先日、週末恒例の映画で『サリュート7』を観た。旧ソ連の宇宙事業で実際にあった事故を描いた映画である。軌道上のサリュート7が宇宙塵の影響で制御不能となり、このままでは地球に落下して大惨事となる可能性があるという事態が発生し、ソ連は2名の宇宙飛行士をサリュート7に送る。しかし、トラブルは重なり、その飛行士たちの生還すら危うい状況となってしまう。この状況下、アメリカはスペースシャトルを打ち上げる。
ソ連のコントロールルームでは対応策を協議するが、残存酸素の量から「1名だけの帰還が精一杯」となる。アメリカのスペースシャトルには貨物室があり、サリュート7をそっくり回収できる。しかし、米ソ冷戦下でそれを認めれば技術が流出するのでソ連としては避けたい。そこで最悪の場合、「撃墜」という指示が出る。飛行士の生命は二の次である。実際には、飛行士の奇跡的な修理活動でサリュート7は復活し、2人とも無事帰還する。結果オーライだが、組織としては完全に命より技術を優先していた。
一方、同じ宇宙モノのSF映画『オデッセイ』は、フィクションではあるものの、火星に取り残された宇宙飛行士を救助する物語である。こちらはNASAが懸命に救助を試みるが、救援物資の打ち上げに失敗し、絶望的状況になる。ところがここで中国が助け舟を出す。救援物資を乗せたロケットを軌道上まで打ち上げてNASAに提供するのである。中国というマーケットを意識したシーンだと言われるが、『サリュート7』と比べると対照的である。
『サリュート7』でも人類の技術的にはもっと簡単に救助できたのである。スペースシャトルでサリュート7を回収してもらえればよかったわけである。だが、それを阻んだのは冷戦。逆に『オデッセイ』では、中国が手を差しのべたことにより困難な救助活動が成功したわけである。宇宙人の視点から見てみると、人類はその持てる技術力でもって火星に取り残された飛行士を救助しているわけで、違和感はないだろう。そこに温かみを感じるのは、本来対立的な国同士が協力し合って人命救助に携わっているからである。
今は、米中間では双方が関税の引き上げ合戦を展開し、貿易戦争の様相を呈している。今『オデッセイ』を観れば、中国人はさぞかし胸のすく思いがするだろう。あくまでも映画はフィクションであるし、中国がNASAを助けるというストーリーが入ったのは、間違いなく「経済的理由」だろう。中国マネーが入ったのか、中国のマーケット向けを狙ったのかはわからないが、こういう時代が早く来るといいなという理想というよりも、現実は経済的理由の産物なのだろう。
それでもやっぱり人類の明るい未来を信じたい私としては、こういう時代がいずれやって来るはずだと思いたい。それが米露なのか米中なのか中露なのかはわからないが(あるいは米中露かもしれない)、互いに協力し合う風景である。そしてやはりそこには我が国のJAXAの名前も加わって欲しいと願わざるを得ない。先日、有人月面着陸計画をぶち上げたところであるし、是非とも宇宙開発の一角に日の丸を翻して欲しいと思う。
【本日の読書】
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