2009年8月31日月曜日

選挙雑感

 昨日の衆議院議員選挙は事前の予想通り民主党の圧勝で終わった。いや、正確に言うなれば「自民党の大敗」なのだろう。有権者のほとんどがこれ以上自民党に政権は預けられないと考え、そこに政権を担う事のできる唯一の政党として民主党があった。二者択一の中で一方に×がついたから、必然的にもう一方に○がついた、それだけの事だ。

 私自身は小選挙区ではいつも票を入れている自民党議員に一票、比例代表ではいつもの民主党ではなく、その他の小政党に入れた。今回は自民党に入れるわけにはいかないと思ったが、いつも票を入れている人はなかなか頑張っているから、自民党というよりもその人個人に対して投票した、というのが正直なところだ。

 民主党に対してはこれまでずっと票を入れてきた。それは政権交代可能な政党になってほしいと思っていたからで、民主党支持というわけではない。今回は私なんぞが応援しなくても良さそうだったから、その他にしたのだ。たかだか小さな一票であるが、自分の票だけにあれこれ考えて有効に使ったつもりだ。応援していた議員さんは小選挙区では次点となり、比例代表で復活した。複雑な心境であるが、まあ良しとしよう。

 それにしてもこの大逆風下、大物議員も次々落選していったが、それでも小選挙区を制した自民党議員は本当に強い支持基盤をもっていると思う。政党名ではなく、「個人名」で勝っているわけであるから、その意味は大きい。こういう逆風下でこそ、本当の強さが現れると思う。それに引きかえ、今回「民主党だから」という理由だけで当選したような議員は、風向きが変われば真っ先に吹っ飛ぶだろう。

 政党政治とは言われるものの、その前に一人一人が小選挙区できっちりと「個人名」で勝ち上がれる政治家であるべきだと思う。私が「個人名」で選んだ議員さんも今回は残念であったが、もっと実績を積んで「個人名」で勝てるようになっていただきたいものである。そして地元のためではなく、東京のためでもなく、この国の為に頑張ってほしいと思う。

 それにしても投票日に何の混乱もなくきっちりと開票作業を終え、翌朝の朝刊に結果が載る我が国の選挙システムも、実は凄いと思う。海外ではイランやアフガニスタンをはじめとして不正選挙で混乱が生じているが、そんな心配は微塵もない。アメリカだってブッシュ再選の時は混乱して、結果が判明するのに何日もかかった。あまり取り上げられる事はないが、これだけ正確かつ迅速に民意が反映できるシステムは凄いと思う。

 投票率も69%台と報じられていたが、「最低70%」という私の考えに、あとちょっとのところまできた。みんなが感心を持てばそれだけ政治家も緊張する。だめだと言う前に、自分自身の責任を果たす事が必要だ。「たった一票で何が変わる」という意見もあるかもしれないが、その一票は確実かつ正確にカウントされる。我が国はそういう国なのであるから、「一票の務め」を果たすべきであろう。

 さて、これからどうなるのであろうか。
民主党のお手並み拝見といったところである・・・


【本日の読書】
「世界は感情で動く」マッテオ・モッテルリーニ
「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎 (終)

        

2009年8月29日土曜日

宝くじは買えば当たるのか

 海の向こうでは200億円の宝くじが当たったと話題になった。1~3億円で騒いでいる我が国とはスケールが違うと思わされる。そんな話をランチタイムの時に同僚とした。
「200億どころか1億だって当たらない。今年もサマージャンボ当たらなかったなぁ・・・」とぼやく同僚。そして私にサマージャンボは買いましたかと訊ねてきた。

私はといえば、以前もご紹介したが、もともとくじ運が悪い
別にそれを悲観しているわけではないが、それもあって宝くじは買わない主義である。
そんな私だから宝くじとなると勢い、会話は次のようになる。

「いや、僕は買わない主義だから」
「えっ、何でですか?」
「当たらないからさ」
「どうしてですか、買わないと当たらないじゃないですか!」
「買っても当たらないもん」
買わなかったら当たるわけないじゃないですか!」

そう確かに買わないと当たらない。
しかし、では買えば当たるのか?
それを考えるとしたら、やはりあれこれ感覚でモノを言うよりきっちり確率で考えるのが順当だろう。

宝くじの当たる確率は、正確なところはわからないが、ざっくりと推定するとだいたい1/10,000,000くらいらしい。1/10,000,000といってもピンとはこない。サイコロを振ってある目が出る確率は1/6。2回続けて同じ目が出る確率は1/6×1/6=1/36。同様に3回だと1/216。こうしていくと9回目で1/10,077,696となる。つまり、サイコロを振って9回続けて同じ目が出る確率と一緒ということになる。

ただでさえくじ運の悪い私にとって、9回続けて同じ目が出るなどという事はまずありえない。やっぱり「当たらない」と言い切っても大丈夫みたいである。

いや、夢を買うんだよという説はある。しばしの間、「当たったら何を買おう」という幸せな夢を見る事ができるではないか、と。夢を見られる人は良いだろう。たかだか3,000円である。パチンコやギャンブルに夢を求めるよりも健全だし遥かにいい。そのくらいの夢をくだらないと笑うほど私も醒めているわけではない。ただ、私はもともと素直な性格だから、夢を見る楽しさよりも実現しなかった時の落胆の方が大きいタチである。だから自分には合わないのである。

一方我が家の奥様は毎回律儀に夢を買っている。そうして律儀に私に夢を分けてくれる。毎回欠かさず買っている妻の口癖は、「当たったら100万円あげるわ」である(たった100万円と思うかもしれないが、妻を知っている人は100万円も、と絶句するかもしれない・・・)私は自分では絶対買わないのに、こう言われると期待だけはしてしまう。そして「買い損なった」などと言われれば、ついつい自分から「会社帰りに買ってきてあげるよ」などと言ってしまうのだ。妻は目立つところに宝くじを置いて、子供にも当たるように拝ませているが、残念ながらいつも願いは聞き届けられない・・・
私もこの程度の夢のおすそ分けならがっかりしなくても済む。

