ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月19日日曜日

息子と

 かねてから予定していた通り、息子と会ってきた。「飲みにいくか」ではなく、「メシを食いにいこう」と誘ったのは、昨年の経験に基づくところである。息子の帰り道を考えて池袋で待ち合わせをする。やはり肉系がいいかと考えてそれっぽい店を選ぶ。何だかデートのようだと思わなくもない。昨年、別居して以来、何度か会っているし、LINEでやり取りもしている(なかなか既読がつかないのは、あまり優先的に見てくれていないようでもある)。息子と向かい合い、息子が選んだ牛タンを食べながら話をする。

 息子は今年、大学3年。教養課程を終えて専門課程に入っているようである。私も法学部であったが、息子は同じ法学部でも政治学科。国際政治なんかを中心に学んでいるそうだが、授業は面白いらしい。ゼミにも参加し、週7コマの授業に出ていると言う。野球も続けていて、週1回活動をしているのだとか。飲食店でアルバイトし、なかなか忙しい学生生活を送っているようである。気になるのは、就活の事。最近は早まっているらしく、その辺りも聞いてみた。

 早い者はもう2年生くらいから活動しているようで、息子は就活はまだだが、夏のインターンシップには何社か申し込んでいるらしい。私の頃は、リクルーター制度が全盛で、ラグビー部の先輩が片っ端から我々に声を掛けてくれてメシを食いに連れて行ってくれたものである。「それって人事部に繋がるの?」と息子が問う。というか、人事部の先兵となって動いていたから直結だよと答えたら驚いていた。今もOB訪問はあるらしいが、ホントに働く様子を聞くだけのものらしい。

 そのインターンシップであるが、息子は商社と海運会社に申し込んでいるらしい。もちろん、その2つの業界を志望しているということで、商社はともかく、「何で海運なの?」と聞くと、「海外で働けて給料がいいところ」とのこと。海外で働くのはともかく、海運会社は給料が低いというイメージがあったが、最近はそうではないらしい。今度海運会社に行った先輩に会ったら聞いてみようと思う。それにしても海外で働きたいという気持ちはいいと思う。

 それであれば英語力は磨いておいた方がいいとアドバイス。技術の進歩で、翻訳機も進歩するし、あえて外国語を学ぶ必要はなくなるように思うが、それでも個人的には翻訳ではなく、きちんと使えるようになることが必要だと思う。息子にはそう伝えたが、本人もそれを自覚していて、IELTS(アイエルツ)も受けるのだとか。初めて聞く言葉に2度聞してしまったが、今はTOEICではなくIELTSなのだと言う。さらにAIでスピーキングの添削をしてもらっているとのこと。偉そうにいろいろアドバイスしようと思ったら、息子の方が先を行っていた感がある。

 いつしか、場所をスタバに変え、3時間近く話をしていた。皮肉なもので、家にいた時よりもいろいろと話をしていた。彼女はまだいないとの事。今は合コンはあるのかと尋ねると、あるにあるがあまり流行りではないらしい。ここでも親父の自慢話をと思ったが空振りに終わる。と言っても、親父はもともと学生時代は空振りばかりだったので、「俺の若い頃はな」と話して聞かせるようなものはないのである。息子相手に自虐ネタもないだろうと聞き置いておいた。 

 こうして息子と2人の時間を持てたことは、家を出たことの1つのメリットかもしれない。「離婚する」という話も「好きにすれば」という反応。このあたりは子供が大きくなってからの方が影響は少ないだろうと改めて実感する。「夫婦ではなくなっても親子の絆は一生だからな」と最後に加えておいた。また改めてこういう場を設けたいと思う。1つ難しいのは、息子とは気軽に会えるが、娘とはどうしようかと考えてしまうこと。話題は続くだろうか、そもそも誘ったらきてくれるだろうか。美味しいもので釣れるかもしれないが、会話は難しいのではないかと不安になる。

 それはそれであるが、やはり親子の絆は永遠。子供達とこういう大人の会話の場はこれからも設けていきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか (講談社選書メチエ) - 野村育世 スターリン:独裁者の新たなる伝記 - オレーク・V・フレヴニューク, 石井 規衛



2026年6月28日日曜日

息子に伝えたい事

 息子はこの春、大学3年生になった。もうあと2年で私の子育ても終わる。今は別居しているが、それは苦ではない。そもそも同居していても会話は少なくなっていたし、小さい頃、「パパ、パパ」と言って寄ってきたのを思うと寂しい気がするが、それが成長というものであり仕方がない。家を出る時に子供と別居するのが後ろ髪を引かれた部分であるが、いずれ子供達も独立して家を出ていく。地方の大学に行っていたらもっと早かったわけであり、そう腹を括って家を出たという経緯がある。

 それでも父親である限り、息子の人生には関与したいと考えている。今はそろそろ就職の事も視野に入ってきていると思うし、近々会って話をしようと考えている。以前、2人で酒を飲みに行ったが、それ以来の2人だけでの会話になる予定である。そこでどんな話をしようかとあれこれと考えている。息子の考えに口を挟むつもりはあまりないが、私と息子ではまず人生経験が違う。悔いのない学生生活を送ってもらうためにも、1人の経験談を話して聞かせるのもまた息子のためになると思う。

 大学3年ともなれば、そろそろ就活ということが頭にあるだろう。どの業界がいいかと問われると、銀行くらいしか経験のない私からすると、「銀行はやめておいたら」というのが正直な気持ち。そう言えばその昔、「子供を銀行員にさせたくない」という話を聞いたことがある。それはある業績不振の取引先の担保処分に同行した時のこと。よほど面白くなかったのであろう、銀行員がいかに非人道的かという話を私にしてきた。曰く、知り合いの銀行員が「子供には継がせたくないと言っていた」と。同意を求められた私はキッパリと反論した。「そんなに嫌な仕事ならとっくに辞めてますよ」と。「子供がなりたいというなら私は応援します」と。

 その時は、業績不振から担保に差し入れた不動産を売却して借入金を返済させられる恨みを若手の私にぶつけてきたのであるが、銀行は決して嫌な仕事ではないと強く反論した。ではなぜ息子には「辞めておいたら」と言うのかと問われれば、もう銀行という仕事を知り尽くし、自分にとっては魅力が薄れているからである。もし、時間を戻して就活時に戻れるなら、別の仕事をやってみたいと思うからに他ならない。今、お付き合いのある銀行の担当者を見ていても、あまり変わっていない。自分で面白そうだと思えない職業は勧めたくないと思うからである。

 それよりもやはり大事なのは「学生生活」。これはもう残り少ない。就活も「将来のことを考える」という意味では必要だが、8:2で学生生活を優先すべきだと思う。そこははっきり息子にも伝えたい。大学の勉強は、「卒業に必要な単位を取る」という意味と、「今しか学べないことを学ぶ」という意味がある。私もそういう意味で、当時は(今も?)遊び優先の学生が大半を占める中で、他の学部の講義とかも幅広くまじめに聴いたものである。面白そうな講座があれば単位とは関係なくても学ぶくらいであってもいいと思う。

