日頃あれこれ思う事どもを思うがまま自由に綴る
「折れてますね」。医者の言葉が一瞬理解できなかった。言葉が理解できないということはないのであるが、思ってもみなかった事態に遭遇すると人は簡単な言葉でも理解できないということが生じるのだろう。骨折という診断は、私にとってそれほど想定していなかった事であった。62年の人生で初めての骨折である。原因はラグビーの試合。その瞬間の記憶はないが、試合中に痛みに気づき、試合後にそれがひどくなり、翌日から手のひら全体が腫れて内出血で左手の親指周辺が変色した。
これまでも似たような経験はあったし、今回は程度が少し大きいが、また突き指かと思っていた。それが1週間しても少し腫れが引く程度。1週間後に練習に参加したが、ボールをキャッチすると激痛が走る。2週間しても痛みが引かないので、とりあえず医者に行くことにした。目的は湿布である。薬局で普通に買うより、医者で処方箋をもらって買った方が断然安いのである。あくまでも経済合理性からの選択であった。そういう考えであったから、レントゲンを取ると言われても手続きの一環としか考えなかったのである。
レントゲンも撮ったその場ですぐに見せてもらえた。そこで冒頭の一言である。60を越えて怪我が圧倒的に治りにくくなっているし、たぶん痛みが引かないのもそのせいだと考えていた。骨折というと、もっと激しい激突か何かで、その場でうずくまるようなイメージでいたこともある。そういう状況ではなかったし、そうした複合的な条件から、骨折しているなど夢にも思わなかったのである。相手が医者で、レントゲンを見せられてたにもかかわらず、思わず否定しそうになったほどである。
その場でギブスで左手を固定された。骨折の経験はないが、ギブスの経験はある。されどそれは30年も前。今はプラスチックだとかで、濡らしたガーゼのようなものをグルグル巻かれ、その上にギブスをするのかと思っていたら、それが固まって指が固定された。実に簡単。そのまま再度レントゲンを撮ってズレていないかを確認して終わりである。「ここはズレていても大丈夫」という医者のあまりにも気軽な一言に不安になる。かくして診断は全治一か月である。なんとなく不安は消えないが、ギブスで固められてしまうと他の医者に行くこともできない。諦めて己の治癒力に期待することにする。
利き手ではなかったのが不幸中の幸いと考えていたが、左手親指の付け根の骨折というのは、実は結構生活に支障が出る。手を洗うにも顔を洗うにも髭を剃るにも風呂で体を洗うにも、実は左手はけっこう働いている。極めつけはワイシャツの右袖のボタンがはめられない。他の指4本ではなく、親指こそがキーフィンガーなのである。料理はそれほど苦労しない。食器洗いは父親にやってもらっていたし、PCのキーボードは中指と薬指が活躍してくれている(ただ、ショートカットキーはちょっと苦しい)。
ふと、「おはなしゆびさん」という童謡を思い出した。その歌では、親指はお父さん、人差し指はお母さんで、中指はお兄さん(長男)、薬指はお姉さん(長女)、小指は赤ちゃんであった。「親指」と言うくらいだから親なのだろうが、なぜ父親にしたのだろうとふと考えた。一番存在感があるのは中指のように思う。歌詞の背景はわからないが、興味深く思う。我が家に例えると(別居前だが)、母親と子供たちとは密接で、父親とはなんとなく距離がある。それでいて、経済的には父親は大事な役割を果たしている。手を眺めると、何となく納得させられるものがあるではないか。
普段は、親指の役割など意識もしていない。しかし、使えなくなると、意外なところで役割を果たしていたのだと思い知らされる(何事もそうかもしれない)。これが利き手の右手だったらもっと難儀していただろう。やはり不幸中の幸いである。しばらくは不自由な生活は仕方ないが、その間は親指の働きに大いに感謝しようと思う。それにしても、別居で父親不在となった我が家で母子はどんな会話をしているのだろうか。今さらながら親指の重要性に気づいてくれていたらと思うが、どうだろうか。
指も1本1本同じようでいて役割は違う。親指には親指ならではの重要性がある(もちろん他の指にも)。父親の別居で、多少なりともそれを感じているなら溜飲が下がる思いがする。利き手とはいかなくても、せめて左手の親指くらいの不自由を感じているならと、啄木が如く、じっと手を見て思うのである・・・


