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2025年8月6日水曜日

群馬県立自然史博物館


 夏休み後半の初日、予定通り群馬県立自然史博物館に行ってきた。『生命の大進化40億年史 古生代編 〜生命はいかに誕生し、多様化したのか』という本に刺激を受けてのものであるが、何でも思った事をやってみようと思っての行動である。幸い、我が家からは関越自動車道に乗って1時間半ほどで行ける。ドライブも楽しむ感じでちょうど良い。のんびりと車を走らせたが、やはり1時間半ほどで着いてしまう。建物の外には巨大なカブトムシのモニュメントがお迎えしてくれる。小さな子供には受けるだろうと思う。

 館内に入れば人類の進化の模型があり、地球誕生から生命の発生が語られる。かなり推測が入っているのだろうが、生命の誕生は本当に奇跡の賜物という感じがする。さまざまな化石が並び、進んでいくと実際の発掘の様子のレプリカが足下に展示されている。安全だと分かっていてもガラスの上を歩くのにはドキドキしてしまう。カンブリア紀から石炭紀の古生代の様子は本の通り。ただ、実際の化石を見られるのは気分が違う。それにしてもモノによっては化石と気づかないで終わりそうな気がする。

 目を引くのは中世代に入ってからの恐竜の展示。巨大な恐竜の迫力はさすがである。いかにも子供が喜びそうなものである。そう言えば我が息子も小学生の頃はこういう恐竜が大好きだったなと思い起こす。地層中の鉱物中の放射性同位体の量を測定して年代を推測するとの事であるが、その方法を発見した人もすごいと思う。そして今度は標準化石から地層の年代を測定する事もあるようで、高校時代の地学の授業を思い出した。つまらない授業だと思っていたが、解説がすんなり理解できるのも地学の授業の恩恵である。

 以前、地球の歴史についての何かを読んだことがある。地球の歴史を1年にしたものである。元旦の午前0時に地球が誕生したとすると、生命の爆発的増加が見られたというカンブリア紀はその年の11月18日頃に相当する。説明によると生命そのものは35億年ほど前くらいに誕生したらしいが、それだと3月末頃。その頃は微生物レベルだったのだろうから、長い雌伏の時を経て様々な生物に進化していったのであろう。ホモ・サピエンスの誕生は12月31日23時40分頃だから、いかに長い時間がかかっているかがわかる。

 目の前に展示されている化石がそんな昔のものだというのも何か不思議な感じである。展示はどうしても恐竜中心になっている。たぶんその方が「客受け」するからだろう。もちろん、恐竜たちも大地を支配していた頃を想像するとそれはそれで生命の不思議を感じさせる。しかしながら、個人的にはまだ陸上に上がる前の生物たちの姿に興味をそそられた。人間とは似ても似つかぬ太古の生物たちであるが、確実にそれらのどこかの系統が陸上に上がり、哺乳類に進化し、そして人類に進化していったわけである。

 短い時間だったが、満喫して外へ出る。「危険な暑さ」と言われる夏の日差しが眩しい。ついでだから富岡製糸場にも足を伸ばそうかと考えていたが、日本の遺産としてはいいが、どう考えても世界遺産としては違和感しかない施設であり、内容もなんとなく想像もついてしまうし、地球の長い歴史に思いを馳せた余韻のまま訪れる気になれなくてやめてしまった。その代わり、田舎の知らない街中を少しドライブしてみたいと思い、高速に乗らずに藤岡までのんびりドライブしてきた。

 若い頃には想像もつかなかった夏休みの過ごし方であるが、今日1日としては十分である。そのうち海外にも再び行ってみようと思う。これからは自由な独り身であるし、楽しみは尽きない。まだまだ初日。残り夏休み後半の5日間を充実して過ごしたいと思うのである・・・




2025年5月12日月曜日

四万温泉旅行記

四万たむら
 ほぼ1年ぶりに母を連れて温泉に行ってきた。もう家族で旅行する事もほとんどなく、せめて年老いた母親を温泉にでもと始めてもう何年経つだろう。今回は、なんとなく耳に入ってきた四万温泉を選択した。母も腰が悪く、あまり長距離の移動は難しいので、東京から近く、それほど負担もなく行けるところという観点で選んだのである。母を温泉に連れて行くというのが当初の目的であったが、最近では私も温泉+美味しい食事という組み合わせにいつしか心を奪われているところもある。

 関越自動車道渋川伊香保インターで高速を降りてひたすら田舎道を走る。この時期、暑くもなく、寒くもない。昨日まで降っていた雨もいつしかやみ、時折日もさしてくる。窓を開けて走ると気持ちがいいことこの上ない。「いいなぁ」と思うも、それは東京から来ているからであり、このあたりに住んだら風景にはすぐ飽きるだろうし、買い物にしても何にしても不便さばかりがあって堪らないのかもしれないと思ってみたりする。こういう田舎の風景は、故郷と同様、「遠きにありて思うもの」なのかもしれない。

 そんな奥まった山の中に四万温泉はある。川沿いというのも温泉郷の特徴かもしれない。そうした四万温泉の「四万たむら」に宿を取る。室町時代創業というから相当な歴史がある。旅館の裏手には田村家の墓があり、代々受け継がれてきているのだろう。隣に四万グランドホテルがある。部屋に備え付けの浴衣には「四万グランドホテル」の刻印があり、どうやら経営は同じであると想像した。おそらく、室町時代創業の由緒あるレトロチックな温泉宿だけではなく、客層拡大のために現代的なホテルを建設したのかなと想像してみる。社員旅行華やかなりし時代にはさぞ賑わったのではないかと想像する。

週末でも寂しい温泉街
 近隣にはかろうじて生き延びているような温泉街がある。宿の女中さんは外国の方が混じっていたし、社員旅行の敬遠、少子高齢化などの時代の波の影響を受けているのかもしれない。宿に着くと食事の前に1人周辺の散策を常としている。腰の悪い母は部屋でくつろぐ。1時間ほどで散策を終えて夕食前に最初の湯に浸かる。温泉に行くと、だいたい3度湯に浸かる。夕食前、就寝前、そして朝風呂である。宿の中は複雑で、7つの湯は館内に分散し、エレベーターを乗り継ぎ、4階で降りて連絡通路を歩いて隣の建物の入るとそこは5階という具合に複雑である。普通の人にはなんでもないが、老齢の母はもう1人で館内を移動できない。

