その昔、私も大学のラグビー部のコーチをしていたことがある。我が大学は国立大学の限界もあり、外部からコーチを招聘できるほどの財力はない。OBの中から有志が選抜されてこの任に当たるのである。今振り返ってみても私には元々コーチの資質はないようで、十分にできたとは言い難い。まぁ、それでもヘッドコーチではなかったし、監督もいたのでそれなりに役割は果たせていたと思う。そんな中でも、一つ印象に残っている事がある。それはとある選手が、「監督に褒められたい」と語った事である。
当時の監督は、厳しい方で、滅多に人を褒めることのない人であった。私はと言えば、良いところがあれば素直に褒めるタイプで、それは我が子の子育てでもそうであったし、会社でも社員に対するスタンスは今もってそうである。滅多に褒めることのない人から褒められるというのは、やはり嬉しいものだろう。そう言えば、映画『プラダを着た悪魔』でのラストシーン。主人公のアンディの転職での面接で、面接官がアンディの元上司ミランダからの推薦の言葉をアンディに伝える。業界でも有名なミランダは部下に厳しくアンディも褒められることはなかったのに思いもかけない最高の褒め言葉を最後にもらう。なかなか良いシーンであった。
褒めるのが良いのか、褒めないのが良いのかは難しい。私の昔の上司はやはり滅多に褒めない人であったが、挨拶しても返事もしない人で、さらに一度大きな判断ミスがあった。自分でもよくできたと思うことはあったが、その人は常にむっつりしていた。正直言ってその人に褒められたいとは露も思わなかった。たとえ褒められたとしても嬉しいと思ったかどうかと思うと微妙である。考えてみれば、褒められたいかどうかはその人に対するリスペクトがあるかないかにもかかっていると思う。
自分に褒められたくて頑張っていると言われれば嬉しいだろう。自分はすぐに褒めるタイプなので、おそらくそう思われた事はないだろうと思う。しかし、では褒めなければいいのかと言うとそうではない。根底にリスペクトがないとダメだろう。ではリスペクトはどうしたら生まれるのかと考えてみると、前述の監督と元上司とを比べてみるとわかるような気がする。監督はラグビーに精通し、日頃の言動から選手はその言葉を信頼し、指導を受け入れている。元上司は挨拶も返さず、部下に対するダメ出しばかりである。そして自分も判断ミスをする。
「やれ」と言うのは簡単だが、できない場合にどうすれば良いのか。そこに対する指導なり見本を見せるなりがないといけない。口ばかりで「自分はできるのか」と思われたらリスペクトは難しい。もちろん、監督は年齢もあるから自ら手本を示すことはなかったが、その指導内容が十分であったから選手のリスペクトは得られていたと思う。元上司もせめて挨拶ぐらい普通の社会人の常識としてできていたらもう少し違ったかもしれないと思う。部下として尻拭いさせられた時も、何のねぎらいの言葉もなかったのには軽蔑の念しか浮かばなかった。
自分はこの先も性格的に「あの人に褒められたい」と思われることはないのだろうと思う。されどそれも仕方ない。自分の判断でいいなと思ったらすぐに褒める事はこれからも継続していこうと思う。そこは無理をせず、自分らしくありたいと思うのである・・・














