2012年5月29日火曜日

工場見学にて

千葉県の某所にある取引先の工場見学に行って来た。
工場長の案内で一通り見学させていただいた。
いろいろと説明を受けたのだが、一番印象に残ったのは外国人研修生の話であった。
その工場では、インドネシアからの研修生を数名受け入れていたのである。

最初はありがちな違法就労かと思ったら、「外国人技能実習制度」という我が国の正規のルートでのきちんとした研修生だった。母国で2年間の語学研修を済ませ、来日後1ヶ月間は国の受け入れセンターで過ごして日本の生活に慣れ、その後で各企業に配属されるらしい。

工場の敷地内にアパートが建ててあって、そこで寝起きしているという。
工場長に案内されて彼らのそばを通った時、みんな笑顔で挨拶してくれた。
技能実習と言っても、やる事は建設資材の簡単な加工だから、どれほどの「技能」が習熟できるのかわからない。企業にしてみれば、どう取り繕うと安い労働力なのだろうと思う。
良いのだろうかという気持ちと同時に、若者を確保できない企業の悲鳴も理解できる。

工場の作業自体はそれほど大変だとも思えないが、屋内といってもほぼ吹きさらし状態の工場内は、エアコンなど効くわけもない。夏は暑く、冬は寒いだろう。直射日光と雨が避けられるだけだし、それでも一部は屋外作業もあるし、一日働けば汗と埃にまみれる事になる。いわゆる3K職場の典型だ。日本の若者が寄りつかないのも無理はない。

しかし研修生たちから見ると、そんな職場でもありがたいようだ。
何せ母国の給与水準からすると10倍の収入らしい。
仲間達とスーパーで食材を買っては自炊し、しっかり貯めているらしい。
3年間の期限限定ではあるものの、その間しっかり働き、母国に帰ったあと畑を買ったりする者もいると言う。そこには、搾取される不幸な労働者という姿はないようだ。

国で語学研修を受けて外国に行けるという事は、インドネシアではそこそこ学力の高い人たちなのだろう。なのに我が国に来て、我が国では同世代の若者がやりたがらない仕事をしている。そんな現実にいろいろと考えてしまう。それが我々の親たちが築いた国力の差というものの姿であり、我々はその恩恵に浴しているという事なのだろう。

帰り道、駅前にある巨大なパチンコ店が目に入ってきた。建物そのものよりも目についたのは、広い駐車場を埋め尽くす車。そこの周辺は当然車社会だから、みんな車で通っているのだろう。見るからに昼間っから大繁盛のようだ。若者たちは就職がないと嘆き、パチンコ店は昼間から大賑わい。一方で汗と埃にまみれて働くインドネシアからの留学生たち。うかうかしていると、そのうち追い抜かれる日がくるかもしれない。

まだまだ差はあるのだとしても、そんなところにあぐらはかきたくないものだ。
せめて自分は今の仕事を一生懸命やろうと思う。
せっかく親たちが築いた資産を、食いつぶさないようにしたいものである。


【本日の読書】

パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス, 小林 弘人, 関 美和   1Q84 BOOK 3 - 村上 春樹






2012年5月25日金曜日

変わりゆく街並み

葛飾区に京成立石という駅がある。
ここにはかつて私が勤めていた銀行の支店がある。
とは言っても、今では合併して店舗が統合され、同じ支店名でも私が通っていた店舗ではなくなってしまっている。

先日、仕事で久しぶりに立石の駅に降り立った。
懐かしさもあって、少し周囲を散策してみる事にした。
私が通っていたのは、もうかれこれ20年前だ。
街の様子も随分と変わっている。

旧店舗の近くに老夫婦が経営する昔ながらのパン屋があった。
古びた外観で一見、買うのに抵抗感を覚えるような店構えなのだが、これが実においしかった。支店の女性陣も絶賛していて、私も時々ここのパンが食べたくなって、あえて寮で朝食を取らずに行った事が何度もある。そんな店だったが、さすがに跡形もなかった。

帰り道によく寄り道した本屋もなくなっていた。
書評などで目をつけた本を買いに、仕事帰りに寄っていたのだ。
やはり老夫婦の経営で、比較的遅い時間まで開いていたため、重宝していた。
店に置いてない本はちょくちょく取り寄せてもらっていたし、自然と仲良くなって、何も買わない時でもおしゃべりしていたものである。
店を閉めて、きっと引退してどこかで老後を送っているのだろう。

