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2026年10月25日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その10)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
郷人飮酒、 杖者出、斯出矣。郷人儺、朝服而立於阼階。
【読み下し】
郷きょう人じんの飲酒いんしゅには、杖じょう者しゃ出いづれば、斯ここに出いづ。郷きょう人じんの儺だには、朝ちょう服ふくして阼そ階かいに立たつ。
【訳】
村人と酒宴をされる時でも、老人が退席してからでないと退席されない。村人が鬼やらいにくると、礼服をつけ、玄関に立ってそれをむかえられる。
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 論語の中のこの章は、どうやら孔子の行動を記しているようである。時代も風俗も違う環境下で、当時のマナーがどうだったか知る由もない。しかし、年長者を敬う風習はあったのだろう、酒席では年長者より先に退席するのは失礼にあたったということなのだと思う。また、どういう儀式かわからないが、然るべき儀式の時は礼服でもって迎えたということのようである。こうした明文化されていないマナーというか風習のようなものは現代でも似たようなものがある。

 私が社会人デビューしたのは、昭和最後の年。当時の社会には暗黙のルールが多かった。「上司より先に帰ってはいけない」というのもその1つ。なぜなのかと問われるとよくわからなかったが、上司が仕事をしているなら部下は何か手伝うべきとか、上司が働いているのに部下が先に帰るのは失礼とかそんな意味合いだったのだろう。当然、新入社員は残業しても残業代など申請できない。「残りは明日にして今日は帰ろう」などという自己判断などできる余地はなかった。

 それがだんだんとデジタル化もあって「残業を申請しない」ということが(記録に残るから)できなくなり、「無駄な残業代は削減せよ」という経済的な事情もあって今ではそういう悪習は廃れている(残っているところもあるだろうが)。今は役員であり、いくら働いても残業はつかないが、それでも社長より早く帰るのはなんとなく気が引ける。会社の業績が芳しくないと、「もっと働いて実績をだせ」と言われているような気がしてしまう。それが「三つ子の魂」なのかはよくわからない。

 酒席では当時の上司にいろいろとマナーを教えられた。ビールはラベルを上にして注げとか、徳利の残りがわからなくても振って確認してはいけないとか。それはそれで面白いなと思ったが、そんな上司と飲みに行きたいなどとは当然思わず、課全体での行事など必要最低限しか行かなかったのを記憶している(当然2次会なども行かなかったが、若手同士では毎週のように飲みに行っていた)。それは当時、瓶ビール文化だったのもあると思う。今はジョッキの個杯が基本となっているからお酌もしなくて済んでいる。

 我が社はIT業界ともあって、普段の服装はビジネスカジュアルである(もっとも定義は人それぞれである)。私もノーネクタイで過ごしているが、そうであっても毎年新入社員を迎える入社式とそれに続く社内研修ではネクタイを着用している。もちろん、新入社員も男女ともビジネスルックを指示している。入社式という節目の儀式で互いにこれから一緒に働くための顔合わせであるから、互いにきちんとした服装で向かい合うという意味は大きいと思う。

 簡単にすれば簡単である。しかし、そこに礼を持ち込む意義は大きいと思う。そこにはそれが普通でないという意味合いがある。節目の折にきちんとしたスタイルで臨むということは、そこに大きな意味を与える行為になる。孔子の時代の中国も現代の日本もそういう部分では同じだと言える。もっとも、スーツはビジネスマンにとっての普段着だという見方もできる。普段、ビジネスカジュアルだからこそ、特別感が出せるのかもしれない。

 ただ、儀式はともかく、酒席は接待のようなものは別として、内輪では気楽にやりたいものである。特別の事がなければ(接待とかでなければ)、上下の隔たりなく酒を酌み交わしたいと思う。孔子の行為も立派だと思うが、年齢差があったとしても、互いに気を遣う事なく尊重し合うというのが理想的だと思うのである・・・





【今週の読書】
 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか - ロビン・ダンバー, 長谷川眞理子, 小田哲 シークレット・オブ・シークレッツ 下 - ダン・ブラウン, 越前 敏弥





2026年10月11日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その9)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
席不正、不坐。
【読み下し】
席せき正ただしからざれば、坐ざせず。
【訳】
座席のしき物がゆがんだり曲がったりしたままでは坐られない。
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 論語は孔子の言動をまとめたものであるが、やはり2,500年も前のものとなると、現代の感覚や常識では理解しきれないものもある。今回の言葉も、「敷物が歪んだり曲がったり」という状況がどういうものかわからないと、言わんとしている本当の意味はわからない。たとえば日本の座敷で座布団が敷いてあるイメージでいくと多分違うような気がする。物事が正しく配置されていないとダメというのであれば、なんとなくわかるような気がする。

 工場では高い生産性を上げるためには「整理整頓」ということが徹底されていると聞く。工具類などの置き場がきちんと決まっていて何がどこにあるかという事が把握されていないと、必要な工具を探すという無駄な時間を費やすということはよくわかる。実際、我が家でも老いた母はよく物を使っても片付けるということをしないから、いつも私が探し回るハメになる。本人に聞いても3分前のことはもう忘れているので、本人も自分の責任だとは思っていない。この探し物はかなりのストレスである。

 整理整頓とはいうものの、その本質は「ものの在処(ありか)」だと思う。整理整頓というと、きちんと整っているというイメージであるが、在処さえわかっていれば必ずしも整理されていなくてもいい。よく机の上を乱雑にしている人が、家族などに片づけられて、綺麗に整理整頓されたがゆえに、モノのありかがわからなくなって怒るという事がよくあるのはそのためである。乱雑であっても、本人なりにどこに何があるか把握されていれば、綺麗に整理整頓されてモノのありかがわからなくなるより遥かにマシという事である。側の人にはわからなかったりする。

 モノのありかではないが、我が社では毎週朝会があり、経営会議などの会議があるが、会議ごとにみんな座る場所が決まっている。誰が言い出したモノでもなんでもないが、みんな自然と同じ場所に座るのである。それは私自身もそうであり、なんとなく「いつもの場所」に座る。それが落ち着くのである。我が社は導入していないが、よくフリーアドレスを採用している会社がある。いわゆる「どこに座ってもいい」という制度である。私の場合、もしフリーアドレスになっても、やっぱりここと決めた場所にずっと座るような気がする。

 自宅が一番落ち着くというのもこの理屈のような気がする。様子がわかっている我が家が一番落ち着くというのも、結局はどこに何があるかわかっているという安心感が原因ではないかと思う。モノのありかがわかっていることは安心感につながる。1人であれば自分だけがわかっていればいいが、チームであれば統一したルールが必要になる。自宅では「茶碗はここにしまう」というようなモノである。もはやそのルールを覚えられない母には難しいが、会社などでは大事だろう。

