派よりはネコ派だよな~と思うのである・・・



【本日の読書】
「天使と悪魔(下)」 ダン・ブラウン
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

      

2009年12月12日土曜日

ペット天国

【夫婦に関するいくつかのアンケート調査結果より】
●既婚者に聞いた夫婦円満の秘訣
20代・・・「会話の時間を多くもつ」
60代・・・「プライバシーの尊重」

●「生まれかわっても、今の配偶者と結婚したいと思いますか」
20代男性・60代男性ともに・・・半数以上が「YES」
20代女性・60代女性ともに・・・半数以上が「NO」

●夫や妻にほぼ毎日イラッとする・・・夫が7%、妻は23%
週1~3回の頻度でイラッとする・・・夫が36%、妻は63%

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この時期にしては暖かな本日、年末大掃除第一弾として私は窓のシャッターを洗っていた。そこへ通りかかった犬を連れた年配のご夫婦と、やっぱり犬を連れて買い物へ出かけようとして出てきたお向かいの奥様が鉢合わせ。そこで互いのペット談義が始まった。話の内容からするとお互い見ず知らずの間柄だったようであるが、互いのペットをだしにして5分ほど話し込んでいた。我が家ではペットを飼っていないが、ご近所ではかなりの家でペットを飼っている。

 かつて動物を飼うという事は、牛や豚や鳥は食用だし、馬は使役、犬は番犬か猟犬といった具合に、それぞれ働く役割があった。昔、御代田の伯父の家でもネコを飼っていた。が、それは「ネズミ対策」のためであった。したがってその家のネコも「ネコっ可愛がり」されていたわけでもなく、餌は残飯のいわゆるネコマンマだし、生まれた子猫はおばさんが「沢にぶちやる(捨てる)」有り様だった。

 そんな動物たちは、現在は(特に都心では)「家族」という新たな役割を与えられている。餌やら服やらはどんどんと進化し、贅沢になっている。先日仙台に出張した際は、郊外にペット専用霊園ができているのを発見した。そんな環境下だから、ユニ・チャームグループのユニチャームペットケア株式会社などは、今や拡大する市場にあわせて業績絶好調だという。

 こうした背景としては、核家族化で家族が少なくなっている事もあるだろう。子供が巣立っていった後に残された夫婦が、それを埋めるためにペットを飼うというケースなどだ。そして何よりも世の中がそれだけ豊かになってきた証に違いない。今やペット可の賃貸マンションも喫茶店・レストランも珍しくない。ニュージーランドでは人間の数よりも羊の数のほうが多いらしいが、少子化の進む我が国もそのうち人間の数よりもペットの数の方が多いという事にもなるかもしれない。

 我が家には今のところペットはいない。二人の子供がいて賑やかだからいなくても何ら寂しい事もない。しかし、妻はいずれは犬を飼いたいと思っているようである。ほぼ毎日イラッとしている相手と将来二人っきりになったら堪らないと思っているのかどうかは定かではないが、「鎮静剤」としての役割を果たしてくれるのであれば、私としても歓迎したいと思うのである・・・


【本日の読書】
「終末のフール」伊坂幸太郎
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
 
     

2009年12月10日木曜日

ああ日本人

第一条 和を以って貴しとなす
第二条 篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり
第三条 詔(天皇の命令)を承りては必ず謹め 君は天なり 臣は地なり
                          (十七条憲法)
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中国に留学経験もある同僚氏。
彼の語る中国人の姿は誠に面白い。
今回はさらに韓国人の話も聞いた。

それは彼が中国留学中のこと、同じ留学生のクラスメート(日本人と韓国人)とでバス旅行に出掛けた時の事らしい。最初は日本人韓国人それぞれバラバラに満員のバスに座っていたという。それがトイレ休憩が終わってバスが走り出したところ、気がつくと通路上の補助席はすべて日本人で埋め尽くされていたという。というのも、トイレ休憩中に戻ってきた韓国人はみな通常座席に座ってしまったからだそうである。座席の上に荷物が置いてあっても、「勝手にどけて」座ってしまったらしい。日本人は「自分の席」に韓国人が座っているとおろおろしてしまい、結局残った補助席に座るハメになったのだという。クラスメートでも平気でそんな事をする韓国人に、彼は度肝を抜かれたらしい。

