2012年4月29日日曜日

純情

3月から週3日塾に通う事になった我が娘。本当は塾になどやらせたくはなかったのであるが、行かせたいと思っていた近所の都立校がなんと中高一貫教育校になってしまい、娘も行きたいという事で、来年受験をする事になってしまったのである。競争率10倍の難関で、とても学校の勉強だけでは解けない問題が出る。そんなわけでの塾通いである。

親の思いとは裏腹に、塾に楽しそうに通う我が娘。一緒に通うのは、同じクラスの男の子3人、女の子1人。女の子は、娘にいじわるをするグループのコアメンバーで、何とも微妙な関係らしいのだが、そこは男の子3人が中和剤になってくれているようで、とりあえず問題は起こらないようである。

帰りは暗くなるのでいつも5人で一緒に帰ってくる。家の近所まで来て三々五々散っていくわけであるが、一人の男の子はご近所さん。夜ともあってお母さんのご指導で、その男の子は自分の家を通り過ぎ、わざわざ我が家の近くまで娘を送ってきてくれている。みんなと別れ、数百メートルの間を二人っきりで歩いて帰ってくるのである。

実はこの男の子は、娘がただいま大好きな男の子ナンバーワン。このエスコートタイムが至福の一時らしい。先日義母が上京した際、せっかくだからと義母と妻と息子の3人で娘を迎えに行ったそうだ。娘がみんなと別れたところで、「お帰り~!」。そこから5人で帰って来たらしいのだが、私が帰ってみると娘は烈火の如く怒っていた。

先日の事、塾で開催された特別授業に参加しなかった娘は、その代わりの補習を受けてきた。お弁当持参で行き、いつもより帰りも遅かった。いつものメンバーで参加したのは、娘とその男の子の二人だけ。帰りは最初から最後までずっと二人だったという。しかも補習の途中から雨が降り出し、相手の男の子は傘を持っていて、娘は忘れてしまったらしい。仕事から帰ってきてここまで聞いた瞬間、私は思わず「やったじゃん!」と言ってしまった。

「ところがねぇ」と妻が続ける。
「この子びしょ濡れで帰って来たのよ」と。
「何で?」と思わず私の声も裏返ってしまう。
何でも男の子は一人傘をさし、その隣で娘は傘に入らずに歩いて帰って来たのだという。
予想もしない回答であった。

理由を尋ねたところ、娘曰く、恥ずかしくて入れてと言えなかったらしい。ならば相手の方から「入りなよ」と傘を差し出してもよさそうなものだと思ったが、相手はそう言わなかったという。娘の話では、それは意地悪ではなくて、相手も恥ずかしくて言えなかったようなのである。雨の中、傘をさした男の子とさしてない女の子が一緒に歩いている。そんなシーンは滑稽だし、そっちの方が恥ずかしいだろうと思うのだが、それは大人の感覚なのだろう。

もうちょっと大きくなったら、女の子に傘を渡して男の子は雨の中を駆けていくのだろう。
そしてもうちょっと大人になると、さっと傘を差し出して一緒に歩くんだろうし、もうちょっと年を取ると、「どこかで雨宿りしていく?」となるのだろう。
ひょっとしたら自分も傘を忘れた事にするかもしれない・・・
(あくまでも一般論なので誤解なきよう・・・)

そう言えば、私も小学校の頃運動会のフォークダンスの練習で女の子と手をつなげなかった事があった。本番ではさすがに親の目もあって手をつないだが、練習ではできなかった事を思い出した。あの頃の自分と同じなのだと考えると、今の娘の行動はよく理解できる。誰もが経験することなのだろうし、それが人生の大事な一ページなのだろう。今のうちにそういう感覚を味わっておいてほしいと思う父なのである・・・



【本日の読書】

いじめと戦おう! - 玉聞 伸啓   

2012年4月26日木曜日

欧州に学ぼう

今年はアメリカの大統領選をはじめとして、世界の1/3の国でトップを巡る選挙があるらしい。世界的な選挙イヤーなのだという。我が国は毎年代わっているから感覚が鈍っていると思うが、やはり国のトップが代わるというのは大きなインパクトがあるものだ。