 そこから転じてものがきちんと整っているかという事はやっぱり大事であり、それは普段からの規律ということかもしれない。孔子が座席の敷物がゆがんだり曲がったりしていたら座らなかったというのは、もしかしたらワガママとかそういうことではなく、弟子に対する「教育」だったのかもしれない。軍隊では、ベッドメイキングや軍服の乱れを徹底的にうるさく指導されると聞くが、それも厳格な規律が軍隊には必要だからだろう。それと同じかもしれない。

 私にはそんなこだわりはない。それがいいのか悪いのか。強いて言えば、「何事も柔軟に」。そんなスタンスでいたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 これがそうなのか (集英社文芸単行本) - 永井玲衣 シークレット・オブ・シークレッツ 下 - ダン・ブラウン, 越前 敏弥




2026年9月27日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
食不厭精。膾不厭細。食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色惡不食。臭惡不食。失飪不食。不時不食。割不正不食。不得其醬不食。肉雖多、不使勝食氣。唯酒無量、不及亂。沽酒市脯不食。不撤薑食、不多食。祭於公不宿肉。祭肉不出三日。出三日、不食之矣。食不語。寢不言。雖蔬食菜羮瓜、祭必齊如也。
【読み下し】
食しは精せいなるを厭いとわず。膾なますは細ほそきを厭いとわず。食しの饐いして餲あいし、魚うおの餒たいして肉にくの敗やぶれたるは食くらわず。色いろの悪あしきは食くらわず。臭においの悪あしきは食くらわず。飪じんを失うしなえるは食くらわず。時ときならざるは食くらわず。割きること正ただしからざれば食くらわず。其その醤しょうを得えざれば食くらわず。肉にくは多おおしと雖いえども、食気しきに勝かたしめず。唯ただ酒さけは量りょう無なし、乱らんに及およばず。沽こ酒しゅ市脯しほは食くらわず。薑はじかみを撤てっせずして食くらうも、多おおくは食くらわず。公こうに祭まつれば肉にくを宿しゅくせず。祭肉さいにくは三日さんじつを出いでず。三日さんじつを出いづれば、之これを食くらわず。食くらうに語かたらず。寝いぬるに言いわず。蔬食そし・菜羮さいこう・瓜うりと雖いえども、祭まつれば必かならず斉如さいじょたり。
【訳】
米は精白されたのを好まれ、膾(なます)は細切りを好まれる。飯のすえて味の変ったのや、魚のくずれたのや、肉の腐ったのは、決して口にされない。色のわるいもの、匂いのわるいものも口にされない。煮加減のよくないものも口にされない。季節はずれのものは口にされない。庖丁のつかい方が正しくないものは口にされない。ひたし汁がまちがっていれば口にされない。肉の料理がいろいろあっても、主食がたべられないほどには口にされない。ただ酒だけは分量をきめられない。しかし、取乱すほどには飲まれない。店で買った酒や乾肉は口にされない。生姜は残さないで食べられる。大食はされない。君公のお祭りに奉仕していただいた供物の肉は宵越しにならないうちに人にわけられる。家の祭の肉は三日以内に処分し、三日を過ぎると口にされない。口中に食物を入れたままでは話をされない。寝てからは口をきかれない。粗飯や、野菜汁のようなものでも、食事には必ずまずお初穂を捧げられるが、その敬虔そのものである。
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 この「郷党第十」の章は名言、格言の類は少なく、もっぱら孔子のありふれた日常の行為について触れたものが多い。今回は食生活に関するものである。「口にしない」ということが多く説明されているが、何となく「好み」というより、「安全」の面からのような気がする。およそ2,500年前の中国では、現在と違って冷蔵庫などなく、食料の保存という点では厳しい条件下にあったと思う。そんな環境下、味の変わったものや腐ったもの、色や匂いの悪いものを食べないのは(現代でも)当然であると思う。

 安全以外の理由では、大食をしないとか、乱れるほど酒を飲まない、口にものを入れたまま喋らないなどは当たり前の嗜みである。私でもできていると言いたいが、もう昔ほど食べないのは年齢のせいかもしれないし、飲みすぎないのも単に酒が強くないのかもしれない。そのあたりは、孔子その人の他の見本となる行為であろうが、割と誰でも自然にできることなので何ということはない。

 昨年、妻と別居することにして実家に帰ることを決めたのは、単に金銭的な事情だけではなく、両親の面倒を見なければという思いもあったからである。母は長年専業主婦をやってきたベテランだが、腰の悪いのもあってか、しばらく前からほとんど料理をしなくなっていた。父はそれを非難することはなかったが、私が毎週末通ってちょっとしたものを作っただけで、「ご馳走だ」と喜んでいた。私は、と言えば「専業サラリーマン」で、家では食事など作ったことはなかったにも関わらずである。

 そんな私でも料理ができるのは現代社会の恩恵で、クラシルやデリッシュキッチンなどのアプリのおかげである。毎週末、実家に行っては冷蔵庫を覗き、そこにある食材をアプリに入れて出てきた献立から作れそうなものを選んで作るようにしたのである。今は多少慣れてきて、週末にスーパーで食材を適当に買い、それをベースに作っている。また、週央はコープやミールズといったおかずの宅配を利用している。現代社会は誠に暮らしやすい社会である。

 しかし、今度は賞味期限などの期限を意識しないといけないという難しさがある。冷凍食品はいいが、そうでないと食材はいつの間にか食べられなくなるという問題が出てくる。実は賞味期限はモノによっては結構過ぎても平気なので(特に冷凍食品)、実はかなり過ぎても食べたりする。他人様に出すわけではないので、そのあたりは大らかである。ただ、さすがに腐ってしまったものは食べないが、それ以外は孔子様も驚くかもしれない。両親の食事の支度を担うようになると、飲みに行く回数も減ってきている。まぁ、それほど苦痛ではないので構わないが・・・

 孔子も店で買った酒や乾肉は口にしないと書かれているが、もしかしたらそれは安全への危惧だったのかもしれない。当時は食品衛生法などなかっただろうから、何を売っているのかはわからない。酒だって水と混ぜてあったかもしれないし、腐りかけたものを平気で売っていたかもしれない。食中毒になっても自己責任だろうし、考えてみれば当時はすべて食べるものはよく厳選し、自分で自分の身を守らなければならなかっただろう。現代はスーパーでそんな心配をすることなく購入できるのは、考えてみればありがたい世の中である。

 考えてみれば、現代社会は食べ物に恵まれている社会である。それゆえにフードロスなんて問題も起こり、食べ物に対するありがみも薄れてしまっているのかもしれない。当時の食糧事情を想像してみると、「粗飯や、野菜汁のようなものでも、食事には必ずまずお初穂を捧げられる」という行為は、食べ物に対する自然な感謝の念なのかもしれない。食べるだけだった今までの生活は楽だった。自ら作るようになって、多少の苦労を味わっているが、むしろ食べ物に対する思いは高まったかもしれない。

