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2025年8月6日水曜日

群馬県立自然史博物館


 夏休み後半の初日、予定通り群馬県立自然史博物館に行ってきた。『生命の大進化40億年史 古生代編 〜生命はいかに誕生し、多様化したのか』という本に刺激を受けてのものであるが、何でも思った事をやってみようと思っての行動である。幸い、我が家からは関越自動車道に乗って1時間半ほどで行ける。ドライブも楽しむ感じでちょうど良い。のんびりと車を走らせたが、やはり1時間半ほどで着いてしまう。建物の外には巨大なカブトムシのモニュメントがお迎えしてくれる。小さな子供には受けるだろうと思う。

 館内に入れば人類の進化の模型があり、地球誕生から生命の発生が語られる。かなり推測が入っているのだろうが、生命の誕生は本当に奇跡の賜物という感じがする。さまざまな化石が並び、進んでいくと実際の発掘の様子のレプリカが足下に展示されている。安全だと分かっていてもガラスの上を歩くのにはドキドキしてしまう。カンブリア紀から石炭紀の古生代の様子は本の通り。ただ、実際の化石を見られるのは気分が違う。それにしてもモノによっては化石と気づかないで終わりそうな気がする。

 目を引くのは中世代に入ってからの恐竜の展示。巨大な恐竜の迫力はさすがである。いかにも子供が喜びそうなものである。そう言えば我が息子も小学生の頃はこういう恐竜が大好きだったなと思い起こす。地層中の鉱物中の放射性同位体の量を測定して年代を推測するとの事であるが、その方法を発見した人もすごいと思う。そして今度は標準化石から地層の年代を測定する事もあるようで、高校時代の地学の授業を思い出した。つまらない授業だと思っていたが、解説がすんなり理解できるのも地学の授業の恩恵である。

 以前、地球の歴史についての何かを読んだことがある。地球の歴史を1年にしたものである。元旦の午前0時に地球が誕生したとすると、生命の爆発的増加が見られたというカンブリア紀はその年の11月18日頃に相当する。説明によると生命そのものは35億年ほど前くらいに誕生したらしいが、それだと3月末頃。その頃は微生物レベルだったのだろうから、長い雌伏の時を経て様々な生物に進化していったのであろう。ホモ・サピエンスの誕生は12月31日23時40分頃だから、いかに長い時間がかかっているかがわかる。

 目の前に展示されている化石がそんな昔のものだというのも何か不思議な感じである。展示はどうしても恐竜中心になっている。たぶんその方が「客受け」するからだろう。もちろん、恐竜たちも大地を支配していた頃を想像するとそれはそれで生命の不思議を感じさせる。しかしながら、個人的にはまだ陸上に上がる前の生物たちの姿に興味をそそられた。人間とは似ても似つかぬ太古の生物たちであるが、確実にそれらのどこかの系統が陸上に上がり、哺乳類に進化し、そして人類に進化していったわけである。

 短い時間だったが、満喫して外へ出る。「危険な暑さ」と言われる夏の日差しが眩しい。ついでだから富岡製糸場にも足を伸ばそうかと考えていたが、日本の遺産としてはいいが、どう考えても世界遺産としては違和感しかない施設であり、内容もなんとなく想像もついてしまうし、地球の長い歴史に思いを馳せた余韻のまま訪れる気になれなくてやめてしまった。その代わり、田舎の知らない街中を少しドライブしてみたいと思い、高速に乗らずに藤岡までのんびりドライブしてきた。

 若い頃には想像もつかなかった夏休みの過ごし方であるが、今日1日としては十分である。そのうち海外にも再び行ってみようと思う。これからは自由な独り身であるし、楽しみは尽きない。まだまだ初日。残り夏休み後半の5日間を充実して過ごしたいと思うのである・・・




2025年5月12日月曜日

四万温泉旅行記

四万たむら
 ほぼ1年ぶりに母を連れて温泉に行ってきた。もう家族で旅行する事もほとんどなく、せめて年老いた母親を温泉にでもと始めてもう何年経つだろう。今回は、なんとなく耳に入ってきた四万温泉を選択した。母も腰が悪く、あまり長距離の移動は難しいので、東京から近く、それほど負担もなく行けるところという観点で選んだのである。母を温泉に連れて行くというのが当初の目的であったが、最近では私も温泉+美味しい食事という組み合わせにいつしか心を奪われているところもある。

