2019年10月31日木曜日

お金とオリンピック

マラソン札幌開催なら「都は負担なし」 IOCなど調整
2020年東京五輪のマラソン・競歩の開催地をめぐり、国際オリンピック委員会(IOC)が発表した「札幌案」が実現した場合、東京都には費用を負担させない方向で、IOCや大会組織委員会などが調整していることが大会関係者への取材でわかった。大会の準備状況を確認するIOCの調整委員会が30日、東京都内で始まり、会場問題や費用負担などが話し合われる。
朝日新聞デジタル201910310600
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いよいよ来年に迫って来た東京オリンピックであるが、ここにきてゴタゴタが起こっている。何とオリンピックの掉尾を飾るとも言うべきマラソンが競歩とともに札幌で開催とIOCが突然発表したのである。これを受けて小池都知事も「いっそのこと、北方領土でやったら?」と嫌味を言っているとか伝わっている。外に出ることすら憚られる真夏の東京でマラソンを行うということ自体、狂気の沙汰と素人でも思うだけに、なんとも言えないところがある。こういうニュースに接すると、ついついニュースでは語られない水面下の動きに興味をそそられる。

そもそもであるが、なぜ真夏にオリンピックなのだろうかと思う。55年前の東京オリンピックは「体育の日」が制定されていることからも明らかなように「秋」であった。秋であれば問題はないだろうし、おまけにオリンピックついでに各地で紅葉狩りなんかも楽しめるし、何より味覚の秋を堪能できる。アスリートにとっても海外からの観光客にとっても、炎天下に観戦に出掛けなくてすむ都民にとっても、みんなハッピーなはずである。

それなのに真夏に開催するのは、実は米テレビ局の意向だという。ちょうどこの時期はアメフト、バスケットなど人気米プロスポーツのオフ期に当たり、この期間だとIOCが米テレビ局からオリンピック中継に伴う巨額な放映権料を得やすいのだそうである。オリンピックはこの放映権料に支えられているため、米テレビ局が夏のオリンピック開催を求めれば、IOCはそれに従わざるを得ないのだという。なるほど、である。本当なのかどうかは部外者にはわからないが、理由としては最も説得力のあるものだと思う。

札幌開催案は、「アスリートファースト」だと説明されれば説得力はある。いくら常人離れしたアスリートだって東京より札幌の方がいいだろう。ただ、そもそも論を考えると白々しく響いてくる。東京都の関係者も実は「ふざけるな!」と思っているかもしれないが、「アスリートファースト」を出されると弱いかもしれない。「だったらそもそも秋にやれよ」と私だったら腹を立てるだろう。だが、これだけのイベントであれば当然お金はかかるわけで、そのお金をどうするのかと考えれば事は簡単ではない。

 この放送権料はIOCの繁栄を支える最大の収入源であるという。その金額は、2010年のバンクーバー冬季オリンピックと2012年のロンドンオリンピックで計約39億ドル(約4,690億円)だというから相当なものである。そしてその収入の9割は各国オリンピック委員会や各競技の国際連盟などに還元されているそうであり、そうした巨額の補助金もそれなりに各スポーツを下支えしているとすれば、異を唱えにくいのかもしれない。

バブル崩壊、金融危機などの時期、苦境に陥った各企業はそれまで自社で抱えていたスポーツ活動から手を引いていった。野球、陸上、バレー、サッカー等々の名門チームがなくなっていったのは記憶に新しい。会社が危機にある中、「それどころではない」というのは当然の話であるが、プロスポーツならいざ知らず、アマチュアスポーツである以上、会社の判断を非難することはできない。活動資金源として「スポンサー」が必要なのはやむを得ないことであり、オリンピックが米テレビ局の意向に左右されるのもやむを得ないのかもしれない。

一方、お金を出す方の立場としてみれば、お抱えのプロスポーツのハイシーズンに競合するものにお金を出せないのは当然の判断だろう。プロスポーツの放映権だって高額なのだろうし、それは高視聴率が期待できるからこそ高いお金を払うわけであり、わざわざそれと競合するものにお金は出せない。では、と周りを見回してみても、ヨーロッパはこの時期サッカーがあるし、他に巨額の資金を出せるところがないのかもしれない。

まさに、あちらを立てればこちらが立たず。どういう解決策が一番いいのかはわからないが、今の流れでいくと札幌案もやむを得ないのかもしれない。ラグビーのワールドカップでは、アジア初の日本大会開催を受けて、国内のトップリーグ及び大学のトップグループの公式戦は大会期間中は休止となった。その下の第2グループは開催されたが、キックオフの時間が通常よりも早い時間に設定されたりと国内挙げての体制が組まれた。ラグビーという狭い世界だからこその挙国一致体制だが、さすがにオリンピックは難しいだろう。

