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2025年2月27日木曜日

紛争は終わるのか

 戦火の飛び交っていたガザ地区で停戦が実現し、ウクライナでも停戦の動きが出てきた。停戦の条件を巡っては当事者間でいろいろと思惑があるのかもしれないが、殺し合いが止まるという事はなによりも好ましいと思う。ガザでは世間的にはパレスチナ寄りの意見が多数であるように思う。ウクライナ戦争ではロシアよりもウクライナに対して同情的である。しかしながら、喧嘩には双方に理由があるものであり、どちらか一方にのみ肩入れするのはどうかと思う。トランプ大統領の誕生はいろいろと物議をかもしているが、停戦の気配が出てきたのはトランプ大統領の功績に間違いはないと思う。

 良し悪し別としていきなりプーチン大統領にコンタクトを取ったのは正解だったのだろう。もともとアメリカがロシアを追い込んだと思っているし、アメリカの支援で戦争が継続しているわけであり、そのアメリカがロシアに歩み寄れば停戦の話が出てくるのも当然だろう。これに対し、ウクライナが頭越しの交渉を批判するのもよくわかるし、ヨーロッパがアメリカが単独で動く事を警戒するのもよくわかる。要は「どこに視点を置くか」であるが、「停戦」というところに視点を置くなら、トランプ大統領の行動は正解だと言える。

 視点を「停戦の条件」に置くなら、ロシアに歩み寄る事はロシアに有利な停戦条件になる可能性があり、当事者のウクライナをはじめとして不満に思うところは多いだろう。あえて侵略に打って出たロシアの行動を正当化するものであり、今後の影響を考えたならまずいのかもしれない。1名でも多く救う事を考えて「停戦第一」に考えるか、今後の影響を考えここまで来たのだからさらなる死傷者が増えようと好ましい「停戦条件第一」に考えるか、どちらもそれなりに筋は通っており、あとは「考え方」次第であると思う。

 ガザの停戦も好ましい事だとは思う。世の中は「イスラエル=悪」に傾いているように思うが、そもそもの発端はハマスの暴挙であり、市民約1,200人を殺害し、240人以上を人質とした行動はどんな理屈をもってしても正当化はできないだろう。これに対するイスラエルの反撃により、パレスチナ市民4万人以上が亡くなっていて、イスラエルに囂々たる非難が寄せられているが、一方でハマスに対し、「直ちに人質を全員解放せよ」という声が聞こえてこないのはどういうわけかと思う。

 少し前に『ハマスの実像』という本を読んだが、これはハマスを取材して行くうちにハマスにシンパシーを感じてしまったジャーナリストの一方的なハマス寄りの偏った立場から書かれているものである。そもそもであるが、自らの要求を通すために武力でもってなそうというところが既に間違っている。それも私の個人的な考え方であるが、やはり武力ではなく平和裏に交渉によって勝ち取るべきものだと思う。「天井のない牢獄」と称されるイスラエルのガザへの圧力は確かにひどいのかもしれないが、それはハマスの武装闘争方針がもたらしているものと言える。

 ハマスもイスラエルが反撃する、そしてそれによって市民に死傷者が多数出るとわかっていてなぜ武力で攻撃を仕掛けるのだろうか。自らの信念を通すためなら自分たちの同胞に被害が出ても構わないと考えるのはなぜなのだろうか。『ハマスの実像』の著者はハマスこそがパレスチナの代表だとするが、本当にパレスチナの市民はハマスを自らの代表だと思っているのだろうか。もしそうだとすれば、自分たちに被害が出てもそれはそれで仕方がない、それにも増してイスラエル憎しの感情が上回っているという事になる。そしてそうだとすれば、「被害覚悟の闘争」と言える。

 被害覚悟の闘争であるなら、イスラエルのみを非難するのはやはり間違っていると思わざるを得ない。個人的にはパレスチナの人には非武装闘争をしてほしいと思う。すべての武器を捨ててガンジーのような非暴力の抵抗に出るなら、国際世論はパレスチナの方に傾くと思う。イスラエルも硬直的な態度を改めないといけなくなるし、その方が遥かにパレスチナ問題の解決に近づくと思う。そうした考えがパレスチナの人々の間に生まれてくるのは、まだまだ時間がかかるのだろうか。

 世の中話し合いだけですべて解決できるほど人間は人間ができているとは言い難い。しかしながら殺し合いよりは時間がかかっても話し合いで解決するスタンスは捨てて欲しくないと思う。我が国の近隣にもきな臭い煙が漂っているが、何とか賢明なる解決策を後世に残してほしいと思うのである・・・

HUNG QUACHによるPixabayからの画像


【本日の読書】
「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30 - 木下勝寿 刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗





