
日頃あれこれ思う事どもを思うがまま自由に綴る

あるところで「印籠」という話が出て、かつての人気時代劇シリーズである「水戸黄門」を思い出した。子供の頃、私も何となく観ていたものである。水戸黄門は実在の人物であるが、全国を漫遊したというのはフィクションらしい。もっとも、身分制度の確立した当時、水戸光圀公のような地位のある人物がお忍びで全国を回るなどできなかっただろうという事は何となく想像できる。ただ、物語は物語で、史実とは関係ない。観て面白ければいいわけで、「実際には違うから」というのは観るのを拒む理由にはならない。実際に私が観ていたのは、初代の東野英治郎版であり、小学生から中学生くらいにかけてだったのだろうと思う。
「水戸黄門」の何が面白かったのだろうかと考えてみると、それは完全な勧善懲悪モノだったことが大きいと思う。世の中は理不尽に満ちている。人はやり切れぬ思いを消化するのに、「いつかバチが当たる」と考えて自らのやり切れぬ思いを満たそうとする。天国や地獄もそこから生まれてきたのだろうと個人的には思う。現実的にはバチなんか当たらないし(当たることも「たまたま」あるかもしれないが)、憎まれっ子は世に憚るものである。そんな世の中にあって、「水戸黄門」の世界では、最後に天下の副将軍が身分を明かし、悪を成敗する。スカッとするからいいのだろう。
そもそもそんな水戸黄門を思い出したのは、「印籠」の話が出たからである。印籠とは印鑑ケースだとずっと思っていたが、それは室町時代くらいまでの話で、江戸時代には常備薬などを持ち歩くためのケースになっていたらしい。江戸時代には身分証明書としてどんなものがあったのかはわからないが、徳川家の家紋が入った印籠が身分証明書の代わりとして機能していたのだろう。当時は偽造なんてことを考えなかったのだろうかと思うも、「この紋所が目に入らぬか!」とやるだけで一斉にみんながひれ伏すなら、そういうことを考えた人間もいたのではないかと妄想してしまう。
出張でたまに鹿児島に行くが、鹿児島弁はわかりにくいらしい(まだガチンコの鹿児島弁を直接聞いたことがない)。今はテレビの影響だろうが、標準語で十分話ができるが、昔はよそから人が来ると方言が違うから一発でわかったらしい。幕府の隠密なども入り込むのが難しく、方言が侵入障壁になっていたと聞く。さすれば天下の副将軍がのこのこ出かけて行ってもコミュニケーションが難しかっただろうとこれも妄想してしまう。子供心に印籠を見せても多勢に無勢であれば、悪が「それがどうした」と開き直ったらやばいのではないかと思ったものである。
似たような時代劇としては「遠山の金さん」や「大岡越前」がある。遠山の金さんも最後に「この桜吹雪が目に入らぬか!」とやって悪人の鼻を明かす。大岡越前は「大岡裁き」で有名である。どちらも正義が勝つことが根底にあり、どちらも安心して見ていられる。勧善懲悪がすなおに実現される世界であり、見る者は安心して見ていられる。これがそうでなかったら、たぶん見る人は大幅に減るのだろう。現実で見る理不尽な世界をドラマの中でも見たくはないだろう。正義は正義であり、心正しい者は最後に必ず報われる。だからそう信じて明日も理不尽な世界を生きられる。
「仕事人」シリーズも勧善懲悪モノの時代劇である。こちらは悪を懲らしめるというより、殺してしまうのでちょっと過激である。しかし、殺される人間は悪人であり、悪人であるがゆえに殺されて当然という前提である。考えてみればそれは危険な発想で、冤罪も起こるかもしれないし、何より目安箱に密告という形で対象者が訴えられ、仕事人の価値観で裁かれるのである。弁護士もいないし、殺される方からするとたまらないだろうと思う。ただ、「悪いことをしてはいけない」というメッセージにはなるだろう。
そういうことを考え始めるとキリがないが、映画やドラマを観ると(それがそれほど引き込まれるものでなければ)そういう妄想をよくしてしまう。そういう事を考えていくと、ドラマの面白さを損ねてしまうところはある。遠山の金さんの桜吹雪が最後にモノをいうのは、桜吹雪の刺青を覚えていないといけないが、みんなよく覚えているなと考え出すと、ドラマの面白さはなくなってしまう。大岡裁きも大半がフィクションらしいが、そういうフィクションが作られる土台はあったのだろう。さもありなんと思われる人物だったのだろうと思う。
