ラベル 幸福について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 幸福について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年10月30日日曜日

他人と自分を比べない方がいいのか

 先日読んでいた本の中に、スマホの所有が増えることでうつ病が増えているということが書かれていた。それは他人と自分を見比べる機会が爆発的に増えたことが原因だと著者は分析し、「他人と自分を比べない方がいい」というのは幸せの絶対的原則だと言う。そうなのかもしれないと思う。「他人は他人、自分とは違う」ということは当たり前なのであるが、どうしても「そうは言っても・・・」という気持ちが出てしまう。SNSで見た他人の投稿を羨ましく思い、「どうして自分は・・・」と思ってしまうことは私も実感するところである。

 大学時代、ともにグラウンドで汗を流した友人は、外資系のコンサル会社でかなりの地位まで上り詰めた。たぶん、年収は億を超えるのではないかと思う。それはもちろん本人の努力の賜物なのであるが、自分もそういう道を歩めたのではないかと、どこかで思ってしまう。また、会社が上場したことによって、従業員持株会を通じて持っていた株が億単位になってしまった知人もいる。それは単なるラッキーではあるが、自分は就活の時にどうしてそういう会社に目が留まらなかったのだろうかと思ってしまうところがある。

 男も定年年齢が近くなると、「社会人としての成果」が社会での地位と共に家族や持ち家や車などに表れてくる。そうした他人の成果を自分と比較すると、どうしても「差」を感じてしまう。特にそれが表れるのが車であるように思う。私はどちらかと言うと車は「移動手段」であり、「ステイタス」を感じない。正直言って、車など何でもいいと考えるので、国産のファミリーカーで10年乗っていても何の心理的抵抗はないが、それでも知人がフェラーリやポルシェなどに乗っているのを見ると心中穏やかならざるものがある。それは車に対する嫉妬というよりも、「稼ぎの差」あるいは「ゆとりの差」に対する嫉妬かもしれない。

 そんなことを考えると、「他人と自分を比べない方がいい」というのは事実である。しかし、である。逆に「他人と自分を比べて優越感を感じる」というのもまた真実である。自分より遅れている人間を見て安心するのもまた人の真実。それは自分より劣っている場合だけではなく、同程度も含まれる。自分と同じような会社に勤め、同じような家に住み、家族の状況も似ていて、さらに同じような車に乗っているとなれば、そこに安心感を感じる。その場合、「他人と自分を比べる」というのは、一つの大きな安心感を得られる手段である。

 もっとも、「スマホの所有が増えた」という状況と、「うつ病が増えた」という状況の間には、確かに因果関係があるようにも思う。なぜなら、 FacebookでもInstagramでも、投稿するのは大体がいい情報であろう。人に知られたくない恥ずかしい情報はそもそも投稿しないだろう。言ってみれば、他人に自慢したくなるような情報、とまではいかなくても、少なくとも知られても恥ずかしくない情報が投稿されるだろう。となれば、それを見た人が安心したり優越感に浸れたりすることはあまりないということになる。

 本来、幸せの尺度というものは、自分の中に絶対的なものがあればそれに越したことはない。他人がどうあれ、自分はこれに一番幸せを感じるというものを実現できていれば、他人を気にするまでもなく、それだけで満足するはずである。だが、必ずしもそういう絶対的基準を誰もが持っているわけではない。他人と自分との比較は、スマホを見なくとも日常的に避けられないことである。であれば、相対的基準の中で満足する、あるいはそこまでいかなくとも悲観的にならないという程度に収めることもできると思う。

 例えば、先の億を稼ぐ友人であるが、彼には子供がいない。私にとって、「億の収入」と「子供がいること」を比較して、どちらがいいかと問われれば答えるまでもない。子供が生まれ、ヨチヨチ歩きから成長していく過程を見守ることができる喜びは、とても億の収入とは比較できない。億の収入のある生活と子供がいる生活とどちらを選ぶかと問われたら、迷うことなく子供のいる生活を選ぶ。そう考えれば、億の収入のある生活もフェラーリのある生活も羨ましいとは思わなくなる。

 そもそも、人は上を見れば限りがない。「一生に一度くらいハワイに行きたい」と思う人がいたら、ハワイに行ければ満足感を得られるだろう。だが、それが実現すれば毎年行っている人が羨ましくなる。そして毎年行けるようになれば、1週間ではなく2週間行きたくなるし、ホテルのグレードもアップしたくなるし、エコノミーではなくファーストクラスに乗りたくなるものだろう。「もっと、もっと」というのは人間の自然な欲望であり、それが頑張るモチベーションになったりするから悪いことではない。健全な程度にコントロールできていれば問題はないと思う。

 また、下を見て安心するというのもいかがなものかというところはある。「これでいい」と思ってしまえば成長はない。ビジネスでも「現状維持思想」は一番危険である。要はバランスであろう。自分と他人と比べるのは仕方ない。現代社会では、意識しなくとも他人との差は目についてしまう。その時、大事なのは上を見て落ち込むのではなく、「自分も頑張ろう」と健全な方向に感情を向けることであろう。そしてどうしてもそれが無理な場合は、横や下を見て自分はまだマシだと安心感を得ることも必要だろう。そのバランスをうまく取っていくことが、幸せに生きるための条件の一つであるように思う。

 浮かんで驕らず、沈んで腐らず。うまく精神の安定を保ちながら、他人の姿を見たいと思うのである・・・


Myriams-FotosによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

   



2022年10月9日日曜日

生きることは悩むことなのか

 「人間は生きている限り悩むものです」とは、瀬戸内寂聴さんの言葉であるが、本当に次から次へと困難が生じてくる。心休まる時がない。今も元勤務先の社長との裁判を抱え、弟の金銭トラブルに巻き込まれ、それには両親も巻き込まれて母親が心を痛めており、その母親も最近記憶力が急速に劣化して時々支離滅裂なことを言うし、腰の痛みなどから家事もおぼつかなくなり心配が絶えない。我が身も妻との関係が改善せず、仕事も「問題のモグラ叩き状態」である。

 心穏やかに暮らしたいなぁとつくづく思うも、なかなかそうは行かない。振り返れば50代に入って苦悩の量が劇的に増えているような気がする。どうして毎日満足感に満たされて過ごせないのだろうかと思わずにはいられない。人を羨みたいとは思わないが、順風満帆な人生を送っているように見える友人知人を見るにつけ、ついつい羨ましくて仕方がなくなる。自分と何が違うのだろうか。どうすれば良かったのだろうか。どうすれば良いのだろうか。

 「幸せは気づくもの」という言葉がある。この言葉を知って随分と救われたように思う。苦悩に満ちた生活でも、そこには誰でも気づかない幸福があるのだと言う。たとえば、仕事では問題のモグラ叩き状態ではあるものの、「それは仕事があるから」である。もしも失業状態であれば、確かに日々生じる問題に煩わされることはないが、その代わり収入が絶えて家族を養えないという状態になる。それは想像するだに絶えられない恐怖。それに比べれば、いくらでもモグラ叩きをしようという気になる。

 裁判もまだどうなるかはわからないが、例え負けても全財産を奪われることはない。手にした退職金を失うだけである。それも恐怖であるが、幸い元職場の同僚が一蓮托生の仲間としているので、精神的には軽くなっている。1人で苦悩しているわけではない。それにこの役割をこなせるのは自分だけだったのであるから、他人に運命を委ねるよりも自分で矢面に立つ方がまだ良い。それに負けない可能性もまだまだある。

 弟の金銭トラブルも解決する可能性はある。例え解決しなくても、それは弟の問題。自分については、弟に貸した金が返ってこないだけ。ただ、裁判の敗訴とダブルパンチとなった時はかなり厄介かもしれない。母親も会話ができないというわけでもないし、同世代の友人知人の中にはもう親のない者も珍しくないわけであり、まだ両親が揃っていて話ができるというのはそれだけでも幸せかもしれない。

 友人知人先輩後輩の中には、金銭的に恵まれている者も多い。どういう伝手なのか会社社長に収まって年収数千万円とか、勤務先が上場して持株の価値が億を超えたとか聞くと心穏やかではいられない。しかし、子供がいなかったりすると、そこにはまた自分のわからない苦悩があるのかもしれないと思ってみたりする。夫婦2人で悠々自適の人生を送れても、子供を持つことの幸福は得られないわけであり、どちらがいいかと問われれば、金よりも子供のいる今の自分の生活を選ぶだろう。

 この身に降りかかる様々な困難はなんとか自分で引き受けられている。これを家族の誰かに肩代わりさせることはできないし、したくない。そう考えれば、この苦悩を背負って行くのも仕方ないかもしれない。と考えてきたところで、新たな恐怖に駆られる。それは「もしも自分が明日死んだらどうなるのだろう」ということである。少なくとも裁判の方は家族では対処できない。事情もわからないからなす術もなく負けてしまうかもしれない。

 そこで取り急ぎ財産目録を作成した。銀行口座と証券会社、生命保険会社、裁判では連絡を取るべき人、パソコンとiPhoneのパスワード。住宅ローンは銀行に連絡すれば団信でチャラになるし、生命保険金を滞りなく手にすることができれば、とりあえずなんとかなるだろう。考えれば、子供もまだ学生だし、自分の役割はまだまだ果たし終えていない。大事なのは生き続けることであると今は言えるだろう。

 なぜ苦悩ばかりが頭を占めるのかと考えてみると、それは心穏やかなことは目立たないからだと思う。生きていることがまず第一であるが、生きているからこそ生きていることは意識に上らない。自分も家族も健康であるから、自分の健康も家族の健康も気にならない。仕事があるから失業の恐怖も感じない。この週末、洗濯機が故障して大騒動になったが、それ以外の家電製品はきちんと機能しているから気にもならない。

 靴の中に小石が入ると、それだけで人生の大問題であるかのようにそれが気になって仕方がなくなるとは、ショーペンハウアーの弁。例えそのほかのことすべてに恵まれていても、人間は靴の中の小石を気にするという。実にその通りであると思う。まぁ、そう考えると、苦悩も仕方ないのかと思えてくる。逃げたくなるのは山々であるが、逃げるよりも受け流す方法を考えるほかないのかもしれない。そう考えてくると少しは苦悩も和らぐ。そう自分を慰めて、明日もまた頑張ろうと思うのである・・・