そして先週末、先進国で先陣を切ってフランスの大統領選が始った。第一回目の投票では過半数を得た候補がなく、上位2名による決選投票へと進んだ。下馬評通り、現職のサルコジ大統領は分が悪く、オランド氏優勢が伝えられている。そのオランド氏が勝利すると、せっかく安定しかけたユーロ圏の混乱が再び起こるのではと危惧されている。

そんな中で注意を惹いたのが、苦戦を強いられているサルコジ大統領が極右勢力の取り込みが必要という分析だ。今回極右の国民戦線のルペン党首が、第3位と健闘しているのだ。さらにはオランダでも閣外協力していた極右政党である自由党が、財政政策に反対して連立政権が崩壊した。オランダでも極右政党が、キャスティングボートを握るところまで支持を集めている。

極右というと、ネオナチとか我が国では街宣車に乗った人たちなどのイメージを持つが、要は国粋主義者の集団だ。どこの国でもそういう人たちはいるし、それを支持する特殊な思想の人たちがいるのは不思議ではない。しかし、政局を左右するほどの支持を集めるとなると、もはや特殊思想の人たちばかりではなく、普通の人たちが支持し始めているという事だ。

ヨーロッパの極右政党の大きな主張は「移民排斥」だ。
つまり高まる失業率や、フランスでも先日連続殺人事件があったように治安の悪化なども背景にあって、移民に対する反感が極右政党の支持へと結びついているのだろう。
これは極めて重要な点だ。

我が国も少子高齢化社会の到来を迎え、低迷する経済を背景に移民政策を主張する意見がある。人口が少なくなるから外国人を連れてきて頭数だけ揃えればいいという、なんとも安易な発想だが、こういう無責任な意見を言う人たちには是非ともこうしたヨーロッパの現状をよく観察してもらいたいものだ。

ヨーロッパでは、ドイツだってメルケル首相自ら移民政策は失敗だったと語っているし、フランスでもオランダでも極右政党への支持という形で反移民が盛り上がっている。にこにこ笑ってみんな仲良くなんて具合にいくわけがない。もって他山の石とすべしだ。

移民がいけないのは、日本のか弱い文化・国民性が台無しになってしまう事だ。例えば過去にも中国人の例を取り上げたが、日本の譲り合いの文化は、中国の強烈な自己主張の文化には対抗できない。朱に交われば赤くなるというわけにはいかない。劣性遺伝子は優性遺伝子の影に隠れてしまうが、日本の文化は遺伝子で言えば劣勢遺伝子である。

昨年の東北大震災でも、被災地では略奪が起こらなかったと日本は世界から絶賛された。そんな当たり前の事で絶賛されるという事は、世界では略奪が起こるのは当たり前だという事だ。ハリケーンカトリーナのアメリカでも、イングランドでもハイチでも略奪は起こっている。
そういう国になっても構わないというのだろうか。

人数が減るなら観光に来てもらう方法を考えればいいわけだし、他にもいろいろと工夫はできるはずだ。安易な移民政策には、これからも強く反対していきたいと思う。最近のヨーロッパのニュースに触れて、ますます我が意を強くした次第である・・・


過去のエントリー
「移民政策を憂う1」
「移民政策を憂う2」


【本日の読書】

頭のいい人が儲からない理由 (講談社BIZ) - 坂本 桂一 謎解きはディナーのあとで (小学館文庫) - 東川篤哉





2012年4月22日日曜日

アルバム

週末に子供たちを連れて実家に行って来た。
妻がPTAの「夜の会合」に出掛ける事になっていたため、妻の夕食の支度という手間を省きつつ、孫に会いたいという親のニーズを満たすナイスなアイディアである。

食後に、「そう言えば」と母がどこからか写真を出してきた。私の子供の頃の写真だ。そろそろ自分の写真も整理しようと思っているから、欲しいのがあったら別に保管しておくというのだ。何でも友人は昔の写真をすべて処分したのだという。自分でもそんな事を考えているらしい。