銀座の有名な宝くじ売り場。1番(だったかな)の窓口だけ長蛇の列で、お隣の窓口は閑古鳥。同じブースで出所は一緒だ。冷静に考えれば同じブースだから1番窓口だろうと2番窓口だろうと買う窓口によって当たりはずれには何の関係もない。それにどこで買おうと1枚当たりの当選確率は同じである。なのに1番窓口に列をなす人々・・・滑稽な行列を見てはいつも楽しませてもらっている。

宝くじを買う人のことをとやかく言うつもりはまったくないが、私自身はこれからも宝くじを買うつもりはない。負けるとわかった勝負はしないタチだし、負けるとわかっていても勝負しなければならない時があるとは思うが、宝くじはそんな勝負ではないと思っている。そのエネルギーと3,000円とは他に生かしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「交渉術」佐藤優
「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎
    
    

2009年8月26日水曜日

自民党の選挙戦略

 さていよいよ衆議院選挙が今週末に迫ってきた。
やっぱり勢いは民主党にあるようだし、政権交代も現実味を帯びてきた。
ただ民主党政権が誕生しても手放しでは喜べないだろう。
ここにきて、支持と同じくらいいろいろと批判も出てきている。

 もともと元自民党や旧社会党の残党の寄せ集めだし、ここにきてその勢いに田中真紀子さんまで便乗してしまったし、小沢さんも過去の立派な発言をひっくり返しているし、何よりも日教組と組んでいるのがもっともいただけない・・・そもそも民主党が力をつけてきた、というよりは自民党が自滅したといった方が正しい状況が寂しいところだ。民主党に喜んで政権を担ってほしいとは思えないが、自民党に続けてもらう方がもっと問題だ。
だから今回は政権交代も仕方ないだろうと思う。民主党も一度政権を担って失敗して、そのあと本物の二大政党の一角になれるかが、焦点だと思う。

 さて負け戦の感のある自民党であるが、自民党としてはもはやじたばたせずに負け方を研究すべきであろう。私だったら、たぶん民主党政権もいずれ自滅するだろうから、なるべくダメージの少ない負け方を研究するだろう。比例代表のメンバーなんかは次の政権担当を見据えて若手のホープを並べたらどうかとも思う。

 それと今ネットで展開している民主党へのネガティブキャンペーンは傑作だ。もともと日本人は清々堂々を旨とする民族だから、ネガティブキャンペーンなどはどうも好ましくないと捕らえがちだ。ただこのネットCMはユーモアがあって露骨さがないのがいい。これならばご愛嬌で受け入れられるし、そもそもよく考えたなと感心する。

 YouTubeで「プロポーズ編」と「ラーメン編」と題して民主党を批判しているが、うまく民主党の欠点を捉えてユーモラスに作っている。民主党の場当たり的な人気取りマニュフェストの問題点がよくわかるし、見た人はいずれ民主党政権がボロを出した時にこれを思い出して、「ああやっぱりな」と思うだろう。今度の選挙ではなく、次の選挙を見据えているとしたら作った人は大した戦略家だと思う。

 選挙に大敗して自民党は崩壊するのではないか、という意見の人もいるが、次の次に満を持して「やっぱり自民党でなければダメだ」と再登場できるかが、自民党にとって大事な事だと思う。目先の事に囚われずに選挙を乗り越えられるか、ちょっと興味深い。

 さて、いよいよ投票日は今度の日曜日。また子供を連れて行きたいと考えているが、ガードをどう潜るか、個人的にはそれにチャレンジしてみたいと思う・・・


これがとっても面白い
【自民党ネットCM プロポーズ篇】

【自民党CM ラーメン篇】


【本日の読書】
「交渉術」佐藤優
「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎

2009年8月24日月曜日

熱闘甲子園の大きな声では言えない思い出


    
夏の風物詩とも言える全国高校野球。
毎年たくさんのドラマが生まれ、印象深いものも多い。
その中でも、1979年8月16日に行われた和歌山県代表・和歌山県立箕島高等学校対石川県代表・星稜高等学校の試合は球史に残る名勝負と言われている。
延長18回、3時間50分の試合。

延長戦で2回点を取られた箕島が、その裏の攻撃で2回とも2アウトからホームランで同点にし、最後18回裏にサヨナラ勝ちした試合である。
当時の視聴率も凄かったらしい。
この試合は実は私も観ていたが、別の意味でも熱狂して観ていた。
なのでとても思い出深い試合なのである。

この年の夏、私はいつものように長野県の御代田に遊びに行っていたのであるが、甲子園大会の前日、集まった親戚間で優勝校を当てる賭けをすることになった。
一人1校100円で3校まで。
中学生であった私には、優勝候補がどこだとか、大会ナンバーワンの選手は誰だとか、そういう事前の情報など皆無で、ただただ出場校の名前を眺めて、ビビッときた高校を選んだのだった。
私の選んだ高校は箕島と池田とあと一つは忘れてしまった。

忘れてしまった一つは早々に敗退したが、箕島と池田は残った。
そして箕島高校の冒頭の名勝負である。
その日は軽井沢のレイクニュータウンに遊びに行き、みんなでボートに乗ったりしていた。
(このレイクニュータウン、当時は賑やかだったが2年前に行った時は残念ながら寂れていた)
夕方試合が始まり、息詰まる投手戦をラジオで聞いていた。
そして帰ってさっそく結果を見ようとしたら、驚いた事に試合はまだ続いていた。
延長戦に突入したのである。

そこからの応援。
なにせ100円がかかっているわけである。
力も入ろうというもの。
そして延長戦で点を取られ、ダメかと思ったところで奇跡の同点ホームラン。
それも2回も、である。
最後は勝つべくして勝った。
歴史に残る名勝負などとは思わなかったが、自分には何か目に見えない何かがついているように感じた。