2024年4月21日日曜日

中東紛争

 昔から中東情勢には興味を持っていたが、昨年10月にハマスがイスラエルを攻撃し、民間人を虐殺して人質を取るという大胆な作戦を実施。それに対してイスラエルがガザ地区へ侵攻して反撃と人質奪還を目指している事態には面が離せない。ウクライナ・ロシア戦争と加え、このイスラエルのガザ侵攻も私の興味を引っ張られる出来事である。いつになったら平和が訪れるのだろうと思わずにはいられない。今回の出来事は、平和的解決がまた遠のいたように思えるが、もしかしたら逆に近づくのかもしれないと思ってみたりする。

 国際世論は、犠牲者が増加の一方であることをもってイスラエルに厳しい。しかし、イスラエルからすれば、自国の民間人を虐殺され、人質まで取られたら強硬策に出るしかない。例えパレスチナの民間人に犠牲者がでようとも、であろう。そもそもであるが、以前からハマスは自国民を平気で盾に使っている節がある。病院からロケット弾を発射し、イスラエルが発射拠点としての病院を叩けば、「病院を攻撃した」と非難する。それで国際世論を味方につけようとしているのだろう。

 その国際世論を味方につけるという作戦は、今回は有効に機能している。イスラエルの絶対的な後ろ盾であったアメリカも、イスラエルに対して渋い顔をし始めている。これこそハマスが狙ったことであるのだろう。軍事力ではイスラエルに勝てない。ならば国際世論を味方につけるというのは、極めて合理的な作戦であると言える。今回、イスラエルは残るガザ南部地区に侵攻を図ろうとしている。それに対し、更なる犠牲者の増加を回避すべく、国際世論はイスラエルの攻撃に反対している。

 まさにハマスの狙い通りである。だが、味方の民間人を犠牲にするという戦術は、果たして当のパレスチナ人たちにどう思われているのだろうかと疑問に思えてならない。自分たちの選んだ代表だから仕方ないと思っているのか、それともハマスの戦術に気が付かずに利用されているだけなのだろうか。各国もイスラエルに対して自制を求めるだけで、ハマスに対して人質を解放しろと要求しているようなニュースは、国連事務総長とロシアくらいであまり目にしない。

 本来は、イスラエルを非難する前にハマス非難が先だと思うが、軍事力の大きさだけでイスラエル批判の声の方が大きく感じる。そしてここに来て、イスラエルがイラン大使館を爆撃し、新たな展開に発展する可能性が出てきた。イランも報復を宣言し、どうなるかと思われたが、事前予告付きのドローンや巡航ミサイルでの空襲で、しかもほとんど撃墜されたのにも関わらず、イランが報復終了と宣言した。これは「形ばかりの報復」のように思えて安堵していたが、イスラエルが更なる報復をした。これがどうなるのだろうか。

 双方とも、体面を維持するための「形ばかりの報復合戦」であればいいが、本格的な衝突となればどうなるかはわからない。かなり危険な傾向に思えるが、イスラエルもガザと北のヒズボラをも相手にしているだけに、イランにまで手を出すのは危険なように思う。あまりエスカレートしなければいいなと思わざるを得ない。長く続くパレスチナ問題であるが、そろそろ本格的に平和的解決を目指していけないのかと思う。

 ただ、それには「イスラエル殲滅」を掲げるハマスの方針変換が必要であり、それは内部的な動きを期待するのは難しく、やはり外圧によるしかないのかもしれないと思う。そしてその外圧とは、今回のイスラエルによる侵攻なのかもしれない。イスラエルの侵攻によってハマスが壊滅的な打撃を受け、これまでの路線変換となればそういう可能性もあるのかもしれない。そう考えれば、今回の紛争にも意義があると言える。

 どちらにせよ、平和的な解決が早く訪れことを願いたいと思うのである・・・

Eduardo CastroによるPixabayからの画像

【今週の読書】

資本主義の中心で、資本主義を変える (NewsPicksパブリッシング) - 清水大吾  三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶







2022年3月2日水曜日

ロシアのウクライナ侵攻を憂う

 ロシアがウクライナに侵攻してはや一週間が過ぎた。事前に相当期間に渡って警告されてはいたものの、まさか本当に侵攻するとは思わなかったので、個人的には驚きである。クリミア半島を手中に収めて満足していたのかと思っていたが、どうやらまだ火種は燻っていたらしい。なぜロシアがウクライナに侵攻したのかというと、それはウクライナのNATO加盟を阻止するためだったと言われている。

 ウクライナがNATOに加盟すると、ロシアの目と鼻の先にNATO(つまりアメリカ)のミサイルが配備されてしまうからであるとされているが、専門家によるとそれに加えてロシア側の軍事情報も渡ってしまうからだという。侵攻すれば経済制裁を受けるというのはわかっていたであろうし、それによる深刻な経済的影響もわかっていたであろうが、それ以上にウクライナのNATO加盟がロシアに与えるダメージが大きかったのであろう。

