2023年1月29日日曜日

若きウェルテルの悩み

 会社のもうすぐ30歳になる若者の悩みを聞いた。これから会社の中核を担っていく若者である。学校を卒業して東京へ出てきたが、将来のことを考え郷里の実家に戻って両親と暮らすべきかと悩んでいるそうである。まだ独身。いずれ結婚したいが、東京で相手を見つければ一緒に郷里に帰って両親と同居してくれないかもしれない。かといって、郷里では相手も仕事も見つからないかもしれない。どうしたら良いのか悶々とした悩みに囚われているようである。

 今一人はもう少し若い若者。同じように郷里を離れて東京で働いているが、実家が経済的に困窮していて援助しなければならない。なけなしの給料からできる限り仕送りをしているが、耐久生活を余儀なくされている。いったい、こういう生活がいつまで続くのか。自分の将来はいったいどうなるのか。このまま両親のためにだけ働いていくのか、自分の人生とはいったいなんなのか。ともに先の見えない長いトンネルに入っているかのようで、どうするべきなのかと悩んでいる。

 そう言えば、自分もちょうど30歳の時に仕事で壁に当たり随分と悩んだものだと思い至った。当時、私は銀行の支店で毎日を忙しく過ごしていた。自分の仕事はきっちりとこなしていたし、それで何か問題があるなどとは夢にも思っていなかった。そんなところに、ある時隣の課の課長から「飲みに行こう」と誘われた。当時、そういう仕事絡みの飲みが嫌だった私は迷わず断ったが、ならばとそのまま別室に連れて行かれた。そこで言われたのは、「お前は何がやりたいんだ」という一言。

 突然、「何がやりたいんだ」と藪から棒に問われても答えられるはずもない。戸惑う私に続け様にいろいろと言われたが、何を言われたのかは頭には残っていない。その時、私はちょうど管理職に昇格するタイミングだったのだが、このままでは昇格できないという内容であった。当時、私が勤務していた支店には同期が3人いて、昇格するのはそのうち1人だけだと言われていた。私以外の2人は外交と呼ばれていた取引先担当で、私は融資担当であった。外交は野球で言えば打撃部門、融資は守備。どうしてもスポットライトは打撃に当たる。私は一番不利な位置にいたのである。

 支店で1人というのも理不尽だと思っていたが、課長に叱責されても私には何をすれば良いのかわからない。日々やらなければならない仕事をこなすだけである。直属の上司も多忙な日々の中、これと言って何をしたら良いのか言ってくれるわけでもない。さらには支店長との面談でも同じように厳しいことを言われたが、では何をすればいいのかと問われるとわからない。漠然と今のままではダメだと言われても、途方に暮れるだけであった。深い悩みの中、翌年の春、同期が先に昇格した。

 社会人になって、最初は闇雲に突っ走る日々でも、56年経つといろいろと迷いが出てくるのかもしれない。同じような悩みではなくても、何らかの苦悩を抱えるものなのかもしれない。今の自分が当時の自分に戻れたのなら、何となく求められていたものがわかるので、行動することはできると思う。自分のことだけでなく、課全体を視野に入れた行動をとればよかったのである。残念ながら、当時の自分にはそんな事はわかるはずもなく、悶々と辛い日々を過ごすだけであった。

 会社の2人の若者の悩みも、私からすれば対応方法は難しいことではない。悩んで解決する問題であれば悩めばいいが、悩んでも解決はしない。なら解決方法を考えるだけである。それは私が第三者でもあるからであり、それなりに人生経験を積んできたからであり、だからこそわかるものなのかもしれない。当時の私にも良き相談相手がいれば良かったと思うが、反発せずに素直に上司や叱責してくれた課長にぶつかっていけばよかったと思う。悩みは1人で抱えていても解決するものではない。

 そう言いながら、私は人に悩みを相談する事はしない。なぜなら、他人に相談しても解決しないと思うからである。解決するくらいなら自分で考えて解決策を導き出せてしまうと思う。それは傲慢なのかもしれない。ただ、自分以上の解決能力を持った人がいるとは思えないのである。それはそうだが、一緒に考えてくれるだけでも気持ちが楽になるというところはあるのではないかと思ったりする。そういう相談相手になりたいとは思うが、残念ながらまだそこまで若き彼らの心を開けていないところがある。

 人生は苦悩に満ちている。誰であれ苦悩から逃れる事はできないと思う。その苦悩の大小はあると思う。私も結局、30歳の時の苦悩を引きずったままその後の銀行員生活を過ごしたし、眠れないほどの失敗をしてしまったこともあったし、自ら招いた苦境から苦悩の日々を過ごしたし、その延長で銀行を辞めたし、思えばそんな苦悩がずっと続いている気がする。ただ、今はそんな苦悩とうまく折り合いをつけて、心が押し潰されない程度には緩和して過ごしていられるだけである。