日本人ならレストランでもちょっとした小物でも置いてあれば、「誰かが席を取っているのだ」と考えて遠慮する。他人の(それもクラスメートのだ)荷物をどけて座ってしまうなどという事はしない。国際社会で日本人が出遅れるのは言葉の壁だけではないようだ。

そんな話を聞いていたら、先日ディズニーランドでの出来事が記憶に蘇ってきた。あるクリスマスのオブジェの前で写真を撮っている家族を見かけ、我が家も撮ろうと言うことになった。シンデレラ城をバックにしたそのオブジェは絶好のフォトスポットだったのである。すでに次を待っているらしい家族がいたので、我が家はその後に並んだ。そうしていざ我が家の順番が来て、ふと気がついたら後にずらりと列ができていた。

ちょうどパレードが終わったところだったので、通りかかった人が次々に並んでいたのである。みんなお行儀よく並んでいる。写真を撮る人達も1~2枚撮るとすぐ次の人に譲る。子供がもたもたしていたりすると、お母さんが「早くしなさい」と子供を叱る。誰に言われたわけでもないのに、自然に列をつくり、次の人の事を自然と考えての行動を取る。そんな話を彼にしたところ、「中国人や韓国人は絶対にそんな事はしない」と唾を飛ばしながら答えてくれた。

幼稚園では「かわりばんこ」「じゅんばんこ」と言われながら育つ。わんぱく坊主は時に従わなかったりしても、そういう環境の中で、自然とそうすべきだという事を身につけていく。そうした日本の文化は実にすばらしいと思わずにはいられない。我こそと人を押しのける事なく、周りとの調和を重んじる精神文化は、「逆説の日本史」の作者井沢元彦氏によると聖徳太子の十七条憲法にすでに見られるという。天皇よりも仏教よりもまず「第一条」に「和」が大事と謳われている。

マクドナルドでは、人を押しのけなくていかなくても順番に注文を聞いてくれる文化。スーパーのレジで気を抜いていても割り込みされる心配のない文化。なんと居心地のよい社会に我々は住んでいるのである。「日本の社会はすばらしい」と喜ぶと同時に、そんな社会をこれからもきちんと維持していこうとする努力を忘れてはならないだろう。安易な移民政策には断固として反対していきたいものである。

親としても一人の社会人としても子供たちに伝えていきたいカルチャーだと思うのである・・・


【本日の読書】
「終末のフール」伊坂幸太郎
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
  

            

2009年12月7日月曜日

みかん狩り

 昨日は家族と両親とでみかん狩りに行った。イチゴ狩りからスタートした我が家の味覚狩りシリーズ(イチゴ→さくらんぼ→桃→ぶどう)の最後を飾るイベントである。場所は神奈川県の山北村。東名高速大井松田インターから少し行ったところである。

 実は両親がここでみかんの木のオーナーとなっている。よくあるものだが、年間15,000円ほど出資し、手入れはすべて農家の方がやってくれ、収穫だけできるというものである。孫と触れ合いたい両親がその一心でオーナーになっているのである。

 一本の木と言っても今回はかなり実り多い木であった。目安として100キロという説明であったが、目算で15キロのダンボール8箱分くらいあったから、まあかなり良かったのではないかと思う。子供たちも喜んで鋏を持って収穫していた。3世代で和気藹々とやるのだから、まあいいレジャーなのかもしれない。

 それにしても、と例によってすぐソロバンを弾くのが私の習性。「我々の」木のあった一角にはおよそ30本くらい同じような木があった。@15,000円としてその一角で450,000円。他にどのくらい所有しているのかわからないが、仮に100本としても1,500,000円。それだけで食べていけるほどではない。