 アメリカ及び先進国は一斉にロシアを非難し、経済制裁に入ったが、そもそもそれにも違和感を禁じ得ない。なぜなら、事前にプーチン大統領がウクライナをNATOに入れるなと要求していたのに対し、応諾していれば今回の侵攻もあり得なかったはずである。本気で軍事的衝突を回避しようと思うのであれば、簡単にできたわけである。それをやらなかったのはなぜなのか。それこそが、何百年と続いている人類の戦争の原因そのものである。つまり、「領土(あるいは資源)分捕り合戦」である。

 戦争の歴史は、この「領土(あるいは資源)分捕り合戦」である。それが現代でも連綿と続いているわけである。アメリカはソ連の崩壊を機に一気に旧東側諸国を自らの軍事同盟であるNATOに引き入れ、今回さらにウクライナを引き入れようとしていたわけである。ロシアはそれを阻止しようとしていたわけであり、まさに領土分捕り合戦である。アメリカは正義の味方ぶっているが、アメリカがちょっかいを出さなければロシアも実力行使に出なかったわけである。

 ウクライナもそういうロシアの考えはわかっていたであろうし、わざわざNATOに入ろうとしなければよかったわけである。ましてやNATOは「軍事同盟」である。それも仮想敵国はロシアである。EUのような経済同盟ならまだしも、わざわざロシアの目の前で入る理由はないだろう。もちろん、だからと言って軍事侵攻するのは仕方がないなどという気はないが、そういう背景事情をきちんと理解していないと、表面的な事実だけ見ていても物事は解決しないと思うのである。

 およそ大国は今でも世界で分捕り合戦をやっている。今回は正義感ぶっているアメリカも石油資源をめぐってイラクに侵攻したのは記憶に新しい。時のフセイン政権を「大量破壊兵器を隠している」という理由をでっち上げて、圧倒的な軍事力で葬っている。ロシアを非難できる筋合いではない。そして最近は中国が台頭してきてアメリカに挑んでいる。台湾を狙い、我が国の尖閣諸島や沖縄を狙っている。どうして他人から分捕ってまでして奪おうとするのだろうか。平和に暮らそうという発想ができないのだろうか。「奪い合えば足らぬ、分け合えばあまる」というあいだみつおの言葉を教えてあげたくなる。

 それはともかく、一刻も早い停戦が望まれるわけであるが、相当の覚悟を持って軍事侵攻したロシアをストップさせるにはなかなか難しいものがあると思う。しかし、いち早く停戦させようと思えば、経済制裁よりももっと効果的な方法がある。それはウクライナをNATOには加盟させないと欧米が約束することである。まさにプーチンがそれを望んで公言しているわけであり、これほど簡単なことはない。あるいはウクライナ政府自体がそれを約束すれば済む話である。実に簡単である。

 返す返すもNATOは「軍事同盟」である。「そんなの自由だろ」というものではない。軍事同盟の加入を巡って軍事力の行使に至っているわけであるから、ある意味、責任はNATOとウクライナにもあると言える。ロシアが北方領土を返還しないのも、北方領土に日米安保に基づいてアメリカのミサイルを配備されるのを嫌っているからだと言われている。あちらでもこちらでも、アメリカの裏の顔がちらついている。大国の領土・資源分捕り合戦はいい加減にしてほしいと思わざるを得ない。

 いつまで分捕り合戦をやっていれば気が済むのであろう。みんなで譲り合って暮らせないものなのかとつくづく思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
 



2021年8月26日木曜日

タリバン政権について思うこと

 アフガニスタンから米軍が撤退すると発表され、その期限が迫るとなった途端、タリバンが北部の州都を制圧し始め、あっという間に首都カブールに侵攻し、政権が崩壊してしまった。米軍が撤退を発表してからあれよあれよという間である。カブールでは外国人はともかく、アフガン人の米軍協力者やタリバンを恐れる人々が空港に殺到しているという。中には発進した輸送機に乗り切れない人が機体にしがみつき、離陸後に落下するという悲劇も起きているらしい。

 なぜ、こんなにも早くタリバンが侵攻し、政権が崩壊してしまったのだろう。ニュースをさらりと聞き流しそうになって、ふと興味を持ってみた。タリバンは中露の後押しを受けているということであるが、総兵力は約6万人と報じられている。一方、これに対するアフガニスタン正規軍は30万人。さらにアメリカは2002年以降、アフガン治安部隊に880億ドル(9兆7000億円)の資金支援を実施し、軍用ヘリコプター「ブラックホーク」など多数の米国製の装備品も提供してきたという(日経新聞)。戦力では圧倒的な差があるはずである。

 ただ、アメリカも圧倒的な戦力差がありながらベトナムで負けた歴史がある。戦力差だけで単純に比べられないのは確かである。しかし、激しい戦闘の上で敗退したならともかく、わずか3週間ほどの短期間であり、「蜘蛛の子を散らす」ように正規軍が逃げた雰囲気がある。おそらく士気の差が圧倒的だったのだろう。いくら装備に優っていても、立ち向かう気持ちがなければ武器などなんの役にも立たない。それに汚職なんかも激しかったようだし、ガニ大統領は札束抱えて亡命したらしいし、そのあたりに原因があるのだろう。