 あの頃、誰にも助けてもらえなかったが、今多少なりとも経験を積んできた自分が役に立てるなら、悩める彼らの相談相手になれたらいいなと思う。あの頃、自分に欲しかった心の相談相手にである。そうして少しでも役に立てるなら、自分の今の苦悩も少し軽くなるように思うのである・・・

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【本日の読書】

 




2023年1月25日水曜日

署名活動に思う

 昼休みに、いつものように弁当を買いに外出すると、会社の近くの交差点のところで署名活動をしているご婦人の人たちがいた。横断幕も作ってかなり本格的なものだ。呼びかけていたのは、「戦争反対、ロシアはウクライナから即時撤退せよ」というもの。どうやら署名はウクライナからロシアの撤退を求めるものであったようである。ご婦人方に声をかけられて署名している人もいたが、私は横目でそれを見ながら通り過ぎた。幸い、声をかけられることはなかったが、もしも声をかけられても署名は丁重にお断りしただろう。

 こうした署名活動はいろいろあるが、果たして何の意味があるのだろうと思ってしまう。私はこうした署名活動には基本的に応じないことにしている。実態のわからない人たちの活動に自分の名前を書きたくないという気持ちもあるが、そもそも意味のない活動には携わりたくないという気持ちが強い。こうして署名を集めて、いったいどうするのだろう。政府に持って行ってプーチン大統領に渡してもらうのだろうか、それともロシア大使館にでも持って行くのだろうか。

 仮にそれなりの数が集まって、仮に政府なりロシア大使館なりが受け取って、仮にそれがプーチン大統領に届けられたとしても、果たしてプーチン大統領がそれを見て戦争をやめるかと言うと、絶対にそんなことはあり得ない。もしも戦争をやめられるとしたら、それはバイデン大統領が「ウクライナを永久にNATOに入れない」と約束することだろう。もしもそれが宣言されたなら、多分すぐに停戦となるように思う。あるいは別の可能性として、戦争に双方が疲弊して休戦となるかであって、集まった署名ではない。

 そんなことはちょっと考えてみればわかることで、寒風の中、そんな意味のない署名を集める意味などあるのかと問えば、おそらく携わっているご婦人方の自己満足くらいしか意味はないと思う。その昔、銀行員時代に組合活動でベアの要求等で署名を求められたことがあった。あれにはやむなく署名したが、どんなに組合員の「切実なる思い」を経営側に届けたとしても、それで決定が覆ったり変わったりすることはないと思ったし、実際変わったことなどなかった。単なる組合執行部のパフォーマンスであったが、そんなものに署名するのも苦痛であった。

 ただ、すべての署名活動が無駄かと言えば、そうとも言えない。最近では、秩父宮ラグビー場の移転建て替えが発表され、ラクビー愛好家から反対の声が湧き上がっている。署名(と言ってもネットでのようであるが)活動も沸き起こっている。こういうものは、反対の声が大きいと、関係者の中で「見直し」の意見も出てくるかもしれない。ましてや政治家が動けばその可能性も高くなりそうな気もする。可能性は低いかもしれないが、それでもロシアにウクライナからの撤退を求めるよりは遥かに確率は高いと思う。

 さらに最近では、政府にメールで意見を言える仕組みもあるようである。それもある程度の数が集まれば、あるいは政治家も考えるかもしれない。そういうものは、ある程度の意味はあると言えるかもしれない。私も頼まれればそれくらいの活動になら協力するかもしれない。私の性格ではあるが、何にせよ「戦略」というものを考えてしまう。「どうしたらうまくいくか」ということである。その絵が描けないとやる気は起きない。やるからには、どうしたらうまくいくかと考えて、わずかでも可能性があればそれに賭けるという感じである。大抵の署名活動にはそれがない。

 もしもロシアにウクライナから撤退させたいと思い、それで署名活動をしなければならないとしたら、それはプーチン大統領に対してではなく、バイデン大統領に対してであろう。それならありうると思えるし、どうせやるならそちらにしたいと思う。もっとも、バイデン大統領にすれば、戦争が長引いた方がロシアが疲弊して国力を落とすので、黙って続けさせる方を選ぶに違いない。自国の武器も売れるし、目障りなロシアが衰退するなら一石二鳥である。こちらも署名など集めてもカエルのツラに何とかだろう。

 それにしても、寒空の下、署名を呼びかけていたおばちゃんたちは、実にご苦労なことであった。純粋な気持ちからなのであろうが、物事は表面的なことではなく、本質的なところをきちんと理解しないとトンチンカンなことをする羽目になる。「寒さに負けず、平和のために署名活動に携わる」という気持ちは立派だが、どうせならもっと効果的なものにそれを振り向けた方が良いのになと思ってしまう。そうドラチックに思うのが良いのか悪いのかとは思うが、私は無駄だと分かりきっていることはやっぱりやりたくないと思ってしまう。

