日頃あれこれ思う事どもを思うがまま自由に綴る
毎年6月は誕生月である。これまでの生きてきた半生を振り返り、などと言えば大袈裟であるが、そろそろ残り時間(それが10年単位であることを望むが)を意識するようになってきている。できれば70歳まであと8年間、今の収入を維持して働きたいと思う。そのあとは「毎日が日曜日」を楽しみたいと思う。70歳を超えた後も個人的には収入のためには働きたくない。しかし、社会との関わりという意味ではなんらかの形で働き続けたいと思うが、そろそろ体力も低下してきており、たぶん70歳くらいになれば気力も衰えて楽をしたいと思うようになっているような気がする。
今はいろいろな事が心理的な負担としてのしかかってきている。周りで自分よりも恵まれている人の姿を見ると、「なんで自分だけが」という気がしなくもない。特に60代になっても夫婦仲の良いところを見せられたりすると、素直に羨ましいと思う。とは言え、それも自業自得なので仕方がない。他人を羨んでも仕方がない。人はみなさまざまである。仕事でもパッとせず、結婚もせず、私と同じように老親と同居している友人もいる。彼から比べると、私はまだいい方であると思う。
下を見て満足するのはどうも感心できない、上を見なくてどうするとこれまでずっと考えてきた。それは今でも変わらない。しかしながら、自分が不幸の塊のように思うのも良くないと思う。自分にも恵まれているところはある。その一つは子供である。「一姫二太郎」と言われるが、結婚前から何となく将来は女の子とその下に弟という形で子供が欲しいと思っていた。そしてその通りになった。多額の収入を稼いで今では羨ましい名誉職について日経新聞にも名前が出る友人がいる。でも子供はいない。どちらがいいかと問われれば、子供のいる人生を選ぶ。
それでいいではないかと思う。この先離婚すれば、家は妻に渡すつもりである。離婚届で妻とは他人になれるが、「子供の母親」という関係は切れない。財産を半分に分けるという選択肢は子供たちから住む家を奪うことを意味し、それはできない。それ以外に渡すお金を考えたら、真面目に「貧困老人」になる危険性が高い。まぁ、ホームレスになって子供たちに迷惑をかけないようにはしないといけない。そのためにはまだまだ稼がないといけない。そんなことを漠然と考える。
シニアラグビーも楽しくやっているが、やはり年齢を感じるようになってきている。怪我をしてもなかなか治らないし(むしろ慢性化している)、ちょっとした運動でもすぐ筋肉に違和感が漂うし、練習が終わったあとの疲労感は昔より大きい(昔より緩い練習なのに・・・)。頭の中は老いないから、敵がボールを持って走ってくれば勢いよくタックルに行く。しかし、今ではその衝撃に体が耐えられないように思う。なので、自分よりも若い世代(50代以下)とはなるべく試合をしないようにしている。周りは「(あなたなら)大丈夫ですよ」と言ってくれるが、勘違いは厳禁だと自分を戒めている。
血液の病気が発覚し、今は経過観察中だがいつ悪化するかはわからない。体力には(病気に対する抵抗力も含めて)自信があったが、あっさりそれを打ち破られてしまっている。体力の衰えは気力の衰えにつながるし、「まだまだ」という気持ちは持ち続けていきたい。まずは息子が卒業するまであと2年。それを短期の区切り目標として頑張りたい。そのあとはまた次の短期目標を探すとしよう。あと8年、今の収入を維持して働くには、会社で自分の存在感を出さないといけない。今までのやり方に安住する事なく、常に「これでいいのか、改善の余地はないか」という問いかけは自分にぶつけていきたい。
ある木登り名人は、弟子が木に登る姿を黙って見つめ、降りてきてあと少しというところで気をつけろと注意をしたという。その理由を問われた名人は、「一番気が緩みやすいところだから」と答えたという。今の自分は「あと8年」というところでそれを感じている。あと8年。健康と仕事での存在感。どちらも維持していきたいと思うのである・・・
