2010年2月10日水曜日

幸か不幸か

人は心そのもの。
人はいつも思考という道具を持ち歩いて欲しいものを形作り、
いくつもの喜びといくつもの悲しみを生み出している
ジェームズ・アレン
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 ここのところちょっと実家が大変な事になっている。父親が膝の怪我で入院したのに合わせるが如く、ここにきて母親も具合が悪くなり入院する事になった。何もそんなところまで仲良くなくてもいいものを、と思うがこればっかりは仕方がない。見舞いやら付き添いやら先生との話やらで実家と病院と職場と家との間を奔走していたので、すっかりブログは疎かになってしまった。

 実は5年前にも妻と子供が同時に(しかも別々の病院に)入院するという事態があった。この時もそうだったが、今回も「何という不幸だろう」と、ともすれば思いがちだ。しかし、こういう時こそ意識的に「不幸中の幸い」に目を向けるようにしている。この世の不幸が一気に圧し掛かってきたような気は、確かにする。実際に心も生活のリズムも乱れるし、大変は大変である。ただ、本当に究極的な不幸かと言えば、よくよく考えるとそうでもない事が見えてくる。

 第一にここは先進国日本の、しかも首都東京のど真ん中。入院した昭和大学病院まではタクシーで1メーターの距離。かかりつけ医では原因がわからなかった母親の症状も、検査の結果すぐに原因が判明した。自然治癒は難しいとの説明だったから、これが発展途上国だったら死ぬまで苦しまないといけなかったのかもしれない。母親は、本人の意識は別として幸運だ。

 そしてゆとりが叫ばれる我が職場環境。私も仲間の理解を得られ、休暇や早退で事態に対応できる。一昔前だったら大変だったのではないかと思う(昔、私の上司は義理の親の葬儀も仕事を休めず欠席していた・・・)。そういう時代の雰囲気と仲間とに恵まれたタイミングで幸運だ。

 さらに心の余裕がなくなっているこの時、我が家は平和で何の心配もない。家の事を何も気にしなくていいのは非常にありがたい。伯母(母の姉と妹)も手伝いに来てくれる。遠くに住んでいたら不可能なわけで、この点でもありがたい。私自身も海外や地方勤務だったら、遠くでやきもきするだけだっただろうし、近くで機動的に対応できるのも、考えてみれば幸運だ。不幸よりも幸運の方が多いような気がしてくる。

 どんなにあがいても事実は一つ。ただ、それをどう受け止めるかでだいぶ変わってくる。今回の件も、ひたすら嘆いても「ああまだ良い方だった」と自分に言い聞かせても、どちらにしても事態は変わらない。ならば少しでも良かったと思う方が、心にゆとりもできるし、いいような気がする。実際、発展途上国の人からみたら、随分と羨ましい状況だろうと思う。

 不肖の息子の汚名返上にも良い機会かもしれない。ここは一つ頑張りどころだと自分に言い聞かせて乗り切りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK



      

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