その試合に勝って勢いづいた。
ベスト8が出揃ったところで、親戚連中はもう一度賭けをやり直そうという事になった。
みんなその時までに、はずれてしまい面白くなくなっていたのだ。
一人2校がベスト8に残っていた私を除いて・・・

そしていよいよ迎えた決勝戦。
対戦するのは箕島対池田。
どっちが買っても勝利するのは私。
笑いが止まらなかった。

この時、私には何となく自分には未来を予想できる力があるような気がしていた。
事実、名前を見ていてビビっときたのである。
今でもその力はあるのだろうかとふと思う。
今度試してみようか。

甲子園と聞くといまでも思い出すエピソードである・・・


【本日の読書】
「交渉術」佐藤 優
「ゴールデンスランバー」伊坂 幸太郎

      

2009年8月22日土曜日

高校野球について思うこと

 夏の甲子園大会も佳境に入ってきた。
「野球は第2のスポーツ」と常々思っているが(第1はラグビーである)、プロ野球は観るものの、高校野球はあまり観ない。技術力という点でプロよりも見劣りするのは致し方ないとは言え、やっぱり限られた時間で観るとしたらプロとなるのである。

 小学校から中学卒業まで町内野球に親しんだ私は、高校入学の時に当然の事ながら野球をやるという事が頭にあった。それまでは軟式だったから、本格的に硬式で野球をやりたいという気持ちがあり、「野球部」はなんといっても入部希望の筆頭であった。だが、どうしても一つだけ踏ん切りがつかない事があった。
それは「坊主頭」である。

 高校野球といえば「坊主頭」。誰もそういうものだと思って疑問の声を聞くこともない。「日の丸」や「君が代」にいちゃもんをつける日教組も、旧日本軍さながらの全員坊主頭の野球部には文句はないらしい。だが、私にはどうしてもそれが馴染めなかったのだ。野球部のクラブ紹介でも「入部したら当然坊主」と説明があった。いろいろ迷ったが、どうしてもその違和感に馴染めずに入部を諦めたのだった。

 別に坊主にする事が恥ずかしくて嫌だったわけではない。それが証拠に、後に大学に入った後(一晩だけであるが)、モヒカン刈りにした事がある。次の日にすぐ丸坊主にしたが、普通の人はなかなかやれないだろうと密かに自負している。だからもしも坊主にしなければならないのだったら、引退してからにしようかと思ったくらいだ。だがそんな考えが通じるはずもなかったので、一人身を引いたのだ。

 嫌だったのは坊主頭そのものよりも、そういう「考え方」だ。疑問に思うことも許されず、一律坊主にすることによって個性を奪われる。あとは歯車としてチームのためにプレーするだけだ。「考える事は許されない無個性の世界」、そんなイメージがしたのだ。

 例えばよく教えられた話がある。ある時、監督からバントのサインが出されていたが、その選手は無視してホームランを打ってしまった。その選手はベンチに帰って来ても褒められるどころか怒られた、というものである。結果よりも監督の指示に従うという事が重視されるのだ。当時はそれを当然だと思っていたし、みんな目を輝かせて頷いていた。

 でもそもそもホームランとバント、どっちが「チームにとって良い」のだろうか。それは考えるまでもない。だとすると「チームのため」を考えたら、監督の指示は間違っていた事になる。大事なのは「チームのため」なのか「監督の指示」なのか?答えられるだろうか?

 ちなみに私が監督だったら、選手たちにはこう指導する。
「監督の指示は絶対だ、でも自信があったら破ってもいい、結果が出れば認める、そのかわり失敗したら3倍罰を与える」と。
そうして選手たちに考えさせてプレーさせるのだ。そんな中で、もしも監督のサインに従わない選手がいたとしたら、(失敗すれば当然3倍ペナルティだ)そういう「気概」をもった選手には目をかけるだろう。「無難に」指示に従うだけの選手よりも大成すると思うのだ。

 「チームプレーは個人プレーの蓄積」である。チームの歯車になるだけではだめなのだ。個性重視と言いながら、「不祥事があれば即出場辞退」という高野連の体質といい、没個性的な世界を感じてしまうのだ。

 結局、そう感じたのは私が「へそまがり」だったからに他ならない。そんな「へそまがり」がいいのか悪いのか。でもだからラグビーという新しい世界に向ったのだし、それが大正解だったわけだから判断は難しい。それでも野球は面白いし、楽しいスポーツである事には変わりない。長男にはまず野球をやらせたいと思う。

 何といっても高校野球はプロへの登竜門。将来のプロ野球の発展のためにも、高校野球も引き続き夏の風物詩としてあり続けてもらいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「交渉術」佐藤優

     

2009年8月20日木曜日

明日に向って走れ

世界陸上でジャマイカのウサイン・ボルトが9秒58という驚異的な世界記録で優勝した。
我々の世代だとカール・ルイスの記憶が強く残っているが、当時びっくりした彼の9秒86という世界記録も今では歴代10位なのだという。
今回の世界陸上に全盛期の彼が出場しても3位にも入れなかったのだから驚きだ。
いくら「記録は破られるためにある」ものとはいえ、どこまで伸びていくのであろう。

私も足の速さにおいてはちょっとしたものであった。
小学校の頃からリレーの選手だったし、それからも走る事にかけては自信があった。
高校時代でもたぶん、学年でベスト5くらいには入っていたのではないかと心密かに思っている。

中でもお気に入りはリレーだった。
それもアンカーがお好みだった。
そしていつも思っていたものだ、「どうか2~3番目くらいでバトンを渡してほしい」と。
1番ではダメなのだ。
そのまま1番でゴールしても手柄は前の走者のものだ。
2~3番目でバトンを受け取って1番の走者を抜くのがいいのだ。
(もっともそう都合のよい機会に恵まれた経験はあまり記憶に残っていない)