Anja-#pray for ukraine# #helping hands# stop the warによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2022年6月30日木曜日

夏の日雑感2022

  週末はシニアラグビーの試合があった。6月だし、雨だと嫌だなと思っていたが、土曜日から梅雨はどこへやらの真夏の暑さ。そして試合当日も快晴。こうなると、この時期暑さが敵に回る。雨の中の試合も嫌だが、高温下の試合も50も後半の肉体にはキツい。それでも20分ハーフの試合を前後半とこなして気持ちの良い汗を描く事ができた。7月に入れば梅雨が復活するのかと思っていたら、なんと梅雨が明けてしまった。例年にない夏の到来に驚きばかりである。

 訃報が届いたのは、翌日の月曜日。なんと一緒に試合をしていたチームメイトが、試合後の帰宅途中に倒れて亡くなったとのこと。ついさっきまで一緒に試合をしていて、「上手くなった」と褒めてくれたばかり。しかも年齢は私と同じである。先月は高校時代の友人が亡くなり、今度はチームメイト。YouTubeにアップされた試合の動画では、彼は溌剌とプレーをしている。そしてそこには私もいる。しかし、彼はもうこの世にはいない。試合で楕円球を追う彼は、まさかそれが人生最後の日、最後の数時間だったとは夢にも思っていなかっただろう。

 そういう自分も、死は他人事である。自分が死ぬという想像はできない。それにはなんの根拠も保証もない。今自分が死んだらどうなるだろうと考えると、家族の混乱は想像できる。それを考えると、事前にいろいろと準備しておく必要があると感じる。生命保険の証券はわかりやすいところに置いておく必要があるし、預金などの金融資産もわかるようにしておかないといけない。住宅ローンは生命保険付きなのでチャラになるが、手続きはわかるだろうか。葬式は家族葬で構わないが、友人には連絡してほしい。ならば連絡先もわかるようにしておかないといけない。

 

 貸したお金はいいが、預かっているお金は返さないといけないからまずい。管理のためとは言え、自分名義の口座に入っているから家族にはわからない。そのあたりは紙に書いて保険証券などと一緒にしておく必要があるだろう。仕事では迷惑をかけてしまうが、これはどうしようもない。まぁ、しばらくは混乱するだろうが、会社が傾くほどではないから「みなさん、ごめんなさい」というところだろう。親より先に行くのは何より親不孝な気がするので、できるなら順番を守りたいところである。

 

 先日読んだショーペンハウアーの『孤独と人生』の中で、人は満足していることより不満な事が気になるものだという事が書いてあった。全身健康であっても、靴の中に小石が入っていたりすると、たちまち不快=不幸を感じると。ちょっとした痛みの方が気になって仕方がなくなるというのはその通り。人はむしろ不幸を回避することを心がけるべきだという指摘はもっともである。ハワイに行きたいがなかなか行けないと嘆くのではなく、今日も無事1日を終えられたことを素直に感謝すべきなのだろう。


 この時期、日中外出すると猛烈な日差しで汗が噴き出てくる。エアコンをつけっぱなしにすれば電気代が気になるし、夜はエアコンをつけて寝ると体調を崩す事が多い私は窓を開けて寝るが、夜はやはり寝苦しい。それでも寒さに震える冬にあっては、真夏の太陽が懐かしかったりするので、今がその時だと思えば少しは気分も晴れる。暑いのも生きているから。「貴方が虚しく過ごした今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」とは韓国の小説『カシコギ』の言葉。今日、自分がいつものように終えようとしているこの1日は、生涯を終えた友が生きられなかった1日なのである。


 そう考えれば、暑さもまた愛おしい気持ちになる。先週末の試合では、タックルでまた首を痛めてしまった。なんでいい年してラグビーなんてまだやるのか。最近、自分でもそう思わなくもない。ただ、やめたら後悔する気がする。人間は年齢と共に少しずつ手にしたものを失っていく。視力は既に老眼の世界だし、髪も筋肉も記憶力ももう昔のようにはならない。いずれできなくなるとしても、その日までは楽しみたい。1本でも多くの映画を観て、1冊でも多くの本を読みたい。


 今日は見事な夕焼けであったから、明日もまた暑いのだろう。だが、それもまた生きている証。仕事では問題が山積しているが、仕事があるから悩めるのも確か。幸い、仕事ぶりは評価してもらえていて、小さい会社ながら役員になることになったし、問題もまた楽しからずやである。週末は、両親を連れて温泉である。少しは喜んでもらいたいと毎年連れて行っているが、それも後どのくらいできるかと思うと、「今のうちに」と思う。この頃は、誰かに喜んでもらえると、それだけで気分がいいと感じる。


 死を意識しつつ、死に備えつつ、それでいて怯えることなく日々を楽しむ。これから残り時間がどれほどあるかわからないが、自分が意識しているのは90歳。その日まではまだ30年以上あるわけだし、日々をそうして楽しみながら過ごしていきたいと思う。そう考えると、明日が猛暑であったとしても、待ち遠しいように思う。明日目が覚めたら、感謝と共に1日を始めたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2021年9月30日木曜日

献血をするわけ

 今年2回目の献血をした。人生で12回目の献血である。初めての献血は高校生の時。以来、献血などしようという気にもならなかったが、10年前に職場で実施してからというもの、たびたびするようになったのである。なぜ献血などするのかと言うと、それは自分自身、「禍福は糾える縄の如し」という考え方があるためである。人間、幸せにばかり囲まれていることはできず、不幸まみれのままでいることもない。必ず禍福は入り乱れて自分に降りかかってくると信じている。それが根底にあるのである。

 良いことがあれば悪いこともある。だから良いことが続いたら悪いことが起こるかもしれないと警戒しないといけない。しかし、悪いことが起きるのをビクビクしながら待っているのもバカらしい。そこで自ら不快(=自分にとって悪いこと)を作り出して不幸の代わりにしてしまおうという魂胆である。献血は実に不快な経験である。針を刺されるのも不快なら、機械で血液を吸い上げる際に針を通して微妙に伝わってくる振動も実に不快である。そういう不快感は、自分にとっての幸福と釣り合わせるのにちょうど良い気がするのである。

 こういう考え方は、いつの頃からか漠然とあったのであるが、欽ちゃんの『負けるが勝ち、勝ち、勝ち! 「運のいい人」になる絶対法則』(読書日記№626) を読んだ時に確信した。欽ちゃんは、かつて『欽ドン!』が視聴率30%を超えるたびに、運を使うために馬券を300万円買っていたという(もちろん、当たり狙いではなく、損してそこで悪運を使ってしまうのである)。残念ながら私にはそんな資金力はないから、自ら不快に身を委ねる方を選んでいるのである。

 献血を終えると、少し休憩するように求められ、お菓子や飲み物や、最近ではいろいろと小物をプレゼントしてくれる。飲み物は失った水分を補給するという意味で、医学的観点から飲むように言われるからそれはいいとして、いろいろもらってしまうとせっかく運を減らしにきているのにその効果が薄れてしまうような気がする。なるべくお菓子は食べないようにし、今回もらった歯磨き粉(なぜこんなモノをくれるのかはわからない)は家族に渡した。今回に限らず、献血は別途行なっているユニセフへの寄付と併せて定例化しようと思っていることである。

 毎回400ml。血液検査もしてくれるのでその数値も参考になる。前々回基準値を超えて医師の診断を勧められ、前回はギリギリ基準内だったコレステロール値が、今回は一気に下がっていた。どうやら『LIFESPAN-老いなき世界-』(読書日記№1243) を読んで感化されて始めた「一日二食」の生活の効果が現れてきたのかもしれない。これも「空腹」という不快を毎日味わうという目的もあったのだが、体重も春から7㎏落ちて腹回りもスッキリし、ズボンも緩くなった。コレステロール値の改善は想定外だったが、運を減らすつもりがいい結果につながってしまうと、良いのか悪いのか複雑な気分である。

 また、今年は町内会の班長役が当番で回ってきている。これも面倒だしやりたくないのは本心だが、こういう面倒ごとを引き受けるのも「運減らし」の効果があるかもしれないと考えている。だからなるべく積極的に参加している。妻はこれ幸いとばかりに私にすべてを押し付けてくるが、「少しはお前もやれよ」とは決して言わないのはそういう考え方があるからである。仕事でも、やらなくても誰にも何も言われないことをわざわざ引き受けたり、何かあれば二つ返事で引き受けたりしているが、それもこういう「運減らし」の考え方である。

 この世は不条理であり理不尽であり不公平である。心正しき者が必ず幸せになるとは限らず、憎まれっ子は世に憚る。それを嘆いても仕方がない。この世に神様がいたとしても、とても全人類を公平に見ることなんて不可能だろうから期待はしない方がいい。であれば個々人が不条理な世の中で心安らかに暮らしていく術を身につけるしかない。普段から運減らしをしていれば、大きな不運には襲われないと信じて平穏に暮らせるのであればそれでいいではないかと思う。

 今年に入って突然理不尽な失職を味わった。とは言え、再就職の相談に乗ってもらった人たちは皆真摯に対応してくれた。それほど人付き合いがうまいとは思えぬ自分であるが、まだまだ友人知人には恵まれている。そして縁あって再々就職した今の会社も、いい雰囲気で楽しく仕事ができている。収入が減ってしまったのは難事であるが、あっちで減った運、減らした運の分だけ良いことがこっちでちゃんと起こっているように思う。少なくとも今の職場はストレスとは無縁である。

