学生時代、特に中学高校時代に「好きな科目は?」と聞かれると、「世界史」と答えていた。私の性分として基本的に歴史好きであり、それはいわゆる「歴史」の範疇には入らないかもしれないが、宇宙誕生から地球の誕生、そして生物史と言えるところまで網羅するものである。『生命の大進化40億年史』シリーズは最近のお気に入りで、昨夏にはシリーズの監修に携わった博物館を訪れたほどである。学生時代はそこまではいかず、授業で習う世界史がお気に入りで、大学受験も選択科目として世界史を迷わず選択した。
当時は歴史といっても日本史よりも世界史であった。日本史はどうにも面白みが欠ける印象で、あまり食指が動かなかったのである。ところが、近年はずっと興味の対象は日本史である。そのきっかけになったのは、井沢元彦の『逆説の日本史』シリーズである。どういう経緯だったか覚えていないが、記念すべき第1巻を購入したのは1993年か1994年である。まだ結婚前の妻と付き合っていた時に話をした覚えがある。「逆説」とある通り、それまでの日本史の「定説」に異論を唱えた内容にグイグイ引き摺り込まれたのである。
衝撃の第1巻に書かれていたことで印象深いのは、出雲大社に関する記述。建設された当時、出雲大社は日本一の高さを誇っていたという。しかし、権力の主流である天皇系の祖先神天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀った神社であるならばともかく、そうではなくて非主流の大国主神(オオクニヌシ)を祀ったものであること。それは国譲りという伝説の影に戦いがあって、敗れた大国主が怨霊化するのを恐れて鎮魂のために立派な神殿を作ったというものであった。この怨霊鎮魂というのがその後に続く日本史の根底に流れる考え方だとするが、こうした歴史の見方に衝撃を受けたのである。
それまでは歴史とは何となく事実(事件)の積み重ねであり、それが面白くもあったのであるが、その事実(事件)の積み重ねに、現代に生きる我々にはわからない考え方が流れていたのかもしれないという意見は斬新であった。さらに出雲大社では大国主神は正面を向いていないとか、しめ縄も他の神社とは逆向きであるとか、そこには現代の感覚では説明のつかない謎がある。その理由も著者は怨霊鎮魂の考え方から説明する。それが事実かどうかはわからないのだが、一つの考え方であることは確かであり、(私にはすっきりと納得のいく)面白い考え方だったのである。
この考え方が、私をして世界史から日本史への興味の転換をもたらしたものである。日本人は無宗教だとよく言われるが、実はしっかりと宗教に染まっている。例えば箸と茶碗の例えなど目から鱗であった。家庭では家族それぞれ専用の箸と茶碗がある。誰も父親の箸と茶碗でご飯を食べないが、ナイフとフォークにその区別はない。それも宗教の一種だという考え方には納得する。藤原道真が学問の神様になったのも源氏物語も鎮魂の結果だというのも実に面白い意見である。
第1巻以来、30年以上にわたって続くシリーズは、現在最新刊の29巻に入っているが、20世紀初頭の日本史はもともと興味深い時代であるし、当時の人々の心境を分析した見方はなるほどと思わされる。根底にあるのは、常識にとらわれない発想と歴史を部分ではなく、人間の営みの連続として捉える考え方にあると思う。そのあたりは自分の考え方もかくありたいと思わされるところである。この後、現代史に入ってくるが、どんな「逆説」があるのか楽しみである。
それにしても歴史に出てくるのはほんの一握りの人間だということが改めてわかる。それ以外の一般市民は歴史の中に埋もれていく。名を残すとしたら、よほどの偉業を達成するか、大きな犯罪を犯すかしかない。歴史に名を残そうなどと大胆な思いはかけらもないが、自分の子供や(生まれてくるなら)孫くらいには少しは影響を与えられるようでありたいとは思う。密かな趣味として歴史探究は続けていきたいし、著者の著作にはひときわ興味を持って読んでいきたいと思うのである・・・

















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