 関越自動車道渋川伊香保インターで高速を降りてひたすら田舎道を走る。この時期、暑くもなく、寒くもない。昨日まで降っていた雨もいつしかやみ、時折日もさしてくる。窓を開けて走ると気持ちがいいことこの上ない。「いいなぁ」と思うも、それは東京から来ているからであり、このあたりに住んだら風景にはすぐ飽きるだろうし、買い物にしても何にしても不便さばかりがあって堪らないのかもしれないと思ってみたりする。こういう田舎の風景は、故郷と同様、「遠きにありて思うもの」なのかもしれない。

 そんな奥まった山の中に四万温泉はある。川沿いというのも温泉郷の特徴かもしれない。そうした四万温泉の「四万たむら」に宿を取る。室町時代創業というから相当な歴史がある。旅館の裏手には田村家の墓があり、代々受け継がれてきているのだろう。隣に四万グランドホテルがある。部屋に備え付けの浴衣には「四万グランドホテル」の刻印があり、どうやら経営は同じであると想像した。おそらく、室町時代創業の由緒あるレトロチックな温泉宿だけではなく、客層拡大のために現代的なホテルを建設したのかなと想像してみる。社員旅行華やかなりし時代にはさぞ賑わったのではないかと想像する。

週末でも寂しい温泉街
 近隣にはかろうじて生き延びているような温泉街がある。宿の女中さんは外国の方が混じっていたし、社員旅行の敬遠、少子高齢化などの時代の波の影響を受けているのかもしれない。宿に着くと食事の前に1人周辺の散策を常としている。腰の悪い母は部屋でくつろぐ。1時間ほどで散策を終えて夕食前に最初の湯に浸かる。温泉に行くと、だいたい3度湯に浸かる。夕食前、就寝前、そして朝風呂である。宿の中は複雑で、7つの湯は館内に分散し、エレベーターを乗り継ぎ、4階で降りて連絡通路を歩いて隣の建物の入るとそこは5階という具合に複雑である。普通の人にはなんでもないが、老齢の母はもう1人で館内を移動できない。

 したがって、部屋から風呂まで送り迎えをしないといけないという手間がある。食堂はいいが、風呂は一緒に入るわけにもいかないし、毎回悩ましい思いをする。今回、とうとう母は迷子になって館内電話でフロントを呼び出して迷子の訴えをしてしまった。普通の感覚ではなんでもないが、年を取るとみんなそうなるのだろうかと思ってみる。部屋も食事も7つの風呂も良かったが、個人的には硫黄臭漂う温泉が好きという事もあり、四万温泉はちょっと物足りなさがあった。この近辺では、今のところ万座温泉がベストである。

 翌日、11時チェックアウトの利点を活かし、母は朝風呂に朝食を挟んで2度入り、温泉を満喫して宿を後にする。そのまま帰ると早すぎるので、近くの奥四万ダムを見学。川を堰き止めてできた人工湖をぐるりと一周する。水がきれいであり、晴天の下、あたりの新緑と相まっての眺めに自然の中で心身がリフレッシュしていく気がする。iPhoneで写真を撮るが、風景というものはどんなに高性能のカメラでも目で見たものを写し撮ることはできないものだと改めて思う。百聞は一見に如かずではないが、自然の景色は自分の目で見ないとダメである。

 名残り惜しみながら四万を後にする。東京にはあっという間に帰ってくる。窓から流れ込んでくる空気は明らかに違う。手軽に往復できるし、毎週末行くという贅沢もしてみたいと思う。ネックは自分で運転すると(特に渋滞なんかがあったりすると)疲れるというところだろうか。海外旅行もいいが、週末は温泉で過ごすという贅沢もありかもしれないと思う。今後の人生の楽しみ方の一つとして候補に挙げたいと思うのである・・・

新緑と濃いグリーンの湖水をたたえた人造湖
下から眺めると迫力ある四万ダム

【本日の読書】
 存在と思惟 中世哲学論集 (講談社学術文庫) - クラウス・リーゼンフーバー, 村井則夫, 矢玉俊彦, 山本芳久 ガダルカナル[新書版] - 辻政信 風に立つ - 柚月裕子




2025年2月13日木曜日

札幌出張

札幌へ出張に行った。私の主担当は財務であるが、人事も担当している。採用も大きなミッションの1つなのである。我が社のような中小企業は、新卒採用ではかなり不利である。知名度は圧倒的に劣り、首都圏の大学では(ゼロというわけではないが)コンスタントな採用はなかなか難しい。勢い、採用は地方中心になる。今回は札幌にある学校を定例訪問し、ついでに内定者との内定式(という名の懇親会)に札幌を訪れたというわけである。時に札幌は雪まつりの真っ最中。インバウンドもあって飛行機とホテルの予約を心配していたが(値段はちょっと高かったが)、何とか確保して札幌入りした次第である。