 献血した400mlもどこかで誰かの役に立っているかもしれない。もしかしたらアマのジャッキーな血が混じって迷惑しているかもしれないが、それは笑って許してもらおう。個人のささやかな思い込みであるが、それで日々穏やかに暮らせて、少しだけ誰かの役に立っているとしたら、まぁいいだろうと思う。これからも少しの不快と面倒とを自分のために引き受けていこうと思うのである・・・


rovinによるPixabayからの画像 


【本日の読書】
 混迷の国ベネズエラ潜入記 (わたしの旅ブックス) - 北澤 豊雄 かたちだけの愛 (中公文庫 ひ 30-1) - 平野 啓一郎



2021年7月11日日曜日

天国と地獄

 生前、良い行いをした者は天国へ行き、逆に悪事を働いた者は地獄へ落ちるということは誰もが知っている話である。キリスト教でも仏教でも同じように天国と地獄があるのは偶然か、はたまたどこかで融合したのかは知らないが、昔はそれなりにいいことをしようというモチベーションと、悪いことはすまいという戒めとして子供に対する教育などの点で効果があったのだろうと思う。今はそういう効果はほとんどないかもしれない。

 それでも、ひどいことをされて泣き寝入りせざるを得ない状況なんかで、相手を恨んで「ろくな死に方はしないだろう」と考える程度は今でもあると思う。この世の中は、決して公平ではなく、むしろ当たり前のように不公平であり、理不尽である。清く正しく生きていても、幸せになれる保証は微塵もないし、ひどいことをしても何の咎めを受けないことも珍しいことではない。幸せになるか不幸になるかは、その人の行いとはまったく関係がない。まぁ、人に喜ばれる良いことをすれば、心の充足は得られるかもしれないが、悪いことをしてもそうかもしれない。

 『鬼滅の刃』19巻で登場する上弦の弐の鬼・童磨は「この世界には天国も地獄も存在しない。それは人間による空想だ」と断じる。「悪人がのさばって面白おかしく生きていても天罰は下らない。だからせめて悪人は死後地獄に行くって思わなきゃ精神の弱い人はやってられないでしょ」と語る。身も蓋もないと言えばそれまでであるが、その通りだと思う。これだけ酷いことをした相手が何の咎めも受けず、バチも当たらずのほほんと生きているのが悔しいという思いがあり、消化できないその思いをせめて「いつかバチが当たるに違いない」と思うことで慰めるのである。

 イソップ童話に「すっぱい葡萄」という話がある。キツネが美味しそうなブドウを見つけるが、高いところにあって届かない。ついに諦めるが、その時に「あのブドウはすっぱくてまずいに違いない」と言って去るのである。「すっぱいから食べないほうがいいのだ」と思うことで、悔しい心を慰めているのである。身近なところでもそんな実例を目にしているが、この「すっぱいブドウ」の心境に「いつかバチが当たるに違いない」という心境は相通じるものがある。どちらも悔しい気持ちを無理やり納得させるものである。

 人は誰でも心の平穏を保っていたいものである。嬉しくてプラスになるのは構わないが、悔しくてマイナスになるのは堪らない。何とか悔しさを晴らしてプラスにしたいが、自分の力ではどうにもならない。そんな時、「神様はちゃんと見ているに違いない」、「いつか天罰が下るに違いない」と思うのは、心の平穏を保つためには効果のある考え方である。ただ、現実には天罰が下ることはない(たまたま下ることはあるかもしれないが、それはまったくの偶然である)。

 私はこうした「すっぱいブドウ」的な発想は封印するようにしている。食べられなかったブドウはきっと美味であるはずだし、諦める前に必死で何とかしようと創意工夫を重ねる。それでもダメだったら、潔く「美味しそうなブドウなのに食べられなかった」と敗北宣言を出す。酷いことをされても泣き寝入りをするのではなく、「何か一矢報いられないか」と考えるし、できないなら潔く「敗北宣言」を出して終わりにする。絶対に食べてもいないものを「すっぱい」とは言わない。何よりそれで慰められる自分ではない。

 「正しいことをしていれば神様が見ていてくださって、いつか幸せになれる」という考え方は、子供に対する教育的にはいいかもしれないが、そういうことはあり得ない。神様は存在していたとしても、1人ひとりの行いなんて見ていないし、その行いだって「自分から見た正しい行い」であって、他の人が見たら違うかもしれない。もっとも、人間なんでもドライに合理的に考えればいいというものではなく、「すっぱいブドウ」が必要な人もいるだろう。それはそれで否定はしない。ただ自分はそうではないというだけである。

 正しいことをするなら、それはいつか自分だけが天国に行くためではなく、いい事、正しいことをするのは自分が心地よいからであって、それ以上でも以下でもない。悪いことをすれば自分がカッコ悪くなるだけだし、人に恨みを買うようなことをすれば自分の居心地が悪いだけなので、そんなことはしない(ただし、それが「報復」なら話は別である)。あとでバチが当たるかもしれないから悪いことをしないのではなく、それがカッコ悪いからしないのである。それが証拠に、程度の軽い「ずるいこと」ならよくやっている。

 人生も後半戦に入ってくると、「自分だけが良ければそれでいい」とは思わなくなる。それは決して「きれいごと」ではなく、あえて人に恨みを買うくらいなら、あるいは人と揉めるくらいなら、多少損したっていいじゃないかという心境だろう。それは理屈ではなく、心の感じであり、どちらが心地よいかである。決して天国に行く準備ではない。人には慰めが必要であるが、自分にとってのそれは、「心の心地良さ」であって、天国や地獄や、「いつかバチが当たる」といったものではない。

 これからの残りの人生であるが、人には喜ばれる生き方をしたいと思う。きれいごとではなく、己の心地良さとしてそれを追求したいと思うのである・・・




【今週の読書】
 空き家幸福論 問題解決のカギは「心」と「新しい経済」にあった - 藤木哲也 地上最強の男―世界ヘビー級チャンピオン列伝―(新潮文庫) - 百田尚樹




2021年3月25日木曜日

勉強することができる幸せ

 息子が中学を卒業した。この4月からいよいよ高校生。いつのまにか私よりも背が高くなり、子供の成長というものを実感する。人生初めて臨んだ受験は、公立と私立それぞれ1校を受験し、両方合格して第一志望の都立高校に通うことになった。学費の面でも、親としては大変ありがたい。かくいう私も、公立高校、国立大学と学費的には親孝行であったと自負しているが、息子にもそうあって欲しいと願うところである。

 今は、いい時代だと思う。私の父は、中学を卒業してすぐに上京し、住み込みで働き始めたという。当初は地元で大工修行という話もあったらしいが、同級生が親戚の関係で上京することになり、ならばと一緒に出てきたという。労働基準法などあったのかなかったのか、朝6時に起きてから慌ただしく朝食と支度を済ませ、8時に出勤してくる職人さんのための準備をし、夜も遅くまで働き寝るのは12時過ぎだったという。

 その後、父は中小企業を渡り歩くが(当時はそんな風潮だったらしい)、ある時、大手の会社に面接に行ったらしい。そこでは、中卒ではせいぜい工場長止まりと言われたと言う。父は技術者としては腕が良かったらしく、行く先々で重宝されていたから、この時はじめて「学歴の壁」を感じたらしい。あまりはっきり聞いたことはないが、高校へ行けなかった無念が改めて実感された瞬間だったのではないかと思う。

 そんな父の世代の猛烈な働きで、日本は敗戦時の最貧国状態からわずか20年でオリンピックを誘致できるまでに経済成長し、私はなんの障害もなく高校・大学と進学できた。父の実家は貧しい農家で、父は小学校時代、裕福な家の子が短くなって捨てた鉛筆をこっそり拾って使ったこともあったという。一方、同年代の義父は大学を出ているから、ある程度家庭環境の差もあるが、私も父の時代であれば、よくても高校までしか進学できなかったのだろう(父と同じ年の母は兄の支援で高校へ行けたという)。

 私は大学受験は現役の時は1校だけしか受けずに落ちて浪人した。予備校に行かせてもらうのも悪いと宅浪して2年目に合格した。予備校に通っていもあまり熱心に勉強していない友人も多かったし、大学ではまわりはみんな授業に出ずにいかに単位だけ取るかに腐心していた。友人たちの授業の平均出席数は週5コマ未満であったが、私は12コマ出ていた。知的好奇心ももちろんあったが、大学へ進学できるありがたさを考えれば「単位だけ取って遊ぶ」という選択肢は私にはなかったのである。

 よく子供が「どうして勉強しないといけないのか」と聞くことがある。小学生あたりでは理解が難しいかもしれないが、勉強は「しないといけない」ものではなく、「する事ができる」ものである。父の田舎にある寺の和尚さんは、同じノートを3回使ったという。一度端まで使った後、逆さにしてもう一度使い、さらに赤鉛筆でもう一度使い、最後は真っ黒になったらしい。そんなことが可能だったのかわからないが、そういう思いをしてまで勉強していた人たちからすれば、勉強できるのにしないという贅沢などありえないだろう。

 人は当たり前になればありがたみを忘れる。紛争地帯にあっては命の心配をしなくていい環境はそれだけで何物にも代えがたいだろうし、砂漠にあっては一杯の水が貴重だろう。だが、紛争地帯にあってはじめて平和のありがたさを実感するのではなく、砂漠で水の貴重さを実感するのでもなく、普通に勉強できる環境にあって勉強できるありがたさを感受できるようでありたいと思う。そしてできれば息子にもそれを感じ取って欲しいと思う。

 先日、息子と2人で私の実家へ行ってきたが、行きの車中で父の経験談を聞かせた。70年前、息子と同じ年の父は、友達と2人で見も知らぬ東京へと出てきた。故郷から東京まで汽車で6時間。今よりはるかに遠かっただろうし、心細かっただろうと思う。私も息子も何の不安もなく当たり前のように進学したが、味わわなくて済んだ身近な父の苦労をせめて想像だけでもしたいと思う。息子がどんな風に思ったのかはわからないが、少しでも何かを感じ取ってくれたらと思う。