 アルバイトも貴重な経験になる。大いにやるといいと思う。苦学生は別だが、学生時代のアルバイトはある意味気軽にできる。いつもよく行く近所のスーパーに中年男性がレジに立っている。おそらくパートかアルバイトなのだろうが、いつもどんな事情があるのだろうかと考えてしまう。女性なら、家計の足しにするためのパートなのかなと思えるが、男性のパートは秘められた事情を想像してしまう(そんなことを考えるのは私だけだろうか)。もしかしたら、起業で成功して大金を手にしてアーリーリタイアし、暇つぶしで働いているのかもしれないが・・・

 親父の言葉を息子はどう捉えるだろうか。上から目線で押し付けがましく言えば嫌われる。それはこれまで多くのドラマや小説や実例で学んできたこと。息子の考えを尊重しつつ、「自分の判断の参考にしたら」というつもりで話したい。私も親父の話は仕事の役に立つということはあまりなかったが、いろいろと考えるヒントにはなった。きっと息子にも何かのヒントになるだろうと思う。そう信じて、息子と2回目の酒席を楽しみにしたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 別冊NHK100分de名著 集中講義 三大哲学書 カント『純粋理性批判』ヘーゲル『精神現象学』ハイデガー『存在と時間』 - 戸谷 洋志 逆説の日本史: 大正暗雲編 対華二十一箇条と尼港事件の謎 (29) - 井沢 元彦 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史



2026年4月3日金曜日

親父のこと

 89歳になった父は最近物忘れが激しくなってきた。これが認知症なのかどうかはわからない。会話は普通にできるが、とにかく記憶が続かない。一晩寝ればすべて忘れてしまうし、下手をすると一晩どころか数時間ということもある。最近はお金がないので銀行から下ろしてくると言って出掛けて行ったが、銀行で手続きを断られ、「息子さん(私だ)に聞いてください」と言われたらしい。「お前何をしたんだ」と怒る親父。しかし、以前から「印鑑をなくした」「キャッシュカード」をなくしたとしばしば銀行に行き(それらはすぐに見つかるのだが)、銀行の方でも親父の顔を覚えてしまい、「いい加減にしてほしい」となり、私が今後は責任を持つと伝えていたのである。

 通帳も印鑑もカードもどこかに置き忘れたのかすぐになくしたと言い、もはや本人に管理能力はない。そこでこっそり私がカードだけ管理しているのだが、通帳と印鑑はいまだ見つかっていない。その都度、「印鑑はどうした?」「なくした」「それではお金が下ろせない」という会話を毎日繰り返している。翌日になるとまた同じ会話を繰り返すので、私も辟易している。以前『手紙は憶えている』という映画を観たが、主人公はやはり認知症を患っていて、一晩寝るとみんな忘れてしまうのであった。そこで毎日手紙を読んでやるべき復讐を思い出して行動するというものであった。

 私も手紙を書いて渡したが、本人は読もうとしない。なかなか現実は映画のようにはいかない。今ではそんな父であるが、中学を卒業して友人とともに上京して入ったのが印刷工場。以来、印刷工として70歳まで働く。途中から自営業に転じたが、真面目一筋でやり通した印刷人生である。最初は丁稚奉公の世界で、朝の6時から夜の12時まで働かされたそうである。徹夜も頻繁にあったらしい。最初の6か月で体調を崩して帰郷。今で言う適用障害だったのだろうと思う。昭和20年代の後半の話である。けっして裕福にはなれなかったが、親からの支援もなく東京に出てきて借金もなく引退できたのも真面目な仕事ぶりゆえだったのだろう。

 引退後は趣味の写真に没頭し、そのためにパソコンを憶えて写真の加工をし、写真だけであれば私よりもパソコンを使いこなしていた。しかし、今ではもうやる気が出ないとパソコンも処分し、カメラもしまわれたままである。毎日テレビを見て過ごしているが、もともと映画が好きだったから(その影響で私も映画好きである)せめて映画を観ればとケーブルテレビの見方を教えたが、その映画も内容が難しい(と言ってもアクション映画だ)と言う始末。それも自分でチャンネル操作ができないので私がいないと観ることができない。年とともに気力体力が衰えていくのはよく聞くが、こういう事なのかと思う。

 自分もいずれ仕事を引退する(できれば70歳まで働きたい)が、それ以降はのんびり毎日を暮らしたいと思う。しかし、いずれ父のように認知能力が衰えていくのだろうかと思ってみる。毎日映画を観て、それをブログにまとめ、徒然なるままに思うことをブログにしたいと思うが、いずれそれを「どうでもいい」と思うようになるのだろうか。父の姿はいずれ確実に来る自分の姿なのだろうか。自分はそうはならないと思うが、こればっかりはわからない。毎日同じことを聞いて息子にうざいと思われるのだろうか。年老いて人生を終えていくのは避けられないとしても、美しくありたいと思う。

 私の場合、すでに血液の病気が発覚している。もうろくするまで生きられない可能性もあるが、もうろくするまで長く生きて老いさらばえるのが幸せなのか、その前に病死するのが幸せなのか難しい問題である。同じ年の母は、腰が曲がり、病院通いは欠かせず、記憶力は親父とどっこいどっこい。しかし、「まだ死にたくない」と言う。「もういつ死んでもいいし、早く死にたい」と言う父とは対照的である。女の方が寿命が長いのは、こんなところにも現れているのかと思ってみたりする。温泉に誘っても喜んでついてくる母と、行きたくないという父とそこでも対照的である。

 自分が父と同じ年になったら、どうなっているのだろうか。医学の成果で同じ年まで生きられたとして、そのことにまずは感謝しないといけないだろう。その上で自分の状態が昨日のことを覚えて居られるであれば、そのことにも感謝しよう。できるだけ子供たちを煩わせることは避けたいと思う。おそらくその思いは両親も同じだろうが、現状は現状で仕方あるまい。遠く離れてやきもきするしかない人もいるだろうが、私は一緒に暮らしている。それもありがたいことである。できないことを嘆くのではなく、良かったことを意識したい。親父の記憶には残らずとも、一緒に過ごす1日1日を大切にしたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原2 新版――帝国主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大島通義, 大島かおり 介護未満の父に起きたこと(新潮新書) - ジェーン・スー 豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) - 三島 由紀夫  万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史




2026年3月11日水曜日

母の親友

 母に1人の親友がいる。昔から聞かされていて私も名前を知っている。その親友に先週末、母は会いに行った。久しぶりに電話をしたところ、病気で余命宣告を受けたとのこと。そこで会えるうちに会おうということになったのである。互いに80代後半であるが、どうやら親友の方が先にカウントダウンが始まってしまったという次第である。とは言え、母も腰が曲がって片道2時間の道のりを電車を乗り継いで行くのは困難であり、私が車で送って行くことにした。行きの車中、もう何度か聞いたことがある話を母は嬉しそうに語る。

 その親友に初めて会ったのはまだ10代の頃。高校を卒業して東京に出てきた母は、親戚の家に身を寄せて働いていた。毎朝、最寄り駅で見かけているうちに互いに意識し合うようになる。いつしか言葉を交わし、勤務先が近いことと(もちろん家も近い)勤務先同士も取引があり、互いにお使いで行き来し合うこともあり、そんな共有点が見つかって仲良くなったそうである。やがて日曜日には一緒に銭湯に行っておしゃべりしたりと交友を深めていったそうである。結婚して会う機会は減ったものの、今日に至るまで交友関係が続いている。