同じ走るにしても長距離は苦手だった。
ただ黙々と走るのはあんまり好きではなかった。
高校の時に嫌々ながら走った10キロ走では50何位だったと記憶している。
途中でショートカットできないかとキョロキョロしてみたが、さすがにそこは読まれていて、ズルできない仕組みになっていた。
最近走る事が一部でブームになっていて、よく「ランナーズハイ」の恍惚感を語られる事もあるが、私には馬耳東風だ。

ラグビーでも足の速さはそれなりに有利に働いた。
だが、ラグビーでは正面を向いてひたすらまっすぐ走るという機会は、一つの試合にそれほどあるものでもない。
たいがいが、短いスタートダッシュの繰り返しで、走るにしても相手の動きを絶えず見てそれにあわせて動くのが主だ。
何よりスピードよりもぶつかり合いの方を好んだので、勢い全力疾走などという機会も少なかった。

それにしてもボルトの瞬間最高速度は秒速12.4秒だという。
誰の背中を見ることもなくただ早く走る9秒56の世界とはどんな世界なのだろうか。
そこは選ばれし者のみが到達できる神の領域なのだろうか。

今4歳の長男は、よく「よーいドン」のかけっこを喜んでやっている。
今から楽しみながらやらせていれば、自然と足も速くなるのではないかと思っている。
足が速いと子供の時代は楽しいものである。
少なくとも母親のように運動会の前の日に必死で雨乞いする事はないだろう。

「神の領域」とはいかなくても、楽しい世界がある事は間違いがない。
親としてその楽しみに導いてやりたいと思うのである・・・



【本日の読書】
「最後のパレード」中村克
「ジェネラル・ルージュの凱旋(下)」海堂尊
「戦略ファイナンス」高田直芳

    
   

2009年8月18日火曜日

先輩H2

一度GWに岩手県に住んでいたH先輩を訪ねた事がある。
すでに私は銀行に就職し、ごく普通の生活を始めていた。
H先輩は空家の元教員住宅を借りての晴耕雨読の生活を送っていた。
コンクリートの上ではない、まさに地に足をつけた生活である。
そんな生活は憧れはするが、とても真似できない。

話を聞いて、慣れない農機具を使い、例え米粒一つであろうとそれを作るのがどんなに大変かがよくわかった。部屋の隅にH先輩の作った米粒が落ちているのを見つけ、そっと袋に戻した。小さい頃よく親に「お百姓さんに怒られる」と言われたものであるが、H先輩の働く姿はどんな言葉よりも説得力があった。

その時の事であるが、近所の集まりで、自家製のしいたけを食べさせてもらった。
取りたてのをあぶって醤油をかけただけのものである。
しいたけなんて、と思っていたらあまりにもうまそうに先輩が食べるものだから、口に入れてみた。
これが最高にうまい。

凡そ子供はと言えば野菜嫌いが多い。
そしてそれは実は当たり前の事だと気がついた。
これだけうまければ都会の子供たちはみんなしいたけが好きになるに違いない。
セロリやニンジンだって推して知るべし、である。

しかしやっぱり農業だけでは食べていけないらしく、塾の講師などもやっているようだから現実は厳しいのだろう。やがて結婚されたが、奥様と二人で東南アジアを放浪して帰って来てから結婚式という具合だった。世の女性はすべからく「ちゃんと就職して安定している人がいい」と言うのかと思っていたら、そういう女性もいるものなのだと感心した。

ちなみにH先輩はルックスで女性を惹きつけるタイプではない。
もしもそうであれば、一番弟子を自称していた私も少しは恩恵に預かれたはずだ。
学生時代はとにかくH先輩について行ってもその先に女っ気を期待する事はできなかった。
よって奥様もタダモノではないと感じたのである。

今でも仙台近郊で農業をやっている。
家族で作物を育て、都会の人をホームステイさせたり、体験農業をやったりと精力的だ。
「私は都会人だから田舎の暮らしなんて合わないわ、将来田舎に行くなら一人で行ってね」と公言するどこかの奥様と比べるとつくづく羨ましいと思ってしまう。

今はブログという便利なものがあるから、H先輩の生活振りもよくわかる。
都会のセカセカした生活にふと疲れる時があって、そんな時は田舎で暮らす先輩がうらやましく思われる事がある。だが、どんなに夢想しても現実的に自分がそんな生活を送るのは不可能だし、いまさらやろうとも思わない。自分には今の生活スタイルが一番合っているし、逆に都会でないとできない事もあるからだ。

自分には自分なりの今のスタイルが合っていると思うし、たぶんこれからもそれを続けて行く。ただやっぱりH先輩の生き方は、地を這うようなタックルと正確なスローイングが真似できなかったように、真似できるものではない。せめて先輩からみて恥ずかしくない生き方だけはしたいと思う。そしてやっぱりいろいろな本を読んで、たまには会って文学談義をしたいものである。その時に恥をかかないように頑張っていたいと思うのである・・・

     
【本日の読書】
「教えることの復権」大村はま
「ジェネラル・ルージュの凱旋(下)」海堂尊

     

2009年8月16日日曜日

先輩H

   この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 
   危ぶめば道はなし
   踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
   迷わず行けよ 行けば分かるさ
                              一休 宗純
********************************************************************************
H先輩と出会ったのは、最初の大学受験に失敗した時の事であった。
小学校時代からの友人と一緒に合格発表を見に行き、合格を喜ぶその友人が入学の書類をもらうのに付き合って校内をうろついていたら、H先輩に声をかけられたのだ。
ラグビージャージを着たH先輩に、「俺の後輩になれよ」と言われたのが悔しい思いと共に印象に残ったのである。

