日頃あれこれ思う事どもを思うがまま自由に綴る
LGBTQという言葉が定着し、もはや同性愛は色目で見られる時代ではなくなってきている。私自身はノーマルな人間であり、同性愛は理解できないが、他人のことをとやかく言うつもりもない。世論としては同性婚を認めてもいいという方向に向かっているし、それはそれでいいのではないかと考えている(所詮、他人事だし)。しかし、今回のニュースには少しだけ気を引かれる。大法廷での審理は最高裁が新たな憲法判断を示す場合などに限られるというが、今回はどんな結論を下すのだろうかと思う。
そもそも婚姻については、憲法で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」(24条1項)と定められている。つまり結婚は親が決めるのでもなく、他人から強制されるのでもなく、ただ結婚したいと願う両性(男と女)の合意のみに基づいて成立すると憲法で定められているわけである。これをどう判断するのか。「男同士」、「女同士」は「両性」ではない。単純に解釈すれば、大法廷でなくても「同性婚は違憲」だとわかる。
もっとも第9条をめぐる解釈でもわかるが、我が国は解釈改憲が得意である。世の流れは同性婚を認める方向にあるが、単純に憲法を解釈すれば法的には認められない。最高裁はどちらを取るのであろうかと興味深い。そもそも同性愛者はなぜ結婚したいのだろうか。同性婚を認めろと訴訟を起こしているカップルはその理由として、「家族として法的に認められず、相続や税制上の優遇も受けられないことで重大な不利益を被っている」としている。そこは男女間の感情と同じなのだろう。
男として考えれば、好きになった女性と結婚したいと思うのは普通の感情である。それはいずれ子供が欲しいという思いがあるし、家族にならないと難しい問題も出てくる。相続や税制もそうだが、例えば病院でも「面会は家族だけ」というケースもある。「家族」であることで本人と一体としてみてもらえるのは法律や税制だけではない。結婚は「彼女」と「家族」とを分ける大きな敷居であり、その意味は大きい。それがそのまま同性愛者の感情と考えれば、「結婚したい」という気持ちもよくわかる。
私自身、現在妻とは別居中であり、大学生の息子が卒業したら離婚するつもりである。長年一緒に暮らすうちにどうも妻の方に私に対する不満が鬱積したようで、それが露骨に態度に出るようになり、耐えられなくなって自分から家を出たのである。しかし、すぐに離婚せずに「家族」に留まる理由は、配偶者控除などの経済的な理由である。息子が学生のうちは余計な支出は回避したい。それに離婚して法的に赤の他人となったとしても、「自分の子供の母親」という地位は揺るがない。ここが単なる赤の他人とは違うところである。「子はかすがい」なのである。
離婚の条件などは何も決まっていないが、建てた家はそのまま妻のものになるだろうし、それでも住宅ローンは私が払い続けていくだろう。財産は折半というのが原則だろうが、こちらからそれを主張しにくいのは、「自分の子供の母親」が困窮するようなことはやりにくいという思いである。それに家はいずれ子供たちのものになる。となればあまり自分のものにすることにこだわる必要もない。子供がいなければ、「財産は仲良く半分に分けよう」と主張していたと思う。
離婚したあとどうするのかという人生設計はまだない。誰かと一緒に暮らしたいという気持ちもなくはないが、再婚したいという強い願いはない。相手がいれば、そして相手次第であるが、同棲でもいいように思う。還暦も過ぎれば(加藤茶みたいに年若い相手と結ばれる可能性はないだろうから)、お互いに積み上げたものもある。あえて家族になる必要があるのだろうかと思ってみる。ただ、年齢的には病院のお世話になる確率が高まるし、いざという時に「家族」である必要はあるかもしれない。