 私も幼い頃、母に連れられてその親友の家に遊びに行った記憶がある。中央線に乗ったのもたぶんその時が初めてだったと思うが、中央線がえらく速いという事で驚いたことをうっすらと覚えている。当時、中央線は高度経済成長に伴う沿線人口の爆発的な増加(多摩ニュータウンなど)と通勤混雑の激化に対応するため、大幅な高速化と輸送力増強が実施されたという事のようであるが、母の友人の家に遊びに行ったという事よりも、幼い私には中央線の速さの方が記憶にしっかりと残っている。

 送って行ったものの、母親のおしゃべりに付き合うのは退屈でもあり、母を下ろすと私はあらかじめて調べてあった近くの快活クラブへと向かう。昔はよく家の近所の漫画喫茶を利用したものであるが、近年愛用しているのが快活クラブである。私の基本として、読書もするが漫画も読む。快活クラブは個室でゆっくりと漫画を読めるし、飲み放題のドリンクと食べ放題のソフトクリームは何より楽しいおやつである。家の近所にもあるが、普段のんびりと漫画喫茶に行ってくつろぐ時間などないから、私にとってもいい機会であった。

 2時間ほどのおしゃべりが終わり、母を迎えに行く。2人の老婆は別れを惜しみつつ、これから毎日少しだけでも電話で話をしようということになったようである。親友の娘さんもいて、「母が笑っているのを久しぶりに見た」と喜んでいた。笑いは何よりの薬だと聞いたことがある。それはそうかもしれない。2人の付き合いの歴史はおよそ70年。互いに友人はいるだろうが、年齢を経ると減っていくだろう。亡くなる人もいれば、会いたくても体がいう事をきかず会いに行けないという事もある。

 そんなこともあって、今回はいい孝行ができたかなと思う。一方の父にはわざわざ連絡を取り合う友人もいないのか、亡くなったのか、母のような話は聞こえてこない。自分のことを振り返ってみると、今はまだ付き合いを保ち続けたい友人が何人もいる。会う機会は年に1回とかほんのわずかだが、それでも何かあれば集まって昔話に花を咲かせている。若気のいたりでバカをやった事を取り上げ、いまだに私がそういうことをやる人間だと思っている連中である。そんな奴らといつまでバカ話ができるのだろうかと思ってみる。病気も判明したし、もしかしたら私があの世に一番乗りかもしれない。

 母はよくあるように今の事は3分前のことですら忘れているのに、昔のことはよく覚えている。親友とのエピソードもいくつも出てくる。10代から20代前半の結婚前の母の事は想像もできない。それでもその頃の親友と過ごした楽しいひと時は、今もなお互いに思い出して笑い合うことができる大切な思い出であり、財産なのだろう。不肖の息子は1人出戻りで、当面は二つの家計費を負担してアップアップの状態。たまに親を温泉に連れて行くことくらいしかできないが、豪勢なリゾート地に連れて行くより親友のところの方が嬉しいだろうと勝手に決めつけている。

 次の機会があるかどうかはわからないが、また次回と思う。母の姿を見ながら、自分もバカ話をする友人たちと大事に付き合っていきたいと改めて思うのである・・・


PexelsによるPixabayからの画像


【本日の読書】
 全体主義の起原2 新版――帝国主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大島通義, 大島かおり 誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治 (講談社選書メチエ) - 藤川直也  生殖記 - 朝井リョウ  万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史




2025年11月13日木曜日

老化とは

 人間は誰でも年を取る。年を取るとはどういうことか。それは理屈では理解しているが、やはり実際に体験してみないとわからないものであるとこの頃実感する。実家の両親はともに88歳であるが、「元気」とは言いにくいものがある。病院通いしているからというわけでもないが、「短期記憶力」の喪失には著しいものがある。一晩寝ると忘れるどころか、3歩歩くと忘れるといったニワトリレベルの時もある。わかってはいるけれど、頻繁に同じことを聞かれるとうんざりさせられる時がしばしばなのである。

 実は短期記憶の喪失については、還暦を過ぎた私自身にも既に現れている。以前、資格取得の勉強をしていた時のこと、重要なキーワードを見ておこうとテキストを開いたところ、既にマーカーが引かれている。引いたのは私以外にはいないのだが、私にはその記憶がない。かつて受験の頃などは、一度読めば覚えていなくてもなんとなく「見たな」という記憶は残っていたものだが、それすらなくて愕然とした。一度読んだ本に途中で気づくならともかく、読み終えてもまったく気づかなかった事もある(読んだ本はブログにまとめてあるのだが、同じ本を2度取り上げていたのである)。

 これがだんだん拡大すると、わが両親のようになるのだろう。父はよく財布をなくす。財布をなくすと大変である。中にクレジットカードやキャッシュカード、運転免許証がはいっていて、私も喪失手続きを手伝った。しかし、その後実家に行くと、同じクレジットカードが2枚ある。本人に聞いてもわからない。よく見たらなくしたはずの運転免許証も持っている。キャッシュカードもある。どうやらなくしてはいなかったよう。一緒に住んでいる今は、「なくした」と言われると私もあちこち探す。そうすると大概見つかるのである。

 今はお金を下ろすというと大騒ぎで、たとえオレオレ詐欺の電話がかかってきて相手を信じてしまっても、1人ではお金を下ろせないのでその点では安心である。頻繁になくされても探すのが大変であり、今は私が通帳もカードも印鑑もマイナンバーカードも一括管理している。お金の面では老親だけに任せておくと怖いものがある。どうやら記憶力とともに判断力も低下するようで、母の理屈の通らない理屈と付き合うのも骨が折れる仕事である。

 肉体的な衰えに関しては、少しずつ私も実感している。それは仕事をする上ではあまり影響はない。しかし、スポーツにおいてははっきりと現れる。最初に気づいたきっかけは、試合のビデオである。自分では風を切って走っているつもりだったが、映像で見るとどうにも動きが鈍い。それは私だけではなく、他のプレーヤーも同様。その結果、全体としては緩い試合になっている。それは年代が上がればより一層違いがはっきりする。かつて若い頃、シニアの試合を見て、「あんな緩いラグビーやりたくない」と思っていたが、いつの間にか自分がその緩いラグビーをやっている。

 昔は1週間くらい運動しなくても影響は何もなかったが、今は1週間空くと筋肉痛やらの影響がすぐに出る。怪我をしても大きな怪我でなければ、2~3日、あるいは1週間程度で治っていたが、今は1か月以上長引くことも珍しくない。ボールを蹴っても昔ほど飛ばない。頭の中は昔のままだから昔の通りに動くのだが、実際の体がついてこない。おそらく細胞レベルで微妙に劣化し、全体の動きの衰えにつながっているのだろう。人間も生き物である以上、そこは仕方のないところである。

 さらには外形である。練習が終わってシャワーを浴びると一目瞭然となる。30~40代の選手は皮膚に張りがある。しかし、50代、60代となるとだんだん皮膚がたるんでくる。背中から尻にかけてが一番目立つ。ラグビーはコンタクトプレーが中心で、互いにぶつかり合うスポーツである。その時にやはりこれだけ体に差があると、それは大きなハンディになる。いくら頭の中で昔と同じつもりでいたとしても、体が衰えている以上、同じプレーはできない。それを実感して今は試合をする場合は同世代相手とのみやるようにしている。体が違う以上、無理はよくない。