 ありがたい現代社会の有り様に感謝しつつ、毎日の食事は心を込めて作りたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 やくざは本当に「必要悪」だったのか (講談社+α新書) - 溝口敦 スターリン:独裁者の新たなる伝記 - オレーク・V・フレヴニューク, 石井 規衛





2026年9月13日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
齊必有明衣、布。齊必變食、居必遷坐。
【読み下し】
斉さいすれば必かならず明めい衣い有あり、布ぬのもてす。斉さいすれば必かならず食しょくを変へんじ、居きょは必かならず坐ざを遷うつす。
【訳】
ものいみする時には清浄潔白な衣を着られる。その衣は布製である。また、ものいみ中は食物を変えられ、居室をうつされる。
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 論語に載せられているのは格言ばかりのようにイメージしていたが、これまで見てきたように必ずしもそうではない。今回は風俗的な話である。わかりにくいが、「齊」という儀式があって、この儀式に臨む時の様子がここでは描かれている。その期間中は布製の清潔な服を纏い、食べる物も部屋も変えるのだとか。日本にはそのような儀式がないのでピンとこないが、イスラム教にはラマダンがあるし、戒律の厳しい宗教になると、そういうものもあるのかもしれない。

 先日、会社のある部署で新入社員歓迎会をやろうとしたところ、その新人はミャンマー人で、実は今は「ワーゾー」という時期で、お酒も飲めないし、食事も肉食を控えるのだと言う。それを念頭にお願いしたいと謙虚な申し出があり、それならそのワーゾーの期間が終わった11月以降にしようということになったそうである。よくよく聞けば、それは仏教行事との事。我が国にも仏教は浸透しているが、同じ仏教でも我が国のそれは「大乗仏教」であり、ミャンマーは「上座部仏教」という違いがあるようである。

 仏教はもともと釈迦が解脱をして始まったことからもわかるように、個人の修行的色彩の強いものであったが、それが伝播するうちに救済的な面が多くなり、個人の解脱よりも大衆の救済となって我が国に伝播している。お釈迦様も今の日本の仏教のあり方を見たら驚くかもしれない。それでも死んだら「戒名」をもらって仏様の弟子になるわけで、そこから修行するのかもしれない(私は弟子入りするつもりはないので、戒名も念仏も要らぬ被仏教式の葬儀を遺い残そうと思っている)。

 こうした行事はあった方がいいのかない方がいいのか。それは習慣に左右されるところがあるだろう。生まれた時からそういう習慣のある環境に育ってきていたら、必然的にワーゾーの3ヶ月間は静かに過ごすというのが普通の感覚になるだろう。逆に我々日本人としてみれば、3ヶ月間も飲みに行かない「禁欲生活」なんてごめんだという人も多いだろう。我が国でも喪中は年始の挨拶を辞去するので、まったくないわけではないが、ミャンマーからすれば緩やかである。

 イスラム教のラマダンは、「日の出から日没までの間、水を含む一切の飲食、喫煙、性交渉などが禁じられ」るそうである。性交渉も禁止と言われると驚くが、そもそも昼間からするのかと考えれば影響は軽微なのだろう。しかし、私のヘビースモーカーの先輩など困るだろうな、などと思ってしまう。ただ、一定期間、人々に生活上の戒めを行わせるのは、悪くはないのではないかと思う。我々日本人も一定期間、少し不自由な生活を送るのも悪くないと思う。

 そう言えば子供の頃、戦時中の苦労を忘れないために、一定の日にすいとんを食べるようにしているという話を聞いたことがある。宗教行事とは違うが、そういう苦労を忘れないようにしようという心掛けは大事だと思う。ラマダンやワーゾーにはそういうところから始まったのかもしれない。現代の無宗教の共産党政権下の中国ではわからないが、孔子の時代には生活の中に宗教色が入っていたのだろう。いつもと異なる服を着て、いつもと異なるものを食べ、いつもと異なる部屋で過ごすのは、己自身の振り返りにもなったかもしれない。

 ありがたいことに、現代は物資が豊富で恵まれている。特に我が国では日本人として生まれただけで恵まれているところがある。先人の苦労の賜物であるが、それに感謝するためにも、一定期間制約のある生活を送るのはいいことかもしれない。初詣だけではなく、神社に行って(願い事をするのではなく)頭を下げるのもいいと思う。少しの不自由と謙虚な姿勢が、もっと必要なような気がする。個人的にそういう1日をどこかで作るのも悪くはないと思う。自分だけでも、そんな日を1日でも設けてみようかと思うのである・・・



【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 「偶然」はどのようにあなたをつくるのか: すべてが影響し合う複雑なこの世界を生きることの意味 - ブライアン・クラース, 柴田裕之 シークレット・オブ・シークレッツ 上 - ダン・ブラウン, 越前 敏弥




2026年8月30日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その6)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
君子不以紺緅飾。紅紫不以爲褻 服。當暑袗絺綌、必表而出之。緇衣羔裘、素衣麑裘、黃衣狐裘。褻裘長、短右袂。必有寢衣、長一身有半。狐貉之厚以居。去喪無所不佩。非帷裳、必殺之。羔裘玄冠、不以弔。吉月必朝服而朝。
【読み下し】
君くん子しは紺かん緅しゅうを以もって飾かざらず。紅こう紫しは以もって褻服せつふくと為なさず。暑しょに当あたっては袗ひとえの絺ち綌げき、必かならず表ひょうして之これを出いだす。緇衣しいには羔こう裘きゅう、素衣そいには麑げい裘きゅう、黄こう衣いには狐こ裘きゅう。褻せつ裘きゅうは長ながく、右みぎの袂たもとを短みじかくす。必かならず寝しん衣い有あり、長ながさ一身有半いっしんゆうはん。狐こ貉かくの厚あつきを以もって居おる。喪もを去のぞけば佩おびざる所ところ無なし。帷い裳しょうに非あらざれば、必かならず之これを殺さいす。羔こう裘きゅう玄冠げんかんしては、以もって弔ちょうせず。吉月きつげつには必かならず朝ちょう服ふくして朝ちょうす。
【訳】
先生は 衣服にもこまかな注意を払われる。紺色や淡紅色は喪服の飾りだから、それを他の場合の襟の飾りには用いられないし、また平常服に赤や紫のようなはでな色を用いられることもない。暑い時には単衣のかたびらを着られるが、下着なしに着られることはない。黒衣の下には黒羊の皮衣、白服の下には白鹿の皮衣、黄衣の下には狐の皮衣を用いられる。平常服の皮衣は温かいように長目に仕立てられるが、働きよいように右袂を短くされる。寝衣は必ず別にされ、長さは身長の一倍半である。家居には、狐や狢の毛皮を用いて暖かにされる。喪の時以外は玉その他の装身具をきちんと身につけていられる。官服・祭服のほかは簡略にして布地を節約される。黒羊の皮衣や黒の冠で弔問されることはない。退官後も、毎月朔日には礼服を着て参賀される。
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 人間はいつから服を着るようになったのだろう。たぶん最初は防寒などの機能面からの必要だったのではないかと思う。それから「隠す」「守る」などの目的もあるかもしれない。寒さに震える心配のないアフリカの発展途上民族などはいまだに下半身だけを覆うような感じだが、それはやはり「隠す」という目的なのだろうが、それが羞恥心に結びついているのかどうかは興味深い。そして衣服が広まると、やがて「機能」だけではなく、「装飾」という意味合いも出てきたのだと思う。

