2025年5月12日月曜日

四万温泉旅行記

四万たむら
 ほぼ1年ぶりに母を連れて温泉に行ってきた。もう家族で旅行する事もほとんどなく、せめて年老いた母親を温泉にでもと始めてもう何年経つだろう。今回は、なんとなく耳に入ってきた四万温泉を選択した。母も腰が悪く、あまり長距離の移動は難しいので、東京から近く、それほど負担もなく行けるところという観点で選んだのである。母を温泉に連れて行くというのが当初の目的であったが、最近では私も温泉+美味しい食事という組み合わせにいつしか心を奪われているところもある。

 関越自動車道渋川伊香保インターで高速を降りてひたすら田舎道を走る。この時期、暑くもなく、寒くもない。昨日まで降っていた雨もいつしかやみ、時折日もさしてくる。窓を開けて走ると気持ちがいいことこの上ない。「いいなぁ」と思うも、それは東京から来ているからであり、このあたりに住んだら風景にはすぐ飽きるだろうし、買い物にしても何にしても不便さばかりがあって堪らないのかもしれないと思ってみたりする。こういう田舎の風景は、故郷と同様、「遠きにありて思うもの」なのかもしれない。

 そんな奥まった山の中に四万温泉はある。川沿いというのも温泉郷の特徴かもしれない。そうした四万温泉の「四万たむら」に宿を取る。室町時代創業というから相当な歴史がある。旅館の裏手には田村家の墓があり、代々受け継がれてきているのだろう。隣に四万グランドホテルがある。部屋に備え付けの浴衣には「四万グランドホテル」の刻印があり、どうやら経営は同じであると想像した。おそらく、室町時代創業の由緒あるレトロチックな温泉宿だけではなく、客層拡大のために現代的なホテルを建設したのかなと想像してみる。社員旅行華やかなりし時代にはさぞ賑わったのではないかと想像する。

週末でも寂しい温泉街
 近隣にはかろうじて生き延びているような温泉街がある。宿の女中さんは外国の方が混じっていたし、社員旅行の敬遠、少子高齢化などの時代の波の影響を受けているのかもしれない。宿に着くと食事の前に1人周辺の散策を常としている。腰の悪い母は部屋でくつろぐ。1時間ほどで散策を終えて夕食前に最初の湯に浸かる。温泉に行くと、だいたい3度湯に浸かる。夕食前、就寝前、そして朝風呂である。宿の中は複雑で、7つの湯は館内に分散し、エレベーターを乗り継ぎ、4階で降りて連絡通路を歩いて隣の建物の入るとそこは5階という具合に複雑である。普通の人にはなんでもないが、老齢の母はもう1人で館内を移動できない。

 したがって、部屋から風呂まで送り迎えをしないといけないという手間がある。食堂はいいが、風呂は一緒に入るわけにもいかないし、毎回悩ましい思いをする。今回、とうとう母は迷子になって館内電話でフロントを呼び出して迷子の訴えをしてしまった。普通の感覚ではなんでもないが、年を取るとみんなそうなるのだろうかと思ってみる。部屋も食事も7つの風呂も良かったが、個人的には硫黄臭漂う温泉が好きという事もあり、四万温泉はちょっと物足りなさがあった。この近辺では、今のところ万座温泉がベストである。

 翌日、11時チェックアウトの利点を活かし、母は朝風呂に朝食を挟んで2度入り、温泉を満喫して宿を後にする。そのまま帰ると早すぎるので、近くの奥四万ダムを見学。川を堰き止めてできた人工湖をぐるりと一周する。水がきれいであり、晴天の下、あたりの新緑と相まっての眺めに自然の中で心身がリフレッシュしていく気がする。iPhoneで写真を撮るが、風景というものはどんなに高性能のカメラでも目で見たものを写し撮ることはできないものだと改めて思う。百聞は一見に如かずではないが、自然の景色は自分の目で見ないとダメである。

 名残り惜しみながら四万を後にする。東京にはあっという間に帰ってくる。窓から流れ込んでくる空気は明らかに違う。手軽に往復できるし、毎週末行くという贅沢もしてみたいと思う。ネックは自分で運転すると(特に渋滞なんかがあったりすると)疲れるというところだろうか。海外旅行もいいが、週末は温泉で過ごすという贅沢もありかもしれないと思う。今後の人生の楽しみ方の一つとして候補に挙げたいと思うのである・・・

新緑と濃いグリーンの湖水をたたえた人造湖
下から眺めると迫力ある四万ダム

【本日の読書】
 存在と思惟 中世哲学論集 (講談社学術文庫) - クラウス・リーゼンフーバー, 村井則夫, 矢玉俊彦, 山本芳久 ガダルカナル[新書版] - 辻政信 風に立つ - 柚月裕子




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