 両親を見ていると、自分も同じように衰えていくのだと思う。もちろん、私の方が老化のスピードは遅いのではないかと思うが、それは遅かれ早かれの問題であると思う。人生を90年と考えれば、生まれてから結婚するまでの上り坂の時代、結婚して子供が生まれて子育てが終わるまでの時代、そして1人になって終末に向かう下り坂の時代とちょうど30年ずつ分けられる。自分はその下り坂の時代に入った事になる。できないことができるようになっていく上り坂の時代に対し、できたことができなくなっていく下り坂の時代だと言える。

 両親に対しては、「なぜこんな簡単なことができない」という気持ちが沸き起こることもあるが、相手が幼い子供だと思えばできなくても当たり前だという気持ちになる。いずれ迎える自らの姿だと思い、それを我が子に眼前に見せてくれているのだとも言える。それに感謝しつつ、寛容の精神で両親に接するとともに、自らは少しでも健康寿命を伸ばすことを意識していきたいものである。人生最後の日をこのブログに綴ることができたなら、それは最高ではないかと思うのである・・・


PeggychoucairによるPixabayからの画像

【本日の読書】

全体主義の起原 新版(1) ハンナ・アーレント  人はなぜ自分を殺すのか(新潮新書) - クリスティアン・リュック, 久山葉子  失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫) - プルースト, 吉川 一義









2025年10月8日水曜日

老親と暮らす

たはむれに母を背負ひて
  そのあまり軽きに泣きて  
    三歩あゆまず 
石川啄木「一握の砂」
************************************************************************************

 妻と別居して実家に戻ってもうじき1か月である。本来、息子が大学を卒業するまであと2年半我慢していようと思っていたが、繰り上げたのは実家の両親がそろそろ2人だけで生活させておくのが危なっかしいと思ったためである。両親とも短期記憶が劇的に劣化しており、一晩寝るとみんな忘れる状態である。家事もままならぬ様子で、食事もあるものを食べている状態。一度平日の夜に行ったらその日の夕食はコンビニのおにぎりという状態であった。実家に戻って取り急ぎ改善をしたのは食事である。

 食事といっても、私も「男子厨房に入らず」の世代である。そうもいっていられないので、数年前からスマホアプリ片手に見よう見まねで包丁を握っている。今までは週に1度実家に通って料理を作っていたが、それが今度は1週間に1度ではなく毎日である。これが思ったより大変である。とりあえず週末は良しとして、平日は食事の宅配に頼ることにした。ところがこれも簡単ではない。まず午前中に食材が届くが、お昼にそれを食べてしまう。夕食用だから食べないようにと言いおいても忘れて食べてしまう。それも連日にわたってである。

 怒っても嘆いても、次の日には忘れて食べてしまう。やむなく最初の週は毎晩弁当を買う羽目になってしまった。食事の宅配を頼んだのは週3日。家計費の節約も考えないといけない。しかし、始めてみるとこれがなかなか大変。週末に週4日分の献立を考え、食材を買う。土日は当日作って食べ、月曜日の分は日曜日に作り、金曜日の分は前日に作り置きする。届けてもらった食材を食べられてしまうのは昼食がないから。したがって両親だけの昼食も考えないといけない。そうなると、常時食事のことが頭の中を占拠する。

 考えてみると、共働きの主婦はこれを毎日やっているのである。調理の手間暇はそれほどではないが、それよりも献立や食材の調達やらと食事のことを考えることが何より重荷になる。慣れてくればもう少し負担も減るのかもしれないが、今は頭の中を食事が占める割合が多くなって大変である。昼食を用意し、朝、届いた食材を食べないように母に伝え、昼に電話をして食材が届いたことを確認し、食べないように再度念を押す。そしてようやく夕食を確保できたのである。

 仕事が終わって帰宅前に電話をし、ご飯を炊いておくことを頼む。せめてそのくらいの家事はやらないと何もできなくなる気がする。しかし、帰宅してみればご飯が炊けていないということもあった。それすら忘れてしまうのかと絶望的な気分になったが、さいわい温めれば食べられるご飯パックを買っておいたので、それで代用する。怒っても何にもならない。それよりも頼んだことができていない場合を想定して動くしかない。「自分が源泉」の精神を思い出して対応するしかない。

 もはや母親も昔の母親ではない。昔の写真と比べるとだいぶ痩せて背中も曲がっている。できないことを責めても意味はない。できないことを前提にこちらが動けばいいのである。食べてはいけないと怒るのではなく、どうしたら食べられないで済むのか。食べてしまうのは昼食がないからであり、昼食を用意する。忘れるなら面倒でも注意喚起する。それでも食べられてしまうケースを想定して代替案を考えておく。「自分が源泉」に立てばやれることはある。そうしてついに配達された食材で夕食を囲むことができた。ご飯を炊くのは忘れられたが、プランBで対応した。

 『子ども叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの』という言葉がある。自分自身、若い頃と比べれば力が衰えている。ラグビーをやっていれば否が応でもそれを実感させられる。両親の今の姿は27年後の自分の姿かもしれない(35年後くらいだと思うが・・・)。そう思えば、できないことを怒るのではなく、できないことを前提に「どうするか」を考えるしかない。それでできなければそれは親が悪いのではなく自分が悪いということになる。そう考えればイライラすることもない。

 考えてみれば、もう両親と一緒に過ごす時間も残り少ない。それであれば、せめてその間楽しく過ごしてもらいたいと思う。それにできないことを前提に考える「自分が源泉」の考え方をトレーニングするいい機会でもあり、自分自身の修養のためにもいい機会であると言える。両親との限られた残り時間を穏やかに、そして有意義に過ごしたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原 新版(1) ハンナ・アーレント  戦争の思想史: 哲学者は戦うことをどう考えてきたのか - 中山元  夜更けより静かな場所 (幻冬舎単行本) - 岩井圭也




2025年7月28日月曜日

消えていく歴史

 この週末、母と叔母を伴って母の故郷に行ってきた。ここ数年の恒例となっている「万座温泉」+「従兄弟会」である。万座温泉は私のお気に入りの温泉である。標高が高いのでこの時期でも夜は涼しい。温泉に入るのも苦にならない。それにあたりに漂う硫黄臭と白湯が気分も盛り上げてくれる。ラグビーをやっているためにあちこち痛いところがあるが、それがすべて癒える気になる。実際に一晩で良くなるものでもないが、一度数日でいいから湯治なるものをやってみたいと思っている。夜2回と朝風呂と3度湯に浸かり、硫黄臭を体に纏って従兄弟会に臨む。

 今回、久しぶりに会った従兄弟Bは、いつも会う従兄弟Aの兄。私とは14歳離れている。学生時代、我が家に下宿していたのも懐かしい思い出である。そんな従兄弟Bは、久しぶりに会った私の母と叔母に質問攻撃。それは主に母方の家系に関するもの。どうも母と叔母が存命のうちにいろいろと聞いておきたいと思っていたようである。私も聞くともなしに耳に入ってくるまま話を聞いていた。小学生の頃、よく我が家に遊びにきていたおじさんがいた。どういう関係なのかよくわからなかったが、実は祖母の弟だったという事が判明した。