 その装飾も最初はちょっとした他人との違いや変化を楽しむものだったのかもしれない。それがやがては地位を表すようになったのであろう。地位が上がれば、服装も贅沢になる。豪華な服装はそれを着る人の地位や財力を表す。それは現在に至るまで変わっていない。それは世界中で共通している考え方であると思う。それが各地域で独自に同じように発展したのか、あるいは祖先が世界各地に散っていく時にはすでにそういう考え方があったのかはわからない。TPOに合わせて服装を選ぶのは社会にも浸透した考え方である。

 サラリーマンの服装と言えばスーツであるが、これも時代とともに少しずつ変化している。私が社会人になった時は、上下のスーツにネクタイが基本的なスタイルで、それは季節を通じて同じであった。それが「クールビズ」が登場し、夏の軽装化が始まった。これは非常にありがたいもの。室内に入ればエアコンが効いているが、外の炎天下でネクタイ着用はかなり厳しい。これがなくなったのは本当にありがたかった。やがてそのクールビズもさらに進化している。

 私は、今や夏場はおろか、オールシーズンノーネクタイである。IT業界は服装が自由だからという理由だけでなく、我が社を訪問してくる銀行の担当者も同様である。お堅い銀行業界がそうなのだから尚更であろう。その昔、銀行員時代に八王子支店に在籍していた時、地域伝統であるネクタイ業界の一社を担当していたが、今は生き残っているのだろうか。ただし、オールシーズンノーネクタイと言っても、新入社員の入社式とそれに伴う新入社員研修の時はネクタイ着用である。ネクタイも今や冠婚葬祭やイベントの時の正装になりつつある。

 と言いつつ、考えてみればネクタイはいつだって「正装」であったのかもしれない。ビジネスにおいては、サラリーマンは「正装」で臨んでいたのかもしれない。それが時代と共に「正装」でなくてもいいという「略式化」が進んだという考え方もできる。それゆえに、入社式のようないわゆる企業の「儀式」の時には「正装」なのである。私もこの夏はこれまでの半袖ワイシャツから進化してとうとうポロシャツなどのカジュアルシャツを導入した。

 最近はさらに靴も革靴からスニーカーへと変化しつつある。私はまだ何となくスニーカーには抵抗があって履いていないが、我が社の社長も一部役員もスニーカーを履いているし、ここぞとばかりなのか、スニーカー業界もビジネス用に乗り出してきているようである。私もまだ抵抗があるとは言え、それは精神的なものというより、何となく「似合っていない」と感じるからである。スーツにニューバランスのスニーカーなどは、今の私の感覚だと真似したいと思わないのである(デザインが変わればわからない)。

 ビジネスがカジュアル化していくのは悪くないと思う。今はまだ「ビジネスカジュアル」だが、いずれ完全にカジュアルになるのだろうか。ただ、個人的には、やはりビジネスシーンにおいては、ある程度私生活とは異なるフォーマル度合いを残していきたいと思う。私は、目標として(最低でも)70歳まで働きたいと頑張っている。あと8年はビジネスマンとして働きたい。その間は、今のビジネスカジュアルが続いていって欲しいと思うが、時代に合わせたいとも思う。

 何事についても変化は否定すべきではないと思うが、服装については現状からあまりカジュアル化して欲しくないと思う。スポーツにユニフォームがあるように、ビジネスにも「ユニフォーム」があってもいいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 物理学と神 (講談社学術文庫) - 池内了 百年の時効 (幻冬舎単行本) - 伏尾美紀




2026年8月16日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その5)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授。勃如戰色。足蹜蹜如有循。享禮有容色。私覿愉愉如也。
【読み下し】
圭けいを執とれば、鞠きく躬きゅう如じょたり。勝たえざるが如ごとし。上あぐることは揖ゆうするが如ごとく、下さぐることは授さずくるが如ごとし。勃如ぼつじょとして戦せん色しょくあり。足あしは蹜蹜しゅくしゅくとして循したがう有あるが如ごとし。享きょう礼れいには容よう色しょく有あり。私し覿てきには愉愉ゆゆ如じょたり。
【訳】
他国に使いし、圭を捧げてその君主にまみえられる時には、小腰をかがめて進まれ、圭の重さにたえられないかのような物腰になられる。圭を捧げられた手をいくらか上下されるが、上っても人にあいさつする程度、下っても人に物を授ける程度で、極めて適度である。その顔色は引きしまり、あたかも戦陣にのぞむかのようであり、足は小股に歩んで地に引きつけられているかのようである。贈物を捧げる礼にはなごやかな表情になられ、式が終って私的の礼となると、全くうちとけた態度になられる。
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 論語も細かく読んでいくと、必ずしも教訓めいた言葉だけが並んでいるのではなく、一見何のことだかよくわからない事もかなり書かれている。ここでは他国に赴いて君主にまみえた時の態度について述べられている。それは何よりも自国の君主に対して取るような恭しい態度を示している。これも礼儀として考えるのであれば当然のことである。おそらくここでは「友好国」という前提があると思う。友好国であれば、失礼な態度はすなわち友好関係を阻害する可能性もあるわけで、当然と言えば当然である。

 『のぼうの城』という映画があった。天下統一を図る豊臣秀吉の小田原攻略の一環で、石田三成が2万の軍勢を率いて主人公成田長親が留守を預かる忍城を包囲する。成田の軍勢は3千であり、戦力差に圧倒的な差がある。城主の成田氏長は開城を許可して小田原に向かっている。三成の使者が長親に面会し、開城を促す。その態度は長親を見下した横柄なもの。家臣は皆忸怩たる思いを抱えてこの会談を見守る。すると、長親は何とここで戦うと宣言する。使者はこの予想外の態度に慌てて再考を促すが、長親の考えは変わらない。

 当時、武士は相手と座って話す時、刀を右側に置いていたという。それは(右利きであれば)「すぐに抜けない位置」であり、それが礼儀だったそうである。このシーンで長親が戦いを宣言すると、家臣たちが一斉に刀を左側に置き換える。なかなか血が湧くシーンであったのを思い出す。映画であるのであくまでフィクションであるだろうが、もしもここで相手の使者が礼を持って長親に接していたら、あるいは長親は城主の指示に従って素直に開城していたかもしれない。この映画の1番の見所だと個人的には思う。