そんな妄想をしていると、やはり単に愛する相手と家族になりたいという精神的なつながりという意味ではなく、「結婚」という「制度」を利用することは必要なのかもしれないと思う。そこに切実な思いを持つ同性婚カップルの気持ちもよくわかる。しかし、憲法は憲法である。どういう判断を下すのか。どちらになるのかという結論よりも、どちらになるにせよその理由に深く興味を惹かれる。今後注目していきたいと思うのである・・・
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【本日の読書】
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実家に戻って以来、週に1回家の掃除をしている。老齢の両親にもはや掃除の能力はなく、私がやっているが、平日にそれをするゆとりはない(世の働く主婦もそうなのだろうかと思ってみる)。それでも部屋に掃除機をかけ、トイレ、風呂、洗面所と水回りも含めて一通りやっている。改めて思うが、自分自身、トイレ掃除をしている自分の姿など若い頃には想像もできなかった。やれと言われても嫌悪感が先だっていただろう。しかし、今は嫌悪感はまったくない。それは自宅だからという事もあるが、自宅でなくても(少なくとも公共トイレではなく住宅用であれば)同様である。これは実績があるので断言できる。
そもそもトイレ掃除に抵抗がなくなったのは、前職の時である。銀行から社員10名の小さな不動産会社に転職し、長年の赤字体質を改善すべく、文字通り最前線に立つことになった。まずは余計な経費を見直すことから始めたが、そこで気づいたのが貸している部屋の外注管理費。これを内製化できれば経費はかからない。社内を見回せば社員はみなあくせく働いているわけではなくゆとりがある。そこで外注をやめて自分たちで直接管理することにした。そうすると、賃貸に出していた部屋が空いた時、ルームクリーニングをしなければならなくなったのである。
社員にはルームクリーニングの経験者もいるし、主婦という強力な潜在力を持った者もいた。そこで自分たちでルームクリーニングをやる事になった。もちろん、私も参加する。言い出しっぺであるし、率先垂範しないと「人に嫌なことをやらせる」だけのリーダーになってしまう。そして始めるにあたり、まずは役割分担であったが、当然ながら誰もやりたがらないのがトイレ。さすがの主婦も「よその家は・・・」と躊躇した。そこで私が引き受けることにしたのである。ここは自分がやらないと、内製化も軌道に乗らないだろうと思ったのである。
結婚して驚いたことの一つは妻がトイレ掃除をする姿。便器を抱くようにして隅々まで拭き掃除をする姿に感動すら覚えたのである。しかし、自分ではやったことがない。主婦の社員や経験者にあれこれと聞きながら取り掛かった。やってみればそれほど抵抗感はない。そしていつしかルームクリーニングでは、バス・トイレは私の担当に(ワンルームマンションでは一体になっていることから必然的に風呂も担当することに)なったのである。1つの転機になったのが、あるワンルームマンションのクリーニングであった。そこは独身男性が長年暮らした部屋であった。
女性であれば違ったであろうが、男は掃除をしなくても平気なところがある。ましてやトイレ掃除をやである。20年以上暮らしたであろうその期間に、おそらく掃除などしていなかったのであろう。便器の元の色はベージュ色だったが、中はどす黒く黒ずんでいた。私もそれを見て躊躇した。クリーニングではなく、リフォームで便器を交換しようかと考えた。しかし、そこでリフォーム費用とその後貸して稼ぐ家賃収入とを計算し、クリーニングすべしと経営面から判断し、覚悟を決めた。かなりに時間を費やして便器に手を突っ込みゴシゴシ汚れをこすり、最終的にはベージュ色の便器に戻した。
仕上がりを見て、自己満足に浸る。あれだけ汚れた便器をここまできれいにできたことに自分でも驚いた。そしてトイレを掃除することに抵抗感はまったくなくなった。トイレ掃除によって得られる効能を説いた本(『掃除道』)を読んだことがあるが、著者の考え方がよく理解できた。と言っても、『掃除道』の著者のように中国の公共トイレを素手できれいにするほどのレベルには程遠い。そんな達人レベルとはいかなくても、掃除そのものに対する抵抗感はなくなったし、(たとえ共同のであっても)トイレをきれいに使おうとする意識も芽生えたのは大きな変化であった。