 したがって、部屋から風呂まで送り迎えをしないといけないという手間がある。食堂はいいが、風呂は一緒に入るわけにもいかないし、毎回悩ましい思いをする。今回、とうとう母は迷子になって館内電話でフロントを呼び出して迷子の訴えをしてしまった。普通の感覚ではなんでもないが、年を取るとみんなそうなるのだろうかと思ってみる。部屋も食事も7つの風呂も良かったが、個人的には硫黄臭漂う温泉が好きという事もあり、四万温泉はちょっと物足りなさがあった。この近辺では、今のところ万座温泉がベストである。

 翌日、11時チェックアウトの利点を活かし、母は朝風呂に朝食を挟んで2度入り、温泉を満喫して宿を後にする。そのまま帰ると早すぎるので、近くの奥四万ダムを見学。川を堰き止めてできた人工湖をぐるりと一周する。水がきれいであり、晴天の下、あたりの新緑と相まっての眺めに自然の中で心身がリフレッシュしていく気がする。iPhoneで写真を撮るが、風景というものはどんなに高性能のカメラでも目で見たものを写し撮ることはできないものだと改めて思う。百聞は一見に如かずではないが、自然の景色は自分の目で見ないとダメである。

 名残り惜しみながら四万を後にする。東京にはあっという間に帰ってくる。窓から流れ込んでくる空気は明らかに違う。手軽に往復できるし、毎週末行くという贅沢もしてみたいと思う。ネックは自分で運転すると(特に渋滞なんかがあったりすると)疲れるというところだろうか。海外旅行もいいが、週末は温泉で過ごすという贅沢もありかもしれないと思う。今後の人生の楽しみ方の一つとして候補に挙げたいと思うのである・・・

新緑と濃いグリーンの湖水をたたえた人造湖
下から眺めると迫力ある四万ダム

【本日の読書】
 存在と思惟 中世哲学論集 (講談社学術文庫) - クラウス・リーゼンフーバー, 村井則夫, 矢玉俊彦, 山本芳久 ガダルカナル[新書版] - 辻政信 風に立つ - 柚月裕子




2025年2月13日木曜日

札幌出張

札幌へ出張に行った。私の主担当は財務であるが、人事も担当している。採用も大きなミッションの1つなのである。我が社のような中小企業は、新卒採用ではかなり不利である。知名度は圧倒的に劣り、首都圏の大学では(ゼロというわけではないが)コンスタントな採用はなかなか難しい。勢い、採用は地方中心になる。今回は札幌にある学校を定例訪問し、ついでに内定者との内定式(という名の懇親会)に札幌を訪れたというわけである。時に札幌は雪まつりの真っ最中。インバウンドもあって飛行機とホテルの予約を心配していたが(値段はちょっと高かったが)、何とか確保して札幌入りした次第である。

出張はどうしても効率が悪い。目的(面談)に比して移動時間が多すぎる。今回も先方との面談は約1時間。そのために丸2日間(まぁ、1日は祭日だったので実質1日とも言える)潰れた。仕方がないが、効率云々よりも成果に目を向けるようにするしかない。この時期の面談はさり気なく重要で、2026年の採用戦線への参戦根回しというところがある。それで密かに便宜を図ってくれたりする(例えば会社説明会の日程について優先的に第一希望を通してくれる)のでなおさらである。中小企業はそういう「寝技」も駆使して大手や同業他社に対抗していかないといけないのである。

出張は仕事であって遊びではない。当たり前であるが、以前銀行員時代、「ついでに仕事をする」ために出張する人たちを目の当たりにしていたのでよけいに意識している。その人たちは関連会社に片道切符で出向し、半分銀行員人生を終えたという意識だったからよけいにだったのかもしれないが、「どこに行く?」「何を食べる?」という話ばかりしていた。上に立つ立場の人間がそうだと、下の者はモチベーションが下がる。「ああいう上司になりたくない」というお手本としては良かったかもしれないが、大企業ゆえに遊びの出張費用も問題にはならなかったのだろう。

もちろん、ガチガチのお堅い頭で考えているわけでもない。やる事をきちんとやって、その上で余裕のできた時間で楽しむのは悪くないと思う。今回は、先方の都合でアポは午後も遅い時間になった。午前中に千歳空港に着き、市内に入ったのは昼前。少しゆとりもあったので、ラーメンを食べて雪まつりも見て行こうと考えた。ところが、雪まつりという北海道の観光の目玉ともいう時期。インバウンドと相まって、狙っていた札幌駅近くのラーメン屋は見た事のない長蛇の列。おいしいものは並んで食べるという関西文化に慣らされた私でもさすがに断念した。ラーメンはまたの機会にする事にした。

腹ごしらえだけして向かったのは大通り公園。雪まつり会場となっている場所である。休日の谷間の平日だったためか、覚悟していたほど混んではいない。ニュースで見た事のある雪像がさっそく出迎えてくれる。屋台も出ていて賑やかである。しかし、何か不思議な違和感がある。それは「こんなものなのか」という感覚であった。有名な観光スポットである札幌の時計台は「日本三大がっかり観光地」としても有名であるが、雪まつりにも同じものを感じた。札幌の雪まつりは、青森のねぶた祭り、仙台の七夕祭りと並んで個人的に行ってみたい日本の祭りの1つだったが、「こんなものなのか」であった。

確かに並んでいる雪像の様子はニュースで見た通りなのであったが、イメージはもっと圧倒的に大きなものであったが、実際はそれほど大きくない。もちろん、「北海道庁旧庁舎」などの迫力あるものもあったし、自衛隊の力作もあったが、それはほんの一部。大多数が背丈より少し大きい程度の雪像群で、それはそれでよくできているなと感心したが、そこまでである。何となくそれは近所の神社の夏祭りのような感覚であった。事前の期待が大きすぎたのかもしれない。仕事スタイルで行ったためか、革靴は足元も心もとない。それでもせっかくだからと雪像を1つ1つ見ていたら、見事に滑って転んでしまった。