 祖母の旧姓はその地区でよく聞く名前。同じ苗字の方の選挙ポスターが張り出されていたから、その地区での地主だったのだろう。祖母はもともとかなりの美人で、祖父と結婚した時は、悔しがった男たちがかなりいたようで、母もそんな男たちからよく聞かされたそうである。「よりにもよって一番冴えない男(=祖父)と結婚した」と。しかし、伯母2人は若い頃美人だったらしいが、母と叔母はその血を受け継がなかったらしい。叔母も「きれいなんて言われた事がない」と嘆いていたが、贔屓目に見ても確かに「きれい」とは言い難い。

 母がまだ子供の頃、おそらく昭和20年代であるが、風呂は近所で持ち回りだったという。つまり近所内で順番に風呂を沸かし、「今日は◯◯さんの家」という具合に湯に入りに行き、入浴後にその家でお茶を振舞われて帰ってきたという。そういう事実は歴史の教科書には載っていない。まさに生き証人に聞くしかない。叔母は水道が引かれた日の興奮を今でも覚えていると言う。それまでは家の前の川で水を汲み、歯を磨き、風呂に入れて沸かしていたと言う。そんな思い出話は貴重だ。

 祖父は「新し物好き」で、村で一番にテレビを買ったと言う。そのため、近所の人がよくテレビを見に来ていたらしい。そういうと力道山の街頭テレビの話を思い出す。しかし、祖父宅での一番人気は「解決ハリマオ」だったらしい。近所の子供達がみんな見にきていたと言う。1人親の厳しい子がいて、見に行くのを禁止されていたらしいが、そこは子供。こっそり来たのを叔母が招き入れて見せたと言う。そんな話も知られざる埋もれた生活史なのだろう。映画『三丁目の夕日』は昭和30年代の東京の話だったが、そのちょっと前の長野県は望月町の話である。

 私が幼少時代、母親に連れられて訪れた祖父宅は、今はもう見知らぬ他人の家になっている。小さな子供のいる若夫婦の家らしいが、私の記憶にある祖父宅がかつてそこにあり、川から汲んだ水で風呂を沸かし、従兄弟たちと遊び夜は雑魚寝したことなど知る由もないのだろう。それは今私の自宅についても同様で、ここにはかつてアパートが建っていたらしいが、そこに住んでいた人たちの思い出や、アパートが建つ前(田畑?)の歴史もどこかで誰かが記憶しているのだろうが、私が知る事はない。そう考えると、人が変わって歴史が失われていくのも寂しいように思う。

 私が今回聞いた話は、私だからこそ興味深いと言える。おそらく、我が家の子供たちはあまり興味をもたないだろう。母には私の知らない歴史がたくさんあり、それらの大半は母がいなくなればなくなってしまう。歴史の教科書にも載っていないし、Googleに聞いてもわからないものである。そう考えると、そういう話を聞けるのも今のうちと言える。昨日のことも覚えていない両親だが、昔の事は覚えている。もうじき同居する予定であり、一緒に暮らしながらそんな昔話をいろいろと聞き出したいと思う。

 もともと歴史好きではあり、いろいろな歴史に興味を持ってきたが、両親のファミリーヒストリーをこれから興味深く聞き出していきたいと思うのである・・・


Michal JarmolukによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 草枕 - 夏目 漱石  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男




2025年7月20日日曜日

息子と酒を飲む

 長男が生まれた時、ゆくゆくは息子とやってみたい事として二つを思い浮かべた。それはキャッチボールと酒を飲む事である。キャッチボールはどの時点で達成しただろうかと考えると微妙である。まだ幼稚園児くらいの時に家族で公園に行き、よくボールとバットで遊んだ。まだゴムのボールで、手が届くくらいの距離で投げ合ったのはキャッチボールになるのだろうか。個人的には小学生になって少年野球を始めた息子とグローブをはめて軟式ボールでやったのがそれであると考えている。誘うと素直についてきて、投げるボールもだんだん早くなっていった。

 中学生くらいになるともうそんな機会がなくなったが、息子が二十歳になった今年、とうとう二つ目の目標が実現した。ちょうど妻と娘が2人して出掛け、私と息子とが留守番になったのである。好機到来とばかりに「飲みに行くか?」と誘ったところ、「あまり飲めないけど」とついて来た。どこへ行こうかと考えたが、近所で歩いていける「土間土間」がいいという息子の意見を取り入れ、2人で飲みに行った。最近はどこも半個室の席が多い。我々もそんな半個室の席に案内される。改まって2人だけで向き合って座るのも新鮮である。

 大人としてはいつものように「とりあえずビール」と頼もうとしたら、息子は何やらサワーを頼んだ。「そこはビールだろうが」と思うも、初めてのことであるし好きなようにさせる。つまみを自由に頼ませたら、いきなりチャーハンを頼む。このあたりはまだ飲むより食べる方が優先のようである。唐揚げや卵料理は私も好きなので異論はない。半個室とは言っても仕切りなどなく、あたりの酔った人たちの大きな声が響いてくる。居酒屋であるし、静かなところでゆっくりというわけにはいかない。父子2人だけの飲み会は、まわりの喧騒とは裏腹に静かなものである。

 話題は大学の事から始まる。40年前、私が学生の頃は文系の学生は授業に出ないのを良しとしていた。そういう風潮に抗って、私は週12コマの授業に出ていた。ラグビー部の同期はみんな5コマ程度だったから、みんなに変人扱いされた。聞いたところ息子は14コマ出ていると言う。面白い授業もいくつかあるようで、それはいい事だと思う。大学の勉強は将来何に役に立つかもわからない事を学べる贅沢なひと時である。スティーブ・ジョブズのカリグラフィーの授業の話は有名であるが、息子にも授業を楽しめと伝えた。

 息子は中学の時に練馬区が後押ししている制度を利用してオーストラリアに1週間ホームステイしている。その時の経験が強烈だったらしく、英語に対する学習意欲が強い。学生のうちに留学したいと常々言っている。「是非行け」というのが私のアドバイス。私には学生時代にそういう考えがなかったのが残念であるが、息子には是非行ってもらいたいと思う。さらに就職するなら海外大学院へ行かせてくるところを選ぶべしとも伝えた。海外大学院でMBAを取れば社会で生きていく上での武器になるだろう。

 また、起業するならいきなりするのではなく、一旦大手企業に就職した方がいいとも伝えた。私の考えだが、大手企業で3年ほど働けば社会人としての基礎が身につくし、組織というものもわかるようになる。何よりベンチャーにはない「信用」を出身大学と大手企業での就業経験が補ってくれる。それで安泰というわけではないが、私はあまりにも学生時代そういうことに無知すぎたこともあり、息子には知識として教えておきたいと思ったのである。これからどうなっていくかわからないが、「知は力なり」である。「知っている」という事は大きなアドバンテージになると思う。