 理想と現実と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、外野の立場としては、マラソンを観るのはどちらにしろテレビの予定であるし、東京だろうと札幌だろうと国内には変わりないし、どこであろうとテレビの前でスポーツの祭典を純粋に楽しみたいと思うのである・・・






【本日の読書】
 
   
   
   

2019年10月28日月曜日

夢とはなんだろうか


 若者には夢が必要だということに異論はない。若者に限らず、夢のある人とない人とでは、圧倒的に夢のある人の方が魅力的である。ただ、そうは言っても、今一つ力強くそう人に語ることができないと感じているのは、自分自身、昔から夢というようなものを持っていなかったからである。「将来プロ野球選手になりたい」と無邪気に語っていた幼少期は別として、それ以降、恥ずかしながら「夢」というものを持ったことがないのである。なんて夢のない人間なのかと思うも仕方がない。みんなどんな夢を持って生きているのだろうかといつも思う。

将来について漠然とではあるが、ある程度真剣に考え始めたのは高校生の時である。大学受験というのが間近に迫る中、志望大学を決めるのにはどうしてもある程度将来の進路というものを決めなくてはいけない。初めて「大人になりたくない」と思ったのもこの頃かもしれない。あれこれ迷うなか、何となく理系よりは文系と考えていたところ、アル・パチーノ主演の映画『ジャスティス』を観て、弁護士になろうと思ったのが最終的に進路を決めた経緯である。結局、大学に入ってから自分には法律は合わないと感じて進路を変更したが、果たしてあれが「夢」だったかというと、「そこまではいかない」というレベルだったと自分では思う。

弁護士というのは、あくまでも「職業」としてのもので、それほど強烈な思いを持っていたわけではなく、何となく浮かんだ選択肢の一つという感じである。結局、銀行員になったが、それもいろいろな選択肢の中から決めたにすぎず、「夢」というのとも違う。「金融を通じて中小企業の成長を助ける」というような崇高な志があったかと言えばそんなことはなく、ただ何となく経済のことがわかるようになれば、その先いかようにでも対応できそうだという漠然とした思いがあっただけである。それ以降、今日に至るまで、やはり「夢」と言って人様に語れるようなものはない。

そんなことをつらつら考えたのは、やはり高校を卒業して将来に悩んでいる娘に何と言ってアドバイスしてあげたらいいだろうと考えたからである。娘は不器用なタイプで、「とりあえず大学に行く」という気軽さは持てないようで、「やりたいことが見つからない」という思いを抱いているようである。ある意味、真面目なのかもしれない。そんな娘に対してどんなアドバイスができるのだろうかと考えてみたが、自分自身、夢などというものを持つことなく今日まで来てしまっているし、結局、できるとしたら「なるようにしかならない」というくらいかもしれない。

しかし、考えてみれば夢がなくてはいけないのだろうかと問われれば、それは「あるに越したことはない」という程度なのかもしれないと思う。現に自分は今日に至るまできちんと生きてきているわけだし、仕事もそれなりに充実していて、私生活でも週末にはラグビーをやったり、映画を好きなだけ観て、本も読んで、時折クラッシックのコンサートにいったり劇団四季のミュージカルを観に行ったりとそれなりに人生を充実させている。欲を言えばキリがないが、不満がないと言えばうそになるもののそれなりに楽しい人生を歩んでいる。それでいいようにも思う。

この先の人生の後半戦はどうだろうと思うが、体の動くうちはやっぱり今のような生活を送ってそれで充分だと思う。もうちょっと金銭的に余裕があれば尚良いが、この先もやっぱりラグビーをやりたいし、映画も観たいし本も読みたい。コンサートや観劇にも行きたいし、国内外の旅行にも行きたい。これまでとはちょっとワンランク上のそんな生活を送りたいと思う。それが今の夢と言えば夢。夢というにはあまりにも小さいと思うが、夢とは言わずに「望む生活」というならそれで充分。考え方によっては、「好きなことをする生活」とも言えるわけで、それが当面の目的であろうか。

娘もそんなに肩ひじ張らず、どこの大学に行こうとその先どんな風に生きようと、なるよになるだろう。立ち止まってフリーズしてしまうのではなく、動いてみることだろうと思う。夢なんて高く掲げなくとも、少なくとも親はそうやって生きてきているわけだし、大丈夫なのである。そのうちやりたいことも見つかるかもしれないし、「とりあえず」やりかけている大学受験に対して、迷うことなく向かうことでいいと思う。一つ扉を開ければ、また違う風景が見えるかもしれない。今度そんな話をしてみたいと思うのである・・・






【本日の読書】