2012年4月8日日曜日

恋は盲目

先日「エクリプス/トワイライトサーガ」という映画を観ていた。
人間の女の子とヴァンパイアの恋を描いた女の子向け小説の映画化作品だ。
本来憎まれるべきヴァンパイアを、「ベジタリアン」と称する人間の血を吸わない一族を登場させてオブラートに包み、うまく女の子向けにアレンジしている。

主人公のベラはそんなヴァンパイアの男エドワードに夢中になり、ずっと一緒にいるために自分もヴァンパイアに転生する事を望んでいる。一方そんなベラに想いを寄せるのは狼男のジェイコブ。同じヴァンパイアと狼男が対立する「アンダーワールド」シリーズと比べると、なんとも暖かいドラマである。

そんな主人公のベラを見ていて思う。
エドワードで本当に良いのか、と。
ヴァンパイアに転生すれば不死と超人離れした能力を身につける事ができる。
しかし人間には二度と戻れず、人間たちとは距離を置いて暮らさないといけないし、苦労も多い。エドワードと行動を共にするカレン一族は、みなそんな生活を味わっており、転生には否定的だ。

一方狼男ジェイコブの方は、転生など不要で、一族はみな人間の女とそのまま結婚している。女性も子供を産んで天寿を全うできる。普通の人間相手が一番であるが、どうしてもというならジェイコブの方がいいではないか、と思ってしまう。

結婚する時に一番大事なものは何かと問われると、今まではずっと「愛」だと思っていた。大事なのはこの相手と一緒に暮らしていきたいかどうか。安定した生活を送れるだろうとか、そういう計算などはナンセンスで、「富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで」一緒に生きていきたいと思う相手と一緒になるべきだ、とずっと考えていた。子供たちにも、将来そんな基準で相手を選んでほしいと思っている。これはひょっとすると男の立場だからかもしれない。

そんな基準からすれば、ベラの行動は間違っていないのであるが、それでも映画を観ていると、その選択はいかがなものかと思ってしまうし、自分の娘だったら間違いなく反対すると思う。愛する二人に対し、親が反対するというパターンは古今東西数え切れないくらい多い。一番大事なものは「愛」であるならば、ならばなぜ多くの親たちは反対するのだろう。

その一つの理由は、「愛」とは言いながら、「愛こそすべて」ではないと知っているからかもしれない。童話の世界では「Happily ever after(結婚して幸せに暮らしましたとさ)」で終わるが、現実の世界はそこが始りだ。恋する二人にとって結婚はゴールだが、親から見れば結婚はスタートだ。燃え上がる恋の炎はやがて灯となり、恋人は家族となる。ふと気がつくと、夢中になっていた時には目に入らなかったものが、いろいろと見えてくる。親はそんな自らの経験を通じて思うところがある。

自らの経験知に照らしてみれば、未熟な子供たちの危うい行動の行く末が見えてくるのだろう。「愛こそすべて」で悪くはないが、もっと正確に言うならば、「正しい相手を愛せ」と言いたくなるのである。どうやら自分もいつの間にか、かつてバカにした「計算で結婚を考えるつまらない人間」になっているのかもしれないと感じる。

ベラに対し、「エドワードはやめときなよ」と呟く。つい最近まで「親がいいと思う相手」なんて、と思っていたはずなのに、娘にとってどんな男がいいだろうと考え始めている・・・
理解のある父親になりたいと思う反面、目を覆いたくなるような相手を選びはしないかという心配もある。まあ今からあれこれ考えても仕方ない。コミュニケーションだけはしっかりととって、とにかく「娘の幸せを第一に考えている」という事だけはわかってもらいたいものだ。

それでもベラの相手だけは、やっぱり反対だと思うのである・・・

  
【本日の読書】

サッチャー回顧録 上: ダウニング街の日々 - マーガレット サッチャー, 石塚 雅彦






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