ルームクリーニングでバス・トイレ掃除担当の仕事は、最後に会社から追い出されるまで続けた。社員のみんなはそれについて何も言わなかったが、たぶん自分がやらされなくても済んでいたことについては満足してもらっていたと思う。賃貸経営では「退去→クリーニング→入居」というサイクルをいかに早く回すかは重要である。当時、退去連絡が入ると、すぐにクリーニングの予定を入れ、その翌日から募集に入れていた(写真が用意できる部屋は退去の翌日から)。みんなは私が言い出すまでクリーニングなどやらなくて済んでいたのに、積極的に協力してくれた。それには私がトイレ担当を引き受けたことも影響したのではないかと密かに思っている。
トイレ掃除は仕事でも私生活でも私の意識を変化させたし、仕事でも一定の成果はあったと思う。少なくとも「言うだけ」「口だけ」の役員ではないと思ってもらえたと思う。今は実家のトイレ掃除だけであり、よそのトイレまで掃除しようとは思わないが、意識の変化は自分自身良かったと思っている。息子も結婚したら自分の家のトイレぐらい掃除するように意識をもっていければなどと考えている。私にはできなかったが、「夫婦仲良くいつまでも」を実現できるかもしれない。
あらためてトイレ掃除にはそんな効能があるのだと思うのである・・・
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| まだキレイな部類に入る |

今年も4月1日、我が社に新入社員が入社した。実は4年半前に我が社に転職してきて最初に驚いたのが、新卒社員を採用しているということであった。それは現在まで毎年続いている。驚くことに、それは我が社だけのことではなく、我が社より規模の小さな企業でも意外に広く新卒採用が行われている。もっとも、我が国では全企業に占める中小企業の割合は99.7%と言われている。大企業ばかりが新卒採用を行なっている訳では当然ないと認識していたが、社員数100名未満(中には10数名)の企業でも実施しているというのは意外だったのである。
と言っても、やはりなかなか知名度もない我が社のような企業では首都圏での新卒採用というわけにもいかず、地方採用が多い。あとは専門学校である。首都圏の大学生はなかなかハードルが高い。特に我が社のようなIT企業では人材不足が顕著であり、競争も激しい。それでも人材を求めるとなると、どうしても地方になり、大学生より下ということになる。さらに単独でとなると難しいところもあり、同業者で構成する組織で共同して行うということもしている。そして内定が決まると、合同の入社式ということもやっている。
そんな合同入社式に、毎年100名前後の参加企業の新入社員が集まり、合同の入社式とそれに続く研修を行なっている。企業によっては、新入社員が1名というところもあるが、合同でやると100名前後の同じ新入社員が参加し、来賓も招いてそれらしい雰囲気のものになる。我が社も社内だけで入社式をやったが、規模の違いは雰囲気の違いとなって現れる。とある参加企業の社長さんは、やはり新卒採用は1名だけで、それゆえにこういう雰囲気の入社式に新入社員を参加させたかったと語っていた。社員に対する愛情のこもったしみじみとした言葉で、好感を持った。
ビジネスマナー研修などは、何人かいた方がやりやすい。名刺交換や電話応対、来客時のお茶出しなど、何人かでグループを作り役割を交互に変えてロールプレイングをした。今の時代、「お茶出しは女性の仕事」ということはなく、男もお盆の持ち方やお茶出しの作法を学んでいた。もっとも、コロナ以降急須に茶碗ではなく、ペットボトルになっているところも多い。名刺交換などは、見ていると自分がやっている作法は間違いではないと当たり前ながら思う。今では意識することなくやっていて、改めて言葉で説明しろと言われても一瞬戸惑ってまうが、自転車の乗り方と同様、体で覚えてしまっているのだろう。