人の考え方はそう簡単には変わらないものだとつくづく思う。我が社で将来の幹部候補生がいるのであるが、その言動がどうも個人中心で、経営に必要な「会社視点」での考え方ができていない。すなわち、「会社から見たらどうなるか」という視点である。ある問題が発生する。「自分は直接の担当ではない。だから担当すべき人がやればいい」というのは「自分視点」の考え方。それだとその問題は誰が解決するのかとなる。「会社視点」であれば、たとえ自分が解決できなくても解決できる人に頼むとかしかるべき人に相談するとかの「自主的な」行動に出るはずである。
この「視点」は重要である。経営とはすなわち「問題を解決すること」でもある。会社が目標に向けて進んでいく段階ではさまざまな問題が発生する。それを1つ1つ解決していくのが経営である。その時、「自分視点」で「これは私の担当ではない」と考えていたら問題は解決できない。それを「自分の問題」と考える事こそが「会社(経営)視点」であり、幹部にはこの「視点」が求められる。それを丁寧に説明しているが、なかなか本人の意識が変わらない。
私も今では偉そうに言うものの、そう言えばかつては同じ状態にあったなと思う。ちょうど銀行員時代の30歳になった頃の私がそうであった。当時は仕事も覚え、自分の考えで仕事をどんどん進められていた。しかし、それは当然ながら「自分の仕事」であり、他の人の事はどうでも良かった。支店の成績という事が求められているのは知っていたが、それは「上の人」が考えればいいことであった。「上の人」ももどかしかったに違いない。そんな私に直属ではなかったが、隣の課の役席者が指導してくれた。
ある日、飲みに行こうと誘われたが、当時の私はマイペース。業務時間外に仕事の話などしたくはなく、平気で断った。それで別室で話をしたが、「お前は何をやりたいんだ」と聞かれて面食らった。「仕事でやりたいことなんて・・・」というのが正直な感想だったが、何も答えられずにいると、滔々と話をされたが内容は覚えていない。覚えていないという事は心に刺さらなかったという事であるが、まだ準備ができていなかったのだろう。
その後、私は迷走状態に入っていく。仕事はきちんとこなしているのに評価されない。なぜだかよくわからない。今にして思えば、「上の人」の評価基準がわかっていなかったという事である。年齢的にもそろそろ経営的な視点から行動してほしかったのだろう。それに気づくまでだいぶ時間がかかってしまった。自分に足りないものは何かと考えていたが、なかなかわからなかった。今に至るまで悪戦苦闘しながら自分で答えを探してきたが、だから考え方も変わったのだと思う。
人の考え方は自分で変えるしかない。人に言われてなかなか変わるものではない。それはわかるが、もどかしいのは確かである。今、あの頃の自分に会えたら何と説明するだろうか。「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と割り切るのはかまわない。ただ、仕事に関しては自分中心ではなく、会社中心に考える。ラグビーで言えば1プレイヤーではなく、キャプテンになって考えると言えばわかりやすいだろう。ただ、それでも考え方が変わるかどうかはわからない。
当時の私は、仕事において興味の中心は給料であり、そのために必要な昇格であった。そのあたりを刺激すれば少しは聞く耳を持ったかもしれない。今思うのは、やはりもう少し丁寧にわかりやすく話してほしかったと思う。勝手な言い分だが、せっかく私の事を思って指導してくださったので、当時の私にも理解しやすい言葉で説明していただければ良かったのにと思わざるを得ない。そういう思いもあって、我が社の「期待の星」には丁寧に説明したつもりである。かつての自分に言い聞かせるように。
それでもやはり自分で壁にあたって苦しまないと、外部の考え方は心に入らないのだろうかと思う。特に自分の中で固まっている考え方はなかなか変わらないのだと思う。それを嘆いても始まらない。そういうものだと思うしかない。そして、変化を望む以上、こちらから諦めずに働きかけるしかない。根気強く働きかけていきたいと思うのである・・・