 息子にはあえて勉強しろとは言うつもりはない。ただ、勉強は「する事ができる」ものだとは思ってもらいたい。高校の3年間は実に楽しいものであった。勉強も頑張ったし、ラグビーも頑張った。息子にも同じように勉強に野球に友達との思い出作りに最良の3年間を過ごして欲しいと思う。これから楽しい高校生活を迎える息子を羨ましく思いつつ、エールを送りたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 マネジメントへの挑戦 復刻版 - 一倉 定 LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界 - デビッド・A・シンクレア, マシュー・D・ラプラント, 梶山 あゆみ






2020年5月6日水曜日

幸福について

幸福は人が人生の目標として掲げる1つとして間違いないだろう。人は皆幸福を求めるものだろうし、求めない者などいないだろう。ではその幸福とは一体なんだろうか。コロナ自粛で家にこもっていると、そんなことをつらつら考えてみる。

とりあえず今自分は幸せだろうかと問うてみると、なんとなく幸せのような気がする。はっきり断言しにくいのは、「取り立てて不幸だという理由もないがもっと幸せになる要素があるような気がする」からである。貧困国に生まれて1日1ドル以下で生活する人に比べたら、我々日本人はそれだけで幸せだと思うが、不景気で失業し住むところも失うかもしれないと言う人にしてみれば、とても幸せなどといえないだろう。そういう意味で、幸福は相対的なものと言える。

しかし、例えば天涯孤独で仕事もアルバイトで食い繋ぎ、細々と一人暮らしをしている人がいたとして、その人が不幸かどうかは傍からは断言できないであろう。その人なりに少ない収入の中でも仲間と交流したり、ささやかな趣味に没頭したりとそれなりに幸せに生きているかもしれない。他人と比較して幸不幸を決めることは当然できない。金持ちで豪邸に住んでいても、不幸を抱えている人はいるだろう。そう考えると、幸福は絶対的なものであるとも言える。

幸福とは自分のものか他人のものか。一見、幸福とは自分の幸福だと思うが、そうでもない。例えば初詣でいつも神様にお願いするのは家族の健康。自分のことはお願いしない。家族が(特に子供が)健康で幸せであればというのが私の変わらぬ願い。幸福が自分のものかと考えてみると、ここにおいては子供や親(他人)のものである。ただ、それで自分が幸せになれるわけであり、そういう意味では幸福は自分のものでもある。

幸福は目に見えるものだろうか、それとも目には見えないものだろうか。なんとなく目に見えるものではないように思うが、子供が喜ぶ姿を見ているとたいていの親は幸せ感に包まれる。子供の喜ぶ顔という形で幸福は目にすることができる。子供に限らず、自分のしたことで誰か他の人が幸せになっているのを見ることは、とてつもない幸せである。そう考えると、幸福は目に見えるものである。

幸福は数えられるものだろうか、それとも数えられるようなものではないだろうか。なんとなく数えられるようなものではない気がするが、例えば結婚しても子宝に恵まれない人はいるもので、子供がいるということは間違いなく「1つの幸福」である。それと同様に、仕事があって収入が安定していること、家族が健康でいること、毎週末になんの気兼ねもなしに映画が観られること、これら1つ1つが幸せと考えれば、幸福は数えられる。

幸福に大きさはあるのだろうかと考えると、実はある。例えば安定した仕事があることは1つの幸福ではあるが、それで人生すべて幸せになれるというものではない。それは「1つの」幸せであり、「小さな幸せ」である。「週末の深夜に1人で映画を観る」というのは、私の幸せを感じる瞬間であるが、それが人生の幸せすべてではない。いわば「小さな幸せ」であり、「大きな幸せ」を構成する1つの要素と言える。そう考えれれば、「幸福には大きさがある」と言える。

幸福は一時的なものか、それとも永続的なものか。今、幸せかと問われてもそうだと答えても、明日には不幸になるかもしれない。禍福は糾える縄の如しで、今日は幸せを感じていても、明日は不幸のどん底に落ちるかもしれない。1つ1つの幸福は永遠のものではないが、その1つ1つが織りなす人生全体で見れば「いい人生」を送れた人は永続的な幸福を満喫できたと言えるかもしれない。そう考えると、幸福は一時的なものであり、永続的なものとも言える。

幸福は「長ければ長いほど良い」のだろうか。例えば交通事故で死ぬことは不幸であるだろう。では94年間幸せに生きてきて、最後に交通事故で死んだ人は不幸なのだろうか。なんとなくそうではない気がする。逆にずっと不幸な人生を送ってきた人が、最後は幸せに包まれて安らかに息を引き取った場合、その人は不幸な人生を送ったことになるのだろうか。これもなんとなくそうではない気がする。幸福は「長ければ良い」と言うものでもなさそうである。

人が幸福かどうかはどうしたらわかるのだろうか。例えばある人が火事で焼死したとしたら、その人は不幸なのだろうか。少なくとも周りの人はそう思うだろう。でももしそれが、子供を助けた末の焼死だったらどうだろうか。周りの人はともかく、(自分だったら)しっかり自分の子供を守っての死であればむしろ幸福だろう(もちろん、自分も死なないのが良いに決まっているが)。人が幸福かどうかは、結局その人でないとわからない。

幸福は量か質かという問題もある。小さな幸福が数多く集まれば大きな幸福になることは間違いないが、「これだけあれば幸せ」というのもあるだろう。そういう意味で、幸福は量でもあり、質でもあると言えるのかもしれない。とりとめもなく考えてみると、幸福はいろいろな角度から眺めることができる。突き詰めると、半分水が入ったコップを「半分しか」入っていないと考えるか、「半分も」入っていると考えるかの例ではないが、「考え方次第」と言うところもあるだろう。

何をもって幸福とするかは、人それぞれだろう。小さな幸福を積み上げる人もいるかもしれないし、今一瞬の幸福を追求するタイプもいるかもしれない。やっぱり幸福な人生を送りたいと思うが、それには何が自分にとって幸福なのかを考えないといけない。ただ漠然と幸福になりたいと思っていても、いつまでも追い求め続けて満足できないかもしれない。逆説的かもしれないが、幸福は「不幸でない」ことであるとも言える。自分が幸福なのかどうかわからなかったら、「不幸かどうか」を考えてみても良いかもしれない。不幸でなければそれでよし。それがすなわち幸福とも言える。

 人生折り返し地点は過ぎたと思うが、残りの人生を幸福に送りたいと思う。されど不安要素はたくさんある。多くは望まないが、不幸をできるだけ回避したいとは強く思う。自分にとっての幸福とは、「不幸でないこと」かもしれない。そんな幸福をこれからもずっと求めてもいってもいいのではないかと、家にこもりつつ思うのである・・・



→ 『幸せはお金で買えるか』



2020年2月6日木曜日

むなしい理想

 親として子どもが生まれた時に考えたことの一つとして、「読書習慣をつけてあげる」というのがある。これは息子が中学生になった現在も続いていて、適宜親からの「推薦図書」を読ませている。娘は離れてしまったが、息子はいまのところ素直にそれに従って読んでくれている。しかし、さすがに中学生になると好みの問題も出てきて、モノによっては「なかなか読まない」こともある。そんな時は諦めて別の推薦図書を渡すのである。そして今回渡したのが、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』と『最後のひと葉』である。

もう有名すぎるくらいの定番であるが、やっぱり早いうちに読ませたいと思ってのことである。懐かしさもあって、ついでにサラサラッと読んでみる。短編だけにすぐ読めてしまう。物語はニューヨークに住む若い夫婦の話。貧しくてクリスマスなのに相手にプレゼントを買うお金もない。思いあぐねて、妻のデラは自慢の長い髪を売って夫のジムのために懐中時計につける鎖を買う。それはジムの唯一の自慢の時計だったが、鎖がなくて人前で時計を見るのを躊躇しているのを知っていたからである。ところが、帰ってきたジムにそれを見せると、ジムはジムでデラへのプレゼントとして以前からデラが欲しそうにしていた櫛を買うために時計を売ってしまったというもの。

お互いに相手のことを考え、自分の大切なものを手放したが、それが結局役に立たなかった(デラの場合は髪が伸びるまでの間)という話。これを最初に読んだのはたぶん中学生の頃だったと思うが、当時は(今もだが)「こんな夫婦になりたいな」と思ったものである。冷たい現実の前にはただただ愕然とするだけだが、今でも限りない理想として、果たせぬ夢として心の中にある。もっとも、今の恵まれた時代でこういう理想を追求する方が無理なのかもしれないと、とっくに諦めてはいるのだが・・・・

結婚した当初、2LDKのマンションで新婚生活を始めたが、ある時近所を散歩していて昔懐かしい古アパートを見つけた。若くてお金がないうちは、六畳一間のアパートでもお互いの存在があれば満足だと思っていたからそんな話を妻にしたのだが、妻には「いややわこんなカンカンアパート」と一蹴されてしまった(階段を歩く時の音から妻はこう表現したのである)。もちろん、それなりに収入はあったからずっといいマンションで生活を始めたが、気持ち的には正直なところだっただけに、己の理想とする愛の姿に冷水を浴びせかけられた最初である。

所詮、布施明の『積み木の部屋』を聞いて育った私とは価値観が合わなかったのだろうが、それはやっぱり桃源郷なのかもしれないとも思う。恋愛結婚した当初は、相手のためには「あれもこれもしてあげたい」と思うのだろうが、それがだんだんと「あれもこれもしてくれない」に変わる。結婚相手に求める条件として「三高」なんてことが言われた時代があったが、本当に悲しい気持ちがしたものである。ちなみに昨今は「四低(低姿勢・低依存・低リスク・低燃費)」だそうであるが、どちらにしても「なんだかなぁ」と思わざるを得ない。ケネディの言葉ではないが、「相手が自分に何をしてくれるではなく、自分が相手に何ができるか」を問うてほしいものである。

自分は理想を掲げ、あくまでもそれを目指して生きたいと思うタイプである。「理想は理想、現実は現実」と割り切って考えるのも悪くはないと思うが、理想主義者の私としては、やっぱり「愛こそすべて」と思うし、その通りに生きたいと思う。だが、それはむなしい理想に過ぎないのだろう。娘もいつか結婚すると思うが、その時には純粋に相手の男に対し、勤務先だとか年収だとかを考慮することなく決めて欲しいと思う(とは言っても私の気に入る相手にしてほしいとだけは思うのだが・・・)。