 実はこの日は村を上げてのオーナー祭り。前回は何もなく、みかん狩りしかできなかったが、お弁当を売っていたり、畑から取ってきた野菜を売っていたり、無料の豚汁サービスがあったりとなかなか賑やかであった。1,000円出すと畑で5種類の野菜の収穫まで体験させてくれたので、子供たちにもやらせる事にした。ジャガイモを掘り、蕪と大根を引っこ抜き、白菜を切り取り、山芋をほじくって楽しそうであった。こうした野菜の収入がどれほどかはわからないが、やっぱり農家は大変だろうと実感させられた。FTA(自由貿易協定)を恐れて、締結に反対する農家の考え方も現場を見ると理解できる。

 祭りの世話役はみんな高齢者だったが、若い人達の姿もちらほら見えた。きっと後継者なのだろう。オーナー祭りのようなイベントはひっとしたらこうした若い人達のアイディアなのかもしれない。宅急便の受付場所を設けたりして利用者の利便性も高められていた。100キロを越えるみかんとなると家族だけでは食べきれない。帰る時に見ると宅急便の箱が積み上がっていたので、大分利用があったようである。

 朴訥とした田舎の人達の手作り感丸出しのイベントで、不案内でおろおろする事も多かったが、その分肩肘張らずにのんびり楽しめたのも事実である。こうした都会の人を引きつける工夫を凝らせば、不況だなんだと暗い顔をしていなくてもすむかも知れない。仙台で元気に頑張る先輩の事を思い浮かべながらそんな事を考えていた。

 子供たちも喜んだし、両親も喜んでいた(帰りの東名高速の事故渋滞がなければもっと良かったのだが・・・)。また利用したいと思うが、農家の人達にも頑張ってこうしたイベントを続けてほしいものである。
 家族のためにも、日本の農業の未来のためにも、来年もまた行きたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「サブプライム後の新資産運用」中原圭介
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
     

    

2009年12月4日金曜日

2012

 映画『2012』を観た。
地殻の大変動によって絶滅の危機に立たされた人類が、現代版箱舟を作って生き残ろうとする物語である。詳細は「マイシネマ日記」に譲るが、こういう映画を観るとつい「自分だったらどうするだろう」と考えてしまう。

 映画では4種類の人間が登場する。
すなわち、
 ① 箱舟に乗る権利があって乗ろうとする人
 ② 箱舟に乗る権利はあるが、(他人に譲って)乗らない人
 ③ 箱舟に乗る権利はないが、乗ろうとする人
 ④ 箱舟に乗る権利はなく、また乗ろうともしない人
果たして自分はどのタイプだろうか。

 もともと私は「人が右に行くなら我左」という天邪鬼的なところがある。だからみんなが箱舟に殺到し、そして明らかに全員が乗れないとわかったら、その時点で乗るのをやめるだろう。人を押しのけて行こうと思えば、たぶんかなり行けるとは思うが、なんとなくそれは自分の性分には合わないからだ。押しのける必要がなければ乗るかもしれない。

 だが、一人ならともかく、家族が一緒だったらちょっと微妙だ。自分の思いとは別のものが働くからだ。だから一人だったらという前提であれば、たぶん②か④になると思う。いざとなったら本当にそうするかどうかはわからないが、今の時点では取りあえずそう思うのだ。

 映画では登場人物たちはみな子供は守ろうとしていた。それはある意味当然だろう。ただ疑問に思うシーンもあった。それは母親が「自分はだめでもせめて子供だけでも」と頼むシーンだ。よくあるパターンだが、自分ならしないだろう。なぜなら、高校生ぐらいになって親がいなくても一人で生き抜いていけそうであるならともかく、そうでなければ、誰が困難な状況の中で他人の子供の面倒をみてくれるというのだ。それが本当に子供のためなのかは疑問だ。私だったら最後の瞬間まで一緒にいるだろう。

 映画「タイタニック」でもそうであったが、全員が乗れないボートに人を押しのけて乗り込むかどうかは難しいところだ。法律ではそういう危機下にある時は、乗り込むために人を殺しても罪にはならない。そうではあっても女性や子供を押しのけてまでボートに乗ろうとする人間にはなりたくないものだ。