生まれて初めて親知らずを抜いた歯医者もなくなっていた。
親知らずの抜歯が、あれほど大変だとは想像もしていなかった。
仕事帰りに寄って抜いてもらったのだが、その日は当然ながら夕食は食べられなかったし、次の日も仕事で大変だった。

若手でよく行っていたカラオケスナックもなくなっていた。
あの頃はまだカラオケルームなんてなかったと思う。
かろうじて残っていたのは、つけ麺屋だった。
よく遅くなって、寮の夕食を諦めざるを得なかった時に、寄って食べたものだ。

消防署や信用金庫や公園などは昔のままだ。
(公園はちょっと小奇麗になっていた)
駅前商店街も、全体としては変わっていない。
(今時珍しいレトロチックな商店街だ)
立ち食い寿司屋も残っていた。
京成立石の駅自体もまったく昔のままだ。

変わったところと変わっていないところ。
まだ20年程度の月日だと、それらが混在している。
当然と言えば当然ではあるが、街も年々姿を変えていく。
昔懐かしいあの頃の立石の街並みは、もうどこにもない。
3年間通った支店の跡地には、今では立派なマンションが建っている。

思えばあの頃は遅くまで働いていたものだ。その上に仕事を寮に持ち帰ってもいた。
懐かしいあの頃にもう一度戻ってみたい気もするが、今あの頃のように働けと言われると、ちょっと怯んでしまう。つらい思い出は、時間のフィルターがろ過してくれる。
立石に残っている思い出は、今や良いものがほとんどだ。

普段離れているから変化がわかる。
考えてみれば、実家の周辺だって随分変わっている気がするが、いつも目にしているのでわからない。我が町だって、住み始めた頃から比べると、別の街と思うかもしれないほど変わっている。またさらに20年もしたら、もっと変わっているのかもしれない。

今は当たり前の町並みだが、いずれ思い出の中でしか見られない光景になる。
そうなる前に、少しは写真にでも残しておこうかという気もする。我が町は終の棲家となるだろう。いずれ杖にすがって歩く日がくるのだろうが、この街の変化だけはリアルタイムで追いかけていく事にしたいものである・・・


【本日の読書】
パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス, 小林 弘人, 関 美和   1Q84 BOOK 3 - 村上 春樹





2012年5月22日火曜日

石原都知事と尖閣諸島

 石原都知事が尖閣諸島の購入計画をぶち上げた時、正直言って「またか」と思った。かつて既存の銀行を批判し、「貸し渋りをしない銀行」と銘打って新銀行東京を作ってしまった。銀行員の常識から考えて、「理想ばかりで実情がわかっていない、うまくいくわけがない」と当初から公言してきた。と言っても私の発言力などないも等しいから、何の意味もない。

 そして新銀行東京は、私の予想言通り、それも予想以上のスピードで失敗した。後日、失敗の原因は経営の問題であるような事が言われていたが、そもそもコンセプトが間違っているのだ。誰が経営したってうまく行くわけがない。既存の銀行が審査能力をフルに使って、「危ないから貸さない」と判断したところに貸そうと言うのだ。それも無担保無保証という理想を唱えて、だ。結果などバカでも予測できる。

 そして今回だ。尖閣諸島を守ろうという心意気は良しだ。後出しじゃんけんで、領有を主張してきた中国のやり方は、まさにヤクザと一緒。日本人の性質もあるだろうし、過去の反省もあるだろうし、今後を慮る気持ちもあるのだろうが、今の政府の態度は「弱腰」とマスコミに責められても仕方ない。そんな中で気炎を上げたのは、石原都知事らしい。

 しかし、都民の税金を使って東京都が尖閣諸島を買おうなんて、どこから発想が湧いてくるのか、呆れるやら何やら。そもそもこれだけ問題を抱えている島が個人の所有物だった事が驚きなのだが、買い上げるなら本来国か沖縄県がやるのが筋だろう。遠く離れた東京都がしゃしゃり出るところではない。それも都民の税金を使って、だ。都民税は東京都の為に使われるべきものだ。それを個人の思いつきで、遠く離れた島にばら撒こうなどという事はとんでもない事だ。圧倒的都民の支持を背景に、好き勝手やっている。