「昔は良かった」という言葉をよく聞く。世の中は常に変化する。その変化は必ずしも好ましいものばかりとは限らない。人によってはその変化によって不利益を被る場合もあるだろう。かつては予約なしでいつでも入れたレストランが、今では人気店になってしまい、何か月も前から予約しないと入れなくなったとか。自然豊かな故郷が開発によって変わってしまったとか。私自身はと言うと、なぜかあまりそんなに良かったと思う昔がない。もちろん、小学校の頃や、中学・高校の頃などはいい思い出もあるが、だから昔の方が良いとまでは思わないだけである。
過去の記憶は過去の記憶として、時代としてはどうなのかと考えてみる。基本的に自分の生きてきたこの60年あまりの時間はいい時代だったのだと思う。祖父の時代は戦争の時代、父の時代は高度成長の時代であり、それぞれに時代の苦労があった。祖父は戦争に行き、幸いなことに病気で送り返されてきたことによって「名誉の戦死」を遂げることもなかった。父は労働基準法もあったのかなかったのかわからない中、東京に出てきて1日18時間くらい働いたというが、私はのうのうと大学まで出させてもらった。世が世なら私も同じ経験をしていただろう。
何の苦労もなく(受験勉強という苦労はあったが)、大学まで行けたというのは時代の恩恵以外の何物でもない。学徒動員されることもなく、せいぜいが1日12時間くらいの労働で生きてこられたわけである(残業はつけられなかったが・・・)。「いい時代に生まれた」という以外に何と言うことができるだろう。逆に高校から始めたラグビーで言えば、当時は土のグラウンドが当たり前。常に手足にすり傷を作っていたが、今は母校は高校も大学も人工芝グラウンドである。今の時代に生まれたかったと思うほどである。
人の記憶は大半が忘れ去られていく中で、いい思い出だけが濾過されて残っていく傾向がある。もちろん、嫌な思い出もあるが(要は良いも悪いも印象深い記憶が残るのだろう)、総じていい思い出の方が多く残るのだろうと思う。人によってはそれが「昔は良かった」という事につながっていると思う。されどやっぱり時代としては今の方が圧倒的にいい時代だと思う。たとえ神様が突然現れて、良かった昔に戻してやろうと言われても、スマホもパソコンもない時代に今さら戻されてもと考えてしまう。
もちろん、個人的にあの頃に戻れたらという思いはある。だから神様のそういうありがたい申し出があったら、喜んで受けるだろう。戻れるのなら高校生の時でいい。ただ、それは「良かったあの頃に戻りたい」というものではなく、人生経験を積んだ今ならもっと楽しい高校生生活を送れるだろうから、もう一度楽しみたいというもので、「あの頃は良かった」という回顧主義的な気持ちではない。ただ、土のグラウンドには躊躇するかもしれない。あの頃は芝生のグラウンドでラグビーをするのは雲の上の存在だけだと思っていたので、改めて今の感覚で土のグラウンドを前にしたら躊躇するかもしれない。
考えてみればみんなそうであると思う。大学生の頃に戻れたら、今度は法学部ではなく迷わず文学部を選ぶだろう。「食っていけない」という言葉を真に受けて、食っていけそうな法律を選んだが、法律は自分には向いていないとわかった現在の、文学部へ行って哲学を専攻したって何とかなるとわかった現在の感覚が備わっていたら、進路に悩むこともなかっただろう。自分は恵まれたいい学生時代を送ったが、たぶん今の自分が当時に戻れたなら、もっといい学生時代を送れると思う。
就職にしても、銀行以外の業態を選ぶだろう。恋愛も諦めずに意中の人にアタックし続けて結婚まで行けただろう。そうしたら今の子供たちには会えなくなる。それが心の痛さになるが、それでも人生でもっとも深く愛した女性と結婚するという魅力には抗えない。そんな風に考えていくと、「昔は良かった」などという言葉は自分の中からどう捻っても絞っても出てこない。自分の過去は否定したくないので、それはそれで「悪かった」とは思わないが、「もっと良くできた」という思いはある。
小学校の4年から中学を卒業するまで、毎年春と夏の休みに2週間ほど長野県の御代田というところに住む従兄の家に遊びに行っていた。夏は地元の小中学校のプールに通い、花火大会や盆踊りがあり、一緒に野球をし、あちこち野山を駆け回った。あの頃、それが最大の楽しみであり、今でもいい思い出である。されど、それは子供の頃のいい思い出であって、大人になった今、同じことをしたいとは思わない。それは「昔は良かった」と懐かしむものではない。自分の子供にも同じ経験をさせたかったが、残念ながら環境が違う。