他社の新入社員同士で知り合うのもいい機会。改めて自己紹介で自分の会社のことを話したりするのを聞いていても、どこか誇らしげな雰囲気が漂う。たぶん、まだよく自分の会社のこともよくわかっていないと思うが、他人に説明することによって、「我が社」という意識も芽生えるのだと思う。私の場合、銀行だったから入社式はもちろん単独で330名ぐらい同期がいたと記憶している。あまり覚えていないが、あれが当たり前という感覚でなんの疑問も抱かなかったが、我が社の事情と比較してみると、いろいろな面で恵まれていたのがわかる。
当たり前だが、中小企業も含めれば今は十分な就職先があると思う。よほど本人に問題がない限り「就職できない」ということはないだろう。ただ、やっぱり大企業の方がネームバリューも高いし、給料も福利厚生もいいだろうと思う。そこは仕方ない。ただ、中小企業に入社した以上、そこで頑張ってほしいと思う。間違いなく言えることは、何百人も採用する大企業と比べ、数人規模の中小企業では社長の新入社員に対する愛情は深いと思う。簡単に辞められても困るので、じっくりと社内で育成するに違いない。我が社もそうである。
彼らが、5年後、10年後にどんな若手に育っているのか、楽しみでもある。彼らを後悔させないように、私も微力を尽くしたいと思うのである・・・
劇団四季の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観てきた。これまでもいろいろな舞台を披露してきた劇団四季であり、何をやるにしても驚くという事はなかったが、いつにも増して今回は興味津々であった。それは何よりも映像でこそ表現可能なSFの表現をどうするのかという部分である。さらに物語の重要アイテムは「デロリアン」、つまり車であり、狭い舞台の上でそれをどう見せるのか。走り回ることはないので、止まったままになるのだろうが、スピードをどう表現するのだろうかと疑問が湧いていた。映画の方は過去3回ほど観ており、面白い映画だけに内容も結構頭に入っている。そんな状態で、四季劇場「秋」に向かう。
相変わらず満席の劇場内。SF的な凝ったデザインの舞台が観客を迎える。定刻通りに物語が始まる。全体的にストーリーは映画をほぼ踏襲している。映画を3回も観たせいか(直近では4年前だ)かなり内容を詳細に覚えている。映画と違うのは、マーティーが誤って過去へと飛んでしまうくだり。映画ではドクがテロリストに襲われるのであるが、舞台ではプルトニウムの放射能漏洩という部分。大きなところではここだけだが、逆になぜここを変えたのか、その部分に興味が湧く。全体を観終わった感想としては、決して舞台で表現できないことはなかったと思うからである。
要所要所に歌とダンスが入るのはミュージカル的にしているからだろう。これはこれでいいと思う。実際に目の前で俳優が演じ、オーケストラが演奏する迫力は映画とは違う魅力を醸し出す。いわゆる「生の迫力」というやつで、映画の10倍近いチケット代の理由でもある。これはこれでいいと思う。この値段であるが、映画は元を作れば映画館やDVDや配信でたくさんの人に観てもらえるが、舞台は役者がその都度演じるので観客は限られてしまう。その分鑑賞費が高くなってしまうのは仕方ないだろう。こちらもたまにの贅沢である。
デロリアンも本物っぽくできている。かつてアメリカのユニバーサルスタジオに行った時、展示されていたデロリアンを見ていたく感動したものであるが、そこまでいかずとも雰囲気は十分に出ていて満足であった。時速88マイルで走るシーンは映像とうまくかみ合わせて迫力は十分。気になっていたSF表現はほぼストレスなく観ることができた。さすがだと思う。人間ドラマの方はほぼ映画を踏襲。主人公のマーティとドクと若き日の両親との絡みは馴染みあるもの。印象的なセリフもそのままであった。
