2010年6月29日火曜日

長嶋と落合と野茂1

まだラグビーの世界に入る前、私は野球少年だった。
親父が毎晩ナイター中継を観ていたし、小学校時代は友達と毎日のように校庭で野球をやっていた。ナイターはすべてジャイアンツ戦であり、自然と私もジャイアンツファンとなった。その頃の最初のヒーローは長嶋茂雄だった。

と言ってももう晩年だったと思う。
かつてONと言われていたが(3番王、4番長嶋でONだ)、すでに3番長嶋、4番王となっていたし、それも最後の年は打撃不振で1番とか7番とかになる事もあった。夢中になって長嶋の一挙手一投足に注目していたから、今でもバッターボックスに入ってから構えるまでの一連の動作を思い浮かべる事ができるほどだ。
そして私が小学校4年の時に長嶋は引退した。

ちょうどその頃前後して、町内野球のチームに入った。
背番号はというと、その頃はみんな「3」をつけたがる傾向があった。
当時からすでに天の邪鬼が入っていた私は、「3」をあえて避けて「6」にした。
何の意味もない、ただ誕生月と一緒にしただけだ。
それでも後年、大学のラグビー部で手に入れたレギュラーゼッケンが「6」だったから、何らかの相性のいい番号だったのかもしれない・・・

小学生当時は野球一色で、友達との話題もそうだった。
引退してもやっぱり長嶋が好きで、友達と自転車を飛ばして田園調布の自宅を見に行った事もあったし、多摩川の巨人軍グラウンドに行った事も2度や3度ではない。
ある時、偶然多摩川の巨人軍グラウンドで長嶋監督を見つけた。
生で見る長嶋は感動モノであった。

その長嶋が、練習後にあろうことか目の前まで歩いてきた。
その場にいた他のファンと一緒に長嶋を囲んで夢中になってノートを差し出した。
目の前で長嶋がそのノートにサインをしてくれた。
あの時の感動は格別だった。
ずっと大切にしていたサインだったが、引っ越しの混乱でどこかへ行ってしまったのがとても残念だ・・・

その後はテレビであのユーモラス過ぎるキャラクターとエピソードで国民的な人気者だ。
誰も悪く言わないし、また本人も他人の悪口・批判を言わない(少なくとも私は聞いた事がない)。そんなスタイルは社会人として自分も真似したいと思っている(なかなかできないが・・・)。
そう言えばあの野村監督も、現役時代得意の「囁き戦術」が王と長嶋にはまったく通用しなかったと告白している。王は集中力が強かったかららしいが、長嶋は囁きをまったく聞いていなかったというところが「らしくて」いい。

家族に関してはいろいろと大変なようだが、選手としても監督としても人としても、愛すべき人物だと思うのだ。野球に夢中になっていたあの頃から、目の前でサインしてくれたあの時から、それは今まで変わらない。

それにしてもあのサイン、どこ行っちゃったんだろうと残念でならないのである・・・


【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら」宮部みゆき

    

2010年6月27日日曜日

マスコミを信じてはいけない

金曜日に今度の参議院選挙の案内が届いていたが、外へ出ればもう候補者のポスターがベタベタと貼ってある。いよいよまた選挙だが、今回も誰に一票を投じるかは悩ましいところだ。
(何だかんだ言っていつもそうなのであるが・・・)

それにしても、と毎度ながら思う、日本のマスコミはどうにかならないものかと。
思いつき・場当たり的な報道。日本人は真面目で新聞を読まないのは悪という考えが浸透しているから、そんなマスコミの意見をまともに受ける。国民に対するマスコミの影響度が大きいから、政治家もそれに合わせて右往左往する。

国民一人一人がよぉ~く考えてニュースを見ていれば、何となくおかしいだろうというような事には気付くと思うのだが、どうなんだろう。もっとも私も関心の薄いジャンルについては、マスコミの流す情報を「ふ~ん、そうなんだ」と受け流すから、あまり人の事をとやかくは言えないかもしれない。

決戦前は岡田監督の率いるサムライジャパンを批判的にみていたくせに、カメルーンに勝った途端、岡田監督は名将と讃え上げられた。小沢一郎を叩きまくった割には、小沢一郎の何がどう悪いのか、ニュースを見ていたはずなのにいまだに私にはわからない。検察だって2度も控訴を断念したのにまだ悪者扱いしているが、いったい何が悪いのだろうか。

昨年は民主党に対して「マニュフェストに拘りすぎ」と批判した。
しかし、そんなら今回のマニュフェストに何が書かれていようが関係ないように思うのだが、今年はそうでもないらしい。それとも選挙が終わったら、また拘るなと言うのだろうか。