「昔は良かった」という過去を肯定する言葉の裏には、「それに比べて今は・・・」という否定が隠れている。昔は昔で良かったと思うが、それは自分の歴史の肯定であり、今の否定ではない。今は今で幸せな時代を生きている。パソコンで思いを綴れるし、スマホで簡単にいろいろな人と繋がれる。芝のグラウンドでラグビーができるし、過去の自分が今を見たら明るい未来を期待するだろう。この先、人生も残り少なくなってきたが、まだまだ未来には期待したいと思う。
時代は今よりも良くなっていると思うが、その中でしっかり生きれるかどうかが、時代を肯定できるかどうかの違いになってくるように思う。目標の70歳までは今の収入を何とか維持していきたい。「昔は良かった」という言葉を呟かなくてすむようにしたいと思うのである・・・


あるところで「印籠」という話が出て、かつての人気時代劇シリーズである「水戸黄門」を思い出した。子供の頃、私も何となく観ていたものである。水戸黄門は実在の人物であるが、全国を漫遊したというのはフィクションらしい。もっとも、身分制度の確立した当時、水戸光圀公のような地位のある人物がお忍びで全国を回るなどできなかっただろうという事は何となく想像できる。ただ、物語は物語で、史実とは関係ない。観て面白ければいいわけで、「実際には違うから」というのは観るのを拒む理由にはならない。実際に私が観ていたのは、初代の東野英治郎版であり、小学生から中学生くらいにかけてだったのだろうと思う。
「水戸黄門」の何が面白かったのだろうかと考えてみると、それは完全な勧善懲悪モノだったことが大きいと思う。世の中は理不尽に満ちている。人はやり切れぬ思いを消化するのに、「いつかバチが当たる」と考えて自らのやり切れぬ思いを満たそうとする。天国や地獄もそこから生まれてきたのだろうと個人的には思う。現実的にはバチなんか当たらないし(当たることも「たまたま」あるかもしれないが)、憎まれっ子は世に憚るものである。そんな世の中にあって、「水戸黄門」の世界では、最後に天下の副将軍が身分を明かし、悪を成敗する。スカッとするからいいのだろう。
そもそもそんな水戸黄門を思い出したのは、「印籠」の話が出たからである。印籠とは印鑑ケースだとずっと思っていたが、それは室町時代くらいまでの話で、江戸時代には常備薬などを持ち歩くためのケースになっていたらしい。江戸時代には身分証明書としてどんなものがあったのかはわからないが、徳川家の家紋が入った印籠が身分証明書の代わりとして機能していたのだろう。当時は偽造なんてことを考えなかったのだろうかと思うも、「この紋所が目に入らぬか!」とやるだけで一斉にみんながひれ伏すなら、そういうことを考えた人間もいたのではないかと妄想してしまう。
出張でたまに鹿児島に行くが、鹿児島弁はわかりにくいらしい(まだガチンコの鹿児島弁を直接聞いたことがない)。今はテレビの影響だろうが、標準語で十分話ができるが、昔はよそから人が来ると方言が違うから一発でわかったらしい。幕府の隠密なども入り込むのが難しく、方言が侵入障壁になっていたと聞く。さすれば天下の副将軍がのこのこ出かけて行ってもコミュニケーションが難しかっただろうとこれも妄想してしまう。子供心に印籠を見せても多勢に無勢であれば、悪が「それがどうした」と開き直ったらやばいのではないかと思ったものである。
似たような時代劇としては「遠山の金さん」や「大岡越前」がある。遠山の金さんも最後に「この桜吹雪が目に入らぬか!」とやって悪人の鼻を明かす。大岡越前は「大岡裁き」で有名である。どちらも正義が勝つことが根底にあり、どちらも安心して見ていられる。勧善懲悪がすなおに実現される世界であり、見る者は安心して見ていられる。これがそうでなかったら、たぶん見る人は大幅に減るのだろう。現実で見る理不尽な世界をドラマの中でも見たくはないだろう。正義は正義であり、心正しい者は最後に必ず報われる。だからそう信じて明日も理不尽な世界を生きられる。
「仕事人」シリーズも勧善懲悪モノの時代劇である。こちらは悪を懲らしめるというより、殺してしまうのでちょっと過激である。しかし、殺される人間は悪人であり、悪人であるがゆえに殺されて当然という前提である。考えてみればそれは危険な発想で、冤罪も起こるかもしれないし、何より目安箱に密告という形で対象者が訴えられ、仕事人の価値観で裁かれるのである。弁護士もいないし、殺される方からするとたまらないだろうと思う。ただ、「悪いことをしてはいけない」というメッセージにはなるだろう。