 日露戦争の末期、乃木将軍率いる第三軍は多大なる犠牲を払って旅順要塞を攻略し、乃木将軍は降伏したロシア軍の司令官ステッセル中将との降伏式に臨む。式が終わって双方並んでの記念撮影では相手に帯剣を許可したという。これは勝者として奢ることなく、敗者である相手を立てる行為で、当時は色濃く残っていた武士道精神の現れだったのだろう(戦国時代にはなかったのだろうか)。ステッセル中将とてこうした扱いを受ければ、否応なく「礼には礼をもって」対応しなければならなくなる。

 おおよそ人間関係というのはみなこのようなものではないかと思う。特に立場が有利な者ほど、不利な者に対して礼を持って接することが大切で、それでこそ相手の敬意を獲得できるのではないかと思う。現代でも上司と部下、取引先において発注先と受注先などにおいて力関係を背景とした「上から目線」になりがちである。父もかつて自営業をしていたが、発注先の経理部長は、母が集金に行った際、かなり横柄な態度であったらしい。ビジネスにおいては、会社対会社の力関係が自らの力のように勘違いしてしまうのかもしれないが、あまり見られたものではない。

 「実るほど頭を垂るる稲穂かな」ではないが、常に人には丁寧に接すべきだと思う。自分の方が関係性において上だと思われる時には、常に意識したいことである。もちろん、ビジネス関係において、特に親しくなった人とは、友人関係を築けたらと、友人の数が少ない身としては思う。「人には常に礼を持って接する」ことをこれからも意識していたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 物理学と神 (講談社学術文庫) - 池内了 スターリン:独裁者の新たなる伝記 - オレーク・V・フレヴニューク, 石井 規衛




2026年8月2日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その4) 入公門章

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
入公門、鞠躬如也。如不容。立不中門。行不履閾。過位、色勃如也、足躩如也。其言似不足者。攝齊升堂、鞠躬如也。屛氣似不息者。出降一等、逞顏色、怡怡如也。沒階、趨進翼如也。復其位、踧踖如也。
【読み下し】
公門こうもんに入いるに、鞠きく躬きゅう如じょたり。容いれられざるが如ごとし。立たつに門もんに中ちゅうせず。行ゆくに閾しきいを履ふまず。位くらいを過すぐるに、色いろ勃如ぼつじょたり、足あし躩如かくじょたり。其その言げんは足たらざる者ものに似にたり。斉もすそを摂かかげて堂どうに升のぼるに、鞠きく躬きゅう如じょたり。気きを屏おさめて息いきせざる者ものに似にたり。出いでて一等いっとうを降くだれば、顔がん色しょくを逞はなちて、怡怡いい如じょたり。階かいを没つくせば、趨はしり進すすむこと翼如よくじょたり。其その位くらいに復かえれば、踧しゅく踖せき如じょたり。
【訳】
宮廷の門をおはいりになる時には、小腰をかがめ、身をちぢめて、あたかも狭くて通れないところを通りぬけるかのような様子になられる。門の中央に立ちどまったり、敷居を踏んだりは決してなされない。門内の玉座の前を通られる時には、君いまさずとも、顔色をひきしめ、足をまげて進まれる。そして堂にいたるまでは、みだりに物をいわれない。堂に上る時には、両手をもって衣の裾をかかげ、小腰をかがめ、息を殺していられるかのように見える。君前を退いて階段を一段下ると、ほっとしたように顔色をやわらげて、にこやかになられる。階段をおりきって小走りなさる時には両袖を翼のようにお張りになる。そしてご自分の席におもどりになると、うやうやしくひかえておられる。
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 日本人は割と礼儀を重んじるところがあると思う。例えば、神社に行くと、門前で一礼している人をよく見かける。私は神前を大事にしたいと思うが、どうしても人目を気にしてしまうところがある。素直にできる人はすごいなと思うところである。また、ラグビーでは、グラウンドに出入りする都度、一礼する選手も多い。グラウンドは神前ではないが、「神聖なところ」と捉えるところから来ているのだと思う。一流チームほど徹底しているところがあると思う。

 今回は孔子の行動だと思うが、宮廷を神聖なところとする思いが行動に現れているように思う。それは「礼」を重んじる孔子らしいと言えば孔子らしいのだろう。実際に神様がいる場所以外も神聖な場所と捉えて重んじる行動は素晴らしいと思う。特にグラウンドをそう考えるのは日本人以外にもあるのかどうか知りたいところである。考えてみれば、グラウンドはスポーツをする場所で、神様とは無縁である。そこを神聖な場所と考えるメンタリティ。これは如何なるものなのか。

 そう言えば、小学生の時、近所の野球チームに入部したが、そこで教えられたのがグラウンドでの礼であり、バッターボックスに入る時の礼である。また、試合前には審判を前にして相手チームと向かい合い、一礼して試合に入る。それは神聖な場所というよりも、礼儀という意味合いが強いと思う。正々堂々とルールに従って勝負をしましょうという宣言である。スポーツは何をしても勝てばいいというものではない。スポーツマンシップに則って正々堂々と勝負することが重要なのである。そういう意味もあると思う。

 そしてグラウンドを神聖な場所と捉えるメンタリティ。グラウンドは神様とは無縁であるが、グラウンドがあるからラグビーができる。そこで仲間と切磋琢磨しあう。自分の技術を磨き、ライバルと競う。怪我をしないためにもグラウンド整備は重要であり、グラウンドは意思を持たずとも、基本的に大事にするというのがプレーヤーの考えであろう。今は人工芝のグラウンドが増えているが、我々の学生時代は土のグラウンドだったから、グラウンド整備はより重要であった。

 私も三年時にはグラウンド整備担当責任者になり、1年間グラウンド整備に汗を流した。練習後にはレイキをかけて整地し、夏には除草し、特にラインを引くところは除草剤を使って念入りに除草整備をした。公式戦で使用する場合は、グラウンドの整備状況は試合にも影響するし、また恥ずかしくないグラウンドを見せることは、相手チームに対する1つの勝負でもあった。女性の化粧みたいなものかもしれない。そして試合での泣き笑い。練習で流した汗とが染み込んだあのグラウンドは、確かに神聖な場所であると言える。

 自分が仕える宮廷を神聖な場所として敬うことは大事であると思う。そしてそれを人目を憚らず体現できるのも素晴らしい。そういう気持ちでいたら、不正などは起こさないであろう。翻ってみれば、職場も本来はそういう気持ちで出入りすべき場所なのかもしれない。何よりそこで生活の糧を得ているのであり、もちろん労働を提供しているということはあるが、それは当然として、自分の生活を支えている場であると考えればそこは神聖な場所であると言える気もする。

 明日から密かに一礼して出入りする気持ちでいたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか (講談社選書メチエ) - 野村育世 マスカレード・ライフ - 東野 圭吾