 それに実際の効果の点でも疑問だ。そんなもの買ったところで、まったく意味がない。そもそも領土は国家主権の範疇だ。所有権など国家主権の前には、なんの力もない。仮に中国軍に占領されたとしたら、いくら権利証を振りかざして所有権を主張したところで、鼻で笑われるだけだ。そんな事、当然わかっていると思うのだが、一体何を考えているのやら。

 しかしその後、そんな事情を知ってか知らずか、購入資金寄付の申し出が絶えないらしい。5月21日時点で総額8億4,000万円もの寄付金が集まっていると言う。なんと愛国の徒が多いのだろうと感心してしまう。まだ日本も捨てたものではない。寄付金で買うなら話は別だ。私の納めている都民税が使われないのなら何だって好きにしてよ、と言うところだ。

 何の意味もないと言ったが、国民の愛国心を煽るという意味では、大いに効果があったようだ。8億4,000万円が多いか少ないかは別として、これだけのお金が集まってくる意味は大きいと思う。意図した結果ではないだろうが、この結果は認めざるを得ない。国会議員と違って都知事の立場は、対中国では好きな事を言えるのかもしれない。

 まあこの点では、頑張って下さいねと一歩引いておこう。「都税を使わないなら」の条件付きなのは言うまでもないのである・・・


【本日の読書】

パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス, 小林 弘人, 関 美和  1Q84 BOOK 3 - 村上 春樹




2012年5月16日水曜日

書評

ブログを始めてもう何年にもなる。自分の考えをあれこれと綴るのは結構楽しいもので、それでずっと続けている。公開する以上、ある程度「人の目」というのを意識するものだと思うが、映画の感想ブログは純粋に自分のためだけに始めたものだ。

始めた動機というのは、実は内容を忘れてしまうためだ。映画を途中まで観て、何となくデジャヴを感じて、調べてみたら一度観た映画だったなんてたまにあったし、そこまでいかなくとも、観た記憶はあってもストーリーを思い出せないなんてしょっちゅうだったからだ。あとで思い出す手助けにしようと、ブログにしたのだ。

やってみると、ブログは検索機能もあって、備忘録としては申し分ない。画像データをつけていると、記憶の補助になるし、Youtubeでの予告編があれば映画は完ぺきだ。その延長で本の感想も始めたのだが、こちらも効果は十分だ。

ところが最近、本の方は少し変わってきた。本文はアマゾンの当該本のページにリンクを貼っているのだが、そのアマゾンからの月一回のレポートが送られてくる。アマゾンへのリンクは「アフィリエイト」になっていて、そのリンクから当該本を買うと、その報酬が還元されるのである。レポートはその実績報告だ。

報酬が還元と言っても金額はたかが知れている。一冊あたり数十円だし、マーケットプレイスという中古本だと1円という事もある。大事なのは金額ではなく、実績だ。例えば先月は、「下町ロケット」が3冊売れた。どこの誰かもわからない人が、私の書いた書評を読んで本を買ったのだ。しかも3人も、である。なんとなく嬉しいではないか。

会社の同僚とはよく互いに最近読んだ本の情報を交換している。それは顔の見えているところもあるし、あいつが読んで面白かったなら読んでみようと思わせられるところがある。だが、ブログはまったくの知らない人だ。また違う意味がある。

やっぱり自分の書いたものだ。何らかの反応があれば嬉しいというもの。Facebookには「いいね!」という機能がある。それが一つでもあれば、誰かが読んだとわかる。しかしブログにはない。その代わりになるのが、アマゾンのレポートだと言える。

こちらはただ感想を読んだと言うだけでなく、実際に自分でも読んでみようと思って本当に買った記録だから重みが違う。そうすると、今度は「それを目当てに」なんて気持ちも湧いてくるが、それをやっちゃあおしまいな気がして、スタイルは変えていない。もともと自分の読書記録だし、あくまでもそのスタイルは維持するべきだと思うからだ。面白くないと思った本は、素直に面白くないと書いている。

例えば、最近本屋で山積みになっていた「あんぽん孫正義伝」なんかは、まったく面白くなかった。面白そうだと思っている人が、手を出すのをやめる手助けになれば幸いだ。チリも積もれば山となる。一件一件は大した金額ではなくとも、半年ほどすると新刊本一冊くらいになるので、アマゾンで本の購入に活用している。これはこれで一種のご褒美とも言える。