よく考えてみれば記者だってサラリーマンだ。
会社の方針には従わなければならない。
朝日新聞の記者は、絶対に憲法改正賛成の記事は書けない。
世間の関心を集めそうな事を書いて無難に過ごそうとしているのなら、場当たり的・日和見的な記事も頷ける。小沢一郎はとにかく悪人にしておけば、国民はさもありなんと思うだろうし、無難に過ごせるのだろう。

私がこんな風にマスコミに対して斜に構えるようになったのは、銀行員として経済の最前線にいるゆえに、金融音痴なニュースに接して辟易した経験が何度もあるからだ。
「こいつら全然勉強していないな」というのを何度も感じたからだ。
世間一般ではマスコミの情報が絶対視されているが、ほんとうに歯痒い限りだ。
大半の記事は「嘘は書いてないが、正確ではない」と考えて間違いないと思っている。

とはいえ、我々は選挙に関する情報はマスコミに頼るしかないのも事実。
どうしたって正確ではない情報を大量に浴びなければならない。
自分の常識と感性を頼りに取捨選択していくほかはない。
若い記者が上司に言われた筋書きにそって取材し、記事にしたものを我々は見ている。
新聞やテレビの向こう側にはそんな世界がある事を想像し、対応していきたい。

最後にあるブログで見つけたものをご紹介しておく事にする。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

新潟中越地震を取材した記者のこんな裏話の記事を見つけた。
****************************
地震発生の2週間後に被災地に取材に入った。
コンビニには商品がぎっしりと並び、地元の人々はのんびりと生活していた。
地元の人に被害を聞くと被害を受けた地区もあると、まるで他人事。
被災地のコンビニもすでに営業をはじめていた。

救援物資を積んだトラックが着くと「また来たのか」とウンザリしていた。
引き取り手のない救援物資は山のように積まれていた。
地元の人たちは、村に入り込んできた大勢のボランティアやマスコミ関係者など外部の知らない人が出入りすることに不安を感じていると言う。露骨に嫌な顔をする住民もいた。

地震で亡くなった子供の同級生にしつこく取材を続け、その子供が泣き始めると「ようやく泣き顔の絵が撮れた」と言っている取材関係者もいた。
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報道のためには「被害は甚大」でなければならないし、「被災者は悲惨」でなければならない。それはマスコミ関係者が被災地へ入る前からのシナリオでありマスコミトップの指示でもある。
被害が予想より少なくても「甚大な被害」を映さなければならないし、住民がのんびり暮らしていても「悲惨さ」を演出させなければならない(以下略)
     
こんなものなのだろう・・・


2010年6月26日土曜日

週末金曜日の雑感

朝起きてネットでニュースを見るとサッカーワールドカップで日本の勝利。これにはちょっと驚いた。良くて引き分けと思っていたのに予想外の大差だったからだ。今日の話題はこれ一色だなと思う。

案の定というか、まあみんなよく観るなぁと感心する。取引先の社長なんかは、「観なかった人はサッカー嫌いか非国民だよ」と言い切った。確かに・・・でも愛国心は旺盛だから、日本の勝利は嬉しいと思う。韓国が決勝トーナメント進出を決めているから尚更だ。
やっぱり韓国に劣るのは腹だたしい。それがサッカーでも、だ。

先の社長にはさっそくラグビーのワールドカップについて一通り説明。なんと「ラグビーにもワールドカップがあるの?」と驚いていたからがっくりだ。世間の認識なんてこんなものなのかもしれない。それでも10分くらい熱弁を振るったら、「来年のワールドカップは観てみよう」という事になった。世間の関心1名様獲得!

昼にはオフィスで外気温が30度を越えたというアナウンスが流れる。いよいよ本格的な夏である。一日の仕事を終え、いつもお手伝いさせていただいている財団の会合に顔を出し、一日も終わる。

週末の金曜日は、駅前の漫画喫茶に寄る。一週間の終わりに半ば習慣と化している気分転換というかご褒美とでもいうべき憩いの一時である。
最近読んでいるのが「マネーの拳」。元ボクシングのチャンピオンが心機一転、ビジネスの世界に飛び込むストーリーだ。作者は「ドラゴン桜」の三田紀房。

資金難、従業員との軋轢、ライバルとの競争等いろいろな要素が絡み合っていてなかなか面白い。たかが漫画と馬鹿にできない。起業を考えている人はこういう漫画を読んでおくと役立つんじゃないかと思う。

滞在時間はだいたい1時間~1時間半と決めてある。あんまり長々と漫画を読んでもいられない。今夜は映画も観たいし・・・

今週も平穏に過ごせた。
実家の母親もここのところ少し良くなってきているのが良いニュースだ。
来週から7月。もう一年も半分が過ぎたのだ。

家に帰れば参院選の案内が届いていた。さて混迷する政局はますますどこに票を入れようかと難題を投げかけてくれる。レベルの低いいい加減なマスコミに踊らされないよう、よく考えて一票を投じたいものだ。