久しぶりに見る自分の幼少時の写真。
息子はそれを見て、「髪の毛がたくさんある!」とそればかり。
子供の頃から禿げている人はいないし、それにパパは今でも禿げているわけではなく、短くしているだけだと反論。

父に抱かれた私の写真を見て、「これパパ?」と父を指さして聞く。
自他共に認める祖父似の私は、父にはそんなに似ていないと思っていたが、言われてみれば何となく似ている。やはり血のつながりなのだろうと、母と二人で感心する。

私は両親が27歳の時に生まれている。
写真の父は、したがって当時まだ20代だ。
一緒に積み重ねてあった古いアルバムに目が止まる。
母の制止を振り切って手に取ると、それは母の昔のアルバム。
めくると典型的なセピア色の写真が目に飛び込んでくる。
それは初めて目にする母の若い頃のアルバム。

「昭和27年」という記載があると言う事は、母が中学生の頃という事だ。セーラー服に身を包んだ母は、小太り。すぐ下の叔母もセーラー服姿。二人とも薄々は感じていたが、若い頃から不美人だ。叔母などは当時からメガネ姿。思わず吹き出してしまったが、今度会った瞬間また吹き出しそうな気がする。

母が思わず「えっ~!」と声を上げる。アルバムには、初恋の人の写真が友人たちのものと一緒に貼ってあったのだが、そこに記された生年月日が何と父とピタリ一緒だったのだ。今頃になって気がついたという事は、長い間見ていなかったということだろうが、星占い師が聞いたら、それとばかりに膝を打ちそうなエピソードだ。

高校を卒業した母は、東京の叔父の家に世話になり就職する。
職場の前で撮った写真のバックにはオート三輪が写っている。
20歳の時には着物姿でポーズ。
職場では昔の事務員さんが来ていた事務服を着ている。

父と知り合い二人の写真が増える。
父の部屋で撮った写真には、「彼の部屋で」とコメントがある。
今は「お父さん」だが、まだ「彼」だった時代があったのである。
井の頭公園、新宿御苑、深大寺・・・今でもカップルがデートに行く場所を、かつて二人で歩いたようだ。どんな会話を交わしていたのだろう。

やがて二人の写真に私と弟とが加わる。
写真もカラーに変わる。
30年前の両親と弟との写真。
もう高校生になって親と行動を共にしなくなった私は写っていない。
父はちょうど今の私と同じくらいの年。
まだ髪の毛も多く、分け目もはっきりしている。

毎日遅くまで仕事に精を出して、毎日家族に対してどんな想いを抱き、将来についてどんな事を考えていたのだろう。当たり前だが、両親にもそれぞれの人生があったわけで、そんな歴史を感じさせる。写真というのは、考えてみれば大した発明だ。過ぎゆく時間を確実に切り取って後世に伝えてくれる。やがて子供たちも、我々の写真をそうして見る時がくるのだろうか。

私の場合、セピア色の写真に始り、カラーからデジタル画像へと、写真の進化という意味でも面白いだろう。子供たちの場合は、ずっと鮮やかに残るはずのデジタル画像ばかりだ。母は古い写真はみな処分するのだと言うが、是非とも残せと頼んできた。そのまま灰にしてしまうにはあまりにも惜しい。他の誰にとっても価値はないかもしれないが、私と弟にとっては別だろう。いずれそのうちもらい受けてくるとしよう。

PCの中に保存してあるだけの、自分達家族の画像データもそろそろ整理しようかという気になったのである・・・


【本日の読書】
いじめと戦おう! - 玉聞 伸啓




2012年4月20日金曜日

リーダー不在の憂い

原発を再稼働させるとか時期尚早だとか、消費税を上げるとか上げないとか、連日与党も野党も入り乱れての大混戦。 民主党も、選挙時のマニュフェストの内容なんてすっかり忘れてしまっているようだ(まあもっとも、「マニュフェストにこだわるな」と散々叩かれたから、今さらマニュフェストなんて言われてもチャンチャラおかしいのかもしれない)。野田総理も言う事は勇ましいが、果たして実行できるのかよくわからない。