 そんな事を考える事はくだらない妄想だろうか。私はそうは思わない。なぜなら人はとっさの時に普段考えている通りに行動するものだと思うからだ。「こういう時にはこうしよう」と考えていると、いざという時には反射的にそういう行動を取るものだと思うからだ。本当にそういう状況におかれた時には、迷わず恥じない行動を取れるようにしたいものである。

 だがやっぱり、願わくばそんな英雄的な行動を取って死後に名誉を称えられるような事が一生なければ、それに越した事はない。そんな妄想に耽るのは映画館の中だけにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「サブプライム後の新資産運用」中原圭介
「天使と悪魔(上)」ダン・ブラウン
    
   

2009年12月1日火曜日

TDL

 昨日、娘の小学校が創立記念日で休みであったため、毎年この時期恒例のディズニーランドへ家族で行ってきた。12月生まれの長女は、入園時に誕生日シールを貼ってもらえるのを楽しみにしている。長男と私はこの日の為に休みをとってのて参加である。

 前日夜半から当日午前にかけて雨の予報。日程は動かせない。恨めしく思いつつも強行は規定路線。されど「晴れ男」の私としては、「何とかなるだろう」と思っていたのも事実。そしてその通り、夜半に降った雨は出発時には止んでいたのである。

 結果的にこの雨が効いたのだろう、例年よりも人出は少なかった。いくつかの人気のアトラクションを除いて、ほとんど待ち時間なしだったのはありがたい。昼のパレードは場所取りも不要だった。アトラクションの順番待ち要員兼パレードの場所取り要員の私としては誠にありがたい限りであった。

 もう開業から26年目のTDL。そういえば開業したころは、「子供向け遊園地」という認識だったという記憶がある。私は、東京に住んでいたわりにはデビューは社会人になってからと遅く、たぶん開園から4~5年後だと思う。男同士で行くところでもないし、かといって一緒に行くような女の子もいなかった結果だが、「遊園地」にさして興味も湧かなかったのも事実だ。

 高校のラグビー部の先輩が「行った」と聞いて、内心「その顔で?」と思った事を覚えている(まあ今思い返してみてもそう思うのだが・・・)。初めて行った時は、「これで(行った事がないと)バカにされなくてすむな」と思ったものだ。行ってみてもキャラクターにきゃあきゃあ言うわけでもない。雰囲気とスペースマウンテンのような動的アトラクションが面白かった程度だ。当時の事はあまり印象に残っていない。

 それでも初めてスターツアーズに乗った時は感動した。スターウォーズを下敷きとした設定と、何より「動かないジェットコースター」の仕組みに素直に感動したのだ。当時2時間くらい並んだのには閉口したが、それでも満足度は高かった。今では15分も待たずに乗れる。行けば必ず乗るのは子供が好きなせいもあるが、この時の感動がまだ生きているからに他ならない。もう少し中味を変更すれば、例えマイナーチェンジでも人気は回復できると思うのだが、簡単にはいかないのだろうか?あのシステムは広く使えると思うのだが・・・

 TDLの魅力を今更あれこれ論じるのも陳腐だが、屋外の施設にもかかわらずこの寒空にあれだけの集客を続けているのだから、やっぱり大したものだ。何より子供の満足度が高い。我が家はいつも開園から閉園まで滞在するから親も体力がいる。朝から栄養ドリンクを飲んで完全防寒体制で臨む。場所取りと順番待ちと運転手が私の主な任務だが、子供が喜んでいるのをみるとそれだけでも甲斐はあるというものだ。

 それ以外にも「カリブの海賊」「ウエスタン・リバー鉄道」「ジャングル・クルーズ」といったゆったり系アトラクションがけっこうお気に入りだ。かつての好みとはまったく異なってきている。いつまで行くだろうかと考えてみるが、たぶん子供が大きくなってそれぞれ友達と行くようになるまでだろうな、と思う。まあそれで十分だと思うし、それ以上望む気もない。「その時」が来るまでは、親も楽しませてもらおうと思うのである・・・


【本日の読書】
「株の勝ち方はすべて外国人投資家が教えてくれた」中原圭介
「天使と悪魔(上)」ダン・ブラウン