 「平和活動に携わる自分」に酔いしれる気持ちはわからなくもないが、私はそこにやっぱり「効果」を期待してしまう。署名活動にその効果があるとは思えず、これからも署名の類には応じたくないという気持ちは変わらないだろう。やるからには(自己満足以外の)「意味のある」ことをやりたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 



2023年1月22日日曜日

論語雑感 述而篇第七(その2)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」

【読み下し】

いはく、もだしるし、まなびていとはず、人をおしへてまざる、何ぞ我有らむ哉。

【訳】

先師がいわれた。

「沈默のうちに心に銘記する、あくことなく学ぶ、そして倦むことなく人を導く。それだけは私に出来る。そして私に出来るのは、ただそれだけだ。」

『論語』全文・現代語訳

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 我々はついつい、派手な成果を期待したり、すぐに結果を求めたりする。そしてそれができなかったりすると、すぐに諦めてしまったり、自分には無理だと思ってしまう。小学生の頃、跳び箱や逆上がりがすぐにできる子もいれば、なかなかできない子もいた。なかなかできない子はやがて自分には無理なんだと諦めてしまう。大人の目から見れば、やればできるのにと思うから「諦めずに頑張ってごらん」と声をかけたりするが、当の本人には伝わらない。そういう大人も自分の事だと簡単に諦めてしまっていたりする。


 何でもそうであるが、物事は何事も簡単にはできない。私は昔からそう思っているので割と努力する方である。小学生の頃、「やってやれないことはない、努力あるのみ」というような内容の作文を書いた記憶がある。跳び箱も逆上がりもすぐにできるタイプではなかったが、何度か練習すればできるタイプだったから、よけいにそうだったかもしれない。人間、目の前にニンジンがあれば手を出そうとする。あまりに高いところにあれば諦めるが、ちょっと手を伸ばせば届きそうだと頑張ろうとする。そんなところがあったかもしれない。


 それ以降、私は「コツコツ派」である。受験もそうであったし、ラグビーもそうであった。社会人になって資格を取る時もそうであった「天才が1時間でできることを2時間かけなければならないとしたら、2時間かけて追いつけばいいし、3時間かけて追い抜けばいい」という考え方が好きな性分であるというのも大きいと思う。実際、そうしてきたし、そうしないとできなかったということもある。イチローの名言に「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」というのがあるが、まさにその通りだと思う。


 いきなり成果を求めても無理であるから、コツコツと積み重ねていくしかない。黙ってやるしかない。続けるしかないし、仕事のようにみんなでやるものであれば、諦めずにやり続けるしかない。決めたらブレずに続けるしかない。そしてそのことに関しては、私は割とできるタイプである。孔子もそうだったのかもしれない。焦ってみても仕方がない。一度に一歩しか進めないのであれば、一歩進めばいい。百歩進まなければならないのであれば、一歩一歩進んでいくしかない。一度に十歩進もうとしてできなくて諦めるのではなく。一歩一歩進むしかない。


 一度に十歩は進めなくても一歩なら進める。なら、その一歩を進むしかない。それだけはできるのであれば、それだけを淡々とやるしかない。自分にできることがそれだけであるなら、それをやるしかないのである。孔子の言葉もしっくりくるものとこないものがある。それは性格の違いもあるし、考え方の違いもあるから当然と言えば当然。今回の「自分にできることを淡々とやる」という内容の言葉は、しっくりくる。一部の天才をのぞいて、万人に当てはまることではないだろうか。


 これからもできる事を淡々とやり続けたいと思うのである・・・



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【今週の読書】


2023年1月20日金曜日

騙されても・・・

 弟がどうやら詐欺被害に遭ったようである。

 海外不動産投資の誘いを受け、それが現地人の友人と一緒にということで信用したようである。最初は迷いもあったようであるが、「返ってこなくても良い」と思う金額だったこともあり、老後に遊びに行く楽しみもできると考えたようである。それがいつの間にか、請われるままに少しずつお金を送り、やがて予想外のリターンが得られるとわかり、金額を積み増したらしい。私には「10倍になった」と得意気に語っていたのである。

 それがある日突然、連絡が来て「金を貸して欲しい」と言ってきた。聞けば海外の不動産を資金化するのに必要な経費なのだと言う。なんとなく違和感を感じたが、他ならぬ弟の頼みでもあり、貸すことにした。その際、一つ確認したのは、「現地にいる友人は信用できるのか」ということ。「大丈夫だ」ということで、その時は金を貸した。そしてまたしばらくして追加で金を貸して欲しいと言ってきた。その時すでに「騙されているのではないか」という話はした。弟もなんとなく自信なさげであったが、頼まれるまま金を貸した。