さて、今年の夏はどれだけ暑くなるのだろうかとあれこれ思うのである・・・


【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「最悪」奥田英朗
     
    

2010年6月23日水曜日

大事な事は何だろうか

先日の事、知人が転職した会社が倒産したと聞いた。
そのニュースをもたらしたのは今の同僚。
半分憐れみ、半分は一時は成功した者が失敗した事を快く思っている印象を受けた。

転職した彼とは、一時は机を並べて仕事をしていた。
「俺は最後までこの会社にしがみつく」と宣言していた彼の、突然の転職宣言には驚いたが、あとでその彼を翻意させるに足る破格の好条件だったと聞いて納得した。
その時は羨ましく思ったものだが、今日の結果をみるとどうなのだろうと思う。

先日あるところで話をしていて、就職ランキングなるものが羨望の眼差しで語られているのを知った。就活学生にとっては一つの大きな指標となっているものだ。
だが、就職という人生の一大事を決める時に、あれほどいい加減な指標はない。
何もわからない学生の就職希望ランキングなんてこれほどいい加減なものはない。
みんなが美人だと言うだけの理由で、その美人と結婚したいと思うのと同じだからだ。
美しいバラも飛びついたら棘だらけということだってある。

私が就職の時に偉かったのは、当時入る事を決めた銀行に対し、将来倒産しないとは限らないから、そうなっても恨みがましい事を言うまいと既に決意していた点だ。
けっして将来安泰などとは夢にも考えていなかった。
(そして事実、後年実際に吸収合併されて元の銀行は消滅したのである)
私にそう思わせたのは、学生時代の監督の存在だ。

私が今も尊敬するその監督は、学生時代優秀で本当は東大に行くはずだったのが、学園紛争で入試が中止となり、やむなく我らの大学に来たという人だった。
その監督は卒業して、当時のトップ企業に就職した。
しかし、不況の影響で私が就職する時には、その企業のかつての栄光はすっかり寂れてしまっていた。もちろん、就職ランキング上位には入っていなかった。
「企業は10年後、20年後にどうなっているかわからない」
それが、その監督の背中を見ていて学んだ事だ。
(今その監督はその大企業の副社長だからやっぱり超優秀な方なのだ)

希望の大企業に入れたから安泰、入れなかったからお先真っ暗、そんな事はまったくない。
転職して羨ましいぐらい成功している知人もいれば、先の知人のようなケースも数多く見聞きしている。何がよくて何が悪いかはわからない。

長男の通う幼稚園は近所では一応「お受験幼稚園」の一つとされている。
我が家は、長女が卒園後近所の公立小学校へ入学した通り、お受験なんてつもりはさらさらない。
しかし、熱心なお母さんはいる。子供をお受験させて、いい学校に入れてどうなるのだ?という私の根本的な疑問は常にここにある。

一流大学を出たところで一流企業に例え入ったとして、それが何になる。
10年後には倒産しているかもしれないのだ。
あるいは破格の好条件でヘッドハンティングされたところで、先の知人のようになるかもしれない。
結局のところ、○○に入れば大丈夫などという事は幻想でしかない。
公務員だって心の病になってしまうかもしれない(それでも手厚い保証があるからいいということかもしれない)。

そんなもので勝ち負けなんて判定できないし、もちろん、先の知人だってこれが人生の転機となって次のチャンスにつながる事もあるわけで、この結果だけをもって、「馬鹿だなぁ」とは決して言えない。転職した知人が失敗例で残った私が成功例かは、人生が終わるまで結論は出ない。
いくら大きな船でも沈む時は沈む。
大事な事は大きな船に乗る事ではなく、荒海に投げ出されても大丈夫なように準備を怠らない事だ。

いつかまたどこかで彼と会って、その後の人生を比べあった時に、大きな船の真ん中で縮こまっていただけなんてならないようにしたいものだ。今のところ荒海に飛び込むつもりはないが、いつ放りだされても困らないように鍛錬だけは続けていきたいものである・・・


【本日の読書】
「たった1通で人を動かすメールの仕掛け」浅野ヨシオ
「最悪」奥田英朗
    
    

2010年6月20日日曜日

ワールドカップに思う

サッカーのワールドカップ南アフリカ大会が盛り上がって来ている。日本代表がカメルーン戦に予想外の勝利を収めたものだから、尚更かもしれない。夕べも新宿の街ではブルーのユニフォームを着たり、ブルーのタオルを首に巻いた若者たちをあちらこちらで見かけた。飲み屋の店員さんにもその話題を振られたし、いやが上にも盛り上がりが感じられた。

私はサッカーは好きではないが、何せ日の丸の話だからやっぱり日本代表には勝ってほしいと願っている。日本代表ならばサッカーだろうが、卓球だろうがそれは日本人として応援したいと思うのだ。しかし、ラグビーの日本代表がワールドカップに出場してもこれだけの盛り上がりはない。それが残念でならない。