気になったのは、セリフも映画をそのまま踏襲しているため、時代のずれによって理解できないところがあるのではないかというところ。例えば、物語の舞台となっているのは1985年であるが、当時のアメリカ大統領はロナルド・レーガン。そしてタイムスリップした1955年ではレーガンは役者である。30年後の大統領はと聞かれて、主人公のマーティは「ロナルド・レーガン」と答えるが鼻で笑われてしまう。売れない役者が大統領かという1955年当時ではあり得た反応であるが、どのくらいの人がその面白さを理解できただろうかと思ってしまった。若い人だとレーガン元大統領を知らないかもしれない。
アクシデントで30年前に戻ってしまい、そこで同じ町に住んでいた若き日の両親と出会うマーティ。タイトル通り「未来へ帰る」ことが必要だが、若き日の両親と出会ってしまったために、未来が変わってしまう可能性が出てくる。なんと若き日の母親にマーティが惚れられてしまったためであるが、歴史通りに両親をくっつけないと未来へ戻っても自分の存在が消えてしまう。そんなドタバタもストーリーの味付けとなる。主人公のマーティは学生だからティーンエイジャーであり、30年前の両親も同じくらいの年齢とすると、1985年では40代後半ということになる。今回あらためてそんなことを考えながら鑑賞した。
考えてみればこの映画は40年も前の映画である。公開当時、映画館でこの映画を観たが、40年後の世界など想像もしてみなかった。あの頃の自分が今の世の中を見たらどう思っただろう。まずスマホに驚いて喜ぶだろうなと思う。映画の配信にも満足するだろう。世の中の進歩には満足するかもしれないが、自分自身についてはどうだろうか。今の自分の姿を見て、40年前の21歳の私は満足するだろうか。残念ながらそちらの方はイマイチかもしれない。もっと何かできたのではないかと思う事ばかりである。
最後は恒例のスタンディング・オベーションだったが、立たない人も私を含めてチラホラ。となりのおじさんが座っていなかったら私も周りにあわせて立っていたかもしれない。過剰な拍手もどうにも好きになれない。いつもそうだが、ゆっくり座って余韻を楽しみたい私としては、どうもあの雰囲気は苦手である。舞台は好きであるが、あのわざとらしいスタンディング・オベーションだけは好きになれない。映画は静かに座って余韻に浸れるところが良い。まぁ、そんなところはあるが、また機を見て舞台を観に行きたいと思うのである・・・
89歳になった父は最近物忘れが激しくなってきた。これが認知症なのかどうかはわからない。会話は普通にできるが、とにかく記憶が続かない。一晩寝ればすべて忘れてしまうし、下手をすると一晩どころか数時間ということもある。最近はお金がないので銀行から下ろしてくると言って出掛けて行ったが、銀行で手続きを断られ、「息子さん(私だ)に聞いてください」と言われたらしい。「お前何をしたんだ」と怒る親父。しかし、以前から「印鑑をなくした」「キャッシュカード」をなくしたとしばしば銀行に行き(それらはすぐに見つかるのだが)、銀行の方でも親父の顔を覚えてしまい、「いい加減にしてほしい」となり、私が今後は責任を持つと伝えていたのである。
通帳も印鑑もカードもどこかに置き忘れたのかすぐになくしたと言い、もはや本人に管理能力はない。そこでこっそり私がカードだけ管理しているのだが、通帳と印鑑はいまだ見つかっていない。その都度、「印鑑はどうした?」「なくした」「それではお金が下ろせない」という会話を毎日繰り返している。翌日になるとまた同じ会話を繰り返すので、私も辟易している。以前『手紙は憶えている』という映画を観たが、主人公はやはり認知症を患っていて、一晩寝るとみんな忘れてしまうのであった。そこで毎日手紙を読んでやるべき復讐を思い出して行動するというものであった。
私も手紙を書いて渡したが、本人は読もうとしない。なかなか現実は映画のようにはいかない。今ではそんな父であるが、中学を卒業して友人とともに上京して入ったのが印刷工場。以来、印刷工として70歳まで働く。途中から自営業に転じたが、真面目一筋でやり通した印刷人生である。最初は丁稚奉公の世界で、朝の6時から夜の12時まで働かされたそうである。徹夜も頻繁にあったらしい。最初の6か月で体調を崩して帰郷。今で言う適用障害だったのだろうと思う。昭和20年代の後半の話である。けっして裕福にはなれなかったが、親からの支援もなく東京に出てきて借金もなく引退できたのも真面目な仕事ぶりゆえだったのだろう。
