【原文】
子曰、主忠信、毋友不如己者。過則勿憚改。
【読み下し】
子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とする毋かれ。過ちては則ち改むるに憚かること勿かれ。
【訳】
先師がいわれた。
「忠実に信義を第一義として一切の言動を貫くがいい。安易に自分より知徳の劣った人と交わって、いい気になるのは禁物だ。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ」
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「忠実に信義を第一義として一切の言動を貫くがいい」というのは、何となく「言行一致」というか、人によって発言を変えないという事に他ならないように思う。こういう時にいつも思い浮かぶのが、周りにいる、あるいはいた、似たような人である。我が社の古参社員は、それまでの功績が認められて定年年齢を越えてもなお子会社の社長として優遇されている。目につくのは人の好き嫌い。嫌いとなった人物は徹底して批判の嵐。私などはどんな人にも長所と短所があると当たり前のように考えるが、長老は長所か短所しかないと考えているようである。
よって長老の覚えめでたければ何をやっても許される(黙認される)し、そうでなければ批判される。同じことをやっても「誰がやったか」で評価は変わる。傍から見ても実に理不尽であるが、ご本人的には公平だと思っているのかもしれない。会社という組織では(そうでなくても)、「誰が言ったか」で発言を評価されることがままある。私も銀行員時代、異例の事務手続きについて上司から本部の担当部署に確認しろと言われた事がしばしばある。私がその手続きについて知っていても確認を求められたのである。知っていることを聞いて知っている回答をもらって報告するのは実に苦痛であった。
私が信用されていないという事でもあり仕方がないのであるが、我が社の長老も信頼している人の話はろくに確認もせずに信じているのを見ると、「内容よりも人」を見ているのは確かである。逆に言えば「内容よりも人」というところで一貫しているのかもしれない。また、長老ともなると社長以外の者はすべて年下でもあり、社歴も自分より短い。よって「自分より下」という意識があるのだろう。「知徳の劣った人」というのとは少し違うが、気に食わないと威圧的な言動に出るので、あまり刺激しないようにと配慮せざるを得ない。
人は目上のものには丁寧に接するものであろう。そういう意味で自分が上となると天狗になってしまいがちである。我が社の長老は完全に天狗になっている。自分より下の者の中で天狗になっているのは、孔子の言う「安易に自分より知徳の劣った人と交わって、いい気になるのは禁物」という状況に近いものに思われる。そして当然ながら長老は過失を改めない。先日もとある事象を巡って長老が吠えたが、事前に説明して納得していただいた事なのに「聞いていない」と言い出した。こうなるとなかなか難しい。
一般的に上司は部下に対して「聞いていない」というのは禁句である(本当に聞いていないのが100%確実であれば別だが)。自分が聞いたかもしれない可能性をよく確かめないといけない。そうでなければ、「聞いていない」と言われた部下はそれ以上何も言えなくなってしまう。仮に、報告したという事を証明したとしても、器の大きい上司なら「すまん」と頭を下げられるだろうが、我が社の長老は火に油である。他のアラを見つけてさらに一段と吠えるだろう。まぁ、過失だとは思っていないから改める必要性も感じないのかもしれない。
私もこのところ、部下から「前に別の事を言われました」と言われることが出てきた。私にその記憶はない。年齢的にもそろそろ物忘れがひどくなるところかもしれない。その都度、私はすなおに謝っている。基本的に情けないが、「聞いてない」とは口が裂けても言わないつもりである。自分に絶対の自信がないという情けなさもあるが、部下には気持ちよく仕事をしてもらって、成果が上がればそれは自分の成果。であれば、そんなささいなところであいまいな記憶力を振りかざす意味はない。長老の振り見て我が振り直すのは当然である。
自分が間違った場合は、すなおに「ごめん」と言ってしまうのが一番である。それは過去に仕えてきた「みっともない上司」から学んできた事であり、今なお目の前にいる長老の言動からも教えられる事実である。謝ってばかりいる上司も情けないが、「聞いてない」と自分の非を認めない上司よりははるかにマシだろうと思う。ある社員はそんな長老との一件を経て、長老との会話をすべて録音するようになった。それもいかがかと思うが、自分の身を守るという意味では正解である。
過失を改めるのは当然としても、自らに過失があるかもしれないと考えられる器量も必要だろうと思う。自分に自信があることは悪いことではない。されど、それを絶対視してはいけない。あまり強固に自己主張してみんなの前で自らの間違いを明らかにされることほどかっこ悪いことはない。孔子の言葉にはそれをもう一つ付け加えたいと思う。いずれにせよ、孔子の言葉からは我が社の老害人物を想像してしまう。そんな老害人物に自分はならないように、改めて自分を戒めたいと思うのである・・・
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| patrik671によるPixabayからの画像 |
【本日の読書】

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