なぜラグビーはサッカーに比べてマイナーな存在に甘んじているのだろう。
歴史的にはサッカーの方が古い。サッカーをしていたエリス少年が、勢い余ってボールを持って走り出してしまったのがルーツとされているエピソードがあるくらいだ。だが、それだけではないだろう。

「ルールが難しい」という話はよく聞く。
しかし、「ボールを前にパスしてはいけない」という事はわりと広く知られているし、相手の陣地にボールを置けばトライというルールは単純だ。
難しいルールは確かにあるが、素人感覚でゲームの動きを追うのに阻害要因となるほど難しいルールがあるとは思えない。イメージだけのような気がする。

昨夜のサッカーの試合は観なかったが、結果は1点差の負け。
それがFIFAランキング4位のチームと45位のチームの実力差を正確に表す点差なのかどうかはわからない。奇しくも昨夜ケーブルテレビで、ニュージーランド・オールブラックスとオーストラリア・ワラビーズのラグビーの試合が放映されていた。IRB世界ランキング1位と3位の、マニア垂涎の試合だ。
結果は19-18でオールブラックスが薄氷の勝利を収めた。
実力が伯仲している両者の激突に、1点差というのはふさわしい結果だ。

試合を観ながら、サッカーとの違いを素人目線を意識して考えてみた。
サッカーの試合とはまず動きが違う。
足でドリブルしながら進むサッカーと持って走るラグビーではスピードも動きも格段の差がある。
立ちはだかる相手を抜くにしても、ラグビーには、
1.ぶち当たって相手を吹っ飛ばす
2.華麗なるパスで抜く
3.ステップ(左右の素早い動き)やスピードによって抜く
というバリエーションがある。

走る攻撃とキックの攻撃との組み合わせがあり、フォワード同士の力と力の激突、バックス同士のスピードとテクニックの対決などは、観ていてもサッカーより遥かに面白い。
トライ5点、ペナルティゴールなどが3点、トライ後のゴールが2点と得点パターンが分かれており、単純にトライ数だけでは勝敗がはかれないところも面白いところだ。
先入観なく見比べれば、絶対にラグビーの方が面白いはずだと思う。
エリス少年が興奮してボールを持って走ってしまった気持ちがよくわかる。

あとはイメージだろうか。
私がラグビーというスポーツを知ったのは、「われら青春!」という懐かしいドラマだ。
その後、「スクールウォーズ」というドラマで、ラグビーはかなりイメージアップした。
(私はくだらなくて観ていなかったのだが・・・)
こうしたドラマを利用するという事も有効な気がする。

来年はいよいよラグビーのワールドカップ(NZ大会)だし、2019年には日本開催だ。
なんとかもう少し世間の関心を集められないものかと思う。
これだけ面白いスポーツなわけだし、日本代表にももっと強くなってもらいたいし、そのためには、せめて自分の周りにいる人たちから啓蒙していきたいと考えている。
それが日本のラグビーに対する私のできる小さな貢献だと考えているのである・・・


【昨日の読書】
「野村の革命」野村克也
「会社蘇生」高杉良
     
    

2010年6月18日金曜日

懐メロ

 家でしばしば音楽を聞く。
と言ってもじっくりと瞑想しながら聞くような暇はないので、むしろパソコンに向かいながらの「ながら族」だ。BGM代わりに聞いているといったところだ。昔はラジカセだったが、今はパソコンだ。CDも聞けるし、iTunesで聞いたりもできる。もちろん、 YouYubeもある。

 何を聞くかと問われると、昔の曲がほとんどだ。車に乗るとBGMは嵐なのだが、それは嵐にハマっている長女に毎回せがまれるからで、私の趣味ではない。そもそも最近のアーティストはよくわからない。テレビで音楽番組を観るわけでもないし、ラジオもあんまり聞かないから音楽に関しては鎖国状態だ。そんなわけで音楽でも聞くかとなると、一昔前に流行った曲ばかりとなるのである。

 まあ一番新しいところで浜崎あゆみだが、持っているCDで一番新しいのは何年前のものだろうといった具合だ。そんな傾向を裏付けるが如く、気が付くと持っているCDはベスト版が多かったりする。井上陽水、ABBA 、QUEEN、ジョン・レノン、ビリー・ジョエルといったところだ。聞いていた当時は新しかったのだが、今はすっかり懐メロだ。今時の若い人が聞いたらどう思うのだろう。