元は印籠から発した妄想であるが、 いろいろ考えて行くと楽しいと思う。今また改めて「水戸黄門」を観てみたいとなんとなく思うのである・・・
現在、高校ラグビーの全国大会予選が各地で行われている。我が母校の高校も無事1回戦を突破し、本日2回戦に臨んだ。相手はかつて全国大会に出場した実績もある古豪。少子化で単独校としては出場できず、合同チームとして出場する高校が増えている中、わが母校は都立高ながら単独校で頑張っている。そんな母校の応援に本日はグラウンドに足を運んできた。以前は一部暇なOBが数人応援に来ればいい方であったが、最近の傾向として(OBの傾向は変わらないが)父母の応援がすごい。
父母の応援団は共通のTシャツを作り、選手名鑑も作り(それを我々OBにも配布してくれる)、試合が始めれば黄色い声援(?)が飛び交う。選手たちも歓声の中で試合をするのはいい気分だろうと思う。しかしながら、一緒に観ている我々とその黄色い歓声はどこかズレがあると感じる。トライを取ればみんな歓声を上げるのは同じだが、ママさん応援団はボールを持って走れば歓声を上げる。実にわかりやすい。ただ、試合の展開を観ていると、いいプレーだと感心するのはボールを持って走るところばかりではない。
そう言えば2019年に日本でラグビーのワールドカップが開札された時、「にわかファン」という言葉が流行った。ワールドカップ国内開催という契機に興味を持った人がどっと増えのだろう。それはそれで悪くはないが、「にわかファン」という言葉にはどこか卑下するニュアンスを感じたものである。個人的には少子化の中で我が国のラグビーが衰退するのを防ぐには、やはりみんなの関心が必要だと思うので、にわかでも何でもファンはウェルカムだと思っているから好感を抱いている。
しかし、やはり気になるのは「素人目線」。それはある意味仕方ないことではあるが、やはりプレー経験の有無が出るのが「目立たないプレー」に対する見方だと思う。テレビを観ていても、アナウンサーはトライに過剰に反応する。誰がトライを取ったか、それが今シーズン何本目かといったところである。しかし、ラグビーのトライはチームプレーである。野球のホームランとは違う。確かにトライはすごいかもしれないが、そこに至るプレーというものがある。タックルでボールを奪ったかもしれない。鋭いステップで相手を2人抜いてその結果、フリーになった味方のプレーヤーがトライしたのかもしれない。
そういう途中経過を無視してトライだけにスポットライトを当てるのはどこかズレている。ゴール前のフォワードの密集プレーでは、フォワードが固まって一団となってゴールに押し込んだ時、誰がトライをしたかなどまるで意味がない。そうした観るポイントのズレがプレー経験のないファンとのズレが生じる原因である。しかし、そんなズレがあろうと、それは些細なことでしかない。この日曜日の同じ時間、母校を応援するという点では同じである。観るポイントの違いは大したことではない。
我々は、母校の後輩の一つ一つのプレーに注目し、応援する。父母は我が子の勇姿を見て応援する。トライを取ればみんなで歓声を上げ、取られれば沈黙する。そんな後輩たちは、わずか1ゴール差(2点差)で涙を飲んだ。一部のお母さんたちも泣いていた。3年生にとってはこれが現役最後の試合となった。観る立場やポイントは違えども、応援する気持ちは同じである。泣き崩れる3年生を見ていて、自分たちの最後の試合を思い出した。応援は数人のOBだけだった。
卒業してもみんなにラグビーを続けて欲しいと思う。できれば母校の大学に進学してもらって、今度は大学の試合で応援できたらとも思う。それにしても、私の34歳上の先輩たちが始めたラグビー部が、今の1年生で81期になる。連綿と受け継がれたバトンをこれからも長く受け渡していって欲しいと思うのである・・・
【今週の読書】
最近、よく「息子に伝えたいこと」を考える。息子は現在、大学生。父親としていろいろと教えたいと思う。しかし、自分自身、改めて考えてみると「成功者」とは程遠い(何をもって「成功者」とするかにもよるが、いわゆる世間から見た「成功者」とする)。しかしながら自分を卑下するわけではないが、「失敗者」でもない。どちらかと言うと「勝つ」よりも「負けない」事の方が大事ではないかと思う。たとえば人生の後半に借金を返せなくなり、自己破産して、年金か生活保護でとりあえず最低限の生活を送るという状態になるよりも、そこそこの生活でも自立して生きられればいいという程度である。