2026年7月15日水曜日

論語雑感 郷党第十 (その3)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
君召使擯、色勃如也。足躩如也。揖所與立、左右手。衣前後、襜如也。趨進、翼如也。賓退、必復命曰、賓不顧矣。
【読み下し】
君きみ、召めして擯ひんせしむれば、色いろ勃如ぼつじょたり。足あし躩如かくじょたり。与ともに立たつ所ところに揖ゆうすれば、手てを左さ右ゆうにす。衣ころもの前ぜん後ご、襜如せんじょたり。趨はしり進すすむに、翼如よくじょたり。賓ひん退しりぞくや、必かならず復命ふくめいして曰いわく、賓ひん顧かえりみずと。
【訳】
君公に召されて国賓の接待を仰せつけられると、顔色が変るほど緊張され、足がすくむほど慎まれる。そして同役の人々にあいさつされるため、左右を向いて拱こまねいた手を上下されるが、その場合、衣の裾の前後がきちんと合っていて、寸分もみだれることがない。国賓の先導をなされる時には、小走りにお進みになり、両袖を鳥の翼のようにお張りになる。そして国賓退出の後には、必ず君公に復命していわれる。「国賓はご満足のご様子でお帰りになりました」
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 接待という事を考えてみると、振り返ってみるとこれまであまり苦労した経験がないなと改めて思う。それはそもそもそういう機会がほとんどなかったからとも言える。銀行員時代からお客さんと酒席をともにする機会がなかったわけではない。それなりに回数はあったが、どちらかというと「接待される」方であり、銀行は営業店にいると、やはり接待するよりされる方が多かったと記憶している(今はどうかわからない)。そういう接待の場では主賓は支店長であり、私はお供であったから「傍に侍る」だけで良かったことがほとんどであった。

 それでも銀行というところは立場が微妙で、お客さんとより親しくなるという意味では酒席も必要なのであるが、あまり過度な接待になると「癒着」にもなりかねず、その匙加減が難しいものであった。どちらかというと、「接待」というより「ちょっと飲みに行きましょう」というレベルが多かったのも確かである。規模の小さい中小企業となると、「気を遣う支店長」よりも実務的に「頼れる担当者」の方が気楽だったかもしれず、私もちょくちょく「ちょっと飲みに行きましょう」というお誘いを受けることも多かった。

 銀行員時代の前半はそうした支店勤務だったが、途中から不良債権担当がメインになると、接待の機会はなくなった。それはやはり「癒着」のリスクを避けるためである。それでなくても銀行はお金を扱う微妙な立場。「接待したのに融資してくれなかった」と言われても困るし、「接待したから融資してくれた」と言われても困る。お中元、お歳暮も気を遣う業態である。それが接待の機会が少ない理由でもあると思うし、個人的にはそれが良かったと思っている。正直言って、接待はするのもされるのも苦手であり、できれば避けて通りたいところである。

 接待とまではいかなくても、仲の良いお客さんとは個別に酒席をともにしたこともある。その時は先方も「気を遣う支店長がいないところで気楽に飲みましょう」という意味合いであった。接待には気を遣うと言っても、親しくなったお客さんとの「お付き合い」が必要なのも事実である。応接室で話をするのもいいが、飲みに行けばプライベートの話をしたりしてより親しくなるのも事実である。それが「情状融資」などにつながればまずいが、担当レベルではそれほど大事にはなりにくい。そういう「お付き合い」もしばしばあった。

 記憶に残っているのは、最後の支店勤務で親しくなったとある社長さん。社長1人、事務員1人の小さな企業で、銀行としては接待対象になるような取引先ではなかった。支店長らの関心も薄い取引先であったが、資金需要はしばしばあり、私がこまめに対応していた。相手の社長さんからすると、それがありがたかったらしく、他にも取引銀行はあるようだったが、最後はほとんど一行先のようになっていた。転勤になり挨拶に行くと残念がられ、こっそりと「韓国に行きませんか」と誘われた。目的はエステでも買い物でもない。

 今はどうかはわからない。当時は韓国に行くと「エスコートサービス」のようなものがあり、女性が24時間エスコートしてくれるものだったらしい。もちろん、費用は全額社長持ちである。支店勤務時だとまずいというのは社長も理解していたようで、転勤時にはと考えてくれていたらしい。非常に魅力的なオファーだったが、新婚ではなかったものの、結婚して2〜3年目くらいの身で気が引けてお断りした。今誘われたら喜んで行くところだが、思い出すと残念に思う。ただ、それだけ喜んでいただいたのは事実であり、他の銀行よりも良いサービスを提供できたことは誇らしく思う。

 銀行を離れたあともそれほど接待とは縁なく過ごしている。唯一、昨年取引先の銀行から接待されたくらいである。銀行から接待されるという事は、1つには「前向きの取引先」であるという事がわかる。問題先であれば酒席をともなう接触は避けるものである。先方は地域統括の責任者がホストであったが、目的は「親睦」であった。銀行の接待用施設を利用してのもので、部屋は個室であり、それなりの高級感もあって好感を与えるという意味では接待の意味は大きい。ただ、やはりこちらも気を遣うのは確かであり、頻繁に招かれたいというものではない。

 考えてみれば、接待は飲食を伴う「儀式」であると思う。本来的にお付き合いであり、楽しむものではない(少なくとも楽しむのは二の次だろう)。楽しみたいと思うから大変なのであり、仕事と割り切ればそうではない。今の立場だと接待とは(する方もされる方も)縁がなさそうである。それはそれでありがたいと思う。「親睦を深める」「取引深耕を図る」等接待にはいろいろと目的があるだろうが、個人的には韓国に誘っていただいた社長さんのように、仕事の成果を評価してもらえるようなものがいいと思う。それが目的ではないが、常にそういう仕事をする意識で働きたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか (講談社選書メチエ) - 野村育世 スターリン:独裁者の新たなる伝記 - オレーク・V・フレヴニューク, 石井 規衛




2026年7月1日水曜日

論語雑感 郷党第十(その2)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
朝與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。君在、踧踖如也、與與如也。
【読み下し】
朝ちょうにて下か大たい夫ふと言いうときは、侃侃如かんかんじょたり。上じょう大たい夫ふと言いうときは、誾誾如ぎんぎんじょたり。君きみ在いませば、踧しゅく踖せき如じょたり、与与よよ如じょたり。
【訳】
朝廷で、下大夫とは、心おきなく率直に意見を交換され、上大夫に対しては、おだやかに、しかも正確に所信を述べられる。そして国君がお出ましの時には、恭敬の念をおのずから形にあらわされるが、それでいて、固くなられることがない。
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 人に対する態度という事に関しては、いずこも「目上」「同輩」「目下」に対するものがあるだろう。上に対しては丁寧、同輩に対しては対等、目下に対しては気軽というのが大まかなイメージである。ここで言う下大夫とは自分より身分の低い者、上大夫とは逆に身分の高い者という事なのだろうと思う。会社でも上司に対しては一目置いて接するだろうし、部下に対しては気軽に接するだろう。上司に対しては遠慮して言えないことも、部下になら気兼ねなく言えるという事もある。
 