 YouTubeなどでは思うままに検索したり、リンクを辿ったりするからもっと多岐にわたる。これがけっこう気に入っている。例えば井上陽水などを数曲聞くと横のリンクに玉置浩二なんてのが出てくる。そこをクリックして玉置浩二に飛ぶと、次は安全地帯があって、その次は、と次々にリンクを辿っていくと思いがけず忘れていた懐かしい曲に出会ったりする。中村雅俊の初期の曲なんかは最近のお気に入りだ。すっかり新しいアーチストに関心が向かなくなってしまったのが、いい事なのかどうなのか。

 最近の事、昔流行ったCMソングでずっと聞きたくて仕方がなかった曲を見つけた。どういうわけか妙に耳に残っていて仕方がなかったのだが、マイナーゆえに長い間CDも見つけられず、ネットでも見つからなかった。そうするとますます聞きたくなってしまうのが人の常。お金を出してでもと思っていたのだが、YouTubeであっさり見つかった。
オレンジ村から春へ』
聞いてみれば大した事はないのだが、それでも懐かしかった。YouTubeって凄いなぁと改めて思った次第である。

 懐かしい曲を聞きながら、時としてその曲を聞いていた当時の思い出がよみがえってきたりする。そんな一時は、結局のところストレス解消タイムになっていたりするのだが、なんだか懐古趣味に浸っているような気がしないでもない。昔カラオケでど演歌を熱唱していたおじさんたちを笑えなくなってきているような気もする。

 まぁ聞いている姿を人に見せるわけでもないし、自分が良ければそれで良いのだから気にする事もないだろう。案外同じ世代の人間はみんなそうなのかもしれないと思ったりするのだが、どうなんだろう。と書きながらもBGMは「俺たちの旅」だったりするのである。
(あれはいいドラマだったよなぁ・・・)


【本日の読書】
「野村の革命」野村克也
「会社蘇生」高杉良

      

2010年6月16日水曜日

サッカーワールドカップ

サッカーのワールドカップが始まった。
個人的にはまったく興味がないのでどうでもいいことなのだが、それでも話はそこここで目にし、耳にするから、嫌が応でも情報は入ってくる。
職場の同僚も途絶えていた年頃の娘と共通の関心事ができたと、毎日うきうきしている。
ここのところ親娘の会話が復活して、家に帰っても楽しいらしい。

そんな人たちの盛り上がりと期待もあってか、とうとう下馬評をひっくり返して日本代表は初戦のカメルーン戦に勝ってしまった。私は非国民ではないので、世界の桧舞台で日本が勝ったとあれば、それがサッカーだろうが卓球だろうが素直に喜ぶ。韓国が勝ってるんだから負けてどうするとも正直思う。だが、前日までの報道はどこへやらの、「勝てば官軍」という相変わらず節操のないマスコミの姿勢には辟易する。

朝刊で結果を知って「ほおっ」と詳しく記事に目を通す。
すると日本は世界ランキング(FIFA)で45位で、カメルーンは19位だという。
45位が19位に勝つわけだから大番狂わせなのだろう。
事実、海外のメディアは「今大会で最大級の番狂わせ」「サプライズ」と驚きをもって報じている。
まあ、予選突破に関しては「これが(日本には)最後の幸運」で「(日本と同組の)オランダ、デンマークは何の心配もない」とも報じているから、そんなもんなのかもしれない。

しかし、と思う。
その前には47位の韓国が12位のギリシャに勝っている。
ここでも大番狂わせなのだろうかと思うと、このサッカーのランキングって一体何なんだと思わずにはいられない。ちなみにラグビーではこんな事はあり得ない。
日本はIRBランキングで13位だが、32位の韓国や34位の香港には圧勝する。
逆に11位や12位に勝てるかというと難しい。

実はあやしいのはランキングというよりも、サッカーという競技そのものだと、個人的には思う。
球技なのに手が使えないという考えてみれば不思議なルール。
当然、その分自由度は落ちるからなかなか点が入らない。
だから点が入るとキチガイのように喜びまくる。
そして1点入れば、断然有利になる。

ランキングで差のあるチームだってちょっとしたコンディションで0-0なんて展開はざらだし、何かのはずみで1点入ればそれで勝敗がつく。
大番狂わせが起こりやすいとも言える。
他のメジャースポーツではまずあり得ないのではないだろうか。

それでもやっぱり日本がブラジルに勝つなんて事は、今のところまずあり得ないだろうし、大番狂わせもランキングトップ10のチーム相手ではないだろう。
海外のメディアが報じるように、「もう一勝」は極めて難しいのだろう。
サッカーは好きではないけどやっぱり日の丸背負っている以上は、それでももうひと踏ん張りしてほしいところだ。

試合を観る事はないが、新聞は読むしネットのニュースも観る。
毎日娘さんとお話して楽しそうな同僚氏も微笑ましいし、特に応援はしないけど頑張ってねと、とりあえずは言っておきたいところである・・・


【本日の読書】
「世界一愚かなお金持ち、日本人」マダム・ホー
「会社蘇生」高杉 良

    