出張時にはいつも会社と家族に土産を買う。会社はみんなで食べられるお菓子。家族はリクエストに応じるパターンが多い。以前は、「赤いサイロ」やかま栄のかまぼこだったが、今回は「生ノースマン」と「ほたてのスープ」であった。ともに空港で簡単に買えるのがありがたい。「赤いサイロ」は人気が凄くて買うのに苦労したので、簡単に買えるというのは重要なありがたい要素である。それにしてもよく次から次へと見つけてくるなと感心する。アンテナの張り方が違うのだろうが、自分ももう少し各地の名産品に興味を持ってもいいかもしれないと思ってみたりした。

夜は内定者との懇親会。他の企業は内定式なるものをやっているところがあるらしいが、我が社は実施せず。その代わりの懇親会である。4月から東京での新生活を控え、期待に溢れている感じがした。初々しくて好ましい感じを受けたのである。下手に格式ばった内定式よりもいいのではないかとこのスタイルを続けている。春から一緒に働ける事を頼もしく感じた次第である。学生時代、北海道へラグビー部の仲間と旅をした。その時は、最後の夜はすすきので大人の遊びをしたが、さすがに今はもう面倒でまっすぐホテルに帰って映画を観る方を選んだが、この過ごし方も出張時の楽しみの一つになっている。

これから、沖縄、新潟、鹿児島、そして再び札幌と採用活動の出張が続く。ビジネスは結果が大事なので、何より結果を求めたいと思う。「ついでに仕事をする」出張なら行きたくないというのが正直なところ。「成果を挙げたついでに」その土地の食べ物やお土産を買うことを楽しみたいと思う。採用活動に終わりはなく、成果とともにその旅を楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ユニクロ - 杉本 貴司  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎



2020年3月25日水曜日

伊香保温泉

先週末、母親を連れて伊香保温泉へ行ってきた。「腰が痛い」と常々もらしている母親は、温泉に入ると痛みが和らぐらしく、暇を見ては近場の温泉に連れ出しているのである。伊香保温泉は、東京からだと関越自動車道で2時間ほど。気楽にちょっと「温泉に入りに行く」ことができる。春のお彼岸の三連休ではあるが、世の中はコロナ騒動でみんな出かけることはないだろうと、得意の逆張り発想で予約を取った次第である。ガラガラの温泉宿なら、かえって通常以上のサービスをしてもらえるかもしれないという期待があったのも事実である。

森秋旅館
ところが、道路は渋滞だらけ。都内から抜けるのに一苦労。関越の渋滞はそれほどではなかったが、予約していた森秋旅館に着いてみれば結構な賑わい。意外に思って尋ねてみれば、外国人や団体客はキャンセルとなったが、個人客はほとんど変わらないという。移動制限がされた外国人は仕方がないし、団体客は建前上中止せざるを得なかったが、個人ベースでは関係ないと皆さん考えての行動だろう。ちょっと思惑が外れたが、宿にとっては良いことだろうから良しとしたい。

伊香保温泉は銀行員時代の店内旅行で何度か来た記憶があるが、宿泊したのか通過したのかは覚えていない。ただ、有名な石段街を散策した時、「ああ、来たことあるな」と改めて思った次第である。暇に任せて周辺をブラブラ歩いてみたが、石段街を外れると潰れた旅館や店舗がそのまま放置されていて「寂れ感」はどうしようもなく強い。そんな中でも射的の店舗が何軒かお客さんが入っていて元気そうだった。今の若者にはかえってレトロ感があってウケるのかもしれない。あとは老舗らしき温泉饅頭のお店である。
石段街

 ストリップの看板を見かけたが、今も営業しているのだろうか。その昔は社員旅行なんかで賑わったのだろうと思う。浴衣を着た大勢のサラリーマンがワイワイ言いながら行き交ったのだろう。今の時代だと、ストリップなどに大手を振って行こうものなら女性社員からセクハラ扱いされるかもしれない。自分が店内旅行に参加したのはもう30年くらい前になるが、とてつもなく嫌だったのを思い出す。今の時代には確実に受け入れられないだろうし、それゆえに温泉街も寂れていくのかもしれない。

 こうした温泉街がかつてのような輝きを取り戻す方法はあるのだろうか。団体客はもう復活はしないだろうが、外国人客と我々のような個人客だろう。外国人なら温泉街の雰囲気を売り物にするのもいいかもしれないが、日本人なら「観光地」というよりも「身近な温泉」というあり方がいいように思う。ただ、旅館のお湯はちょっと温めであり、硫黄臭もそれほどではない。濁っているところは温泉ぽかったが、硫黄臭がそれほどではなかったのがちょっと残念であった。

 それにしても、と思う。旅館独自のサービスというものを改めて考えてみた。到着してフロントで受付をする。部屋に案内してもらって一通りの説明を受ける。ここまではホテルでも同じ。食堂が一杯だったらしく、食事は部屋食であった。担当者がついてくれて料理の説明とともに配膳してくれる。ホテルで言えばルームサービスだろうが、部屋で食べる和食もなかなか風情がある。そして布団を敷きに来てくれる。外国人であれば興味津々かもしれない。注ぎ込まれる湯の音を聞きながら、露天風呂にゆっくり浸かるのもなかなかの風情である。ホテルもいいけど、旅館もやっぱり風情がある。

伊香保神社
 母は合計4度温泉に浸かり(夕食前、就寝前、起床後、朝食後)、満足そうであったから何より。石段街を軽く散策して伊香保神社に参拝。老舗の大黒屋本店で温泉饅頭を食し、食の駅でご近所へのお土産を買って岐路につく。帰りは関越自動車道で2時間ちょっと。やっぱり距離的には近場の手軽な温泉であることは間違いない。帰宅して感想を聞いたところ、母としては「(昨夏行った)万座温泉の方が良かった」とのこと。次はまた夏に万座温泉に行くことになりそうである。

 あとどのくらい母を温泉に連れていけるかはわからないが、このペースで頑張って連れて行きたいと思うのである・・・

眼下に望む伊香保市街


【本日の読書】
 21世紀の啓蒙 上:理性、科学、ヒューマニズム、進歩 - スティーブン・ピンカー, 橘 明美, 坂田 雪子 慈雨 (集英社文庫) - 柚月裕子




2019年12月8日日曜日

熱海

両親を連れて熱海へ行ってきた。腰の悪い母親は、温泉に入ると腰の調子が楽になると日頃からつぶやいているので、夏に引き続き連れて行ったという次第である。と言っても、あまり遠出はしたくないというリクエストもつき、ならば東京周辺で気軽に(日帰りでも)行ける熱海に白羽の矢を立てたのである。熱海といえば、かつては新婚旅行のメッカという時代があったとかすかに記憶に残っている。今ではすっかり昔の話である。