意外な産物を生みだした「自分のための書評」であるが、月に一度のレポートを楽しみにしつつ、本来の目的をそれる事なく、これからも続けていこうと思うのである・・・


【本日の読書】

偶然の科学 - ダンカン ワッツ, 青木 創  采配 - 落合 博満





2012年5月14日月曜日

我が家はビック派

ビックカメラがコジマを買収するとの発表があった。傍から見ていても家電量販店は激戦だ。都心部に強いビックカメラと郊外型のコジマとは補完関係も働いて、シナジー効果が期待できるという。両者あわせて業界第2位になるのだとか。業界2位と言っても首位のヤマダ電機の売上高は2兆円を越えており、まだなお2倍の開きがある。

そう言えば我が家の購買パターンも、大型家電は都心(池袋)に出てヤマダ電機とビックカメラで比較し、その他は地元でヤマダ電機かコジマに行くというパターンだ。ビックカメラとコジマの業務提携は、ポイントカードが統合されるのであれば誠にありがたい話だ。

昔は電気製品と言えば秋葉原だった。親父の買い物について行ったのも、中学生の時に初めて店頭でパソコンを見た時も、最初と2台目のパソコンを買ったのも秋葉原だった。今秋葉原は、業界2位のエディオン傘下の石丸電気くらいで、あとはどうなっているのか知る由もない状態だし、それどころかメイド喫茶とかオタクの街というイメージだ。

そうならしめたのはヤマダ電機だと言えるのだろうが、業界ダントツ首位のヤマダ電機であるが、我が家でのステータスは今一だ。薄型テレビを買った時も、先日エアコンを買った時も、さらに先週は洗濯機も買ったのだが、いずれも価格を比較した上でビックカメラで購入した。池袋においてはビックカメラの方が安い、というのが我が家の常識だ。

ヤマダ電機に行って価格を尋ねると、(もちろん値札は下がっているが、要はいくら下げてくれるのという意味である)店員さんは手持ちのハンディ端末で製品のバーコードを読み取り、その場で価格提示してくれる。「ビックさんは○○円だった」というと、「少々お待ち下さい」と言ってどこかへ行き、(たぶん上司と相談するのだろう)「○○円です」と回答してくれる。それがファイナルアンサーで、それ以上は粘っても無駄だ。

ビックカメラは、同様に聞くとその場で電卓を取り出す。ヤマダ電機よりも安い価格提示をしてくる事が多い。両者の違いは、ヤマダ電機はポイントはつけず、ずばり価格を下げてくる。しかし、ビックカメラはポイントで還元する。価格だけならヤマダ電機の方が安く、次にポイントを使って何か買うのであればヤマダ電機にするのだろう。

もう一つ1年のメーカー保証とは別に製品の5年保証というのがある。ヤマダ電機は無料だが、ビックカメラは有料だ。ただこれは交渉すればタダになる。我が家には関西系の強力ネゴシエーターがいるから、5年保証の料金など取られた事がない。だからポイント還元に甘んじるなら、実質的にビックカメラの方が安いというわけだ。両社とも現金価格が基本なのだが、ビックカメラはビックカードを使えば現金扱いにしてくれるという点もありがたい。

幸い買い物する機会などいくらでもある。プリンターのインクなどは常に必要だし、電球だってそうだし、さらにこの頃はおもちゃだって、家電量販店に買いに行く時代だ。かくして必然的に我が家はビックカメラ派となっているわけである。今後コジマでビックカメラのポイントが使えるようになると、ますますヤマダ電機から足が遠のく事になりそうだ。

地元では今のところヤマダ電機に行くパターンが多い。近所の電気屋さんを応援したい気持ちはあるのだが、やはりいまのところサービスよりも価格第一であるし、残念ながら当分このパターンは変わらないだろう。当事者は激しい競争で大変なのだと思うが、消費者からすると随分助かっている。

我が家も結婚以来の家電が買換え期に来ている。次は冷蔵庫だ。妻が今虎視眈々と機種を選別中だ。いずれビックカメラさんに行く事になるだろう。これからグループで業界2位になると言うし、我が家は応援団なのでこれからも是非頑張っていただきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
偶然の科学 - ダンカン ワッツ, 青木 創  采配 - 落合 博満





