【原文】
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授。勃如戰色。足蹜蹜如有循。享禮有容色。私覿愉愉如也。
【読み下し】
圭を執れば、鞠躬如たり。勝えざるが如し。上ぐることは揖するが如く、下ぐることは授くるが如し。勃如として戦色あり。足は蹜蹜として循う有るが如し。享礼には容色有り。私覿には愉愉如たり。
【訳】
他国に使いし、圭を捧げてその君主にまみえられる時には、小腰をかがめて進まれ、圭の重さにたえられないかのような物腰になられる。圭を捧げられた手をいくらか上下されるが、上っても人にあいさつする程度、下っても人に物を授ける程度で、極めて適度である。その顔色は引きしまり、あたかも戦陣にのぞむかのようであり、足は小股に歩んで地に引きつけられているかのようである。贈物を捧げる礼にはなごやかな表情になられ、式が終って私的の礼となると、全くうちとけた態度になられる。
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論語も細かく読んでいくと、必ずしも教訓めいた言葉だけが並んでいるのではなく、一見何のことだかよくわからない事もかなり書かれている。ここでは他国に赴いて君主にまみえた時の態度について述べられている。それは何よりも自国の君主に対して取るような恭しい態度を示している。これも礼儀として考えるのであれば当然のことである。おそらくここでは「友好国」という前提があると思う。友好国であれば、失礼な態度はすなわち友好関係を阻害する可能性もあるわけで、当然と言えば当然である。
『のぼうの城』という映画があった。天下統一を図る豊臣秀吉の小田原攻略の一環で、石田三成が2万の軍勢を率いて主人公成田長親が留守を預かる忍城を包囲する。成田の軍勢は3千であり、戦力差に圧倒的な差がある。城主の成田氏長は開城を許可して小田原に向かっている。三成の使者が長親に面会し、開城を促す。その態度は長親を見下した横柄なもの。家臣は皆忸怩たる思いを抱えてこの会談を見守る。すると、長親は何とここで戦うと宣言する。使者はこの予想外の態度に慌てて再考を促すが、長親の考えは変わらない。
当時、武士は相手と座って話す時、刀を右側に置いていたという。それは(右利きであれば)「すぐに抜けない位置」であり、それが礼儀だったそうである。このシーンで長親が戦いを宣言すると、家臣たちが一斉に刀を左側に置き換える。なかなか血が湧くシーンであったのを思い出す。映画であるのであくまでフィクションであるだろうが、もしもここで相手の使者が礼を持って長親に接していたら、あるいは長親は城主の指示に従って素直に開城していたかもしれない。この映画の1番の見所だと個人的には思う。
日露戦争の末期、乃木将軍率いる第三軍は多大なる犠牲を払って旅順要塞を攻略し、乃木将軍は降伏したロシア軍の司令官ステッセル中将との降伏式に臨む。式が終わって双方並んでの記念撮影では相手に帯剣を許可したという。これは勝者として奢ることなく、敗者である相手を立てる行為で、当時は色濃く残っていた武士道精神の現れだったのだろう(戦国時代にはなかったのだろうか)。ステッセル中将とてこうした扱いを受ければ、否応なく「礼には礼をもって」対応しなければならなくなる。
おおよそ人間関係というのはみなこのようなものではないかと思う。特に立場が有利な者ほど、不利な者に対して礼を持って接することが大切で、それでこそ相手の敬意を獲得できるのではないかと思う。現代でも上司と部下、取引先において発注先と受注先などにおいて力関係を背景とした「上から目線」になりがちである。父もかつて自営業をしていたが、発注先の経理部長は、母が集金に行った際、かなり横柄な態度であったらしい。ビジネスにおいては、会社対会社の力関係が自らの力のように勘違いしてしまうのかもしれないが、あまり見られたものではない。
「実るほど頭を垂るる稲穂かな」ではないが、常に人には丁寧に接すべきだと思う。自分の方が関係性において上だと思われる時には、常に意識したいことである。もちろん、ビジネス関係において、特に親しくなった人とは、友人関係を築けたらと、友人の数が少ない身としては思う。「人には常に礼を持って接する」ことをこれからも意識していたいと思うのである・・・
【今週の読書】

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