自分も今、人生の第4コーナーを回るあたりで、まだまだゴール前でこける可能性もあるわけであるが、とりあえずここまでのところで人生の第1コーナーを回ろうとしている息子に何を伝えるべきだろうか。いろいろあるが、あまり細々としたことは伝えきれるものでもない。これというものを一つ選ぶとしたらなんだろうか。日頃そんなことをつらつらと考えたりしている。自分の経験(それもうまくいかなかった経験)を踏まえ、息子が自分なりの幸せな人生を送る上で役立ちそうなアドバイスはなんだろうか。
「これをやれば大丈夫」というようなものは、残念ながらない。我が身を振り返ってみると、何となく「窮地に陥った時に何をすべきか」ではないかと思う。これまでも何回か、窮地に陥ったことがある。仕事の上でも私生活の上でもである。そこで潰れなかったから、今とりあえず普通の生活が送れているように思う。不安で居ても立ってもいられず、夜ようやく眠りについても夢の中で怖くなって目が覚める。不安に神経を削られて精神の休まる時がない。そういう経験をするともう二度と同じ経験をしたくはないと思う。
ではどうすればそういう経験をせずに済ますことができるだろうか。残念ながらそれは難しいと思う。株で失敗してかなりの借金を抱えてしまったり、業績の芳しくない企業で借入の連帯保証をしたり、にもかかわらず社長に裏切られて失業の恐怖を味わったりしたが、それらは予測不可能であり、避けようと思っても避けられるものではない。避けられないものであれば、受け止めてそこから脱出するまでの間、耐えるしかない。まずはそういう危機に陥ることになるという事を伝えたいと思う。
危機に陥った時にどうして不安で眠れなくなるのかと言えば、それは最悪の事態に対する恐怖である。「不安とは起こるかもしれない事」という言葉があり、それは「まだ起こっていない事」であるから大丈夫だという慰めもある。しかし、「起こるかもしれない」という恐怖はそれで緩和できるわけではない。その不安を緩和するとしたら、起こった場合にどうするかをひたすら想定するしかない。その最悪の事態に陥った場合、どうするべきかを考えて覚悟ができれば腹をくくれるが、できない場合もある。その場合は神に祈るのも手だと思う。
私は基本的に宮本武蔵の「神仏を尊びて神仏を頼らず」という考え方であるが、過去に危機に陥った時にはさすがに神頼みをした。早朝、眠れなくて目が覚めてしまい、居ても立ってもいられず近所の神社に参拝した。その頃は毎朝のように参拝していたが、それはむしろ心を落ち着かせるためであったが、不安が最高潮に達した時は神頼みをした。我ながら情けないと思ったし、神頼みをしても解決しないことは十分に理解していた。しかし、一時の不安を和らげる効果があった事は事実である。
あとその時ひたすら考えていたのは、この不安を誰かに肩代わりさせるとしたらどうする、ということ。たとえば尻尾の先が尖った悪魔が突然目の前に現れて、「お前の苦悩を息子に肩代わらせて楽にしてやろう」と言われたら、その申し出に飛びつくかという事である。答えはもちろん「NO」である。ならば自分で背負わないといけない。これは家族に代わって自分が引き受ける苦悩だと思うと少し楽になった。状況は何一つ変わっていなかったが、少し楽になったのは、要は「考え方」という事なのだろう。
やがて社会に出て、いずれどうにもし難い困難に陥ることがあるだろう。そういう困難に陥らないに限るが、そうならないと根拠のない楽観にすがるよりも、あらかじめ迎え入れる心の準備をしておくべきだろう。人生には苦難がつきものであるとし、その時溺れないように心の準備をしておく。「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな」というロシアの格言の精神が大事だろう。泳ぎ切らなくても、流れが岸に向かっているなら溺れない程度に浮かんでいるだけでもいいと思う。
消極的かもしれないが、「負けない」ことも大事だと思うゆえ、いずれそんな話を伝えたいと思うのである・・・