出張はどうしても効率が悪い。目的(面談)に比して移動時間が多すぎる。今回も先方との面談は約1時間。そのために丸2日間(まぁ、1日は祭日だったので実質1日とも言える)潰れた。仕方がないが、効率云々よりも成果に目を向けるようにするしかない。この時期の面談はさり気なく重要で、2026年の採用戦線への参戦根回しというところがある。それで密かに便宜を図ってくれたりする(例えば会社説明会の日程について優先的に第一希望を通してくれる)のでなおさらである。中小企業はそういう「寝技」も駆使して大手や同業他社に対抗していかないといけないのである。

出張は仕事であって遊びではない。当たり前であるが、以前銀行員時代、「ついでに仕事をする」ために出張する人たちを目の当たりにしていたのでよけいに意識している。その人たちは関連会社に片道切符で出向し、半分銀行員人生を終えたという意識だったからよけいにだったのかもしれないが、「どこに行く?」「何を食べる?」という話ばかりしていた。上に立つ立場の人間がそうだと、下の者はモチベーションが下がる。「ああいう上司になりたくない」というお手本としては良かったかもしれないが、大企業ゆえに遊びの出張費用も問題にはならなかったのだろう。

もちろん、ガチガチのお堅い頭で考えているわけでもない。やる事をきちんとやって、その上で余裕のできた時間で楽しむのは悪くないと思う。今回は、先方の都合でアポは午後も遅い時間になった。午前中に千歳空港に着き、市内に入ったのは昼前。少しゆとりもあったので、ラーメンを食べて雪まつりも見て行こうと考えた。ところが、雪まつりという北海道の観光の目玉ともいう時期。インバウンドと相まって、狙っていた札幌駅近くのラーメン屋は見た事のない長蛇の列。おいしいものは並んで食べるという関西文化に慣らされた私でもさすがに断念した。ラーメンはまたの機会にする事にした。

腹ごしらえだけして向かったのは大通り公園。雪まつり会場となっている場所である。休日の谷間の平日だったためか、覚悟していたほど混んではいない。ニュースで見た事のある雪像がさっそく出迎えてくれる。屋台も出ていて賑やかである。しかし、何か不思議な違和感がある。それは「こんなものなのか」という感覚であった。有名な観光スポットである札幌の時計台は「日本三大がっかり観光地」としても有名であるが、雪まつりにも同じものを感じた。札幌の雪まつりは、青森のねぶた祭り、仙台の七夕祭りと並んで個人的に行ってみたい日本の祭りの1つだったが、「こんなものなのか」であった。

確かに並んでいる雪像の様子はニュースで見た通りなのであったが、イメージはもっと圧倒的に大きなものであったが、実際はそれほど大きくない。もちろん、「北海道庁旧庁舎」などの迫力あるものもあったし、自衛隊の力作もあったが、それはほんの一部。大多数が背丈より少し大きい程度の雪像群で、それはそれでよくできているなと感心したが、そこまでである。何となくそれは近所の神社の夏祭りのような感覚であった。事前の期待が大きすぎたのかもしれない。仕事スタイルで行ったためか、革靴は足元も心もとない。それでもせっかくだからと雪像を1つ1つ見ていたら、見事に滑って転んでしまった。

出張時にはいつも会社と家族に土産を買う。会社はみんなで食べられるお菓子。家族はリクエストに応じるパターンが多い。以前は、「赤いサイロ」やかま栄のかまぼこだったが、今回は「生ノースマン」と「ほたてのスープ」であった。ともに空港で簡単に買えるのがありがたい。「赤いサイロ」は人気が凄くて買うのに苦労したので、簡単に買えるというのは重要なありがたい要素である。それにしてもよく次から次へと見つけてくるなと感心する。アンテナの張り方が違うのだろうが、自分ももう少し各地の名産品に興味を持ってもいいかもしれないと思ってみたりした。

夜は内定者との懇親会。他の企業は内定式なるものをやっているところがあるらしいが、我が社は実施せず。その代わりの懇親会である。4月から東京での新生活を控え、期待に溢れている感じがした。初々しくて好ましい感じを受けたのである。下手に格式ばった内定式よりもいいのではないかとこのスタイルを続けている。春から一緒に働ける事を頼もしく感じた次第である。学生時代、北海道へラグビー部の仲間と旅をした。その時は、最後の夜はすすきので大人の遊びをしたが、さすがに今はもう面倒でまっすぐホテルに帰って映画を観る方を選んだが、この過ごし方も出張時の楽しみの一つになっている。