 その後も何度か頼まれるまま応じたが、金額が嵩み、頻度も増えてきたところで、何度も事情を確認した。「ここでやめると全部パーになる」というのが弟の言い分であった。話の端々に「友人からも借りている」という話もあり、やがて私の貸せる限界がきたところで弟も「実は・・・」と窮状を打ち明けてきた。既に車も処分し、もう1円も集められないという事で、返済もかさんで給料でも返しきれないとのことだった。そこで、現在の借入状況を全部明らかにするようにと言って明らかにさせたが、それを見て愕然としてしまった。それはとても返し切れる額ではなかったのである。

 海外の方は、友人の伝手を辿って現地の日本人弁護士を紹介してもらい、アドバイスを受けた。すると、弟が現地人弁護士といって紹介されて依頼していた弁護士がどうやら偽物だと判明した。現地の弁護士登録に名前がなかったのである。元々、「おかしい」という点がいくつもあったが、日本とは違う法体系でもあり、はっきりと断定はできなかったのである。ただ、ここに至ると法律の違いを超えてもどうにも正常だとは思えなくなっており、いよいよ騙されたことは間違いないとわかってきた。

 騙されたこと自体、仕方がないと言えば仕方がない。巧妙な詐欺であれば、私も騙されるかもしれない。しかし、私だったら絶対にここまで酷い状況にはならないという自信がある。それは、「他人を巻き込まない」という私のマイルールである。それは「自分の持っている余剰資金」と「返せる範囲での借入金」で賄うというものである。決して、友人知人や親兄弟からかき集めることはしない。自分でできる範囲を超えたらそれまでである。過去に株式投資で失敗したことがあるが、その時もこの原則は崩さなかった(だから生還できた)。弟はこれを遥かに超えてしまっている。

 既にクレジットカードや使途自由のローンの返済額は手取りの給料の2倍以上となっている。それ以外に友人や親兄弟(私だ)からの借金が加わる。さらにその総額は、海外不動産を売却して得られるはずだった金額をも超えている。ここまで見境なく、後先考えずに金を借りまくったのかと思うと、我が弟とは言え、あまりの愚かさに愕然としてしまう。騙されたのは仕方がないが、ここまで無責任に金を借りた事こそ批難されるべき過失である。もう全額返すことは不可能である。

 自分が貸したお金ももう返ってこないだろう。それはある程度想定していたのでなんとかなるが、弟の生活をどう守るかの算段がなかなか大変である。その相談にも乗りながら、同時にこれは是非とも子供達に教えておかないといけないと感じた。いわゆる金融リテラシーというやつである。自分は大丈夫だと思っていても、将来子供達が同じような羽目に陥って、「助けてくれ」言われても困る。年金生活になって、貯めた財産をそんなことのために吐き出させられたら事である。

 金を貸す時は、返済をアテにしなくて大丈夫な範囲に止める。金を借りてやるのは投資ではなく、投機。投資も同じように返ってこなくても大丈夫かという観点で考える。借りるのは自分で返せる範囲内まで。そんな原則を守っていれば、たとえ騙されても最悪の事態は回避できる。娘は臆病で慎重なところがあるからわりかし安心かもしれないが、息子は心配なところがある。男は「自分は大丈夫」と過信するところがあるからである。娘も本人は大丈夫でも、将来の結婚相手が大丈夫だとは言えない。

 お金は幸せにもなれるが不幸にもなる。真面目であるかどうかは関係なく、大事なのは知識があるかどうか。大きく儲けなくても破滅しなければそれで十分。両親も弟に請われるまま全預金を貸してしまった。これはもう戻らない。何かあれば私がなんとかしなければならないが、私も弟にかなり貸しており体力は乏しい。今後、なんとかするしかないが、これをきちんと後世への教訓にしないといけない。それでなければ、貸して戻ってこないお金がただ無駄になるだけである。せめてそれを将来への投資にしたいと思うのである・・・

Holger LangmaierによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 






2023年1月15日日曜日

オススメ映画に思う

 私は小学生の頃からの映画好き。父親が映画好きで、テレビでよく洋画を観ており、私も横に座って一緒に観ているうちに好きになったという経緯である。人の親となった私は、もっぱら映画を観るのは週末の深夜。子供たちが寝たあと。それだからか、私の子供たちも映画は嫌いではないが、趣味というほどでもない。改めて親の影響は大きいなと思う次第である。週末2本観れば、年間で100本。休暇や祝日の前夜もあるから、なんだかんだで昨年は142本を数えた。一昨年は166本である。

