2026年6月1日月曜日

誕生日に思う

 毎年6月は誕生月である。これまでの生きてきた半生を振り返り、などと言えば大袈裟であるが、そろそろ残り時間(それが10年単位であることを望むが)を意識するようになってきている。できれば70歳まであと8年間、今の収入を維持して働きたいと思う。そのあとは「毎日が日曜日」を楽しみたいと思う。70歳を超えた後も個人的には収入のためには働きたくない。しかし、社会との関わりという意味ではなんらかの形で働き続けたいと思うが、そろそろ体力も低下してきており、たぶん70歳くらいになれば気力も衰えて楽をしたいと思うようになっているような気がする。

 今はいろいろな事が心理的な負担としてのしかかってきている。周りで自分よりも恵まれている人の姿を見ると、「なんで自分だけが」という気がしなくもない。特に60代になっても夫婦仲の良いところを見せられたりすると、素直に羨ましいと思う。とは言え、それも自業自得なので仕方がない。他人を羨んでも仕方がない。人はみなさまざまである。仕事でもパッとせず、結婚もせず、私と同じように老親と同居している友人もいる。彼から比べると、私はまだいい方であると思う。

 下を見て満足するのはどうも感心できない、上を見なくてどうするとこれまでずっと考えてきた。それは今でも変わらない。しかしながら、自分が不幸の塊のように思うのも良くないと思う。自分にも恵まれているところはある。その一つは子供である。「一姫二太郎」と言われるが、結婚前から何となく将来は女の子とその下に弟という形で子供が欲しいと思っていた。そしてその通りになった。多額の収入を稼いで今では羨ましい名誉職について日経新聞にも名前が出る友人がいる。でも子供はいない。どちらがいいかと問われれば、子供のいる人生を選ぶ。

 それでいいではないかと思う。この先離婚すれば、家は妻に渡すつもりである。離婚届で妻とは他人になれるが、「子供の母親」という関係は切れない。財産を半分に分けるという選択肢は子供たちから住む家を奪うことを意味し、それはできない。それ以外に渡すお金を考えたら、真面目に「貧困老人」になる危険性が高い。まぁ、ホームレスになって子供たちに迷惑をかけないようにはしないといけない。そのためにはまだまだ稼がないといけない。そんなことを漠然と考える。

 シニアラグビーも楽しくやっているが、やはり年齢を感じるようになってきている。怪我をしてもなかなか治らないし(むしろ慢性化している)、ちょっとした運動でもすぐ筋肉に違和感が漂うし、練習が終わったあとの疲労感は昔より大きい(昔より緩い練習なのに・・・)。頭の中は老いないから、敵がボールを持って走ってくれば勢いよくタックルに行く。しかし、今ではその衝撃に体が耐えられないように思う。なので、自分よりも若い世代(50代以下)とはなるべく試合をしないようにしている。周りは「(あなたなら)大丈夫ですよ」と言ってくれるが、勘違いは厳禁だと自分を戒めている。

 血液の病気が発覚し、今は経過観察中だがいつ悪化するかはわからない。体力には(病気に対する抵抗力も含めて)自信があったが、あっさりそれを打ち破られてしまっている。体力の衰えは気力の衰えにつながるし、「まだまだ」という気持ちは持ち続けていきたい。まずは息子が卒業するまであと2年。それを短期の区切り目標として頑張りたい。そのあとはまた次の短期目標を探すとしよう。あと8年、今の収入を維持して働くには、会社で自分の存在感を出さないといけない。今までのやり方に安住する事なく、常に「これでいいのか、改善の余地はないか」という問いかけは自分にぶつけていきたい。

 ある木登り名人は、弟子が木に登る姿を黙って見つめ、降りてきてあと少しというところで気をつけろと注意をしたという。その理由を問われた名人は、「一番気が緩みやすいところだから」と答えたという。今の自分は「あと8年」というところでそれを感じている。あと8年。健康と仕事での存在感。どちらも維持していきたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 対馬の海に沈む (集英社学芸単行本) - 窪田新之助 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史