 孔子のそれは、下の者に対しては威張ることなく意見を言いやすい雰囲気を作っており、上の者に対しては遠慮なく自分の意見を言い、トップに対しても敬意を示しつつ、卑屈になることもないという態度だったのだろう。まさにあるべき姿であるように思う。銀行員時代、上(部長)の顔色を常に伺っていた上司(課長)がいた。判断基準は常に「部長がどう思われるか」であり、自分の意見はないように思えてならなかった。自分の意見がないから、私から意見を求めて相談してもあいまいな答えしか返ってこない。私には不満しかなかった。

 しかし、かと言って下に威張ることがなかったのは良いところだったと思う。考えようによっては上司の意向を汲んで判断することは悪いことではない。むしろあるべき姿と言えるかもしれない。私だからかもしれないが、意見を言いやすかったのはその方の良いところでもあった。下の者に対しては壁を作らず何でも言いやすい雰囲気を作ることは大事なことである。その方はその点ではありがたい上司であったのである。ただ、上に対しては、自分の意見を主張するという事がなかっただけである。

 社長の前ではもみ手ですり寄っていくというのは、昭和の時代のサラリーマンのイメージであるが、今でもそういう人はいるのかもしれない。会社のトップとなれば、人事権を持っているのである意味絶対権力者である。粗相があってはいけないし、上手く取り入れれば出世もできる。そう考えると、もみ手ですり寄るのは正しい戦略かもしれない。ただ、傍から見ていてみっともないのは確かである。絶対権力者の前でも男であれば堂々としていたいものである。私は昔からそういう事をしたくないタイプであり、媚びを売る意識は今もない。

 ただ、会社での絶対権力者に対しては、「最終決定者」という意識で臨んでいる。すなわち、良かれ悪しかれ最終的な判断を下すのは社長であり、「決定が下ったら従う」(後藤田五訓)という信念から、たとえ己の意思に反しても従うのである。いつだったか、社長が取引銀行との付き合いで個人の定期預金を作ることになった。社長だからかなりの金額の定期預金だったが、「もしも会社の金を貸してくれと言ったらどうする?」と社長に問われた。それに対し、私は「何とかします」と答えた。社長はその答えに不満そうであった。

 社長は私に財務の責任者として、たとえ社長であってもそういう時は断ってほしいという気持ちだったようである。私は別に媚びを売ったつもりはない。もしも使途が「フェラーリを買う」だったら答えは「No」だっただろう。使途が「銀行との付き合い」だからこそ、何とかしようと思ったのである。会社のために使うのであれば何とかしないといけない。だが個人の楽しみなら違う(もっともはっきり「No」ではなく、のらりくらりと言い訳をしてお金がないと言ってごまかすだろうが)。

 トップに対して卑屈になることなく、堂々と対応したいのは当然であるが、考えてみればそれはトップの人柄にもよるのかもしれない。気に食わない者をどんどん排除するようなタイプであれば、私もそんなことは言ってられないかもしれない。今となれば年齢的にも職を失えば大幅な収入減は避けられない。有無を言わさず「フェラーリを買うから会社の金を使う」と言われれば従うしかないかもしれない。そういう意味では、今の私が置かれた環境は、恵まれた環境であるとも言える(今のところは)。

 考えてみれば、人に対する態度も相対的なもの。相手次第で変わってしまうところは否めない。生意気な部下であれば、私も心中穏やかでいられないかもしれない。自分の信念に基づく態度ではあっても、そういう相対性のものであると改めて思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 別冊NHK100分de名著 集中講義 三大哲学書 カント『純粋理性批判』ヘーゲル『精神現象学』ハイデガー『存在と時間』 - 戸谷 洋志 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか (講談社選書メチエ) - 野村育世 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史




2026年6月18日木曜日

論語雑感 郷党第十 (その1)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
孔子於鄉黨、恂恂如也。似不能言者。其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾。
【読み下し】
孔こう子し、郷きょう党とうに於おいては、恂恂じゅんじゅん如じょたり。言いうこと能あたわざる者ものに似にたり。其その宗そう廟びょう・朝ちょう廷ていに在あるや、便便べんべんとして言いう。唯ただ謹つつしめるのみ。
【訳】
孔子先生は、自宅に引きこもっておいでの時には、単純素樸なご態度で、お話などまるでおできにならないかのように見える。ところが、宗廟や朝廷においでになると、いうべきことは堂々といわれる。ただ慎みだけは決してお忘れにならない。
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 小説家平野啓一郎が提唱している概念に『分人』というのがある(『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』)。これは1人の人間は複数の対人関係のネットワークであり、「本当の自分」という中心はないという概念である。つまり、誰でも「会社での顔」、「家庭内での顔」、「友人に対する顔」、「恋人に対する顔」というように様々な顔があるということ。個人的にはまさにその通りだと思っている。そのどれもが「本当の自分」であり、そうするとある一面をもって「自分はこういう人間」と定義することはできない。

 大学時代、ラグビー部に所属していた私は、4年次に「対外交渉」担当になった。そこで知り合ったラグビー協会のレフリーの方と仲良くなった。そこである練習試合のレフリーをお願いした。公式戦はラグビー協会からレフリーが派遣されるが、当時の我々にとって練習試合はレフリー(それも一定レベル以上の方)の確保が難しかったのである。快く試合の笛を吹いていただいたが、試合後に「(試合中の)顔が全然違ったね」と言われた。私は普段は穏やかだが、試合となれば闘志をむき出しにしていたのである。

 それは別に珍しい事ではない。当時の我々のキャプテンも、普段はいじられキャラだったが、試合ではみんなを鼓舞する立派なリーダーだった。どれが本当のその人の姿かと言えば、そのどれもがその人であると言える。また、私の父は典型的な「内弁慶」である。家の中ではわりと強いことを言っているが、外に出ればほとんど自己主張をしない。まるで「借りてきた猫」である。その両方の顔を見ていると面白いくらいである。たぶん、父は自己主張が強い人は苦手なのだと思うのである。

 そうした人は多いと思うし、むしろほとんどの人がそうであろう。相手や場面によって自分の中にある顔が入れ替わるのだろうが、元は一つである。また、状況によっても違うだろう。子供の頃、ドリフが好きで「全員集合」をよく見ていたが、ある時別の番組でドリフの面々がインタビューを受けていた。その時、みんな真面目に答えていたが、私にとっては違和感があり、思わず母に「いつもと違う!」と訴えた。母はドリフもいつもふざけているわけではないのだと答えてくれたが、子供の私には新鮮な驚きであった。カトちゃんはいつもズッコケているわけではないのだと初めて知ったのである。