学生時代、特に中学高校時代に「好きな科目は?」と聞かれると、「世界史」と答えていた。私の性分として基本的に歴史好きであり、それはいわゆる「歴史」の範疇には入らないかもしれないが、宇宙誕生から地球の誕生、そして生物史と言えるところまで網羅するものである。『生命の大進化40億年史』シリーズは最近のお気に入りで、昨夏にはシリーズの監修に携わった博物館を訪れたほどである。学生時代はそこまではいかず、授業で習う世界史がお気に入りで、大学受験も選択科目として世界史を迷わず選択した。
当時は歴史といっても日本史よりも世界史であった。日本史はどうにも面白みが欠ける印象で、あまり食指が動かなかったのである。ところが、近年はずっと興味の対象は日本史である。そのきっかけになったのは、井沢元彦の『逆説の日本史』シリーズである。どういう経緯だったか覚えていないが、記念すべき第1巻を購入したのは1993年か1994年である。まだ結婚前の妻と付き合っていた時に話をした覚えがある。「逆説」とある通り、それまでの日本史の「定説」に異論を唱えた内容にグイグイ引き摺り込まれたのである。
衝撃の第1巻に書かれていたことで印象深いのは、出雲大社に関する記述。建設された当時、出雲大社は日本一の高さを誇っていたという。しかし、権力の主流である天皇系の祖先神天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀った神社であるならばともかく、そうではなくて非主流の大国主神(オオクニヌシ)を祀ったものであること。それは国譲りという伝説の影に戦いがあって、敗れた大国主が怨霊化するのを恐れて鎮魂のために立派な神殿を作ったというものであった。この怨霊鎮魂というのがその後に続く日本史の根底に流れる考え方だとするが、こうした歴史の見方に衝撃を受けたのである。
それまでは歴史とは何となく事実(事件)の積み重ねであり、それが面白くもあったのであるが、その事実(事件)の積み重ねに、現代に生きる我々にはわからない考え方が流れていたのかもしれないという意見は斬新であった。さらに出雲大社では大国主神は正面を向いていないとか、しめ縄も他の神社とは逆向きであるとか、そこには現代の感覚では説明のつかない謎がある。その理由も著者は怨霊鎮魂の考え方から説明する。それが事実かどうかはわからないのだが、一つの考え方であることは確かであり、(私にはすっきりと納得のいく)面白い考え方だったのである。
この考え方が、私をして世界史から日本史への興味の転換をもたらしたものである。日本人は無宗教だとよく言われるが、実はしっかりと宗教に染まっている。例えば箸と茶碗の例えなど目から鱗であった。家庭では家族それぞれ専用の箸と茶碗がある。誰も父親の箸と茶碗でご飯を食べないが、ナイフとフォークにその区別はない。それも宗教の一種だという考え方には納得する。藤原道真が学問の神様になったのも源氏物語も鎮魂の結果だというのも実に面白い意見である。
第1巻以来、30年以上にわたって続くシリーズは、現在最新刊の29巻に入っているが、20世紀初頭の日本史はもともと興味深い時代であるし、当時の人々の心境を分析した見方はなるほどと思わされる。根底にあるのは、常識にとらわれない発想と歴史を部分ではなく、人間の営みの連続として捉える考え方にあると思う。そのあたりは自分の考え方もかくありたいと思わされるところである。この後、現代史に入ってくるが、どんな「逆説」があるのか楽しみである。
それにしても歴史に出てくるのはほんの一握りの人間だということが改めてわかる。それ以外の一般市民は歴史の中に埋もれていく。名を残すとしたら、よほどの偉業を達成するか、大きな犯罪を犯すかしかない。歴史に名を残そうなどと大胆な思いはかけらもないが、自分の子供や(生まれてくるなら)孫くらいには少しは影響を与えられるようでありたいとは思う。密かな趣味として歴史探究は続けていきたいし、著者の著作にはひときわ興味を持って読んでいきたいと思うのである・・・