これから、沖縄、新潟、鹿児島、そして再び札幌と採用活動の出張が続く。ビジネスは結果が大事なので、何より結果を求めたいと思う。「ついでに仕事をする」出張なら行きたくないというのが正直なところ。「成果を挙げたついでに」その土地の食べ物やお土産を買うことを楽しみたいと思う。採用活動に終わりはなく、成果とともにその旅を楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ユニクロ - 杉本 貴司  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎



2020年3月25日水曜日

伊香保温泉

先週末、母親を連れて伊香保温泉へ行ってきた。「腰が痛い」と常々もらしている母親は、温泉に入ると痛みが和らぐらしく、暇を見ては近場の温泉に連れ出しているのである。伊香保温泉は、東京からだと関越自動車道で2時間ほど。気楽にちょっと「温泉に入りに行く」ことができる。春のお彼岸の三連休ではあるが、世の中はコロナ騒動でみんな出かけることはないだろうと、得意の逆張り発想で予約を取った次第である。ガラガラの温泉宿なら、かえって通常以上のサービスをしてもらえるかもしれないという期待があったのも事実である。

森秋旅館
ところが、道路は渋滞だらけ。都内から抜けるのに一苦労。関越の渋滞はそれほどではなかったが、予約していた森秋旅館に着いてみれば結構な賑わい。意外に思って尋ねてみれば、外国人や団体客はキャンセルとなったが、個人客はほとんど変わらないという。移動制限がされた外国人は仕方がないし、団体客は建前上中止せざるを得なかったが、個人ベースでは関係ないと皆さん考えての行動だろう。ちょっと思惑が外れたが、宿にとっては良いことだろうから良しとしたい。

伊香保温泉は銀行員時代の店内旅行で何度か来た記憶があるが、宿泊したのか通過したのかは覚えていない。ただ、有名な石段街を散策した時、「ああ、来たことあるな」と改めて思った次第である。暇に任せて周辺をプラプラ歩いてみたが、石段街を外れると潰れた旅館や店舗がそのまま放置されていて「寂れ感」はどうしようもなく強い。そんな中でも射的の店舗が何軒かお客さんが入っていて元気そうだった。今の若者にはかえってレトロ感があってウケるのかもしれない。あとは老舗らしき温泉饅頭のお店である。
石段街

 ストリップの看板を見かけたが、今も営業しているのだろうか。その昔は社員旅行なんかで賑わったのだろうと思う。浴衣を着た大勢のサラリーマンがワイワイ言いながら行き交ったのだろう。今の時代だと、ストリップなどに大手を振って行こうものなら女性社員からセクハラ扱いされるかもしれない。自分が店内旅行に参加したのはもう30年くらい前になるが、とてつもなく嫌だったのを思い出す。今の時代には確実に受け入れられないだろうし、それゆえに温泉街も寂れていくのかもしれない。

 こうした温泉街がかつてのような輝きを取り戻す方法はあるのだろうか。団体客はもう復活はしないだろうが、外国人客と我々のような個人客だろう。外国人なら温泉街の雰囲気を売り物にするのもいいかもしれないが、日本人なら「観光地」というよりも「身近な温泉」というあり方がいいように思う。ただ、旅館のお湯はちょっと温めであり、硫黄臭もそれほどではない。濁っているところは温泉ぽかったが、硫黄臭がそれほどではなかったのがちょっと残念であった。

 それにしても、と思う。旅館独自のサービスというものを改めて考えてみた。到着してフロントで受付をする。部屋に案内してもらって一通りの説明を受ける。ここまではホテルでも同じ。食堂が一杯だったらしく、食事は部屋食であった。担当者がついてくれて料理の説明とともに配膳してくれる。ホテルで言えばルームサービスだろうが、部屋で食べる和食もなかなか風情がある。そして布団を敷きに来てくれる。外国人であれば興味津々かもしれない。注ぎ込まれる湯の音を聞きながら、露天風呂にゆっくり浸かるのもなかなかの風情である。ホテルもいいけど、旅館もやっぱり風情がある。

伊香保神社
 母は合計4度温泉に浸かり(夕食前、就寝前、起床後、朝食後)、満足そうであったから何より。石段街を軽く散策して伊香保神社に参拝。老舗の大黒屋本店で温泉饅頭を食し、食の駅でご近所へのお土産を買って岐路につく。帰りは関越自動車道で2時間ちょっと。やっぱり距離的には近場の手軽な温泉であることは間違いない。帰宅して感想を聞いたところ、母としては「(昨夏行った)万座温泉の方が良かった」とのこと。次はまた夏に万座温泉に行くことになりそうである。