2012年5月11日金曜日

汝の味方を愛せよ

日本海呼称めぐり請願合戦 米政府HPが一時ダウン
2012.4.21 22:34
 韓国紙の朝鮮日報(電子版)は21日、米国の教科書に記載されている「日本海」の呼称を「東海」に変更するよう求める韓国人と現状維持を訴える日本人がそれぞれの要望文を米ホワイトハウスのホームページ(HP)の「請願コーナー」に互いに大量にアップしたため、同HPが一時ダウンしたと報じた。
 同紙によると、米首都ワシントン郊外のバージニア州の韓国人会が3月下旬、「子どもたちが間違った歴史を学ばされている」として「呼称の訂正」を要求する請願文を寄せたのを機に韓国人の請願運動が始まった。
 今月半ばにはこうした動きに反発する日本人の文章がアップされ、双方が懸命に呼び掛けを行っている。同HPに寄せられた呼称変更を求める署名は計2万5千人以上といい、大半は韓国側のものとみられる。(産経ニュース)
*********************************************************************************
三浦綾子の『氷点』 という小説がある。自らの娘を殺した男の娘を引き取った夫婦と、引き取られた娘陽子の物語である。「汝の敵を愛せよ」というキリスト教の教えを実践に移し、夫は自分の娘を殺した男の娘を引き取ったのだが、やがてその事実を知った妻は、陽子に対し冷たい仕打ちをするようになる。そしてそんな母の対応に戸惑いながら、陽子は自らの実父が育ての親の実の子を殺したという事実を知って苦悩する。

深い味わいのあるストーリーとは別に、クリスチャンでもある三浦綾子のこの小説によって、私はそれまで何となくよくわからなかったキリスト教の「原罪」という考え方がよく理解できた。父の犯した許されざる罪にその子供が苦しむというのは、普通に考えると理不尽だ。だがそんな理不尽な原罪が、我が国にもあると言える。そんな原罪とどう向き合えばいいのか。韓国に対する態度は、それに対する回答のようなものだと思う。

最近の事、ホワイトハウスのサーバーが日韓両国からの請願アクセスによりダウンしたと産経新聞が報じた。韓国は今「日本海」を「東海」という呼称に変えようという運動をしている。アメリカ政府に対し、米国の教科書に記載されている日本海の呼称を改めるように要請し、それに危機感を持った日本の愛国者が阻止の請願を出したのである。またその後、アメリカ・ニュージャージー州の韓国系住民の多いパリセイズパーク市で、公立図書館に従軍慰安婦の碑を建てたと報じられていた。

韓国は竹島を実効支配し、従軍慰安婦問題なども含めて何かと反日的だ。日韓対抗のサッカーの試合でも、東北大震災の被災をあざ笑う横断幕が出されたりしている。そんな対応は腹立たしいし、私も反韓感情を隠していない。中国は重要な相手だし、反日とともに親日的な要素も持っているから、うまく折り合いをつけて付き合っていくべしと考えているが、韓国には親日的なものはまるで感じられない。喧嘩をすべしとは思わないが、あえて関わり合う事もないという考えだ。

だが韓国の立場に立つと、理解できるところもある。人間はやった事よりやられた事を根強く覚えている。原爆や空襲で大勢の市民を虐殺されても笑顔でアメリカと付き合えるのは、日本人には「水に流す」という文化があるからだと言うが、韓国にはない。今でも朝鮮人という言葉の中には蔑みのニュアンスがあるし、「チョン」という言葉もある。差別意識は昔からずっとあるし、彼らの痛みも相当なものだと言える。加害者にはわからない痛みだろう。

それこそが日本人の原罪だと言えるのではないかと思う。そうだとしても、だから何でも黙って耐えるべしとも思わない。日本海は韓国が主張する遥か以前から日本海と世界で呼称されているし、竹島はサンフランシスコ講和条約で世界から日本領と認められている(正確に言えば韓国領とはされなかった)。従軍慰安婦問題は、国家としての犯罪ではないという主張の方が筋が通っている。主張すべきはところはきちんと主張すべきだ。

原罪に対する贖罪意識も大事だと思うが、それだけでは永続的な関係は築けない。だが相手が許さないのなら仕方ない事だ。もう諦めるしかない。それよりももっと目を向けるべきものがある。台湾やトルコなどの親日的な国との付き合いが実に希薄だ。相手の好意をもっと重要視し、それに最大限応える努力をもっとすべきではないだろうか。