そんな政治の状況を見ていると、リーダー不在の烏合の衆というイメージがしてならない。今の状況は、目の前に氷山が迫るタイタニック号の船上で、「右へ回避すべきか左へ回避すべきか」で喧々諤々の議論をしているようなものではないだろうか。これと決めて、みなを従え、先頭に立って困難に立ち向かう人が誰もいない。またそんなリーダーに無私の心で協力し、しっかりサポートして行こうなどという団結心も、民主党の中にはないみたいである。

かつて業績不振にあえいでいたヤマト運輸。競合他社からは遅れを取り存亡の危機にあった時、当時の小倉社長は競合激しい法人マーケットを諦め、個人の荷物の取り扱いに参入すると宣言した。ところが、そんな未知の領域へ打って出ようとする社長の方針に、役員は全員反対。小倉社長はそんな役員の反対を押し切って、これがヤマトの生きる道だと、宅配市場の創設に尽力。その結果、今やヤマト運輸は宅急便で不動の地位を築いている。もちろん、そんな方針に一致団結して事に当たった社員の尽力もあるだろう。今の日本の政治にはそんなリーダーが必要な気がする。

リーダー不在の烏合の衆と化した日本の政治の問題点は、実は日本人特有の問題点なのかもしれない。黒船の来航に際し、何年も前から来航が予測されていたのに有効な対応を考える事もなく、その場になって右往左往し、後手後手に回った江戸幕府。結果は不平等条約となって、後の政府を苦しませた。

原爆を落とされ、ソ連が参戦し、もはやこれまでという状況でもなお戦争継続派と終結派が対峙し、意見がまとまらなかった戦時下の政府。最後は御前会議で天皇の裁断を仰がざるを得なかった。もっと早く決断していれば、被害はもっと少なかったはずである。歴史をひも解けば、似たようなケースが出てくる。

もともと「和を持って貴し」とする伝統ある我が国。
「出る杭は打たれる」のも同様。
天皇も歴史を通じて日本に君臨し続けてきたが、その大半は直接の統治能力はなかった。
江戸の将軍も幕府の老中たちが実務を取り仕切っており、独裁とは程遠い。
ヒーローを尊敬するアメリカなどとは違って、リーダーが生まれにくい国民性なのかもしれない。

それは何も政治ばかりではなく、企業内でも然り。
面白い提案も、議論を経るとありきたりで陳腐な施策に変わっている事はしょっちゅうだ。
アップルのiPodだって、必要な資源も蓄積もソニーはすべて持っていたというが、例え誰かがiPodのアイディアを思いついたとしても、“会議”で消滅してしまったのかもしれない。
例えスティーブ・ジョブズでも、ソニーで働いていたら一連の商品は生み出せなかったに違いない。

身の回りでもそんな経験はよくある。
そんな状況が、たぶん庶民の間から政府まであるのだろう。
リーダーよ出でよ、と言っていても仕方がない。
日本のために何ができるだろうか、と考えてみる。
まずは身の回りから、自分が一歩踏み出して出る杭になるという事だろうか。

それで何が変わると言う事はないが、厭わない気構えだけは示してみようと思うのである・・・


【本日の読書】
さかな記者が見た大震災 石巻讃歌 - 高成田享  逆説の日本史18 幕末年代史編1/黒船来航と開国交渉の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦





2012年4月14日土曜日

地球儀から

入学祝いにおじいちゃんとおばあちゃんから地球儀をもらった息子。くるくる回して遊んでいる。地球儀もいろいろ種類があるらしいが、至ってシンプルなそれは、私も子供の頃持っていたのと同じようなタイプだ。だが同じようでいて、360度回転するところが面白い。

実は我が家の風呂には日本地図と世界地図が張ってある。お風呂専用の地図で、風呂に入りながら自然に覚えるかなと思って、娘が幼稚園くらいの時に買いこんできたものである。その成果だろう、我が家の子供たちは世界にどんな国があるかとか、どんな国旗かなどという事にけっこう詳しい。そんな下地も、もともとあった。