実際、熱海は近い。東京からだと新幹線で40分ほど。東海道線の快速アクティーでも1時間半ほどである。ただ、今回は実家から車でであった。車の場合、距離的な問題の他に渋滞という問題もある。行きは第三京浜から横浜新道を抜けるルートであったが、やっぱり渋滞があって、カーナビでは2時間ほどと表示されていたが、実際は3時間ちょっとかかってしまった。

熱海は実は過去にももう何度も行っている。と言っても、正確にいえば「通過している」という言い方が正しいかもしれない。市街を抜ける海岸沿いの国道はもうすっかりおなじみの風景である。途中には『金色夜叉』のお宮の松がある。『金色夜叉』と言っても読んだこともないし、特に何か感慨深いものがあるものではない。しかし、熱海海岸での別れのシーンがこうして皆の記憶に残っているということは、当時としてはかなりインパクトのある内容だったのであろう。

 ふと思いついて両親に新婚旅行のことを聞いてみた。両親は『三丁目の夕陽』の時代である昭和34年にそれぞれ22歳同士で結婚している。当時、やはり熱海は新婚旅行のメッカであったらしいが、両親は伊豆と今井浜とで2泊しているらしい。母によれば、「私は天邪鬼だったから」熱海にしなかったという。私の天の邪鬼は母親から来ているのかもしれない。親父の怪しげな記憶では伊豆は「伊豆山」だったと言うが、伊豆山は熱海なので、記憶違いの可能性が高い。ちなみに今回泊まったのはその伊豆山である。

当時は熱海までは鉄道だったが、そこからは砂利道をバスだったと言う。当時はまだ行くだけでも大変だったのだろう。新婚旅行となればそれだけでのぼせ上がっているだろうから、道中も苦ではなかったかもしれない。もう60年の前の話であるし、市街の様子も変わっているだろうし、まだ「遠かった」時代の熱海はどんな様子だったのか興味深いところがある。私の場合、新婚旅行は「天国に一番近い島」ニューカレドニアであったことを考えると、いい時代に生まれたと強く思う。

母は、温泉の常であるが、ホテルに着いた直後にまず湯に入り、夕食後の寝る前に一度、そして朝起きてすぐと三度湯に入る。今回もたっぷりその通りに温泉を堪能。それに対し、父は一度のみ。そして私は母に習い三度温泉に浸かった。夕食・朝食ともにバイキング。母は普段とは見違えるような食欲を見せる。腰の痛みも消えたと喜び、わざわざ温泉に誘った甲斐があったと私も嬉しく思う。

「温泉だけ入れればそれだけでいい」と言っていた母も、翌日せっかく天気もいいしと言うことで、箱根を回って帰ることにした。寄ったのは箱根の関所。ここでは当時の関所が再現され、資料館もある。関所破りで死罪になった記録もあり、移動が制限されていた時代の不自由さを感じる。熱心に見ていた父は、ポツリと「自由でいい時代に生まれてよかった」と呟く。ニューカレドニアでなくても、伊豆への二泊三日の旅行でも昭和の時代だから行けたとも言える。何を基準にするかで、人の幸福度も変わってくる。

今は熱海に新婚旅行などと言うと、「何か事情があるのだろうか」と勘ぐられてしまいそうだが、60年前はまだそれが幸せな時代であったわけである。日本もまだまだ広かった時代。それに対し、今は熱海はちょっと気軽に温泉に入りに行けるところになっている。そんな時代だからこそ、また気軽に両親、特に母を温泉に連れて来てあげたいと思う。それが「いい時代」に生まれた特権である。「いい時代」を堪能したいし、してもらいたいと改めて思うのである・・・




【今週の読書】
 小さな企業が生き残る - 金谷 勉 時短の科学 - 内藤 耕




2019年8月5日月曜日

万座温泉

昨年の夏休みに母を連れて草津温泉へ行ったが、今年は万座温泉を選んだ。なぜ万座温泉かと言えば、そのあと従兄弟に会いに行く予定があったため、近い地域ということがその1つの理由であるが、もう1つの理由は、「過去に行った温泉で最も温泉らしかった温泉だったから」である。もう20年近く前になると思うが、銀行の元同僚らとスキー旅行に行った時の記憶が強く残っているのである。
 
 当時はスキーが目的であったため、温泉に対しては予備知識ゼロであったのであるが、乳白色のお湯に不用意に浸かり、結婚指輪が真っ黒になって驚いたものである。建物から外を通って部屋へ戻るのだが、タオルがたちまち凍ってしまったのも驚きであった。そんな「原体験」があったがゆえに、もう一度行ってみたいとなったのである。できれば当時泊まった温泉旅館と思ったが、もうその名前は記憶になく、やむなく選んだのが「万座ホテル聚楽」である。

白糸の滝
 北軽井沢から鬼押ハイウェー、万座ハイウェーと有料道路を通って登って行く。有料道路と言っても良いのは景色ぐらいという程度の道路(でも建設は大変だったのだろうから有料もやむなしなのだろう)を通る。途中に自然遊歩道なんかがあるからちょっと車を止めて楽しむのも良い。林の中は気温も低く東京の災害的な暑さから逃れてきた身としては誠に涼しく、ウグイスの鳴き声が木々の間によく響き渡り、川のせせらぎとともに心地よく心身ともにリラックスできる空間である。久しぶりに訪れた白糸の滝のあたりはご時世なのか中国語が飛び交う。

所々の禿山は硫黄の影響か?
 そんな林間コースを抜けて万座温泉に入ると、途端に硫黄の臭いが車内に入ってくる。禿山も目につくようになるが、硫黄の成分の影響なのだろう。なんと標高1,800メートル。真夏に温泉といっても、あたりは涼しいので気にならない。肝心のホテルであるが、ホームページによると3つの魅力「PH3.2乳白色の高濃度硫黄泉」「標高1,800ⅿの食彩」「広々洋室から寛ぎの和室まで」を歌っている。しかし、残念ながら満足できたのは温泉だけであった。