 息子は母親とは仲が良い。私はどちらかというと自立心が強すぎて親(特に母親)とは距離を取っていた。今その距離を毎週訪問して穴埋めしているが、母親との会話で得られるものは限られている。少なくともビジネスマンとしての基礎知識は私の方が教えられるところである。せめてもの父親の存在感の証として、そういう話は語っておきたいと思うのである。いつかそれが息子が何かを決断する時の役に立てば、それが親父の存在価値だとも言える。初めての息子との飲み会はこんな具合だった。息子は最初の一杯以外は飲まなかったが、それもまた良し。そこは祖父から親父へと続く家系の遺伝を受け継いだのだろう。

 思いもかけず、長年の目標が叶ったひと時であった。しかし、これが第1回。これから折に触れて父子でサシ飲みをして語り合っていきたいと思うのである・・・


Engin AkyurtによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ - 喜多川泰 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹 日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける 豊島 晋作 単行本 O イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男




2025年3月13日木曜日

親父の運転免許証

 父は今年で88歳になった。今のところ特に大きな病気を抱えているわけではないが、やはり年齢によるものなのか、認知的なところで衰えが目立つようになってきた。伝えた事も一晩寝れば忘れてしまうという事は日常である。この冬、家の中でも寒いからと言ってダウンを着ているのを見かねてユニクロのフリースをプレゼントした。温かいしちょうどいいと言ってさっそく着ていたが、翌週行くとまたダウンを着ている。フリースは気に入らないのかと聞くと、その存在を忘れていた。

 昨年は何度も財布をなくした。最初の時は銀行のキャッシュカードやクレジットカード、運転免許証が入っていたので大騒ぎ。キャッシュカードとクレジットカードは喪失再発行手続きを取り、免許証は諦める事にした。翌週、実家に行き、確認すると再発行されたクレジットカードは届いていたが、同じカードが2枚ある。運転免許証もある。よくよく聞いてみると実はなくしていなかったのである。

 その後、また財布をなくしたと言うが、今度は知らん顔をしていた。なくした免許証はどうすればいいかと何度も聞かれ、キャッシュカードも止めたと言う。それがまた次に行くと、「キャッシュカードが使えない」と言う。銀行に停止連絡をしたのを忘れていたらしい。もちろん、なくしたはずの財布も手元にあった。私も幾度か付き添って銀行に手続きに行ったが(その前にも使わなくなった口座の解約手続きがあったのである)、とうとう窓口の担当者に私の顔を覚えられてしまった。

 そんな騒ぎもあり、運転免許証は返納することにした。付き添って近所の警察署に行く。手続きは簡単で、運転経歴証明書が必要なら写真と手数料を持って行けば良い。父もそれを申し込んだ。警察署の担当者は「長い間ご苦労様でした」とねぎらいの言葉をかけてくれた。一律、こういう対応なのか、この担当者が個人的にそうなのかはわからないが、ちょっといい気持になれる対応である。父が運転免許を取得したのは私が生まれる前だから60年以上前という事になる。当時の教習車は(国産車がなかったのか)左ハンドルだったらしい。

 当時、父はたまたま失業中だったという。印刷工として腕一本であちこち渡り歩いており、「何もしないなら運転免許でも取れば」という母の声に背中を押されて取りに行ったそうである。のどかな時代で、教習所で何時間か運転したところ、「あなたはうまいからもう受けに行ったら」という教官の言葉を受け、試験場に行って試験を受けたそうである。今なら教習所も商売だからきっちり30時間以上乗って実技免除資格を取らせるだろう。そんなわけで直接試験場に行った父は、実技も一発合格で晴れて免許を手にしたそうである。

 父は腕のいい印刷工で、どこへ行っても重宝されたらしいが、勤め人だったら自家用車は買えただろうかと思う。幸い、自営業として商売をはじめ、腕がいいからいいお得意さんもでき、おかけで我が家に自家用車がやってきた。それまで車に乗ると言えば親戚の伯父の車に乗せてもらうのが関の山で、我が家に自家用車があるというのは、なんだかものすごく贅沢になった気がしたのを何となく覚えている。父はスカイラインを何回か乗り替え、最後はハリアーと長く日産車を愛用していた。

 70歳で商売を終了し、工場をたたんだ。年金生活に入り、そろそろ運転はやめるべきだと家族は進言したが、運転をやめようとはしなかった。ちょっと心配していたが、最後のハリアーを手放す後押しをしたのは、都内の高い駐車場代だった。さすがに年金生活では無理だと諦めたのである。それでも免許だけは手放さず、5年ごとに更新を続けた。まだ乗る機会はあると思っていたようである。それがとうとう、「もう乗る事はない」と自ら言って、免許更新のタイミングでの返納となったのである。

 自家用車がきたからといって家族で頻繁にドライブに行ったという記憶はない。私も高校ぐらいから家族と行動をともにしなくなったのでよけいである。私が免許を取ると、父の愛車も私が頻繁に借り出すようになった。父はよく愛車の手入れをしていて、いつもぴかぴかだったが、新米ドライバーの私がちょこちょこ傷つけてしまった。父が怒ることはなかったが、今にして思えば申し訳なかったように思う。最後は故郷へ母を乗せて行くくらいが唯一の遠出だっただろうか。

 警察署へ向かう道すがら、「免許証は提出したら返ってこないのだろうか」とぽつりと父が呟く。運転はしないが、免許証は記念に取っておきたいらしい。「穴をあけて返してくれるんじゃない」と私は答えたが、やはり未練は残るのだろうかと思ってみたりした。免許証は簡単な記念のカードケースに入れて返してくれた。もう父が運転する車に乗る事はないんだなと改めて思う。父の運転する車に最後に乗ったのはいつだっただろうか。愛車の廃車を決めた時、最後に父とドライブでもすれば良かったなと改めて残念に思うのである・・・

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

   【本日の読書】
世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之

2024年11月6日水曜日

息子に語りたいこと

 息子が生まれた時、将来いろいろと自らの経験から得た事を教えたいと思った。父親というものはみんなそうではないかと思う。子供の頃は教えと言ってもそれほど大したものではないが、大人になるにつれだんだんと世の中を渡って行くのに必要な事になると思う。人間関係の事やお金の事、結婚や住まいの事や、その他その時々の悩み事の相談などである。自分はと言えば、そういう事を父親とはほとんど話などしてこなかった。それは父も昭和の人間として多忙で余裕がなかった事もあるが、仮に時間があったとしても知識等の面で難しかったかもしれない。

 息子もこの春からいよいよ大学生になった。それなりに自分の考えというものを持っているが、なにせ「経験」という点では圧倒的に足りない。人生始めてまだ19年とちょっと。そのうち少しは大人の思考となると4〜5年程度である。社会人経験37年の私からすればヒヨッコレベルである。いろいろと自分で失敗しながら人生経験を積んでいくところはあると思うが、一度の失敗が取り返しのつかない事になる可能性もある。例えば今気になるのは闇バイトだろうか。

 息子を見ていて病みバイトなどを迷わずにやるような事はないと思うが、何やら興味をもって接近し、住所を教えたところ、「断れば家族に危害を加える」と言われたら言いなりになってしまうように思う。そういう時はどうするのか。そんな時に相談してくれればいいが、たぶん1人で悩むと思う。また、今、自動車の教習所に通い始めたばかりが、車を運転していて事故を起こし、相手に脅されたらどうするか。普通の事故なら対応は教習所でも習うだろう。しかし、世の中には常にイレギュラーが伴う。そんな時、どう判断するのか。