渋谷は自宅から一番近い「街」である。地方から見ると、東京(特に23区山手線環内)全体が巨大な「街」と言えるかもしれないが、東京に住んでいると、どうしても「渋谷」「新宿」「池袋」「銀座」といったところが「街」というイメージになる。そんな中でも、渋谷は我が家から一番近い「街」なのである。小学生の時から「街」へ出かけるのはちょっとしたイベントで(小学生からすれば電車で30分ほどのところへ行くのは「お出かけ」気分である)、映画や身近で買えない買い物に行くところであった。人生で最初に映画館で洋画(『ジョーズ』)を観たのも渋谷である。
そんな渋谷は、今は通勤途上の乗り換え駅で、普段降りることもない。高校を卒業してから学生生活の活動拠点は、新宿、吉祥寺、国分寺、国立、立川といった街に移り、渋谷は通過駅になってしまった。しかし、妻と別居して実家に戻った現在、再び渋谷が身近な街になりつつある。連休最中の昨日、久し振りに買い物と映画鑑賞とで渋谷に出かけてきた。夜の渋谷に出かけるという事をしたのはいつ以来だろうかという思いが頭をよぎる。改めて歩いてみると、見慣れていたはずの街が少しずつ変わっているのに気づく。
夜の8時過ぎ。スクランブル交差点では大勢の人が信号を待ち、みんなスマホを上に向けて写真を撮っている。外国人もかなり多い。スクランブル交差点など見慣れた光景だが、外国や地方から来た人には物珍しいのだろう。私も地方に行くとやたらあちこち歩いて写真に収めたくなる。道玄坂もセンター街もよく見れば見慣れない建物が建っている。もしかしたら建物は変わっていないのかもしれないが、テナントが変わっているので景色も違って見えるのである。目指す渋東シネタワーもいつできたのだろうと思う。昔、よく行った「渋谷パンテオン」が取り壊されて久しいが、映画を観る中心も変わっている。個人的に映画好きであるが、近年は映画館から足が遠のいている。今でも映画館での鑑賞がベストだと思うが、周りを他人に囲まれての中で観るのが苦痛になってしまっている。昨日も両サイドの人を気にし、前の男の頭が気になり、しばし映画の中から現実に引き戻されてしまった。以前は、映画館のある西武線沿線の「町」に住んでいたので、人の少ないレイトショーによく行っていた。何せ映画を観終えてから車で5分で帰宅できるので、夜中の2時に終わっても15分後には布団の中にいられたのである。レイトショーだと貸切状態に近く、他人を気にせず映画の世界に浸れたのである。
しかし、渋谷ではそんな鑑賞はできない。昨日も11:40に終わる回だったが、かなりの入りで、やはり他人が気になってしまった。公開日から時間を置いた方がいいのだろうかと思ってみる。別居して一番不便なのは、これかもしれないと思う。妻と別れることに何の未練もないが、あの家を離れる未練は大き過ぎるくらい大きい。鑑賞方法もチケットが発券されない方式に変わっている。昔は前売り券を買って半券は記念に取っておいたものだが、今や何の記録も残らないデジタルの世界になってしまっている。そう言えば映画のパンフレットも見かけなかった。昔は必ず買っていたものだが、今はネットでいろいろとわかるから売れないのだろうかと思ってみる。
映画鑑賞の形もだいぶ変わった。いいか悪いかと問われれば、圧倒的にいい。昔はデートで映画を観に行くと、2席確保できるかどうか(それもみっともない真似をせずに)が死活問題であったが、今はそういう苦労はかけらもない。そういう点ではいいのだろうと思う。売っていたポップコーンも1人で食べるにはサイズが大き過ぎるようだが、専用のフォルダーも付いて扱いやすそうである。映画館側のスタンスも「観せてやる」から「観ていただく」に変わっているようで、観る形は実に快適である(人がいなければ、だが)。
今後も折に触れて映画館にはもう少し行きたいと思う。されどなるべく人が少ない環境を狙っていくようにしたい。深夜に近く、公開日から時間を経て、可能であれば平日とか。映画はなるべくいい環境で観たいと思う。それも自分にとっていい環境である。いろいろ工夫を重ねて、これからまた昔のように渋谷で映画を観る生活を送りたいと思うのである・・・