さてそうして地図を眺めていた息子が、ところどころで奇妙な表記に気がついた。タヒチ(フランス)、ニューカレドニア(フランス)などだ。さらには「この国では何語しゃべっているの?」なんて質問に、英語と並んでフランス語、スペイン語、ポルトガル語が多い事に、我が家の子供たちは気付いた。大人ならば、そんな理由は良くわかっているが、子供にしてみれば不思議だったようだ。

帝国主義だとか植民地などといっても、6年生の娘はともかく、1年生の息子には難しい。昔は、海の向こうに何があるのかと冒険に出て行って、発見した土地を自分のものにしちゃったんだよと、説明した。そう言えばグアムも似たようなものだ。第二次大戦後、当時の先進国の植民地はこぞって独立していった。だが、そうしなかった名残りが、今の憧れの観光地になっている。

何で独立しようとしなかったのか、詳しくはないので知らないが、南の島の人たちだから、独立などにはこだわりなく、のんびりしていたのかもしれない。ニューカレドニアには新婚旅行で行ったが、ゆったりと流れる時間の中、海も空も青く、静かに打ち寄せる波は白く、水はどこまでも透明で、こんなところでのんびり暮らしたいとつくづく思った。日常生活などはすべて忘れたし、政治がどうだとか経済がどうだとか、そんな気分にはならないのかもしれない。
それにかつては植民地と言えば、収奪の対象だったが、人権の時代の現代ではそんな事はできない。そうした居心地の良さもあるのかもしれない。

お風呂の地図は平面だが、地球儀は球面。ヨーロッパとアメリカが実は近いというのもよくわかる。さらにはエベレストには、「世界一高い山」という注記がしてあったり、良く見るとそんな知識も身に付きそうな感じである。チャップリンは映画「独裁者」で、地球儀の風船で遊ぶ独裁者をコミカルに描いて見せた。世界を手玉に取る独裁者を暗示するシーンだったが、「手玉に取る」事は望まぬが、「股にかける」ぐらいは良いかもしれない。くるくる回して遊びながら何かを感じてくれるなら、おじいちゃんとおばあちゃんも本望だろう。

そう言えば、私も子供の頃地球儀をもっていたが、あれはどうなったんだろう。ちょっと思い出したのである・・・

【本日の読書】
いじめと戦おう! - 玉聞 伸啓 サッチャー回顧録 上: ダウニング街の日々 - マーガレット サッチャー, 石塚 雅彦







2012年4月8日日曜日

恋は盲目

先日「エクリプス/トワイライトサーガ」という映画を観ていた。
人間の女の子とヴァンパイアの恋を描いた女の子向け小説の映画化作品だ。
本来憎まれるべきヴァンパイアを、「ベジタリアン」と称する人間の血を吸わない一族を登場させてオブラートに包み、うまく女の子向けにアレンジしている。

主人公のベラはそんなヴァンパイアの男エドワードに夢中になり、ずっと一緒にいるために自分もヴァンパイアに転生する事を望んでいる。一方そんなベラに想いを寄せるのは狼男のジェイコブ。同じヴァンパイアと狼男が対立する「アンダーワールド」シリーズと比べると、なんとも暖かいドラマである。

そんな主人公のベラを見ていて思う。
エドワードで本当に良いのか、と。
ヴァンパイアに転生すれば不死と超人離れした能力を身につける事ができる。
しかし人間には二度と戻れず、人間たちとは距離を置いて暮らさないといけないし、苦労も多い。エドワードと行動を共にするカレン一族は、みなそんな生活を味わっており、転生には否定的だ。

一方狼男ジェイコブの方は、転生など不要で、一族はみな人間の女とそのまま結婚している。女性も子供を産んで天寿を全うできる。普通の人間相手が一番であるが、どうしてもというならジェイコブの方がいいではないか、と思ってしまう。

結婚する時に一番大事なものは何かと問われると、今まではずっと「愛」だと思っていた。大事なのはこの相手と一緒に暮らしていきたいかどうか。安定した生活を送れるだろうとか、そういう計算などはナンセンスで、「富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで」一緒に生きていきたいと思う相手と一緒になるべきだ、とずっと考えていた。子供たちにも、将来そんな基準で相手を選んでほしいと思っている。これはひょっとすると男の立場だからかもしれない。

