毎週末の深夜に映画を観るのを楽しみにしているが、この週末は『異動辞令は音楽隊!』を鑑賞した。その中でとあるシーンが気になってしまった。そのシーンは以下の通り。
①主人公が偶然立ち寄った居酒屋は、同僚の女性の実家。一緒に飲む事になり、そのまま看板になる。②店主である母親はまだ主人公と飲んでいる娘に戸締りを任せて帰る。③主人公は頃合いを見て帰宅する。④帰宅した主人公は認知症の母親がいないのに気づき、近所を探し回る。⑤母親はパトカーで送られて帰宅する。⑥主人公は母親を寝かしつける。⑦そこへ居酒屋の娘が主人公の家に忘れ物を届けに来る⑧母親が起きてきて娘を主人公の別れた嫁と勘違いして「お腹が空いた」と訴える⑨娘は快く料理を買って出て、3人で食べる。
気になったのは時間である。①②では特に明示されていないが、店の看板の時間だからおそらく夜の10時頃だろう(居酒屋であることを考えるともう少し遅いかもしれない)。③では自宅は近くだとしても帰宅するのに30分くらいはかかるだろう(10:30)。④は近所を探し回る時間が短くても30分くらいだろうか(11:00)。⑤⑥では同僚の警官と話をしているし、母親を寝かしつけるのに30分くらいかかるとして11:30。⑦はこんなに遅い時間に訪ねるかという問題は置いておいて、簡単な調理だとしても⑧⑨では12時過ぎという事になる。そんな時間に普通に食卓を囲んで食事をするだろうか(主人公も同僚の女性も飲んだ後で普通に食事をしているのである)と考えてしまった。
映画やドラマを観ていて、おかしいと思うことはよくある。しかし、そんな重箱の隅を突くようなことをしていても面白いことはない。したがって、そういう時は「そういうもの」として観る事にしている。主人公が超人的な活躍をしていても、ありえない偶然に遭遇したとしても、「そういうもの」と思えば何という事はない。しかし、この映画ではどうも上記のシーンに引っ掛かりを覚えてしまい、ストーリーから意識が外れ、あれこれと時間の流れを検証し、上記の結論を得て「どうなんだろう」と考えてしまった。
マーケティングの世界では、「ターゲット」を細かく設定することがよくある。ターゲット顧客について、「二十代後半の女性、働く独身の一人暮らし」などという具合にである。そうして細かくターゲットを設定する事によって、実際の消費誘導行動を具体化しようというものである。どのくらいの効果があるのかはわからないが、ただ万人受けを狙うよりは遥かにいいというのは想像に難くない。結果的にターゲット以外の顧客に売れてもそれはそれ。そういう考え方があるせいか、映画やドラマでも細かい設定は大切なのではないかと思う。
ミュージカルを観に行っても、舞台の端でしっかりと演技をしている端役の人をよく観る。観客の目はあくまでも主人公(または舞台の中央にいる役者)に行っていて、端役などに目を止めている人はいないと思うが(そういう私は観ているわけであるが)、それでもしっかりと演技をする(喜んで手を叩いたり驚いたりする)事によって舞台全体の雰囲気に影響を及ぼしているのだと思う。人が見ていないところ、見えないところにもこだわりを持つ事は芸術などでもよくある事で、それは結果的に全体の雰囲気に現れるものなのだろうと思う。
現に面白い映画やドラマは、そんな細かいところに引っ掛かる事なく、物語の世界に感情移入させてくれる。『異動辞令は音楽隊!』は面白くないとは言わないが、途中で物語の世界から私の意識が外れてしまったのは事実である。途中でばら撒いた細かい伏線をラストで丁寧に拾ってまとめてみせてくれるストーリーなど(東野圭吾の作品などは割とこういうのが多い)は、読み終えて唸らされることがある。『壬生武士伝』だったか、集団での斬り合いの乱戦後、指がたくさん落ちていたというエピソードがあったが、実際は殺陣のような鮮やかな斬り合いなどではなかったと思う。
私が担当する財務の仕事でも、経費予測などは細かくやったりする。ざっくりアウトラインを捉えるのもいいが、私は細かくやるほうである。時間はかかるかもしれないが、結果としてざっくりとしたアウトラインも精度が高まったりする。なので個人的には大事な事のように思う。物語の世界は著者や脚本家が自由に世界を構築できる。それが現実に近ければ近いほど、リアリティが増して物語が面白くなるように思う。面白い映画作りのためにも、そういうこだわりを気にして欲しいと思うのである・・・

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