1年後にリベンジを果たしてラグビー部の門を叩いたが、怪我で休部中のH先輩と再会したのは、それからさらに半年以上後の、確か年末の頃だった。2つ上のH先輩とは同じポジションでもあり、また甲子園出場経験者という異色のキャリア、文学好き、そして人柄とが相俟ってすぐに親しみを感じたのである。女の話かラグビーの話が圧倒的な話題を占めるラグビー部で、静かに本を読むH先輩に同類の匂いを嗅ぎ取ったのだと思う。

もともと哲学には興味があったが、それでもニーチェやキルケゴールなどを読み始めたのはH先輩の影響だ。後に奥様になる人に「どうしてすぐに就職しなかったのか」と問われて、先輩は「本を読むためさ」と答えてフッと笑ったと言う。
フッと笑ったのかニヤケタのかはともかく、「本を読むため」というのは事実だと思う。
「H先輩がどんな本を読んでいるのか」は今でも常に私の感心事だ。

そんなH先輩は、卒業したあと企業に就職する事なく、やがて東北で農業を始めた。サラリーマンの息子であったH先輩に農家のコネなどあるはずもなく、役所に手紙を書いて乗り込んで行くという有り様であった。「この道を行けばどうなるものか」まったくわからない道を、すべてをかけて進む姿は私にはとうてい真似できない。その姿勢を学生時代に合コンで発揮していたら、かなり楽しい学生生活を送れたに違いない。

他の先輩達はみな一流企業に就職していった。当時は今と違って売り手市場だったし、「体育会ラグビー部」の看板を掲げていれば、いくらでもそれなりの企業に楽に就職できたのだ。H先輩はそんな楽な道を選ばずフリーターとなった。我が大学から司法試験などの理由を別として、そういう進路に進むのは極めて珍しい事である。

そんなH先輩の事をもう少し語ってみたい・・・


【本日の読書】
「戦略ファイナンス」高田直芳

    

       

2009年8月15日土曜日

8月15日

 本日は終戦記念日。毎年行われている全国戦没者追悼式の様子がテレビに映し出されていた。「先の大戦」といっても、もう64年も前。心なしか「終戦ムード」も毎年色褪せてきているような気がする。

 こういう事はきちんと受け継いでいかなければならないとは思うものの、自分たちが肝心の語り継ぐ世代となりつつある今、実体験がないだけに何となくインパクトにかけるような気がしてしまう。子供たちがもう少し大きくなった時にどんな話ができるのだろうか、とふと考えてしまうのである。

 それはさておき、追悼式では麻生首相の言葉をちょっと聞いた。「大戦の反省」とはよく言われているが、口先だけでない本当の反省というものが果たしてできているのだろうか。世の中の風潮からするとどうもそうは思えない。「反省」と口にしていれば間違いはない、と思ってやっているような気がするのである。

 物事には原因があって結果がある。結果を反省する事はもちろんであるが、では「どうしてそうなったか」という原因分析はまったくできていない。すべてを巨悪の塊「日本軍」の責任にしておしまいである。歴史の教科書をみても事実の羅列に終わり、「どうしてそうなったのか」という視点がかけている。トヨタの改善運動ではないが、「なぜ」を5回繰り返せば歴史だって真実が見えてくる。
「鎖国で平和を満喫していた日本人が、なぜわざわざ大陸に侵略などして行ったのか?」
そこから始めるといいのではないだろうか。

 開国以来、「先進国」に追いつけ追い越せを旗印に頑張っていた明治日本。坂の上の雲を目指していた日本軍がどこでどう道を間違え、フォースのダークサイドに堕ちて行ったのか、きちんと教えてはくれない。そもそも開国から大戦までが、現代日本ではもっとも重要な歴史なのに授業ではそこまでいかずに終わる。弥生時代の土器の話をするなら、明治維新から大戦までの歴史をもっとやるべきだと常々思っているが、学校はそうは考えないらしい。

 明治維新以来、日本のたどった道を(色眼鏡で見ることなく)正確に学べば、おそらく今世間で認識されているのとは違う歴史が見えてくると思う。そうした原因分析を飛ばして、ただ結果論だけで「反省」しておけば済むとするのは、真に責任ある態度とは言えない。
 歴史好きな人間としてはとても歯がゆいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
    
  

2009年8月14日金曜日

風邪が気合で治るわけ~実践編~

さて、前回風邪が気合で治るわけを解説した。
これから「風邪は気合で治す」と言った時、白い目で見られる事が少なくなるのではないかと期待している。私の場合、その効果は絶大である。

今回は具体的な方法を語ってみたいと思う。
まず初めに、風邪はひき始めが肝心である。
これは世間でも言われている通りである。
「かかったかな」と思ったら「即気合!」。
コンタック600などの出る幕ではない。

気合という言い方がひょっとしたら誤解を招く元なのかもしれないが、要は体の内部への意識を通じた働きかけである(よけい怪しいか・・・)。
人間の脳にはまだ理解されていないが、使うことのできる能力がある。車の運転みたいなものだ。次の日の朝いつもより数時間早起きして遊びに行く時の事を考えてみればいい。目覚ましの鳴る前に目が覚めたり、いつもは何度も鳴っては止めるを繰り返す目覚ましにも一発で起きる事があるだろう。我が家の長女もディズニーランドに行く時は、学校へ行く時よりも目覚めはいいし、起きた後の行動も迅速だ。

そんな脳ミソに病原体をやっつけるイメージを送り、ラグビーの試合前に円陣を組んでみんなで叫ぶ時のように気合を体に入れるのである。そうして布団に入れば、潜在意識が体に備わっている防衛機能により強く働きかけて、体に侵入した病原体を退治するのである。眉唾に聞こえるかもしれないが、医学的にも「プラシーボ効果」というのが科学的に認められている。気合=プラシーボ効果と説明すれば納得してもらえるのかもしれない。