 それだけ観ていても、まだまだ観たいリストは減らない。観たいと思うものを片っ端から登録しているが、今現在で300本くらいある。仕事をリタイアでもしない限り減りそうもない。となれば、面白い映画を効率的に選んで観たいと思うが、それはもっぱら口コミに頼ることになる。誰かが観て面白いと思うものを観ていけば、ハズレる心配はない。ちなみに経験上、「予告」は当てにならない。予告を観て面白そうだと思って観てもハズレることは結構ある。その点、口コミは精度が高い。まずハズレることは少ない。

 その口コミ、あるいは世間の評判であるが、ハズレることはないものの、「期待ほどではない」というのは多々ある。めちゃくちゃ期待して観たものの、確かに面白かったが、期待したほどではなかったというのが多々あるのである。昨年は、『トップガン マーヴェリック』が大ヒットした。知人の中には何回も観たという者もいる。私も続編の製作を知って、前作をわざわざ観直してから観に行ったほどである。確かに面白かった。ストーリーもそうだし、映像の迫力も然り。されど私の個人的年間ベスト10 では8位である。

 なぜ、面白いと勧められた映画がそれほどでもないと思ってしまうのだろうか。それは人それぞれ感性が違うのだから当然と言えば当然である。先月、『勝手にしやがれ』という映画を観た。名画と名高いフランス映画である。しかし、これもそれほど面白くはなかった。なんでこれが名画と言われているのか。それは即興演出や手持ちカメラでの街頭撮影など、当時の劇場映画の概念を打ち破る技法で製作され、後の映画界に大きな影響を与えたということもあるらしいが、要は当時は斬新であっても、それが一般化すれば当たり前になる。そういう時代の影響もあるかもしれない。

 一昨年は、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が大ヒットし、邦画の記録を塗り替えた。確かに面白かった(個人の年間ベスト4である)が、個人的には原作漫画の方が遥かに良かったし、正直言って漫画の方は涙腺が崩壊してしまった。だが、映画の方はそれほどでもない。「ストーリーを知ってしまったから」ということもあるかもしれないが、原作漫画は読み直しても感涙なので、映画の問題である。なぜ、そういう違いが生まれるのだろうと不思議に思う。その理由がわかれば、他人のオススメ映画から適切に自分にヒットするものが選べるかもしれないと思ってみたれする。

 逆に自分が自信を持って勧めたのに、他人にそれほど受け入れられないというのもある。『ちはやふる』2017年の個人のベスト1であるが、勧めた友人には怪訝な顔をされてしまった。2022年のベスト1『浅草キッド』であるが、これも然り。多分、勧めた相手は観ていないと思う。伝え方の問題もあると思うが、こういうことは珍しくない。だから、趣味の話になって、当然の如く「最近観た中で何が良かったですか」と質問されると、当惑してしまう。どうせ怪訝な顔をされて終わるなら言いたくないと思ってしまうのである。

 残念であるが、人それぞれヒットポイントが違うだろうから、オススメ映画を聞くのもあまり意味はないという気はする。『マチネの終わりに』という映画は、原作小説もあるが、共に個人的には心に残る作品である。なぜ、この小説・映画がいいのかと考えると、ストーリーが良いのは当然だが、「自分の似たような経験を刺激される」というところが大きい。過去に好きだった女性と時間差のすれ違いがあって、今でも人生最大の失敗と悔やんでいるが、その記憶が刺激されるのである。そうすると、ストーリーだけでなく、それが余計に心に染み渡ることになる。

 人は経験によってその人自身が彩られていくところがある。考え方や感性もそういう経験によって形成されていくところがある。だから若い人と歳をとった人の考え方が違うのも当然であるし、人生で何に重きを置いているかによっても違う。人に何かをして喜んでもらえることに喜びを見出す人もいれば、他人のことはお構いなくひたすら自分の事だけを求める人もいる。価値観が違う相手を自分の価値観で評価しても意味はないし、虚しいだけである。当然、そういう価値観にヒットする映画もそれぞれという事になる。「勧められたけどぜんぜん面白くなかった」というのも当然なのである。

 しかし、だから「人のオススメ映画は当てにならない」とは思わない。やっぱりその人が面白かったというものは、それなりに面白かったりする。だから『トップガン マーヴェリック』『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』もベスト10に入っている。そして、数百本の「観たい映画リスト」の中からハズレを引かないためには、やっぱり人のオススメは参考になるのである。ただ、あくまでも自分の参考であり、人の参考に押し付けたいとは思わない。やっぱり自分の心に大ヒットした作品を「ふ〜ん」で終わらせてほしくはないと思ってしまう。

 「人に勧められても人には勧めたくない」とわがままにも心密かに思うのである・・・

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【本日の読書】

 