昨年、我が社では社内の書類に関して原則捺印不要にした。もう役所でも印鑑不要となってきており、印鑑の意味を考えて「やめるべし」となったのである。それ以前は、入社時に総務部で印鑑を預かり、必要に応じて社内文書に限り「代印」していたのである。それに何の意味があるのかと異を唱え、印鑑廃止に至った次第である。その他、社内稟議の電子化もあり、印鑑を使う機会は少なくなっている。とは言え、まだ社内には一部「紙」の回覧が残っており、それに対する専用の(日付の入った)承認印は使っている。
そもそも印鑑の意味は何かと考えると、広く世の中では「実印」と「銀行印」とが「本人確認」という意味の不動の役割を担っている。本来はそういうものだろう。なのでいわゆる「認印」にはあまり意味がない。我が社でも認印を預かって総務部で必要に応じて「変更届」などに代印していたが、本人が押さないものに何の意味があるのか。例えばトラブルになった際、「自分で認めたでしょう」とは言えない。否、書類を本人から提出を受けた時点で本人も認めているわけであり、印鑑のあるなしは関係ない。廃止も当然である。
我が家では(だいぶ認知能力が衰えた老親ゆえに)、銀行印が見当たらないと言う父に母が「そこにある印鑑を持っていけば」と言っていたが、何の印鑑でもいいというわけではないのは当然である。取引の最初に銀行に届けることによって、「その銀行でのみ」本人が確実に(例えば出金などの)意思表示として行為したという証になる。認印では「本人の行為」と銀行も言えない。実印は役所に登録することによって国がそれを認め、正式な証拠として「印鑑証明書」を発行してくれる。
そうした本人確認以外に本来印鑑の意味はないはずである。印鑑がない場合、よく指紋を押すことがあるが、これの方がまだ「本人確認」の証にはなるが、どこでも手に入る三文判にはまったく押す意味はない。最近は郵便物の受取に印鑑を求められることが少なくなってきたが、我が家では長く玄関の靴箱の上に受け取り用の印鑑を常備している。しかし、それだといざ(届けた、届いていないという)トラブルになった時、「受取印があるから手渡した証拠だ」という抗弁になるのだろうかと思ってみる。たぶん裁判になったら勝てないのではないかと思う。「その印鑑はうちのではない」と言われればそれまでであるからである。
仕事で迷うのは社判だろう。我が社には「実印」「銀行届出印」「角印」とがある。「角印」はいわゆる認印であり、気軽に押している。しかし、「実印」と「銀行届出印」については押した記録を残している。しかし、本来「銀行届出印」は銀行取引だけに使用すべきものだが、角印では何となくかっこつかない時に(そして実印を押すほどではない時に)押している。いつも疑問を感じつつ、それでもうまい解決策を思いつかないまま現状を続けているが、考えれば考えるほど迷ってしまう。
我が国最初の印鑑と言われる「漢倭奴国王」印以来、我が国には印鑑文化が根付いている。それは悪いことではないと思うし、個人的には欧米のサイン文化よりいいと思う。しかし、どうも「認印」だけは意味がわからず、悶々としてしまう。個人的には実印と銀行印と認印とを持っている。初めて手にした自分の印鑑は、高校の卒業記念にもらったもので、何か大人になった気がしたものである。それを銀行印にし、今もそれ以外には使っていない。
実印を作ったのは社会人になってからで、母が知り合いか何かに頼んで作ってくれたものである。「象牙と木製(材質は忘れてしまった)とどっちがいい?」と聞かれて木製を選んだのである。当時まだ象牙取引は禁止されていなかったが、何となく象の事を考えて嫌だったため木を選んだのである。それは今でも実印として利用していて、考えてみれば使ったのは車を買う時と家を買う時、そしてそのためのローンを組んだ時、それと役員になった時くらいで、あまり使用していないなと改めて思う。
実印も銀行印も使う機会は少ないものの、持っていたいとは思う。昨年引っ越した時も印鑑登録の変更は忘れずに行った。自分のアイデンティティの1つであると思う。認印も唯一、仕事では役に立っている。取締役会の議事録などには自分が手元で管理している認印を使っているが、それは唯一、「自分が間違いなく押した」と「自分でわかる証」としてである。数えてみれば印鑑は全部で4本ある。世の中的には意味のわからない認印ではあるが、自分としてはそれにきちんと意味を持たせつつ、押す機会が少なくなろうと、意味を持って印鑑を使い続けたいと思うのである・・・