そんな基準からすれば、ベラの行動は間違っていないのであるが、それでも映画を観ていると、その選択はいかがなものかと思ってしまうし、自分の娘だったら間違いなく反対すると思う。愛する二人に対し、親が反対するというパターンは古今東西数え切れないくらい多い。一番大事なものは「愛」であるならば、ならばなぜ多くの親たちは反対するのだろう。

その一つの理由は、「愛」とは言いながら、「愛こそすべて」ではないと知っているからかもしれない。童話の世界では「Happily ever after(結婚して幸せに暮らしましたとさ)」で終わるが、現実の世界はそこが始りだ。恋する二人にとって結婚はゴールだが、親から見れば結婚はスタートだ。燃え上がる恋の炎はやがて灯となり、恋人は家族となる。ふと気がつくと、夢中になっていた時には目に入らなかったものが、いろいろと見えてくる。親はそんな自らの経験を通じて思うところがある。

自らの経験知に照らしてみれば、未熟な子供たちの危うい行動の行く末が見えてくるのだろう。「愛こそすべて」で悪くはないが、もっと正確に言うならば、「正しい相手を愛せ」と言いたくなるのである。どうやら自分もいつの間にか、かつてバカにした「計算で結婚を考えるつまらない人間」になっているのかもしれないと感じる。

ベラに対し、「エドワードはやめときなよ」と呟く。つい最近まで「親がいいと思う相手」なんて、と思っていたはずなのに、娘にとってどんな男がいいだろうと考え始めている・・・
理解のある父親になりたいと思う反面、目を覆いたくなるような相手を選びはしないかという心配もある。まあ今からあれこれ考えても仕方ない。コミュニケーションだけはしっかりととって、とにかく「娘の幸せを第一に考えている」という事だけはわかってもらいたいものだ。

それでもベラの相手だけは、やっぱり反対だと思うのである・・・

  
【本日の読書】

サッチャー回顧録 上: ダウニング街の日々 - マーガレット サッチャー, 石塚 雅彦






2012年4月6日金曜日

入学式

ようやく桜も見頃となってきた感があるが、今日は長男の小学校の入学式。
私も仕事を休んで参加。
真新しいランドセルを背負った我が子と、娘の通う小学校へと向かう。
つい先日娘の入学式だったような気もするが、その娘は早や6年生。
ちょっと会わないでいると、親戚や知り合いの子供たちがあっという間に大きくなっているが、そんな月日の流れを実感する。

娘の時と同様、体育館での入学式。
ざっと見渡すと、新入生の親の4割はお父さん。
自分もそうであるが、けっこう父親の参加率が高い。
私の父は、それこそ先日母に言われまくっていたが、学校へなど来た事がなかった。
たぶん、「そんな事」で仕事を休むなんてという雰囲気もあったと思うが、今は堂々と休む理由になる。子供からすれば両親が揃って来るのが当たり前の感覚になるのだろうが、個人的には良い時代の雰囲気だと思う。

体育館内には日の丸が掲げられ、国歌斉唱もきちんとある。
歌う声はちょっと小さかったが、まあそれはご愛嬌。
国家や国旗に反対するのが平和への道と考える、不心得かつ不勉強な輩がいないのがありがたい。

来賓の紹介があったが、近所の幼稚園の園長先生(長男が通っていた幼稚園の園長さんももちろん来ていた)や町内会の会長やら民生委員やらPTAの役員やらで、近所で会うような人たちばかりなのが地元の小学校のいいところだ。
クラスごとに集合写真を撮ったあと、各教室に入ってのオリエンテーリング。

長男は3組。101人の新入生は全部で3クラス。
学年によっては転校で人数が減って4クラスが3クラスになっている。
微妙な人数差でクラスの数が変わる。
それによって先生の数も変わるわけで、そうした微差は臨時採用の教員で調整しているらしいとも聞く。先生にとっても子供の数は無視できない問題なのだろう。