2023年1月12日木曜日

義母の葬儀

 昨年末、義母が亡くなった。風呂場での突然死であった。いわゆるヒートショックというものらしい。病気などで入退院を繰り返していたのであれば、それなりに心の準備というものもできるのであろうが、突然死なのでそんな準備などない。娘と旅行に行っていた妻は大慌てで実家に帰ったが、そばに居なかったので妻の直接の様子を窺うことはできず、その心境は推察するしかなかった。悲しむよりも葬儀の準備などの方が大変だったのかもしれない。

 葬儀は昨今のコロナ禍の影響というわけではないが、身内だけの家族葬。齢83歳。まだまだ若いと言えば若いが、親しい人は皆高齢者。そんな背景も家族葬にはあったのかもしれない。ところは家族葬向けの小さなホール。曹洞宗の流儀に従った葬儀が行われた。自分の直接の血縁というわけではない気持ちのゆとりからか、葬儀の進行を眺めながらつらつらと考える。ふと気づくと焼香は2回。3回と思っていたから戸惑うも、調べてみると曹洞宗は2回らしい。面白いと言うか、ややこしい。

 そもそも何で仏教式なのか。妻の家系の宗派は曹洞宗なのであるが、信者というわけではない。今の時代、檀家に入っているというわけでもない。たまたま祖父母の代が曹洞宗だったというだけである。その理屈から行くと、我が家は浄土真宗になるようだが、もちろん、普段は付き合いなどない。死んだ時に子供がやり取りをして手配をするのだろう。だが、そうする必要があるのだろうか。

 そもそもなぜ信者でもないのに仏教式でお経をあげてもらうのか。突き詰めて考えると、「それ以外の方法を知らないから」となる。仏教式でやらないとなると、「ではどうするの?」となる。喪服着て参列し、坊さんのお経を「早く終わらないかな」などと思いながら聞き流し、焼香をして手をあわせる。そうすると、何だかきちんと見送ったような気持ちになる。もしも仏教式を否定したら、途端に途方に暮れるだろう。だが、それもまた面白いのではないかと思う。自分の葬儀は是非そうするように遺言を残したいと思う。

 義母には六文字の戒名が授けられる。戒名はあの世でお釈迦様に弟子入りする名前だそうだが、何と現世では値段で文字数が変わってくる。お釈迦様の前では皆平等ではなかったのかと思うも、どうやらそうではない。文字数が少ないとあの世で肩身が狭いのであろうか。ならばそんな戒名などより親に愛情を込めてつけてもらった名前の方が、見知らぬ坊主に金でつけてもらった名前よりいいように思う。自分は、自分の名前をあの世にも持って行こうと思う。

 通夜の晩は、夜通し線香を絶やさないようにするものだが、なぜそうなのかと言えば、おそらくの推測であるが、死臭隠しだったように思う。一晩絶やさないことが死者への弔いのように言われるが、そもそもは朝起きて死臭が漂っていると不快な気分になるし、それは死者への冒涜になるようにも思えるし、それで一晩中線香を絶やさないようにしたのではないかと推測してみる。だが、今は蚊取り線香のようなぐるぐる巻きの線香を利用していて、ほっといても12時間くらい持つそうである。何ともである。そして翌日の告別式には、同時に初七日の法要が行われる。昔は文字通り七日目に行っていたと思うが、現代は時短・効率化である。

 そして一同は火葬場へと移動する。焼くのは1時間ちょっとくらいらしいが、熱を冷ましたりする時間を見て、2時間から2時間半くらい取るのだと、詳しいハイヤーのおっちゃんが教えてくれる。焼却炉が古い隣の街だともっとかかるのだとか。そして、待ち時間の間に昼食を取り、再び火葬場に行き、お骨を拾う。驚いたことに、骨壷が手のひらサイズである。まさか砕いて粉末状にするのではあるまいと思って見ていたら、何と足から各パーツのひと骨だけを集め、最後は頭蓋骨の一部で蓋をして終わり。その手のひらサイズの骨壷で納骨するとのこと。

 実は、納骨先のお寺ではもう「先客」で一杯らしく、これ以上は受け入れられないのだとか。残りの一式は火葬場の一角に納められるらしいが、他の方と一緒くたにされてしまうようである。言葉は恭しいが、ごっちゃ混ぜになるようである。これも時代なのだろうと思うが、どうなんだろうと思う。もっとも大事なのは弔う心。仏教であろうが何であろうが、骨壷に一部しか入れられなかろうが、全部であろうが死者には何もわからない。生きてそれを見送る者の心こそがすべてだろうと思う。