そういうことを考え始めるとキリがないが、映画やドラマを観ると(それがそれほど引き込まれるものでなければ)そういう妄想をよくしてしまう。そういう事を考えていくと、ドラマの面白さを損ねてしまうところはある。遠山の金さんの桜吹雪が最後にモノをいうのは、桜吹雪の刺青を覚えていないといけないが、みんなよく覚えているなと考え出すと、ドラマの面白さはなくなってしまう。大岡裁きも大半がフィクションらしいが、そういうフィクションが作られる土台はあったのだろう。さもありなんと思われる人物だったのだろうと思う。
元は印籠から発した妄想であるが、 いろいろ考えて行くと楽しいと思う。今また改めて「水戸黄門」を観てみたいとなんとなく思うのである・・・
現在、高校ラグビーの全国大会予選が各地で行われている。我が母校の高校も無事1回戦を突破し、本日2回戦に臨んだ。相手はかつて全国大会に出場した実績もある古豪。少子化で単独校としては出場できず、合同チームとして出場する高校が増えている中、わが母校は都立高ながら単独校で頑張っている。そんな母校の応援に本日はグラウンドに足を運んできた。以前は一部暇なOBが数人応援に来ればいい方であったが、最近の傾向として(OBの傾向は変わらないが)父母の応援がすごい。
父母の応援団は共通のTシャツを作り、選手名鑑も作り(それを我々OBにも配布してくれる)、試合が始めれば黄色い声援(?)が飛び交う。選手たちも歓声の中で試合をするのはいい気分だろうと思う。しかしながら、一緒に観ている我々とその黄色い歓声はどこかズレがあると感じる。トライを取ればみんな歓声を上げるのは同じだが、ママさん応援団はボールを持って走れば歓声を上げる。実にわかりやすい。ただ、試合の展開を観ていると、いいプレーだと感心するのはボールを持って走るところばかりではない。
そう言えば2019年に日本でラグビーのワールドカップが開札された時、「にわかファン」という言葉が流行った。ワールドカップ国内開催という契機に興味を持った人がどっと増えのだろう。それはそれで悪くはないが、「にわかファン」という言葉にはどこか卑下するニュアンスを感じたものである。個人的には少子化の中で我が国のラグビーが衰退するのを防ぐには、やはりみんなの関心が必要だと思うので、にわかでも何でもファンはウェルカムだと思っているから好感を抱いている。
しかし、やはり気になるのは「素人目線」。それはある意味仕方ないことではあるが、やはりプレー経験の有無が出るのが「目立たないプレー」に対する見方だと思う。テレビを観ていても、アナウンサーはトライに過剰に反応する。誰がトライを取ったか、それが今シーズン何本目かといったところである。しかし、ラグビーのトライはチームプレーである。野球のホームランとは違う。確かにトライはすごいかもしれないが、そこに至るプレーというものがある。タックルでボールを奪ったかもしれない。鋭いステップで相手を2人抜いてその結果、フリーになった味方のプレーヤーがトライしたのかもしれない。
そういう途中経過を無視してトライだけにスポットライトを当てるのはどこかズレている。ゴール前のフォワードの密集プレーでは、フォワードが固まって一団となってゴールに押し込んだ時、誰がトライをしたかなどまるで意味がない。そうした観るポイントのズレがプレー経験のないファンとのズレが生じる原因である。しかし、そんなズレがあろうと、それは些細なことでしかない。この日曜日の同じ時間、母校を応援するという点では同じである。観るポイントの違いは大したことではない。
我々は、母校の後輩の一つ一つのプレーに注目し、応援する。父母は我が子の勇姿を見て応援する。トライを取ればみんなで歓声を上げ、取られれば沈黙する。そんな後輩たちは、わずか1ゴール差(2点差)で涙を飲んだ。一部のお母さんたちも泣いていた。3年生にとってはこれが現役最後の試合となった。観る立場やポイントは違えども、応援する気持ちは同じである。泣き崩れる3年生を見ていて、自分たちの最後の試合を思い出した。応援は数人のOBだけだった。
卒業してもみんなにラグビーを続けて欲しいと思う。できれば母校の大学に進学してもらって、今度は大学の試合で応援できたらとも思う。それにしても、私の34歳上の先輩たちが始めたラグビー部が、今の1年生で81期になる。連綿と受け継がれたバトンをこれからも長く受け渡していって欲しいと思うのである・・・
【今週の読書】