その昔、私も大学のラグビー部のコーチをしていたことがある。我が大学は国立大学の限界もあり、外部からコーチを招聘できるほどの財力はない。OBの中から有志が選抜されてこの任に当たるのである。今振り返ってみても私には元々コーチの資質はないようで、十分にできたとは言い難い。まぁ、それでもヘッドコーチではなかったし、監督もいたのでそれなりに役割は果たせていたと思う。そんな中でも、一つ印象に残っている事がある。それはとある選手が、「監督に褒められたい」と語った事である。
当時の監督は、厳しい方で、滅多に人を褒めることのない人であった。私はと言えば、良いところがあれば素直に褒めるタイプで、それは我が子の子育てでもそうであったし、会社でも社員に対するスタンスは今もってそうである。滅多に褒めることのない人から褒められるというのは、やはり嬉しいものだろう。そう言えば、映画『プラダを着た悪魔』でのラストシーン。主人公のアンディの転職での面接で、面接官がアンディの元上司ミランダからの推薦の言葉をアンディに伝える。業界でも有名なミランダは部下に厳しくアンディも褒められることはなかったのに思いもかけない最高の褒め言葉を最後にもらう。なかなか良いシーンであった。
褒めるのが良いのか、褒めないのが良いのかは難しい。私の昔の上司はやはり滅多に褒めない人であったが、挨拶しても返事もしない人で、さらに一度大きな判断ミスがあった。自分でもよくできたと思うことはあったが、その人は常にむっつりしていた。正直言ってその人に褒められたいとは露も思わなかった。たとえ褒められたとしても嬉しいと思ったかどうかと思うと微妙である。考えてみれば、褒められたいかどうかはその人に対するリスペクトがあるかないかにもかかっていると思う。
自分に褒められたくて頑張っていると言われれば嬉しいだろう。自分はすぐに褒めるタイプなので、おそらくそう思われた事はないだろうと思う。しかし、では褒めなければいいのかと言うとそうではない。根底にリスペクトがないとダメだろう。ではリスペクトはどうしたら生まれるのかと考えてみると、前述の監督と元上司とを比べてみるとわかるような気がする。監督はラグビーに精通し、日頃の言動から選手はその言葉を信頼し、指導を受け入れている。元上司は挨拶も返さず、部下に対するダメ出しばかりである。そして自分も判断ミスをする。
「やれ」と言うのは簡単だが、できない場合にどうすれば良いのか。そこに対する指導なり見本を見せるなりがないといけない。口ばかりで「自分はできるのか」と思われたらリスペクトは難しい。もちろん、監督は年齢もあるから自ら手本を示すことはなかったが、その指導内容が十分であったから選手のリスペクトは得られていたと思う。元上司もせめて挨拶ぐらい普通の社会人の常識としてできていたらもう少し違ったかもしれないと思う。部下として尻拭いさせられた時も、何のねぎらいの言葉もなかったのには軽蔑の念しか浮かばなかった。
自分はこの先も性格的に「あの人に褒められたい」と思われることはないのだろうと思う。されどそれも仕方ない。自分の判断でいいなと思ったらすぐに褒める事はこれからも継続していこうと思う。そこは無理をせず、自分らしくありたいと思うのである・・・
仕事として採用に携わっている。中小企業としては頑張って毎年新卒採用を継続していると思うが、いかんせん東京での知名度の低さは致命的であり、採用は地方からの割合が多い。地方の大学や専門学校をまわって会社説明会、面接と行っているが、近年そういう地方の学生の「地元志向」が高くなっている。「東京よりも地元で就職したい」ということである。採用側としては残念に思うが、広い目で見れば人口が減少する中で、都市集中・地方衰退という問題に対しては良い傾向と言える。
以前は、「地元に残りたくても仕事がない」という事が言われ、必然的に都会に出てくるというのが多いパターンであったと思う。今もその傾向はあると思うが、だいぶ緩和されてきているということだろうと思う。もともと「仕事があればわざわざ都会へ行くこともない」という意識が潜在的にはあったのかもしれない。そういう意味では、人の意識が変わったというよりも、就職環境が変わったということなのかもしれない。今や地方に行ってもユニクロや吉野家などはどこにでもあり、地名が出ていなければどこの街かわからない所も多い。