 さらに酒で変わる人もいる。忘れられないのが、銀行に就職して最初に配属になった支店で一緒になった人だ。もうベテランのローン担当者だったが、酒が入ると豹変するのである。仕事中は穏やかでいつも冗談ばかり言っている人だったし、仕事もよくできる人だったと思う。しかし、酒席になると人格が変わり、酷い絡み酒になった。支店長にもよく絡んでいた。飲み屋の店員さんともめることもしょっちゅうだったし、一緒に飲みたくはなかったが、同じ係で先輩となると断りにくいものもあって大変だった。

 人は誰でも相手や状況や環境によって態度が変わるものだろう。それは不思議なことではない。友達でも高校時代の友人と大学時代の友人とではまたこちらの態度も異なる。ある人の一面だけを見てその人をわかった気になっていると、違う場面で違う表情を見て驚いたりする。孔子も弟子から見れば自宅にいる姿と宗廟や朝廷にいる時の顔が違ったという事で、それはある意味不思議なことではない。家にいる時のくつろいだ顔と仕事での厳しい顔が違っていてもおかしくはない。ただ、そこにギャップがあって、弟子がそれを言葉に残したのだと思う。

 高校時代の友人たちと接する自分と大学時代、社会人になってからの友人たちと接する自分の違いはある意味自分の成長の証かもしれない。若い頃の方がバカなことをやっているもので、年を取ってからの友人知人に驚かれるのも無理はない。また、そんな友人たちは仕事中の私の姿を知らないから、もしかしたら驚くかもしれない。また、知り合いには内緒にしているこのブログのことも読んだら驚かれるかもしれない。

 どの顔も自分の中では同じである。それは怒っている時と笑っている時とまったく違うがどちらも自分であるのと同じである。いろいろな自分の顔を多く知っている人こそが私をよく理解している人という事になるのだろうが、そういう人はいないと思う。それがいいのか悪いのかはわからない。「自分を理解してくれる人がいない」と否定的に捉えるか、人に「知られざる自分」を楽しむのか。個人的には後者である。人にはいろいろな顔がある。ただそういうことだと思うのである・・・





【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり みんな彼女のモノだった――奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態 - ステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ, 落合明子, 白川恵子 夜明けはピンクゴールドに輝いて - 丸橋 賢 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史





2026年6月4日木曜日

論語雑感 子罕第九 (その30)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
唐棣之華、偏其反而。豈不爾思。室是遠而。子曰、未之思也。夫何遠之有。
【読み下し】
唐棣とうていの華はな、偏へんとして其それ反はんせり。豈あに爾なんじを思おもわざらんや。室しつ是これ遠とおければなり。子し曰いわく、未いまだ之これを思おもわざるなり。夫それ何なんの遠とおきことか之これ有あらん。
【訳】
民謡にこういうのがある。
 ゆすらうめの木 花咲きゃ招く、 ひらりひらりと 色よく招く。
 招きゃこの胸 こがれるばかり、 道が遠くて 行かりゃせぬ。
先師はこの民謡をきいていわれた。
「まだ思いようが足りないね。なあに、遠いことがあるものか」
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 これだけだと意味そのものがよく理解できない。学生時代、同じ英語の講義を受けていたラグビー部の先輩が、講師に指名されてわけのわからない英文和訳をして読み上げていたのを思い出した。訳者はそれなりの専門家であると思うが、自分の翻訳した日本語を読んで意味がわかるかという事を考えていないのであろうかと疑問に思う。AIに訳してもらったところ、よく理解できた。これは「風に揺れる梅の花がとある女性が自分を招いてくれているようで、会いに行きたいけれど遠くていけない」という事のようである。

 翻訳は本当に難しいと思う。洋画を観ていてたまに翻訳の妙に気づくことがある。直訳だとおかしなやり取りになってしまうような時に、あえて直接の意味では訳さず、その場面のやり取りにふさわしい日本語に置き換える「意訳」である。それは翻訳という行為の意味を考えたら当然である。おそらくその場面でしか使えない翻訳であるが、それでもストーリー展開がスムーズになるのであれば意訳の方がはるかにいい。そういうのも考えて翻訳している翻訳家の人は本当に大変だなと思う。この論語訳をした人にも指摘してあげたいところである。

 それにしても、「遠くて会いに行けない」という歌に対し、孔子は「遠いなんてことはない」と語る。これは単なる距離の話ではないと思う。本当に会いたければ遠くたって会いに行けるだろうと言うのである。そこには「距離を言い訳にしているようでは本物の思いではない」ということがあるだろう。その意見には同感である。ただ、たとえば相手がブラジルに住んでいるとなれば、頻繁に行くことはかなわない。当時は移動手段は徒歩かせいぜいが馬だっただろうから、遠いということは現代のブラジルあたりを念頭に置いた方がいいかもしれない。

 それでも「ここぞ」という口説く場面では、「遠い」なんて言っていたら恋は成就しないだろう。「金がない」なんて言っていたら何事をもなしえない。「だったらどうする?」という思考法が恋愛でもビジネスでも壁を乗り越えていく原動力であろう。孔子が「まだ思いようが足りない」と語っているのはその通りである。「だったらどうする?」と考えればいくらでも突破口は見つかると思う。ただ、歌詞の作者を弁護するなら、離れて暮らす辛さを歌っているのかもしれない。実際、相手がブラジルにいたらそうそう頻繁に会いにいけるものではない。

 歌詞の背景などまるでわからないが、梅の花がひらひらとするのを恋する相手(たぶん女性、梅の花から男は連想しないだろう)を恋しく思うなんて様子は、片思いなのかもしれない。そう言えば自分も片思いに苦しんでいた時、ブライアン・アダムスの「(Everything I Do) I Do It for You」を聞いては切ない思いに浸っていた。梅の花を見て相手を思うとなると、片思いの可能性は高いように思う。そうなると「遠い」というのは物理的な距離ではないかもしれない。「そばにいても遠い」という心理的な距離という事もある。

 その場合だと話はまた違ってくる。こちらの心理的距離はなかなか縮めるのは難しい。「思いようが足りない」というレベルではない。逆に思い過ぎて梅の花を見ても恋人のことを考えてしまうほどなのである。孔子の言葉からは物理的距離のみを対象としているというのがわかる。物理的距離だけなら確かに思いが足りないと言えるが、心理的距離はそうとは言えない。しかし、心理的距離であっても決して縮められないものではない。相手の心を動かせれば、その距離が一気に縮まることもある。それは物理的距離の比ではない。

 結局のところ、どちらの距離にしても「縮めよう」という思いがすべてであるのだろう。そのために「だったらどうする?」と考えて行動するしかない。「思い(=意識)」があって何とかしようという「熱意」があって、「だったらどうする?」という「創意工夫」の三種の神器があれば、「成せば成る」のではないかと思う。確かに、孔子の言うとおり「遠いことがあるものか」と思うのである・・・



【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり みんな彼女のモノだった――奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態 - ステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ, 落合明子, 白川恵子 逆説の日本史: 大正暗雲編 対華二十一箇条と尼港事件の謎 (29) - 井沢 元彦 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史