NETFLIXで何となく目について『ガンダム 復讐のレクイエム』を観た。『ガンダム』と言えば、私も最初の世代に入っていると思うが、実はあまり興味を持てず、最初のシリーズの最初の何話かを観てやめてしまっていた。何となくストーリーのようなものは把握しているが、その後のシリーズも観ていないし、もちろん「ガンプラ」と呼ばれるプラモデルの存在は知っているが、買おうとするどころか手に取ってみることすら興味がなかった。どちらかと言えば『宇宙戦艦ヤマト』の方に心惹かれていた(それも続編まで)と言える。
そんな私なのに、『ガンダム』を観てみたのは、今までのようなアニメでなく実写のように思えたのと、「NETFLIXだから」というところがある。実際、観てみたら実写ではなかったが(それに近いアニメ?CG?)、アニメとは異なる迫力でそれはそれで良かったところである。しかし、虚を突かれたのは、主人公が「ガンダム(またはパイロットの少年)」ではなく、ジオン軍の一大尉であったことである。「ガンダム」というタイトルにはなっているが、視点を敵側に代えたところが目新しいところである。
物語は宇宙を地盤とするジオン公国が、地球連邦が支配する地球に進出してきて地上で戦いを繰り広げているところから始まる。主人公はザクのパイロットであるジオン軍のイリヤ・ソラリ大尉。ソラリ大尉率いる部下たちは、敵基地撃滅を前にして突然連邦軍の新型モビルスーツ「ガンダム」の攻撃を受ける。その力は圧倒的で、ザクをはじめとするジオン軍の部隊は壊滅的な打撃を受けて撤退する。形勢は一気に逆転し、ジオン軍は劣勢のまま反撃の機会を伺う。正義の味方が敵を次々にやっつけるのは見ていて心地良いが、「やられる方」の視点はあまり意識しない。この視点は目新しい。
意識しなくても相手には相手のドラマがある。イリヤ大尉も戦争前は音楽家で一児の母であったが、戦争で夫を失い、子供は両親に預けて今はザクのパイロットとして戦っている。顔の傷は歴戦を物語っているのだろう。腕のいいパイロットではあるが、「敵」の新型兵器「ガンダム」の威力は圧倒的。腕ではカバーできない兵器の差というものはあるわけであり、対抗する糸口すら見つけられない。「勝てない戦い」を強いられる脅威。そして可愛がっていた部下を殺される怒り。頼もしい正義の味方ガンダムは、ジオン軍から見ると白い悪夢である。イリヤ大尉は劣勢にあっても諦めることなく、戦いから逃げようとはしない。
いつしか見入ってしまったのは、悪役としてのガンダムの視点が面白かったから。イリヤ大尉はリーダーらしく、理不尽な上司の命令に従いながら、「どうしたら勝てるか」という視点を最後まで捨てない。破壊されたザクの残骸を寄せ集めて一機作って戦おうとするし、限られた条件の中で何とか突破口を探そうとする。その姿は見習うべきところがある。最後も負傷を理由に退却する宇宙船に乗れたものをわざわざ残って仲間を逃すべくザクにのる。その前に立ちはだかるのが難敵ガンダムであっても自分の役割を果たそうとする。
シリーズでは正義の味方であったガンダムも、敵の視点からみれば脅威の敵。改めて戦争はどちらにとっても自分たちが正義であるのだと思わされる。ウクライナもロシアも自分たちが正義の立場に立っている。アメリカもイスラエルもイランも同様。それぞれにそれぞれの正義があり、難敵を相手に苦しい戦いを強いられているのかもしれない。以前、尊敬する方に「複眼思考」という考え方を教えていただいた。物事を一面からではなく、多角的に見てみるという事である。そうすることで今まで見えていなかったものが見えてくる。