引退後は趣味の写真に没頭し、そのためにパソコンを憶えて写真の加工をし、写真だけであれば私よりもパソコンを使いこなしていた。しかし、今ではもうやる気が出ないとパソコンも処分し、カメラもしまわれたままである。毎日テレビを見て過ごしているが、もともと映画が好きだったから(その影響で私も映画好きである)せめて映画を観ればとケーブルテレビの見方を教えたが、その映画も内容が難しい(と言ってもアクション映画だ)と言う始末。それも自分でチャンネル操作ができないので私がいないと観ることができない。年とともに気力体力が衰えていくのはよく聞くが、こういう事なのかと思う。
自分もいずれ仕事を引退する(できれば70歳まで働きたい)が、それ以降はのんびり毎日を暮らしたいと思う。しかし、いずれ父のように認知能力が衰えていくのだろうかと思ってみる。毎日映画を観て、それをブログにまとめ、徒然なるままに思うことをブログにしたいと思うが、いずれそれを「どうでもいい」と思うようになるのだろうか。父の姿はいずれ確実に来る自分の姿なのだろうか。自分はそうはならないと思うが、こればっかりはわからない。毎日同じことを聞いて息子にうざいと思われるのだろうか。年老いて人生を終えていくのは避けられないとしても、美しくありたいと思う。
私の場合、すでに血液の病気が発覚している。もうろくするまで生きられない可能性もあるが、もうろくするまで長く生きて老いさらばえるのが幸せなのか、その前に病死するのが幸せなのか難しい問題である。同じ年の母は、腰が曲がり、病院通いは欠かせず、記憶力は親父とどっこいどっこい。しかし、「まだ死にたくない」と言う。「もういつ死んでもいいし、早く死にたい」と言う父とは対照的である。女の方が寿命が長いのは、こんなところにも現れているのかと思ってみたりする。温泉に誘っても喜んでついてくる母と、行きたくないという父とそこでも対照的である。
自分が父と同じ年になったら、どうなっているのだろうか。医学の成果で同じ年まで生きられたとして、そのことにまずは感謝しないといけないだろう。その上で自分の状態が昨日のことを覚えて居られるであれば、そのことにも感謝しよう。できるだけ子供たちを煩わせることは避けたいと思う。おそらくその思いは両親も同じだろうが、現状は現状で仕方あるまい。遠く離れてやきもきするしかない人もいるだろうが、私は一緒に暮らしている。それもありがたいことである。できないことを嘆くのではなく、良かったことを意識したい。親父の記憶には残らずとも、一緒に過ごす1日1日を大切にしたいと思うのである・・・
現在の会社に来て、何か自分なりの存在感を示そうといろいろ考えていたが、その一つがM&Aであった。裾野が広がってきたM&A市場であり、我々のような中小企業でも買収できる可能性はある。そんな中で、主として中途採用が難しい中、「採用」という点でM&Aはできないかと探索の輪を広げ、そしてとある一社と出会った。その会社は創業から40年以上を経過し、高齢の社長が年齢的な限界から引退を考え、後継者を探すも見つからず、どこか経営を任せられるところはないかと、会社を売りに出したのである。
そこで私の目に留まり、交渉開始。他にも競合はいたようであるが、なんとか競争を勝ち抜いて我々が買収することになったのである。競争に勝ち抜くために、私もどうしたら勝てるかを考えた。単純に「高い値段をつける」という方法が一つ。しかし、資金力のない我々にはなかなか難しい。となると、次に買収後にしばらく顧問料という形で何年か支払うという実質的な値上げ。そんな腹案を抱いて交渉に臨んだのであるが、結局のところ我々が買収することになった。我々が選ばれた決め手は「社員を大切にしてくれそう」という点であった。
