「昔は良かった」という言葉をよく聞く。世の中は常に変化する。その変化は必ずしも好ましいものばかりとは限らない。人によってはその変化によって不利益を被る場合もあるだろう。かつては予約なしでいつでも入れたレストランが、今では人気店になってしまい、何か月も前から予約しないと入れなくなったとか。自然豊かな故郷が開発によって変わってしまったとか。私自身はと言うと、なぜかあまりそんなに良かったと思う昔がない。もちろん、小学校の頃や、中学・高校の頃などはいい思い出もあるが、だから昔の方が良いとまでは思わないだけである。
過去の記憶は過去の記憶として、時代としてはどうなのかと考えてみる。基本的に自分の生きてきたこの60年あまりの時間はいい時代だったのだと思う。祖父の時代は戦争の時代、父の時代は高度成長の時代であり、それぞれに時代の苦労があった。祖父は戦争に行き、幸いなことに病気で送り返されてきたことによって「名誉の戦死」を遂げることもなかった。父は労働基準法もあったのかなかったのかわからない中、東京に出てきて1日18時間くらい働いたというが、私はのうのうと大学まで出させてもらった。世が世なら私も同じ経験をしていただろう。
何の苦労もなく(受験勉強という苦労はあったが)、大学まで行けたというのは時代の恩恵以外の何物でもない。学徒動員されることもなく、せいぜいが1日12時間くらいの労働で生きてこられたわけである(残業はつけられなかったが・・・)。「いい時代に生まれた」という以外に何と言うことができるだろう。逆に高校から始めたラグビーで言えば、当時は土のグラウンドが当たり前。常に手足にすり傷を作っていたが、今は母校は高校も大学も人工芝グラウンドである。今の時代に生まれたかったと思うほどである。
人の記憶は大半が忘れ去られていく中で、いい思い出だけが濾過されて残っていく傾向がある。もちろん、嫌な思い出もあるが(要は良いも悪いも印象深い記憶が残るのだろう)、総じていい思い出の方が多く残るのだろうと思う。人によってはそれが「昔は良かった」という事につながっていると思う。されどやっぱり時代としては今の方が圧倒的にいい時代だと思う。たとえ神様が突然現れて、良かった昔に戻してやろうと言われても、スマホもパソコンもない時代に今さら戻されてもと考えてしまう。
もちろん、個人的にあの頃に戻れたらという思いはある。だから神様のそういうありがたい申し出があったら、喜んで受けるだろう。戻れるのなら高校生の時でいい。ただ、それは「良かったあの頃に戻りたい」というものではなく、人生経験を積んだ今ならもっと楽しい高校生生活を送れるだろうから、もう一度楽しみたいというもので、「あの頃は良かった」という回顧主義的な気持ちではない。ただ、土のグラウンドには躊躇するかもしれない。あの頃は芝生のグラウンドでラグビーをするのは雲の上の存在だけだと思っていたので、改めて今の感覚で土のグラウンドを前にしたら躊躇するかもしれない。
考えてみればみんなそうであると思う。大学生の頃に戻れたら、今度は法学部ではなく迷わず文学部を選ぶだろう。「食っていけない」という言葉を真に受けて、食っていけそうな法律を選んだが、法律は自分には向いていないとわかった現在の、文学部へ行って哲学を専攻したって何とかなるとわかった現在の感覚が備わっていたら、進路に悩むこともなかっただろう。自分は恵まれたいい学生時代を送ったが、たぶん今の自分が当時に戻れたなら、もっといい学生時代を送れると思う。
就職にしても、銀行以外の業態を選ぶだろう。恋愛も諦めずに意中の人にアタックし続けて結婚まで行けただろう。そうしたら今の子供たちには会えなくなる。それが心の痛さになるが、それでも人生でもっとも深く愛した女性と結婚するという魅力には抗えない。そんな風に考えていくと、「昔は良かった」などという言葉は自分の中からどう捻っても絞っても出てこない。自分の過去は否定したくないので、それはそれで「悪かった」とは思わないが、「もっと良くできた」という思いはある。
小学校の4年から中学を卒業するまで、毎年春と夏の休みに2週間ほど長野県の御代田というところに住む従兄の家に遊びに行っていた。夏は地元の小中学校のプールに通い、花火大会や盆踊りがあり、一緒に野球をし、あちこち野山を駆け回った。あの頃、それが最大の楽しみであり、今でもいい思い出である。されど、それは子供の頃のいい思い出であって、大人になった今、同じことをしたいとは思わない。それは「昔は良かった」と懐かしむものではない。自分の子供にも同じ経験をさせたかったが、残念ながら環境が違う。
「昔は良かった」という過去を肯定する言葉の裏には、「それに比べて今は・・・」という否定が隠れている。昔は昔で良かったと思うが、それは自分の歴史の肯定であり、今の否定ではない。今は今で幸せな時代を生きている。パソコンで思いを綴れるし、スマホで簡単にいろいろな人と繋がれる。芝のグラウンドでラグビーができるし、過去の自分が今を見たら明るい未来を期待するだろう。この先、人生も残り少なくなってきたが、まだまだ未来には期待したいと思う。
時代は今よりも良くなっていると思うが、その中でしっかり生きれるかどうかが、時代を肯定できるかどうかの違いになってくるように思う。目標の70歳までは今の収入を何とか維持していきたい。「昔は良かった」という言葉を呟かなくてすむようにしたいと思うのである・・・


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