最後に先生から子供たちに宿題が出された。
近所にある桜を見つけて月曜日に先生に教えるというもの。
東大が提唱した秋入学が小学校にまで波及したら、こんな宿題もなくなるだろう。
桜の木の下で迎える入学式。
日本のもっともあるべき風景だと思うが、多少の不都合はあったとしても日本オリジナルの原風景に誇りを持ってほしいものである。

すべて終わって帰宅。
たまたま今日は長男の誕生日。
入学式の次はお誕生日会。
実家の両親も招いてケーキを囲む。
7本のろうそくを吹き消す長男。
これからどんな学校生活を過ごしていくのだろう。

長い道のりになるが、しっかり歩んでいってほしいと思うのである・・・

   
    

2012年4月1日日曜日

新年度雑感2012

早いものでもう4月だ。いつもなら桜が咲いていても良い頃だが、今年は少し遅れている。地元では今日は恒例の桜祭りだが、肝心の桜の開花はまだもう少し先。今年は空振りのようだ。

午前中、品川駅前では国士舘大学の入学式に向かう人たちが列をなしていた。友人のフェイスブックでは早稲田大学の入学式を取り上げていたが、今日入学式を行う大学が多いのだろうか。私の時はもう28年も前になるが、もっと遅かった気がする。

最近は東大が秋入学への移行を表明し、それに追随する大学も増えている。
アメリカの大学は9月スタートだし、世界の流れに合わせるのだというが、個人的には疑問だ。いろいろと不都合はあるのかもしれないが、日本は日本だし、自らのオリジナリティをもっと尊重すればいいと思うし、桜と共に新しい年度を迎えるという伝統を守っても良い気がしている。

雑踏の中を歩いていたら、ポケットティッシュを配っていて、思わず受取った。
何気なく目を落とすと、資格の専門学校LECのものだった。
気になったのは、そこに書いてあった言葉だ。
「LECで公務員を目指そう!」

今若者たちは就職難で、正社員になれず派遣の身分に甘んじていたり、せっかく正社員になれても上場企業だって倒産するしで、より安定志向が強く公務員が人気なのだとか。そうした背景もあってのLECの宣伝なのだろう。LECの立場としては当然の宣伝だから悪いとも思わないが、それにつられて応じる若者の事を思うと、なんとも嘆かわしい気がする。

公務員は本来、「安定しているから」という理由で目指すものではないはずだ。
私にも二人の子供がいるし、いずれ就職となった時公務員を希望するかもしれない。
そこでその理由を聞いて、「国(地域)のためにこういう仕事をしたい」と言えば喜んで賛成するだろうが、「安定しているから」などと言ったらケリ飛ばしてやるつもりだ(まあその時までにそんなメンタリティを持たないように育てるつもりではあるが)。そんなしょぼくれた考え方だから、縮こまって魅力のない若者になり、採用面接でも目に留まらないのだろう。我が身を振り返ってみると、とても偉そうな事は言えない「就職選り取り見取りの売り手市場」時代の残党なのだが、そういう内面からエネルギーを発する若者に我が子を育てたいと思う。

明日からはまた新しい世代が社会に出てきて、我々サラリーマンはまた一つ終わりに向けて押しやられる。定年までのカウントダウンも始るし、子供の事よりも我が身をいかにまっとうするか、をそろそろ真剣に考えないといけない。今日と同じ明日で満足する事のないように、意識し続けたいと思う。

4年目に突入したこのブログだが、欲張って4つもブログを更新し続けているし、最近はフェイスブックも始めたしで更新頻度も落ちている。それがかなりのストレスになってきているし、少し落ち着けるためにもこれで一旦打ち切ろうと思う。当面雑感はフェイスブックで語るとして、いずれまた時間的なゆとりが生まれてきたら、別の形で再開するかもしれない。

長い間、駄文にお付き合いいただいたみなさまには厚くお礼申しあげます。



【本日の読書】
日本の未来について話そう -日本再生への提言- - マッキンゼー・アンド・カンパニー