買収価格も募集条件のまま。顧問料もリーズナブルなレベル。引き継ぎの意味も込めて1年間顧問としてきてもらっていたが、真面目に協力していただき、1年後に安心して退任された。我々としても満足し、初めてのM&Aは成功して今でもグループ企業の一社として黒字を継続している。当然ながら、その会社にいた社員にも満足してもらっている。三方良しではないが、売り手も買い手も従業員も皆喜ぶ結果に終わり、私も鼻高く思うところである。
しかし、そこで思う。私自身が、前職では売られる側で、売られると同時に首を切られたことを。前職では高校の先輩が社長をしている会社に請われて就職し、6年連続で増収という実績を主導し、最後は最高益を達成した。もともと経営力のない社長で、会社は赤字まみれであったが、数々の施策が奏功し、1億4,000万円を超えていた累積損失も一層した。最後は代表取締役副社長に指名され、金融機関からの借入に個人保証まで差し入れて会社のために奮闘したが、最後の1年間、社長は密かに会社の売り先を探していたのである。
そして突然の発表ととにも翌月末で全員の解雇が言い渡された。買い手が「社員はいらない」と言っているというのがその理由であった。我々には一応1社、再就職先が斡旋されたが、当然給料の保証はない。私など役員であったから年収は半分以下の提示。さらに退職金は全員一律雀の涙である。突然の話に社員は皆戸惑い、私は代表取締役副社長という立場で社長と交渉し、適正な退職金の支払いと再就職の猶予期間の延長や支援を要請したが、結局満たされることはなかった。社長にとって大事なのは「自分がいくらもらえるか」だったのである。
2つのM&Aはどちらも引退する社長が会社を売ったものであるが、社長の従業員に対するスタンスは180度違う。「いくらもらえるか」を一番に考えた社長と、「社員を守ってくれるか」を考えた社長とのスタンスの違いは経営のポリシーからくるものだろう。経営者は会社を経営して金儲けをするものだし、会社のオーナーとして売ったお金はすべて手にするものである。しかし、その過程で社員を使っているわけであり、自分に支えてくれた社員をどう扱うかは、経営哲学の世界である。「金が大事」な社長にとって、社員とは「金儲けの道具」としか映っていなかったのであろう。
結果的に、私は合法的に子会社を他の社員の協力を得て取得し、本来は社長が手にするはずであった子会社の資産をすべて手に入れてみんなと公平に分配した。せめて事前に相談してくれていたら、私も社長の引退に全力で取り組み、結果的に社員が十分な退職金を手にした上で最後に社長が手にするお金も増やせていたと思う。欲張り爺さんは最後に損をするものであるが、どうやら子供の頃に童話から学ぶことはなかったのだろう。恨みというより哀れさの方が今では優っている。
会社を売るM&Aは、そこで働く社員の生活をも左右する。私自身会社経営者ではないが、「自分だけ良ければいい」という事はしたくないと思う(やられたらやり返すが・・・)。世の中、いろいろな経営者がいるが、特に中小企業は経営者のモラルが大事であると思う。対照的な2人の経営者から自分としてのあり方も考えさせられるいい経験をしたと思うのである・・・
仕事でM&Aに携わる機会ができている。以前はM&Aというとバカ高い費用を取られ、大手の企業が行うものというイメージがあったが、近年そのバーが下がってきており、我々のような中小企業でも手が出せるようになってきている(手数料は相変わらず8桁台で安くはない)。こういうチャンスを生かそうと、サイトに登録して案件情報を見守り、これというものに関しては連絡を取って詳細情報をもらい、チャンスを伺っている。そして3年前、そのチャンスを生かしてM&Aでとある中小企業の買収に成功した。
ビギナーズラックという言葉があるが、その買収は理想的なほどうまくいき、今でもグループ企業の1社としてグループの業績向上に貢献している。二匹目のドジョウを狙って今も日々数多の情報に目を通しているところである。M&Aのすそ野が広がってきたことは歓迎すべきことであるが、「玉石混交」という言葉がすそ野の世界には見事に当てはまる。ピカピカの会社(我々には手も出ないほど高い)からなんでこんな会社(価格もタダ同然である)と思うものまで様々である。買う方も「見る目」を要求されるという事なのだろう。
