昔、映画やドラマのバーとかの中でのワンシーンで、男がマリッジリングを外して女性を口説きに行くシーンがよくあった。映画やドラマはある程度誇張する部分があるからなんとも言えないが、自分は結婚したらマリッジリングをずっとつけていようと思った。例えそれが他の女性を口説きに行く時でも、と。私は変なところで「常に堂々としていたい」という気持ちがあり、女性を口説きに行く時にマリッジリングを外して(独身のフリをして)口説きに行くのは男らしくないという感覚があったのである(そもそも口説きに行く時点でアウトだという意見はこの際なしにする)。
マリッジリングを外して口説きに行くのが、ドラマ的にはカッコいいと創り手の方では思ったのかもしれない。しかし、よくよく考えれば、ぜんぜんカッコよくないだろうと感じていたのである。コソコソと指輪を外して、独身のフリをして口説くなんてチンケな男ではないかと。それに若いうちならいいが、男も妙齢になってくると、逆にその年で独身なのかという方がおかしいようにも思う。その場合、「結婚もできない男」と思われる可能性だってある。もちろん、訳アリというケースだってあるから状況はさまざまかもしれない。
映画やドラマでは、その夜限りのアバンチュールのためにだけリングを外すということかもしれないが、女性の方にしたって、リングがあるかないかを気にするという事は、真剣交際を考えるという事だろうから、そういう女性をそもそも口説けるのかということもあるし、そんなことまで考えない軽いノリの女性ならリングのあるなしを気にするだろうかということもある。映画の中の象徴的な意味合いでリングを外すという「演出」であるなら理解できるところであるが、実生活では意味があるのかという感じがする。
もっとも、一時的に家庭を忘れるという自分自身の精神的な意味合いならわかる。相手を偽るのではなく、自分に巻かれた鎖を解きほどくという意味合いである。よほどひどい男や無感覚な男ならともかく、普通の感覚の妻帯者なら罪悪感を持つわけで、その罪の意識と快楽との境界線の葛藤をリングを外すという行為で乗り越えるという意味合いなら理解できる。女性には理解できないかもしれないが、それが男のどうしようもない本能なのだろうと思う。
結婚した時に、何があっても外さないと決めたマリッジリングであったが、いつしか外してしまった。それは他の女性を口説こうとしたのではなく、妻との関係にもう嫌気がさしたからに他ならない。昨年、別居することにして家を出たが、もうその何年も前からリングを外している。たぶん、自宅に残してきた机の引き出しにまだ入っていると思うが、大事にしまっているというものではなく、とりあえず入れとこうと無造作に突っ込んだ記憶がある。その時すでにもう心は妻から離れてしまったのである。なんでそうなったのかはもうどうでもいい事である。
これからは堂々と女性を口説けるわけであるが(と言っても正式な離婚はもうちょっと先である)、ではと言って相手を探す気は毛頭ない。もう誰かと一緒に暮らすのはごめんだという気持ちが強く、このまま同居している親が亡くなった後は独りで暮らしたいと考えている。そもそもバツ2、バツ3という人の話を聞くが、最初の結婚の破綻で何を学んでいるのだろうと思ってしまう。相手を替えれば変わると思っていたならそれは短絡的としか言いようがない。せめて最初の結婚の教訓を活かして2度目でうまく行くところまでだろう。
ずっとこだわってきたゆえに、マリッジリングを外すという意味は私自身にとって大きな意味を持ち、以来、子供と一緒にその母親と暮らすという意味合いで家庭生活を送ってきた。私にとってその時から、一緒に暮らしている女性は「我が子の母親」であった。もう一緒に暮らす事はないが、「子供の母親」との一定程度の付き合いは生涯続くだろう。それにしてもあのマリッジリングはどうすべきだろうかと思う。捨てるのにはなんとなく抵抗がある。それは結婚の証という「象徴価値」ではなく、単に何万円かしたものという「物価的価値」からもったいないと感じるのである。さりとてもうはめる事はないし・・・
外したはいいが処分に困る。今になってみれば厄介なものに他ならない。いつか夕陽が沈みゆく海に向かってカッコよく投げるのもいいかもしれないと思う。そんなことを候補の1つにして、結婚生活の証の処分については、これからゆっくりと時間をかけて考えていきたいと思うのである・・・

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