 思えば妻との最初のデートでサンドイッチを作ってくれた義母。結婚した後は、行けば何かともてなしてくれた。一緒に義理の祖母を見送ってからそれほど日も経っていないように思うが、いつの間にか見送る日が来てしまった。事情があって8年ほど会っていなかったが、それを残念に思う。棺の中の義母は、どこかよその知らない人のように思えた。妻と結婚しなければ知り合うことすらなかったはずの人である。今はもう記憶の中にしかいない。だからこそ、形式よりも心が大事だと思う。戒名やお経ごときでお寺にいたずらに寄付するくらいなら、集まってくれた人にちょっと豪華な食事でもしてもらって楽しんだ方がずっといいと思う。

 義母のように突然死ぬのか、それとも祖父のように病院のベッドなのか。いずれにしても、親の葬儀を前もって準備できる子供はいないと思う。それゆえに今から自分の葬儀については、へそ曲がりの本領を発揮して、いろいろと考えておきたいと思うのである・・・

 

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【本日の読書】

 




2023年1月7日土曜日

論語雑感 述而篇第七(その1)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「述而不つく、信而好古、竊比於我老彭。」

【読み下し】

いはく、つくらず、しんいにしへこのむ。ひそかわれ老彭らうはうくらぶ。

【訳】

先師がいわれた。

「私は古聖の道を伝えるだけで、私一箇の新説を立てるのではない。古聖の道を信じ愛する点では、私は心ひそかに自分を老彭にも劣らぬと思っているのだ。」

『論語』全文・現代語訳

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 昔の偉人の言葉や、昔から伝わる真理を大切に思うのは大事なことだろう。人間は言葉を用いて後世に教えを残すことができる。孔子の時代は2,500年ほど前であり、その時代に既に古の教えがあったのだろう。確かに時代を経ようと変わらぬ知恵や教えというのはあるだろうから、そういうものを大事にするのは悪い事ではない。しかし、一方で時代の変化に合わせて変えて行くことも大事だと言われるのも事実である。


 よく老舗の料亭や食品会社などで、伝統の味として長年守られているものが、実は時代の変化に合わせて少しずつ味を変えているということを聞いたことがある。それで成功しているのであるから、それもまた真実であると言える。年末に義母の葬儀があったが、お坊さんのお経を聞き流しながら、つらつらと考えた。仏教もまた大きく変わった最たるものだと思う。仏陀の始めた仏教は、死者を弔うものではなく、解脱のための修行のものだったことを考えれば、その変化はお釈迦さまもびっくりだろう。


 古くから伝わるものをそのまま変えずに受け継ぐのが良いのか、それとも必要に応じて変えても良いのかはケースバイケースであると思う。「古聖の道を信じ愛する」のが悪いとは言わないが、やはり「必要に応じて変えるものは変える」というスタンスが良いと思う。それは、その時その時点では確かに真理であったであろうことも、時代の変化の中で状況が変われば同じ事は当てはまらないであろうことは容易に想像できるからである。状況が変わっているにも関わらず、金科玉条の如く教えを守るのは何も考えていないのと同じである。


 私は基本的にどんどん変えていくタイプである。だから、古聖の道を金科玉条の如く守る孔子の言葉には違和感を覚える。孔子の言葉を集めた論語の言葉でさえ、今でも通じるものとそうでないものがある。それは2,500年も経っていれば当然である。逆に日本の茶道にある「守破離」の考え方の方がしっくりくる。師匠から教わった型をしっかり「守」り、その上で自分にあった型を模索し試すことで既存の型を「破」り、そこから「離」れていくというものである。


 そもそも儒教には祖法を絶対視する傾向があるという。ここにある孔子の言葉もその考え方の中に捉えられているのかもしれない。こうした儒教的な考え方は、清朝を滅ぼしたのだという説がある。祖法絶対に囚われ、日本のように西洋の進出に合わせた対応ができず、旧態依然とした体制から脱することができないまま滅んだというものである。その真偽はともかく、変化に対応できないというのは致命傷になるだろう。古いものがすべてダメというわけではなく、適切な取捨選択ができないのがダメなのである。


 そもそもこうした何かの「権威」を絶対視する傾向は、我々日本人には多くあると思う。お役所の前例踏襲主義もその一つと言える。そうした考え方は、はっきり言えば「思考停止」に他ならない。何が良くて悪いのか、それを自分で考えて判断できないから盲目的に従う。自分で考えて判断できれば、古いから良い悪いではなく、現状に合うか合わないかで判断できる。できないから盲目的に従う。そうすれば楽である。自分で責任を負いたくないという考え方もあるだろう。


 責任という考え方も大きいと思う。間違えた時に自分の責任にされないためには確かな「権威」=「前例」に従うというのがもっとも楽である。会社でも「社長が言ったから」、「部長が言ったから」と言えば責められることもない。サラリーマン的には責任回避のいい言葉である。孔子が責任回避や思考停止に陥っていたとは思わないが、この言葉が一人歩きすると危険であると思う。