 我々が見ているのは常に「西側」のニュースである。私が薫陶を受けた師匠は、「複眼思考」という言葉を常々語られている。物事を一方向からだけ見るのではなく、角度を変えて見るということである。今回のニュースでは、タリバンの偶像破壊とか女性抑圧とかの蛮行が強調され、慌てて女性のポスターを剥がす店舗や不安を訴える人々の話などが報じられている。しかし、「アメリカ」を「ロシア」あるいは「中国」と置き換えると、ニュースのニュアンスはガラリと変わる。それが偏っている何よりの証拠である。

 そもそも6万人の兵力だけで国土を支配することができるはずもない。それも重装備の正規軍が30万人もいるのに、である。ニュースではタリバンを恐れる人々の顔しか映さないが、支持する人だって当然いるわけである。アメリカが南ベトナムを支えきれなかったのも、北ベトナムの軍事力が強かっただけではなく(むしろ軍事力ではアメリカ・南ベトナム側の方が優れていたのである)、市民レベルで南ベトナム政府が支持を得られなかったからに他ならない。今回のアフガニスタンも結局のところ同じなのではないかと思う。

 かと言って、タリバンが正義というわけではない。現にタリバンは早くも元政府軍への総攻撃を開始し、厳格なイスラム思想に沿った女性や子供達への締め付け、米軍協力者の捜索が拡大しているという。要はどちらが正しいかという話ではなく、どちらが国民の支持を受けているのかという話である。そこにはアメリカ=正義、民主主義=正義という図式が当てはまらないということだと思う。タリバンにはタリバンの正義があり、そしてそれは我々の考える正義とは異なるが、現地の人たちからは(少なくとも政府よりも)支持を得ているということなのではないだろうか。

 それになぜアメリカが撤退を決めたのかということもある。詳しいことはわからないが、「一言で言えばアフガニスタン政府を支える必要がなくなった」ということは間違いない。石油に依存する必要がなくなり、中東のプレゼンスが低下しているということは専門家の意見としてよく目にする。正規軍兵士のモラルも低く、武器の横流しなどもかなり行われていたと言う。20年もの間、10兆円近くつぎ込んできてもそれでは守る価値もないということなのだろう。米軍に占領された歴史のあるわが国と比較してもその違いは明らかである。わが国は戦後6年で米軍の手を離れて国際社会に復帰している。

 今後、タリバン政権がどんな政治を行うのかはわからない。懸念されているように、我々の理解できないイスラム思想に基づいて窮屈な恐怖政治を行うのかもしれない。ただ、それはアフガン人の選択であり、周りがとやかく言うべきものではないと思えてならない。タリバンは、米軍の総攻撃で散り散りなって20年、その間消滅することなく勢力を拡大または維持し、着々と米軍が去るのを待っていたわけである。当然6万人だけではなく、それを支持する人たちがいたという事実は重いと思う。

 事の真相はわからないが、一つの価値観にとらわれる事なく、いろいろな見方をしていきたいとだけは、改めて思うのである・・・




【本日の読書】
 マスコミと官僚の「無知」と「悪意」 - 髙橋洋一 死の島 (文春文庫) - 小池 真理子





2021年5月16日日曜日

イスラエルの空爆に思う

「心はイスラエルと共に」 中山防衛副大臣がツイート
2021年05月12日22時27分
イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの衝突が激化していることに関し、中山泰秀防衛副大臣は12日、「最初にロケット弾を一般市民に向け撃ったのは誰だったのか? 私たちの心はイスラエルと共にあります」とツイッターに書き込んだ。日本政府は両者に自制を求める中立的な立場を取っており、議論を呼ぶ可能性がある。
時事通信社

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 昔からパレスチナには興味があり、それに伴ってパレスチナ問題には関心がある。現在、またハマスとイスラエルの対立が武力行使を伴って起こっている。ハマスがイスラエルにロケット弾を打ち込み、イスラエルが軍事行動で応戦するというお馴染みの行動である。日本人としては中立的な立場で良いと思うし、それ以外にはないと思う。早期の解決が望まれるが、もう1000年も続いている争いだけに、解決も難しいのだろうと思う。

 ところで、今回気になったのは、冒頭のニュース。中山防衛副大臣のツイートを取り上げたものである。ツイートを読むと、中山防衛副大臣はイスラエル寄りの心情だということがわかる。これは私も同感でなんの問題もないと思うが、上記の記事を書いた記者はそうは思わないらしい。微妙なのは、「議論を呼ぶ可能性がある」という表現である。暗に中山防衛副大臣のツイートを批判しているのであるが、そうあからさまには書かず「可能性がある」とごまかしている。マスコミお得意の表現だと思う。