2010年6月12日土曜日

運動会

今日は長女の小学校の運動会であった。
一昨年までは秋にやっていたのだが、昨年からこの時期に変更となったのだ。
去年は雨で順延となったから、今年は晴れるといいなと考えていた。
願いかなって快晴。
しかし・・・
暑過ぎてへばってしまった。
炎天下でビデオを撮るのはなかなかの苦行だ。

小学校ともなると6学年もあるから、勢い各学年の演目は少なくなる。
かけっこと団体競技とダンスの3種類だ。
それにPTAの協議と代表選手によるリレーがプラスされるだけである。
考えてみれば、よく考えられた3種目だ。

足の速い子はかけっこで目立つ。
そうでない子には団体競技があるし、そもそも運動が苦手な子にはダンスがある。
みんなどれかで輝けるように考えられているわけである。
我が長女は昨年はダンスで活躍した。
娘らしく、指の先まで丁寧に踊っていたので、あとで褒めてあげたのだ。
今年は「かけっこで一位になったらお寿司に行きたい!」と宣言して、長女は登校して行った。

かけっこは低学年50メートル、中学年80メートル、高学年100メートルとなる。
だいたい走り方を見ていると、その子の運動神経がわかる。
早い子と遅い子の差は、走り方に如実に現れる。
そう言えば、私も足は速かった。
リレーも常に選手に選ばれていた。
ラグビー日本代表がワールドカップに出場するのが決まりきっているように、私がリレーの選手に選ばれるのは、もはや常に決定事項であったと言っても過言ではない。

そんな私の血を、どうやら長女は受け継いでいないようである。
昨年は3位。
しかし、なんと今年は1位。
と言っても、それは事前のタイムトライアルで同じような足の子を集めていたらしいから、別に大した事ではない。それでも1位は1位で嬉しかったようである。

私も小学生の頃はかけっこ命であった。
リレーがやっぱり力が入ったものである。
おおよそスポーツでは足の速い事は有利になる事はあっても不利になる事はない。
足が速いというのは、持って生まれたものか後天的なものかわからないが、それで運動会では随分いい思いをした。我が家には運動会の前日に雨乞いをしたという人がいるが、そんな事もせずにいい思い出ばかりだ。残念ながらパパに似なかった長女はどうだろう?

見事公約を果たした長女。
夕食はリクエスト通り 大好きなくら寿司
まあ懐に優しいから親孝行な娘である(今のところは・・・)。

嬉しそうにお寿司を頬張る長女。
運動会といえばお馴染の音楽が頭の中を流れる。
いつも緊張感で一杯だった。
ラグビーの公式戦前にも感じた、あの逃げ出したくなるような緊張感。
そういえば最近すっかり忘れてしまった感情だ。
今後の人生であの緊張感を再び味わう機会があるのだろうか。
日焼けでちょっとヒリヒリするおでこを撫でながら、そんな事を考えたのである・・・


【本日の読書】
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
    

2010年6月9日水曜日

頑張れ吉野家

私はI love 吉牛 派だ。
牛丼は吉野家以外では食べない。
その吉野家がここのところ苦戦している。
牛丼戦争の負け組とマスコミに囃され、平成22年2月決算では経常利益がマイナスになった。

何も放漫経営をしているわけではないだろう。
単純にお客さんが減っているのだと思われる。
その理由は価格競争だろう。
松屋、ゼンショー(すき家)と大手はみな吉野家よりも安い。
安くたって味でいけば松屋の牛丼など食べられたものではない。
味噌汁一杯ついてきても、それが何だという感じだ。
価格差など気にもならないが、世間の人はそうではないらしい。

先日某所でそれを実感した。
道路を挟んで向かい合う松屋と吉野家。
時刻は12時ちょっと前。
そろそろランチタイムで賑わう時間帯。
松屋はすでに座れずに立って待つ人がいたが、吉野家は余裕で座れる。
両店ともほぼ同じ規模だから、その差は対照的だった。
まあ松屋は牛丼以外のメニューが充実しているから、単純比較はできないだろう。
それでも目に見える数字はうそをつかない。赤字は赤字だ。

なぜなんだろうと本当に不思議に思う。
価格差と言ったってわずか100円ぐらいの差だ。
とはいえ、1か月20営業日とすると、2,000円くらいになるから懐の寂しいサラリーマンは倹約に走るのだろうか。でも毎日牛丼ってわけではないだろう。

吉野家はBSE騒動の時には「吉野家の味」を守るために徹底的に米国産にこだわった。
そのため唯一最大の商品であった牛丼を店頭から引っ込めた。その拘りに私はしびれた。
今も豪州産の方が安く、豪州産を使う他のチェーン店は価格競争で優位に立ちやすい。
そうしたハンディはあるものの、その代わり味では圧倒しているではないか。
わずか100円程度で覆せるほど、味の差は小さくない(と個人的には強く思う)。