最近ではウズベキスタンもかなり親日的なのだと知ったし、日本に好意を持ってくれる国はかなりあるようだ。そうした国々と官民あわせ、国際協力・交流を進めるべきではないかと思うのだ。韓流ブームなどと浮かれているべきではない。台湾映画だってもっとみんなが観るべき感動的なものはあるのである(「海角7号 君想う国境の南」など)。

「汝の敵を愛す」などという事は、キリスト教徒ではない私にはできそうもない。それよりも「味方を愛す」努力をしたい。韓国に行く暇や金があるのなら台湾に行きたい。日本政府の冷たい対応に反し、多大なる義援金を送ってきてくれたこの国をもっと大事にすべきなのだ。韓流よりも親台のスタンスをこれからも貫きたいと思うのである・・・


【本日の読書】
采配 - 落合 博満  偶然の科学 - ダンカン ワッツ, 青木 創





2012年5月8日火曜日

国営武蔵丘陵森林公園

連休最終日の6日。
この日は予定通り埼玉は東松山にある森林公園に行ってきた。
ここは我が家のお気に入りスポット。
広大な敷地に長いサイクリングコース。
お弁当を食べて一日遊ぶには十分なところである。
とは言え、気がつくと行くのは実に2年振りであった。

関越自動車道も渋滞はなく、我が家を出発して45分後には現地に到着。
南口ゲート前のレンタサイクル店の駐車場に車を入れる。
ここで一日自転車を借りる。
先月自転車を購入したばかりの長男だけは、愛車持参だ。
ここは広過ぎて自転車がないとほとんど動きが取れないのである。

さっそくサイクリングコースを滑走。
息子も愛車を誇らしげに走らせる。
全長17キロほどらしいが、のんびり1時間ほど走ってもまだすべては回れない。
あちこちで休憩しながら、プレイスポットを探す。

程よい広さの広場に自転車を止めて、芝生に繰り出す。まずは野球。
小学校1年の息子もこの頃、投げ方が様になってきた。
打つ方もそれなりに打ち返せるようになってきた。
あと2年もすれば地元の少年野球チームに入れるだろう。
サッカーなどの脇道にそれないようにしっかり指導しないといけない。

すると、ここで突然の雷雨。
激しい雷と雨に思わず雨宿り。
天気予報では夕方からだったのにと恨めしく空を見上げる。
しかし30分ほどで晴れ間が射してくる。
それはそれで良かったのだが、芝生にシートを敷いてお弁当(そして昼寝)というプランは、芝生が濡れてしまったため脆くも崩れ去ってしまった。

それにしてもこの時期は本当に緑がまぶしい。桜の季節も大好きだが、新緑のこの季節もそれに負けないくらいのお気に入りだ。木々の間を吹き抜けてくる風の心地良さ。鳥のさえずりも耳に優しい。呼吸をするたびに、体の中からリフレッシュするような感覚を覚える。「森林公園」の名前も伊達ではない。

2度の雨宿りは残念だったが閉園まで満喫。帰りの関越もさしたる渋滞もなく、帰ってくる。夕食は新座にあるモダンパスタ。
記憶を頼りに寄ったのであるが、何とメニューが以前と変わっていて、「ピザ食べ放題」がある。パスタ一品に、各種ピザが食べ放題なのである。こうなると遊び疲れもどこへやら、目の色を変える我が家族(と言っても妻と娘だけであるが)。夕食もすっかり堪能した。

寝る前に子供たちに何が一番良かったか、と恒例のアンケート。「野球!」「バトミントン!」と元気な返事が返ってきた。娘からは密かに「ピザ食べ放題!」という答えが返ってくるのではないかとヒヤヒヤしたが、何とか杞憂に終わった。みんなの笑顔がパパの幸せ。この季節の恒例行事にしてもいいかな、と思うパパなのである・・・


【本日の読書】
われ日本海の橋とならん - 加藤 嘉一  偶然の科学 - ダンカン ワッツ, 青木 創




2012年5月4日金曜日

月島もんじゃツアー

GW前半の3連休は妻と子供たちが風邪でダウン。
後半4連休に復帰したものの、今度は雨。
なかなかうまくいかないものであるが、それでも本日雨の中、娘のリクエストである「月島もんじゃツアー」に家族で繰り出してきた。