 日本政府は中立的な立場なのに、イスラエル寄りの発言をしていいのかという批判を込めている。しかし、中立の立場と個別の機会の考えは別だろう。いくら中立だからとは言え、ロケット弾攻撃に出たのはハマスであるなら、それは批判されるべきであろう。今回はエルサレムでパレスチナ人とイスラエル警察との衝突に端を発し、ハマスがイスラエルにロケット弾を打ち込み、イスラエルが報復の空爆に出たという図式である。軍事力ではイスラエルが圧倒しており、故にハマスの方の被害の方が大きい。したがって、イスラエル批判が起こりやすいのであろう。

 しかし、中立だから双方に何も言わないというのはおかしいだろう。中立とは、「どちらの肩も持たない」ということで、「何も言わない」ということではない。悪いと思えば悪いと「中立の立場」で批判すればいいだけのこと。パレスチナ人とイスラエル警察が衝突した件について批判するのはいいと思うが、ロケット弾を打ち込むのは明らかに「悪い」ことだろう。それを批判することは「中立の立場」を外れることでも、イスラエルの肩を持つことでもない。逆にイスラエルが先に空爆をしたなら、当然それを批判すべきである。

 また、中山防衛副大臣の発言や考えとは別に、そもそもハマスは「イスラム原理主義」を標榜し、イスラエルに対する武力闘争方針を掲げている組織である。そもそもそこをきちんと理解しないといけない。一方、同じパレスチナの代表であるファタハは「穏健派」である。イスラエルとは利害が対決しているが、その問題を武力で解決しようとはしていない。だからイスラエルもファタハが実効支配するヨルダン川西岸地区は空爆していない。あくまでもハマスが支配するガザ地区だけが対象である。

 ここのところをあまりよくわかっていなくて、イスラエルだけを批判する人たちがいるが、問題の本質を理解する必要があるだろう。なぜガザ地区が厳重な壁に覆われ、イスラエルから締め付けを受けているのかと言えば、それはハマスがロケット弾をはじめとしてイスラエル憎しの攻撃をするからである。それをやめて話し合いで解決する方向に舵を切れば、イスラエルもそうした締め付けを解くだろう。逆に締め付けを続けようとしても、国際社会的にも難しいだろう。

 パレスチナ問題は、あくまでも平和的に解決されるべきものだと思う。それにはまずハマスが攻撃姿勢を解くところから始まるだろう。穿った見方をするならば、ハマスはイスラエルの空爆を誘発し、多数の死傷者が出ることでイスラエルに対する国際世論の批判を呼び込もうとしているとも捉えられる。軍事力で勝てない以上、そうした国際世論を味方につけようという戦略はありうる。私がハマスの指導者であるなら、仲間に多数の死傷者が出るような行動(ロケット弾攻撃)は控えるだろう。

 なんでも「軍事行動=悪」と考える人たちは、表面的なところだけを見てイスラエルを批判する。批判する前にもう少し考えようよと言いたい。なぜならそうした「問題の本質」を理解していないと、当然ながら「問題の解決」には繋がらないからである。イスラエルの空爆を批判してパレスチナ問題が解決するのかと言えばそうではない。我々がパレスチナ問題の解決について何かできるわけではないが、少なくとも「イスラエルに対する批判が高まっています」というマスコミ報道に使われることを避けることはできると思う。

 マスコミも冒頭の記事を見るまでもなく、問題の本質を理解していない記者は多い。深く考えもせずに「イスラエルが悪い」と思ってしまう人が増えることを懸念する気持ちは強い。それこそハマスの「思う壺」だと思う。何も考えずに表面だけ見てわかったようなつもりになって批判するようなことは避けるべきである。

 ところでこの問題、私が生きている間に解決するのだろうかと思ってみる。解決が実現すれば、個人的にはベルリンの壁崩壊と同じ興奮を味わえるように思う。朝鮮半島の統一とパレスチナ問題の解決は、生きているうちに是非とも見てみたいニュースだと思うのである・・・




【今週の読書】
 娘のトリセツ(小学館新書) - 黒川伊保子, 黒川伊保子 JR上野駅公園口 (河出文庫) - 柳美里 誰もが人を動かせる! あなたの人生を変えるリーダーシップ革命 - 森岡毅




2021年1月21日木曜日

中国が世界一になる日

 先日から中国に関する専門家2人の意見を目にする機会があった。個人的に抱えていたイメージと異なっており意外な気もしたが、言われてみれば不思議なことではなく、その通りなのだろうと思う。それによると、極めて近い将来、中国が世界一の国になるというのである。

 1人の方からは、現在の中国の変化を教えていただいた。既に一部の地域で自動運転が実現している。路線バスのようであったが、日本ではまだ実現の兆候のかけらすら見られないのに、である。自動運転はゆりかもめの例を見るまでもなく、当面は鉄道に限られるという意見を聞いたことがあるが、自動車の中では路線バスはなどが一番早いのだろうと思う。それがもう中国では実現している。