明らかに胡散臭い(と言っても詐欺というほどではない)ものとしては、1つには「設立から日が浅い」というものがある。設立して数年というと、なぜ売るのだろうかと単純に思う。通常、何らかの思いがあって会社を設立し、思いを持って事業を継続するものであろう。それをわずか数年で売り払ってしまおうとするのはなぜなのか。そこにはすそ野の広がりを商売チャンスと見て、売るための会社を設立し、それなりのビジネスをやって会社の体裁を整えているとしか思えない。そんな「売るための会社」を買ってもうまくいくとは(我々の場合であるが)思えない。
また、経営陣がそのまま残るというものもある。理由を見れば「資本獲得のため」という文言があったりする。よく見れば業績も右肩下がりである。これって業績が悪化して潰れそうになってしまい、オーナーとしてリスク回避から売りに出しているのではと思わされる。そういう会社はたとえタダで購入しても、借入れの返済を引き受けたりすればその分お金を出すのと同じことになる。オーナーは連帯保証を外れてリスクから解放されることになる。リスクだけ取らせて今まで通り経営するというのは虫がいいと言わざるを得ない。
実際、我々が最初に目を付けた会社だが、業績が悪化する中、オーナーが会社を手放す決意をしたものであった。確かに業績は悪化しているが、買収して本社を統合したり引退した経営者の役員報酬負担がなくなったりすることを考えれば十分黒字化は可能であり、是非買いたいと考えた。しかし、大まかな合意ができたところで、最終的にオーナーが手放すのが惜しくなったのか、取引の中止を申し出てきた。やむを得ないと思ったが、数か月後に再度連絡があり、「やっぱり売りたい」という事になった。
そこで取引再開となったが、よく見ればその間に決算があり、業績はさらに落ち込んでいた。という事は、オーナー自身も「もったいない」などと言えない状況に追い込まれたのであろうと推察された。今度はこちらからお断り申し上げた。その時、別案件が浮上していたという事情もあるが、オーナーが慌てて手放すほど悪くなっているのだろうという推察がお断りの理由である。タイミングが悪ければ買っていたわけで、危ないところだったかもしれない。そういう危うさも秘めているという事である。
それを防ぐには、細かく会社の内容を調べることももちろん重要であるが、何より「売る理由」が大事だと思う。我が社が前提にしているのは、「高齢による後継者不在」。人間は誰でも年を取る。会社を設立して経営していても、いずれ経営を続けられなくなる。その時に後を託せる者がいればいいが、いなければ会社をどうするかという問題がある。こういうケースは会社がまだ生きており、後を引き継いでいける可能性が高い。「まだやりたいがもうできない」という理由が一番安心できる。
そういう意味で、オーナーの年齢も大事である。中にはまだ40〜50代という人がいて、「新たな事業を設立するため」と説明されたこともあったが、儲かる事業であれば手放すまい。仮に手放す場合はそれなりの価格をつけるだろう。そうでない場合、やっぱり「売り逃げ」を疑ってしまう。それでもうまくいくケースはあるだろうと思うが、手放すオーナーの腹の内はわからず、「君子危うきに近寄らず」が正解かと思って手を引っ込めてしまう。どんな案件にもリスクはあり、「買って失敗」よりも「買えなくて失敗」の方がはるかにマシである。
ビギナーズラックはあまりにもうまくいったので、二匹目のドジョウは是非とも手に入れたいと考えている。毎日多くの情報が寄せられる。考えてみれば結婚相談所と同じようなものかもしれない。お互いがハッピーになる買収を目指したいものである。いろいろな会社を見る楽しみもあり、焦る必要はないのでじっくりと相手を見極めたいと思うのである・・・