バイキングの夕食は、グルメの妻に鍛えられた身としてはそれほどでもなく、部屋もよかったのは広さだけ。温泉効果もあったのだろうが、夜中に暑くて目が覚めてしまったが、部屋には扇風機しかない。エアコンがないのは「必要ないから」という理由を後で聞いて納得したものの、寝られない暑さの中で我慢しきれず窓を少しだけ開けて寝たが、外気はあまりにも涼しく風邪を引くかもしれないとおっかなびっくりであった(それでも適度に冷えて朝までなんとか寝られたのである)

絶景露天風呂
自慢の絶景露天風呂は自慢するだけあり、なかなかのもの。明るいうちは自然と一体化した気分に浸れるが、夜は真っ暗な闇が眼前に広がり、ちょっと恐怖感を覚える。一方で、晴れていればまだしも、曇っていたため星が見られなかったのが残念極まりなかったものである。それにしてもあかり1つない闇を見ていると、昔の人がその中に恐怖を見たのもよくわかる。ドラキュラや狼男が昼間に現れない理由もよくわかるというものである。闇夜は、昔の人に自然と恐怖を起こさせたのであろうことが容易に理解できるのである。

チェックイン後と夕食後、そして朝食前と例によって三度入浴。体からは硫黄の臭いが滲み出る。ここのところ感じていた右肩の痛みや、騙し騙しラグビーの練習をこなしていたかかとの痛みもなんだか和らぐ。普段、腰の痛みを訴えている母も温泉に入ると痛みがなくなりよく寝られると喜ぶ。まぁ、自分のことより年老いた母親が喜ぶ姿が何よりである。子供達も妻とも休みのスケジュールが合わず、今年も家族バラバラであるが、それはそれで良いかもしれないと感じている。

翌日は従兄弟と深夜まで飲み明かす。昼間は寂れた地方の町なのに、夜は全盛期の昭和の雰囲気を残したスナック街もなかなか良い雰囲気。就職した頃は、仕事帰りにスナックに連れて行かれ、みんなで騒ぎタクシーで帰ったものだが、最近はそんなこともなくなってしまった。美人ママさんに適度におだてられ、ほろ酔い気分でホテルに戻る。まるでタイムスリップしたかのような「昭和の夜」を満喫する。こういう夏休みもまた良しではないかと思う。

 今は亡き祖父母と御代田の叔父叔母の墓参りをし、災害的な暑さの東京に戻る。まだ夏休みは残っているが、しばし余韻に浸りたいところである。また来年も同じパターンの休みがいいかもしれないと思う。そのうち海外旅行に行きたいとも思うが、いろいろ将来に楽しみを残しておきたいと思うのである・・・




2013年9月23日月曜日

小田原ツアー

 3連休の中日。
やっぱり家でゴロゴロというのも具合が悪い。と言う事で、以前息子が行きたいと言っていた小田原城見学に行く事にした。息子は、今歴史モノにハマっていて、特に戦国時代から江戸時代にかけての歴史に興味があるようである。今年に入ってNHKの「八重の桜」を毎週観ていて、城としては会津城の方に興味を惹かれているようであるが、今回は小田原にした。

 それに対し娘は、城などに興味はない。興味があるのは、グルメ。息子ばかり優先するわけもいかず、食べる方も探さないといけない。と言っても、実は我が家は食べ物に関してはグルメのママが黙っていても探してくるから悩む必要はない。そして選ばれたのが、「かまぼこの里」

 ここはかまぼこの鈴廣が運営しているようで、かまぼこ博物館があったりして、時間を潰せるようになっている。その見学と「えれんなごっそ」というバイキングレストランでのランチで、娘と妻の方は満足。そして息子は小田原城。
そういう段取りであった。

 しかしながら、物事は必ずしも予定通りに運ぶとは限らない。ある程度予想していたとはいえ、それ以上の渋滞が予定を狂わせる。自宅から小田原まで、順調に行けば車で2時間弱。プラス1時間を加えて考えていたら、さらに1時間余分にかかる。さらにレストランはランチのピークタイムで、ここでも待ち時間が発生。結局、これで「見学」タイムは消失してしまった。

 バイキングレストランは、やっぱりかまぼこが豊富。一応地産地消という謳い文句はあるが、あまり意識せずに食べる。あれもこれもといつものように食べる。そしてビュッフェではいつもそうであるように、食べ過ぎてしまう。

 気がつけば、のんびりしていると小田原城も見学が終わってしまうという時間。急いで小田原城へ向かい、天守閣へと登る。と言っても、遥か聳え立つというものとはほど遠く、実にこじんまりしている。かつては難攻不落と言われ、豊臣秀吉も簡単には落城させられず、長期戦覚悟で北条氏討伐を行ったと言われているようなイメージは受けない。
 息子もそんな感覚を持ったようなのであるが、城というものは天守閣だけではない。周りに水を満たした堀があって、門がある。そこから次の門は、向こう側にあったりと入りくり、まっすぐ天守閣には進めないようになっている。いわば、全体が一体となってはじめて防御陣地としての城になるというような事を息子に説明する。

 それでも天守閣に登れば、眺めは格別。足元には新幹線も通る小田原駅があれば、山々も見えるし、太平洋も一望できる。昔の人が今のこの眺めを見たら卒倒するかもしれないと思ってみたりもする。豊臣秀吉がこの城を包囲したのは、天正18年(1590年)。同じ天守閣から時の城主である北条氏直は、包囲する豊臣方の大軍を見ていたのであろう。絶望的な気分だったのかもしれないが、423年後のこの景色は想像もし得なかっただろう。

 肝心の長男は、そんな鑑賞よりも刀などのお土産の方が気になったようである。展示物もいろいろあったのであるが、あまり興味をそそるものはなかったようである。あっという間の閉館時間。本当は、「ヨロイヅカファーム」なるところへスイーツを食べに行く予定だったのであるが、さすがに昼の食べ過ぎが効いて、誰からも希望は出ず、今回は素直に帰路につく。

 それにしても往復の渋滞はさすがにくたびれる。何か対策はないものかと思うが、みんな考える事は一緒だから仕方ない。考えてみれば、グルメも城も家族の楽しみであるが、パパの好みはどこにも入っていないなぁと今さらながら思う。まぁそれも仕方あるまい。
みんなの笑顔がパパの希望。それで我が家が平和なら、それで良しとしようと思うのである・・・
   