 お金に関してはしっかり教えたいと思う。お金を貸してほしいと頼まれたらどうするのか。今はそんなに持っていないからいいだろうとは思うが、怪しげな取引に誘われたら?そこで知らぬ間に借金を負わされたら?私も学生時代に何かの会員に勧誘され、いい条件だけ聞かされて「これはいいな」と思ったが、最終的になんかおかしいと思ってやめた事がある。世の中、すべてのリスクを網羅して備える事はできない。たいていは話を聞いて自分で判断しないといけない。その時に生きるのが知識を含めた経験値だろう。

 息子は、私よりも人あたりはいいようで、人間関係にさんざん苦労した私などがあれこれアドバイスする事はないような気もする。父親の経験をすべて伝えることはできないかもしれないが、理想的なのは「辞書的」な役割だろう。困った時にその都度辞書を引くようにアドバイスを求めてくれれば役に立てるだろう。ただ、「考え方」などは事前にインストールしておきたいところが大きい。お金も学生のうちはいいが、社会人になれば手にするお金も増えるのでリスクは高まる。私の弟などは50代になってつまらない詐欺にあって大損している

 そんな叔父の失敗はすぐに娘と息子に教えたが、それと言うのも早くからそういう身近な例を教えるのも将来の身を守ることになるかもしれないと考えたからである。騙されるのは仕方がないかもしれない。騙す方も巧妙であるし、私自身絶対騙されないという自信はないが、騙されても被害を最小化する事はできると思う。実際、弟と同じ立場で騙されたとしても、私ならかなり被害額を軽減できたと思う。それは基本的なお金に関する考え方であるので、そういう考え方さえ身につけていれば我が息子も致命的な被害は受けなくて済むと思う。

 いつ、どういうタイミングで伝授しようかと思うも、一度で済ますのではなく、たまに誘い出して一緒にビールでも飲みながら、語って聞かせたいと思っている。息子は嫌がるかもしれないが、そういう親父の人生経験を聞くのもいいと思うし、聞かせたいと思う。今度うまく誘い出してみたいと思う。大学1年ではあるが、もう就職を意識しているようである。それなら少し本を読んだ方がいいと思うし、そのあたりの話もしてみたい。親父よりも少しでも失敗経験の少ない人生を歩んでもらえたらと思う(失敗経験もそれなりに必要だとは思うが・・・)。

 まずは話をする機会をつくる事だろうか。部活にバイトに授業に教習所にと忙しそうな息子だが、うまく誘ってみたいと思うのである・・・



【本日の読書】

ハマスの実像 (集英社新書) - 川上泰徳  アルプス席の母 - 早見和真




2024年8月14日水曜日

娘に時計

 先週末の3連休、娘と買い物に行った。娘はこの春大学を卒業して就職。そのお祝いに何かプレゼントしようと希望を聞いたところ、「時計」という答えが返ってきたので、それを買いに行ったというわけである。就職したのは4月だからずいぶんのんびりした話なのだが、一度買いに行ったところ、娘もどれがいいか決めかね、少し時間が欲しいとなったのである。娘なりにあれこれと調べていた結果、ようやく欲しいものが決まったとなってこの時期となったというわけである。そういうわけで、娘と再度一緒に出掛けたのである。

 出かけて行った先は池袋のヤマダ電機。家電量販店で時計というのも異な気がするが、その品揃えは下手な専門店より充実している。前回は時計専門店を数店回って見たのだが、娘の気に入るものはなく、結局のところ家電量販店に落ち着いたという次第である。商品は各メーカーのものがいろいろとあって、価格帯もそれなりに幅広くある。就職祝いという事で、やはりそれなりのモノにしたいと思っていたが、結果的にはそれなりの価格で、本人の気に入ったものが買えたので良かったところである。予算的にも覚悟していたほどではなく、親子ともに満足であった。

 就職祝いをと思ったのも、これで「子育て」は終わりという自分自身への一つの大きな区切りであり、また社会人となる娘に対する激励の意味もある。資金は私のポケットマネーであるが、どこから出してきたのかと妻に問いただされないかヒヤヒヤしたが、杞憂に終わったのも良かったところである。やはりこういう時のために自由になるお金は手元に置いておきたい。そうした余裕を持てるようになったのも(秘密の収入を確保したからなのだが)、これまでいろいろと努力して身につけてきた仕事の能力の成果だと密かに自負している。

 思い起こせば、私も大学に合格した春に父親から腕時計を買ってもらった。それまで親にあまり何かを買ってもらう(ましてや父親から)という事がなかったから、突然言われて驚いたものである。そうして迷って今でも使っている腕時計を買ってもらったのである。時計を買ってもらったという事以上に、何かその時の父親の思いのようなものを感じて嬉しかったのであるが、自分も父親となった現在、同じ事をしたかったという事もある。娘が今回の買い物についてどんな感想を持ったのかはわからないが、記憶に残ってくれれば嬉しいと思う。

 想定していた予算の半分で済んで良かったのは確かだが、もしかしたら娘も遠慮したのかもしれないという思いもある。実際はどうだろう。支払いを終えた時に娘から「ありがとう」と言われた。それは当然のようにも思うが、ふと思った。その感謝の気持ちはどちらからだろうかと。父に時計を買ってもらい、自分も娘に時計を買ってあげられた。無事に生まれ育って社会人となってくれた。お金は私が出したが、それで娘に時計を買ってあげられたという喜びが得られた。むしろ私の方が感謝したいという気持ちである。

 普段、娘とはあまり話をしない。何を話していいかわからないという戸惑いもあるが、娘の好みなんかもほとんどわからない(好きなアイドルくらいはわかるが・・・)。今回は2人だけで買い物に行き、帰りに2人でフラペチーノを飲み、いつになく充実した時間を過ごせたのも良かった。まだ仕事の愚痴は聞かないが、これからいろいろと大変な事も出てくるだろう。親に何ができるという事もないだろうが、相談くらいには乗れるかもしれない。頑張って人生の試練を乗り越えていってほしいなと思う。

 親父に買ってもらった時計は41年経ってもまだ普通に動いている。私もそれを週に1回はつけて出勤している。娘がその時計をどれくらい使うかはわからいが、同じSEIKOだし、長持ちしていつまでも「父親に買ってもらった」事を覚えていてくれたらいいなと思う。次は4年後に息子が社会人になる(きちんと大学を卒業して就職してほしい)。息子にもやっぱり何かお祝いに買ってあげたいと思う。そしたらもう一度感謝の気持ちを持てるだろう。その時までにまた秘密の資金をしっかり貯めようと思うのである・・・

【本日の読書】
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 - 今井 むつみ



2024年4月5日金曜日

息子との会話

 先週末、私の実家へ息子を連れて行った。受験を理由に正月も行かなかったので、合格の報告を兼ねて連れて行ったのである。両親ともども孫の大学合格を喜んでくれ、少ない年金から合格祝いまで出してくれた。私としてもいい親孝行ができたなと喜ばしく思う。そして、いい息子を持ったとも。何より良かったのは、往復の車中。2人っきりで車中、いろいろな話をした。一緒に住んでいるとは言え、家では普段あまりじっくりと話すこともない。それが今回ばかりはゆっくりと話ができたのである。