さて、息子は『賢者の贈り物』を読んでどんな感想を持つのだろうか。願わくば、それを読ませた親父の意図を少しでも汲んでくれたらと思うのである・・・


 最後のひと葉: O・ヘンリー傑作選II (新潮文庫) - O・ヘンリー, 高義, 小川 賢者の贈り物 - O・ヘンリー, P.J.リンチ, 齊藤昇

【本日の読書】
 世界「倒産」図鑑 波乱万丈25社でわかる失敗の理由 - 荒木 博行 危険な弁護士 (下) (新潮文庫) - グリシャム,ジョン, 朗, 白石





2019年4月19日金曜日

将来のことなんか何とでもなる

知り合いの娘さんは、この春都立高校を卒業したそうである。成績優秀な都立高であり、卒業生のほとんどが大学進学であるが、その娘さんは受験しなかったという。在学中に既に勉強意欲を失い、卒業も「辛うじて」という状況だったという。現在はアルバイトをしていて、進路は「模索中」とのこと。一応、大学へ行こうかという気持ちもあるらしいが、だからと言って勉強をする気は起きないらしい。精神科にも通っているのだとか。

自分の娘だったら、どう対応するだろうかと考えてみた。
「進学したければすればいいし、したくなければしなくてもいい」
まずはそんなところからだろうか。私はもともと「鬱は病気ではない」という考えであるから、精神科に通院するのもいかがなものかと思う。本人がそれで少しでも楽になると感じるなら別であるが、悩みを抱えて気持ちが塞ぐのは誰にでもあることである。それを「病気」とするより、しっかりとした考え方を持って克服できるようにしてあげるべきだと思う。

 大学へ進学するのは、時間稼ぎとしてはかなりいい。新しい環境に触れれば友達も増えるし、何かその先のヒントが見つかるかもしれない。私の父は中学を卒業して東京に働きに出てきた。当時は高校以上への進学など(父の故郷では)ごく限られた者のみに許されていたことであった。父も進学の思いを殺して働きに出たのかもしれない。翻って現代は良い時代だと言える。そういう良い環境にあるわけだから、それを生かせばいいと思う。

 それに反してどうしても勉強する気になれず、大学へ行きたくないならそれもいいと思う。別に大学へ行かなくとも今の世の中はどうにでもなる。私も高校時代、一緒にラグビーをやっていた同期のうち2人だけ大学へ行かなかった。卒業直後はどうするんだろうという状態だったが、今では2人ともサラリーマンである我々よりもしっかりと稼いでいる。1人は業界では著名人だし、もう1人は会社社長だ。大学へ進学するよりはるかに優秀な成果を上げている。
 
 世の母親たちがバカみたいに受験、受験と我が子を急き立てているが、結局「安定してはいるがそれだけ」のサラリーマンになるだけとも言える。一流企業に入ったとしても、所詮サラリーマンだ。中には立派に出世する人もいるだろうが、大半はそこそこの地位で終わるのだろう。進学しないとろくでもない人間になる可能性もあるが、一応進学校を出ているような者なら何とかなる可能性の方が高いと思う。その娘さんも何とかなるだろう。

 ただ、一言言うなら、「目の前のことを一生懸命やった方がいい」ということである。さすがにプラプラしているだけで何とかなるほど甘くはないと思う。アルバイトをしているなら、それを一生懸命やることだ。「時給以上に働く」「自分を雇って良かったと思われるように働く」という意識があれば十分だろう。そこから誰かの目に止まったり、縁があったりして次の道が開けていくかもしれない。

 将来が見えない若者時代は、しばし先行きに不安を持つものだと思う。自分もそうであった。精神科に行くほど気を病むその娘さんもそうなのかもしれない。ただ、言ってあげたい。「それは病気ではない」と。「健全な悩みなのだ」と。その経験はいつかきっと役に立つかもしれない。それは自分自身にとってかもしれないし、あとに続く弟かもしれないし、いずれ生まれてくる自分の子供かもしれない。その時、自信をもってその体験を伝えてあげられるはずである。
 
 もともとこの世の誰であろうと安定した道などというものはない。一流企業に入ってもJALのように倒産する例もあるし、大学へ行かなくても高級車に乗れる身分になれる。不安はあっても前に進んでいくしかない。魯迅ではないが、目の前に道はなくとも自分の歩いてきたところが道になるのである。だから今は苦しいことは考えず、自分の目の前の事を一生懸命やればいいと思う。

 「大丈夫だよ」と伝えたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 しょぼい起業で生きていく - えらいてんちょう どんな人も思い通りに動かせる アリストテレス 無敵の「弁論術」 - 高橋健太郎





2012年12月11日火曜日

より良く生きるために

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

(草枕)
*****************************************************************************************

 およそこの世は人間関係がほとんどすべて。仕事でも家庭でもその他においても。人間社会の中で生きていくには仕方のない事であるが、この人間関係というものが世の幸不幸の大部分を占めているような気がする。

 そしてその人間関係の鍵となるのが、「言葉によるコミュニケーション」=「言葉のキャッチボール」であると思う。「モノは言いよう」と言うが、本当にこの言葉の使い方一つで、同じ事を言っていてもまったく結果は違ってくる。「そういう言い方はないだろう」と、文句を言いたくなる事は日常茶飯事。言い方一つで気分を害する例は枚挙に暇がない。

 20代の頃は、棘のある言葉に接すると、真っ向から歯向かっていた。気分が悪い時は、相手を不快にさせるとわかっていて、そういう言葉を使った事もあったと思う。30代で多少考え方が変わった。そうあちこちで対立ばかりしていても疲れるだけだと悟ったのだ。

 また、気持ちの良い対応をされると嬉しくなるのは誰でも同じだろうが、自分もまたそうであった。それに輪をかけたのは、片思いの影響もあった。どうしたら、意中の女性に愛されるのだろうかと考えたら、他人と勇ましく対立ばかりしている人間が対象になるとは思えなかったのだ。

 40代になって、『自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる』という考え方に触れた。「目の前のすべての結果は自分が作り出していると考える」考え方は、自分にしっくりとくるものだった。だがそれでも、何気ない相手の一言や対応に腹の立つ事は絶えない。仕事でも家庭でも極力感情を抑えようとはしているものの、なかなか難しいところがある。

 そんな時に「距離を置く」というのは一つの解決策だ。嫌な相手とは接触の機会を断ってしまえば、それ以上ストレスは感じないで済む。しかし、仕事でも、そして家庭では特に逃げる事はできない。であれば、正面から受け止めるしかない。最近ようやくこの受け止め方がわかって来た。

 相手は相手なりに自分が正しいと思っている。そしてしばし、そこに悪意はない(と考える)。時に鈍感になり、言葉の棘の痛みをやり過ごす。自分で転んだ時は、痛くても誰にも当たれないように。相手が悪意で言って来ても、『自分が源泉』の立場に立てば、それを言わせたのは自分だとなる。

 考えてみれば、「キャッチボール」は「キャッチ」ボールであって、「スロー」ボールではない。投げるのではなく、捕るのがキャッチボールなのである。相手の胸に向けて、(取りやすい)ボールを投げるのがキャッチボールの基本とされているが、実は相手の投げたボールを、例え取りにくくても頑張って捕るのがキャッチボールの本来の意味なのかもしれない。

 そう考えれば、言葉のキャッチボールも受け止め方が大事だと言えるだろう。自分にはまだまだ練習が足りないと改めて思う。人生もそろそろ半分を過ぎただろうし、好きな事をして楽しく毎日を暮らしたいと思うが、それには上手な言葉のキャッチボールが必要だと思う。

 元旦に「今年一年は家では腹を立てない」と決めた。もうそろそろ期限を迎えるが、今のところはうまくいっている。相手が気分がよければ、それは自分にも伝播する。上手なキャッチボールは何よりも自分のより良い人生に直接結び付く。50になるまでまだ少し時間がある。

 それまでにはこの境地をもう少し極めたいと思うのである・・・

【本日の読書】

マスタースイッチ - ティム・ウー, 坂村健, 斎藤栄一郎 海賊とよばれた男(上) (講談社文庫) - 百田尚樹




2011年12月5日月曜日

学芸会

世界中に定められた どんな記念日なんかより
 あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
  世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
   あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう
TRAIN-TRAIN (THE BLUE HEARTS)

************************************************************************************


土日は二日間とも娘の学校の学芸会であった。
3年ごとのサイクルで、音楽会・展覧会・学芸会と繰り返されている。
今年はその学芸会の年であった。
娘たち5年生の出しモノは「夢から醒めた夢」。
以前劇団四季のミュージカルを観た事があるが、どんな「小学生バージョン」になるのか楽しみにしていた。

学芸会と言うと、ついつい我が身の事を思い出す。
確か小学校3年の時だったと思うが、「僕はラッパ手」という戦争中の子供たち物語の劇で、そこでどういう経緯だったか忘れてしまったが、なんと私は主役を演じたのである。
今の自分からは想像もつかないが、その頃はまだそんな事をやれていたのだ。
頭も戦時中の物語らしく坊主頭にしての熱演であった。

当時も土日二日間の「興業」であったが、土曜日は生徒向け、日曜日は父兄向けであり、私はその土曜チームであった。何となく日曜チームが「格上」という雰囲気があった。
(娘たちの場合は両日とも生徒と父兄が観に来るから関係ないようだった)
言ってみれば土曜チームは二軍で、一軍の同じ役の友人Tにはなんとなく引け目を感じたものである(その後Tとは中学・高校と一緒に進み、最後は同じクラスであったし、結婚式にも呼ばれた仲である)。

捲土重来とばかりに、6年の学芸会で主役に立候補した。
しかしながら、オーディションであえなく落選。
私の声が(体育館では)通らないと言うのが理由だった。
自分の事は自分ではわからぬもの。
その時、自分の向き不向きというものの一つがわかり、私の将来から「俳優」という選択肢が消えたのである。