そうした「地元志向」は果たしていい事なのだろうか。「男なら東京へ出て一旗揚げようと思わないのかね」と我が社の年配社員は言う。私もその感覚はよく理解できる。ただ、地元志向がチャレンジ精神の衰えという意味かと問われるとそうとも言えないように思う。地方の方が慣れ親しんだいい環境はあるし、友人たちも多いだろう。それに親の近くにいたいという感覚は、親離れしていないというよりも、将来自分が面倒をみないといけないという感覚の方が近いようでもある。
実際、数年前、我が社でも故郷に帰ると離職した社員がいた。3人兄弟であったが、兄が東京へ出て、自分も東京へ出たが、弟も東京へ出ることになり、子供がみんな東京に出てしまうのはどうかと思い、自分が帰ることにしたということであった。我が社としては人材流出になるわけで誠に残念であったが、理由が理由だけに引き止めも難しく見送ることになった。親の立場からすればどう思うのだろうかと思ってみる。気持ち的には「親の事は考えずに自分の人生を好きなように生きろ」と言いたいが、地元に残るのなら頼もしいと思うのではないかと思う。
私はもともと東京生まれなので、就職に際してはそういう迷いはなかった。実際、就職して家を出ても、実家に帰るのはわずかであったが、時間をかけて帰省するという労力がゼロだったのは楽だったと思う。年老いて両親2人ではとても生活が困難となった今、別居もあって私が実家に出戻れたのも、東京に実家があったからである。もしも地方だったらどうなっていただろうと考えると恐ろしい。若い頃には意識すらしなかったが、今になって実感しているメリットである。
「東京へ出てもいずれ戻ってくればいい」という考え方もある。「いずれ」が「老後」を意味するならそれもありうる。ただ、定年も延長傾向にあり親の健康度合いもひとそれぞれであり、想定通りにいくかどうかわからない。それに結婚すればパートナーの意向にも左右される。子供が生まれれば子供の地元は東京になり、慣れない父親の故郷に行きたがらないかもしれない。「いずれ戻ればいい」という考えは、思う通りにいかないリスクが大きい(単身戻るということなら可能だろうが・・・)。
子供も成人すれば後は自分の人生である。もちろん、親は大切な家族であり、そこに対する思いも大切である。故郷を離れて生きていくか、あるいは生まれ育った地元で一生を過ごすか。そこには明確な正解はない。自分は東京で生まれ育ち、今も暮らしている。それゆえに親の面倒を見ながら仕事も続けていられるし、その点ではラッキーだったと言えるだろう。もしも、地元を離れて生活基盤を築いていたらどうなっていただろうか。あまりそこは考えたくないところである。
地元志向の学生に対し、「夢がない」とか「チャレンジ精神がない」などとは思わない。地元に残るにしろ、都会へ出るにしろ、その人の人生でありどちらが良いとか悪いとかではなく、「選択」の問題に過ぎないと思う。ただ、その「選択」をして東京へ出てきて、我が社に就職してくれた社員には感謝したいと思う。そして将来、何かしら実家との関係で困ったことがあれば親身になって相談に乗ってあげたいと思う。たとえ「地元を離れた」事を後悔したとしても、我が社に入社したことだけは正解だったと思ってもらえればと思う。
考えてみれば私の子供たちももしかしたら地方で暮らすことを選ぶかもしれない。今の時代、それは海外かもしれない。そういう「選択」を子供たちがした時には、気兼ねさせることがないようにしたいと思う。歳をとって自分がどうなるか、自分の意思だけでは何ともできないが、そういう意思は持ち続けていきたいと思うのである・・・
人は誰しも同じであるが、他人と必ずしも意思疎通ができるわけではない。考え方も感じ方もそれぞれ違う。「そんなつもりはなかったのに」と思うことはしばしばある。大して利害関係が絡まない相手なら放置しておけばいいが、そうでないと厄介である。特に職場や時に家庭ではかなりのストレスになることが多い。相手から自分に対する悪意すら感じる場合もあり、どういう対応を取るかはなかなか難しい。まともに対立しても日々顔を合わす間柄や仕事をしていかないといけない中ではどうしても堪える必要が出てきたりする。考え方の違いもしかりである。
昔と違い、今はパワハラやセクハラが大きく問題となる時代であり、私もそこは神経を使っている。部下と言えども丁寧に接しているのは当然である。それでも何が悪いのか、相手の機嫌を損ねてしまっている。とある関連会社の役員からは理不尽な対応を受けている。一連の経緯について報告していたにも関わらず、「聞いてない」と言われて「独断専行」のそしりを受けてしまっている。「聞いていない」というのは、言ってはいけない一言だと思っている私にしてみると、いかがなものかと思う。