今回、『ガンダム』を観ることによって改めてそれを感じた。今まで気持ちよく撃破していた敵にもまた敵を主人公とした正義の物語があるのである。どちらが正しいという事ではなく、双方に正義があるという事である。漫画『鬼滅の刃』にもそういうところがあった。人でなしに思える鬼にも鬼になる前には同情すべき事情があり、鬼になった経緯に理解もできる。そこに感情移入の余地があった。鬼を100%の悪で描かなかったところが、物語として心を打つ場面が多かった理由だと思う。それぞれに正義があり、大事なのはどれが本当の正義か否かではなく、それぞれが正義であるという事だろう。
物語自体も面白かったが、ジオン軍の視点から描いたという点でもなかなか面白いドラマであった。絶大なる人気を博しているガンダムシリーズであるが、これからはジオン軍の視点から描いた方が面白いのではないかと思うのである・・・
現在、我が家の長女は大学を卒業して社会人になり、息子は大学在学中である。子どもは2人とも大学へ進学したわけであるが、それは私がそう仕向けたわけではない。私としては、もしも大学へ進学せずに他の選択肢を選ぶのであれば、それを認めるつもりではあった。特に2人と進学前に何か話をしたということもなく、いつの間にかそうなっていたということである(まぁ、妻は大学進学を望み、2人の尻を叩いたとは思う)。今さらではあるが、もしも子どもたちから大学へ進学すべきか否かと相談されていたら、おそらく次のように答えていたと思う。
将来何かやりたい事があって、それには大学へ行く必要はなく、故に大学へ行かないというのであればその選択を尊重する。しかし、特にやりたい事があるわけではないのであれば、それを見つけるためにも大学という環境はいいかもしれない。高校とは違った勉強ができるし、勉強だけではなく部活やアルバイトの経験などは後々役に立つかもしれない。それに社会に出るにあたり、就職しようとするのであれば、やはり大学卒業という学歴はあるのとないのとでは大違いだろう。特に大企業に勤めたいと思ったのであれば絶対に必要である。
私の場合、もう40年以上前になるが、やはり高卒で就職するよりは大学を出た方がいいと思ったし、弁護士になろうと思っていたので尚更大学へ行かないといけないと思ったこともあって(幸い親も進学させてくれたし)、大学へと進学した。許されるなら文学部へ行きたかったが、「食えないよ」という声に負けて現実的な法学部を選択したのである。結局、法律を勉強したら法律は自分に向いていないという事がわかり、一般企業への就職へと舵を切ったが、大学で学んだ事自体は良かったと思う。法律の基礎知識は、今でも訴訟や総務部門担当として役に立っている。
今、もう一度時間を戻して大学進学前の高校生に戻れたらどうするだろうか。多分、「食えない」なんて声は気にせず文学部を選択するだろう。就職なんて何とでもなると今ではわかっているからである。ただ、40年前と違って勉強したいのは純文学ではなく哲学の方である。それを学んでみたいと思うが、大学選びはかなり悩ましい。親にあまり金銭的な負担はかけたくなかったので、「自宅から通える国公立大学」という条件をつけると、東大か都立大になってしまう。頑張って筑波大学か。なかなか難儀する選択肢である。
個人的には大学は「就職のため」ではなく、「勉強のため」に選びたい。人生における貴重な4年間であり、そこで学べるのは実は最高に贅沢なひと時である。高校時代のラグビー部の同期13人のうち、大学へ進学したのは11人。2人は高校を卒業して就職せずに社会人になった。しかし今、同期の中で一番羽振がいいのはこの2人である。1人はWikipediaに名前が載っているし、1人は会社社長としてポルシェを乗り回している。もちろん、一歩間違えばの世界ではあるが、大学へ行かなくともなんとでもなる、否、むしろ就職するよりも稼げるという見本である。
確かに稼ぎでは2人に負けているが、やはり大学時代にラクビーをやって、しっかりと学んだ事は彼らにはない私の財産であり、何度人生をやり直す事ができたとしても、やはり「学ぶため」に大学へ進学するだろう。当時、周りはみんな「大学とは遊ぶところ」という感覚の者ばかりだったが、「変わり者」の私はしっかり授業に出席してしっかり学んだ。悔いがあるとすれば学部選びだけであり、誰かにメンターになってもらって、いろいろと教わりたかったと思う。