経常利益が赤字になったとはいっても、借金が少ない財務体質はすき家と比べても盤石だ。私のようなファンもいるだろうし、経営は揺るがないはずである。
価格は落とさなくてもいいから、味を落とさずに頑張ってほしい。
私も日中の外出の時間を調整し、もっと頻繁に通わないといけないかもしれない。
BSEのような暗黒時代が再び来るような事があってはならない。
吉野家の牛丼が食べられない未来など想像したくはないと言ったら大げさだろうか。

これからも変わらぬおしいさを提供してもらうためにも、やっぱり機会を見つけて通うのが一番と決意したのである・・・


【本日の読書】
【同和と銀行-三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録】森功
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん

     


      

2010年6月6日日曜日

デイズニーシー

義祖母の葬儀で延期になっていたのだが、昨日は半年に一度の恒例のデイズニーランドに行って来た(株主優待券が半年に一度もらえるので大人はタダなのである)。
今回は長男のリクエストでディズニーシーだった。
勇んで出かけたものの、朝から首都高の渋滞にハマる。
葛西の出口も長蛇の列。駐車場に着いたら9時半で、なんだかんだで10時近くなってしまった。

長男が楽しみにしていた「タワー・オブ・テラー」(本人がどんなものか理解しているのかは疑問だ)のファストパスは、その時点で早くもなくなってしまっていた。
しかたなくみんなで入ったのが 「タートル・トーク」(みんなが並んでいる間に私は、往復30分かけて敷地を横切って「インディ・ジョーンズ」のファスト・パスを取りに行く)。

その「タートル・トーク」は新しいアトラクションで初体験であったが、これには感心させられた。
アニメのカメさんとお客さんが会話するのであるが、どうやっているんだろうと不思議な感覚。
なにせカメさんがお客さんときちんと会話し、さらにアニメの画面もそれに連動するのだ。
「前列右端の男性の方」
「そうその人、お名前は?○○さん、どこから来たの?大阪・・・知らないなぁ・・・」とか、「泳ぐより浮かぶのが好き」というお客さんに対して、カメさんが裏返しになって浮かんでみせる、といった具合だ。

そして会話自体も、当意即妙にユーモアを交えて返す。
単に会話をするだけならまだしも、ユーモアを交えた返答はなかなかできるものではない。
ユーモアのセンスはマニュアルでは対応できないから、まさに「個人技」の世界。
私にできるかと言われてもどうだろう・・・
子供ばかりでなく大人も十分楽しめるアトラクションだ。
次回も必ず行こうと決意したのである。

リクエストにもかかわらず、長男にはついていない日だったようで、初体験を目指した「インディ・ジョーンズ」は身長がわずかに足りずアウト。
事前にわかっていのだが、帽子に詰め物すれば大丈夫かと思っていたら、「帽子取って」とお姉さんに言われてあっさりアウト。
靴の中にすべきだった・・・
でも次回家族有効のファストパスチケットをもらったから、大人はちょっと得した気分。

ケープコッド・クックオフで新キャラのダッフィーのショーを観て、 友人も買ったダッフィーのゆいぐるみを買う。
このぬいぐるみ、今大人気だそうで、ディズニーも商売うまいなぁと感心。まあ株主としては不満はないけど・・・

そして、キャラクターダイニングで食事。
「ミッキーの中はどうなっているの?」
「ミッキーがここに来ていていいの?ランドの方には今日は行かないの?」と問う長男。
彼にとって、世界はまだ不思議に満ち溢れているのである。

ブラッビッシーモのショーは初めてまともに見たが、火と水を使ったこのショーはなかなかの圧巻。こういうショーは大人も楽しめる。10年前に行ったラスベガスで、各ホテル前で行われているショーを思いだしてしまった。

子供を楽しませるという目的が確かにあるのではあるが、やっぱり自分も楽しみたい。
大混雑には閉口したが、それでも昨日は楽しめた。
今朝のけだるい疲労感もその名残と言えば心地良いくらいだ。
次回はクリスマス。次のリクエスト権は長女にある。
はたして長女はどちらをリクエストするのだろうか。

いずれであってもまたみんなで楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
     
    

2010年6月4日金曜日

はだしのゲン

小学校4年の長女が最近「はだしのゲン」にハマっている。
なんでも学校の図書館に漫画が置いてあるらしく、友達と競って読んでいるらしい。長女が通う小学校にはいろいろと漫画本が置いてあるという。「はだしのゲン」は文科省推薦だからわかるとしても、 「ブラック・ジャック」なんかも置いてあるそうだからどういう基準で選んでいるのだろうか。

それはともかく、興味を持って読んでいるということ自体に、ちょっと驚いてしまった。というのも読んでわかるのだろうかと思ったからだ。テーマとしては難しいのではないかと思ったのだ。親子間で戦争の話などした事もないし、戦争や原爆などといって理解できるのだろうかと思ってしまったのだ。