2013年8月2日金曜日

2013サイパン旅行記~観光客編~

 その昔、友人と大学の卒業旅行でオーストラリアに行った
あちこちで景色の写真を撮るたびに、その友人は「日本人が写る」と腹を立てていた。
それほどどこへ行っても必ず日本人がいたのである。
サイパンなど、日本人だらけだったと聞いている。
そんな話も今は昔。

 今回サイパンに初めて行って感じたのは、「中国人だらけ」という印象だ。統計を取ったわけではないが、皮膚感覚では日本人より多いのではないかと感じた。耳に入ってくる言葉を聞けば中国語だというのはわかるが、それが北京語なのか広東語なのかまではわからない。だから中国人と言っても、本土以外に台湾人も混じっていたかもしれない。

 そしてその次に多かったのが韓国人。ホテルでもビーチでも、中韓に圧倒された感じであった。さらに意外なのがロシア人。白人系は、やっぱりアメリカだからアメリカ人かと思っていたが、よくよく聞き耳を立ててみるとロシア語を話していた。モスクワなどからだと距離もあるが、ハバロフスクなど極東なら距離的にもそんなに遠くない。伝統的に南進の歴史のある国だから、案外手頃な観光地なのかもしれないと感じた。

 そんなわけで、プールサイドでは、中国語、韓国語、ロシア語に地元の従業員が話すチャモロ語、さらに関西弁が混じってなかなか国際色豊かであった。プールサイドでは国際色豊かでも、DFS(免税店)へ行くと中国一色である。中国人はわりと家族単位で来ているようだが、免税店では数で圧倒。私も時計に興味を惹かれて寄って行ったが、10万円以上の高級時計のショーケースの前は中国人グループに占拠されて近寄れなかった。

 まぁ別に支障はなかったのだが、店員さんも中国系で、お互い中国語でやり取りをしている。今回あちこちで、「ジェットスキードウ?」「マッサージ、ヤスイヨ!」とカタコトの日本語で話しかけられたが、それらが中国語に変わるのもそんなに遠い未来ではないと思う。

 いろいろ観察していると、韓国人はカップルで来ている人が多いようだった。恋人同士なのか夫婦なのか、子連れの若い夫婦も含め、大概が若いカップルだった。中国人はその外見で大体それとわかる。ファッションが日本人と違う(特にメガネとヘアスタイルはすぐわかる)というのが一番であるが、その点韓国人は見かけで判断するのが難しかった。大陸系の顔立ち以外ではちょっと見分けられない。それだけ韓国とは距離が近いのかもしれないと思われた。反韓人を公言して憚らない私であるが、いろいろ観察してみると、実際会話でもしたら反韓の印象が変わるかもしれないと、なぜだか漠然と感じたのである。

 中国人はファッションの相違に加え、態度も気になった。レストランでもDFSでも、「金持ってるんだぞ」という雰囲気を醸し出していた。まさに田舎の成金という感じだ。それらは見ていてあまり気分の良いものではない。ただ考えてみると、かつての日本人もそうだったようだし、「中国人だから」と決めつけるのは良くないだろう。そういう姿を見て、日本人も自らの態度を省みる必要があるだろうし、「人の振り見て我が振り直す」良い機会なのかもしれないと思う。

 かつて日本人ばかりと嘆いた友人Kだが、今のサイパンを訪れたら何と思うだろう。たぶんこの傾向はもっと加速するような気がする。もしも溢れかえる中国人旅行者に不快感を抱くとしたら、それはそのままこれまで日本人が与えてきたものかもしれないと思った方がいいのだろう。

 仮にもしも中国人旅行者がもっと増えて、我々日本人の肩身が狭くなったとしても、そうなったからと言って何も嘆くほどの事はない。周りがどうであろうと、自分達の旅を楽しめば良いだけの事だ。時折見かけたロシア人旅行者たちは、実に悠然と過ごしているように見えた。我々もまたそれを見習って悠然と過ごせば良いだけだ。我が物顔に札びらを切って大きな顔をするのではなく、地元の人に愛される旅行者になるように振舞うべきなのだろう。

 今回の旅行を通じていろいろと思うところも多かった。我が家もそんな旅行者になれるよう心掛けたいと思うのである・・・
    




2013年8月1日木曜日

2013サイパン旅行記~飲食編~

 旅行の楽しみの一つは、現地での食事。
我が家はただでさえ、「生きる事は食べる事」という信念の持ち主が二人もいるから尚更なのだが、そういう私も昔から旅先での食事は楽しみにしていた。
それも思いっきりローカルな食事である。

 その昔、独身時代にシンガポールや香港、マニラなどへ遊びに行ったし、結婚してからもセブ島、バリ島などローカルの人しか行かないような店に行くのが大好きだったものである。それは今でも変わりない。今回もいくつか行ってみた。


At the Park

 朝食で2回行ったのは、“At the Park”という、その名の通り記念公園に面したカフェ。店内には地元のおじさんが新聞を広げていたり、何やらパソコンを開いていたりする人たちがいる。パンケーキやハンバーガー、オムレツなどの食事が飲みモノとともに提供される。

 例によってアメリカンサイズで大きいから、大人二人子供二人の我が家では3プレートで十分であった。コーヒーはスタバのようなスペシャリティコーヒーが種類も豊富。ただ、チョコレートラテはめちゃくちゃ甘過ぎて閉口した。

 昼に行ったのは“Shiery’s”。ここも店内の客は、地元の人が大半を占めていた。大皿にどさりとライスが盛られ、チキンなどの料理がつくプレートが目につく。ここも3皿(娘はワンタン麺だった)で間にあう。日本の米とは違うが、ちょっと細身のアジア米のガーリックライスで美味この上なかった。




Coutry House
 夕食で行ったのは、“Country House”。ここはステーキ店。やはりアメリカと言えばステーキ。店内にはジョン・ウェインやインディアンの写真が飾られ、西部の雰囲気。サイパンで西部かと言うなかれ、やはりアメリカの一部には違いない。そのステーキも、最小の225グラムで十分。付け合わせのいんげんやニンジンやポテトも美味で文句なし。ビールはもちろん、バドワイザー。スーパードライもあったが、ここでそれを飲むのは無粋というものだろう。