そんな思いもあり、息子にはいろいろと語ってあげたいと思う。聞く聞かないは本人の選択であってどうにもならないが、一つの選択肢、考え方は提示したいと思う。私立の大学へ通う我が息子。学費も大変だが、親父としては残りの学生時代を謳歌してもらうためにもしっかり稼ぎたいと思うのである・・・
最近、日時も曜日もわからなくなってきた我が両親。日付の確認はもっぱら新聞に頼っている。特に最近は家にこもりがちであり、祝日の今日、父を誘って散歩に出かけた。ちょうど先日オープンしたドンキ・ホーテを覗いてみたいという気持ちもあったので、父を誘ったのである。祝日とあって商店街は行き交う人たちで溢れていた。父は何でこんなに人が多いのかと驚く。「今日は昭和の日で祝日だから」と教えると、納得したよう。そして今日が4月29日であることを確認すると、「4月29日と言えば昔は天皇誕生日だったよな」と呟く。そういう記憶はあるんだと感心する私。
確かに、私にとっても4月29日は「天皇誕生日」という印象が強い。かつての昭和天皇の誕生日である。それが昭和天皇の崩御によって「みどりの日」となり、現在の「昭和の日」になっている。まぁ、祝日であることには変わりないので何でもいいと言えば何でもいい。かつて「天皇誕生日」であった頃、私が小学生の時であったが、天皇という存在に反発を抱いていたのを思い出す。ある日の食卓で、「天皇陛下は働いていないのに皇居に住んで贅沢をしてずるい」と言ったのを覚えている。「働かざる者食うべからずだ」と。両親はそれを否定しようとしたが、私を納得させることはできなかった。
と言っても、両親が説明下手ということだけでなく、偏狭な私を納得させることは今の私でも難しかったかもしれない。今では天皇陛下には公務があるし、国事行為が煩雑なほどあるのを知っている。外国との友好親善のための語学や教養も必要だし、とてもではないが、「働かざる者」どころではないだろう。それに四六時中ある意味の監視下にあり、自由に友達と飲みに行ったり、海外旅行はおろか国内の温泉にすら気楽には行けないだろう。確かに庶民と違って飢える心配はないだろうが、では代わりたいかと問われたら、即座にNOと答えるだろう。
先日、NHKの番組「映像の世紀」で、昭和天皇を前後編に分けて放映していた。皇太子時代の1921年に欧州歴訪し、イギリスの国王ジョージ6世と会い、立憲君主の心得「君臨すれども統治せず」の薫陶を受ける。以来、これを心掛ける。しかし、張作霖爆殺事件の処分をめぐって時の田中首相を叱責し、内閣解散を招く。以後、「君臨すれども統治せず」の原則を守り、軍部の進める大陸侵攻に異を唱えなくなったという。もしも、陸海軍の絶対的統帥者として自らの意に軍部を従わせて暴走を防いでいたら、日本の歴史は大きく変わっていただろう。
小学生の私はそんな経緯などつゆ知らず、共産党系の人たちと同様、「天皇の戦争責任」を問う気持ちを強く持っていた。無知というものは恐ろしいものである。敗戦によって軍部の勢力は一掃され、日本は平和国家になった。それはそれで良かったと思うが、もしも昭和天皇が絶対権力を駆使して軍部を押さえていたら戦争は起こらなかったかもしれない。しかし、それでは軍事国家としての体制が残るというのも危険だったという意見がある。しかし、ファシスト政権であるフランコのスペインが枢軸国側で参戦しなかったことで難を逃れ、平和的な民主国家に軟着陸した例もあり、日本もどこかで軟着陸したような気もする。
そんな想像をしてみるも、「外圧」でしか変われないのも我が国の特徴であり、そうはならなかったかもしれない。そうなったら、今でも東大より陸軍士官学校を出ることが男子の最高の名誉という世の中だったかもしれない。それは天邪鬼で反発心の強い私だから、生き難い世の中だっただろう。父と散歩しながらそんな夢想に思いを馳せてみたのである。だんだんと遠のいていく昭和。あとどのくらい父と散歩できるかわからないが、2人で過ごしたそんな昭和を引きずりながら、また2人でそぞろ歩きしたいと思うのである・・・
![]() |
| パブリックドメイン使用 |