娘の役は途中で登場するデビルの一人であり、名前もないいわゆる「チョイ役」。
セリフも出番も少々であった。まあ私の娘だから、その点は仕方ない。
何でも本人は主役からはじまって、片っ端から立候補したらしいが、残念ながら落ち続けたらしい。そんな話を聞いていたせいもあり、朝はしっかりと励まして送り出した。

本番ではビデオ片手に観劇。
娘はしっかり声を出していた。
感心した事は、自分のセリフがない時でも、舞台の端でストーリーに合わせてしっかり演技していた事だ。うなずいたり、手を叩いたり、何事か仲間と話したり・・・
当然と言えば当然であるが、自分にスポットライトが当たっていないところでもきちんと演技していた事は、あとでお風呂で褒めておいた。

自分自身を振り返ってみても、常にスポットライトが当たっているという人生ではない。
むしろ当たっていない事の方が、大人になってからは当たり前だ。
それでもきちんとやる事はやらないといけないし、社会の中での自分の役割というものはスポットライト如何に関わらず、きっちり果たさないといけない。
娘がそんな端役の意義を理解できたとしたならば、それはそれで良かったのかもしれない。

まあこれで娘の将来から「女優」という選択肢はなくなったかもしれないが、それがどうだと言うのだ。最後の学芸会となったわけであるが、しっかりと娘の演技も観たし、ビデオにも納めたしで、満足して帰ってきた次第である・・・

【本日の読書】
錯覚の科学 (文春文庫 S 14-1) - クリストファー・チャブリス, ダニエル・シモンズ, 成毛 眞, 木村 博江  フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた) - デビッド・カークパトリック, 小林弘人 解説, 滑川海彦, 高橋信夫





2011年10月6日木曜日

幸せはお金で買えるか

  この国に生まれて、曲がりなりにも生活できているという事は、世界的に見ればかなり幸せな事だと思う。今の生活だけでも十分満足すべきだとは思うものの、人間とはより多くを目指すもの。それに今後の事を考えれば不安要素もかなりある。
そうした今、あと何が必要かを考えると、「お金」という答えに行きつく。
よく「幸せはお金では買えない」と言われるが、今の私にしてみれば、「十分買える」と断言できる。「世の中金だ」とまでは言いたくないが、「幸せはお金では買えない」と言ってしまうのもどうかと思う。誤解を恐れずに言えば、「幸せはお金で買える」と思う。

 日本には長い儒教の伝統があって、お金というものは卑しいものとする風潮がある。
江戸時代では、商人は一番地位が低かったし、成金や拝金といった言葉は尊敬とは対角線上の先にある。そしてそのわりに、みんな熱心に宝くじを買う。
「欲しいけれど、欲しい振りをしない」のがその実態だろう。
どんなに欲しい振りをしなくても、私から見れば、宝くじ売り場に2時間も並ぶ人たちは金の亡者にしか見えない。

 正直言って毎月の収入が、それもあと何万円かのわずかであったとしても、増えれば豊かな気持ちになるだろう。(もっともたぶんそれもしばらくの間だけだと思うが・・・)
旅行に行くときだって、パンフレットをたくさん集めてきて、予算とにらめっこして溜息つかなくてもいいし、家族みんなで映画やコンサートや観劇などにちょくちょく行って、健康で文化的な生活を送れるだろう。老後の心配だってしなくていいし・・・
なんだかそんな程度の幸せで良いなんて、我ながら実に庶民的だ。

 もちろん、金で買えるかどうかは、「幸せ」の定義にもよる。
「好きなあの子に想いが通じたら、それだけであとは何もいらない」と思っている者には、当然当てはまらないし、医者に通ってもなかなか治らない病を抱えている人にも当てはまらない。世の中に「買えない幸せ」が多くあるのも事実。
「幸せ」というものが値札を下げて売っているわけではないから、買うと言っても間接的に買う事になる。それを買う事によって幸せになれる事が必要だし、そういうものであれば、「幸せはお金で買える」と言えるだろう。そしてお金さえあれば、今はかなりの幸せが買える。

 もっとも、宝くじを当てた人がその後不幸になるなんて話は良く聞くし、あれば良いと言うものでもないだろう。醜い遺産相続の話なんかもしょっちゅう聞く。
そういう例を持ち出してきて、「幸せはお金では買えない」というのだろうが、それは単に使い道を誤っているだけで、欲張らずに正しく使えば十分に幸せを買う事ができるはずだ。

 我が家の子供たちももう少し大きくなれば、金銭教育も必要になるだろう。
「お金で幸せは買えない」などときれい事を教えたくはないし、かと言って「世の中金だ」と思うようになってもらっても困る。汗水たらして働く事の意義をしっかり教えて、そうして手にしたお金を上手に使えばそれが幸せに繋がるはずだ。

 残念ながら残りの人生で収入はあまり増えそうもないから、せめて賢く使う事で小さな幸せを買いためようと思うのである・・・


【本日の読書】

2011年6月12日日曜日

良い話が聞けた

ご近所に住むあるご家庭では、子供を都内の某有名私立小学校に通わせている。
お受験ママたちにしてみれば羨望の眼差しといったところである。
我が街からその学校までは、1時間半くらいかかるのだが、毎日送り迎えしている様子で、誠に頭が下がる気がする。そんなにまでして、それが一体何になるのだろうと、他所の家のことだから良いのだけれど思ってしまう。

そんな日頃の疑問に一つの答えとなる話を聞く機会に恵まれた。
いつもお手伝いしている財団で主催している社会人向け勉強会の中での一コマだ。
今までの参加者から希望者を募ってのもので、講師は木下晴弘氏。
関西では超有名な学習塾浜学園(灘中合格者数日本一)で講師を務め、そこで培ったノウハウを活かし、独立して教員・講師向けモチベーションアップ・授業力向上研修、コンサルティングをしている方である。

もともと子供を無理やり塾に通わせたり家庭教師をつけたりしても、それだけで勉強ができるようにはならないと、自分の経験からそう考えていたが、木下氏の主張もまさにその通り。
いかに本人のやる気を引き出すか。それが一番重要なのだとのこと。
これを内発的モチベーションと言うのだそうだが、その話を自身の経験則に沿って語ってくれた。

今までもそうした内発的モチベーションが重要だとはわかっていた。
それが備わっていないと、どんなに環境が整っていても何の役にも立たない。
高校3年の時、浪人して予備校には通っているものの、あまり勉強していなかった先輩たちの姿を見ている。灘中に日本一の合格者を送り込むのも、ただ優秀な子を集めて受験テクニックを教え込んでいるだけでは、もちろんないだろう。
そうわかっていても、しかし『どうやったらいいのか』がなかなかわからなかったのである。

ここでそのエッセンスを説明するのは難しいが、一言で言えば心を磨くという事なのだろうか。その磨き方が実にいい。
「人に与えたものは(良いものも悪いものも)必ず自分に返ってくる」という人生の法則、許すこと、感謝の3レベル・・・それらが感動的なエピソードとともに説明される。
ちょっとウルウルしつつ、必死にメモを取った。

それにしても、とあらためて思う。
こうした話をできるところまで到達するのは、やはり物事に対する情熱だ。
講師の木下氏も、元はと言えば普通の塾の講師。
思い通りに生徒が勉強できず、辞表を書くところまでいったそうである。
そこでいろいろな人からの話に目覚め、仲間の講師たちと議論し、研究し、調査して「大事なもの」に気付いていく。

ただ日々の仕事をこなし、給料に満足し、晩酌を楽しんでいるだけでは到底到達できないところだ。自分は果たしてそんな気持ちで仕事をしているだろうか。
そんなことまで考えてみた。

一緒にお風呂に入ってさっそく実践トレーニング。
湯船に浸かって私のする話をいつも娘は興味深く聞いている。
今回の話を受けてさっそく「友達のためにする事」を話してみた。
効果はすぐには表れないだろうけど、じっくりゆっくり機会をみては話をしていきたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「娼年」石田衣良


      
    

2011年5月6日金曜日

我が家のGW

 GWまっただ中、高速道路の渋滞もGWらしくなってきた事もあり、我が家はいろいろと立てていた計画を変更。近場で過ごす事にして、家族会議の結果(私は議長ではあるものの議決権はない)、一昨日は昭和記念公園に行って来た。ここはプールもあるし、なかなか我が家では重宝しているのであるが、今回は「パターゴルフができる」という点が、娘の評価を勝ち取ったのである。

 連休中なのにというのか、連休中だからなのか園内は混み合っている。予定していたサイクリングは、早々に「品切れ」状態でできず。まずは芝生で野球をして、そのあと子供たちは遊具へと向かう。野球と言っても下からトスしたボールをプラスチックのバットで打つという単純なものであるが、昨年までは息子のバットに“ボールを当てる”のに苦労したものだが、今年はそんな苦労をする事無く、息子は何度も打ち返してきた。そんな成長の跡を、こうした機会に確認するのもいいものである。

 イベントとして、ミニコンサートをやっていた。けたたましいロックなどではなく、耳触りのよいクラッシックやポップスなどで、BGMとして心地良い。吹き寄せる風はどこまでもさわやかで、木々の緑もバックの青空に映えて、眺めていると衰えた視力が回復しそうな気がする。知らず知らずのうちにうたた寝をする幸せ感・・・

 パターゴルフは本当に簡単なもの。子供でも無理なくできるところがいい。パターゴルフと言えば、大学時代に菅平の合宿に行った時、帰りにみんなでやった事を思い出す。9ホールだけ楽しんだが、スコアもきちんとつけてそれなりに雰囲気も味わえた。

 閉園時間が来て帰路につく。帰り道にある「ステーキガスト」で夕食。スカイラーク系のファミレスであるが、「ステーキ」という看板名に以前から一度行ってみようと話していたところである。こういう情報を引き出しから取り出してくるのも、家族の中での存在感を維持するには欠かせない私の役割である。何せ食べ物の事はしっかりと押さえておかないと、我が家ではご機嫌取りはできないのである。

