先日関越自動車道を往復した時の事だ。
行きの下り斜線で「富岡製糸工場を世界遺産へ」という看板を見つけた。
そういえばいつも見ているテレビ東京の「ガイアの夜明け」で世界遺産登録を目指す平泉の様子を取り上げていた事を思い出した。ここもどうやらそうらしい。
富岡製糸工場といえば日本史の教科書にも出てくる、日本の近代史の一ページを飾る象徴的な存在だ。日本人であるし、行った事はなくてもその価値は十分にわかるつもりだ。
だからそれを世界遺産にしようという考え方は理解できる。
しかしどうもすんなりと腹落ちしない何かがある。
そもそも世界遺産とは「後世に残すべき人類の資産」という事である。
その目的は保護と保存である。
だからそれなりの価値のあるものを保護しよう、保存しようという考えもわかる。
だが、それだけだろうか?
世界遺産に指定されるとどうやら観光客が激増するらしい。
世界遺産巡りは格好の旅行テーマとしていいのであろう。
かくいう自分もいずれ世界遺産巡りをしてみたいと思う。
しかし、先の番組で取り上げられていた平泉は「街興し」としてそれをやっていた。
世界遺産に指定してもらい、それで観光客を呼び込み街の活性化につなげようというものである。
街興しそれ自体否定するものではない。
世界遺産への登録申請もしかり。
しかしそれが結びつくと違和感を覚える。
世界遺産はあくまでも保護・保存が目的であるはずで、それで観光客を呼び込もうというのは筋違いに思える。平泉が落選したのも当然だ。
観光客の増加はあくまでも結果であって、目的ではないはずだ。
それを平泉の人達は履き違えている。
富岡製紙工場も見たことないのでそれ自体は何とも言い難い。
しかしやはり観光客誘致目的なのは明らかだ。
そういう意図はおかしいだろう。
世界の人の目もあるのだ。
おかしな意図で登録申請などしていたら、審査員の手間隙だって大変だし何より日本の良識を疑われないか?
街興しは他の方法で考えればいいのだ。
世界の中の日本人である。
身を正して世界と向き合う気概が欲しいという気がしてならないのである・・・
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