だが、話してみると意外にきちんと理解しているようである。
私は常日頃、漫画も立派な勉強の機会だと思っている。
だからこういう経緯で戦争や原爆の知識を得るのは良い機会だと思う。
いずれ子供たちがもう少し大きくなって学校で歴史の勉強が始まるようになったら、こうした話もしてみたいと思っている。ただし、私はいわゆる「自虐史観」とは真っ向から対立する考え方を持っているから、学校の先生の話とのギャップに子供たちは戸惑うかもしれない。

それはそうと肝心な「はだしのゲン」であるが、考えてみると私が読んだのも確か小学生の頃の事だ。5年か6年の頃だったと思う。そう考えてみれば長女が今読んでいるのも不思議な事ではないし、親子で同じ年頃に同じ漫画を読むというのも何だか喜ばしい気もする。もっとも今ではだいぶストーリーを忘れてしまった気がするのだが・・・

なんとなく覚えているストーリーを思い起こしてみれば、この漫画を読んで長女に期待する事は「共感性」だ。歴史上の知識としてももちろん持ってもらいたいが、どれだけ物語の中に感情移入できるかという事に重きを置きたいと思う。
目の前で家族が死んでしまう。
被曝して重傷を負った者が家族からも疎ましがられる。
朝鮮人への差別とか人の情けとか、難しいかもしれないが自分なりに感じてほしいと思う。

そんな事を考えたら久々に読んでみたくなった。
こんど行きつけの漫画喫茶に行ったら探してみようかと思うのである・・・


【本日の読書】
「象はポケットに入れるな」ジョーンズ・ジョフリン&トッド・ミュージグ
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
    
      
    

2010年6月1日火曜日

誕生日に思う

今日は誕生日だ。
子供の頃は、この日は世界で一番特別な日だと思っていた。
ある時期までは確かにそうだったが、今では特段、これといった特別な感慨はない。
まあなんだかんだでもう46回目だし、今日もいつもと変わらぬ一日だったし、そんなものなのかもしれない。

ただ、一つの区切りであるという意識はある。
元旦と同じ心境と言えるだろうか。
過去一年を振り返りつつ、今後一年を展望する一つのきっかけである。
だが、ここ数年は同じような日々の繰り返しになっている事は否めない。
流されているとも言えるし、穏やかで平和な日々を送っているとも言える。

こういう時代だから、毎年お祝いのメールをいただく。
何だかんだ言っても嬉しいものである。
今日は母親からも来た。
目を細め、不器用に時間をかけて送ってきたのが伝わってくるメールだ。
目をひかれたのは、「振り返ればいろんな事が遠くに」という一文だ。

自分も初めて親になって早や9年半。
長女の誕生日は自分が親になった記念日でもある。
その点、長男は可哀そうだ。「初めて」は大概お姉ちゃんに持って行かれてしまう。
幼稚園の入園式も、記憶に鮮明に残っているのは長女の時、という具合だ。

自分も長男だから、もしかしたら母親もそうなのかもしれない。
誕生から入園、入学、受験、卒業、就職と親としての成長は常に私とともにあったのだろう。
そんな思いが、先ほどの短い文章に込められているのだろうか。

自分で言うのもなんだが、私は比較的親に心配をかけずに来た方だと思う。
幼少時にひきつけを起こして病院に担ぎ込まれたエピソードくらい(私にその記憶はもちろんない)ではないだろうか。自分で何でもやって決めて、親の手を煩わせるという事がなかったと思う(その役は弟がたっぷりとやった)。

ただ結婚してからは、残念ながら期待にはほとんど応えられていない気がする。
良き夫である事と、良き息子である事を両立させる事は私にとって想像以上に至難の業だったのだ。
どちらも中途半端で、どちらからも不満を持たれてしまっているようだ。

子育てをしていて思うのは、常に子供たちの幸せだ。
今はいいのだが、いずれ独り立ちしたあと面倒はみてあげられない。
苦難を乗り切り幸せな人生を送れるかどうかは本人たちにかかっている。
親としては、今してあげられる事をして、あとはただ願うのみだ。

「健康にきおつけて。幸せな毎日が送れますように。」
母親のメールはそう短くまとめられていた。
どうやら自分の健康は棚にあげてしまったらしい。
親と言うものは考える事は誰でも大して違わないようだ。
そんなメールを読んで、一緒にいても離れていても、46回の誕生日すべてを無条件に祝ってくれた両親に、今日は素直に感謝したいと思った。
直接言えばいいのかもしれないが、気恥ずかしいからここで公開しておくことにした・・・


【本日の読書】
「新幹線ガール」徳渕真利子
「親指の恋人」石田衣良