それでも社内では社長の信頼を得ている長老であり、正面から対立するわけにもいかない。ぐっと堪えるしかない。それに何かと皮肉たっぷりな物言いをしてくる部下もいる。私も一応役員だし、そういうものの言い方はどうかと思ってしまうが、それを正面から主張しても対立を招くだけだし、よけい感情的な対立になるかもしれない。嫌味な言い方には気づかない振りをして受け流しているが、はらわたはかなり温度上昇中である。ただ、一方でそれを冷静に受け止めている自分もいる。
相手はなぜそんな対応をするのだろうかと考える。世の中の人はすべて自分が人生の主人公であり、すべての自分の行動は正義であり、善である。相手には相手の正義があり、そこから見ると私の方にも何か(相手から見た)非があるのだろう。家庭でもいつからか妻が私に対して冷たい態度を取るようになっていたが、たぶん何か気に食わないことがあったのだろうが、私にはその自覚がない。コミュニケーション不足とも言えるが、時間が経つにつれて修正をしようという気も起こらなくなってしまった。このまま老後を迎えるより1人になった方がいいと判断して家を出たのである。
自分にわからないというのがなかなか厄介である。わかっていてもこちらにはこちらの理由があるというケースもあるかもしれない。お互いに相手の考えがわからない中、一方的に思い込むという事もある。無用な対立を回避するためにも、報連相と言われるコミュニケーションは大事だと思う。それに「私の方にも何か(相手から見た)非がある」という考え方も大事なように思う。自分が絶対に正しいと盲目的に思うのではなく、自分にも何か非があるのかもしれないと考えることによって、自分の行動を振り返ってみる契機になる。
それに相手の「悪意」(と思われる行為)に対し、まともに腹を立てて報復を考えると、心中穏やかにはいられない。そのことが心の中の多くを占め、不毛な争いへとつながる可能性もある。嫌味に嫌味で返してもそれで得られるのはさらなる相手の反感。それで何か得られるかと言えば、一時の報復感だけのように思う。特に職場では否応なく一緒に仕事をしないといけない。相手の不満を察知する「敏感力」も必要だが、相手の嫌味を受け流す「鈍感力」も必要であると思う(逆になると大変であるが・・・)。
それよりも大事なのは「自分がなすべきこと」であると思う。それがきちんとできていれば組織にとって必要な存在となり、我が身の安泰にもつながるというわけである。幸いなことに、長老も嫌味な部下も私の基本的な仕事の範囲ではそれほど関わり合う事もない。であれば淡々と接して自分の仕事をすればいいと思うし、そうするしかない。その他の事は何が自分の非かがわかるように努力はする程度にとどめておくほかはない。わからないものはわからないが、何かがあるのだろうと慎重に対応するのにとどめておく。
コミュニケーションの難しさを実感するのは今に始まったことではない。自分の気づかぬところで思わぬ反感を買っているのは心安くいられないところがある。あまり横柄に振舞っているつもりはないが、やり方、考え方の点で人と合わないところが出てきてしまうのだろう。それをくよくよ考えても仕方がない。自分のやるべきことをしっかりとやるだけ。そう自らに言い聞かせている。「堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え」とは徳川遺訓であるが、その通りだとつくづく思う。不必要に心を苛立たせることなく、やり過ごしていきたいと思うのである・・・
ダイヤモンド・オンラインの『従業員の不満投稿が多いブラック企業ランキング【2026年上半期・製造業ワースト18完全版】…三菱電機、日立、SUBARUの順位は?』という記事を目にした。何に不満を持つかは人それぞれであり、どこの企業であろうと不満のない企業などないと思うが、それでも内容的には興味があって目を通してみた。対象は製造業であり、我が社の属する情報通信業でないのはちょっと残念であるが、それでも見てみる価値はあると思う。
ランキングは、下記の通り。