2026年10月25日日曜日

論語雑感 郷党第十 (その10)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
郷人飮酒、 杖者出、斯出矣。郷人儺、朝服而立於阼階。
【読み下し】
郷きょう人じんの飲酒いんしゅには、杖じょう者しゃ出いづれば、斯ここに出いづ。郷きょう人じんの儺だには、朝ちょう服ふくして阼そ階かいに立たつ。
【訳】
村人と酒宴をされる時でも、老人が退席してからでないと退席されない。村人が鬼やらいにくると、礼服をつけ、玄関に立ってそれをむかえられる。
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 論語の中のこの章は、どうやら孔子の行動を記しているようである。時代も風俗も違う環境下で、当時のマナーがどうだったか知る由もない。しかし、年長者を敬う風習はあったのだろう、酒席では年長者より先に退席するのは失礼にあたったということなのだと思う。また、どういう儀式かわからないが、然るべき儀式の時は礼服でもって迎えたということのようである。こうした明文化されていないマナーというか風習のようなものは現代でも似たようなものがある。

 私が社会人デビューしたのは、昭和最後の年。当時の社会には暗黙のルールが多かった。「上司より先に帰ってはいけない」というのもその1つ。なぜなのかと問われるとよくわからなかったが、上司が仕事をしているなら部下は何か手伝うべきとか、上司が働いているのに部下が先に帰るのは失礼とかそんな意味合いだったのだろう。当然、新入社員は残業しても残業代など申請できない。「残りは明日にして今日は帰ろう」などという自己判断などできる余地はなかった。

 それがだんだんとデジタル化もあって「残業を申請しない」ということが(記録に残るから)できなくなり、「無駄な残業代は削減せよ」という経済的な事情もあって今ではそういう悪習は廃れている(残っているところもあるだろうが)。今は役員であり、いくら働いても残業はつかないが、それでも社長より早く帰るのはなんとなく気が引ける。会社の業績が芳しくないと、「もっと働いて実績をだせ」と言われているような気がしてしまう。それが「三つ子の魂」なのかはよくわからない。

 酒席では当時の上司にいろいろとマナーを教えられた。ビールはラベルを上にして注げとか、徳利の残りがわからなくても振って確認してはいけないとか。それはそれで面白いなと思ったが、そんな上司と飲みに行きたいなどとは当然思わず、課全体での行事など必要最低限しか行かなかったのを記憶している(当然2次会なども行かなかったが、若手同士では毎週のように飲みに行っていた)。それは当時、瓶ビール文化だったのもあると思う。今はジョッキの個杯が基本となっているからお酌もしなくて済んでいる。

 我が社はIT業界ともあって、普段の服装はビジネスカジュアルである(もっとも定義は人それぞれである)。私もノーネクタイで過ごしているが、そうであっても毎年新入社員を迎える入社式とそれに続く社内研修ではネクタイを着用している。もちろん、新入社員も男女ともビジネスルックを指示している。入社式という節目の儀式で互いにこれから一緒に働くための顔合わせであるから、互いにきちんとした服装で向かい合うという意味は大きいと思う。

 簡単にすれば簡単である。しかし、そこに礼を持ち込む意義は大きいと思う。そこにはそれが普通でないという意味合いがある。節目の折にきちんとしたスタイルで臨むということは、そこに大きな意味を与える行為になる。孔子の時代の中国も現代の日本もそういう部分では同じだと言える。もっとも、スーツはビジネスマンにとっての普段着だという見方もできる。普段、ビジネスカジュアルだからこそ、特別感が出せるのかもしれない。

 ただ、儀式はともかく、酒席は接待のようなものは別として、内輪では気楽にやりたいものである。特別の事がなければ(接待とかでなければ)、上下の隔たりなく酒を酌み交わしたいと思う。孔子の行為も立派だと思うが、年齢差があったとしても、互いに気を遣う事なく尊重し合うというのが理想的だと思うのである・・・





【今週の読書】
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