ちなみにこうした気合が効くのは風邪であって、インフルエンザはこの限りではない。
なぜならインフルエンザはウィルスが原因であって、そのウィルスに対しては(もちろん気合も効果はあるだろうが)タミフルなどのある種のワクチンが最も効果的だからだ。
繰り返すが風邪の特効薬はいまだに存在しないわけなので、矛盾はないのである。

私が医者に行く時は、「もしかしたらインフルエンザかもしれない」と思う時か、仕事の都合などでどうしても症状を抑えたい時などだ。だから前者では、風邪とわかれば薬はもらわずに帰ってくるし、後者の場合はその症状の薬だけもらって帰ってくる。しかも3日分もらっても必要がなくなれば、その時点で残りは捨ててしまう。

風邪をひいたらとにかく医者とばかりに医者に行く、そうやって医者を妄信するのは間違いだ。
機械的に医者に行って、もらった薬をもらった分だけ何にも疑わずに真面目にきちんと飲む。
そういうスタンスは、実は戒めるべきものなのだ。

自分の体とよく相談し、医者には必要な処置のためだけに手をかしてもらう。
そうした自立した意識こそが真に自分の体の為になる。
そう信じてやまない私である・・・


【本日の読書】
「教えることの復権」大村はま
「ジェネラル・ルージュの凱旋(下)」海堂尊

     

2009年8月13日木曜日

風邪が気合で治るわけ

風邪をひいた時、私は「気合で治す」事にしている。
こう言うと顔をしかめられる事が結構ある。
私は医者嫌いでもなく、薬嫌いでもない。
それが風邪を治す一番効果的な方法なのである。
正確に言えばこれに「適度な睡眠」がセットになる。

今日も同僚と議論をした。
「風邪をひいたらすぐに医者に行く」と彼は言う。
だが、考えてみてほしい。
医者に行く、症状を答える、そうすると医者は大抵薬を出してくれる。
だが、それは「風邪薬」ではない。

頭が痛いと言えば頭痛止め、咳が出ると言えば咳止め、熱があれば熱ざまし、吐き気があれば吐き気を抑える薬・・・
みんな症状を抑える薬だ。
風邪に対しては現在のところこうした「対症療法」しかできないのである。
あとは布団に入って大人しく寝ているようにと言われる。
風邪の症状が抑えられている間に、体の持っている自然治癒力で風邪を治すのである。

つまり、「風邪は薬で治るわけではない」のである。

これが現代医療である。

私の場合はといえば、症状にはすべて目を瞑り、気合を入れて寝る。
気合を入れる事によって、潜在能力に働きかけ、意識下で体の防衛本能を呼び起こし、自然治癒力を高めるわけである。
最初はどうあれ肝心な部分では治療方法は一緒である。
単に「心頭滅却すれば火もまた涼し」といった精神論を振りかざしているわけではないのである。

また、風邪の諸症状は体の防衛本能の現れである。
咳によって異物を排出し、病原体に対する免疫反応によって発熱するのである。
解熱剤はこの免疫力を弱める事によって熱を下げているのである。
つまり「病原体の敵=味方」をやっつけているわけである。
医者は体の防衛力を弱める薬を山のように出し、おまけに「全部飲むと胃が弱る」からと胃薬まで出すのである。
馬鹿にするにも程がある。

医者は沢山薬を出せば診療報酬が増える。
「お大事に」と言いながら「毎度あり」と言っているのである。
それをありがたがっているのだから始末が悪い。

まあ、どうしても辛くて症状を抑えたいというような理由からであれば、それは一つの解決策だ。
それを否定するつもりはない。
だが、大概早く風邪を治したい私としては、体に薬というよけいな負担をかける事なく、体のもっている防衛力を高めるべく、「気」を送ってからそれらが働きやすいように寝るのだ。
それが私なりに実践で培ってきた極めて合理的な治療方法なのである。

ちなみにラグビーをやっていた私は、現役の時には怪我とはお友達だった。
そして整形外科にはちょくちょく通っていた。
怪我は医者に行くのが一番早く治る。
常に合理的に体のことを考えて最善の策を取るのが、私のポリシーなのである。


【今日の読書】
「教えることの復権」 大村はま
「ジェネラル・ルージュの凱旋(上)」海堂尊
     
      

2009年8月11日火曜日

夏は夜

今朝静岡で震度6の地震があったという。
東京も明け方揺れたのだと会社に着いた時に同僚から聞いた。
言われてみれば地震の夢を見たと思い出した。
ちょうど揺れている時に見たのだろうか?
そうだとしたら、人間の脳の夢を見るメカニズムは面白いものだと思う。

それほど深く寝入っていたわけであるが、今年の夏はいわゆる熱帯夜が少なくて、よく寝られるのもその原因かもしれない。
夏の夜、私は寝る時にエアコンは使わない派だ。
窓を開けて寝るのだ。もう昔からそうなのである。
エアコンをかけて寝ると起きた時にどことなく体調が悪くなるのだ。

寝る時にエアコンを入れて、タイマーで止まるようにセットするのもだめなのだ。
途中で暑くなって窓を開けたり、再びエアコンをセットしたりとするのは嫌なのだ。
だからよっぽど暑い時は、エアコンを入れて部屋を冷やしておいて、寝る時になったら窓を開けて寝る。開け放した窓からわずかに入ってくる夜風が微妙に心地良くて好きである。

妻などは窓を開けて寝る事には抵抗があるようだ。
やっぱり無用心だと考えるようである。
そこは男と女の違いなのかもしれない。
まあ今の日本は治安もいいし、やっぱりそれが一番寝やすいので当面はこのスタイルを維持したいものである。

お盆のこの時期、子供の頃は長野県の御代田にある従兄弟の家に遊びに行っていた。
なにせ日本の代表的な避暑地の一つ、軽井沢の近くだけあって東京よりも涼しい。
学校の夏休みも20日頃までだし、日中はともかく朝晩はひんやりと涼しくなる。
ゆえに従兄弟の家にはエアコンがない。
寝苦しい夜とも無縁であった。
暑苦しい時は妙に懐かしく思い出したりするが、今年はそんな事もない。