 ステーキ自体は見た目もボリュームあって、それらしい。味はやっぱり“ガスト”なのであるが、値段とのバランスが取れているので不満はない。それよりもサラダバーにカレーがついているのが、なかなかのヒットだ。デザートもしっかり食べて満腹。どうもこの連休中にせっかく減ったウエイトが戻りそうな勢いである。

 時間の余裕があれば、さらに“お風呂の王様”で一風呂浴びるという選択肢もあったのだが、それはまた次回だ。せっかくの連休なのにという気もするが、高速道路の渋滞を考えればそれで疲労とストレスを溜めるのもよくない。

 これはこれで有意義な休日であったと満足しているのである・・・

【本日の読書】
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾
  

2011年4月13日水曜日

人生やり直すべきか

幸せになりたいならば、
「あの時ああしていれば」と言う代わりに、
「この次はこうしよう」と言う事だ     
スマイリー・ブラントン(精神科医)
****************************************************************************

「もしも人生をやり直せるとしたら、いくつの時からにしたいですか?」
同僚K氏にこんな質問をされた。K氏は小学校4年生だという。
その時の写真を見ると、自分で見ても「良い顔」をしているらしい。
本当に楽しかったというのである。
「高校生かな」と私は答えた。

私はこういう空想めいた事を考えるのがけっこう好きである。
「あの時のあの失敗をやり直せたら、自分の人生は今よりも遥かに充実していたに違いない」と真剣に思うし、できるならそうしたいと心から思う。
小学校4年と言えば、今の長女とほぼ同じ年。
クラスメートの女の子に恋心を抱き、卒業したばかりの新卒の担任の女性教師にもほのかに憧れていた頃だ。ただもう一度戻りたいとまでは思わないなぁ・・・

小中学生の頃だってもちろん楽しい毎日だった。
近所の少年野球のチームに所属して、週末は練習や試合に明け暮れていた。
自転車飛ばして公園やら友達の家やら遊びまわっていた。
でもまだ自分に自信がなかった頃でもあり、喧嘩になっても殴られっぱなしだったし、つっぱりグループとは目を合わせないようにしていた頃でもある。
今となればあの頃に戻って喧嘩しても勝てると思うから、リベンジしに行くという考えもあるが、そんなのも後ろ向きでひねくれた考え方だ。

ほぼ咄嗟に答えたとは言え、「高校生」というのもよくよく考えてみてもやっぱりその通りである。中学生までの厳しい校則がゆるゆるになって、自由な気分が味わえたし、アルバイトもできて親にこずかいももらわなくなったから、ちょっとばかり大人になった気もしていた。つっぱりグループとも無縁になったし、初めて女の子とデートもしたし、勉強ですら面白いと思うようになっていた。衝動的に始めたラグビーであったが、こんなに面白いスポーツに巡り合えた幸運を今でもありがたいと思う。

特に悔いなどはないから、改めてやり直したいかと言われれば難しい気もする。
ただ、ラグビーの試合は連戦連敗だったから、せめて何試合かは勝てるようにできるかもしれないとは思う。だが、高校生に戻ると暗い受験生時代をもう一度体験しないといけなくなる。
浪人中は、家に籠って一日10時間、一週間で62時間の勉強を自分に課し、363日毎日勉強しようと決めて机に向かった生活は、やれと言われてももう無理かもしれない。
そうすると、やっぱりやり直すとすると大学に合格した日からかなあ・・・

楽しかった時代に戻りたいと思う一方で、何か悔いがあったりすると、そこからやり直したいと思う気持ちもあるかもしれない。たぶん、誰にでもそんな場面はいくつもあるだろう。東電の社長なんか3月10日以前(あるいはもっと前)に戻りたいと思っているかもしれない。そんな後悔を、みんなそっと胸に秘めて今を生きているのだろう。

就職・結婚とその時はベストだと思った選択も、今となってはやり直したいものばかりだ。
だが、結婚などはもしも違う選択をしていたら、今の子供たちとは出会えなかったわけである。そうすると複雑な心境だ。それだけはどうにも耐えられない気がする。

結局、様々な選択の結果が今日の自分なわけで、いろいろと悔いもあるが他の選択肢というのも考え難いものがある。結局戻ってやり直しても、またそこから別の後悔が生まれるものなのかもしれない。楽しかった時代に戻るのも、悔いある過去をやり直すのも、空想の中でしかできない事。やっぱり今を悔いなく生きたいし、明日も希望を持って迎えたい。

いろいろ大変な事が多い今も、いつかは懐かしく振り返れるようになると信じて、明日も頑張ろうと思うのである・・・

【本日の読書】

「民の見えざる手」大前健一

「春秋山伏記」藤沢周平





2010年12月8日水曜日

ディズニーランドな一日

ここのところ何かと忙しく、ブログの更新もままならなくなってきた。
思い通りに行かないという事は、じわりじわりと心にダメージを与えるものだと感じる。
一日が25時間だったら、もう少し幸せかもしれない・・・

先日、クリスマスシーズン恒例のディズニーランドへ行った。
長女が 学校公開の振り替えで平日休みとなったのに合わせて、私も休みを取ったのである。
平日だからと期待したが、やっぱり混んでいるのがディズニーランド。

「開門から閉門まで」が我が家の流儀。30分前から開門を待つ。ただ待っているのではない。この間、戦術を練るのである。
まずは私が、長女が好きなスプラッシュマウンテンのファストパスを取りに行く。
その間、家族はバスライトイヤーのアストロブラスターに並ぶ。
アストロブラスターが終わった後にスプラッシュマウンテンという段取りである。

ところが、スプラッシュマウンテンのファストパスを取ったはいいが、アストロブラスターは150分待ち。終わる頃には午前中のクリスマスパレードの場所取りが出来なくなる。すでに家族は20分並んでいる。ここでアストロブラスターは断念し、短い時間で済みそうなグラウンドサーキットへ切り替える。

せっかく並んだ20分が惜しい気もする。しかしこの20分は敢えて捨てる。
経済学用語ではサンクコストというのであるが、これを惜しんでいてはもっと損失は大きくなる。
午後から雨という予報だったから、パレードは午前中に見ておかないといけない。
天気と待ち時間とファストパスの時間と、次のファストパスを取りに行く時間。
これらを組み合わせて最適解を選ぶ瞬時の判断力!

と言っても私は何も考えず、指示に従って動き並ぶだけ。文庫本を片手に東へ西へ・・・
「指示待ち族」「イエスマン」「作業員」という言葉は、サラリーマンとしてはいただけないが、我が家の中では別。これが賢い生活の知恵である。

予報が外れて早くも雨が降り始め、午前中のパレードは中止。
屋内施設のイッツアスモールワールドに一時避難する。
しばらくすると雨はやむ。
結局傘は不要であった。
こういうところも天下御免の晴れ男の面目躍如たるところ。

午後2時近くなってようやくランチの許可が下りる。
短時間で手軽に食べられるピザが選択される。
そこへ向かう途中、長男が「トイレ!」。
ところが一番近いところは長蛇の列。
「漏れそう」と言う長男。大きい方だと言う。
他の家族はピザを頼みに行ってしまった。
こうなると自分で判断しないといけない。

子供だからという特例扱いは、係のお兄さんに断られ、漏らすリスク覚悟で並ぶか動くかの判断を迫られる。    過去の経験と記憶から少し先のトイレを選び出し、移動を決断。
ダメならその先のレストランのトイレ。
ここなら少なくとも列は短い。
最悪、替えのパンツは車の中だ。

幸いこの賭けには勝つことができた。
はるかに短い列に並んだだけで、ギリギリで個室に駆け込む。
だが惜しいかな、ちょっとパンツが汚れてしまった。
足踏みしながら頑張った長男だが、まあ仕方ない。
結局、車に戻って替えのパンツを取りに行き、履き替えさせていたら、もう午後のパレードの場所取りの時間。のんびりランチというわけにもいかない。

こんな騒動を丸一日。
閉門時間を30分も過ぎてからエンジンスタート。
夜の首都高、ハンドル片手にお気に入りのCDを選ぶ。
いつもは長女のリクエストで嵐ばかりが歌っているが、みんな疲れて眠った車内では好きなアルバムを選択できる。

我が家のディズニーランドはいつもこんな具合だ。
でもこんな一日も子供が小さいうちだけだろう。
いつかこの疲労感が懐かしく思えるのかもしれない。
いい思い出として、ブログにも残しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
   
   

2010年9月4日土曜日

ひと夏の思い出

本日は家族で昭和記念公園のレインボープールに行って来た。
なにせ9月とはいえ、この暑さ。
しかも私の住んでいる練馬は、東京の最高気温というと必ず引き合いに出されるというありがたい土地柄。この夏の締めくくりとして、行く事にしたのだ。

実は都内のプールは8月一杯というところが結構多い。
我が家の近所の区民プールは軒並み8月一杯だし、近くのプールもそういうところが多い。
9月の頭までやっているというのは珍しいようである。
そして今日はその狙いが見事的中したような天気。
選択は間違っていなかったようである。

日中は肌をさす日差し。
地面も暑くて裸足で歩けない(どうやら足の裏を少しやけどしたみたいである)。
流れるプールは水も冷たく(他のプールはさすがに温まっていた)、気持ちよかった。
子供たちも喜んでいたし、今年はリベンジできた。

実は昨年は散々だった。
私の夏休み期間中はほとんど雨で、やっぱり昭和記念公園のプールに行ったのだが、午後から雨。
しかも雷のおまけつき。プールの噴水の下に入った長男が、「去年のプールみたい!」と喜んでいたが、笑えない冗談だった。区民プールも室内のある所に、雨だから車で妻に送ってもらって子供たちと行ったほどであった。だからリベンジなのである。

そういえば我が家はプールオンリーである。
海には行かない(関東近辺では、という意味である)。
海だと距離があるし、せっかく行っても江の島あたりは汚いし、房総、九十九里などは遠いし渋滞するし、で勇気が出ないのだ。そのあたりの海は子供の頃によく連れて行ってもらったものである。