 さらには自動配送。これは大学のキャンパス内のようであったが、ロボットが荷物を学生の近くまで配達していた。まだ一般の地域には至っていないが、限られた範囲内ではもう普通に実現している。これはなかなか衝撃的である。中国版YouTube微博でその様子が見られる。

后疫情时代,逆势爆发... - @竹内亮导演 的视频 - 视频 - 微博210102

 GDPでは既に中国は日本を抜いて世界第二位になっている。日本人としては心中穏やかならぬところがあるが、まだ「一人当たりGDPでは日本の方が上」という支えがある。日本の方がまだ豊かであるという安ど感である。ところがこれは、中国では農村部が遅れているために全体の足を引っ張っているものであり、既に都市部ではかなり差が縮まっているらしい。今後、農村部が伸びてくれば2040年頃には一人当たりGDPでも抜かれるだろうと予想されている。

 中国と言えば「安かろう悪かろう」というイメージがこびりついているが、今も日本国内の製品の多くがメイド・イン・チャイナであることを鑑みれば、日本製品と遜色ないレベルになってきているのだろう。世界の大学院ランキングで世界第一位は清華大学だという。これに対し東大は100位に入っていないというからこの差は大きすぎる。アメリカを抜いてGDP世界一になるのも既に視野に入っているようであり、メイド・イン・チャイナが高品質の証になる日も近いのかもしれない。

 中国では、国民に配慮することなく何でも政府が実行に移せるところが強みだろう。プライバシーも何も関係なく、自動運転のバスを見るまでもなく、実験もどんどん行える。アメリカの大学に留学する中国人も日本人とは桁が違うし、それは勉強云々だけではなく、人脈という意味の強みにもなり、日本人が一生懸命弱みを探しても虚しそうである。そうなるとアメリカ頼みというのも危うい。

 また、アメリカの高性能・高額な空母も、中国の安価な高性能ドローンの攻撃リスクにさらされるというし、そうなるとアメリカの軍事的優位も危うくなる。それはすなわち我が国にしてみれば、尖閣諸島は大丈夫かと不安になる。朱健栄教授によると、それは大丈夫らしい。国際協調の中、中国もそうした暴挙には出られないという。経済制裁をされれば中国も困るというのだが、GDP世界一になった時に果たして経済制裁ができるのかと想像すると、どうも安心感は抱けない。

 野口悠紀雄教授によると、そもそも歴史的にずっと中国は世界一の国家であり、「没落」したのは近代の何十年かだと言う。そういう意味では「世界一奪回」であるわけであるが、歴史上ずっと物理的な距離が縮まった現代で、経済・軍事で世界一となった中国はなかなかの脅威になるような不安がある。とは言え、現代ではかつてのように戦争の脅威があるわけではないし、軍事面での心配はないのかもしれない。

 また、経済的に豊かになった中国人は、そのうち出稼ぎにも出なくなるだろうと野口教授は予測する。そうなると、今日本は事実上移民受け入れに舵を切っているが、その主力となる中国人がいなくなると外国人労働者も増えないという可能性もあるという。労働力が足りないなら外国人を入れよと単純に言えなくなるというのである。これもその通りに思える。

 これから子供達が成長していく世界はどんな景色になっているのだろうか。少子高齢化が進み、それだけでも大変だと言っている我が国が、世界一となった中国の隣でどんな国になって行くのだろうか。想像力の乏しい我が身にはわからないが、それでもいつまでも中国は格下というような意識は捨て、中国の進化を偏見のない目で見ていきたいと思うのである・・・


HYUNGNAM PARKによるPixabayからの画像 


【本日の読書】
 夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神 - 水野敬也 流人道中記(上) (中公文庫) - 浅田次郎



2018年8月22日水曜日

宇宙開発の未来

 先日、週末恒例の映画で『サリュート7』を観た。旧ソ連の宇宙事業で実際にあった事故を描いた映画である。軌道上のサリュート7が宇宙塵の影響で制御不能となり、このままでは地球に落下して大惨事となる可能性があるという事態が発生し、ソ連は2名の宇宙飛行士をサリュート7に送る。しかし、トラブルは重なり、その飛行士たちの生還すら危うい状況となってしまう。この状況下、アメリカはスペースシャトルを打ち上げる。

 ソ連のコントロールルームでは対応策を協議するが、残存酸素の量から「1名だけの帰還が精一杯」となる。アメリカのスペースシャトルには貨物室があり、サリュート7をそっくり回収できる。しかし、米ソ冷戦下でそれを認めれば技術が流出するのでソ連としては避けたい。そこで最悪の場合、「撃墜」という指示が出る。飛行士の生命は二の次である。実際には、飛行士の奇跡的な修理活動でサリュート7は復活し、2人とも無事帰還する。結果オーライだが、組織としては完全に命より技術を優先していた。