サラリーマンとしては大変助かる夏なのであるが、夏は暑く、冬は寒いのが四季のいいところ。
景気にも農作物にもきっとよくない。
「熱帯夜よ、来い」とはあまり言いたくはないが、もう少し夏らしくあってもいいと思う。
御代田に行ってた頃は、秋の気配に見送られて東京に帰ってくると、まだ夏休みは10日も残っていたし、残暑が手荒く出迎えてくれたものだ。
汗だくになって東京って暑いなとつくづく思ったが、それでこそ夏である。
夏はやっぱり夏らしくあってほしいと思うのである・・・



【今日の読書】
『水木サンの幸福論』水木しげる
『ジェネラル・ルージュの凱旋(上)』海堂尊
     
     

2009年8月8日土曜日

世襲議員

 各党のマニュフェストも出揃い、そろそろ選挙のムードも出てきそうである。
民主党などまるでもうすでに与党になったかのごとく、批判を浴びている。
今回ばかりは自民党も失政のあとだけに、一回退場もやむを得ないかもしれない。
といって民主党に期待しているかというと、手放しでは支持できないところがあるからジレンマだ。
(何といっても日教組と絡んでいるし・・・)

ところで今回は世襲議員が批判の的となっている。
世襲議員の定義は「親子に渡る議員で地盤もそのまま受け継いだ議員」を言うらしく、代々立派な議員である民主党の鳩山さんは父親と地盤が違うから「世襲」ではないらしい。

そもそも正直に言って何で世襲が問題なのかわからない。
なぜなら世襲とはいっても政治家はみんな選挙という関門を潜り抜けている。お隣のお国とは違うのである。いくら親議員が子供を同じ政治家にしたくて地盤を受け継がせたとしても、選挙で票が集まらなければそれまでだ。

組織票だって立派な票だ。親父さんの後援会が丸抱えで当選させたとしても、それが票という形で大勢の人の支持を得たのであれば、まったく問題はない。それが問題であるというのであれば、世襲か否かの前に選挙に出ている宗教団体こそ糾弾されるべきである。だから何が問題なのだかよくわからない。

「すべてお膳立てされて楽々当選したため、苦労知らず。」
「裕福な家庭で育って、苦労もせず政治家になったから庶民感覚に乏しい。」
そんな個人的な資質を批判する声もあるが、すべての責任はそんな政治家を選んだ国民にあるとしか言いようがない。投票率が低いから組織票のある政治家が強いという意見もあるが、それも同様だ。

そもそも我が国は歴史的にいって親の仕事を継ぐのが当たり前のカルチャーがあった。現代ではサラリーマンが多数派を占めるためそういった風潮は廃れたが、それでも家で商売をやっているところでは、子供たちは「親の仕事を継がないのか?」と当たり前のように聞かれるはずだ。政治家だって同じだ。

例えば医者の親父が子供を医者にさせようと、大枚叩いて子供を医大に行かせるのはよく聞く話だ。そして出来の悪いバカ息子が歯医者にしかなれない例も・・・
金を積んで無理やり医者に仕立て上げるよりも、選挙という関門があるだけ政治家の方がはるかにマシだ。議論を履き違えているのではないだろうか。

『警官の血』という佐々木譲の小説がある。親子三代にわたる警官の物語だ。その中で、息子が警官となった父親は仲間に一目置かれるのだというような内容があった。「息子の育て方を間違えなかったから」である。子供は父親の背中を見て育つ。その後を歩いて行きたいと思えば自ら同じ道を選ぶはず。もしも、純粋に親父のように国民に仕えたいと思って政治家を志す息子がいたら、「世襲だから」という理由でその道を閉ざすのはいかがなものか?(もっとも本当にそんな親父や息子がいるかどうかはわからないが・・・)

私はサラリーマンだから、子供たちが跡を継ぎたいと思っても無理な話だ。でもやっぱり背中で語りたいものはある。生きる姿勢、働く姿勢、社会に向けた姿勢。そんなものを背中で語れる親父でありたいと心から思う。そうしたものをできるのなら「世襲」してもらいたいと思うのである・・・

     

2009年8月6日木曜日

夏の日雑感2009

    
この夏はどうも例年のようなパワーがない。
照り付ける日差しに目を細める事がずっと少ない。
7月にとったせっかくの夏休みも、夏の日差しにはあまりお目にかかれなかった。
それでもプールでは子供たちと楽しく遊べた。

小学校3年生の長女はいつのまにか25メートルを楽に泳ぐようになっていたし、ママと競争して勝つまでになっていた。さすがにスピードではパパの足元にも及ばないが、それでも25メートルプールを往復したあと、すぐに「もう一回」と言われ、思わず「ちょっと待て」と肩で息しながら答えてしまった。いずれスピードで抜かれる日も近いのかもしれない。

家の周りでは比較的緑が多いせいか蝉がやかましく鳴いている。
最近蝉の種類を覚えた4歳の長男は「あれはミンミン蝉か、あれは何蝉か?」と興味深々。
しかし鳴き声はするが木に止まっているところが見えないのが残念。
そう思っていたら、近所の家の壁にとまって鳴いているやつを見つけ感動していた。
図鑑の中ではなく、目の前のやつはやっぱり説得力が違う。
この程度の自然ともいえない自然ではあるが、考えてみればこれも自然なのだろう。

家の近所を散歩するとトウモロコシ畑がある。
練馬区は23番目にできた区だけあって、まだまだこういう畑も多いような気がする。
日本では関東のトウモロコシが今まさに旬。
トウモロコシは小麦・米と並んで「世界三大穀物」の一つであるが、実は我が国は世界最大の輸入国であり、輸入量の9割をアメリカに依存しているという。
そして、国内で消費される75%は家畜の飼料用らしい。
そんな現実は目の前のトウモロコシ畑とはマッチしない。
あれがトウモロコシだよと子供たちに教えてあげるも、買うのはスーパーだ。

