「仕事を任せる」ことの意味について考えさせられる出来事があった。我が社には子会社がある。そこの社長が、部下の財務担当役員を首にしたのである。と言っても、当該担当役員は親会社にも席があるので特に問題もない。しかし、本人にしてみれば忸怩たるものがある。きっかけは決算。決算内容が思ってもみない内容で、驚いた子会社の社長が騒ぎ立てたのである。それはとある資金使徒のお金。思ったよりも金額が多かったというのがその理由。されど財務担当役員も勝手にやっていたわけではない。要所要所で包括的な許可を取っていたのである。
「包括的な」とは、「細かいところは任せるから上手くやってくれ」というもの。その言葉をそのまま受け取り、資金を利用していた。もちろん、リターン計画はしっかり立てており、そこは財務担当であり抜かりはない。ところが総額を見て社長が驚いたのである。そして「聞いていない」と言い出した。挙句に、こんなことをやるなら任せてはおけないと首にしたのである。そこでこのケースについていろいろ考えてみた。もちろん、財務担当役員もこまめに報告すべきであったことは最大の反省点。そうすれば「聞いていない」と言われる事もなかっただろう。されど問題はそこではない。
最大の問題点は、子会社の社長の対応である。「聞いていない」というのは言語道断。何度か説明を受けており、その都度「細かいことは任せる」と「包括的な委任」をしていたのは動かさざるべき事実である。「任せる」というのは、ただ単にやらせることではない。その「結果についての責任を引き受ける」という意味がある。任せて失敗したのであれば、それは任された人の責任ではなく、任せた人の責任である。それがわかっていない。人の失敗の責任を引き受けるのが嫌なら任せるべきではない。
この「結果についての責任を引き受ける」という部分が重要で、「失敗すれば自分の責任であると自覚して仕事を任せる」べきなのである。そのためには任せっ放しではいけない。折に触れて進捗を確認し、上手くいっていなければ上手く行く方法をアドバイスしたりする事も大事である。場合によっては途中で任せるのをやめて自らやる必要もあるかもしれない。今回であれば、子会社の社長は任せたことを気にした上で、途中経過を報告させるということも必要であった。任せっ放しにしておいた責任は重い。
任せて放置してそして結果だけを見てダメ出しをする。これでは人の上に立つ資格などない。部下もついてこないだろう。社長とは言え、そこは子会社であり、一種の名誉職的なところがある。しかし、本人は一端の経営者気取りであり、今回大鉈を振るったわけである。さらに役員を首にするなら自らの責任をも明らかにしなければならない。任命責任もあるわけであり、部下の首を切るなら(不祥事ならともかく)自らの責任も明確にしなければならない。ところが自分の役員報酬は1円たりとも下げていない。それでいいのか。
人の上に立つ地位についたなら、部下に仕事を任せるのは必然である。その時、それぞれの仕事についてきちんとできるのかどうかを見極めて仕事を任せないといけない。気になるなら途中で報告させるようにすればいいし、そうして部下がうまくやれるように指導しないといけない。もちろん、できる部下に丸投げ放置もいいが、その場合は結果責任は負わないといけない。もしも部下が失敗したなら、それは任せた上司の責任である。きちんと指導して失敗を繰り返さないようにするとともに責任も引き受けないといけない。
今回、図らずも子会社の社長はそういう人の上に立つ器でないことを自ら証明したことになる。人に仕事を任せるというのは、実は簡単なことではないのである。「自分はお飾り社長ではない」という意識だけはあったようであるが、「人に仕事を任せる」ということの大事な本質を理解できていなかったわけであり、残念ながらお飾りよりタチが悪いと言える。人のふり見て我が振り直せではないが、私も人に仕事を任せる時はきちんと意識しようと思う。もって他山の石としたいと思うのである・・・
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| Sergio Cerrato - ItaliaによるPixabayからの画像 |












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