 一方、同じ宇宙モノのSF映画『オデッセイ』は、フィクションではあるものの、火星に取り残された宇宙飛行士を救助する物語である。こちらはNASAが懸命に救助を試みるが、救援物資の打ち上げに失敗し、絶望的状況になる。ところがここで中国が助け舟を出す。救援物資を乗せたロケットを軌道上まで打ち上げてNASAに提供するのである。中国というマーケットを意識したシーンだと言われるが、『サリュート7』と比べると対照的である。

 『サリュート7』でも人類の技術的にはもっと簡単に救助できたのである。スペースシャトルでサリュート7を回収してもらえればよかったわけである。だが、それを阻んだのは冷戦。逆に『オデッセイ』では、中国が手を差しのべたことにより困難な救助活動が成功したわけである。宇宙人の視点から見てみると、人類はその持てる技術力でもって火星に取り残された飛行士を救助しているわけで、違和感はないだろう。そこに温かみを感じるのは、本来対立的な国同士が協力し合って人命救助に携わっているからである。

 今は、米中間では双方が関税の引き上げ合戦を展開し、貿易戦争の様相を呈している。今『オデッセイ』を観れば、中国人はさぞかし胸のすく思いがするだろう。あくまでも映画はフィクションであるし、中国がNASAを助けるというストーリーが入ったのは、間違いなく「経済的理由」だろう。中国マネーが入ったのか、中国のマーケット向けを狙ったのかはわからないが、こういう時代が早く来るといいなという理想というよりも、現実は経済的理由の産物なのだろう。

 それでもやっぱり人類の明るい未来を信じたい私としては、こういう時代がいずれやって来るはずだと思いたい。それが米露なのか米中なのか中露なのかはわからないが(あるいは米中露かもしれない)、互いに協力し合う風景である。そしてやはりそこには我が国のJAXAの名前も加わって欲しいと願わざるを得ない。先日、有人月面着陸計画をぶち上げたところであるし、是非とも宇宙開発の一角に日の丸を翻して欲しいと思う。

 その昔、私は宇宙が大好きであった。プレネタリウムにもよく行ったし、今でも宇宙空間での特殊相対性理論の考え方なんてワクワクして読んでしまうクチである。映画では特に『インター・ステラー』なんて感動モノであった。そんな自分にとっては、宇宙開発は夢があって明るいものであって欲しい。願わくば、できる限り生きている間に、そんな未来を実現させて欲しいと思うのである・・・




【本日の読書】
 遺伝子‐親密なる人類史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF) - シッダールタ ムカジー, 田中 文, 仲野 徹 落合博満 バッティングの理屈―――三冠王が考え抜いた「野球の基本」 - 落合 博満





2018年7月16日月曜日

サピエンス

15日にNHKスペシャルで3回シリーズでやっていた「人類誕生」という番組を見た。ちょうど「サピエン全史」という本を読んでいたこともあり、息子と2人で興味を持って見たのである。3回目は「ホモ・サピエンスついに日本へ!」と称し、いかにして我々の祖先が日本列島にやってきたのかを検証していた。

番組によれば、アフリカに起源を発する我々の祖先は、地球上を移動し、まさに極東の地日本に当時大陸続きだった北海道ルートと南海の沖縄ルートでやってきたらしい。北海道ルートは極寒の中を踏破せねばならず、南海ルートは黒潮の流れが厳しい海を渡らなければならず、どちらも困難な道のりであったと推測される。見ているうちに、いつの間にかなぜそんな困難を押してまで見知らぬ土地を目指したのだろうかと考えていた。

番組では「好奇心」というような推測を挙げていたが、個人的には「止むに止まれず」だったような気もする。人間は何より安定を望むもの。わざわざ新天地を目指すのは、今いる土地に希望が持てなかったからではないのかと思うからである。ちょうど信仰の自由を求めてピルグリム・ファーザーズがヨーロッパを離れ、アメリカに移住したように。何かはわからないものの、たとえば人口が増えて食料の確保が難しくなったというような事情でも生じたために、移動したのではないかという気がするのである。

そうでなければ、なぜ安住の地を離れるというリスクを犯すのであろうか。我が子を公務員にしたいと願う現代の親の感覚だったら、きっとこの地に止まれと諭していただろう。番組では、当時の最東端であった台湾から見ると、日の出ずる彼方にある与那国島に対する憧れのようなものがあったのではと推測していた。確かに、「あの山の向こうに何があるのか」という好奇心は誰の心にもある。そんな好奇心を抑えられなかった人もいたのかもしれない。

事実がどっちだったのかは興味深いところではあるが、理由はどうあれ移動したのは事実であり、個人的にはそれで十分だと思う。いずれにせよ、我々の祖先はリスクを犯した上でチャレンジをし、そして新天地へと移り住んだわけである。もしも公務員志望のメンタリティだったら、日本列島はずっと長く未開の地であったかもしれない。もっとも、「公務員志向」は親の代だけかもしれない。子供はずっと好奇心旺盛で、いつも「あの山の向こう」を夢見ていたのかもしれない。そして海を渡ったのは、まさにそんな子供たちだったような気がするのである。