子供の頃と言っても小学生の頃だ。
電車に乗って行った記憶がある。
そのうち何回かは仲の良い友達家族と行ったが、親父の姿はそこにはなかった。たぶん、夏休みの平日に行ったのだろう。千葉の御宿とか、そのあたりだったと思う。民宿に泊まって、いつも焼き過ぎた肌がヒリヒリ痛かったのを覚えている。

今から思うと、当時は週休2日制なんてない。
家族で海に行った記憶もあるが、あれはあるいは日帰りだったのかもしれない。
せっかくの週に一度の休みに親父は疲れただろうな、と今になってみれば思う。
私も今日は疲れたから、明日は寝坊しようなんて思っているが、あの頃の親父はそんな事言ってられなかったわけだ。

私の母親は、いろいろと家事の手伝いをする私の姿を見て、「今のお嫁さんはいいわねぇ」なんて言うが(それを妻が嫌味ととるからあとで私も大変なのである)、当時の親父の立場にたってみれば、週に6日間働いて(しかも水曜日には早帰りしましょうなんて習慣もなかったわけである)ようやくの日曜日、何もする気にはなれなかったのだろうと思う(神様だって7日目にはお休みになられたのだ)。

いつも何も言わずにあさっての方を見て、母の独り言を聞き流している親父であるが、男には男の辛さがあるよなぁと、今ではちゃんと肩をもっている。
世の中の進歩なのだとは思うが、今は良い時代で私も親父よりは楽になっている。
親父も大変だっただろうが、あの頃の家族で行った海の思い出は、ちゃんといい思い出として私の中に残っている。

さて、記録的な猛暑のこの夏の一連のプールの思い出が、我が家の子供たちにどのくらい残るだろうか。「プールに入ってたら、雨が降って雷が鳴ったんだよね」じゃ浮かばれないぞ、と思うのである・・・
    

【昨日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(下)」海堂尊
         
      

2010年5月4日火曜日

続連休の日々

 連休中日は再び公園だ。今回行ったのは、埼玉県にある国営武蔵丘陵森林公園。ここはとにかく広い。ちょうどこの冬に息子が補助輪なしで自転車に乗れるようになったので、みんなでサイクリングをしようというのが、今回の目的。したがって広いサイクリングコースがある、という事でここを選んだのだ。

 全長17キロという事であるが、適度に起伏もあって16インチの自転車をこぐ長男にはちょうどいい感じである。3/4くらい走って1時間半。ランチタイム前の運動としては、これも子供にはほどよい感じである。

 園内にも貸自転車はあるのであるが、園の入り口にも貸自転車の看板がある。園内は当然公営であるが、園外は私営。両者の比較も面白い。私営の方はなんと自転車を借りると駐車場はタダとなっている。公園の駐車場が610円なのに対して、私営のそれは400円である。園の駐車場はガラガラであったが、周辺の民間駐車場はそこそこ埋まっていた。公共施設だからクレームなど出ないのであろうが、ここでも民間の商魂のたくましさを感じた。

 持参した弁当を家族で食べる。
快晴ゆえに気持ちがいい事この上ない。
芝生の上にレジャーシートを敷き、食べ終わってごろりと横になる。
さわやかな風が吹くたびに頭の上の木々の葉がざわめく。

 木々の葉は新緑。
生命の息吹が伝わってきそうな眩しい緑である。
そしてその上の空は真っ青。
暑くもなく、寒くもない。
いつの間にかうたた寝をしてしまったが、心地良いのなんの・・・

 森林公園という名の通り、園内にいると森の中にいるような錯覚に陥る。
何せ高い建物も、道路を走る車も木々に遮られて見えないため、非日常を感じる事ができるのである。池や沼があったり、芝生の広場があったり、遊具もあるし、一日ですべて楽しもうとするのはたぶん不可能だ。

 今回は何よりも天気に恵まれた。
一日半袖で過ごしても平気だったし。
4月の桜も良かったが、5月の新緑もまた良いものである。
家族連れもいて、カップルもいる。
時間ものんびりと流れているような感じがした。
忙しい日常から離れて、何だかとても贅沢な気分になって帰ってきた。

 もっと足を延ばせば、そんなところはたくさんあるのだろう。
例えば親父の故郷の富士見(長野県諏訪郡)の高原などは夏の避暑には最高だ。
ただ渋滞を考えるとプラスマイナスどうかとなってしまうだろう。
ほんの一時ではあったが、最高の昼寝ができたという事だけでも有意義な連休だと思うのである・・・
     
  
  

2010年2月10日水曜日

幸か不幸か

人は心そのもの。
人はいつも思考という道具を持ち歩いて欲しいものを形作り、
いくつもの喜びといくつもの悲しみを生み出している
ジェームズ・アレン
********************************************************************************

 ここのところちょっと実家が大変な事になっている。父親が膝の怪我で入院したのに合わせるが如く、ここにきて母親も具合が悪くなり入院する事になった。何もそんなところまで仲良くなくてもいいものを、と思うがこればっかりは仕方がない。見舞いやら付き添いやら先生との話やらで実家と病院と職場と家との間を奔走していたので、すっかりブログは疎かになってしまった。

 実は5年前にも妻と子供が同時に(しかも別々の病院に)入院するという事態があった。この時もそうだったが、今回も「何という不幸だろう」と、ともすれば思いがちだ。しかし、こういう時こそ意識的に「不幸中の幸い」に目を向けるようにしている。この世の不幸が一気に圧し掛かってきたような気は、確かにする。実際に心も生活のリズムも乱れるし、大変は大変である。ただ、本当に究極的な不幸かと言えば、よくよく考えるとそうでもない事が見えてくる。

 第一にここは先進国日本の、しかも首都東京のど真ん中。入院した昭和大学病院まではタクシーで1メーターの距離。かかりつけ医では原因がわからなかった母親の症状も、検査の結果すぐに原因が判明した。自然治癒は難しいとの説明だったから、これが発展途上国だったら死ぬまで苦しまないといけなかったのかもしれない。母親は、本人の意識は別として幸運だ。

 そしてゆとりが叫ばれる我が職場環境。私も仲間の理解を得られ、休暇や早退で事態に対応できる。一昔前だったら大変だったのではないかと思う(昔、私の上司は義理の親の葬儀も仕事を休めず欠席していた・・・)。そういう時代の雰囲気と仲間とに恵まれたタイミングで幸運だ。

 さらに心の余裕がなくなっているこの時、我が家は平和で何の心配もない。家の事を何も気にしなくていいのは非常にありがたい。伯母(母の姉と妹)も手伝いに来てくれる。遠くに住んでいたら不可能なわけで、この点でもありがたい。私自身も海外や地方勤務だったら、遠くでやきもきするだけだっただろうし、近くで機動的に対応できるのも、考えてみれば幸運だ。不幸よりも幸運の方が多いような気がしてくる。

 どんなにあがいても事実は一つ。ただ、それをどう受け止めるかでだいぶ変わってくる。今回の件も、ひたすら嘆いても「ああまだ良い方だった」と自分に言い聞かせても、どちらにしても事態は変わらない。ならば少しでも良かったと思う方が、心にゆとりもできるし、いいような気がする。実際、発展途上国の人からみたら、随分と羨ましい状況だろうと思う。

 不肖の息子の汚名返上にも良い機会かもしれない。ここは一つ頑張りどころだと自分に言い聞かせて乗り切りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK



      

2009年1月30日金曜日

今この瞬間を

    
「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」
                        韓国のベスセラー小説「カシコギ」


伯父の葬儀で訪れた御代田の町。
短時間のショートステイでは何度か訪ねていたが、考えてみれば泊りがけで行ったのは14年振りだった。通夜と葬儀の短い合間合間にあちこち散歩した。
なんだか無性に懐かしくなったのだ。

都会では考えられないくらい広い校庭の小学校。いとこが通っていた学校だ。
夏休みには何食わぬ顔で一緒にプールに入って泳いだ。
当時の木造校舎は跡形もなく、廃校となったその場所は校庭こそそのままだが、校舎の跡地には銭湯ができていた。

今思い出してもレトロな駄菓子屋は、錆付いたトタン板で戸口をふさがれていた。
カブトムシを取りに行ったあたりには国道に通じる道路が通っていた。
バッタやカエルやザリガニを取った田んぼはビジネスホテルの駐車場に、伯母さんの作ってくれたおにぎりを持って遊びに行った神社の横にはパターゴルフ場ができていた。
いとこと野球をした空き地にはアパートが3棟連なっていた。
もうあの頃の御代田ではなくなっていた。
30年も経つのだから当たり前だ。

銀行に入って20年。
最初に配属となった思い出の支店は建て替えられて、場所こそ同じであるが近代的な商業施設の中にあり、自分がいた頃の店舗は影も形もない。そのあと転勤して勤めた3店舗もすべて同様だ。
かつての思い出の場所で、もはや記憶の中にしかないというところも、数えてみればかなりある。
それだけ無情な月日が流れているのだ。

何だか年寄り臭くなった。
もう一度訪れてみたいあの頃のあの場所。
もう一度経験したいあの時。
それらはみなどんなに努力しても叶わぬ夢なのか。

これからそういう場所や時間がますます増えていくのだろう。
そうしていつか気がついたらそんな思い出ばかりになっているのだろうか。
ひょっとしたら何気なく生きている今このひと時であるが、20年後の自分が戻りたいと渇望しているひと時かもしれない。そう思うと、回りのものが何だかどれも大切なもののように思えてくる。

今は煩わしいと感じている事もひょっとしたら後から無性に懐かしくなって、その思い出に涙ぐんでいるかもしれない。思い出に浸るのは心地良く、心にも大切なひと時であるが、何よりも時計の針は動き続けている。当たり前の事であるが、今このひと時を大切に生きないといけない気がする。

毎日の仕事に精を出し、ミュージカルや映画を観て本を読んで心の充実感を満たす。
家族や友達と何物にも代えがたいひと時を過ごす。
ありふれた言葉であるが、「今を生きる」のだ。
そうして年老いてよぼよぼになった時に、いい人生だったと振りかえりたいと思うのである・・・