最近、よく「息子に伝えたいこと」を考える。息子は現在、大学生。父親としていろいろと教えたいと思う。しかし、自分自身、改めて考えてみると「成功者」とは程遠い(何をもって「成功者」とするかにもよるが、いわゆる世間から見た「成功者」とする)。しかしながら自分を卑下するわけではないが、「失敗者」でもない。どちらかと言うと「勝つ」よりも「負けない」事の方が大事ではないかと思う。たとえば人生の後半に借金を返せなくなり、自己破産して、年金か生活保護でとりあえず最低限の生活を送るという状態になるよりも、そこそこの生活でも自立して生きられればいいという程度である。
自分も今、人生の第4コーナーを回るあたりで、まだまだゴール前でこける可能性もあるわけであるが、とりあえずここまでのところで人生の第1コーナーを回ろうとしている息子に何を伝えるべきだろうか。いろいろあるが、あまり細々としたことは伝えきれるものでもない。これというものを一つ選ぶとしたらなんだろうか。日頃そんなことをつらつらと考えたりしている。自分の経験(それもうまくいかなかった経験)を踏まえ、息子が自分なりの幸せな人生を送る上で役立ちそうなアドバイスはなんだろうか。
「これをやれば大丈夫」というようなものは、残念ながらない。我が身を振り返ってみると、何となく「窮地に陥った時に何をすべきか」ではないかと思う。これまでも何回か、窮地に陥ったことがある。仕事の上でも私生活の上でもである。そこで潰れなかったから、今とりあえず普通の生活が送れているように思う。不安で居ても立ってもいられず、夜ようやく眠りについても夢の中で怖くなって目が覚める。不安に神経を削られて精神の休まる時がない。そういう経験をするともう二度と同じ経験をしたくはないと思う。
ではどうすればそういう経験をせずに済ますことができるだろうか。残念ながらそれは難しいと思う。株で失敗してかなりの借金を抱えてしまったり、業績の芳しくない企業で借入の連帯保証をしたり、にもかかわらず社長に裏切られて失業の恐怖を味わったりしたが、それらは予測不可能であり、避けようと思っても避けられるものではない。避けられないものであれば、受け止めてそこから脱出するまでの間、耐えるしかない。まずはそういう危機に陥ることになるという事を伝えたいと思う。
危機に陥った時にどうして不安で眠れなくなるのかと言えば、それは最悪の事態に対する恐怖である。「不安とは起こるかもしれない事」という言葉があり、それは「まだ起こっていない事」であるから大丈夫だという慰めもある。しかし、「起こるかもしれない」という恐怖はそれで緩和できるわけではない。その不安を緩和するとしたら、起こった場合にどうするかをひたすら想定するしかない。その最悪の事態に陥った場合、どうするべきかを考えて覚悟ができれば腹をくくれるが、できない場合もある。その場合は神に祈るのも手だと思う。
私は基本的に宮本武蔵の「神仏を尊びて神仏を頼らず」という考え方であるが、過去に危機に陥った時にはさすがに神頼みをした。早朝、眠れなくて目が覚めてしまい、居ても立ってもいられず近所の神社に参拝した。その頃は毎朝のように参拝していたが、それはむしろ心を落ち着かせるためであったが、不安が最高潮に達した時は神頼みをした。我ながら情けないと思ったし、神頼みをしても解決しないことは十分に理解していた。しかし、一時の不安を和らげる効果があった事は事実である。
あとその時ひたすら考えていたのは、この不安を誰かに肩代わりさせるとしたらどうする、ということ。たとえば尻尾の先が尖った悪魔が突然目の前に現れて、「お前の苦悩を息子に肩代わらせて楽にしてやろう」と言われたら、その申し出に飛びつくかという事である。答えはもちろん「NO」である。ならば自分で背負わないといけない。これは家族に代わって自分が引き受ける苦悩だと思うと少し楽になった。状況は何一つ変わっていなかったが、少し楽になったのは、要は「考え方」という事なのだろう。
やがて社会に出て、いずれどうにもし難い困難に陥ることがあるだろう。そういう困難に陥らないに限るが、そうならないと根拠のない楽観にすがるよりも、あらかじめ迎え入れる心の準備をしておくべきだろう。人生には苦難がつきものであるとし、その時溺れないように心の準備をしておく。「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな」というロシアの格言の精神が大事だろう。泳ぎ切らなくても、流れが岸に向かっているなら溺れない程度に浮かんでいるだけでもいいと思う。
消極的かもしれないが、「負けない」ことも大事だと思うゆえ、いずれそんな話を伝えたいと思うのである・・・