 大学に入って何をすべきか、何をしたいか。大学は高校と違って11人の学生の面倒を見てくれない。「4年間で◯単位取れば学位を与える」と言うだけである。サボっても怒られることはない。ただ、単位を取らなければ学位がもらえない(=卒業できない)だけである。ゆえにすべて自分次第である。私の学生時代は、「いかに授業に出ないで単位を取るか」をみんな考えていた。みんなそうして平均週5コマ(1コマ90分)くらいしか授業に出ていなかったところ、私は12コマ出ていた。勉強したかったのである。

 息子がどんな考えを持っているかはわからないが、4年間どう過ごすかはすべて自分次第。いい加減に過ごすのも、いろいろチャレンジするのも自分次第。後から「あの時◯◯しておけば良かった」と後悔しない様、スタートに立っている今こそよく考えてごらんと息子には語った。何より自分の人生である。勉強して合格を勝ち取った自分の大学である。私からは「勉強しろ」とは言わなかった。勉強は人から言われてするものではない。学費は出すので、勉強をする環境は与えられる。あとはそれをどうするかは自分次第である。

 私も自分の大学時代を振り返って後悔はない。あえて言うなら、14コマ、15コマ出たかったということくらいだろうか。しかし、時間は限られているし、勉強だけが学生生活でもない。できる限りのことはやったので、後悔はない。もう一度学生時代に戻りたいかと問われれば、「戻りたい」というよりも、いろいろな経験を積んだ今、「改めて大学で学んでみたい」という表現が正確かもしれない。まだできる可能性もある話だし、将来の楽しみとしてそんな選択肢も取っておきたいと思う。

 息子は第二外国語の選択でスペイン語を選んだと言う。意外な感じもした。私はと聞かれ、「ロシア語」と答えた。なぜと問う息子に、天邪鬼な性格ゆえと答えたが、当時はドイツ語かフランス語かという雰囲気で、最もマイナーな言語を選んだのである。もっとも、第二外国語の選択肢は中国語を加えて4つしかなかったので、息子の大学の方が選択肢は広い。自由に選んでいいと言われていたら、間違いなく選んだのはアラビア語である。これは今でも変わらぬ気持ちである。これもいずれ学んでみようかと思う。

 息子とそんな会話を交わしながらの車中は楽しいひと時。「海外留学も考えてみたらどうか」という私の意見に「そうしたい」と力強く答える息子。私もそういう気持ちがなかったわけではないが、そこまで深く考えずに終えてしまったところ。息子にはいろいろと経験させたいと思う(お金、大丈夫かなという不安はある)。自分がこれから迎えるわけではないのに、息子の4年間を想像すると楽しい気分になる。大学どころか高校にすら行けなかった我が父。今は孫がいろいろな可能性を秘めて大学の門を潜った。父の苦労も実を結んだと言える。

 翻って、会社では新入社員10名を迎えた。自ら企画した社内研修で、これから本格的に社会人として自立していく新人に、自らの思いも加えて話をした。10年後に「あの時に戻ってやり直したい」という事のないように。もしかしたら未来の自分が後悔の念を今の自分に送っているかもしれない。エンジニアは技術職。自らの技術を磨けよと伝えた。どれだけ伝わったであろうか。少しでも多く、伝わったのであればやった甲斐もあろうかというものである。

 いずれにせよ、これからの希望に満ちた若者と話をすることは、自分にとっていい刺激である。自分も人生が終わりではない。まだ先の道のりはある。若者たちに負けないよう、そして後に若者たちの参考になるようなものが残るように、切磋琢磨を続けたいと思うのである・・・

 

paula bassiによるPixabayからの画像

 

【本日の読書】

安倍晋三黙示録 『安倍晋三 回顧録』をどう読むべきか - 西村幸祐 成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ - 宮島未奈





2024年3月24日日曜日

MacかWindowsか(息子のノートパソコン)

 この春、無事大学に現役合格した我が息子。今は入学に向けて準備をしている。その一つとして私にアドバイスを求めてきたのはパソコンの事。今はもうパソコンがないと授業もまともに受けられないようである。大学推奨があって、それはMacBooksurfaceである。「どっちがいい?」と息子が問う。こういう事に関してはママはあてにならない。どこの塾に行くとかどこの大学を受けるとかは私は蚊帳の外であったが、いよいよ親父の出番というわけである。

 私個人であれば迷わずMacBookにするのだが、息子なりに調べてきた疑問に答える。

「就職すると会社ではほとんどWindowsだから今から慣れるという意味でもsurfaceの方がいいのかな?」

「確かに会社ではWindowsだろうが、インターネットはどちらでも同じだし、会社独自に使うソフトはどちらにしても入ってからだから関係ない。ただし、ExcelWordはショートカットキーがマックは違うので慣れないと不便」

総じて私の回答は、「どちらを選んでもそう大して変わりないので好みの問題」(親父の好みはMacBook)というものであった。


 私もデビューはWindowsであった。最初のパソコンの師匠はMac派でMacを勧められたのだが、結局Windowsを選んでしまった。しかし、抑えきれないMacへの想いから、マックへ乗り換えて今に至っている。年賀状ソフトなどWindows専用だったりして確かにMacは不便なところがある。しかし、iPhoneiPadiMacと連動で使えるのは感動的であったし、それほどヘビーユーザーでない私からすると、どちらもそれほど違わない。今では仕事とプライベートとをWindowsMacで棲み分けしている。


 息子はさらにあちこちアドバイスを求め、最終的にはsurfaceに決めた(親父としてはちょっと残念)。その決め手になったのは、「画面をフラットにしてタッチペンを使える」ということ。MacBookは画面を開けて立てた状態で書き込むので使い勝手がイマイチということのようである。まぁ、どちらを選んでも一長一短なわけであり、息子が行く大学の現役学生の利用割合は、surfaceMacBook6:4らしい。どちらでも大して変わらないので、決め手が一つでもあるのならそれで良しである。


 それにしてもそんなにタッチペンを使うのだろうかと思ったが、今は大学の講義はすべてデータで資料提供され、それに独自に書き込んでいくようなのである。つまり、紙のノートはほとんど使わないらしい。私の学生時代は、試験前になると講義ノートのコピーが出回っていて、ラグビー部の同期などは、コピーを手に入れた段階で「もう完璧!」と胸を張っていたものであるが(ちなみに私は授業にほとんどすべて出ていたので他人のノートを借りたことはなかった)、今はデータでサクッともらえるのだろう。


 なんだか隔世の感がある。来週からの大学生活に備えて池袋にsurfaceを買いに行く。価格比較のために寄ったヤマダ電機ではすでにほとんど売り切れ状態。出遅れ感に苛まれながらビックカメラに行くと、拍子抜けするくらい希望のものがあった。さすが我が家御用達のビックカメラ。かくして息子はsurfaceを手にする。果たして息子は来るべき大学生活でsurfaceをフル活用するのであろうか。昔は授業に出ないのがステイタスみたいな雰囲気があったが、私を見習ってしっかり講義を受けてほしいと思うのである・・・


【本日の読書】

ロングゲーム 今、自分にとっていちばん意味のあることをするために - ドリー・クラーク, 桜田直美, 伊藤守  失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫) - プルースト, 吉川 一義