近所の白子川ではカモの親子が憩い、鯉が泳ぎ、亀が甲羅干しをしている。
そんな風景を大事に守ろうと近所の人達は時々清掃作業をしているが、いつも空き缶やビニールゴミが浮いていたりする。たぶん捨てるのは子供か若者かと想像していたが、なんといい年したおじいさんが空き缶をポイ捨てしているところを見つけてしまった。あとで注意すれば良かったと後悔しているが、防ぐ手立ては意識変革しかないのであろう。

この地域に住んで13年。次第に愛着も湧いてきている。
考えてみれば実家で暮らしたのは、(近所間での引越はあるものの)就職するまでの23年間。
あと10年も暮らせば人生で最も多くを過ごした地域になるわけである。
子供たちの「ふるさと」でもあるわけだし、地域に密着してこれからも暮らしていきたいものである。

立秋も過ぎて早や残暑お見舞いの時期となった。
夏も後半戦だ。
いろいろと悩める日々であるが、明るい未来を信じて気持ちだけは沈まぬ太陽でいたいと思うのである・・・

     
    

2009年8月3日月曜日

花火大会

   
 その昔、長野県の御代田に一人で遊びに行っていた頃、よく町内の花火大会に連れて行ってもらっていた。グラウンドの土手に横になって見上げた夜空に飛び散る打ち上げ花火は、夏の恒例行事であり、いい思い出になっている。

 さて昨日、板橋区の花火大会に行ってきた。直線距離だと我が家からそう遠くもなく、「ホタル見学」に行ったところからもすぐ先という位置なのである(実は電車とかバスで行こうとすると大変なのである)。昨年どんなものかと家族で見に行き、そこそこの水準にあると判断し、今年は満を持して有料チケット(@2,500円)を購入して見に行った次第である。

 実はこの花火大会、目玉としてナイアガラの滝というものがある。全長500メートルにわたってのそれはさぞかし壮観だろうと期待して、有料席のチケットを取ったわけである。打ち上げ花火と違って、ナイアガラの滝は空高く上がるわけではなく、したがって無料の見学席からだと遠目にしか見られないのである。

 巣鴨から乗り込んだ三田線はすでに満員。意外と浴衣のカップルが目に付く。女性の浴衣姿はわかるものの、最近では男もけっこう着るらしい。かっこいいなと思わせられるイケメンもいれば、演歌歌手かという雰囲気の男もいてなかなか楽しめる。女性も素敵な子もいれば、ガードレールに寄りかかってタバコを吸っていたりする子もいる。さすがにそんな姿は興醒めだ。浴衣が泣いている。

 50万人と言われる人出は壮観だ。ようやく席にたどり着いたのは始まる直前。ナイアガラの滝の端っこなのにちょっとがっかりする。しかしながら始まったら打ち上げ花火のその迫力には感激。途中で首が疲れたほど、ほとんど目の前で花火が上がる。大きく開くタイプは遠く飛ばすためか音も大きい。腹に響いてくる破裂音が子供たちにとっても驚きであったようである。

 全部で94種類であったが、単発のスターマインや単打などよりも連発モノがやはり迫力だ。冒頭で650発、中盤で850発、エンディングで1,015発とあった連発モノは、夜空が明るくなるほどで、観客席からも大きな歓声が上がった。夏の風物詩である花火もこれだけ目の前で楽しめると満足度も高い。ただ曇りに風とあって少々肌寒く、おまけに風の影響でナイアガラの滝は煙幕の中に姿を消してしまった。先週の夏休みといい、今年は天気にやられた感がある。

 家族には好評であり、来年また見に行く予定である。3度目の正直に期待したいところだ。
 「そういえばよく家族で花火大会に行ったよね」
将来子供たちがそんな思い出話を語ってくれるようになればと思うのである・・・
   
     
(本当はこんな光景が見られるはずだった・・・)

2009年8月1日土曜日

パズル

私は昔からパズル好きである。
ジグソーパズルやクロスワード、最近では絵クロスや数独などがお気に入りだ。パズルをやっている時間はあれこれ深く思い煩う事も忘れて集中できるのがいい。最近はネットでいろいろと検索できるので、わざわざ買いに行かなくてもいいという手軽さもある。

その昔独身の頃は1,000ピースくらいのジグソーパズルを買ってきて、夜な夜な枕元で寝る前の一時をパズルで楽しんだ事がある。しかし一つの問題は、「完成すると邪魔になる」ということである。最近妻がやっぱり1,000ピースのパズルを子供が寝た後にやっているが、これは極小サイズというものらしい。完成した大きさも昔私がやっていたものに比べるとはるかに小さい。

もっとも今は私はネット派だ。
よくやっているのがこれだ。

Click to Mix and Solve

いつも154ピースで楽しんでいる。
ネットだと好きなものを選べるのは当然として、終われば次に移れるし、完成したパズルを昔のように部屋でもてあます事もないのが大きい。それに何より無料だし・・・

ジグソーパズルは完成品を見ずにやるのがミソだ。
見れば簡単にできるが、見なければ手間取るので、その分楽しめる。
完成させる事自体よりも完成させるまでのプロセスを楽しむのなら、完成品を見ないでやるのが一番良い。

一方半年前に買い換えた携帯には数独が入っていた。
何気なく始めたが、これもなかなか面白い。
あれこれと数字を想定し、推理するのはいい頭の体操だ。
携帯だから、外出時のちょっとした空き時間に楽しめる。
(最もそのちょっとした空き時間にやめられなくなるのがネックなのだが・・・)

推理する楽しさを味わえるパズル各種。
これからも密かな楽しみであり続ける事は間違いないと思うのである・・・