月島のもんじゃと言えば、関西人の妻と新婚時代に一度行って以来である。
当時は東京のどこもかしこも珍しかった妻が、東京にあるもんじゃなるものを食べてみたいという事で出掛けて行ったわけである。
何せお好み焼きとたこ焼き文化圏の関西人としては、「東京のもんじゃがなんぼのもんじゃ」と見極めてやろうといったノリであった。

今やその血(食い意地)を色濃く引き継ぐ娘が、月島のもんじゃへ行きたいと言い出した。
実は近所にもんじゃ屋があるのだが、そこのもんじゃを気に入った娘に、本場のもんじゃはもっとおいしいと妻が囁いていたという経緯もある。
雨なら人も少ないかもしれないと、電車を乗り継いで行った。

あらかじめ妻が選び出していた店を何軒か見て回る。
月島のもんじゃストリートも、15年前とは様変わりして、道路を綺麗に舗装し、洒落たアーケードなんかを作っている。
ちょっとした観光地だ。
こういう地域の取り組みはいいと思う。

まず手始めに選んだのが「麦」。
まだ午後4時と早いせいかあまり混んでいない。ここで人気筆頭のスペシャルともちもんじゃを平らげる。
さすが本場の味にみんな満足。

続いて「いろは」。
ここでもそばとベビースター(息子のリクエストだ)の2種類。ちょっと抵抗を感じたが食べてみると意外にいける。

初めの1枚目こそ店員さんに作ってもらったが、2枚目からは子供たちも参加して手早く作る。
サクッと食べて、次の「蔵」へ。


ところがここは大変な行列。
行列=おいしいという方程式を身につけてきた妻からすれば、並ぶのは当然。
幸いベンチもあるし、お腹も適度にふくれているしで待つ事にする。

我々のようなはしご族は少ないようで、中の人たちはじっくり腰を落ち着けて食べている。暇に余せてあたりを観察。
反対側の洋食屋はお客さんもまばらで、マスターらしき人がぼんやりと通りを見つめている。
となりのもんじゃ屋は食べ放題なのだが、半分しか入っていない。
靴屋もあるが、人影はない。
そんな中で「蔵」の前だけ人だかりである。

待つ事1時間半。
7時も過ぎれば夕食時でさすがにあたりに人が増える。
他へ行くべきかと偵察に出た妻が、どこもかしこも「お待ち」だと報告に来る。
さすがにゴールデンタイムはどこも人が溢れているようである。
そうこうするうちに我々もテーブルに着く。
もう他へ行く時間はないとここで食べきる事を子供たちにも宣言。

ここはノーマルなもんじゃも味が濃くておいしい。
妻はクリームタイプを絶賛。
イメージ的にはグラタン的だが、けっこういける。ここで5枚。
息子は早々にリタイアしたが、娘はもう一枚いけると目を輝かせる。
さすがにもうやめよう、代わりにお茶菓子でも買って帰ろうと娘をなだめる。

満腹しての帰り道。
妻が何やら行列を見つけて素早く並ぶ。
よく見れば月島久栄という店で、こだわりの焼きたてメロンパンが自慢らしい。
土産に買うべしとなる。

ちなみに食べ物屋の前に行列とくれば、まず並ぶのが関西人の妻の習性である。
よくビジネスでは素早く実行に移す事を例えて、「構え、撃て、狙え」とするが、行列とみた妻は、「狙え、並べ、買え」ではなく
「並べ、狙え、買え」となるのである。
妻の前に並んでいたどこかの奥様が、妻に話しかけてくる。
「ここおいしいんですか?」
どうやらこの人も、まずは並ぶべしと考えたらしい。

妻と歓談するその奥様に向かって、「お前は関西人か!」と心の中で突っ込みを入れる。
焼きたてのメロンパンは、やはりこだわりの焼きたてをと、一つその場で食べてみる。
やはりこだわりだけあって美味。
ちなみに帰宅してからもう一個食べたが、冷めてもそれなりに美味であった。
「また行きたい!」と嬉しそうな娘。

渋滞の中出掛けていかなくても、これだけ喜んでくれるのだから、まあ良いのかもしれないと親としても嬉しく思う。
また連れて行ってあげるよと、娘に約束した。
「今度は『おしお』か『こんどう』ね、『蔵』ももう一度行かないとね」
後ろで妻が娘にそう囁いていた・・・