 あとどのくらい母を温泉に連れていけるかはわからないが、このペースで頑張って連れて行きたいと思うのである・・・

眼下に望む伊香保市街


【本日の読書】

2019年12月8日日曜日

熱海

両親を連れて熱海へ行ってきた。腰の悪い母親は、温泉に入ると腰の調子が楽になると日頃からつぶやいているので、夏に引き続き連れて行ったと言う次第である。と言っても、あまり遠出はしたくないと言うリクエストもつき、ならば東京周辺で気軽に(日帰りでも)行ける熱海に白羽の矢を立てたのである。熱海といえば、かつては新婚旅行のメッカという時代があったとかすかに記憶に残っている。今ではすっかり昔の話である。

実際、熱海は近い。東京からだと新幹線で40分ほど。東海道線の快速アクティーでも1時間半ほどである。ただ、今回は実家から車でであった。車の場合、距離的な問題の他に渋滞という問題もある。行きは第三京浜から横浜新道を抜けるルートであったが、やっぱり渋滞があって、カーナビでは2時間ほどと表示されていたが、実際は3時間ちょっとかかってしまった。

熱海は実は過去にももう何度も行っている。と言っても、正確にいえば「通過している」という言い方が正しいかもしれない。市街を抜ける海岸沿いの国道はもうすっかりおなじみの風景である。途中には『金色夜叉』のお宮の松がある。『金色夜叉』と言っても読んだこともないし、特に何か感慨深いものがあるものではない。しかし、熱海海岸での別れのシーンがこうして皆の記憶に残っているということは、当時としてはかなりインパクトのある内容だったのであろう。

ふと思いついて両親に新婚旅行のことを聞いてみた。両親は『三丁目の夕陽』の時代である昭和34年にそれぞれ22歳同士で結婚している。当時、やはり熱海は新婚旅行のメッカであったらしいが、両親は伊豆と今井浜とで2泊しているらしい。母によれば、「私は天邪鬼だったから」熱海にしなかったという。私の天の邪鬼は母親から来ているのかもしれない。親父の怪しげな記憶では伊豆は「伊豆山」だったと言うが、伊豆山は熱海なので、記憶違いの可能性が高い。ちなみに今回泊まったのはその伊豆山である。

当時は熱海までは鉄道だったが、そこからは砂利道をバスだったと言う。当時はまだ行くだけでも大変だったのだろう。新婚旅行となればそれだけでのぼせ上がっているだろうから、道中も苦ではなかったかもしれない。もう60年の前の話であるし、市街の様子も変わっているだろうし、まだ「遠かった」時代の熱海はどんな様子だったのか興味深いところがある。私の場合、新婚旅行は「天国に一番近い島」ニューカレドニアであったことを考えると、いい時代に生まれたと強く思う。

母は、温泉の常であるが、ホテルに着いた直後にまず湯に入り、夕食後の寝る前に一度、そして朝起きてすぐと三度湯に入る。今回もたっぷりその通りに温泉を堪能。それに対し、父は一度のみ。そして私は母に習い三度温泉に浸かった。夕食・朝食ともにバイキング。母は普段とは見違えるような食欲を見せる。腰の痛みも消えたと喜び、わざわざ温泉に誘った甲斐があったと私も嬉しく思う。

「温泉だけ入れればそれだけでいい」と言っていた母も、翌日せっかく天気もいいしと言うことで、箱根を回って帰ることにした。寄ったのは箱根の関所。ここでは当時の関所が再現され、資料館もある。関所破りで死罪になった記録もあり、移動が制限されていた時代の不自由を感じる。熱心に見ていた父は、ポツリと「自由でいい時代に生まれてよかった」と呟く。ニューカレドニアでなくても、伊豆への二泊三日の旅行でも昭和の時代だから行けたとも言える。何を基準にするかで、人の幸福度も変わってくる。

 今は熱海に新婚旅行などと言うと、「何か事情があるのだろうか」と勘ぐられてしまいそうだが、60年前はまだそれが幸せな時代であったわけである。日本もまだまだ広かった時代。それに対し、今は熱海はちょっと気軽に温泉に入りに行けるところになっている。そんな時代だからこそ、また気軽に両親、特に母を温泉に連れて来てあげたいと思う。それが「いい時代」に生まれた特権である。「いい時代」を堪能したいし、してもらいたいと改めて思うのである・・・




【今週の読書】