自分は常に何かを盲目的に信じるということは避けたいと思うのである・・・

 

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【今週の読書】




2023年1月3日火曜日

2023新春雑感

 2023年はいつものように平凡にスタートした。年末に義母が亡くなるというアクシデントがあったが、それがなくても昨年同様、今年も家族は妻の実家組と私とで分かれた。寂しい気もするが、それも仕方ない。この世の中は自分の思い通りにはいかないもの。思い通りにいかないからといって、それにストレスを感じていては自分が大変。逆に思い通りに行かせるとそれは他人のストレスかもしれない。家族にストレスを与えることを考えれば、家族がストレスのないようにするのが良いと思って納得している。

 年末に1人実家に帰り、昼に両親とともに年越しそばを食べ、夜はすき焼き。もう何年もの我が家の定番パターンを実家にも持ち込む。あらかじめお節を注文しておき、三が日はそれと雑煮で過ごす。料理とは言えないほど簡単なものだが、それでも自分で用意しなくて済むと母からはありがたがられる。こちらは以前のように上げ膳据え膳というわけにはいかなくなったが、それでも母親が喜ぶのであればそれもいいと思う。何より自分の自活力に役立つ。将来、1人暮らしになった時に役立つかもしれないと考えれば、自分のためでもある。

 母は最近、物忘れがだんだんひどくなって来ている。毎日同じ相談を受けるといいかげん嫌になるが、それでもグッと堪える。もともと「ああ言えばこう言う」式で、自分の非を認めないところがあったが、それも加速している。3分前の会話と逆のことを言うのも珍しくはない。その度に非難するのは簡単だが、老いた母親に普通に対応するのも良くないと思い、聞き流す努力をしている(なかなか難しいが・・・)。それでもまだ「瞬間的な会話」は普通にできるから良いと思うしかない。

 頼みの綱は親父なのであるが、親父は親父で毎日「自分の事」に忙しい。せめて少しぐらい家事をやったらと思うのだが、「男は仕事」の昭和世代にはなかなか難しい。食卓では昔話を楽しそうに語る。何回も聞いた話もあるが、貧しい農家に生まれ、中卒で東京に出て来て働いてきた親父であるから、そんな苦労が窺える話は何度でも聞きたいと思う。今のところ耳が遠くなったぐらいで、達者と言えば達者。父親の家系は長生きの傾向があるようであり、自分も90歳くらいまでは生きられそうに思う所以である。

 年末年始を実家で過ごし、三が日の最終日に誰もいない自宅に帰宅する。近所の氏神様にさっそく初詣に行く。家族で来ているところは羨ましい気もするが、その気持ちは抑える。参拝して破魔矢を買う。破魔矢とは文字通り「魔」を「破る」という意味なのだろうと参拝の列に並びながらつらつら考えていた。昔は、人知を超えることが多々あり、そこに祈りを見出したのであろう。人間には自分の努力だけではどうにもならないことがある。それゆえに神様の力にすがるという考えが生まれ宗教に発展したのだと思う。不幸の「魔」を追い払うという願いから破魔矢は生まれたのだろう。

 今は、科学も進み、神様の住む世界も狭くなっている。神様がいるかどうかという問題は、もはや真面目に問う問題ではないと思う。人間は「神様がいるという前提」で謙虚に生きるべきなのである。自分も傲慢になってはいけないと思う。そんな戒めとしては、新年の初詣はいい儀式である。願い事をするのではなく、感謝の挨拶である。昔は、両親も除夜の鐘を聞きながら近所の氏神様に参拝に行っていたが、さすがにもう行く体力もない。それはそれで仕方がない。自分もそうなるかもしれないが、元気なうちは続けたいと思う。

 今年のキーワードとしては、「受身」とする事にした。ビジネスにおいてはマイナスな言葉であるが、あえてそうする事にした。受身とは柔道で一番初めに習う技術だという。それは投げられないためではなく、投げられても怪我をしない技術。「攻撃は最大の防御」とばかりに攻めるのも年齢的には難しくなってくる。流れに逆らうより、流れに沿いながら、流されるのではなく、巧みに目的地に向かうようにしたい。投げられても受身をきちんと取れれば、また起き上がって動ける。そんなしなやかさを持って今年一年を過ごしたいと思う。

 人はさまざまな考えを持っている。そしてそれは必ずしも自分の考えとは一致しない。不一致の中から対立が生まれ、ストレスが生まれる。しかし、そこで自分の考えを強引に押し通すのではなく、可能な限り受け入れ、受け入れながらも自分が傷つかないようにしなやかに受身を取りながら上手くやっていく。今年はそんな生き方を目指してみたいと思うのである・・・

TumisuによるPixabayからの画像 

【今週の読書】