翻って現代に生きる我々には、もう新天地を探し求める必要は無くなってしまった。あの山の向こうには何があるのかは、直接行って見なくともテレビもYouTubeもグーグルマップだってある。少なくとも、「地理上の新天地」はもうない。あるのは「心の新天地」だけであろう。自分自身に置き換えてみれば、やはり仕事のことと被ってくる。今いるところを安住の地として良しとするか、もう一段上の新天地を目指すか。

今いるところが安住の地かと言えば、正確にいうと突っ込みどころかもしれない。下りのエレベーターに乗っている状態であると言えなくもない。だが、それは別として、やはり「昨日とは違う今日、そして今日とはまた違う明日」をモットーとする自分であれば、やはり「あの山の向こう」を常に意識していたいと思うところである。常に「あの山の向こう」の新天地を目指す意識を持っていたいと思う。そんなチャレンジャー・スピリットの欠片が、遠い祖先から受け継がれた自分のDNAにも刻まれていると信じて。

これから五十代も中盤から後半へと向かうが、いつまでもそのDNAを意識したいと思うのである・・・ 




【今週の読書】
 遅刻してくれて、ありがとう(下) 常識が通じない時代の生き方 遅刻してくれて、ありがとう 常識が通じない時代の生き方 (日本経済新聞出版) - トーマス・フリードマン, 伏見威蕃 マスカレード・ナイト (集英社文庫) - 東野 圭吾





2009年1月7日水曜日

中東情勢に思うこと

 停戦協定が終わった途端に火を噴いたパレスチナ問題。
連日の空爆に続けてついにイスラエル軍の地上部隊がガザ地区に投入された。和平に進むのかと思いきや、また後戻りするようだ。

 イラクに侵攻した米軍と南オセチアに侵攻したグルジアはいずれも勝手な自国の利益のためだったが、イスラエルの侵攻は止むにやまれぬ自衛のため。少々事情が異なる。

 旧約聖書の時代に国を滅ぼされて流浪の民となったユダヤ民族。
流浪の知恵から経済力をつけたが、逆に世界中の嫌われ者となる。
まるですべてのユダヤ人が、借金のかたに胸の肉1ポンドを要求したベニスの商人シャイロックのごとく思われる。

あげくにナチス政権下でのホロコースト。
ようやく2,000年の時を経て先祖の土地に国を作ったと思ったら、建国の翌日から周囲のアラブ陣営から宣戦布告されて戦争の日々。

 東南北をすべてイスラエルを敵視するアラブ国に囲まれ(西は地中海だ)、それでも4回にわたる中東戦争をすべて勝って独立を維持。
南のエジプト、東のヨルダンとは和解し、次第に平和へと向うが北にシリアおよびヒズボラの巣食うレバノンがあり、国内にはイスラエル殲滅を掲げるハマスが牛耳るガザを抱える・・・

自爆テロは日常茶飯事。
イスラエルには一時の休息もない。
無差別にロケット弾を打ち込まれれば、反撃もやむを得ないだろう。

 一方のバレスチナ人も、もともとはユダヤ人のいない間先祖代々パレスチナに住んでいた人々だ。それが勝手に国を作られ追い出されて難民となればイスラエル憎しとなるのも当然。国をもたない彼らの代表がハマスでありファタハである。

 今回イスラエルはハマスの幹部自宅をピンポイント空爆した。その幹部は家族もろとも自宅で殺された。子供も、である。幹部殺害によりある程度の効果はあるのかもしれないが、子供まで巻き込むやり方は逆に怨嗟の炎を呼ぶのではないか。市民の中に紛れ込むハマスのやり方も市民に犠牲者を増やす原因となっている。

 業を煮やした攻撃であろうが、犠牲者はまた一方で新たなハマスを増やす事にもなる。例えば自分であったら家族を殺されようものなら一生相手を許さないし、残されたのが自分一人であれば残りの生涯を復讐に費やすだろう。そう思うのは誰でも同じだろう。

 強大な軍事力も、対国家であれば有効だろうが、テロを抑えられないのはイラクで米軍が証明している。どこかで憎しみの連鎖を断ち切らなければならないが、断ち切るのは困難だ。双方それぞれにもっともな言い分があり、いずれかを非難する事は難しい。時をかけて解決するしかないのだろうか・・・

 そんなニュースを気にしている素振りの人は周りにいないし、他人事で良かったと思うのは他ならぬ自分自身だ。何かできる事はないだろうかと思わない事もないが、中東はあまりにも遠く、憎しみはあまりにも深く、そして自分はあまりにも無力だ。

 帰ってくれば当たり前のように家族が迎えてくれる生活。
家を離れるたびに家族の無事を祈らなくてもよい生活。
このありがたみをどれだけの日本人が感じているだろう。
せめてその幸せだけでもしっかりと味わいたいと思うのである・・・