 最後の夜に行ったのは、“Bobby Cadillach”。ここはハンバーガーとピザとその他のローカルフードのお店。ここではハンバーガー&ピザを堪能。普段、マックのハンバーガーを食べ慣れていると、パンにハンバーグとオニオンとピクルスを挟んだだけのシンプルさが新鮮。ケチャップをたっぷりかけてかぶりつく。味も美味。飲みモノをオーダーすると、缶のまま出てくるところが何とも言えない大雑把な味わい。

 今回もホテルのレストランは結局一度も利用しなかった。街中をブラブラ歩きながら、レストランを訪ねて行って食べるのも旅先ならではの味わいというもの。それにしても、価格面ではほとんど国内と遜色はない。毎食ごとに30ドル程度かかるし、ステーキなどは150ドル近くかかったし、やっぱり経済的にも旅先のみの楽しみというところだろう。

 基本的に支払いはカードを利用した。来月には請求が回ってくるだろうが、それまでは楽しい余韻に浸っていたいと思うのである・・・

Bobby Cadillach
 
 
 
 

2013年7月31日水曜日

2013サイパン旅行記

 夏休みに突入し、今年の我が家はサイパンへ行ってきた。基本的に我が家は、「南の島でのんびり」を旨としている。これまでグアムには二度行っているため、今年は少し趣向を変えて行き先をサイパンへと定めたわけである。当然、南の島はもっといろいろとあるわけであるが、そこは恥ずかしながら経済的な事情も加味されているわけである。

フィエスタ・リゾート&スパホテル 
 早くからJTBのツアーに申し込み、宿泊はフィエスタ・リゾート&スパ/サイパンにした。部屋へ入ってみると、窓から海が一望できるし贅沢を言えばキリがないので、まずまず満足な水準。着いた翌早朝、一人浜辺を散策。初日の予定が空白だったため、どう一日を過ごすかプランを立てるための準備である。大黒柱も楽ではないのである。

朝の空気に触れ、白い砂浜の感触を楽しむ間もなく、「社長サン!」と随分古典的な呼び掛けに会う。「ジェッスキー、ドウ?、バナナボートイイヨ!」と現地のチャモロ人なのだろうか、真黒な顔のおじさんに話し掛けられる。

 滞在中、ビーチを歩けばこの呼び掛け、街をあるけば「マッサージ」と何回声を掛けられただろう。残念ながら、我が家のニーズとは合わず、すべて辞退した。日本人の人の良さであろうか、何だか断るのも忍びないのであるが、わずか20分程度のアクティビティに家族4人6,000円の価値は見出せなかったので仕方ない。これが600円なら、笑って付き合っただろうと思うが、物価は総じて日本より高目の観光地価格なので、シビアに選別せざるを得なかったのである。

 それはそれとして、ホテルの目の前に広がるビーチにはまず満足。翌日行ったマニャガハ島の透明度からは比べるべくもなかったが、それでも日本本土の水準からすれば遥かに透明。浜辺で遊ぶ子供たちを尻目に、ビーチチェアーに夫婦で寝そべり、青い空に眩い陽の光をヤシの葉が遮る下で、潮風に頬を撫でられながらまったりとまどろむ贅沢・・・


マニャガハ島
 今回の目玉の一つが、子供たちとのシュノーケリング。目の前を魚たちが泳ぐ様を見る機会はそうやたらに作れるものではない。マニャガハ島は、我々が泊まったフィエスタホテルのビーチからすぐ沖合に浮かぶ孤島で、船で10数分で行き来できる。ここに簡単な施設が作られ、利用者が様々利用できるようになっている。

着いてすぐにがっかりさせられたのが遊泳ゾーン。せっかくの島を囲む海なのに、狭い一画を区切られ、そこで遊泳するようにと指導される。狭い区画にたくさんの人が泳ぐせいか、魚もそんなに見られない。やむなくボートシュノーケリングのオプションを申し込む。島の沖にモーターボートで移動し、サンゴの海でシュノーケリング。そこはさすがに文句なく、水深も3メートルくらいあって、目の前に広がる海の中の世界に子供たちも狂喜していた。

 その遊泳区画であるが、よく見ればその他のところでも中国人らしき一群が泳いでいるのを発見。ならばとそちらに移動して、おっかなびっくり海に入る。そこは波も強く、かなり流されがちであるが、なんと珊瑚が広がっていて魚たちの種類も豊富でシュノーケリングにはむしろこっちの方が良い事が判明。

 よくよく観察してみれば、「ライフセイバー不在」との看板は出ていたが、「遊泳禁止」とはなっていない。たぶん日本的な感覚で、好きなところで観光客に好きな事をさせて、万が一の事があった時の責任やら何やらを考えて、安全な囲いの中に「誘導」したのであろう。当然十分な情報提供はして欲しいが、基本的には自己責任だし、必要以上に安全性優先で知らぬうちに楽しみを奪われるのは堪ったものではない。子供連れだし無茶はいけないが、考える力を失うと自分で判断できない羊になってしまうだろう。

 その他にも到着時には既にチェックインが済まされていたし、帰りの時間は朝少し早かったが、なんと頼みもしないモーニングコールをかけてきたりと、サービスとよけいなお世話が混合。予定よりも早く起こされて腹が立った事もあり、担当者にやんわり注意しておいたが、あまり至れり尽くせりというのも考えモノだ。JTBあたりは、何でもかんでもお膳立てし過ぎるきらいがある。高品質を支える「メイド・イン・ジャパン」の発想なのだろうが、海外旅行は多少「不便を楽しむ」くらいでちょうど良いと思うところである。

 まぁそれはこちらの心掛けにもよるところがあるだろう。便利は便利で利用させていただいて、自分で判断する部分はしっかり残しておけばいいのだと思う。満足いくサイパンの旅であったが、来年はハワイへ行きたいと密かに思うのである・・・
    



2011年8月2日火曜日

沖縄2011

今年の夏季休暇として沖縄に行ってきた。
家族で行くのはこれが3回目。
前回は2007年だったから、4年振りという事になる。
前回は小学校1年と2歳だった長女と長男も、4年経って少し成長しての再訪となった。

