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ダイヤモンド・オンラインに『「持ち家」と「賃貸」結局どっちがいい?→ホリエモンの答えにぐうの音も出ない』という記事が掲載されていた。この問いに関する私の答えはとうに出ている。これに関しては、基本的にそれぞれの人が選択する問題なので、「どちらが正解」というものではない。「どちらを選ぶか」の問題だと考えている。私自身は「持ち家派」なのであるが、なんとなくこうして公に出る意見は「賃貸派」に軍配を上げるものが多いように思う。ここでは、「持ち家派」の「家は資産になる」という考えに反論したものになっている。
「家なら資産として残る」という意見に対し、「それはごく一部にしか当てはまらない」とする。少子高齢化の流れの中で、「相続したはいいが住む人はおらず、売りたくても買い手がつかない」家はたくさんあるという。さらに「資産どころか『負動産』になる」ともいう。「誰も住まなくなっても固定資産税は毎年取られる。取り壊すだけで100万円は下らないし、更地にすれば土地の税金は3~4倍に跳ね上がる。残しても壊しても、どちらもお金が出ていく。親がよかれと思って建てた家が、子どもを縛る重荷に変わる」とする。これは事実だと思う。
さらにダメ押しとして、「賃貸で最後まで残る不安は『年を取ると部屋を借りられなくなる』というやつだ。心配しなくていい。これからは借り手が減り、部屋が余っていく。貸す側に高齢者を嫌がる余裕はなくなり、シニア向けの賃貸も増える。」とする。そして「値の落ちない家を買うか。消費と割り切って買うか。買うならそのどちらかだ。どちらでもない大半の人は賃貸でいい。払って終わり。そのなにが悪い。『家賃は捨て金』という思い込みこそ、捨ててしまえ」と結論づける。
この記事に異論を唱えるつもりはない。ただ、ここに抜け落ちている考え方がある。それは「家賃が払えない人はどうする?」という問題である。今現在、私は自宅を離婚する予定の妻に譲り、1人実家に出戻っている。実家は両親の持ち家で、築後50年超の老朽化物件である。両親は年金暮らしであるが、国民年金のみの両親の年金額は2人合わせても僅かである。これまでなんとかやってこられたのは、「家賃の支払いがなかったから」である。
実家は幸い売れないということはないので、記事にある負動産となる懸念はない。ただ、仮に売れないとしても、死ぬまでの間、両親が暮らすことができればそれが何よりである。これで持ち家でなければ、当然年金だけで暮らすということはできず、私と弟がその分の経済的な負担をせざるを得なかったであろう。その負担は、負動産となった後の負担など比ではないだろう。両親の亡くなった後、処分に困ったとしても、いざとなれば負動産となる前に相続放棄という手段もある。
仮に家賃が毎月15万円でとすれば、ボロでも持ち家があればこの15万円は自由に使えるわけである。ホリエモンのように家賃負担が軽微だというだけの資力があれば問題はないが、両親も私も残念ながらそんな資力はない。「払って終わり」とは簡単に言えない。両親がしっかりと持ち家を確保していたことで、両親はもちろん、私も弟も経済的に救われているのは動かしようもない事実である。我々にとってこの問題は、どちらがいいかという問題ではなく、「賃貸では生活していけなかった」ということに尽きるのである。
つまり、「賃貸でいい」とは老後も困らぬ資力のある人たちだからこそ主張できることであり、持ち家信仰に救われた、そしてその信仰から抜けられない庶民にはとても真似できないことだと思うのである・・・
【今週の読書】

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