今回はホテルを南部に取り、美ら海水族館だけは本島を北部へ移動して行ってきたが、それ以外は南部を中心に行動した。最終日は那覇市内のホテルに一泊し、有名な国際通りにも初めて足を運んだ。
沖縄と言ってもそれなりに広いから、3回目とはいえ、初めてのようなものだ。

最も子供たちにとってはホテルのプールで遊ぶのが楽しくて、それだけで満足してしまう。
それだと家にいてプールだけ行っても良いのではないかとさえ思ってしまう。
まあそこがまだ子供なのだろう。それでも新原というビーチへ行って、シュノーケリングでお魚さんたちを直接見たのが一番印象深かったと言ってくれたから、まあ親としても良しとしたい。

28日の夜には流星群が見られると言う事で、ホテル前の夜のビーチに繰り出した。
雲が多かったとは言え、夜空に輝く星は東京とは比較にならない。
星座なんて北斗七星くらいしかわからないはずだったが、どう見てもあれはさそり座だろうと言うのがはっきりと見えた。長女も初めて肉眼で見るさそり座に興奮。
昔の人は夜空を見上げていろいろと想像したんだという事がよくわかる。

肝心の流星群だが、明るい方角と重なって条件は悪かったが、何とかいくつか見えた。
じっと目をこらしていると、さっと一瞬光の線が引かれる。それは本当に一瞬。
子供たちに願い事を言うのよと教えていた妻が、「3億円!」と叫んでいたが、たぶん届かなかったと思う。最後に珍しく大きな火花のように輝いた流れ星が現れた。たぶん、大きな欠片だったのだろう。それだけは家族全員で観察できた。子供たちが夜のビーチを怖がらなければ、もう少し観察できたのだが・・・

3回目でも変わらないのが食べ歩き。
ガイドブック片手に妻が選択した店を訪ね歩く。
沖縄そばは私も気に入っているので、あちこちの名店の味を堪能した。
どの店にも訪ねてきた有名人のサイン色紙が所狭しと飾られている。
それを見ながら、果たしてお店の人たちは有名人が来た時はそれとわかるのだろうか、とふと疑問に思った。

私自身飾られている有名人は半分も知らない。町ですれ違ったってわかるはずもない。
それなのに、ふらりとやってきてここのいかにも田舎のオバちゃん店員に、それがわかるのだろうかと疑問に思えたのだ。ひょっとしたら、取り巻きを引き連れて、いかにもそれらしくやって来たのかもな、と一人自問自答していた。

あっと言う間の4泊5日。
終わってみればあっけない。
軽くなった財布とデジカメで撮ったたくさんの写真とを残して休みも終わってしまった。
これからまた一年間働かないといけない。
職場でも同僚たちが順番に夏休みに入り始めた。

そこかしこの空席がそれを物語る。
すでに夏休みが終わってしまった立場としては、ちょっと寂しい気もする。まあそれはそれ。
また来年も良い夏休みが過ごせるように、暑さにめげずに頑張って働くことにしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「大前研一洞察力の原点-プロフェッショナルに贈る言葉」大前研一
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石田衣良他
    
  

2010年7月30日金曜日

グアム雑感その2

「ねぇ、グアムってアメリカ?」
グアムに行く前に娘にこう尋ねられた。
「う~ん、そうだよ」
一応、そう答えはしたものの、なんとなく自分自身も頼りない。
アメリカではあるものの、州でもないし何なんだろうとよくわからなかった。
詳しい歴史など知らないし、太平洋戦争でアメリカが日本から奪ってそのまま領有しているというくらいの認識だった。調べてみたら準州という扱いらしい。

グアムに到着した翌々日、イルカウォッチングツアーに出かけた。
ホテルのある中心部からバスで郊外に向かっている時の事、現地人ガイドさんが日本語でいろいろと話をしてくれていたのだが、あるところで「ヒダリテハ、基地デ~ス。ミサキゼンブ基地デス」と教えてくれた。どうやらその先にある岬というか半島全体が、海軍の基地だったようである。


基地と言っても鉄条網の向こうに広々とした野原とわずかな建物が見えるだけ。
軍艦などは見えもしない。
どうやら広大な敷地を占領しているらしい。
現地のチャモロ人ガイドさんの口調からは、それが広大な土地を占有する米軍に対する冗談なのか怒りなのかよくわからなかった。
どっちだったのだろう。

そもそもグアムの人たちは、州でもない、自分たちの国家元首である大統領を選ぶ権利もない現状をどんな風に考えているのだろう。空軍基地と合わせれば、島のかなりの部分を基地に取られている。グアムの大半がジャングルだと考えると占有している地域の割合は広大だ。アメリカは民主主義国家だから、現地の人たちも本土のアメリカ人と同様、自由な権利を保障されている。それに何だかんだで本土からの支援もあるし、観光でそれなりにお金が落ちてくるという事で、海の向こうの国の一部という地位に満足しているのだろうか。

主要な産業といったらやっぱり観光なのだろう。
とはいえ観光客は大半が日本を始めとするアジアの人たちだ。
(日本人も多かったが中国人も多かった。へんなメガネかけてるからすぐわかるのだ)
白人は少数派で、見かけた白人はというと、髪型からするとたぶん軍人さんではないかと思えた。それはそうだ。アメリカ本土からだと、わざわざグアムにこなくてももっと近くにハワイがあるからだ。私だってなんでグアムなのかと聞かれたら、ハワイは遠いからだ(料金も高いし・・・)。アメリカにとってみれば、グアムは基地以外の価値はないのではないだろうか。

まあ別に反政府運動が起こっているわけでもないし、大国の一部という地位はある意味保障されている事にもなり、それはそれで幸せなのだろうか。
我々は戦後の一時期を除いて、ずっと独立国家として存続してきた長い歴史がある。
だから歴史の違う国の一部であるという感覚はわからない。

地元の人たちの本音はどうなんだろうか。
単なる観光ではなく、そんな話を地元の人たちから聞くような旅を、いつかしてみたいと思った。
まあ子供たちが一緒に旅行なんかしてくれなくなってからだろうなぁ。
せめてそれまでに、もうちょっと英会話力を磨いておく事にしようと思ったのである・・・


【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき

【昨日の漫画】
「マネーの拳⑧」三田紀房
「ONE PIECE ①」尾田栄一郎